「非日常」が思い出させてくれるもの。

今年の夏くらいから、週2回、ちょっとした癒しになっているのが水曜日と土曜日or日曜日のJリーグの試合速報、である。

もちろん、こんな時だから、スタジアムに足を運ぶわけにはいかず、テレビ中継をやっているわけでもないのだが、スポーツナビのアプリに登録した贔屓チームのスコア速報が刻一刻と配信されるのを眺め、時々動画も見ながら一喜一憂できるのは、実に贅沢な時間だった。

プロ野球と同じで、春からの長い休止期間はあったが、始まったら逆に息付く暇もないような怒涛の日程消化。

例年なら”間延び”の原因となるような代表戦の機会が今年は少ないし、ましてや元々中断のないJ2などは、とにかくひっきりなしに試合をこなしていく。

選手にしてみたらコンディションの維持に多大な苦労をすることになっただろうが、見ている側としてはこんなに嬉しいことはない。

J1では早々と優勝が決まり、J2の昇格争いの行方も大体見えてきて、シーズンも残すところあとわずかだな、と思っていたところで、今日、不思議な話題が提供された。

「松本がホームに東京Vを迎えた一戦は、試合前から断続的に雪が降り、ピッチは積雪で真っ白。気温は氷点下3・3度を記録し、Jリーグ史上初めて氷点下の試合となった。これまでの最低気温は00年3月26日の山形―水戸戦の0度だったが大幅に更新した。」(スポニチAnnex2020年12月16日21時55分配信、強調筆者)

news.yahoo.co.jp

試合自体はドローに終わったが、試合後に「雪かきをしてくれたボールスタッフ、クラブスタッフに改めて感謝したい」(同上)と述べた松本山雅の監督の言葉も実に山国のチームの将らしい*1

そして、この記事を読んで自分はふと気づいてしまったのだ。

「そうだ、例年なら12月の半ばなんて、とっくにシーズンが終わっているんだ」という当たり前のことに。

確かJリーグが開幕した1年目だけは、開幕が5月のGW後だったこともあって結構遅い時期まで試合をやっていたという記憶があるが、それ以降は、遅くとも11月までにはシーズン終了、チャンピオンシップが(あれば)12月の上旬くらいに行われて決着、というのが普通だったわけで、既に本格的な冬が到来しているこの季節に、しかも、冬と言わず秋でも十分寒いアルウィンで試合をやれば、そりゃあ氷点下で凍り付くに決まっている・・・。

で、これで思い出したのが、幼い頃の記憶。

今の若い人が聞いても都市伝説にしか思えないかもしれないが、かつては日本のサッカーのカレンダーも、今の欧州と同じように「秋春」で回っていたのだ。

秋に始まるJSLこと日本サッカーリーグは真冬に序盤の佳境を迎え、雪の中で行われる試合もたびたび。

途中で「天皇杯」という当時の国内最高峰の大会があり、それが終わると高校生の選手権大会が始まる。

散々盛り上がって3学期が始まると、JSLのリーグ戦が始まり、スタンドには数えられるほどの観客しかいないものの、ごく一部の熱狂的なファンと家族関係者と、後は純粋にサッカーが好きな子供たちに囲まれて、淡々と毎週末試合が行われる・・・。

サッカーと言えば冬の季語、雪が似合うスポーツ。自分はそんなイメージと共に育ってきた人間だから、今日のようなニュースを見ると、実に懐かしい思いに駆られる。

札幌、新潟、山形、松本、と、雪国のチームも次々と参戦してきたリーグの歴史と、この国の過酷な気象条件を考えると、Jリーグ側が頑なに「春秋制」にこだわり続けてきたのもよく理解はできるのだが*2、それなりの年寄りにとっては、氷点下の試合映像が蘇らせてくれたデジャブもまたよし。

今年の初めにCOVID-19祭りが始まって以降、「あれができなくなった」「これができなくなった」等々あげつらう人は多いのだけれど、「非日常」だったからこそ味わえた楽しみも、今年はたくさんあったと自分は思っている。

物事を悪い方にばかり考えても何も始まらないから、今日また一つささやかな2020年の幸福を増やしてくれた天の悪戯に、今はただただ感謝、なのである。

*1:気付けば、この愛すべき中信のチームの監督が、かつて自分の故郷の青少年たちを熱狂させた高校サッカー界の名将ではない方にいつのまにか代わってしまっていたこともまた衝撃だったりしたのだが、そのことはひとまず置いておく。

*2:JSL自体、今調べてみたら、本格的な秋春制になったのは1985年のシーズンから、Jリーグに移行する前のたかだか7シーズンくらいのことに過ぎない。

止めるのが、遅すぎる。

日に日に増えていく感染判明者数、さらには重症者数、死者数のデータを眺めつつ、もはやあきらめムードになっていた週明け、ようやく吉報は届いた。

「Go To トラベル 全国で一時停止」

もっとも、その記事に接した時、自分は目を疑った。

「政府は14日の新型コロナウイルス対策本部で、観光需要喚起策「Go To トラベル」を全国一斉に一時停止すると決めた。期間は12月28日から2021年1月11日まで。」(日本経済新聞電子版2020年12月14日20時配信)

・・・もう一度繰り返す。停止期間の開始日は「12月28日」

全くもって遅すぎる。

「感染者数が多い東京、大阪、名古屋、札幌の4都市は先行して止める。」(同上)

