誓いは時を超えて。

夏も終わりを迎えつつある2022年8月末、一つの仕事を終えての感想を言葉にするなら、「感無量」というのはこういう時のことを言うんだな、ということになるだろうか。

ここ1,2年、講演や研修の機会もそれなりにあったが、対面で実施できたのは「社内限定」とか、ごく少人数相手に、といった機会に限られていて、多くの場合はウェビナー形式。加えて最近では、コンテンツを録画撮り、というパターンも多かったから、ハイブリッドとはいえある程度の人数を前に壇上に上がること自体が久しぶりの経験だったし、加えて受講者の多くがその分野の専門家、というハイレベルな舞台で2時間半の長丁場となれば、プレッシャーがかからないはずもない。

だから、今回の話をいただいてから半年以上、普通を装って仕事をし、何度かの研修やら講演やらもこなし、急に入った雑誌原稿の依頼を直前まで捌きつつも、「この舞台で何を伝えようか・・・」という自問自答をずっと繰り返していた。


どれだけ冷静さを装っても、自分で自分を客観的に評価することはできない。

全てが終わった後の安堵感とある程度の達成感はあるにしても、それが受講された方々の満足感と比例しているなどと考えるのは、おこがましさの極みなのであって、特に物理的には目の前にいない方々が圧倒的多数、という今回のような機会では、表立っては示されない沈黙の中の感情にも思いを馳せ、反省しなければならないところは多々ある。

ただ、緊張が解けて一受講者に戻り、合間合間に他事を挟みつつも、密な講義にみっちり浸りながら湧きあがったのは、

「やっぱり、知財って面白いな」

という素朴な感情。

そして、自分を再び原点に立ち還らせてくれた圧倒的な「知」の力と、それを4日間にわたって惜しみなく捧げてくださった講師の先生方には、ただただ感謝の思いしかない。


最終日の午後、登壇された先生が冒頭で語ってくださった「第1回」のエピソードは、自分が忘れかけていた様々なものを思い出させてくれた。

k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

今見ても圧倒される5日間の日程に、オリジナルの豪華な講師陣。

だが、この時自分が身を置いていたのは、有給休暇という概念が事実上存在しない特殊な環境だったゆえに、ブログで紹介しつつも涙を呑んだ。

翌年も何かと物入り&慌ただしい時期にぶつかって特許系シリーズの第1回を見送り、ようやく足を運べたのが2011年のこと。

k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

今年と同じく、既に世の中では夏休み気分が抜けていた8月の終わり、ちょうど担当していた案件もDDの佳境に差し掛かっていた時期で、「本当に休むのか?」という視線を各所から全身で浴びながら、それでも這うように辿り着いた結果は最高級の知的刺激で報われた。

何年か続けてセミナーの日程に合わせて夏休みを入れて通い詰めた時期もあれば、些末な都合が重なって何年かブランクを空けてしまった時もある。

それでも、戻ってきた時にはより盛況で、「伝統の・・・」を冠するにふさわしい場となっていたし、新型コロナ禍でのひと時の中断を経て再びフルリモート→ハイブリッドという形で蘇った姿を見ると、もはや「伝説」に近づいているとすら思う。

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そして遂に優勝旗は白河の関を超えた。

何度かの休養日も挟み、昔に比べると長い間続いていた気がする夏の高校野球全国大会。

甲子園に観衆が戻り、例年以上に実力の伯仲した戦いが人々を惹きつけ、そして最後に優勝旗は白河の関を超えた

これまで夏になると、「白河の関」というフレーズが呪文のように連呼され、お約束のように「今回も夢破れる」という言葉で締めくくられて終わり、というパターンが何度となく繰り返されてきた。

100年以上前の第1回大会、秋田中の準優勝から続く”東北の悲劇”の系譜。

かつては存在したかもしれない”地域差による絶望的なギャップ”は、力のある球児たちが高校入学時点で土地に縛られることなく全国に散らばっていくようになった今の時代にはもうほとんど感じられない。

特にこの10年ちょっとの間には、青森から光星学院が2年連続(春の選抜も含めれば3季連続)決勝まで勝ち上がる奮闘を見せたかと思えば、その3年後に仙台育英が決勝に、さらにその3年後には秋田代表・金足農業が決勝に・・・とコンスタントに優勝争いに絡むようになっていて、最近めっきり優勝旗に絡めなくなった九州勢と比べるとはるかに勢いのある地域になりつつあった。

そもそも地理的な影響、ということで言えば、優勝旗は白河の遥か北、津軽海峡を越えて18年前にはもう北の大地に辿り着いているのだから、頂点まで辿り着くのも、もう時間の問題といえばそれまでだったといえるだろう。

