浮気はしちゃダメ、と痛感した一戦。

しばらく続いていたG1連戦は今週で一区切り。
今開催からは2歳新馬戦も始まって、いよいよ新しいシーズンのスタート、といった感があるのだが、自分は、「競馬を見始めた時にはまだ最下級条件が『400万下』だった」世代である。
その後の歴史をたどっても、「1000万」「1600万」という数字より、「900万」「1500万」という数字の方に馴染みがあるゆえに、「1勝クラス」「2勝クラス」という分かりやすすぎるクラス分けがどうにもしっくりこなくって*1、勝率的には散々な開幕週となってしまった。

そんな中、せめてメインのG1、安田記念だけは・・・と思って気合を入れてはみたものの、人気落ちで「ここが狙い目!」と勝負をかけたサングレーザーは、直線最内を突いて、あとちょっと!の雰囲気は醸し出したものの*2、前残りの展開に泣いて5着まで。

そんなこともあろうかと、本命が飛んだ時の〝押さえ”にしたはずだった軸馬・ダノンプレミアムも、スタート直後、名手・武豊騎手をしても御せなかったロジクライの斜行で思いっきり不利を受けて最下位に沈む大惨敗・・・。

同じく不利を受けたアーモンドアイが、ラストの豪脚空しく「3着」という微妙な着順にとどまったことを考えると*3、どうしようもなく負けた分、まだあきらめがつく、と言えばつくのだけれど、やっぱり「強い馬が順当に勝てなかった」というレースは、見終わった後の気分がよくない。

そして、何よりも、今日、一番後味が悪かったのは、逃げたアエロリットが、しっかり残って連に絡んでしまったこと。
つい数週間前、↓のようなエントリーで讃えた馬を、買わなかった結果がこれだ・・・。

k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

もちろん、彼女を選択肢から外したのには理由があって、「休み明けは必ず好走するが、2走目になるとガクッと成績が落ちる」というデータとか、鞍上が前走の横山典弘騎手から戸崎圭太騎手に乗り替わったこと*4とか、ヴィクトリアマイル以上にペースが速くなって差し馬天国になる、という展開予測とか、考えれば考えるほど「今回は選択肢に入れなくていいか」と思えていたのは確か。

だが、現実にはダノンプレミアムの致命的な出遅れもあって、今回もそんなに激しく突かれることもなく余裕の単騎逃げ。
そして、前走と比べると、最初の200mこそ速かったものの、400~800mくらいのラップで少し緩め、直線に入ってからは再び二の脚で突き放す、という実に理想的な展開だったから、テレビを見ながら声援を送りつつも、心境は実に複雑だった。

アエロリットが「現実路線」に切り替えたことが、驚異的なレースレコードながら、ヴィクトリアマイルのノームコアのコースレコードには及ばず、それゆえに微妙に盛り上がらない、という、勝ち馬・インディチャンプにとっては気の毒な結果につながってしまったのだが、アエロリット自身は、今回も、最後に失速した前走と全く同じタイム(1分30秒9)で走っているわけで、「インディチャンプ以外の馬(特に追い込み勢)に本来の力を出させなかった」という点で実に素晴らしいレースぶりだったな、と。

そして、「一度でも感動を与えてくれた馬」は、そう簡単に選択肢から外さずにじっくり追いかけていかないといけないな、という過去何度も味わってきた教訓を、彼女は再び思い出させてくれた。

だから、もしかしたら次のレースではこっぴどく裏切られることになるかもしれないけど、それでも今日の悔しさに比べれば・・・という思いで今はいるのである。

*1:「1600万下」の違和感がいつのまにか消えたのと同じで、所詮は慣れの問題だとは思うのだけれど・・・。

*2:何といっても上がり3ハロンのタイムが32秒9だから、普通ならきっちり差して馬券圏内に入っても不思議ではなかった。

*3:先週のダービーでの角居調教師に続いて今週はシルクレーシングが「人気薄の方が勝ってしまって微妙な空気」を演出することになってしまった。もしかしたら、もうしばらくこの流れが続く可能性もあるので、宝塚記念まで忘れずに覚えておくことにしたい。

*4:嫌いな騎手ではないのだが、G1で彼が乗ると、どうにも来ない気がして反射的に選択肢から落としたくなる。

気になる「マリカー」事件の真の争点

「そういえば、ちょっと前(といっても訴訟が始まったのは2年前の話だが・・・)に話題になったなぁ」という感のある記事が前日の朝刊に載っていた。

「ゲームキャラクター「マリオ」の衣装を客に貸して公道カートを走らせる行為が知的財産の侵害かどうかが争われた訴訟の控訴審で、知的財産高裁(森義之裁判長)は30日、衣装貸与などが不正競争行為にあたり、任天堂の利益を侵害しているとする中間判決を言い渡した。中間判決は訴訟の途中で一部の争点について判断を示す手続き。知財高裁は損害額を算定するため審理を継続する。」(日本経済新聞2019年5月31日付朝刊・第39面)

昨年の東京地裁判決に続き、知財高裁でも被告側の行為の不正競争行為該当性が認められた、ということで、原告の任天堂も高らかにカチドキのプレスリリースを出している*1のだが、自分が個人的に気になったのは、何で「中間判決」をわざわざ出したのだろう、という点。

