何度繰り返されても、最後に判断するのは自分、という話。

今年の初めに出た2回目の緊急事態宣言が、何となく”自然消滅”のような空気の中で終わってしまった時に微かに感じた”嫌な予感”。

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そして、自分には全く縁のなかった「花見」の季節を超え、事態は想定を超えて悪化した。

緊急事態宣言、3度目。

出る出る、というムードになってからも、非常に緩かった「2度目」の宣言の感覚が染みついていたのか、自分の周辺では「まぁ、出たところで大して変わらんでしょう・・・」という楽観ムードが漂っていたのだが、蓋を開けてみたら、

・大規模商業施設は一部売り場を除いて閉鎖
酒類を提供する店は休業

等々、発表された中身は巷の想定を大きく超えるものだった。

確かに、職場の飲み会やら学生の新歓行事やらで大人数で店に押しかける集団が前回の緊急事態宣言の終わりくらいから街中に目立つようになって、リスクを考えれば店に足を踏み入れることすら憚られる、という店もあったのは事実*1で、最低限のリスク評価もできないような輩が世の中に一定数いる(しかも、社会でそれなりの地位にいる人々までおかしな”経済救済思想”に取りつかれてしまっていたりもするから余計にたちが悪い)以上、「劇薬」を投じたくなる為政者の気持ちも分からなくはない。

ただ、1年前からずっと言い続けていることではあるのだが、

感染症の流行を抑えるために必要なのは、多数人が接触して飛沫を飛ばしあう機会を減らすことであって、「酒を飲ませない」ことでも、「買い物をさせない」ことでもないのでは・・・?」

という素朴な疑問は、「3度目」をもってしても、未だに消えるどころかますます強まっている印象もある*2

自由主義国家を標榜する国としては、「個々人の行動」をストレートに制約する(そして違反したものに何らかの制裁を課す)ことに抵抗感が強く、制度設計も難しい、という事情があるのは分かるし*3、そもそもこれだけ長期間コロナ禍が続いているのにもかかわらず、未だに飲食店も小売店も「団体様仕様」から脱却できていなかったことが、「劇薬」の直撃を受ける結果につながっていることも看過されるべきではない*4

ただ、行動の「本質」的なところに十分フォーカスされないまま、「場の封鎖」というドラスティックなやり方だけ先行させても、結局、この先、同じことの繰り返しになることは避けられないわけで、加えて「既に50万人以上の感染者のデータの蓄積がありながら、リスク回避のための知見が分析可能なデータとして公表されていない」*5ことが、目下のコロナ禍との戦いを終わりなきものにしているような気がする。

なお、官邸サイドは「短期決戦」を強調していたようだが、そうでなくてもその手の作戦が苦手な国民性*6に加え、今回のような地域的に中途半端な「宣言」発出をしてしまうと、

「GWが平年以上に豪快な日本列島民族大移動の季節になる!!」

という悪夢のような事態も十分想定しうる*7

一国の宰相が何を呟こうが、どこかの知事が泣こうがわめこうが、リスクを見極めて行動するのは一人ひとりの人間だから、ここからの20日間弱、またしても「試される」時間になるわけだが、できることなら1年前に感じたささやかな希望をもう一度感じられるゴールデンウィークになることを、今は心から願っている。

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*1:そして自分の週末のささやかな楽しみは度々害された。

*2:ましてや、本質的に静寂が求められる映画鑑賞や美術鑑賞の場まで休業させる、というのだから、開いた口が塞がらない・・・。

*3:「行動変容」という言葉にすら拒否感を示す人々がいる中で(自分もこの言葉自体は好きではないが)、行動自体を規制する、なんてことがこの国でできるはずもないだろう、と思ってしまう。一人ひとりがリスクを認識して振る舞えば必然的にそうなるはずの状態に世の中がシンプルに移行できない、ということには、社会としての未成熟さを感じざるを得ないのだが、今それを言ったところで急に何かを変えられるわけでもない。