ということだから、一応今の状況を考えて、のことではあるのだろう。

ただ、大都市圏と札幌の感染者ばかりが目立っていたこれまでの展開とは異なり、今回の「第3波」は、全国津々浦々に広がってきている、ということに大きな特徴がある。

空気が乾燥した、そうでなくても呼吸器系統を痛めやすい季節、しかも、寒さしのぎに締め切った屋内で飛沫も飛びやすい、ということで、夏場に比べると感染力は高まっているように思われるし、武漢に始まり、欧州でも米国でも証明されてきたように、猛烈なスピードで感染拡大していく過程では、ウイルスの凶悪性も一気に増す、というのが、今回の新型コロナ禍の世界的な傾向でもある*1

これまで、この国は、「感染者が増えた増えた」といっても、そこまで突出した数字にまではなっていなかった。

用心深い国民性と同調圧力は、さほど強制力のなかった措置に思いもかけないような効果を発揮させ、(それがもたらした過剰なまでの副作用はあったものの)最悪の事態を免れる、ということには大きく貢献してきた。

だが、一つならず、二つ目の山まで乗り越えた安堵感、そして、前政権以上に全方位に媚を売る現政権のスタンスが、再び感染者数が増加し始めたこの冬、完全に仇となり、あたかも「チキンレース」のような無作為を続けた末に、今の事態を招いている。

それでもなお、「経済が大事」と呟く者は依然として多いのだが、「Go To トラベル」に関して言えば、過去のエントリーでも触れた通り、経済政策としても決して賢い政策とは言えない。

k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

ちょっと前、年越しに泊まるホテルでも探そうか、と大手OTAのサイトを覗いた時も、地方の有名温泉旅館の部屋は軒並み売り切れ。都内に目を移しても、高級ホテルが軒並みアパホテル価格で売り出されていて「残り1室、2室」の表示もザラ。

そうでなくても年老いた人々がいる実家への帰省は見送る人が多いのが今年の年末年始で、例年以上に都内ホテルステイを選択する人が多かったから、という事情もあるのだろうが、需給バランスが明らかにおかしくなっていて、本来なら「定価」でも泊まりたかった客が泊まれない、というのは、「市場破壊」に他ならない。

飲食業の世界に目を移しても状況は同じ。

今月に入ってから、「忘年会需要がなくなると困る」「時間短縮営業なんてとんでもない」という飲食店経営者の声が垂れ流しにされることも多かったのだが、この業界が「緊急事態宣言」という非常時に直面してからもう半年以上経っている

絶え間なく経営努力をしている近所の飲食店などは、苦渋の一時休業を強いられた春の教訓を踏まえて、デリバリーを強化した上に、店内のレイアウトを個人・少人数向けに改装し、「宴会客のいない落ち着いた店」になった。

店内は静かになったが、直近の週末でも席は埋まっていたし、馴染みの店主からはそれまでより回転効率も良くなって売上げも回復したと聞き、さすがだな、と唸らされたものである。

そう、「この期に及んで忘年会需要に期待している」こと、そしてそんな飲食店まで守ろうとしている、ということが、根本的に間違っていると自分は思っている*2

どんなに厳しい経営環境でも、危機に備えて資金を確保できている事業者、知恵を使って利益を絞り出している事業者には生き残る途がある。

そして、苦境を生み出した原因が消え、需要が戻ってきたときに、正しい戦略で生き残った事業者が一転してその恩恵を享受する。

「経済を大事にする」というのは、そういうことではないのだろうか?

もちろん、敗れた事業者が出れば出るほど、失業者の数も一時的に増えていくから、一定のセーフティネットを張ることは不可欠なわけだが、それはあくまで社会政策の話。

これまでに行われてきたことは、「経済対策」と銘打って、努力した事業者もそうでない事業者も一緒こたに温存する、というメリハリのない国費の投入で、狭い店内を宴会でぎゅうぎゅう詰めにして、「飲み放題」と手をかけていない添え物のつまみで粗利を稼いできたような店が残ってしまっていたことが、今となっては余計に話をややこしくしている*3

*1:これが、単純に感染者が増えたことによる「確率」の問題なのか、それともウイルスに「数に比例して活動がより攻撃的になる」といったようなパターンが仕込まれているからなのか、その辺は専門家に研究していただかないと分からないところだが、感染者増加による医療機関の機能不全現象と合わさって、一定の閾値を超えてしまうと、加速度的に悲劇の度合いも増す傾向があるように見えるのは間違いないところである。

*2:そもそも「忘年会団体需要」を警戒するからこそ「時短営業」の要請などというものも出てきてしまうわけで、そういう事業者の存在ゆえ、個人、少人数ユーザー向けに高回転で効率よく営業してきた店の営業機会が奪われるのだとしたら本末転倒に他ならない。政策的には「時短要請」より先に「人数制限」を持ってくるべきではなかったのか、と思えてならない。

*3:この手の「引っ張り過ぎて成長機会を逃した」というのは、バブル期以降、失敗した数々の産業政策とも共通するところが多い気がしている。

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これが吉兆だと信じよう。

日曜日になっても、数字上は高い水準のまま維持されている感染者数。さすがに街中の人出も少しずつ減ってきた印象はあるが、それでもあちこちにクラスタの芽は潜む「第3波」。

このまま官邸が関係各所に慮って、重い腰を上げないまま日を浪費すれば、日本人はこれまでになく悲しいクリスマスを迎えることにもなりかねないのだが、良識ある人々の声はなかなか届かない・・・。

ということで、どんよりした気分で(それでも依然としてはけない)仕事に追われつつ過ごした週末だったのだが、日曜日の午後目にした光景に、自分は希望の光を見た。

2歳馬女王決定戦、阪神ジュヴェナイルフィリーズ

ここ3年くらいは、勝った時点では「クラシック当確!」と言いたくなるような馬が勝っているにもかかわらず、翌春のクラシック戦線に突入するとその馬がなぜか戴冠できない、というジンクスめいたレースになってしまっているが、今年のラッキーライラックの活躍を見ても、一昨年の2着馬がクロノジェネシスだった、ということを考えても、「最強牝馬と呼ばれるための登竜門」の一つであることは間違いないレースである。