残念ながら、本日時点ではまだ最高裁HPに上記の判決文はアップされていない。

そこで、当時はスルーしてしまった東京地裁判決を改めて読み直して、今訴訟がどういう展開になっているのか、ということをちょっと推理してみることにしたい。

東京地判平成30年9月27日(平成29年(ワ)第6293号)*2

本件の原告は言わずと知れた任天堂株式会社。
被告は、株式会社マリカー改め、株式会社MARIモビリティ開発とその代表取締役A。

原告が差止、損害賠償請求の対象にしたのは、主に「マリカー」の表示や、「マリオ」や「ルイージ」等のキャラクターを連想させる人形やコスチュームの営業上の使用行為だったのだが*3、これらに関しては、訴訟になる前から被告がレンタルするカートが公道を走るのを見た多くの人が「無許可でやって大丈夫?」と心配するような状況だったから、実のところ最初から勝負は見えていた。

それでも被告側は、「マリカー」の表示の使用に関しては、自ら実施した利用者の属性に関するアンケートを証拠提出して、

「本件レンタル事業の需要者は,外国人旅行者,在日米軍関係者又は在日大使館員などの訪日外国人であるところ,原告は,原告文字表示マリオカート及び原告文字表示マリカーが訪日外国人において周知かつ著名であることについての主張立証を行っていない。」(18頁、強調筆者、以下同じ。)

という反論を試みたり、被告が「マリカー」の登録商標(登録第5860284号‐2,11、12)を保有していることをもって、「使用権限あり」との抗弁を出したりしているし、コスチュームの使用に関しても「商品等表示としての使用」に当たらない、という主張を行っている。

そして、

「関係団体のウェブサイト上に,英語,フランス語,中国語,韓国語及び日本語で,「ゲーム『マリオカート』(Mario Kart)とは全くの別物です」という趣旨の記載がされており,本件レンタル事業と原告とは一切関係がないことが明示的かつ対外的に示されている」(19頁)

という極めつけの反論まで試みた。

だが、いかに反論を展開したところで、”世界のスーパーマリオ”相手では分が悪い。

裁判所は「マリカー」の表示に関しては、

遅くとも平成22年頃には,日本全国のゲームに関心を有する者の間で,広く知られていた」「日本においてゲームに関心を有する層は相当広範囲にわたっていることは明らかであり,観光の体験等で公道カートを運転してみたい一般人も含まれ,原告文字表示マリカーは,日本全国の本件レンタル事業の需要者において広く知られていた」(以上51頁)

と、あっさり周知性を認めた上で*4

「本件レンタル事業の需要者には日本語を解する者が含まれる。それら日本語を解する需要者について混同のおそれが認められるにもかかわらず,被告会社の行為が全て不正競争行為に該当しないとすることは相当でない。被告らの主張は,本件における需要者として日本語を解する者が含まれないことを前提とする点においては採用することができない。」(54頁)
「(筆者注:打消し表示を行っている事実が認められるとしても),原告又は原告と関係があるとの混同のおそれが生じなくなるということはできない。また,公道カートの車体に表示された打ち消し表示の文字は,停車中のカートに近寄って見なければ判読できない程度に小さいから,本件レンタル事業の利用者に対する効果も確実とは言い難い上,同カートを公道上で目撃する需要者が直ちに認識できるものではない。」(55頁)
「被告会社が本件商標の登録を出願したのは平成27年5月13日であるところ(略),前記(略)で述べたとおり,その5年程度前である平成22年頃には,既に原告文字表示マリカーは原告の商品を識別するものとして需要者の間に広く知られていたということができる。被告標章第1を使用する被告会社の行為は不正競争行為となるところ,上記事情を考えると,原告に対して,被告会社が本件商標に係る権利を有すると主張することは権利の濫用として許されないというべきである。」*5(55~56頁)

と、被告側の主張(反論)、抗弁をことごとく退けた。

また、裁判所はさらに、「マリオ」や「ルイージ」「ヨッシー」「クッパ」といった原告のキャラクターの表現そのものに関しても商品等表示としての周知性を認め、著作権侵害に基づく請求の実質的な審理を行う以前に、不正競争防止法を根拠として被告側行為の差止めを認めている*6

被告側も、かろうじて「外国語のみで記載されたウェブサイト及びチラシ」に関しては「マリカー」表示の周知性に基づく請求を退けたり、被告会社の代表取締役Aが会社と連帯して損害賠償責任を負うという結論を回避する*7という成果は上げているのだが、全体としては「完敗」という結果になっているし、地裁判決が認定した事実関係等を前提とする限り、地裁判決で被告会社の責任が認められた部分に関しては、知財高裁で審理してもそう簡単に結論は変わらないだろう、と思わせるには十分で、今回、知財高裁が、地裁判決からわずか半年ちょっとであっさりと被告側の責任を認める「中間判決」を出したのも頷けるところである。

公表された地裁判決文の中の損害額の”ブランク”

さてそうなると、本件訴訟の真の争点はどこか? という話になってくるのだが、地裁判決をよく読むと、認容された「1000万円」という損害賠償額が、実は「一部請求」(「(被告らは)7490万円の損害賠償義務を負うところ,原告は,被告らに対し,その一部である1000万円の支払を求める。」というのが原告の請求原因の記載となっている)である(37頁)、ということに気付く。