*4:昨年末風雲急を告げていた時期にもかかわらず「年末の会社の忘年会需要がなくなると・・・」みたいなことを言っていた飲食店関係者のコメントにはため息しかなかった。前にも書いたが、最初の緊急事態宣言の間に店舗内レイアウトをガラッと変えて、個人、少人数向け専門のようにしてしまった店もあるし、この一年で撤退した居酒屋の後に入ってきた飲食店なども、その辺はかなり工夫してやっている。一部の”昔ながら”の店が、環境に対応する努力をしてきた店の売上げまで吹っ飛ばそうとしていることに対しては、もう少し厳しい目が向けられるべきだと思う。

*5:医療機関の受入れ態勢が増強されていないことを非難することも多いのだが、個人的には、これまでの感染者の感染経路、感染したと疑われる状況等に関する情報が断片的にしか提供されておらず、未だに抽象的な「三密」広報の域を脱していない、ということに最大の問題があるような気がする。聞き取った55万人分の感染者の発症前の行動履歴を統計化して公表するだけでも、できることはだいぶ違ってくるのは間違いないのに。

*6:歴史を振り返っても、「神風」に助けられたような場合を除き、諸々の場面でダメージを引きずることはあっても、計画どおり短期で終結させるということができなかったエピソードが目立つ国ではある。

*7:家族単位で旅行に行くくらいなら、まぁ問題はないと思うのだが、宣言対象外地域の実家に戻って親戚集まって、ということになると、その後どうなるかは容易に想像が付くところだったりする。

曇りなき一冠目とその先の分かれ道。

土曜日の夜から激しく降り続けた雨も、、朝の時点ですっきりと上がり、晴れた空の下迎えた第81回皐月賞

馬場は稍重。人気が拮抗していた上位2頭のうち、稍重馬場の経験があったのはダノンザキッドの方で、ここまで3戦無敗のエフフォーリアは、共同通信杯から直行というローテ*1や中山コースとの相性に加え、渋った馬場との相性にも半信半疑の目が向けられ、派手に飛ぶとしたらこちらの方だろう、というのが戦前の自分の見立てだった。

だが、昨年の全6冠、さらに今年の牝馬一冠目まで続いている「無敗馬確勝の法則」は、このレースにも見事に受け継がれたのである。

先週までは絶好調だった川田騎手を鞍上に擁し、最後の直線でもいつものように勝利への一本道を切り拓いたかに見えたライバルが、無残なまでの後退劇を演じたのを横目に、好位追走から抜け出して、一完歩ごとに勝利を確実なものにしたのがエフフォーリア

弥生賞馬・タイトルホルダーも意地を見せて食い下がったものの、その差は開く一方で、終わってみれば3馬身差の快勝。

昨年、同じ稍重馬場でコントレイルが記録したタイム(2分00秒7)をコンマ1秒上回るタイムでゴール板を駆け抜け、4連勝で「一冠」目をつかみ取ることになった。

前年のコントレイル、一昨年のサートゥルナーリアに続く3年続けての4戦4勝馬の優勝、というのは、単なる偶然というよりもはや「法則」化したといっても良いような現象だし、エピファネイア産駒が種牡馬デビューから2世代続けてクラシック馬を送り出したというのも、なかなかすごい話。

さらに、鞍上は若干22歳の横山武史騎手。武親子、福永親子に次ぐ史上3組目の親子制覇、という話題性もさることながら、前走皐月賞前に自分が乗っていたもう一頭が2着に飛び込んでくる中、その馬を唯一上回ったのが自分の馬、というめぐり合わせの良さにも驚かされる。

傑出した馬がいなかった(正確に言うといないように見えた)分、馬券の売上も好調で、昨年はもちろん一昨年の数値まで上回ってしまう、というおまけすらあった*2

ということで、勝ちっぷりの良さと合わさって、実に幸福感あふれる一冠目の結果となったわけだが・・・

*1:元々はクラシック定石のステップレースだったはずなのだが、最近は2歳GⅠからの直行組とトライアルレース組に挟まれて、本番で全く人気にならない馬も多いし、自分は本命だと思っていた4年前のスワーヴリチャ―ドが圏外に消えたのを目前で見て以降、どうにもこのレースの勝ち馬は信頼できずにいる。

