これが、日本ダービーだ。

先週日曜日、外国人騎手の騎乗馬がまたあっさり勝ってしまったこともあり、エントリー*1の中では、

「最後のダービーくらいは日本人騎手にも意地を見せてほしい」

と書いておきながら、深く考えずにサートゥルナーリアを本命&絶対軸に据えてしまった自分。
前走を余裕残しで勝ち切った無敗かつ超良血の皐月賞馬に死角なし、と考えたのが自分だけではなかったのは、「単勝1.6倍」という一本かぶりのオッズからも明らかだったのだが、今日のレースは、そんな安直な選択をした全ての者に深い反省を促すものだったように思う・・・。

11万人の大観衆を前に、いつになく入れ込みが激しかったサートゥルナーリアの鞍上は、これまた今回がダービー初騎乗のレーン騎手。
そして、そんな数少ない不安材料は、ゲートが開いた瞬間の出遅れ、という形で見事に露見した。

もし、今回”暴走”に近い大逃げ*2を打ったリオンリオンの鞍上が、経験の浅い横山武史騎手ではなく父親の方だったら、落ち着いたペースの中で本命馬が立て直すチャンスがあったかもしれない。

だが、超ハイペースの澱みない流れの中では、最初のちょっとしたリズムの狂いが最後まで響く。

角居厩舎の2頭目、本来であれば「ペースメーカー」の役回りを演じても不思議ではなかった最内枠のロジャーバローズが、2番手ながら最短の進路を通って事実上単騎逃げの形になり、失速したリオンリオンを横目に、前が止まらない馬場の特性を生かして”独走”態勢に入る。

そして、後続の混戦から抜け出してそれを追いかけられたのは、ダノンキングリーただ1頭だけ。

最後の直線、後方から追いかけて、さらに伸びてくるかと思われたサートゥルナーリアは、競り合いの中で再び沈み、最速の3ハロン上がりタイムを記録したもののヴェロックスの後塵まで拝する4着、馬券圏外へと消えた*3

前週のオークスをさらに上回る「2分22秒6」という驚異的なタイムと、勝ったロジャーバローズの93.1倍という単勝オッズを見れば、特殊なコースコンディションの下での特殊なレース、として片づけてしまうのは簡単だろう。

ただ、「波乱」といっても、皐月賞の上位3着はきっちり2~4着を占めており、勝ったロジャーバローズにも京都新聞杯2着の実績があること、1着、2着を占めたのはこのレースでも滅法強い(過去10年で4勝)ディープインパクト産駒であること、そして何より上位3頭に騎乗していたのは、今の日本を代表する一流騎手で、ダービーも何度も経験してきた浜中俊戸崎圭太川田将雅という騎手たちだったことを考えると、「不利な材料」が多すぎたサートゥルナーリアがこけただけで、数年後に見返せば至極順当な結果だった、と言われても決して不思議ではないような気がしている。


ちなみに、デビュー3年目に菊花賞を勝ち、その後、一時期、”ミッキー”を冠した馬たちの主戦騎手としてG1タイトルを獲りまくった浜中騎手も、ここ1,2年は何となく影が薄い存在になりかけていたのだが、実質昭和最後の年に生まれ、ちょうど30歳、という節目で迎えた彼が今年のダービーでタイトルを手に入れたことで、池添騎手、川田騎手に続く関西〝内国産”騎手の系譜を受け継ぐことができたのは実に良いめぐりあわせ。

また、ノーザンファームが上位を独占することも稀ではなかったこのレースで、ディープインパクト産とはいえ、勝った馬が新ひだか町(飛野牧場)、2着馬が浦河町(三嶋牧場)の生産馬だった、というのも、いろいろとワンパターンになりかけていた今の日本の競馬界の「この先」を考える上では一筋の光明になったのではないだろうか。

*1:気が付けば、昨秋の再来・・・。 - 企業法務戦士の雑感参照。

*2:さすがにダービーで最初の1000mを57秒8で飛ばす、というのは人気を背負った馬としてはあり得ないだろう、と・・・。

*3:ダービー初騎乗だったレーン騎手の問題を指摘する、という説明をするのは簡単なのだが、そのレーン騎手は、最終レースの目黒記念でこれまで戸崎騎手や北村友一騎手といった日本人の名手たちが手を焼いてきたルックトゥワイスの末脚を見事に引き出して(しかも驚異的なコースレコードで)同馬に初重賞のタイトルを獲らせており、本来であれば他の外国人騎手と比べても非の打ちどころがないようなレース運びをする騎手だけに、いかに「ダービー」の環境が過酷か、ということもまた改めて感じさせられた。

