月末ということで届いた法律雑誌のうち、法律時報の最新号(2020年10月号、Vol.92. No.11)に目を通していたら、思わぬところに切れ味鋭い評釈が掲載されていることに気づいた。
元々この号は、今、まさに研究会での議論が進められている動産・債権譲渡担保法制の見直しにかかる特集がかなり充実していて*1、本来ならこちらも取り上げておかねばならないところではあるのだが、まずは真っ先に冒頭で紹介した評釈のインパクトを伝えなくては・・・ということで、今回はこれに絞ってエントリーを上げることとしたい。
法律時報 2020年10月号 通巻 1156号 動産・債権等を目的とする担保――立法に向けての課題
- 発売日: 2020/09/26
- メディア: 雑誌
田村善之「寛容的利用が違法とされた不幸な経緯に関する一考察-最三小判令和2年7月21日(リツイート事件)」*2
リツイート事件といえば、今年の夏、関係者を騒然とさせたアレ、である。
当ブログでも多少の懐疑とともに、驚きを伝えたところだった。
k-houmu-sensi2005.hatenablog.com
たかが発信者情報開示請求、されど出たのはれっきとした「最高裁判決」ということで、未だ判決の位置づけや射程をめぐってざわついているようなところはあるのだが、この田村教授の評釈は、タイトルが如実に示す通り、全体を通じてこの最高裁判決への懐疑的な姿勢に満ちている。
僅か3ページという短いスペースに押し込められた評釈、ということもあって、「紙幅の都合上、最高裁の判旨の網羅的な検討は別の機会に譲り」という前置きの下で書かれているものだが、逆に言えばその割り切り、すなわち、
「そもそも本件訴訟が、この問題を違法と判断するのに相応しい舞台であったのかということに筆者は疑問を覚えている。」(4頁)
という”感想”にフォーカスして筆が運ばれていることで、本評釈にはより強いメッセージ性が込められ、大きなインパクトを読者に与えることとなった。
■最高裁判決へのシンプルな評価
順にみていくと、まず冒頭の3分の1では、そうはいっても、ということで、最高裁の判断内容へのコメントが記されている。
ざっとかいつまんでご紹介すると、
「本判決の法律の下、その種の確認(筆者注:元ツイートに著作者名があり、それがトリミングされるか否かの確認)をなすことを迫られる場合は、リツイートの迅速性、簡便性を減殺することになりかねない。氏名表示権侵害者となるリスクを嫌って、リツイートが過度に控えられるおそれすら全くないともいえないだろう。」
「かりに本件のようなトリミングによる氏名表示が真実忌避すべきものであるならば、リツイートをするかしないかの二択しか有していないリツイート者に責任を課すよりも、システムの設計者であるツイッター社を侵害行為主体として捕捉したほうが、適切な回避措置の導入を促すことになろう。」
(以上4頁)
といったように、最高裁の法廷意見のロジックのおかしなところを的確に指摘し、その上で、「クリックすれば元画像の氏名表示に(容易に)接しうる」という事情に照らし、
「そもそも本件のシステムによる著作者の不利益が氏名表示権侵害を肯定するに足りるほどのものだったのかということ自体、疑問が残る。」
「こうしたユーザーの受け止め方などを斟酌して著作者が受ける不利益がそれほど大きくないと思料される以上、前述したリツイートの利便性に鑑み、19条3項による制限が正当化されるというべきであろう。」(以上4頁、強調筆者、以下同じ。)
とばっさり。
世の中を見回すと、曲がりなりにも知財高裁と最高裁が結論において一致している、という現実に、TwitterというSNSツールに対する微妙な評価(特にリツイート機能への愛憎半ばする思い・・・?)も相まって、今回の結論をストレートに批判することには躊躇するような空気もあったような気がするのだが*3、「リツイートが・・・重要な機能を果たしている」という前提に立つのであれば、最高裁判決に対しては、こういう評価しかなしえないような気がする。
田村教授はさらに続けて、「最高裁が扱わなかった論点について」という項で、今回の判決で判断対象とならなかった「同一性保持権侵害」(知財高裁はこれも肯定)についても、
と、理由も添えて激しく批判し、
「最高裁が上告を受理しなかった意図は定かではないが、あるいは、氏名表示権侵害を肯定することは質的に異なる影響度を慮ったのかもしれない。より深刻な事態が回避されたという意味では喜ばしいことであったのかもしれない。」(5頁)
と、シニカルにまとめておられる。
おそらく、今後、他の媒体等でより詳細な分析に基づく論稿が出される可能性も高いと思われるが、本評釈も、短い記述ながら、今後、本判決を容赦なく批判できるようにするための口火を切られた、という意味で、非常に高い価値を持つものとなるように思われる。
■端的に示された「本件の特殊性」
さて、通常の評釈だと、ここまでで話が終わってしまうことも多いのだが、本評釈ではここからが”本番”ということになる。