そして、今年は、かたや北海道シリーズ連勝から東の重賞を制したソダシと、小倉シリーズ連勝から西の重賞をレコードタイムで制したメイケイエール、という3戦3勝(重賞2勝)馬同士の直接対決、しかも血統を遡るといずれも奇跡の白毛シラユキヒメに行きつく、というドラマのネタのような対決が実現したことで、例年以上に興味深さが増した。

同じ白毛馬の血筋を引きながら、一方は一見するとそれが分からない鹿毛、だがもう一方は、まさに奇跡を継承し続けるかのような見事な白毛

牝馬限定のレースだけに、一昔前の昼メロに出てくる「煌びやかな良家のお嬢様」と「普通の家庭に育った女の子」、キャラクターも対照的だけど実は・・・みたいな妄想すら湧き上がってきたこのレース、白毛のソダシは予想通り1番人気の支持を受けたし、大外の枠を引いてしまった上に、父・ミッキーアイルで距離不安の指摘もあったメイケイエールも、人気を落としたものの3番人気。

間に割って入ったのは、これまた良血、サトノフラッグの全妹となるサトノレイナスで、こちらは、シラユキヒメ一族と長年のライバル関係にある侯爵家のご令嬢・・・といった役回りになるだろうか。

2歳のレースにしては、予想している時からいつになくワクワクしたのも、戦績以上にそれぞれの馬のバックグラウンドがドラマチックに見えたからだろう。

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法務にできることは何なのか?を考えさせられる報告書。

数年前、五反田の土地を舞台にした、いわゆる「地面師」による大掛かりな詐欺事件が報じられたのはまだ記憶に新しいところである。

一昔前、まだバブルの余波が残っていた時代(自分がまさに駆け出しだった頃)は、この手の話を耳にすることはそれなりにあったような気がするし、不動産関係の事件を長く扱っていた当時のベテラン社員からも、土地の取引がいかに危険なものか、ということは武勇伝と共によく聞かされたものだったのだが、それが21世紀に入って結構経った今頃になっても、これだけ大きな事件として出てきてしまったこと、そして何より、被害にあったのが、多くの人が知っている有名住宅メーカーだったということが、この事件のインパクトをより大きなものにした一因だったような気がする。

昨年くらいから、土地取引詐欺に関与したメンバーの刑事事件の第一審判決が次々と出されてそれはそれで話題となった。

さらに、今年の春には、被害側の会社の元CEOらが、現経営陣のこの事件の処理をめぐる対応の問題を指摘して定時株主総会に役員選任議案を提出し、新型コロナ禍中での総会の開催の是非まで争われる*1、というちょっとした事件も勃発した。

それなりの時間は流れても、社会に与えた衝撃はしばらくは薄れず、組織が受けた傷もそう簡単には癒えないのだろうな・・・ということを強く感じさせるエピソードではあったのだが、そんな中、7日付のリリースで被害者となった会社から「総括検証報告書」なる資料が公表されている*2

総括検証委員会の委員長を務めたのは、今年4月に外苑法律事務所を設立したばかりの菊地伸弁護士で、同事務所の3名の弁護士が委員会を構成している。

積水ハウスを欺罔したとして起訴された地面師 10 名全員に対して有罪判決が言い渡されたことを踏まえ・・・(略)・・・本件取引事故に関する事実経緯等を正確に公表することにより株主、顧客、取引先及び役職員を含むステークホルダーに対する説明責任を果たすことを目的として、本件取引事故等の総括検証を、積水ハウスと現在に至るまで一切の利害関係がない外部の専門家に委嘱する」(報告書1~2頁、強調筆者、以下同じ。)

という説明の裏に、書かれざる今年のもう一つの「事件」(前記)があったことは想像に難くないが、きっかけは何であれこういった「総括」を行って公表する、という姿勢自体は、高く評価されてよいことのはず。

また、(まだ確定していないとはいえ)第一審の刑事判決が出揃ったことで、前提となる事実関係の基礎が固まり、一連の事件の構図を描きやすくなった、という面もあったのだろう、この報告書は、他社の一般的な「第三者委員会報告書」と比べても、実に生々しいものとなっている

報告書25頁から始まる「5.本件取引に関する事実関係」の中では、地面師グループが仲介者を通じて積水ハウスの東京マンション事業部営業次長に接触したところに始まり、偽の所有者との土地売買契約締結・仮登記申請と話が進み、「真の所有者」を名乗る者からの通知書が届く、といったイレギュラー事象を契機とした残代金の前倒し支払い、そしてその直後に判明した証明書類の偽造と、その結果としての本登記申請却下。

2017年3月下旬から、6月上旬まで、わずか2カ月ちょっとの間の出来事ながら、報告書に記された概要だけでも25ページ分。時にトップの判断・指示も挟みながら、関係者の打合せや会議を積み重ねるたびに危うい方向に向かっていく社内の意思決定プロセス、イレギュラー事象の受け止め方、最後に訪れる暗転・・・

世の「会社の中の空気」というものにちょっとでも触れたことのある者なら、一読しただけで登場人物の様々な心理に思いを馳せることができるはずだし、そこに描かれているのは、中途半端なサスペンスドラマよりもよほどよくできた”悲劇の筋書き”である。

既に「詐欺だった」ということが明らかになっている今、この事実関係のくだりを読めば、「誤った意思決定に向かう組織の病理を描いたもの」という受け止め方にどうしてもなってしまうのだが、その答えを知らされないまま同じ立場でことに向き合っていたら、いったい自分に何ができるのだろう・・・と身につまされるような思いをする人も多いのではなかろうか。

