必要なのは規範か、それとも目の前の事案の解決か。

10月29日の臨時株主総会からはや1か月以上が経過した。

僅差で可決されたはずだった経営統合に向けた会社提案(株式交換)は、11月22日の神戸地裁の仮差し止め仮処分決定で一転。
異議申し立ても退けられ、会社側が絶体絶命の状況となったところで、12月7日、大阪高裁が保全抗告で再度判断をひっくり返す。

当然ながらこの間、関西スーパーの株価は、1200円くらいから1800円くらいまでのレンジでジェットコースターのような激しい上げ下げ。

そして、12月8日、大阪高裁が許可抗告の申立てに対して抗告許可を出し、舞台が最高裁に移った、というところで、いったん時が止まっている。

自分はまだ高裁はもちろん、地裁の決定文すら見ていないから、裁判所がここまでどういう判断を下してきたか、ということは、メディアが報じるあれこれを眺めながら推測するしかない。

巷では、形式面や取扱いの統一性を重視した地裁決定と、当事者の意思を徹底的に追求した高裁決定、というふうに対比されているし、それに対して、多くの専門家がそれぞれの立場からあれこれと論じている。

神戸地裁の決定を批判する意見としては、「出席した株主自身の意思は明確だったのに、当日のイレギュラーな手続きに乗っからなかっただけで形式的に「棄権」としてしまうのはいかがなものか」というトーンのご意見が主流になっているように思われるし、逆に大阪高裁の決定を批判する意見には、「特定の株主の”実質的意思”だけを汲んで議決に反映するのは公正さに反するのでは?」というものが多いように見受けられる。

自分の場合、元々、今回の仮処分命令申立人のように、(非公開会社であるのをいいことに)資金力に物を言わせて横やりを入れてくるようなやり口が大嫌いなので、大阪高裁でひっくり返ってよかったよかった・・・と思っているところはあって、既にその時点でバイアスはかかってしまっているのであるが、そういう背景がなかったとしても、目の前で「賛成だ!」と再三主張している株主がいるのに、その株主の「賛成」の議決権行使を認めないのはおかしい、というただ一点だけで、高裁決定は是認されるべきだと思っている。

もちろん、通常の株主総会で、当日会場に足を運んだ株主が「俺は反対」と終始叫びまくっていたとしても、その株主の出席票番号を確認して「反対」にカウントするなどと言うことはしないのだが、それは、通常の総会においては会場にいる株主が賛成しようが反対しようが結論が変わる余地がないからなのであって、そういった「平時」の話を、今回の関西スーパーの総会のような出席した株主一人ひとりの意思を厳格に問うていくような全く次元の異なる総会に当てはめるのはお門違いだというべきだろう。そして、そんな平時ですら、「会場にいる株主の一部についてだけ会社提案に賛成の議決権行使あり、とする」運用がなされていることは、総会関係者には周知の事実だと思われる*1

今回の発端となった株主の行動にしても、書面での議決権行使の内容が当日の総会出席でリセットされる、なんてことは、長く「株主」をやっている自分も、総会運営に密にコミットするようになるまでは知らなかった話で*2、ついでに言えば、総会当日に賛否を記入した議決権行使書を受付に出して、その結果が反映されるんだろうと勝手に思い込んでいた時期も結構長かったから、いかに議事運営側が会場で投票を呼び掛けていたからと言っても、総会運営には決して精通していなかった(と思われる)株主が、「もう投票したからここでは何もしなくていい」と思いこんだとしても何ら不思議はない。

そういった株主の自然な心理と、今回の臨時株主総会のオペレーションのイレギュラーさ等を考慮すれば、実質的意思を考慮しない形で判断する方がむしろ不公正ではないか、とすら思えてくるわけで、加えて「いったん決まった」ことをひっくり返すことで生じる諸々の弊害を考慮すれば、「仮処分申立て却下」という判断がもっとも穏当な落としどころになるはずだ、と自分は考えている。

それでもなお、仮処分命令を認めるべき、と主張する方々の声は衰えていないように思われるし、そういった声の中には、大阪高裁の判断から一種の”規範”を引き出して、「それだと今後の総会運営が大変になるのでは・・・?」と囁くものもあるのは、非常に興味深いことだったりもする。

ただ、そういう囁きを見るたびに思うのは、裁判所の判断を常に「規範」として意識する必要などないのだ、ということ。

裁判所はあくまで個々の事案の解決に向けて判断を下す場なのだから、平時の総会の運営の中で起きた出来事に対して示される判断*3と、今回のようなイレギュラーな総会の運営の中での出来事に示される判断は、当然違ってよいはず

そして、今回、㈱関西スーパーマーケットが直面したようなイレギュラーな事態を経験する確率は、仮に総会担当者を30年やったとしても一度あるかないかくらい、というのが普通の会社の実態だったりもするわけで、そう考えると、殊更に「規範性」を気にするのもちょっと違うかな、という気がするし、この先の最高裁でも、振りかぶってどこまで射程が及ぶのかよく分からないような判断を示されるよりは、さっくりと棄却して終わり、としていただく方が、ほとんどの会社の実務担当者にとってはありがたいのではないかな、と思った次第である。

ということで、もういくつ寝ると結果が出るのか分からないけど、今日のところはこんな感じで・・・。

*1:その意味で株主の実質的な意思を推し量る、という運用は昔から存在している。

*2:もっとも、郵送で決議行使書面を送付していた時代に、郵送した後にわざわざ当日会場に出向く、なんてことは自分は考えもしなかったが・・・。

*3:もっとも「平時」の総会の中身が裁判所に持ち込まれるケースというのは、ほとんどないだろうとは思う。

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