そして、その最初に書かれたくだりは、本件に対して多くの専門家が抱いている感情を実に端的に表現したものではないか、と自分は思っている。
「本件は、このように重大な影響を有する事件であるにもかかわらず、発信者情報開示請求事件であったために、裁判の帰趨に最も利害関係を有する者、すなわちリツイート者が当事者として登場していないという特徴がある。」(5頁)
「しかも、本件の大きな争点は、ツイッターのシステムに起因するトリミングにより著作者名が表示されなかったという事案の下で、氏名表示権侵害をなした主体はリツイート者なのか、それともツイッターの運営者なのかというところにあるはずだが、訴訟当事者であるTwitter Japanやツイッターインクに自らが責任を負うことにつながる後者のような主張をなすことは期待しにくく、現になしていない。つまり、本件訴訟は、原告の氏名表示権侵害の成否を決する致命的な論点について、訴訟当事者に十分な主張立証を尽くすことを期待しえないという構造的な限界がある案件であった。」(5頁)
おそらく、本評釈中で引用されている谷川和幸教授の高裁判決の評釈や、NBL1172号の論稿(「発信者情報開示請求事件における著作権法解釈」)の中で、こういった指摘が的確になされていたのだろうし、筆者自身も、7月のエントリーの最後の脚注でボソッと書き残したことでもあったのだが、よりストレートに言えば、上記のとおりなのである。
これを受けて田村教授は、
「十分に主張立証を尽くすことを期待しうるリツイート者自身が訴訟当事者となる案件が上がってくるのを待つべきであったのではなかろうか。」(5頁)
「かりに侵害を肯定する結論をとらざるをえないのであれば、不必要に違法であることを明らかにして寛容的利用を萎縮させることを防ぐために、やはり上告を受理することなく、発信者情報開示請求に関する解釈論を研ぎ澄ましたり、立法による対応を進展したりすることによって、この種の訴訟が雲散霧消するのを待つべきであったように思われる。」(6頁)*4
と、「原判決を容認するための上告受理」を行った最高裁の姿勢に疑問を投げかけた上で、どうせ受理するなら一般条項(20条2項4号、19条3項)を使って「原判決を正す」方向に向かってくれれば良かったのに・・・と嘆かれているのであるが、こういう形で楔を打つことで、本判決自体の結論がひっくり返ることはなくても、判断の強固な「規範化」を阻止できる可能性はあるわけで*5、その意味でも極めて価値の高い「一撃」ではないか、と思う。
ゆえに、少しでも多くの方々の目に触れることを願い、引用多めで恐縮ながら、速やかにご紹介させていただいた次第である。
なお、この評釈に関して一点だけ気になったのは、タイトルから結びに至るまで「寛容的利用」というフレーズが多用されている、ということだろうか。
この言葉自体が著作権法の世界で使われることには全く違和感はないのだが、自分がイメージしていた「寛容的利用」というのは、
「法律を杓子定規に解釈すると明らかに著作権侵害になるけど、社会通念上は許容され、定着している利用」
というものだったから、今回の「リツイートに伴って氏名表示が欠ける/同一性が崩れる」等々の問題は、そもそも、「寛容的利用」以前の話(一般条項のバスケットの中で「正当な利用」として認められるべきもの)なのではないか?ということで、若干モヤっとしたところは残った。
あくまでこれは「寛容的利用」の定義をどうとらえるか、という話に過ぎないのかもしれないが、日頃多くの人々が利用しているリツイートの一部が「お目こぼし」の上でしか成り立たないもの、ということになってしまうと不安定なことこの上ない、というのが自分の思いなわけで、だからこそ、ここはやはり、正面から「適法」と言い切れる方向に持って行くことを目指すべきではないのかな?と思っているところである*6。
*1:水津太郎教授が書かれた「企画趣旨」に続いて7本の論稿が掲載、特に松岡久和教授、山野目章夫教授と続く冒頭の論稿のラインナップは、書かれている内容の含蓄の深さゆえ、相当に読み応えのあるものとなっている。
*3:なので、自分も7月の時点では何となくひよってしまった・・・。
*4:詳細は本評釈を直接ご覧いただくのが良いと思うが、本件訴訟の経緯上、「リツイート者」に対する開示請求はあくまで元ツイート者を特定する過程での”おまけ”に過ぎなかったのではないか?という推測もこれらのご指摘の背景には存在している(そしてそれはおそらく核心をついているのだろう、と自分も想像する)。
*5:万が一、民集(最高裁判所民事判例集)に収録されるようなことになったとしても、調査官に慎重に解説の筆を運ばせる効果はあるし、そもそも収録自体躊躇させる一因となる可能性もある。
*6:もちろん、この最高裁判決が出てしまった以上、その射程との戦いにはなるのだが、現にリツイート者が被告として訴えられた場合に徹底的に争えば、また異なる結論になることも期待できるはず、というのが、現時点での自分の見立てである。