*2:トータルでも日曜日だけで43億円超の売上。ここからは”巣籠もり需要”で伸びた昨年の数字との戦いになってくるが、今の新型コロナ再流行のモードも考慮すると、まだまだしばらくは景気の良い状況が続くような気がしている。

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純白の女王に託したい希望。

2021年もいよいよクラシックシーズン到来。

そして、その第1弾、第81回桜花賞は、「これでもか!」というくらいのドラマ仕立ての決着となった。

レース前の予想通り、人気を分けたのは昨年の阪神ジュヴェナイルフィリーズの1,2着馬。

話題性では常に先行していたのは、白毛馬・ソダシだったが、蓋を開けてみれば阪神JFでは2着だったサトノレイナス単勝人気では上回る。

サトノフラッグの全妹、という良血、鞍上はルメール騎手、しかも差し脚質に「大外」の馬番がきれいにハマっていたから、抜け目のないファンであれば、「ぬいぐるみはソダシを買うけど、馬券はレイナスというのが常識的な選択だったのかもしれない。

かくいう自分も、昨年の時点では散々ソダシを持ち上げておきながら、「2頭出しなら人気薄」の鉄則に忠実に従って、金子真人HDの2番手であり、かつ国枝栄厩舎の2番手でもあるアカイトリノムスメに完全に目を奪われていた*1

だが、ソダシは、

多くのファンが想像していたよりも遥かに強い馬

だった。

ゲートを出て勢いよく先頭に立とうか、という勢いで飛び出していったときは、「テレビ馬」*2になってしまいそうな気配もあって、ちょっと心配になったのだが、最初はモーリス産駒のストゥーティが、さらに名手・横山典弘騎手をもってしても”抑える競馬”で我慢させることができなかった同血統のメイケイエールが途中から勢いよく先導する展開になって、俄然落ち着きが良くなる。

そして、最後の直線、きれいに前が開けて力強く抜け出した瞬間、彼女の勝利はほぼ確実なものとなる。

昨年の夏からずっと見てきたが、この馬は、派手に切れる脚こそないものの、勝負根性はピカ一で、並ばれても競り負けないし、追い込んでくる馬が捕まえようとしても、「あとちょっとの差」が永遠に縮まらない。

今回も発揮されたのは、まさにその真骨頂で、結局、直線で早々に掴んだリードを最後まで失わないまま、彼女はゴールを駆け抜けた。

しかも、高速決着では分が悪い、という見立てだったにもかかわらず、「1分31秒1」という驚異的なコースレコードとともに、である*3

結果だけ見れば、予定調和的に追い込んできたサトノレイナス(上がりの脚はなんと32秒9)が「クビ差」まで迫ってきていたのだが、感覚としては、それ以上の、決して埋められない差があったように自分には見えた。

ここまで馬場がパンパンになっていなければ、後続馬の差しも、もう少し気持ちよく決まった可能性はある。

でも、先週まで何週か続けて週末に降った雨を今週に限っては呼び込まなかった、というのもソダシが持っていた力の一つのような気がして、何より、ラジオNIKKEIの実況アナウンサーが「けがれなき純白!」と叫んだ美しい馬体を泥で汚さずに済んだ、ということだけ見ても、

呼び込む力が違う馬

だったのだなぁ、と思わずにはいられなかったし、この日の走りを見る限り、「オークスに行っても十分通用する」(よって、2年連続無敗の3冠制覇までやってくれる可能性も十分にある)というのが自分の結論である。

シラユキヒメから繋がる「白毛」の牝馬たちはもちろんのこと、それに掛け合わせたサイアー(クロフネ)、ブルードメアサイアーキングカメハメハ)まで自分の所有馬で固める、という”リアル・ウイニングポストを成し遂げた金子オーナーに対しては心の底から「羨ましい」という言葉しか出てこない。

また、堅実に勝ち星を積み上げていながらクラシックには無縁、今週だってソダシが出ていなければおそらく新潟で騎乗していただろう、という吉田隼人騎手を乗せ続け、18年目にして待望のクラシック初制覇、という偉業を成し遂げさせた厩舎(須貝尚介厩舎)にも、称賛を送るほかない*4