本件で詐欺師集団が悪用した、「登記済権利証に代えて資格者代理人の本人確認情報で登記申請ができてしまう制度」などは、まさにオンライン申請の導入を主眼とした2005年施行の不動産登記法大改正で認められるようになった制度だったりもするから、昨今の急激な「デジタル化」の動きを考える上でも教訓的な事例となっているように思われるし、本件取引に”善意の関係者”として登場する司法書士や弁護士の姿を見ると、専門士業者として使命を完遂することの難しさと責任の重さをただ痛感させられるばかりだったりもする。

そして、会社の組織や業務の進め方についての問題、ということで言えば、(後の方でも触れるが)以下の指摘に尽きるだろう。

「東京マンション事業部が起案した 10 億円以上の用地取得の稟議書は、マンション事業本部内を回付されたうえで、不動産部に提出され、法務部も回議先となっていた。しかし、不動産部における稟議書のチェックは購入金額や販売予定価格の見積りが妥当であるか等の観点から行われており、また、法務部における稟議書のチェックは、法令遵守の観点から、記載内容に疑義がないかといった記載内容に対するチェックにとどまっていた。また、マンション用地取得のための売買契約書作成や契約締結、決済に向けた法務関連業務は、東京マンション事業部が、同部の顧問弁護士に適宜相談しながら対処していた。この結果、マンション用地取得に際しての法務部の関与は、具体的な法的トラブルが発生した場合の事後処理に限定されていた。 」(報告書24頁)

報告書の中では、さらに踏み込んで、事業部自身がなぜ法務関連業務に自ら対応していたのか、ということについても述べられている。

「法務部は、戸建住宅事業や賃貸住宅事業、分譲住宅事業の多数の顧客向けの定型契約の雛形を作成し、それに関わる法律問題の相談を受けていたほか、訴訟の場合の対応等を担当していた。しかし、法務部のスタッフ数が少なかったこともあり、これら以外の事業についての法律問題や個別のクレーム等には対応しきれていなかった。そのため、各事業部はそれぞれ(地域により事業部がさらに分かれている場合は地域ごとに)弁護士と顧問契約を締結し、各事業部においてクレームや法的問題に対応していた。」(報告書24~25頁)

このくだりを読んで、自社の状況に思いを馳せた方も多いのではないだろうか。中身はズバリ、老舗企業の「法務あるある・・・」。

訴訟はやる。契約書の雛型作成等の全社統一的な業務もやる。加えて株主総会、取締役会といったコーポレート周りやコンプライアンス教育、といった全社的な施策を担っている、という法務部門は多いだろうが、伝統のある事業部門や、特殊な取引とみなされている部門の日常的な実務に関しては現場任せ。

もちろん、「予防法務」という言葉とその重要性は認識しているが、自分たちにできること、やろうとしていることと、日々現場で起きていることとの間にギャップがあり過ぎて、肝心の「臨床」の仕事に、”患者”が相当重症になるまで関われない。

そんなどこの会社にもありそうな構図が、この報告書の中では実にクリアに描かれている。

どんなどんでん返しのミステリーにも、ちょっとずつ伏線が用意されているのと同じで、本件にも「詐欺」を見抜けたかもしれない契機は存在した。

特に、5月10日に本社宛てに送付された「真の所有者」と主張する者からの通知書を受領したタイミングがそうだったし、支払前日の5月31日には、通知書が届いたのをきっかけに「本来の所有者」が別に存在するのではないか、ということに強い疑いを持つに至っていた司法書士が、パスポートの表記の一部の違いを指摘したり、本人確認情報作成時に偽所有者が「誕生日を忘れた」と言っていた事実を報告した、ということもあった。さらに、その日は、持参する予定だった権利証を偽所有者が持参しなかった、という今思えば決定的とも言えそうなトピックもあった。

だが、法務部自身が窓口になった「通知書」への対応は、マンション事業部門が信じ込んだ「積水ハウスに手を引かせるための妨害工作」というストーリーに追従するだけの結果に終わってしまったし、打ち合わせの場での司法書士の指摘や報告、「権利証を持参しなかった」という事実は、その場にマンション事業部門以外の者がいなかったこともあってか、その時点においては法務的見地からの判断の基礎とされることはなかった。

そうでなくても、日常的には自分たちが業務にかかわっていない他の部門に対して、他の部門の者が踏み込んだ意見を述べるのは難しいし、一定の確信の下で別のストーリーを立てて説明されてしまうと、それを一般論だけで覆すことも、そう簡単にできることではない。また、問題とされていたことは、まさに「法の適用解釈」以前の問題だけに、いかに豊富な法律知識を有していたとしても、それだけでどうこうできる話でもない*3

本報告書の中では、これらの対応について、

「マンション事業本部及び東京マンション事業部は、地面師グループの誘導に引っ掛かり、これらがすべて偽 X の内縁の夫による取引妨害工作又は競争事業者の妨害工作であると妄信し、昔からの知人や加盟組合(旅館)などへの写真による本人確認は行わないことにしている。法務部も東京マンション事業部に本人確認の徹底を指示しながら、東京マンション事業部がどのように本人確認を行ったかを確認しないままになっている。」
「以上のとおり、マンション事業本部及び東京マンション事業部は、本人性に疑いを頂き、慎重に調査をしようとする契機となりえた様々なイレギュラーな事象を前にしながら、本件不動産を取得することに専心し、これを見過ごし、また、法務部及び不動産部は、相互に情報共有を行い連携して本件取引を牽制するという職責についての自覚に乏しく、これを果たすことができなかった。」(以上、報告書54頁)