地裁判決では、裁判所が使用料損害と弁護士費用を合わせ、原告の一部請求の額との関係では、あたかも〝ニアピン賞”といった様相の「1026万4609円」という数字をはじき出したのだが、これは責任自体を争っている被告側にとってはもちろん、原告にとっても、念頭においていた「全部請求」の額とは大きな乖離がある数字。

原告・被告双方が第一審の主張の中で示していたはずの損害額算定の基礎となる数字は、公表されている判決文の中では〝●●●”となっていることもあって、なかなか推し量るのは難しいのだが、シンプルに考えるならば、第一審での「完勝」を受けた原告側が控訴審段階になって請求額を増額し、被告側もそこを主戦場として激しく争っている、そのため、知財高裁も「中間判決」という形で「侵害論」の結論を早めに出した上で、「損害論」をじっくり審理する(あわよくば和解決着を狙う)という進め方になった、ということなのかな、という推測は働くところ。

原告としても本件訴訟で「損害を取り戻す」ことを主目的にしているわけではなく、「フリーライド商法」への〝一罰百戒”効果が達成できればそれでよい、というのがおそらく本音だろうから、メディア等での報道の動向も見ながら進めていく、ということになるのかもしれないが、自分としては、「侵害論」で事実上の決着がついた今、最終的に被告が支払わされる金額のスケールがどのあたりの線で落ち着くのか、「真の争点」の行方を気にしながら、本件をもう少し追いかけてみることにしたい。

*1:https://www.nintendo.co.jp/corporate/release/2019/190530.html

*2:民事第46部・柴田義明裁判長、http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/072/088072_hanrei.pdf

*3:他にも被告の商号登記の抹消登記請求等も行っていたが、口頭弁論終結前に被告が自主的に商号を現在のものに変更したため、この部分は判決で命じられるまでには至っていない。

*4:もっとも「日本語を解しない者」に関してはさすがに「広く知られていたとは認められない」としている(51頁)。

*5:なお、被告側は被告商標に対する異議申立てが特許庁によって一度退けられた、ということも抗弁の根拠事実としていたが、被告商標に対しては現在無効審判2件が係属しており、本件での裁判所の認定等も踏まえて商標が無効化される可能性も高いように思われる。

*6:リンク先の判決文の末尾に実際の写真等が出ているが、被告側の使っているコスチューム等は、原告のキャラクターを精緻に再現したもの、というよりは、〝何となくそれらしい雰囲気を出した”という類のものだけに、著作権侵害を主戦場とすることなく、不正競争防止法だけでカタを付けた、というのは事案の解決の仕方としてはベストだと思うところである。

*7:この点に関しては、代表取締役A氏を代理しているのが内田・鮫島法律事務所だけに、さすが・・・と思わざるを得なかった。

2019年5月のまとめ

10連休の途中から始まった5月。
連休が明けても、世の中のカレンダーとは別次元の時の流れの中に身を置く形になって、少々もどかしいところもあるのだけれど、その分、ブログの更新だけはコンスタントにできるようになって、それだけはありがたい、の一言に尽きる。

ブログへのアクセスの方も、おかげさまで、月末の第三者委員会関係のエントリー等も盛り上げていただき、ページビュー26,000弱、5月としては4年ぶりの水準を回復(セッションは14,500強、ユーザー8,000強)。

まだまだしばらくは、ゆったりとした時の流れが続くことになるだろうけど、ブログも仕事も、地道にちょっとずつ、自分らしいスタイルを創り上げていければと思っている。

<ユーザー市区町村(5月)>
1.↑  新宿区 1,066
2.↓  港区 944
3.→ 大阪市 806
4.↑ シカゴ 749
5.↓ 横浜市 678
6.→ 千代田区 454
7.→ 中央区 297
8.↑ 渋谷区 285
9.↓ 名古屋市 278
10.圏外京都市 156

傾向はそんなに変わっていないのだけど、全体のアクセス増加に応じてどこのエリアからのアクセスも数字が伸びていて、リピーター率も向上しているのはちょっと嬉しい。

<検索アナリティクス(5月分) 合計クリック数 2,590回> (2019年5月30日まで)
1.→ 企業法務戦士 305
2.→ 企業法務戦士の雑感 33
3.↑  企業法務 28
4.圏外 双葉社 特徴 24
5.↑ 東京スタイル 高野 19
6.↓ 矢井田瞳 椎名林檎 17
7、↓ 学研のおばちゃん 10
8、↑ 企業法務 ブログ 10
9.圏外 法務 ブログ 10
10.↓ 読売オンライン事件 9

こちらも全般的に「企業法務」とか「法務」といったキーワードでの検索が増えているのは、目指している方向に近いのかな、と思った次第。

最後に新しい企画として、5月中に当ブログを経由してAmazonで購入された書籍のランキングも載せておくことにしたい。

<書籍売上実績ランキング>
1 「改正民法と新収益認識基準に基づく契約書作成・見直しの実務」

改正民法と新収益認識基準に基づく契約書作成・見直しの実務

改正民法と新収益認識基準に基づく契約書作成・見直しの実務

2 「ビジネスパーソンのための契約の教科書」
ビジネスパーソンのための契約の教科書 (文春新書 834)

ビジネスパーソンのための契約の教科書 (文春新書 834)

3 「良いウェブサービスを支える「利用規約」の作り方」*1
【改訂新版】良いウェブサービスを支える 「利用規約」の作り方

【改訂新版】良いウェブサービスを支える 「利用規約」の作り方

4 「これでいいのか!2018年著作権法改正 (Kindle版)