いずれにしても、まだまだこの先、楽しめる要素は多そうだな、ということだけは、これまでの経験に照らしても強調しておきたい。

*1:この馬に関しては、母・アパパネが、あれだけ三冠レースでもその後の牝馬GⅠでも名勝負を演じていたにもかかわらず、今ひとつ”地味”な存在に留まってしまっていた気の毒さもあって(ささやかな三冠馬。 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~のエントリーも参照)、どうしても応援せずにはいられなかったのだ。

*2:大レースで先頭に立って中継では一番長い時間映り続けているものの、最後の直線に差し掛かる前に事実上レースを終えてしまう馬。昔はこういうのが良くいた。

*3:最初表示された数字を見た時、「1分33秒1」の間違いだろう、と思ってしまうくらい、これまでの3歳牝馬戦の常識ではありえないタイムだったような気がする。

*4:もちろん、それにきっちりと応え続けている騎手の側にも、同じくらいの称賛が向けられて然るべき、なのではあるが・・・。

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混沌の先にあるのは希望か、それとも・・・。

先月末に有識者会議で”お披露目”したのを見て以来、随分と温めてしまっていたのだが、今週、正式に金融庁からも東証からもリリースされたのを踏まえ、新「コーポレートガバナンス・コード」の話題に触れておくことにしたい。

東証が開始したパブリック・コメント(以下リンク参照)の対象となるのは、東証が主体となる

フォローアップ会議の提言を踏まえたコーポレートガバナンス・コードの一部改訂に係る上場制度の見直しについて(市場区分の再編に係る第三次制度改正事項)
(別紙)コーポレートガバナンス・コード(改訂案)

であるが、合わせて金融庁が公表した

コーポレートガバナンス・コードと投資家と企業の対話ガイドラインの改訂について
投資家と企業の対話ガイドライン(改訂案)

も参考資料として添付されている。

※意見募集期間は2021年5月7日まで*1

www.jpx.co.jp

さて、それで・・・である。

フォローアップ会議(有識者会議)が出した「改訂について」のペーパーと、それを反映したCGコードの改訂案には、公表されてから何度か目を通しているのだが、読めば読むほど、そこから伝わってくるのは、まさに

「混沌」

である。

「改訂について」の最初の数行を読むだけでも、雰囲気は理解いただけるはずだ。

「コロナ禍を契機とした企業を取り巻く環境の変化の下で新たな成長を実現するには、各々の企業が課題を認識し変化を先取りすることが求められる。そのためには、持続的成長と中長期的な企業価値の向上の実現に向け、取締役会の機能発揮、企業の中核人材の多様性の確保、サステナビリティを巡る課題への取組みをはじめとするガバナンスの諸課題に企業がスピード感をもって取り組むことが重要となる。」
(改訂について・1頁)

「コロナ禍」を筆頭に、「持続的成長」「企業価値向上」「多様性確保」から「サステナビリティ」まで、短い一文の中に様々なフレーズが散りばめられているが、企業の中でちょっとでも経営に関わったことのある人が見れば、これらをざっくりと「ガバナンスの諸課題」とまとめられてしまうこと自体にため息が出てくるに違いない。

様々な立場の人が、様々な角度から突っ込んだ発言を役所風のレトリックを用いて”きれいに”まとめる。その能力自体は評価してあげないと気の毒だとしても、いざそれが現場に落とされると何が何やら・・・となってしまう。そんな日本社会の縮図がここにも凝縮されているわけで、しかも「旧来の日本の企業風土」を変えようとするための提言が、そんな日本的*2なものの上に成り立っているのだから、これを皮肉と言わずして何というか・・・。

もちろん、今回盛り込まれている提言の1つ1つのトピックを切り出してみれば、いずれも意義のある提言で、それに対して正面から異論を唱えるつもりは全くない。

「事業環境が不連続に変化する中においては、取締役会が経営者による迅速・果断なリスクテイクを支え重要な意思決定を行うとともに、実効性の高い監督を行うことが求められる。」(改訂について・2頁、強調筆者、以下同じ)