と指摘され、「チェック機能の欠如」と厳しく指弾されているが、そもそも前記のような組織構造の下では、(多少金額は大きかったとはいえ、なお)日常的な部類に属する取引に「踏み込んで介入」することは無理があると思うわけで、「これを他山の石としよう」と思って読み進めつつも、読み終わって「さてどうしたものか・・・」と頭を悩ませている人は多いのではないかと思うところである。

強いて言えば、本件で東京マンション事業部が相談していたK弁護士のところに一緒に相談に行く、とか*4、法務部自身がK弁護士とは別の顧問弁護士等に改めて第三者的視点からの意見を求める、というステップを踏んでいれば、どこかで流れが変わる可能性があったのかもしれない*5

ただ「正常化バイアス」とか、「セクショナリズム」という厳しい言葉で指弾されるほど、積水ハウスの社内の体制が一般的な日本企業との比較で特殊だったとも、一連の対応が拙劣だったとも、自分は到底思えないわけで、だからこそこの報告書が突き付けてくる問題意識は、多くの会社に重石としてのしかかってくるのではないかと思っている。

「再発防止策」の衝撃

さて、この報告書は、事件後3年余を経過して出されたもの、ということもあり、61頁以降で「第6 実施された再発防止策とその実効性等の検証」が取り上げられている。

「電子稟議システムの導入」、「稟議書へのリスク事項等の記載」というところから始まって、「人事ローテーションの導入」に至るまで様々な施策が打たれ、一定の効果が上がっているという評価がなされているのだが*6、自分はこのパートからも、ちょっとしたショックを受けた。

「チェックリストは、不動産部が稟議書の受付時に事業部に対するヒアリング(後記エ参照)により各事項を確認した上で、作成し、稟議書に添付される。」
不動産部は、稟議書の回付を受けた際、稟申事業所(稟議書の起案部署)に対し、取引先情報に関するヒアリングを実施することとした。」
「意見付記に関する基準として、不動産部は、チェックリスト等を総合的に判断し、リスクのある案件と判断される場合には、関係部署と協議の上、決裁権者に対し、条件付賛成(例:決済方法・期間の変更、及び追加調査、並びに売主側等に追加調査の実施等によるリスクの低減又は払拭を条件とする賛成意見)、もしくは、反対(稟議書添付書面にて否決を求める意見)のいずれかの意見を述べる意見書を稟議書に添付する運用指針を定めた。 」
「追加調査による結果、あるいは、新たに判明した事情により、決済を進めるにあたってリスクがあると判断される場合、不動産部は、関係部署と協議の上、さらなる追加調査、決済条件(例:決済期日)の変更、決済の中止又は契約の解除を指示することとした。」
「登記識別情報又は登記済証(権利証)を使用しない登記手続は、原則、不動産部へ報告し、個別審査を実施する運用に変更した。不動産部は当該案件をリスク案件として扱い、関係部署と協議の上、登記済証を登記手続に使用できない理由だけでなく、周辺情報等を総合的に勘案し、「登記官の事前通知制度」の利用の可否について検討する。」
(63~65頁)

本社の「不動産部」と「法務部」は、本件の対応の一連の流れの中でも「管理部門」の立場で並列的に登場していたのだが、今回の対策では、登記手続の審査対応も含めて、全て「不動産部」が責任部署として対策を主導するという位置づけになっている。そして、この報告書の記載を見る限り「法務部」の影は実に薄い

報告書の中で指摘されていたような、不動産部と法務部それぞれに異なるルートから情報が入ってそれが共有されていなかった、という状況を防ぐためには、どちらかに対応を一元化する、ということにも合理性はあるのかもしれないし、部門のリソースを比較した結果、不動産部に寄せた方が充実した対応が可能となる、という判断もおそらくはあったのだろう。

ただ、取引事故への対応、それも契約にまつわる「事故」への対策の過程において、元々は「購入金額や販売予定価格の見積りの妥当性」を審査するところに過ぎなかった部署*7に全ての審査権限が集中し、「法務部」は引き続き外野から・・・というのでは、あまりに寂しい*8

報告書を読めば、当の事件が起きた時の法務部長は常務執行役員で、取引の過程でも要所要所で社長から直々に意見を求められていたことが分かる。

それだけ重要な機能を担いながら、事業部門の「追従」に終わってしまった結果がこれなのか、それとも別の社内力学が働いたのか、ということは分からないが、これだけの教訓事例をもってしても、

「何か相談されたとき、又は、事後的にトラブルが発生した場合に対応する受動的な役割」(報告書58頁など)

に留まらざるを得ないのだとしたら、「法務」の看板は一体何のために掲げているのか、ということになってしまわないだろうか。

本報告書の冒頭で「資料入手やヒアリングのスケジュール調整等の事務的作業については、積水ハウス法務部の支援を受けた」(3~4頁)とわざわざ書かれているとおり、一連の事件への対応において、この会社の法務部門が人一倍汗をかいたことは間違いないし、元部長が残したメモ等も生かしつつ、これだけの報告書を世に出すことに貢献したことは、率直に称賛されるべきことだろうと思う。

でも、だからこそ、後処理で汗をかくだけで良いのか、教訓を生かし事故防止のための新しい施策を主導するところまでやって初めて使命を全うできるのではないか? ということは、この会社に限られないあらゆる組織の「法務」に共通する問題意識として、投げかけておくこととしたい。

*1:こんな時になんで? なのか、それともこんな時だからこそ、なのか。 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~参照。

*2:https://www.sekisuihouse.co.jp/library/company/topics/datail/__icsFiles/afieldfile/2020/12/20201207.pdf

*3:報告書の中では、弁護士資格を有する法務部主任が東京マンション事業部への「確認」を行っているが、いかに弁護士だったとしても、きわどい土地取引の現場をくぐりぬけてきたような経験がなければ、この場面で満足のいく助言をすることなど到底できないはずである。