今月取り上げた書籍が上位を占める中で、福井健策先生の名著がいまだに人気があるのは嬉しい限り。

ということで、これで5月も終了。本格的な夏が始まる。
どこかのタイミングでブログのタイトルも一新しようとは思っているけど、いろいろ大人の事情もあるので、もう少しお待ちいただければ幸いである。

*1:購入されたのは「初版」だったようですが、リンクは改訂新版にしておきます。

黒い羊。

世の中には、いろんな会社がある。

「年がら年中新しい人が入ってきては、先にいた人がどこか他の会社にいってしまう」というようなところもあれば、「定年以外の退職、転職は一大事」みたいなところもある。
どちらがいいとか悪いとか、という話ではないのだけど、後者のタイプの会社から抜け出す時の摩擦はどうしても避けられない。

それゆえに、覚悟を決めるまでの時間以上に、ことが決まってからの時間の方がはるかに重く、苦しい日々になってしまった。
一応、そんな日々も、まもなく一つの区切りを迎えることにはなるのだが、
これで終わった、というよりは、戦闘態勢整ってここからが本番、というのが今の心境である。

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最近の法律雑誌より~法律時報2019年6月号

昨日のエントリーに続いて、法律時報の最新号より。

法律時報 2019年 06 月号 [雑誌]

法律時報 2019年 06 月号 [雑誌]

特集「民事司法のIT化」

何といっても、特集が、この先数年、法曹界のホットイシューになるであろう「民事司法のIT化」というのが、本号の価値を高めている所以。

冒頭の総論的な論稿は、山本和彦・一橋大教授が書かれている(山本和彦「民事司法のIT化の総論的検討-本特集の解題を兼ねて」法律時報91巻6号4頁(2019年))のだが、民事訴訟、民事執行、倒産手続のそれぞれについて、これまでの経緯と現在議論されている課題について一通り解説されたうえで、

「平成前半には、IT化でも世界最先端に近い位置にいた日本は、その後半期にはIT後進国へ転落していった。民事訴訟のIT化の面でも、この間の日本は『失われた15年』と言ってよい時代であった。」(前掲5頁、強調筆者、以下同じ。)
「民事司法全体でみても、平成時代の前半は『改革の時代』であったのに対し、平成時代後半は『停滞の時代』であったと言って過言ではない。」(9頁)

と厳しい指摘を行い、さらに、

IT化に受け身で対応するのではなく、IT化を契機として民事司法の改革を積極的に図っていく『攻めのIT化』が重要になると思われる。その意味で、ポスト平成の新時代の民事司法は、再び『改革の時代』へ移行する可能性が高いように思われる。」(9頁)

と、今進められている「改革」への強い期待を表明されているのが非常に印象的である。

また、各論についても、オンラインでの訴状提出や事件管理(杉山悦子・一橋大教授)、口頭弁論期日、争点証拠整理期日のあり方(笠井正俊・京大教授)、民事執行手続(内田義厚・早大教授)、倒産手続(杉本純子・日大教授)、ADR(山田文・京大教授)とそれぞれ読み応えのある論稿が掲載されているのだが、個人的には、「本人訴訟」をテーマにした垣内教授の論稿(垣内秀介「本人訴訟におけるIT化の課題と解決の方向」法律時報91巻6号23頁(2019年))における「アクセス後退の問題」を回避するための2通りの方向性に関する議論*1が、現状の関係者の問題意識をストレートに反映していて、議論の素材として有益だと思った次第。

町村教授の論稿(町村泰貴「民事裁判におけるAIの活用」法律時報91巻6号48頁(2019年))も、最新のトレンドをフォローされている上に、次に紹介する「小特集」のテーマとも関連していて興味深かった。

自分の率直な感想としては、対象が「民事司法制度」という国民共通のプラットフォームである以上、あまり野心的になって「今の技術でできること」を全て突っ込む必要はなく、大多数の関係者が無難に使いこなせるツールを段階的に導入する、という形で収めるのが一番合理的なやり方ではないかと思っているのだけど*2、一部のADR機関で最先端の技術を駆使した「実験」をやってみる、というのはそれはそれで意義のあることなのかもしれないな、と思っているところである。

小特集 先端技術のガバナンス法制をめぐる国内外の動向

こちらも、今はやりの「AI・ロボット」といった先端技術を念頭に置いた企画で、非常に読みごたえはある。

特に、慶応大学の大屋教授が書かれた論稿(大屋雄裕「技術の統制、統制の技術」法律時報91巻6号58頁(2019年))では、先端技術を統制するための法的な枠組みについて、「適切な権利保障と責任分配の枠組」という根源に遡って議論が展開されており、

人工知能技術は予見可能性・結果回避可能性の両面から過失責任主義の実効性に関する危機をもたらすと予想することができる。」(前掲・60頁)

といった指摘がなされたうえで、同時に「過剰規制の罠」として、「技術進化の抑制」や「規制に実効性を持たせるためのコスト」、さらに「萎縮効果」といったポイントが指摘され、「規制のあり方」について論じられた上で、最後は、

「本稿で検討したような適切な統制のあり方に対して国民の信任が与えられるようなプロセスが、新技術に関する規制の、あるいはもっとも重要な要素かもしれないということのみである。」(前掲63頁)