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最近の法律雑誌より~BUSINESS LAW JOURNAL 2019年7月号

月末に差し掛かってきたこともあるので、そろそろ法律雑誌の特集でも。

今月第一弾は、不定期購読のBLJ。
特集が「海外取引における最近のトラブル類型と対応策」ということで、ここは迷わず購入させていただいた。

Business Law Journal 2019年 07 月号 [雑誌]

Business Law Journal 2019年 07 月号 [雑誌]

定期購読されている方が既に感想をアップされている中(BLJ 2019年7月号 - dtk's blog(71B))、後追いになってしまう感はあるのだが、気づいた点をいくつか書き残しておくことにしたい。

特集「海外取引トラブルにおける法務担当者の役割」

企業内実務者の論稿が巻頭の1本のみ、それ以外は弁護士の解説記事、というBLJらしからぬ構成になっている、ということで不満をお持ちの読者もいらっしゃるのかもしれないが、個人的には中尾智三郎さん(三菱自動車法務部担当部長/三菱商事)の記事一本だけでインパクトは十分だし、「内側から見た海外取引法務」のエッセンスは概ね伝えきれているのではないかと思っている。

小見出しを抜粋するだけでも、「契約書はビジネスの取扱説明書」、「交渉では決裂を恐れない」、「契約交渉ではビジネスとの連携を図る」、「失敗事例から学ぶ再発防止策」、「契約の世界を現場に浸透させる」、「個々の専門性を磨く」と、この論稿がこの種の話のスタンダードテキストになっている、ということが分かるだろう。

もちろん、古くから海外をフィールドに事業を行い、それに対応した法務部門の体制も充実している商社、メーカーと、そうでない会社とでは、海外事業部門の「法務」に対する意識や、法務部門との関係に異なる面は多い。

冒頭の「契約書」の重要性を説かれるくだり一つとっても、

契約書の内容は、法務だけではなく事業部門の担当者もしっかりと把握していなければなりません。本来、契約書はビジネスの取扱説明書であり、ガイドラインとなるものだからです。」(中尾智三郎「海外取引トラブルにおける法務担当者の役割」BUSINESS LAW JOURNAL136号24頁(2019年)、強調筆者、以下同じ。)

というコメントには何の異論もないのだが、その前提となっている「事業部門の担当者の多くは、いまだビジネスと契約書は別個の存在であり、契約書は法務マターとして法務に一任しておけばよいと考えがち」というところは、そのまま当てはまらない会社も多いのではないかと思う*1

また、

交渉まで担当しないかぎり、契約書は『読めない』『書けない』『分からない』ように思います。」(前掲25頁)

というのも、本当におっしゃるとおりなのだが、契約交渉に法務部門が同席する習慣のない会社でそれを実現するためには、そこに至るまでの信頼関係を築くための地道な努力が必要で、そう簡単な話ではない。

トラブルへの対応に関しても、

「トラブル対応における最後の砦となるのは法務ですから、みんなが慌てていたとしても、冷静沈着でなければなりません。」
「実際、ビジネス現場が『相手が悪かった』と非難する場合の多くは『契約書が悪かった』事案であったりします。先に述べたように、基本的には契約書に書いてあることがすべてですから、『そうはいっても・・・』『理屈ではそうだけど・・・』といった言葉は禁句です。相手にとって裏切ったほうが得な契約書であったのならば、裏切られても仕方がないということです。」(前掲26頁)

と、いかにも商社の方らしいドライさが前面に出ているのだけど、事実を確認して、明らかに相手方の対応に非があると思えるような場合に、「契約書が悪いので無理ですね」などといってことを片付けてしまったら社内の法務部門の存在意義などない、と自分は思っていて、「振り返り」をする前に、屁理屈的な文言解釈でも、契約締結前のやり取りでも、使える材料は何でも使って”取り返す”努力はしていかないといけない*2