「CEOや取締役に関しては、指名時のプロセスが適切に実施されることのみならず、取締役会・各取締役・委員会の実効性を定期的に評価することが重要となる。」(改訂について・3頁)

「企業がコロナ後の不連続な変化を先導し、新たな成長を実現する上では、取締役会のみならず、経営陣にも多様な視点や価値観を備えることが求められる。我が国企業を取り巻く状況等を十分に認識し、取締役会や経営陣を支える管理職層においてジェンダー・国際性・職歴・年齢等の多様性が確保され、それらの中核人材が経験を重ねながら、取締役や経営陣に登用される仕組みを構築することが極めて重要である。こうした多様性の確保に向けては、取締役会が、主導的にその取組みを促進し監督することが期待される。」(改訂について・3頁)

「支配株主を有する上場会社においては、より高い水準の独立性を備えた取締役会構成の実現や、支配株主と少数株主との利益相反が生じ得る取引・行為(例えば、親会社と子会社との間で直接取引を行う場合、親会社と子会社との間で事業譲渡・事業調整を行う場合、親会社が完全子会社化を行う場合等)のうち、重要なものについての独立した特別委員会における審議・検討を通じて、少数株主保護を図ることが求められる。」(改訂について・5頁)

「上場会社においては、取締役会・監査等委員会・監査委員会や監査役会に対しても直接報告が行われる仕組みが構築されること等により、内部監査部門と取締役・監査役との連携が図られることが重要である。」(改訂について・5頁)

ただ問題は、1つ1つの「提言」が志向している方向性が必ずしも一致していないように思えるところで、一番分かりやすいところで言えば、このコードが最初に出た時から指摘されている、「企業経営における意思決定の迅速さ、大胆さ」を求めるのか、それとも「誤った意思決定をしないような監督強化」を求めるのか、という方向性のギャップは縮まるどころか、より先鋭的に拡大しているように思われるし、さらに「多様性」という要素まで強く押し出されるようになってきたことで、より方向性が見えなくなったところはある。

今回の一つの「目玉」とされているサステナビリティの話にしても、

「中長期的な企業価値の向上に向けては、リスクとしてのみならず収益機会としてもサステナビリティを巡る課題へ積極的・能動的に対応することの重要性は高まっている。また、サステナビリティに関しては、従来よりE(環境)の要素への注目が高まっているところであるが、それに加え、近年、人的資本への投資等のS(社会)の要素の重要性も指摘されている。人的資本への投資に加え、知的財産に関しても、国際競争力の強化という観点からは、より効果的な取組みが進むことが望ましいとの指摘もされている。」(改訂について・3~4頁)

と、この文脈で出すのが適切かどうか疑問なしとはしない「収益機会」とか「国際競争力の強化」という要素が突っ込まれることでカオス感は増した。

もし、これらの「提言」を反映した「コード」が、名実ともに当初言われていたような”ソフト・ロー”にとどまり、「全てコンプライしなくても、会社として明確にエクスプレインできればそれでよい」という運用が貫かれていたならば、様々な提言の中で何を取り込んで何を取り込まないかは、それぞれの会社の哲学の問題、ということで取捨選別すればよかっただけなのだが、現実はそうなっていない。

そもそも、このCGコード導入当初、大企業を中心に、実質はもちろん、形式すら整っていたか怪しい会社までもが早々に「フルコンプライ」を宣言し、「エクスプレインは悪いこと」であるかのようなムードを作ってしまったこと、そして、当局も「コンプライ・オア・エクスプレイン」を建前でこそ掲げつつも*3、「フルコンプライしないとプライム市場に移行できない」かのような雰囲気を決して強くは否定していないように見えることが、今、多くの企業のコーポレートガバナンスにかかわる現場に大きな懸念を引き起こしているのである。

この提言を出したフォローアップ会議に参加していた有識者の方々は、おそらく、というか、間違いなく、真摯に日本企業のガバナンスの、ひいては日本社会の行く末を危惧して様々な意見を出されていたに違いない*4

