ラージヒルジャンパーの気持ち

一応、2008年のアーカイブは完成させたので*1、昨日付のエントリーで保留していた「年初の所信表明」とやらに向かおうと思ったのだが、一日置いてもやっぱりうまい言葉が出てこない。


昨年、一昨年の年末・年初のエントリー(特に昨年)を見ると、

「なんだかよく分からないけど、とりあえず今年はやってやろう」

的なる感情が満ち溢れていたのだろう、ということが何となく推察できるのだが、今年の場合、そういった類の感情もいまだなく・・・。




元々「追い風」は苦手だ。



ちょっとしたことが誰かに評価されて、それが広まって、周囲に持ち上げられるようになってくると、称賛されている対象が自分とはまったく関係ない別人のような気がして、その場にいるのがいたたまれなくなる。


「誰かに評価されたい」という気持ちが元々ないわけではない。


だから細々とした努力を見えないところで積み重ねて、それが誰かの眼にとまることを心のどこかで期待して、ようやくたどり着いた・・・はずなのに、それで有頂天になって、押せ押せで攻めようと思っても不思議ではないタイミングで、どこか心が冷めてしまう。


人気薄ながらビッグレースで好走を重ねて、G1でようやく一番人気を勝ち得るくらいの人気になったと思ったら、あっけなく大凡走してしまう馬がいる。


下級生の頃にとてつもない活躍をして、OBの解説者に「まだ1年生だなんて信じられないですねぇ」と言わしめるようなスポーツ選手が、上級生になってからこれといった活躍を見せられないまま舞台を去る、なんてこともよくある話だ(甲子園でも神宮でも箱根でも・・・)。


自分も同じように、時には自らの意思で、時には自分自身でコントロールできないような状況に陥って、いろんなものから逃げてきた。


たぶん、客観的に見れば、自分を成長させられるチャンスをふいにしてきた、という評価になるのだろう。


「期待を裏切った」という厳しい言葉をかけられたことも、一度や二度ではない*2


だが、いざその状況に置かれた本人にしてみれば、呪縛から逃れるのに必死でそんなこと構ってられない・・・というのが正直なところなわけで。



「追い風」と聞けば、ラッキーと思うのが普通だろうが、スキーのジャンプなんかだとかえって不利になる、というのはよく聞く話だ。


正面から吹き付ける「向かい風」なら、それをうまく浮力に変えてちょっとでも長く空を飛んでいようと思えるが、後ろから吹く「追い風」だと、体勢を崩さずに着地するのに必死で戦意が萎える・・・という話をどっかで聞いたこともあるのだが、高所恐怖症でジャンプ台に上ることさえ一苦労の自分でも、その感覚は何となくわかる。



昨年の終盤は、突然嵐のように吹き付けてきた追い風を背中に受けて、自分のバランスを保つのに精一杯だった。


風向きはだいぶ変わりつつあるが、それでも気力を漲らせてくれるような逆風にはまだ遠い。そして、それだけに、踏み出すタイミングに戸惑っているのが現実。


目前に迫ったトライアルへのタイムリミットを前に、もう一度風を待つか、それとも、飛び出してから吹くかもしれない“向かい風”に賭けるか・・・


そんなところで迷っている状況では所信もへったくれもない。



というわけで、グダグダで恐縮だが、今年の年初はこの辺でご勘弁いただければ幸いである。

*1:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20081230/1230895396

*2:あるいは「腰ぬけ」とか(苦笑)。

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