ということで、バックグラウンドの違いからくる突っ込みはいくつかあるのだけど、

「国際交渉において求められるのは、法律を振り回すことではなく、言葉を使い回してビジネスを実現することです。交渉の現場にいるのは『国際交渉人』であって『国際弁護士』ではありません。法務担当者は優秀な国際交渉人を目指すべきです。」(前掲25頁)
「複雑な契約書の交渉・作成を担った法務担当者には、締結後すぐに、交渉の経緯をまとめた引継書や解説書を残しておくことをお薦めします。」(25~26頁)*3
「法務の本質は、『処方』を出すことではなく、リスク分析や法解釈といった専門性を活かして、事業部門の担当者と一緒に、『怪我』のないビジネスを作り上げていくことにあるからです。」(前掲27頁)

といったフレーズには実務のエッセンスが凝縮されており、こういったところを読むだけでも、今回の特集目当てに一冊買った甲斐はあったなぁ、と思った次第。

なお、中尾氏の豊富なご経験に基づく実務エッセンスと世界観をより堪能したい方には、昨年出版された以下の書籍を強くお勧めしておく。
(海外法務に関する書籍としては、現時点ではナンバー1だと自分は思っている。)

英文契約の考え方

英文契約の考え方


本特集のそれ以外の論稿は、弁護士が書かれた各論で淡々と読むしかなかったのだが、仲裁や事実上の対処法まで言及されている江口拓哉弁護士の論稿*4を除くと、「最近のトラブル類型と対応策」というテーマには必ずしもマッチしていないような気がした*5

また、全体的に取引類型に偏りがあるのも気になるところで、読者構成を考慮すると、代理店契約や調達契約、技術ライセンス契約がメインになってしまうのは仕方ないとしても、このご時世、もう少しO&Mとか、サービスノウハウ移転系の話にまで踏み込んで書いてもらえるとよいのだけどな、というのが、率直な感想である。

辛口法律書レビュー(2019年4月)

数ある連載記事の中でも、断トツでぶっ飛んでいるこの企画がまだ続いている、というのが自分は本当に嬉しい。

今月は「改訂新版 良いウェブサービスを支える『利用規約』の作り方」を「必読の一冊」として持ち上げつつ、

「中級者にとっては、本書のツッコミポイントをいくつ探せるかというのが、自分が中級者に成長したかどうかを測るバロメーターになるのである。」(企業法務系ブロガー「辛口法律書レビュー」BUSINESS LAW JOURNAL136号134頁)

と、ネタから本質的な指摘まで、こと細かく突っ込みを入れていく、といういつもながらの心憎い構成になっている。

自分はまだこの「改訂新版」を入手していないので、あくまでronnorさんの指摘を追いかけているだけなのだが、例えば「類似の他社サービスの利用規約を『部分的にマネしても基本的には法律上問題とならない』」というくだりに関して平成26年東京地裁判決*6に言及すべき、というのはその通りだと思うし、「法改正対応」と帯に書きながら、創設される定型約款規制について詳述していない、ということなのであれば、それはさすがに・・・と思うところもある*7

ちなみに、自分は、ここで取り上げられている書籍の初版が出た時に、以下のようなエントリーを書いた。

k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

なので、今回の「辛口法律書レビュー」の中では取り上げられていない部分(『契約関係』の整理・把握関係の記述について、どこまで改訂新版で踏み込めたか)の方に自分の関心も向いていたりするのだが、その辺は実際に読む機会があれば、改めて書いてみることにしたい。

その他の記事

自分の習性で(しかも今は時間的な余裕もあるので)、隅から隅まで目を通してみたのだけど、久しぶりに通常号を読むと、全体的に記事の中身がマニアックな方向に行ってないか、言い換えるとNBL化」してないか?というのが、ちょっと気になってしまった。

元々この雑誌は、編集部の方々の″実務目線”への強いこだわりの下、「企業内の法務の第一線で働いている人に本当に必要な情報を届ける」というコンセプトでできたものだったはず。だからこそ、以前は外部の弁護士の論稿も、単純に持ち込まれたものではなく、一定の企画コンセプトの下で組み立てられたものが多かったし、実名でも匿名でも生々しいコメントをそういった記事に添えることで、他の商業法律雑誌とは一線を画すものが出来上がっていたのだと思っている。

年月が経ち、様々な事情はあるのだと思うけど、自分は、BLJが、「書き手のニーズ」ではなく、「読み手のニーズ」に合わせた雑誌であり続けてくれることを願っているので、ここで改めて・・・*8

