プロ野球の応援をする権利?

1ヶ月遅れで最高裁HPの下級審裁判例集で取り上げられた判決がなかなか面白いので、ここで紹介しておくことにしたい。

先日の「ファウルボール負傷事件」*1に続き、最近、“プロ野球の法律問題”づいているところであるが、本件は「観戦する権利」をめぐって争われている点で、より特徴的な事件だといえる。

名古屋高判平成23年2月17日(H22(ネ)229号)*2

判決に記載された「請求(控訴)の趣旨」は、非常に複雑な書き方になっているのであるが、おおざっぱに言うと、

・「原告らの構成員が別紙目録記載の方法で(いわゆる「応援団方式」で)*3応援を行うことの妨害禁止(中止や退場を求め、あるいは退場させ、又は今後の入場を禁止することを告知するなどの行為の禁止)
・「被告らの原告らに対する試合等の入場券販売拒否及び管理区域入場禁止の意思表示の無効確認」
・「原告らが球場に入場し、観戦することに対する妨害禁止」
・「原告らが行った特別応援許可更新申請に対する通知の撤回」
・「原告らに対する各22万円の損害賠償」

といった内容が、原告らの請求の中身、ということになる。

「名古屋」が舞台となっていることからも分かるように、原告らは「中日ドラゴンズ」の応援団。
そして、平成20年度において、原告らが被告(日本野球機構プロ野球12球団)により、「応援団方式」による応援申請を不許可とされたため、人格的権利の侵害及び独禁法2条9項5号の「不公正な取引方法」該当性(優越的地位の濫用)を根拠に、原告らは上記請求を行ったのであった。

地裁判決に顕れている事実によれば、被告(日本野球機構プロ野球12球団)側は、暴力団排除条項に則って応援許可を認めなかったようであるが、原告らはその点(暴力団関係者との密接な関係の有無)も含めて争い、その結果、原審である名古屋地判平成22年1月28日(H20(ワ)3188号)は、球場で応援をする権利が「人格権ないし法律上保護された利益」であること自体は否定しつつも、

「被告12球団及び被告Y2は,公共的な性格を有するプロ野球の主催者として,円滑な試合進行と観客の安全かつ平穏な試合観戦の確保を目的として本件約款及び本件許可規程を定め,これらをホームページ等で公表しているのであるから,これらの定めに従ってプロ野球を運営すべきであり,プロ野球を支える全国のプロ野球ファンにおいても,そのように運営されることが合理的に期待されているというべきである。そして,販売拒否対象者の指定は,球場での観戦自体を制限するものであるから,応援団方式による応援のように,他の観客に迷惑をかけ球場における秩序を乱す危険性を内在する行為を制限する場面とは異なり,その制限についてはより慎重にすべきであり,本件約款の定める販売拒否対象者指定の要件を欠くにもかかわらず,その指定を行うことは,入場券の販売に関し主催者が裁量権を有することを考慮しても,その裁量権の範囲を逸脱するものとして,許されないというべきである。」
原告X1が設立されてからその団員が試合観戦の際に本件約款に違反する等の問題行動をした事実を認めることはできず,販売拒否対象原告らにつき本件約款11条所定の販売拒否対象者指定の要件に該当する事実を認めることはできないから,被告12球団及び被告Y2が販売拒否対象原告らに対してした本件販売拒否対象者指定は,本件約款の定める販売拒否対象者指定の要件を欠くものであって,その裁量権の範囲を逸脱するものといわざるを得ない。したがって,本件販売拒否対象者指定は,権利濫用として違法であり,無効なものというべきである」

として、原告らの請求を一部認容したため(一部の原告に対する意思表示の無効確認及び各1万1000円の損害賠償)、控訴審の判断がより注目されることになったのである。

控訴審判決の判断

原審は、「販売拒否対象者指定の無効確認」に確認の利益がある、という前提の下、被告が販売拒否対象者指定の理由とした「原告らの特別応援許可申請書への虚偽記載」が、約款上の拒否対象者指定事由(約款11条1項、「観客が,主催者又は主催者以外の者の主催する試合において,持込禁止物を持ち込んだ場合,禁止行為に違反した場合,禁止された応援行為を行った場合,その他本約款に違反した場合において,主催者が当該行為を悪質であると判断するとき,主催者は,当該違反者を第3条の販売拒否対象者として指定する。」)に該当しないと判断し、「裁量権逸脱の違法あり」と結論付けた。