今大会でも東北勢はこれまで以上に好調で、一関学院が初戦で昨年ベスト4の京都国際を破ったのを皮切りに、八戸学院光星、鶴岡東、聖光学院といったチームが次々と初戦を突破。特に日大三高、横浜高といった関東の強豪を次々と撃破した聖光学院などは、準決勝で仙台育英とぶつかるのが惜しいくらいの大躍進を遂げていた。

個人的な記憶を辿れば、本当の意味で”ちゃんと見始めた”最初の夏の甲子園大会の決勝戦が、仙台育英対帝京だったりもするから*1、あれから30年以上の時を経て、あの時無念の涙を流した学校が頂点に立った、ということが非常に感慨深いことだったりもする*2

あれから、特に理由もなく、最初は縁もゆかりもなかった東北エリアのチームを何となく応援するようになり、やがて社会に出て、地方には地方の複雑な事情があることを知っても*3、「東北代表」が大阪や関東の強豪校と対戦するときは必ず前者を応援する、というルーティンだけは守ってきた。

今回の優勝に際してあまり報じられてはいないが、今大会で優勝した学校は、まだ記憶に新しい5年前、部員の不祥事で重い対外試合禁止処分を科され、長年名将と謳われていた佐々木順一朗監督辞任、という激震にも見舞われている。

だが、そのタイミングで就任した若き須江航監督が、コロナ禍を挟み、4年の時をかけてチームを作り上げて頂点に立たせたというのだから、これをドラマチックな”逆転劇”と言わずに何というか。


今後は、地域を問わず同じようなパターンで勝ち上がるチームが出てくるたびに「仙台育英的な戦略」というラベリングがなされる可能性は高いだろうし、そうやって甲子園の歴史にしばらく名を刻めるのであれば、それが何よりのことでもある。

そしてそれ以上に、今回、最初の一校が「関所」を突き破ったことで、後に続く東北勢が次々と出てくる可能性もあるんじゃないか、ということを秘かに信じて、またこれから始まる新しいシーズンを見守っていければ、と思っているところである。

*1:もちろんそれ以前に校歌を歌えるようになるくらいPL学園の試合にくぎ付けになっていた時代もあったりはしたが・・・。

*2:今、Wikipediaで調べて、あの大会の仙台育英宮城県勢初の決勝進出校だった、ということを知り、ちょっとびっくりしたところもあるのだが・・・。

*3:端的に言えば、全国レベルの大会に出れば”判官贔屓”のファンから声援を送られるような有名私立校が、地区予選では地元のファンから完全に「ヒール」扱いされていたり・・・といった事情である。

白き女王は敗れども。

今年の夏競馬はいつになく面白い気がする。

第7波の真っただ中ながら、どこのローカル競馬場にも観客が戻り、ラジオ越しでも歓声が聞こえる。それが久しぶりの高揚感につながっているのは確かだが、それ以上に”役者”が増えたことが大きい。

いつもならリーディング首位をひた走っていたはずのルメール騎手の”異変”。

代わってトップに立つのは、今年こそ、の川田将雅騎手だが、関東勢では横山兄弟に戸崎騎手、関西勢では松山騎手、福永騎手といったあたりが、三場で分かれてしのぎを削りながら追いすがり、大ベテランの武豊騎手も、ここに来て往時を彷彿させる勢いで勝ち星を積み上げる。

30代半ばにしてブレイクした感のある丹内騎手が見事400勝に到達したかと思えば、土曜日には4年目の菅原明良騎手が怒涛の4連勝。

そして何より、GⅠ騎乗要件クリア、という「節目」を土曜日に無事クリアし、日曜日には「小倉で勝つならこれしかない」と言わんばかりの向こう正面捲りで連日の勝利を飾った今村聖奈騎手の存在が、ターフの変化を際立たせている。

馬柱の方に目を移せば、今年の2歳戦から父・ディープインパクトが事実上消え、2歳のサイヤーランキングは大混戦模様。

函館2歳Sでの産駒勝利で、新ひだかアロースタッド繫養中のビッグアーサーが「暫定首位」になった時はさすがに仰天したが、今月に入っても依然として2位キープ、さらに首位はエピファネイアだから、サンデーでもキンカメでもない血統がワン、ツーというこれまで非常に新鮮な状況。