とまとめられており、考えさせられるところは非常に多い。

各論でも、リーチサイト問題について刑法的見地から具体的に議論されている論稿(深町晋也「インターネットにおけるリンク設定行為の刑法的課題-特にリーチサイト規制をめぐる解釈論的・立法論的検討を通じて」法律時報91巻6号64頁(2019年))もあれば、EUの横断的な規制動向を紹介する論稿(寺田麻佑「欧州(EU)における先端技術をめぐる規制の動向と日本への示唆」法律時報91巻6号77頁(2019年))も掲載されているなど、興味を引かれる内容になっている。

テーマがあまりに大きすぎて、具体的に煮詰まってくるのはまだまだこれから、という感も強い分野ではあるが、今いろいろと語られている技術そのものの「具体化」のスピードに合わせて追いかけていければ、と思っている。

「法律時報」らしいいくつかの論稿と、次号予告。

なお、特集以外にもいろいろ興味深い記事は多いのであるが、特に「法律時報」らしいな、と思ったのが、「代替わり儀式」を「違憲のデパート」と評した横田名誉教授の論稿(横田耕一「憲法精査不在の天皇代替わり」法律時報91巻6号1頁(2019年))と、死刑制度を「廃止」論ではなく「違憲」論として論じている阪口教授の論稿(阪口正二郎「死刑における手続保障の重要性」法律時報91巻6号98頁(2019年))である*3

また、最終ページ(168頁)に掲載されている次号予告で、特集が「AIがもたらす知的財産法の変容と未来」となっているのも気になっていて、これは1か月先までのお楽しみかな、と。

以上、盛りだくさんだった今月の法律雑誌特集は、これにて終了。
来月もこの企画を続けられることを願って・・・。

*1:なお、垣内教授は、「本人訴訟に関する限り、従来の紙媒体をベースとした取扱いを全面的に維持する」、「オンライン提出等を本人訴訟においても義務化し、紙媒体から電子媒体への一本化を図る」という極端な2つの選択肢をもとに議論されているのだが(前掲27~28頁)、現実には、「IT化」された手続の方が馴染みやすい「本人」というのも今後出てくるだろうから、「IT化の『例外』を認めるかどうか」という形で論じた方が建設的な議論がしやすいのではないか、と思うところである。

*2:模擬裁判等を見ておられる方々の話を聞いても、よりその思いを強くする。

*3:専門外の分野なので、詳しく解説することはできないのだけれど、こういう論稿が読めるのがこの雑誌の良いところだと自分は思っているので、紹介せずにはいられない。

最近の法律雑誌より~ジュリスト2019年6月号

本格的な月末モード、ということで法律雑誌も続々届いているわけだが、今回はどれも結構読み応えあるな、ということで、まずジュリストから。

ジュリスト 2019年 06 月号 [雑誌]

ジュリスト 2019年 06 月号 [雑誌]

生貝直人=曽我部真裕=中川隆太郎「鼎談 EU著作権指令の意義」*1

今月のジュリストは、決して知財特集号ではないのだが、冒頭からかなりのボリュームで掲載されているこの鼎談をはじめ、全体的に知財色が強い構成になっている。

特に「EU著作権指令」*2は、ここしばらくインターネットコミュニティではかなり話題になっており*3、議論の末、今年4月に承認、5月17日に官報掲載されたばかりの極めてホットなトピックで、このテーマに関して一般法律雑誌であるジュリストが、ここまでしっかりとした企画を打ってくれた、というのは、知財業界的にも実に画期的なことだと思われる。

内容的にも、15条(Protection of press publications concerning online uses、記事中の訳は「プレス隣接権」)、17条(Use of protected content by online content-sharing service providers、記事中の訳は「フィルタリング条項」)の解説を中川弁護士が、権利制限規定の解説を生貝准教授が担当した上で*4憲法学者の曽我部教授も交えて、「著作権者の保護(利益分配含む)と利用者(の表現の自由)の調整」という大きなテーマを軸に骨太な議論がなされていて、実に面白い。

以下、少し長くなってしまい恐縮だが、後日の筆者自身の備忘を兼ねて、項目ごとに気になったところを引用しておきたい。

■15条関連(プレス隣接権条項)

報道機関が適正な収益を確保できるような何らかの仕掛けというのは、現在の状況としては不可欠だと思っています。」
「民主主義社会の中で報道は不可欠な役割を果たしますので、以前のようなビジネスモデルが成り立たなくなった現在において、どういう形で信頼できる報道を支えていくのかというのは、大きな問題になっていると思います。」
「もう1つは、表現の自由との関係で言うと、(中略)一般の個人ユーザーが委縮してしまうのではないかという批判が非常に強くなされていると聞きます。ただ、規定上は、これも先ほどお話があったとおり、かなり配慮をされていて、冷静に条文を読む限りは、あまりそういうおそれはないのではないかと思います*5。しかし、萎縮効果に関しては、文言だけではなくて、規制がどのようなものとして受け取られるかが重要ですので、条文上の工夫がされたからといって、それが一般ユーザーに伝わらず、結果として萎縮が生じてしまえば、やはり問題だということになりますので、その辺について注視が必要かと思います。」(以上、曽我部発言、前掲52~53頁、強調筆者、以下同じ)
「もはや各加盟国単位では、グローバルなプラットフォーム事業者と十分な交渉を行うことができない。本指令によるプレス隣接権の導入には、EU全体が結束して交渉力を高めていこうとする目的もあるのだと思います。」(生貝発言、前掲54頁)
EU全体となると、かなりの数の権利を処理していかなければいけないということになるので、その交渉を含めた手間やコストというのは相当掛かってしまうだろうと思います。(略、12条の集中管理団体の管理権限範囲の拡大規定に言及)まだ取組はこれからだと思うのですが、今後この指令が発効すると、いろいろなステークホルダー同士の協議が始められるのではないかと理解しております。」(中川発言、前掲54~55頁)