しかし、控訴審は、まず最初から一審原告の出鼻をくじくような判示をしている。
すなわち、

「販売拒否対象者指定は,単に,将来,販売拒否対象1審原告らから,個々の試合の主催者である1審被告12球団及び1審被告Y2に対し,入場券の購入の申込みがされても,同1審被告らは承諾せず,同1審原告らの入場を拒否するとの方針を採用し,そのことを事前に伝達したものに過ぎず,それ自体が直接的に法律効果の発生に向けられた行為ということはできない。」
「また,仮に,販売拒否対象者指定が無効である旨宣言したとしても,それによって,1審被告12球団及び1審被告Y2に対し,当然に入場券の販売に関する契約(以下「観戦契約」という。)の締結義務が課されるわけではなく,まして,観戦契約の成立が擬制されるわけでもない。」(10頁)

と述べて、確認の訴えの利益を否定し、この部分の請求を却下したのである。

これは、原審が、

「仮に本件販売拒否対象者指定の無効が確認されれば,販売拒否対象原告らは,その他の販売拒否事由及び入場拒否事由に該当しない限り,一般の観客と同じように入場券を購入して球場に入場し,退場させられることなく試合観戦をすることができるようになることが合理的に期待できるから,本件販売拒否対象者指定の無効確認を求めることは,上記の紛争を解決するための有効,適切な方法であるということができる。」

と述べたこととは対照的であり、ここからして逆転の予感は漂っていた。

次に、本案の争点について。

控訴審は「プロ野球」の定義に言及しつつ、憲法上の権利利益を前面に出す原告の主張を以下のように退けた。

プロ野球は,他のプロスポーツと同様に,主催者の主催の下にそのスポーツを職業とする選手が球場で試合を行い,観客は入場料を支払って球場に入場しその試合を観戦することにより成り立つ私的自治の分野の事柄であって憲法22条,29条等の規定に基礎を置く経済活動の自由(営業の自由),契約自由の原則にかんがみると,試合の開催やその内容・態様,観戦契約の締結などを義務付けたり,規制したりする法令がない以上,試合を行うか否か,行う場合には,これをどのように行うか,どのようなイメージのスポーツを目指すか,いかなる範囲の人々に観戦を提供するか,観客席の雰囲気をどのようなものにし,どのように観戦環境を調整するかなど,その開催・運営に関する事項は,専ら主催者がその裁量によって決定することができるものであるし,主催者と観客との法律関係は,基本的に契約自由の原則によって規律されるものというべきであり,このことは,プロスポーツの試合において,観客が単なる興行の客体にとどまらず,試合の雰囲気を形成する一翼を担う部分があることによって,左右されるものではないというべきである。」(11頁)

この点については、さすがに「憲法上の権利利益」というのは、ちょっと振りかぶり過ぎだと思われるし、原審判決も同じ結論を出していることから、一審原告らも過大な期待はしていなかったところだと思われる。

だが、次の点については、原審と控訴審の判断が大きく分かれ、結果として一審原告らが一敗地にまみれることになった。

名古屋高裁は、

「応援団方式による応援は,観客が個々人でする応援とは異なり,トランペット等の楽器を用いたり,応援旗等の他の観客の観戦に支障を及ぼすおそれのある物を使用したり,観客を組織化し又は観客の応援を統率して行われるものであって,その応援方法によっては,試合の円滑な進行を妨げたり,他の観客の平穏・安全な観戦に支障を生じさせることがあり得るものであるから,応援団方式による応援を認めるか否か,その際にどのような条件を付するかなどについては,本来的に主催者が自由に決定できるものというべきである。のみならず,前記のとおり,そもそも,主催者は,どのようなイメージのスポーツを目指すか,観客席の雰囲気をどのようなものにし,どのように観戦環境を調整するかなど,その運営に関する事項をすべてその裁量によって決定することができるというべきであるから(略),当該団体について球場の秩序を乱す具体的な危険が認められなくとも,主催者が応援団方式による応援を許容するのにふさわしくないと判断した場合には,これを不許可とすることは」当然に許されてしかるべき」(13頁)