もちろん、生産牧場を見れば例年の如くノーザンファームの勢いは止まっていないし、サンデーレーシング以下、ノーザン系のクラブ法人馬の活躍も目立つ。

ただこれまで”一辺倒”だった何かが、ちょっとずつ変わり始めた兆しは、今確かに感じられる。


小倉メインの北九州記念、16番人気のボンボヤージ*1&川須騎手*2のまさかの大駆けに沸いた20数分後、札幌記念で連覇を狙った白毛馬が敗れた。

「距離の壁」があったとはいえ、何度見ても映える、白毛馬がもう一頭いても頭一つ抜けて映える今日本で最も美しい馬が、約束の地だったはずの札幌でファンに勝利を捧げられなかったのは何とも残念なこと。

だが、過去3年、ノーザンファーム追分ファームで、指定席のように上位が独占されていたこのGⅠ級のレースで、日高と新冠の馬がワン、ツー、スリーまで押さえたことの意味はとてつもなく大きい。

そうはいっても、秋になれば、再びルメール騎手が勝ちまくり、ノーザンファーム生産馬たちが美味しいところを持っていく・・・そんな展開になるのかもしれないけれど、今はまだ夏。

この先の”変化”に希望を託しつつ、もう少し夢を見ていられれば、と思っているところである。

*1:この馬の名前を聞くたびに浜崎あゆみの名曲が頭をよぎるのは自分だけだろうか・・・。

*2:デビュー当時は飛ぶ鳥を落とす勢いだった川須騎手が7年も重賞タイトルから遠ざかっていた、というのは驚くほかないことだが、今回の勝利が何かの起爆剤になれば・・・と思わずにはいられない。

「TOKYO2020」の傷跡。

先月くらいからくすぶっていた”疑惑”は、今週、関係者逮捕という事態を経て連日報じられる「事件」となった。

東京五輪組織委員会元理事に対する金銭の授受。

今のところ、受託収賄の嫌疑をかけられている元理事側はもちろんのこと、贈賄側も賄賂性の認識については争っている、という状況のようだが、その内容が報道されているように「みなし公務員だったとは知らなかった」というレベルのものなのだとすれば、半ば”自白”しているに等しい。

民間車検場の職員から、空港の調達契約の窓口となる職員まで、金銭を交付した相手が「みなし公務員」であることを知らなかった、という主張が被告人の側からなされた裁判例は検索すれば出てくるが*1、そこで裁判所が下した判断は「法の不知に過ぎない」と切り捨てるか、「違法の実質を基礎付ける事実の認識はあった」として故意責任を認めた、というもので*2、今回も、これが責任ないし違法性を阻却するレベルの大論点になるかと言えば、正直疑わしいところはある。

そして、コンサル契約に基づく金銭の支払いの存在と、それとのバーターであることを推認させる具体的な内容を記載した「要望リスト」が証拠として押さえられ、かつそこで書かれていた事柄が大方実現していたのだとすれば、捜査側が犯罪の証明に向けて描くストーリーに疑いを差し挟ませるのは、相当骨が折れる苦行になりそうである。


こういう話になったから言うわけではないが、先の五輪の前、公式スポンサーの顔ぶれを眺めた時から「なぜAOKIなのだろう?」という疑問は正直あった。

「ビジネス&フォーマルウェア」というカテゴリーでの契約、と発表されていたが、衣料品に関していえば、この国にはより規模が大きく、ブランド力もある会社がいくつも存在する。

日本の看板として掲げるなら、「世界のユニクロ」だろうし、”フォーマルウェア”というところにこだわるのなら、一流百貨店を前面に出しても良かったはず*3

それなのに、そこで「AOKI」という庶民にとっては馴染みがあるものの、高級感や国際性という点ではそれほどでもない会社が、一番下のカテゴリーとはいえ「スポンサー」の地位に収まっていた、というやや違和感のある景色。

「事件」化して以降、連日続いている報道の中には、今回被疑者となっているAOKI HDの創業者(前会長)が「五輪ビジネス」に関心を抱くようになった経緯を描くものもいくつかあり、その中に「創業の地・長野で開催された五輪を見て・・・」というくだりが出てきて、思わず納得させられたところはある。

不覚にも自分は今の今までかの会社の創業の地が長野市であることを知らずにいたのだが、この話を聞いて思い出したのは、篠ノ井バイパス沿い、旧オリンピックスタジアムの至近にそびえたつロードサイド型のAOKIの大型店舗。そして、四半世紀前、全国的な紳士服チェーンとして地位を確立しつつあったアオキインターナショナルの創業者が、生まれ故郷の熱狂に接してどんな思いに駆られたか、ということを想像して、不覚にも胸が熱くなったことは否定しない。