・マネージャーレベルでスピード感をもって新しい施策を進めようとしても、部長、執行役員レベルでは判断できない。
・ならば、と、経営会議にかけても誰も判断できず、取締役会に持っていく前に空転する。そして機を逃す。
・上層部が誰もリスクを取りたがらない。結果、上から見た目だけ良い(が現場の負担は大きい)施策ばかりが落ちてきて、下々を疲弊させる。
・「ワークライフバランス」の掛け声は威勢よく鳴り響くが、若手社員にはバランスをとるだけの「ワーク」がなく、つぶれかけた中間管理職にはもはや「ライフがない。
・「ダイバーシティ」を実現したくても、名実ともに「多様性」を発揮できるような優れた(かつ尖った価値観やバックグラウンドを持つ)人々は、早々に組織を去り、残されるのは凡庸な「日本的組織人」だけ。

そんな日本の大企業あるある・・・は、自分も最後の数年は顕著に目にする機会が多くなっていたし、どの部署でも状況は同じ、他の会社の人と情報交換してもそんなに変わらん、ということを知れば知るほど、憂いは深まるばかりだった。

だから、そういう姿に直接、間接に触れてきた有識者たちが、この短い「提言」の中に、「何とかしろよ、日本企業!」という思いを込めたのだろう、ということも非常に良く分かる。

ただ、そういった危惧感を全てひっくるめて「ガバナンス」というフレーズに押し込めたところで、何かが解決するのだろうか?

自分には全くそうは思えないし、この新しいコードが適用されることになれば、再びリソースだけは豊富な(言い換えれば人もカネも余っている)大企業の多くが形式的なコンプライを、そしてそうではない中堅以下の会社*5は、八方ふさがりで悪戦苦闘する、ということになるのだろうな・・・と思わずにはいられない。

*1:金融庁の「投資家と企業の対話ガイドライン(改訂案)」に対するパブリック・コメントも同日までの募集である。「投資家と企業の対話ガイドライン」改訂案の公表について|e-Govパブリック・コメント

*2:この点に関しては、OECDEUが出しているようなペーパーでも似たような傾向はあるから、「日本的」というよりは「官僚的」と表現したほうが良いのかもしれないが。

*3:今回の「改訂について」のペーパーにもちゃんとそれは書かれている。

*4:フォローアップ会議の最終回で、冨山和彦氏が強烈な熱弁を振るっている姿を見て、自分自身感じ入るところも多かった。

*5:それでも上場していれば世間的には「大企業」なのであるが。

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1年という歳月の重み。自戒も込めて。

2度目は、もう驚かない。


池江璃花子選手が、競泳の日本選手権・100メートル自由形決勝で優勝を果たし二冠達成。個人種目での派遣標準記録は今回も突破できなかったものの、リレーメンバーとしての派遣標準記録はクリアして、さらに1枚、五輪への切符をつかみ取った。

調整遅れが指摘されていたバタフライですらあそこまでやれるのだから、順調にステップを踏んできた自由形なら当然、と気楽な外野の人間はどうしても思ってしまうのだが、それでも最後の決勝レースで公約どおりの53秒台、ちょっと次元が違ったな・・・というのが率直な感想だろうか。

「資質の違い」と言ってしまえば簡単。でも、1年前、彼女がどういう状況に置かれていたか、ということを考えると、ここまでの歩みが並大抵のことではなかった、ということも容易に想像が付くところで、「努力」という言葉を軽々しく使うことすら憚られる、超越した何かがそこにあったように思えてならない。

そもそも振り返れば、1年前の春、五輪選考会を兼ねた競泳の日本選手権は、ギリギリまで開催する方向で動いていた。

当時の感染判明者数は今と比べれば全然少なかったし、やろうと思えばできる、と思っていた関係者は決して少なくなかったはず。だが、選抜高校野球ですら中止に追い込んだ当時のムードが選考会を「1年」先送りさせたのだった。

この偶然がなければ、いかに池江選手が順調に回復を遂げていたとしても、新聞に踊る見出しは「3年後に向けたリスタート」に留まっていたわけで、この厳しい勝負の世界で、運命の歯車がここまで劇的にかみ合った例というのは、そう何度もお目にかかれるものではない*1