*4:どこから相談に行っても同じだろう、と思う方がいらっしゃるかもしれないが、口頭で相談した場合のニュアンスはその場にいないと絶対に分からないし、顧問弁護士、かつクライアントの雰囲気に合わせて対応するタイプの弁護士の場合、日頃接点のある担当者からの相談だと、どうしてもそれに合わせてしまうところもあったりするので、そこだけでも「第三者」として介入していく意義はあったような気がする。

*5:もちろん、何度相談しても、似たような雰囲気の回答しか得られず、むしろ(結果的に)”誤った選択”を後押しするだけに終わった可能性も否定はできない。

*6:ただし、管理部門の計画的な人事ローテーションに関しては未実施、とされている(66頁)。

*7:おそらく不動産鑑定士の資格を有した実務者が集められていた部署ではないかと推察する。

*8:個人的には、管理部門の機能強化だけで再発防止策とするのもまた無理があると思っていて、現場の事業部門の中で取引リスクへの意識を強く持った人材を育てるか、管理部門からリスク意識の高い人間を送り込む、といったことをしないと、いずれ同種の問題が繰り返される可能性は否定できないと思っているが(あくまで一般論)、本稿ではその議論は割愛する。

「社外圧」をかければかけるほど・・・の皮肉。

実行開始の日が着々と迫り、ソワソワする人も増えてきたかな・・・という感じになってきた「東証市場再編」。そして、そこで生死を分ける重要な基準になるかもしれない「新・コーポレートガバナンス・コード」もベールを脱ぎつつある。

8日の有識者会合で何らかの案が出る、という話はちょっと前から伝わっていたから、何が出てくるかと思っていたのだが・・・。

金融庁東京証券取引所は2021年春に改定する企業統治指針(コーポレートガバナンス・コード)で、取締役会に社外人材をより多く登用し、管理職も一段と多様化するよう経済界に求める。新型コロナウイルスの感染拡大などで事業環境が大きく変わるなか、多様な視点を取り入れて経営改革を促すのが狙いで、多くの企業は対応を迫られる。」(日本経済新聞2020年12月9日付朝刊・第7面)

この記事を読んで、正直拍子抜けした、という人も多かったのではなかろうか。

資料が出てきたのは、「スチュワードシップ・コード及びコーポレートガバナンス・コードのフォローアップ会議」の会合で、資料としては「コロナ後の企業の変革に向けた取締役会の機能発揮及び企業の中核人材の多様性の確保(案) 」というもの*1

www.fsa.go.jp

前記記事の中でも要約されているが、骨子としては、

1.取締役会の機能発揮
・独立社外取締役の3分の1以上の選任を求めるべきである。
・それぞれの経営環境や事業特性等を勘案して必要と考える企業には、独立社外取締役過半数の選任を検討するよう促すべきである。
・取締役の選任に当たり、事業戦略に照らして取締役会が備えるべきスキルを特定し、その上で、各取締役の有するスキルの組み合わせ(いわゆる「スキルマトリックス」)を公表するべきである。その際、独立社外取締役には、他社での経営経験を有する者を含むよう求めるべきである。
2.企業の中核人材における多様性(ダイバーシティ)の確保
・上場企業に対し、女性・外国人・中途採用者の管理職への登用等、中核人材の登用等における多様性の確保についての考え方と自主的かつ測定可能な目標を示すとともに、その状況の公表を求めるべきである。
・また、多様性の確保に向けた人材育成方針・社内環境整備方針をその実施状況とあわせて公表するよう求めるべきである。

といったところになるだろうか。

「独立社外取締役3分の1」という基準は、まだ比較的多い人数でボードを構成している老舗企業にとっては、ちょっと頭が痛いところなのかもしれないが、上場して日が浅い新興企業だと、元々取締役会の規模自体がコンパクトにできているから、「3分の1」をクリアするのはそこまで面倒ではない。

スキルマトリックスは、まぁ作ろうと思えばいくらでも作れる代物だし、「経営経験を有する」社外取締役も、1人くらいはどの会社にも大体いる。

何よりもっとも警戒する空気が強かった「ダイバーシティ」に関して、「目標」や「方針」レベルで済みそうなトーンになっている、ということで胸をなでおろした会社は多かったのではないだろうか。

今後議論する、とされている、

・ 指名委員会(法定・任意)の設置と機能向上(候補者プールの充実等の CEO選解任機能の強化、活動状況の開示の充実)
・ 報酬委員会(法定・任意)の設置と機能向上(企業戦略と整合的な報酬体系の構築、活動状況の開示の充実)
・ 投資家との対話の窓口となる筆頭独立社外取締役の設置、独立社外取締役の議長選任等
・ 取締役会の評価の充実(個々の取締役や諮問委員会等を含む自己・外部評価の開示の充実等)

といった項目の中身次第では、よりハードルが高くなる可能性もあるが、少なくとも今の雰囲気だと、「新コードにコンプライできそうもないから、プライム市場を断念する」という会社はあまり出てきそうな気配はなく、それがいいのか悪いのか正直分かりかねる・・・といったところだろうか*2

まぁ、どんなに贔屓目に見ても、この数年、取締役会に入る「社外」の役員が増えたことによって、取締役会の実効性が真に強化されたか、といえば、実態はむしろ逆で、見た目の議論は「活発化」したように見えても現場の経営そのものへのインパクトは皆無、むしろそれまで沈黙の中で睨みを利かせてきた牽制役の社内役員の数が減ったことで、CEOに歯止めが利かなくなってしまった、というケースも多いのではないかと自分は思っている*3