■17条関連(UGCフィルタリング条項)

「適法利用が最終的には救済されるとしても、一旦、自動処理ではじかれてしまうと、例えばアカウント停止になったりするわけで、結局、萎縮効果が発生する懸念はあります。そうなってしまうと、実質的には適法利用、あるいは表現の自由に対する制約が出てくるかと思います。逆に、事前のフィルタリングを緩め過ぎますと、こういう仕組みを導入する意義が減殺されてしまうので、事前の自動処理によるフィルタリングと事後の救済の仕組みとのバランスが気になるところです。」(曽我部発言・前掲58頁)
EUは共同規制の枠組みで、きちんとステークホルダー間で協議するということが仕組み上、取り入れられているところですので、その辺りを全体として捉えないと、単純にノーティス・アンド・ステイダウンのところだけがつまみ食いされるとちょっと危険だなと思っています。」(中川発言・前掲60頁)
EUのスタンダード作成路線がもたらす、我が国への立法的な影響というのも今後、様々な議論をしていく必要があるのだと思います。」(生貝発言・前掲60頁)

■権利制限規定

「(日本の判例について)著作権を守るほうについては、創造的な判例が展開しているわけですけれども、表現の自由については、明示的にほとんど考慮されない状況があり、そこは非常にバランスを欠いているかと思います。」(曽我部発言・前掲62頁)

思えば、ここ数年、EU域内だけでなく、日本でも米国でも「デジタル社会における著作権」のあり方について、激しい議論が繰り広げられてきていた。
その成果は、日本では「平成30年著作権法改正」という形で結実したが、既に様々なところで指摘されているようにまだ制度化には至っていない事柄も多数あるわけで*6、その意味で、今回EUが出した一つの「回答」から得られる気づきは多々あるのではないか(それがEUエリートの思惑通り「グローバルスタンダード」になるかどうかはともかくとして)、と思うのである。

いずれにしても、良記事が多いジュリストの中でも、極めて秀逸な企画だと思うので、著作権周りにご関心のある方には、是非ご一読をお薦めしたい。

なお、本号では、いつもの「知財判例速報」(小林利明「商品形態模倣とモデルチェンジ後の商品の保護範囲」(知財高判平成31年1月24日)ジュリスト1533号8頁(2019年))のほかに、弥永先生の「会社法判例速報」(弥永真生「他人と誤認されるおそれのある商号の使用と『不正の目的』(知財高判平成31年2月14日)ジュリスト1533号2頁(2019年))や、「商事判例研究」(高野慧太「写真に基づく絵画制作と翻案の成否、題材としての価値と損害-舞妓写生会事件」(大阪地判平成28年7月19日)ジュリスト1533号108頁(2019年))にも知財系の判例評釈が掲載されている。

また、レギュラー連載の「知的財産法とビジネスの種」では、鼎談にも登場されている中川隆太郎弁護士が、商業建築デザインに関して、知財諸法による保護の実態と、昨今の法改正の動き等をコンパクトにまとめられており(中川隆太郎「商業建築デザインの保護と利用のバランス」ジュリスト1533号90頁(2019年))、こちらも資料価値は高い*7

読み終えた時に、本号が「知財特集号」のように思えた理由も、その辺にある。

特集 PPP/PFIの現在

これもジュリストらしい渋い企画で、メインの記事は、今や最高裁判事になられた宇賀克也・前東大教授が司会を務める座談会(宇賀克也[司会]=赤羽貴=榊原秀訓=寺田賢次=濱田禎「座談会 20年目をむかえたPPP/PFIジュリスト1533号12頁(2019年))。
自分が大学院に籍を置いていた21世紀の初め頃は、実務家教員が開講していた講座の中に「PFI」をテーマをするものも多く、導入当初はそれだけ日本国内での期待も大きかった、ということだろう。

座談会の中でも紹介されているように、モデルにした英国でPFI自体が下火、というか、世論の攻撃を浴びまくってほぼ絶滅の危機に瀕している、という実態は率直に見つめる必要があるし、法制度上「行政」と「それ以外」の間のギャップが大きい我が国で、民間のリソースを公共施設の運営に活用することの難しさも認識する必要はあると思うのだけれど、自分は民間に委ねるべき公共施設や社会インフラはまだまだあると思っているし、行政機関が「直営」するものと「民間委託」するものの選別や、委託する場合にサービスの質を下げずに効率的に運営させるためのインセンティブを与える仕組みづくり、といったところももう少し考えていく必要があるのではないかと感じている。

どこまでが「法」の役割なのか、というのはなかなか難しいところではあるのだけど、英国でも、上記のような役割分担やインセンティブ付与ルールは、すべて国・自治体と運営事業者との間の「契約」で決まっている、ということを考えれば、いわゆる行政法的アプローチを超えたところにまで踏み込んで、議論の幅を広げていかないといけないのではないか、と思うところである*8