だが、本来なら美談になっても不思議ではなかったこのエピソードも、遺憾ながら、今や「犯行の動機」でしかなくなってしまった・・・。。

*1:東京地判平成14年12月16日、東京地判平成30年5月7日など。

*2:そもそも「知らなかった」という事実自体を否定した判決も多い。

*3:百貨店は「小売」というカテゴリーでスポンサーに加わることは困難だが、衣料品のサプライヤーという立場なら入り込める余地はあったはずだ。

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こんな時だからこそ平和の尊さをもう一度噛みしめたい。

8月のど真ん中、まだ暑さもピーク、という時期に、画面の向こうから流れてくるアナウンスに合わせて戦没者追悼の黙祷をする。これが、自分が物心ついたときから変わらない終戦記念日の光景。

ただ、今年は、それが未だ続いている世界戦争の真っただ中にめぐってきた、というところがいつもと違う。

当然ながら、自分も「戦争を知らない世代」の一人だし、物心がついた頃には既に40年くらい経っていて、若者は皆、”平和ボケ”と揶揄される時代でもあったのだが、当時はまだ冷戦の真っただ中。

いつ核ミサイルが飛んでくるかわからない、という恐怖心は常に心の中にあったし、そんなどことない不安感と、無邪気に勧善懲悪を説く一部の少年漫画の影響から、ともすれば好戦的になりがちな少年たちを諫めるかのように、夏休みの課題図書の中には、常に「戦時中」に思いを馳せさせる一冊が混じっていたような気がする。

やがて、ベルリンの壁が崩れ、ソ連邦が崩壊し、「西側世界」が勝利の凱歌を挙げるのを眺めながら、「これで本当に世界は平和になるのかな・・・」なんて思えたのは一瞬のこと。

中東では断続的に戦火が止まず、欧州大陸でもあちこちで民族間の紛争が噴きだし、そうこうしているうちに9・11からテロへの戦い、と、地球上のどこかで繰り返される悲劇を遠目で見るしかない日々が続いた。

そして、これまで遠くの出来事のように思っていた戦禍は、とうとう自分たちの隣の国が当事者として引き起こされるようになり、さらにはもう一つの隣の国が、まさにこの国の至近でこの国の友邦に銃口を突きつけようか、という状況に至っている今、自分はこれまでにない緊張を感じている。

2月から始まった欧州の悲劇が改めて我々に思い知らせてくれたのは、

ひとたび破られた平和は、平和的でない手段を用いない限り、決して取り戻すことはできない。

という冷徹な現実。

だから、リアリズムに徹すれば徹するほど「平和を希求する」という行為それ自体が空しいものに思えてくるのだけれど・・・。

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塗り替えられない歴史はないはずだから。

今季の「投」の好調ぶりを考えれば、クリアするのは時間の問題、という状況だったとはいえ、昨年来、何度ももどかしい思いをしながら見てきたファンにとって、現地時間で8月9日のアスレチックス戦は最高の時となった。

LAエンゼルス大谷翔平選手。投げては6回無失点、打っては降板した直後に25号本塁打

勝ちに恵まれていなかったチームとはいえ、相手は目下地区最下位。さすがに9回まで行って5点差あれば・・・ということでチームも連勝を飾り、見事、大谷選手に今季10個目の勝ち星が付いた。

これで、メジャーリーグ5年目にして初の2桁勝利、2桁本塁打。そして前々から注目されていたとおり、この記録は、

ベーブ・ルース以来104年ぶり」

という大記録でもある。

自分が小学生くらいの頃、野球というものにちょっと興味を持ち始めて、図書館で読んだ本に出てきたのがベーブ・ルース

当然、うん十年前のその頃から既に「歴史上の人物」に他ならず、さらに時が経ち、呪われたレッドソックスの話とか、米国の暗い歴史の中の光、だとか、いろいろなことを知れば知るほどより”偉人”感が増していたかの人物の記録を、日本から海を渡った若者が掘り起こして乗り越えることになるなんて、つい数年前までは想像することさえできなかった。

ここ数年、1918年のベーブ・ルースの記録が「13勝、11本塁打」という情報だけはよく目にしたので、まだ牧歌的な時代のゆるーい記録だろう、と思いながら見ていたのだが、今回の大谷選手の「更新」を受けて改めて記録を見返せば、この年のベーブ・ルースがまさに「投手」から「打者」に変わろうとするタイミングで、勝利数、本塁打数のいずれの記録も、彼の長いキャリアの中ではピーク時の半分以下(投手としてはそれまで2年連続20勝していた中で、野手出場が増えて登板数が半減した中でのこの数字、また打者としては、翌年の29本塁打からMAX60本塁打まで積み上げていく中での事実上「1年目」としての数字)の数字に過ぎない、ということに気づく。