とした上で、プロ野球の主催者である1審被告12球団及び1審被告Y2が特別応援許可をする義務を負う場合があるということはできないし,同1審被告らが本件応援不許可を決め,1審被告Y2及び1審被告Y1が1審団体原告らにこれを通知したことが,1審個人原告らに対する不法行為を構成するということもできない、と言い切ったのである*4

地裁段階から高裁に至るまでの原告らの主張は、

プロ野球は「日本人の日々の生活にすっかり溶け込んで,かけがえのない文化」となっており,そこでの高揚感,幸福感は,古今東西,人間の本質(闘争本能)に根ざすものである。特に野球ファンの青少年にとってプロ野球選手は憧れであり,夢であって,人生の目標にすらなるほど深く人格に影響を与え得るものである。
球場における野球観戦は,目の前で自らが応援する球団所属の選手の,まさにプロの技を堪能し,ファンが一体となって自らが応援する球団を応援して,球場全体で試合の動向に喜び,ため息を漏らすなど,その臨場感,高揚感は,テレビ視聴等による楽しみ方の比ではなく,単に野球を楽しむこととは別の内実を持った独自の権利利益である。入場券を購入して野球観戦する者は,そのほとんどが特定球団のファンとして入場するものであり,その球団を球場で応援することはその本質的,根源的な欲求である
c応援団方式による応援は,野球が我が国にもたらされてしばらくの後に生まれ,これまで洗練され発展してきたもので,本件約款及び本件許可規程制定以前より我が国おいて野球観戦における一つの文化を形成している。
d上記aないしcの事情を背景として組織される応援団を運営する者又はそれに参加する者にとって,応援団方式による応援をすることはかけがえのない自己表現あるいは自己実現の場となり,貴重な社会活動あるいは人格形成の場でもあり,生活の不可欠の一部を構成し生きがいとなっており,憲法13条に基づく幸福追求権の一内容をなす人格権ないし法律上保護された利益であるというべきである。

と野球好きにしてみれば多少なりとも理解できるものであるし(若干大げさかな・・・という気もするのだけれど(笑))、前記のとおり、原審判決も「プロ野球(観戦)」の「公共的な性格」を前面に出すことによって、一審原告らの請求を一部認めている。

しかし、高裁はそのような「性格」に言及することなく、運営側の裁量権を比較的広く認める規範を打ちたてた。
そして、「応援団の代表者が過去に3度罰金刑の処分を受けていたにもかかわらず、それをあえて登録時に告知しなかった」という「虚偽記載」の事実をもって不許可事由とした一審被告側の判断を支持したのである。

この点については、いろいろと議論の余地もあるところだろう。

一審原告らのHPを見ても(http://cdouendanrengou.sakura.ne.jp/)、「球場で応援すること」に対する強いこだわりが伝わってくるし、実際、控訴審での全面敗訴判決にもめげず、一審原告らは最高裁での再逆転に希望を託すようである。

「不許可」という処分を受けるからには、それなりの背景があったのだろう、というのは、何となく推察できるところであるが、かといって、約款の規定にストレートにあてはめられない事由によって、球場での応援・観戦に制約を加えることが妥当なのかどうか。

最高裁が判決を書いてくれることを期待するのは、ちょっと贅沢過ぎるかも知れないが、個人的にはこの行く末には注目しておきたいところである。

*1:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20110302/1299262243

*2:民事第4部・渡辺修明裁判長、http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20110308102934.pdf

*3:アップされた控訴審判決では省略されているが、地裁判決の目録には、「(1)トランペット,太鼓,カネ,笛その他の楽器又はこれに類する物を使用した応援、(2)団体原告目録記載の原告らそれぞれにつき別紙写真目録記載の応援旗,横断幕等を使用した応援、(3)観客を組織化し又は観客の応援を統率して行われる集団による応援」といった記載がある。

*4:もちろん、拒絶することが公序良俗に違反するような場合は別論、としている。

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