もちろん、その裏では、平泳ぎの渡辺一平選手のように、リオ後、第一人者として君臨していながら伸び盛りの若手に代表の座を奪われる、という運命を味わった選手もいるし、選考会では順当に勝ったものの、この1年で大きなダメージを被った選手もいる*2

たかが一年、されど一年。

これだけ多くの変化が生み出されている状況を目の当たりにして、自分自身は一体どれだけ成長できたのだろうか、と考えると忸怩たる思いもあるが、何かを失ったり、後退したり、といったこともなかった分、まだ救いはある、というべきか。

そして今は、この一年の間だけでも、我々凡人に比べれば遥かに大きな波と戦い乗り越えてきたアスリートたちが、「五輪本番の舞台に立つ」という果実を無事手に入れられることだけをひたすら願っている。

なお、以下蛇足になるが・・・

*1:絶不調から復活を遂げた萩野公介も「1年」に救われた選手の一人かもしれないが、彼の場合はこれからの五輪本番で再びライバルを打ち破ってこそ、というのがあるので、持ち上げるのはもう少し先で良いかな、と思っている。

*2:逆に、「1年」の後ずれの影響など微塵も感じさせない31歳・入江陵介選手のようなレジェンドもいる。

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ようやくの脱・マイナンバーの兆し。

毎年、手を煩わされていた雑事からようやく解放される予感がする。

政府は個人事業主を登録・識別する番号制度をつくる。補助金の支給や社会保険、税務などの手続きを一元管理できる仕組みを検討する。日本は新型コロナウイルス禍で家計への給付金支給が混乱するなどアナログな行政の限界に直面した。公的支援から漏れがちなフリーランスのような多様な働き方にも対応した新たな番号制度で行政のデジタル化や効率化を急ぐ。」(日本経済新聞2021年4月6日付朝刊・第1面)

時世を反映して公的支援云々の話が前面に出ているが、ここで大事なのは、とにかく扱いが厄介な「マイナンバー」に代わって、個人事業主向けに堂々と公開できる識別番号が付与される、ということだろう。

自分の場合、仕事がほぼ100%”to B"なので、報酬をいただく場合も、ほぼ例外なく「源泉徴収あり」ということになる。

したがって、この1,2年は、年末に差し掛かる頃になると、新しくお取引をさせていただいたクライアントから、丁重に「マイナンバー提供のお願い」が送付されてきて、マイナカード両面コピーして、台紙に張って、合わせて本人確認書類を・・・みたいな手続に労力を割かざるをえなかった。

最初の1社や2社くらいまでは、まだ新鮮な気持ちで対応できていたからよかったのだが、数が増えるにつれ、その作業もだんだん負担感が重くなる。一度きりの手続き、されど、その「一度」も忙しい時期に重なってしまうとなかなか・・・。

そもそも、いくら「個人」事業主だとはいえ、こちらは逃げも隠れもせず、オフィシャルに仕事をしている立場なのだから、本来なら「法人番号」と同様に、公開されている番号を勝手に検索してもらって、転記していただければ十分なはず。

にもかかわらず、提供する方も、受け取る方も*1、必要以上の手間をかけないといけない今の仕組みを何とかできないものか・・・と思っていた矢先に出てきた話だけに、まぁ非常にありがたいな、というのが記事を見た時の印象だったし、よりオープンに使える仕組みにしてほしい、というのが、率直な思いである。

*1:この件に関しては、受け取る側の対応も間近に見ていたので、担当者のご苦労も非常によくわかる。

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そしてまた、潮目は変わっていた。

この週末、日曜日の嬉しかったニュースと言えば、近本選手がようやく本領を発揮しだしたタイガースが単独首位・・・*1などという些末な話題ではなく、なんといっても競泳日本選手権での池江璃花子選手の劇的な復活劇

昨年の夏に彼女を取り上げたNumberの特集記事を見て、この週末、日曜日の嬉しかったニュースと言えば、近本選手がようやく本領を発揮しだしてタイガースが単独首位・・・という些末な話題ではなく、なんといっても競泳日本選手権での池江璃花子選手の劇的な復活劇である。