連載 新時代の弁護士倫理

前号では、末尾の「研究者の視点から」のコメントがかなり強烈だったこの連載*9
今回は「弁護士報酬と預り金管理」をテーマに、引き続き座談会が行われている(高中正彦[司会]=石田京子=加戸茂樹=山中尚邦「弁護士報酬と預り金管理」ジュリスト1533号64頁(2019年))。

「弁護士報酬」に関しては、

「旧報酬規程と異なる独自の報酬体系を作るということは実際には容易ではありません。やむを得ない面もあるのではないかと思います。」(加戸発言・前掲65頁)

といったトラディッショナルな弁護士の実態から、一部の大衆系大型法律事務所の

「インターネット広告で広く事件を集めてくることができる弁護士は、広告中で弁護士報酬を分かりやすく掲載していることが多いと思いますが、逆に言うと、弁護士報酬について定額制など算定の容易な方式を採用しなければ顧客の勧誘ができないという関係にもあると思います。」(山中発言・前掲65頁)

という状況まで*10、現状が生々しく描かれているし、「債務整理事件処理の規律を定める規程」において、独禁法の抵触問題を回避して「上限規制」を盛り込んだ経緯や、「完全成功報酬制(コンティンジェント・フィー)」を認めるかどうかの議論等、興味を惹かれる内容は多い。

「1皿幾らという回転寿司屋のような明朗会計をするためには、定型的にせざるを得ないのですが、他方で仕事を定型的に処理するのは、それはそれで問題があるとされています。そこが弁護士業務のジレンマではないかと思います。」(加戸発言・前掲77頁)

というコメントに、弁護士報酬に関するすべての問題点が集約されているように自分は感じたし、自分自身、これから「自分の仕事にどれだけの値段を付けるのか?」ということを自問自答していかないといけない身だけに軽々にコメントしづらいところはあるのだが、弁護士だけでなく、「弁護士に依頼する人々(そして支払うフィーにいつも悩まされている人々)」にこそ読んでほしい記事だな、と思った次第。

なお、今回の「研究者の視点から」は比較的穏当なコメントに収まっているのだが、大澤彩教授の論稿(大澤彩「弁護士報酬と依頼者の『弱み』」ジュリスト1533号79頁(2019年))が、消費者契約法規制の枠を飛び越えて、

「事業者が依頼者である場合にも報酬の想定困難性は存在しうる。契約において一方当事者に存在する『弱み』は、時に『事業者』にも存在することから、『弱み』=消費者法の問題としてとらえるだけでは不十分であることを示している。」(79頁)

とまで踏み込んでいるのは、また別の意味でアグレッシブ、というべきなのかもしれない*11

*1:ジュリスト1533号ⅱ頁、52頁(2019年)

*2:DIRECTIVE (EU) 2019/790 on copyright and related rights in the Digital Single Market and amending Directives 96/9/EC and 2001/29/EC、 https://eur-lex.europa.eu/legal-content/EN/TXT/HTML/?uri=CELEX:32019L0790&from=EN

*3:例えばYou Tubeは、現在でもhttps://www.youtube.com/saveyourinternet/のようなキャンペーンを行っている。

*4:これらの解説も制定経緯を含めて非常にわかりやすく書かれている。

*5:本稿では、15条1項では、「適用されない場合」として以下の場合が明確に規定されていることが指摘されている。”private or non-commercial uses of press publications by individual users.””acts of hyperlinking.””in respect of the use of individual words or very short extracts of a press publication.”

*6:特に適正な利益配分に関する仕組みづくりに関しては、長らく停滞している印象がある。

*7:なお、中川弁護士は著作権法46条2号を根拠に「建築デザインが著作物でも、その写真を絵はがきとして販売するなどの行為につき著作権咎めることは、原則としてできない。」(前掲90頁)とさらっと書かれているが、絵はがきにしたくなるような建築物の場合、「美術の著作物」の要素を備えていることも多い(というか、「美術の著作物」から明示的に除外される、と判断する根拠がない)ことから、実務上は、法46条4号(「専ら美術の著作物の複製物の販売を目的として複製し、又はその複製物を販売する場合」)を拡大解釈して自制するか、許諾をもらいに行くことの方が多いのではないかと思う。蛇足ながら。

*8:既に日本国内でも、コンセッション契約の実例等は多々出てきているのだから・・・。

*9:最近の法律雑誌より~2019年5月号(ジュリスト、法律時報) - 企業法務戦士の雑感

*10:他に「事件受任前の法律相談料は無料という流れが相当程度に普及している」という状況等も指摘されている。

*11:個人的には、事業者から委任を受けた事件の報酬額についてまで外から介入するのは、さすがに行きすぎだと思っているのだけれど。

安易な「第三者委員会主義」への戒め。

月曜日の日経法務面、最近は担当記者の興味関心と自分の興味関心がマッチしていないせいか、週によって、主観的な”当たりはずれ”*1が大きいのだが、今回は中村直人弁護士の切れ味鋭いコメントに思わず目が留まった。

サブ的な位置づけの囲み記事*2だが、「相次ぐ品質不正・当事者の介入… 「第三者委は問題だらけ」」という見出しからしインパクトは強い。
そして、第三者委員会の「現状の問題点や、あるべき姿」について、某社の品質不正のケース(報告書公表後に新たな問題が発覚)や、不正統計問題をめぐる厚生労働省の報告書(当事者が作成に関与)の件などを挙げた上で、