常時、会社組織の中の人々に接しているわけではなく、その会社の事業を直接担当したこともない、という人の場合、たとえどんなに優れた能力の持ち主であっても、限られた会議の時間の中で、まさに組織の中で事業を知り尽くした社内役員を「一般論」以上の理屈を持ち出して説得する、というのは極めて難しい。

また、執行側が良識をもって丁寧な説明に徹する姿勢を保っていれば、まだ社外役員の知見を引き出せる環境も生まれるが、意図的に”ごまかしの説明”をするようになってしまうと、かえって盲従者を増やすだけになってしまうことだってある。

かつてのボードは、会社のことを隅から隅まで知り尽くしたメンバーで構成されていたから、どんなに専横的なトップでも簡単に「嘘」をつくことはできなかった。その場では黙っていても、裏でどんな情報を握っているか分からないし、ひとたび不都合なことが露見した時には、そういった「嘘」が指弾され、自ら退く決断を迫られることにもなりかねない。

しかし、社外役員の数が増えるのと平仄を合わせるように、多くの会社では社内から登用する取締役の人数を絞るようになり、新旧トップとその子飼いの役員だけでボードの社内メンバーが固定される、という例も実際あるやに聞く*4。そうなると、内側からの自浄作用など到底期待すべくもない。

社外役員に期待される役割が、もっぱら「止める」、「牽制する」というものだった時代には、それでも何とかやっていけたところはあるが、「社外」に過剰な役割を求め続けた結果、前記報告書(案)では、「コロナ後の経済社会・産業構造の不連続な変化を先導し、新たな成長を実現する」という極めてハードなミッションまで課されてしまっているのであって、ここまで来ると、「取締役会でトップの経営方針に面と向かって反論する者をなくすために『取締役会改革』を行ったのだ。うまくいくかどうかはともかく、とにかく迅速な意思決定ができるならそれでよいのだ。」と開き直るしかむしろないような気にすらなってくる。

これまで、「トップの暴走」のような事例が起きれば起きるほど、「ガバナンス強化だ!」と叫ばれて、「社外役員」の増強が図られてきているのだけれど、近年発生している様々な不祥事事例等をつぶさに見ていけば、「ガバナンス強化」が裏目に出ていた事例(取締役会の”実質的形骸化”が遠因になっている事例)も少なからず散見される。ましてや、各企業のパフォーマンスとガバナンス体制の間に有為な連関性がないことも、かなり前から指摘されていることだったりする。

それなのになぜ、未だに「社外圧」がやまないか、という背景事情に思いをはせると、いろいろと複雑な心情にならざるを得ないのだが*5、今日のところは、

「そろそろ気付こうよ・・・」

という問題提起だけして、この場を締めることとしたい。

*1:https://www.fsa.go.jp/singi/follow-up/siryou/20201208/01.pdf

*2:そもそも、この「コーポレートガバナンス・コード」というものが、「全て遵守しなければならない」という代物なのか、という根本的な疑問はかねてから投げかけられているところだし、ましてやそれを「プライム市場への上場死守」を狙う会社の釣り餌にする、という発想は全くナンセンスだと個人的には思うところだが、かといって内情を知っていれば明らかにふさわしくない、と思えるような会社まで、単に規模が大きい、というだけでプライム市場に居座らせて良いのか?というとまた別の話になるような気がする。

*3:自分が長年見てきた会社がその一途をたどっていたから、その印象に引っ張られているところは大きいのかもしれないが・・・。

*4:少なくとも、以前のように、社内の主力部門長は全員取締役メンバーになる、という形であれば、いかに実力派のトップだったとしても、全員を自分の息のかかった人間でそろえることは難しいが、そこを絞り込めば絞り込むほど、トップ自身によるフィルターの適用を受けやすくなることは否定できない。

*5:これについてはまた機会を改めて。

この国に本当の「格差」はあるのだろうか。

何となく決着が付いた感じの海の向こうの大統領選挙。

次々と公表される次期大統領の政権中枢のメンバーの顔触れや経歴を眺めていると、同じ政治任用でも、今の大統領とは「お友達の質」が違うなぁ・・・と思っていたところで、今朝の日経紙がFINANCIAL TIMESの記事の邦訳版をOpinion面に掲載してきた。

題して、「真の格差は支配層の中に」*1

米国の新政権が「少数エリート」で構成されようとしている、という話を枕に、Peter Turchinという学者の「現代の政治対立が起こる理由はエリートの過剰生産だ」(Of all the reasons adduced for the political strife of our time, few are as novel as his stress on “elite overproduction”. )という見解を紹介しながら、今の政治状況を分析していく。

「誰もが高い地位に就けるわけではないのに大卒者が急増した。その結果、自分より成功した仲間にやりきれぬ悔しさを覚える末端エリート集団が生まれる。生活が厳しい時代には、鼻を折られた末端エリートと本当にぎりぎりの生活を強いられている大衆の間に連帯感が生まれるという。」(日本経済新聞2020年12月7日付朝刊・第6面、強調筆者、以下同じ)

「この理論は右派ポピュリストだけでなく左派にも当てはまる。社会正義や人種差別に対する意識の高まりは、満足できる職に就けない多くの文系大卒者の叫びとしても捉えられる」(同上)

それで生まれたのがトランプ政権であり、英国の不可解なEU離脱である、というのが、このコメンテーターの分析。

現実にはもう少し複雑な要素も混じり込んでいるだろうけど、まぁそうかもね、と思わせるところはある。

そして、現代のポピュリストムーブメントを持ち上げつつ、最後に思いっきり落とすのも、シニカルな「FT」らしさ全開。

「彼らの運動が末端エリートと、国の繁栄から取り残された白人層を結び付けるものである以上、双方を同時に満足させる政策など打てるはずがない。政権を担う期間が長くなるほど、両者の利害対立が透けて見えてくる。」
「彼ら(注:気前よく寄付してくれる後援者や高所得者層)がトランプ氏に好意的だったのは、自分たちより若干上層にいる目障りなトップエリートに一泡吹かせてくれたからだ。真に困窮からの救いを求め、トランプ氏に一票を投じた人々とは異なる。」(同上)

原記事には邦訳では省かれている、

Formal government exposes the incoherence of the populists.