彼女を取り上げたNumberの特集記事を見て、半信半疑なれど僅かな”可能性”を夢見たのは昨年の夏のこと。

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その後も、本人は極めて慎重なコメントを発し続けてはいたものの、大会に出るたびに「結果」は出ていたので、もしかしたら・・・という思いは微かにはあったのだが、一発勝負の大舞台、しかも練習再開が遅かったバタフライの方で「優勝」という結果を出し、代表切符まで手に入れる、という展開まではさすがに想像できなかった。

あいにく、本人の回復するスピードに新型コロナへの対応が追い付いていないのが今の状況だけに、「切符」を取っても本番がどうなるか・・・という不安はこれからも続くだろうが、残る種目の結果如何では、今は忌まわしさばかりが先行している五輪への人々の意識すら変えてしまう可能性があるわけで、これで潮目が変わるのか、じっくり見届けたいと思っている。

・・・で、「潮目」といえば、3週続けて「雨」の中の開催となった中央競馬で、自分が読み違えてしまったものでもある。

松山弘平騎手が2日間で11勝を挙げて、「今年の主役」に名乗りを上げかけたのは、たった2週間前のこと。

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その時は、この先のGⅠ戦線でも、この若きジョッキーが間違いなくカギを握るだろうと思っていた。

特に、昨年のマイルCSでの苦杯を受けて、名手・M・デムーロから手綱を引き継ぐ形になったサリオスへの大阪杯での騎乗は、「世代交代」を決定づけるようなレースになるはず・・・と勝手に思い込んでいたのであるが・・・。

その1週間後、クラシック初戦を棒に振る騎乗停止処分により松山騎手を取り巻く状況は暗転した。

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それでも頭を切り替えず、「騎乗停止前の大一番では必ず何かをやってくれる」という根拠なき願望をこの週末まで引きずってしまったのが運の尽きだったのかもしれない。

急激な天候の悪化で重くなった馬場の中でも、サリオスは先行して自分のリズムを掴んでいたかのように見えた。

1つ前のレースで好位追走から抜け出した同じ勝負服のビオグラフィーのレースも見ていたから、最後の直線で同じようにしぶとく脚を使ってくれれば、後方にいたコントレイルが差し切れない展開に持ち込むこともできるのでは・・・?という微かな期待も浮かび始めていたのだが、それは、第4コーナーを回って、松山騎手が「最内」のコース取りをした瞬間に吹き飛んだ。

もう何週も前から見てきた光景。

そうでなくても荒れている上に濡れてより状態が悪化した最内のコース、そこに入ってしまったら伸びない、絶対伸びない、ほら見ろ言わんこっちゃない・・・

馬体重が僅か422キロの小柄なレイパパレが、雨が降っても辛うじてきれいに見える馬場の真ん中あたりを通って軽快に伸びていくのを横目に、538キロの巨体を文字通り「沈」めてしまったのがサリオスだった。

本命視されたコントレイルも、2番人気で先行集団に付けていたグランアレグリアも、この馬場では自分たちの競馬をさせてもらえていなかったから、より重馬場適性に疑問が残るハーツクライ産駒のサリオスにそれ以上のものを求めるのは酷だったといえばそれまでだし、それ以前に距離適性の問題で、最後の直線の時点では馬に手ごたえがなく最短ルートを通すしかなかった可能性もあるから、今回の敗北の責を鞍上に負わせようなんて気持ちは全くない。

ただ、勝ったレイパパレの手綱を取っていたのが、先週の2日連続重賞勝利で勢いに乗り始めた川田将雅騎手だったことを考えると、これは明らかに潮目の読み違いだったなぁ・・・としみじみ。

来週からのクラシックの舞台でも遅れてきたトップジョッキーの勢いがこのまま続くのか、それともまた違う方向に潮が向き始めるのか、この1週間でどうなるかなんて、誰にも予測することはできないのだけれど、変わり目だけは見落としたくないものだ、と、つくづく感じた次第である。

*1:期待のルーキーが苦しんでいるところは、ホントに予想通りだが、ここを乗り越えれば、というところで頑張ってほしい・・・。

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