「当事者と関わらない中立の立場でできる限り調査し、改善策を提示するのが本来の役割だ。」日本経済新聞2019年5月27日付朝刊・第11面、強調筆者、以下同じ。)

という大原則を指摘され、さらに、「求められる姿勢」として以下のように説かれる。

「2つのバイアスを排除する必要がある。1つは不祥事なのだから厳しく判断してほしいという世の中の期待だ。ただ裁判所にいったら勝てない証拠でクロと判断すべきではない。他方、依頼者にほどほどにしてほしいという希望がある場合も多いだろう。実際、第三者委が善管注意義務などの役員の責任まで認める例は少ない。証拠集めの限界を理由に責任を認める証拠はなかったと書くのは簡単だが無責任だ」

この辺のバランス感覚はお見事の一言に尽きる。

そして、スルガ銀行の調査時の例なども挙げつつ、

スルガ銀行でも3カ月間かけて膨大なメールなどを分析するデジタルフォレンジック(電子鑑識)をした。裁判所で通用する水準を意識し認定した事実は証拠とひもづけて報告書にまとめた
「ただ真摯に取り組んだ場合でも強制捜査権がないなど限界はある。そこで、どういう限界があったか説明するのが大切だ。調査できたことや証拠、認定ができなかったのはこの証拠がなかったからといった内容や足跡を報告書に残すべきだ」

と一歩踏み込んだコメントを残されているあたりにも、これまで成果を残されてきた超一流の実務家としての矜持が感じられる。

さらに興味深いのは、「真摯に取り組むべき」と指摘しつつも、以下のとおり昨今の風潮に釘をぐさりと刺しているくだり。

「調査の範囲自体も第三者委が決めるため、徹底的に調べる場合はタイムチャージで弁護士費用は高額になる。それをうまみがあるとみなす風潮はよくない。次の仕事につなげたいなどと考えれば依頼者との距離感を誤りかねない」

短いコラムながら、上記以外のコメントについても、まさに「御意!」と申し上げるしかない見事な現状分析と指摘だけに、読者の皆様にも是非ご一読をお薦めしたいところである。

・・・で、これに自分自身が気になっていることを付け加えるならば、そもそも「何でもかんでも第三者委員会にやらせる、という風潮自体がおかしくないか?」というのが今の問題意識。

これが、例えば調査前にメディア等に大々的に報道されたような事案で、中村弁護士も指摘されているような「世の中の期待」(これは当然、不祥事なんだから皆頭下げろ、首にしろ、といった〝悪い意味”での期待である)の重圧がのしかかっているような場面であれば、「中立的な第三者」に調査を委ね、解明された事実の下できちんと責任判断をしなければいけない、という要請は当然出てくる。
また、調査対象者が会社の最高幹部レベル、という場合も、社内調査だとどうしても萎縮効果が生じてしまうから、第三者の力を借りる、というのは理解できるところ。

しかし、最近の「第三者委員会報告書」の中には、まずきちんと社内の統制システムを機能させて調べ尽くすのが先なのでは?と思うものも結構見受けられるような気がする。
特に、現場レベルで起きている類の話*3を調査対象とするケースなどは、現場のことを分かっている社内の人間がまずきちんと調べた上で進めていかないと、いくら「第三者」を立てても、なかなか問題の本質にはたどり着けずに終わってしまうだろう。いくら「弁護士」の看板を持っている人でも、誰しもが調査対象の会社なり、業界なりの内情に必ずしも通じているわけではないのだから・・・。

また、子会社で起きた不祥事の調査を親会社が「第三者委員会」に投げる、というのも、個人的にはちょっと違和感があって、それ自体がグループガバナンスが機能していないことを表してしまっているように思えなくもない。

もちろん、自社のリソースだけでは十分な調査ができない、という時に外部のコンサル会社等から人を出してもらう、というのは有効な対策だし、フォレンジックのような踏み込んだ調査をするために専門的な業者を使うのも当然あり得ることだとは思うのだけれど、そこであえて「法律事務所」に依頼をかける必要は本来ないはず。

業界的には、上記で中村弁護士が釘を刺したような風潮もある、と聞くところだし、一義的にはそれが依頼を受ける側のモラルの問題だ、ということは言うまでもないのだけれど、そもそも依頼する側が安易に「第三者委員会」に依拠してしまうことも、問題の背景にはあるような気がしてならない。


自分は、何らかの「不祥事」と言えるような事象が起きた時にもっとも評価されるべきは「立派な第三者報告書を作らせた会社」ではなく、「トップが自ら主導して的確な社内調査を行った会社」だと思っている。そして、多くの場合「外野から見守る」立場になる我々が、対象会社の安易な「第三者委員会」への逃避を招かないような風潮を作っていかないといけないのではないかな、と、今強く感じているところである。

*1:もちろん、自分が興味がなかった、というだけで、記事としていいとか悪いとか、という話ではないので、誤解なきよう・・・。

*2:記事リンクは、https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20190527&ng=DGKKZO45212770U9A520C1TCJ000

*3:品質偽装などはその典型だし、先般話題になったNGT48の話なども、本来は中できちんと処理すべき話だと思う。

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