タブーに踏み込んだ勇気は、この世の中に何をもたらすのだろうか・・・。

14日、そのニュースは突然飛び込んできた。

「日本製鉄は14日、電動車のモーター材料となる鉄鋼製品で自社の特許権を侵害されたとして、トヨタ自動車鉄鋼世界最大手の中国宝武鋼鉄集団の子会社、宝山鋼鉄東京地裁に提訴したと発表した。両社に損害賠償を求めたほかトヨタには対象となる電動車の製造・販売差し止めの仮処分を申し立てた。国内の鉄鋼大手が大口取引先である自動車大手を知的財産権侵害で訴えるのは異例だ。」(日本経済新聞2021年10月15日付朝刊・第1面、強調筆者、以下同じ。)

その日から翌日にかけて、さらに週末の社説に至るまで、どのメディアにも「異例」の文字が躍っている。

これが単に「大企業同士の訴訟」ということであれば、頻度こそ多くはないが、知財の分野では「異例」とまではいえない。
同業のメーカー同士なら、海外はもちろん国内でも無効審判ルートで特許の潰しあいをしているケースはそれなりにあるし、時には新商品をめぐって差止仮処分に打って出る、ということだってある。

ただ、これがサプライヤーと納入先の関係、それも長い伝統を持つ国内トップ企業同士の争い、ということになれば、やはり「異例」という言葉以外の形容詞は、なかなか思い浮かばない。

当然ながら、約200億円という損害賠償請求額以上のインパクトがあるこんな訴訟が何の前触れもなく出てくるはずはなく、日本製鉄のプレスリリース*1からも、日鉄とトヨタの間でそれなりの間、事前協議がなされていたことはうかがわれるのだが、通常ならギリギリのところで”収まる”ことが多いこの手の紛争で「提訴」というステップにまで踏み込まざるを得なかった背景に何があったのか。様々な報道がなされているが、いずれも憶測の域を出るものではなく、さらに言えば、今後、政治も絡んだ様々な動きが出てくることは容易に想像できるところではある*2

元々、世の中には「日本で特許訴訟が少ないのは由々しき事態だ」と本気で思っている方々が一定数いらっしゃるから、そういう方々にとっては、これもまた”朗報”なのかもしれない。

あるいは視点を変えて、今回訴えられた会社の「知財」の取扱いに対して複雑な思いを持っている方々にとっても、今回の事件は「チャンピオン対決」みたいなもので、ハラハラしつつもひそかに喝采を上げている人がいても全く不思議ではないだろう。

自分も、1つめの認識には共感しないが、2つ目の点に関しては、多少の共感は寄せたくなる。

そして、今回訴えられた会社の側で出したリリース*3の節々に出てくる、

「弊社としては、本来、材料メーカー同士で協議すべき事案であると認識しており、弊社が訴えられたことについては、大変遺憾に感じております。」
「弊社では、様々な材料メーカーとの取引にあたり、その都度、特許抵触がないことを材料メーカーに確認するプロセスを丁寧に踏んでおります。当該の宝山鋼鉄股份有限公司製の電磁鋼鈑につきましても、取引締結前に、他社の特許侵害がないことを確認の上、契約させて頂いております。その旨は、書面でも提出頂いております。」
「本件につきましては、日本製鉄より当該の指摘を受けたことから、改めて宝山鋼鉄に確認をさせて頂きましたが、先方からは「特許侵害の問題はない」という見解を頂いております。」(強調筆者)

という「大口発注者の調達部門の論理」的なるものに接して、苦笑いせざるを得ないのも確かである*4

だが、本件に限らず、この種の紛争の先にあるのは、決して明るい未来ではない。

相被告となっている中国の会社に関しては「産業スパイ」だとか何とか様々な話があるのは確かだが、今回のような状況になっているのも、そこが作った製品が今やトヨタのEVで使えるだけの水準になっているからなのであって、今世紀に入ってからの中国企業の技術力の急激な上昇を踏まえれば、独自開発の主張に基づく先使用権の抗弁が認められたり、場合によっては、海外での公然実施や中国国内での公知文献の存在等が認定されて特許自体が無効とされるリスクも皆無とはいえない*5

また、仮に長い争いの末に原告側の請求が認められたとしても、その時の原告の市場での地位は?あるいは、被告の電動車の市場での地位は?ということを考え出すと、より暗澹たる思いに駆られる。

国境を越えて企業間競争が繰り広げられている今、日本の大手メーカーだからといって、日本の会社と優先的に取引しなければならない、という理屈が出てくる余地はもはや存在しないし、それぞれがもっとも自社の利益となる方法を追求することが、結果的に株主だけでなく、その下に抱える多くの雇用をも守ることになるのだけれど、それでもまだまだ開発競争のさなかにある次世代移動手段に関して言えば、「そこが手を組まなくてどうする・・・」という思いは当然あるわけで・・・。


かつて、今回訴えた会社が「新日鉄住金」だった時代に世の中に大きなインパクトを与えた韓国ポスコとの訴訟*6は、約3年半くらいの時を経て和解での終結に至った。

今回の紛争も、「振り上げた拳をどこで下ろすか」というタイミングも含めて戦略は練られていると思うのだが、ここからの一日一月一年は、当時の時間とも比べ物にならないくらい大きな意味を持つ時間になると思うだけに、こと本件に関しては、「3年」と言わず、より早く紛争が収まることを今は願うばかりである。

*1:https://www.nipponsteel.com/common/secure/news/20211014_100.pdf

*2:ちなみに、ちょっと前まで「無方向性電磁鋼板」といえば、独禁法の企業結合審査事例の中に出てくるキーワードとして法務界隈では著名だった(https://www.jftc.go.jp/dk/kiketsu/toukeishiryo/mondai/h23jirei02_files/H23jirei02.pdf参照。)のだが、「提訴」のニュースから数日のうちに、このキーワードでGoogleを使ってかつての大規模企業合併の情報を探し出すのも難しい状況になってしまった・・・。

*3:日本製鉄株式会社による弊社への電磁鋼板に関する訴訟について | コーポレート | グローバルニュースルーム | トヨタ自動車株式会社 公式企業サイト

*4:改めて言うまでもないことだが、いかに納入時に「確認」をしていたからといっても、現に使用している製品、素材等が第三者特許権を侵害していれば、侵害責任は肯定されてしまう。もちろん、調達先との間では万が一の場合に対処するための様々な手立てが抜かりなく講じられ、訴訟費用や弁護士費用はもちろん、場合によっては逸失利益までサプライヤーに持たせる”約束”までさせることは可能だが、それでも自らが直接訴えられ、かつ相手の主張に理があれば判決上は責任を負うことになることは避けられない。だから法務・知財部門の人間であれば、第三者からの指摘が明らかに”一発狙い”の言いがかりであるような場合はともかく、市場で一定のポジションを占めている事業者から指摘を受けたような場合は、調達先がどんな言い訳をしていようが、一度立ち止まって協議しろ・・・という方向に持っていくのが定石だろう、と思うのだが、なぜ今回のような事態にまで至ってしまったのか。それが気になるところである。

*5:「無方向性電磁鋼板」が日鉄にとって虎の子の技術である、という報道はあちこちでなされているが、虎の子の技術の特許権を公に行使する、ということは、その独占的地位を失うリスクと常に表裏一体である。

*6:k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

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