というフレーズこそが彼らの真骨頂なわけで、「鬱屈した落ちこぼれエリート如きに世の中を支配されてたまるか!」的なこの論調を好むかどうかは人それぞれだとしても、欧州屈指のエリートメディアとして一本筋の通った記事になっているのは間違いない。

で、翻って自分の国を眺めると首をかしげたくなるところもあるわけで、

そもそも、「エリート」なんて階層がこの国に存在するのかい?

というところから議論を始めないといけないのが現実であるような気もする。

知識や教養、学歴といったものが、支配権力や富と必ずしも結びつかない社会。

もちろん、ハイレベルなバックグラウンドを持ちながら、満足できる職に就けずに夜な夜なSNSで自己主張している人々はいるが、そんな人々が戦っている相手が米欧社会でいうところの”elite"か、といえば、それは全く違うような気がするし、そもそも戦っている当人たち自身が相手を"elite"と見ているとはとても思えない。

米国、英国、欧州本土、最近では東南アジアの国ですら、20代までの学歴で人生が決まってしまう、というような「格差」を目の当たりにすることは多かったのだが、そんな中、出た大学の違いくらいでは人生大して変わらん・・・という国の人間として生まれ育ったことが良かったのか悪かったのか。

少なくとも今は、死ぬその瞬間まで浮き沈みがあって順位が入れ替わってしまうような世の中を楽しんでいるのが自分だったりもするのだが、上記の記事の中身を「対岸の火事」と思える社会が本当に良い社会なのかどうなのか、ということは、折々でもう少し考えてみたいな、と思っているところである。

※原記事は以下のリンクをご参照のこと。
https://www.ft.com/content/0bf03db8-c61b-4222-8c76-4fb23988ec13

*1:原題は、”The real class war is within the rich”(JANAN GANESH)で、日本人好みの表現に意訳されている箇所も多いのだが、全体的なトーンには忠実に訳されている部類の記事だと思う。

悲しき訃報と蘇る美しい思い出。

結局、朝から晩まで仕事に追われていた感のあるこの週末。

貴重な楽しみになるはずだった36レース×2も、いつもながら開催替わりの1週目は鬼門。

中山でも中京でも展開を読み切れず、午前中は狙った複勝・ワイドがことごとくスレスレの”4着祭り”、午後になって本命サイドに切り替えるとそれがまた見事に期待を裏切る。

そして、日曜日のメインでは、「今週も」という期待の下で登場した昨年の覇者、今年も既に交流GⅠでビッグタイトルを2つ獲り、国内では依然無敗を続けていたクリソベリルが、まさかの大コケ・・・ということで、散々なことになってしまった。

いくら名手・戸崎騎手が鞍上にいたとはいえ、大井や川崎ならともかく、中央では1年半以上勝ち星から遠ざかっていたチュウワウィザードがここで勝つ、なんてことを予想できるほど自分は交流重賞組シンパではないし*1、ましてやいくらコースとの相性が良いからといって、もう7歳のゴールドドリームや、今年ボロボロだったインティを追いかけられるほど、ダートの世界に思い入れがあるわけでもない。

気が付けば、2着、3着は昨年のまま、優勝馬のところだけをクリソベリルからチュウワウィザードに置き換えれば良かっただけじゃん、と言われてもね・・・*2という感じである。

唯一朗報があるとしたら、これまで牝馬にコテンパンにやられていた古馬戦線で、久しぶりに牡馬が勝った!ということくらいだったのだが、よく見たら今日のレースには牝馬が1頭も出ていないではないか!ということで、既に残る一戦・有馬記念でも牝馬同士の争いになる可能性が高い状況では、一矢報いてもたったの3頭、という現実に、改めて目を覆いたくなるばかり*3

(太字は牝馬
フェブラリーステークス モズアスコット 牡6
高松宮記念 モズスーパーフレア 牝5
大阪杯 ラッキーライラック 牝5
天皇賞(春) フィエールマン 牡5
ヴィクトリアマイル アーモンドアイ 牝5
安田記念 グランアレグリア 牝4
宝塚記念  クロノジェネシス 牝4
スプリンターズステークス グランアレグリア 牝4
天皇賞(秋)  アーモンドアイ 牝5
エリザベス女王杯 ラッキーライラック 牝5
マイルCS グランアレグリア 牝4
ジャパンC アーモンドアイ 牝5
チャンピオンズC チュウワウィザード 牡5

・・・で、そんな悲しみを輪をかけて、ということになってしまったのが、今日の夕方に飛び込んできたニュースだった。

www.jra.go.jp

24戦8勝、GⅠ3勝を誇る名牝、スイープトウショウ逝去の報。

*1:どうもダートの世界は、中央で勝ち星を重ねる馬のファン層と、地方で勝ち星を重ねる馬のファン層が大きく分かれていて、お互いがネット掲示板で相手を蹴飛ばして…なんてこともあったりするので、予想も立てにくいことこの上なし、である。

*2:これもダートのレースでは良くある話なので、要警戒ではあるのだが、直近のレースデータ重視、という鉄則を守っている限り、この手の幸運は味わえそうもない。

*3:一応、フィエールマンには最後に一発、の期待もかかるところだが、彼が勝ったところでようやく4勝。牝馬10勝、牝馬限定戦を除いても8勝、というダブルスコアの数字の前ではなすすべのない一年だった、ということになりそうである。

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