これは、「投手」であることと、野手として打席に立つことを両立させるのはそれだけ難しい、ということの証明でもあるのだが、それを投打ともに右肩上がりで成績を伸ばしながらクリアしてしまったのだから、大谷選手の物凄さはなおさら際立っているというほかない。

で、太平洋戦争前の、この時期の・・・となれば、思い出すのは、今世紀の初めに繰り広げられたジョージ・シスラーイチロー選手の”安打数”競争。

これまた改めて調べると、今回塗り替えられた「1918年」頃は、ジョージ・シスラー選手のブレイク期でもあったわけで、この前年くらいから3割5分近い打率でヒットを量産し、イチローに塗り替えられるまで最高記録だった「257本」を放ったのは2年後の1920年のこと*1

ベーブ・ルースに比べれば、日本では無名に近い選手だったし、当の米国でさえ「掘り起こされた」感のあった選手だったはずだが、2度の打率4割超えといい、5年間で1000本を優に上回る安打を放ってしまったことといい、この時期に残した数字を見ればシスラー選手もまさに歴史に残る“無双”。

それを超えたのもまた日本人だった、という事実は、改めて誇ってよいことのはずだ。

*1:この年はベーブ・ルースヤンキースに移籍していきなり54本塁打を放ち、ボストンに呪いをかけ始めた年でもある。

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「正論」が常に正しいとは限らない。

すったもんだの末に、東証の市場再編が実行されたのは今春のこと。

それから四半期が一つ過ぎ、「プライム」とか「グロース」といった呼び名も何となく馴染んできた気もする中で、JPX主催の「市場区分の見直しに関するフォローアップ会議」の第1回が先月末に開催されたようなのだが、会議後、公開された資料*1がなかなか凄かった。

事務局が用意した資料は、↓で、これはこれで移行後の市場ごとに所属企業のデータを分析した貴重なものではある。
https://www.jpx.co.jp/equities/improvements/follow-up/nlsgeu000006gevo-att/nlsgeu000006j7nb.pdf

だが、この第1回の資料の中で一番迫力があったのは、会議を欠席した松本大マネックスグループ株式会社 代表執行役社長CEOが提出したペーパー*2だった。

事務局資料に対する意見、ということで、本論の冒頭から、

「安保・エネルギー ・金利情勢などが刻一刻と変化する中で、株式というもっともボラティリティが高い市場に関する議論が、提示されているようなのんびりとしたかつ数年にまたがるもので間に合うとは思えません。」(強調筆者、以下同じ)

という強烈なパンチが飛ぶ。

そして、事務局の資料からは未だに方向性が見えてこない「経過措置」の取り扱いに言及したくだりがこのペーパーのハイライトになっている。

・経過措置は、白紙委任状的であり、予見可能性も低く、公開市場の仕組みに合いません。 とにかく早く終わらせるべきで、或いはとにかく速やかに経過措置終了日を決めて明らかにすべきです
・そもそも上場維持基準に適合していない会社が 500 社程度あるということを容認することは、上場制度そのものの自己否定です。「上場維持に向けた計画」なら理解出来ますが、「上場維持不適合であるが適合に向けた計画」 とは、上場維持基準を形骸化しており、かつ経過措置を極めて不透明なものにしています。
・山道社長が、いわゆる受け皿市場について考えていきたいと発言されていますが、これは屋上屋ならぬ床下床であり、上記の「上場維持不適合であるが適合に向けた計画」が床下床とすると、受け皿市場は床下床下床となります。 本件は市場区分の見直しとは切っても切れない論点であるので、当会議で議論すべきと強く考えます。

「経過措置」によって上位市場に生き残っている会社の存在を徹底的に批判し、「床下」とまで言い切る。

最初から最後まで、とにかく辛辣さが目に付く意見ではあるが、この意見の冒頭に記された、

「そもそも市場区分の見直しはどのような大目的のためにするのか、その点をクリアにすることが、議論を効果的に進めるために肝要だと存じます。 私は最終的に東証に上場する日本企業の企業価値、並びに株式価値(ヴァリ ュエー ション)を高めることに資することにより、企業活動がより活発に出来るようになり、国際的な企業買収なども有利に進められ、日本企業が国際的に競争力のある技術などを蓄え、賃金を上げる余地も増え、株価の上昇により年金資産の充実にも繋がる、そのような資本市場のメリットを我が国がより多く享受出来ることを支え、推進することが、大目的であると考えています。」

という目的意識は、まさに”正論”にほかならず、その帰結として展開された上記のような意見に正面切って意を唱えるのもなかなか難しいものがあるのかもしれない。

ただ・・・

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