*1:「一任」という名の「丸投げ」ではさすがに困るが、どちらかと言えば「法務に関係しそうな中身はないのでこのまま進めます」と言い張る海外事業部門の担当者に「早期に法務部門にレビューさせる」習慣を身に付けてもらうことの方に、自分は多くの時間を割いており、「早く契約書のドラフトをこっちに回せ!」と叫んだことは一度や二度ではない。

*2:そして、それが奏功して良い流れに変わることだって現実には多々ある。その意味で「契約書」が全てではない、と自分は思っている。

*3:自分はここまですればベスト(実際にそこまでする気力体力があるかどうかは別として)、という点については何ら異論はないのだが、後々トラブルが生じた時に、そこに書かれた内容(交渉経緯時のやり取りをベースにした解釈)に縛られ過ぎると、かえって柔軟な解決を妨げるおそれもあるので、その点にだけは留意すべきだろう。先ほどの例とは逆に、自社の方が(契約当初の相手方の思惑に反して)“不誠実”にふるまわないといけないことだってあるのだから。

*4:「中国・ASEAN企業と締結する調達・販売契約のトラブルとその対応策」BUSINESS LAW JOURNAL 136号51頁(2019年)

*5:「トラブルを防ぐために契約書にこう書きましょう」というのは、「トラブルへの対応」という主題とは別の話だと個人的には思っているので。

*6:「規約」の著作権侵害が認められてしまった驚くべき事例。 - 企業法務戦士の雑感参照。

*7:ronnor氏が注6で書いている「不当条項規制」に関しては、自分なら実質的に変わるところはない(消費者契約法の規制をきっちりフォローしておけば良い)、とあっさり書いてしまうだろうが、改正民法施行に伴い約款をめぐるクレーム、トラブルが増加する可能性は否定できないだけに、このタイミングで出版するのであれば、そういった時の対応についてもきっちり書いておくのが望ましいだろうと思う。

*8:本編の記事よりも、広告として掲載されている早稲田大学大学院の「知的財産法LLMコース」に関する高林龍先生+修了生の対談記事の方が、BLJっぽい、と思ってしまったくらいだから。

他人事、とは笑えないお話。

コンプライアンス系の話をするときに、ニュース等で話題になった他社事例を引っ張ってきてネタにする、というのは、どこの会社でもやっていることだと思うのだけれど、特にその手法が有効な商標の世界で、ドキッとするようなニュースが流れていた。

headlines.yahoo.co.jp

大分市がJR大分駅前に整備中の広場「祝祭広場」の名称が、商標権を侵害するおそれがあるとして使用に待ったがかかっている。同じ名称を「阪急阪神百貨店」(大阪市)が商標登録し、催事場で使っているためだ。阪急側は無断使用は認められないと昨年3月に使用中止を申し入れた。このため、市は平仮名の「の」を入れて「祝祭の広場」と名称を変更することで解決を図ろうとしている。」

確かに検索すると、登録第5562650号、株式会社 阪急阪神百貨店を権利者として、2013年3月1日に登録されている。
登録区分は以下のとおり。

第41類 美術品の展示,映画・演芸・演劇又は音楽の演奏の興行の企画又は運営,演芸の上演,演劇の演出又は上演,音楽の演奏,スポーツの興行の企画・運営又は開催,お祭りを主とする催事の企画・運営又は開催,くじ引き興行の企画・運営又は開催,ゲームショーの企画・運営又は開催,キャラクターショーに関する興行の企画・運営又は開催,デザインに関する展示会の企画・運営又は開催,デザインコンテストの企画・運営又は開催,ファッションショーの企画・運営又は開催,フォトコンテストの企画・運営又は開催,フラワーアレンジメントに関する展示会の企画・運営,フリーマーケット興行の企画・運営又は開催,食に関するイベントの企画・運営又は開催,料理に関するコンテストの企画・運営及び開催,興行の企画・運営又は開催(映画・演芸・演劇・音楽の演奏の興行及びスポーツ・競馬・競輪・競艇小型自動車競走の興行に関するものを除く。),映画・演芸・演劇・音楽又は教育研修のための施設の提供

今回のケースでは、相手が大分市、という自治体なので、第41類の役務で「業として」使用しているのかどうか、ということも一応論点にはなってくると思うが、広場でのイベント等を何らかの対価を得て開催する、という可能性を消したくなければ、今のうちに素直に頭を下げておく方が良い、というのが市側の判断だったのだろう。

で、この記事の、

「「祝祭広場」の名称は阪急が13年3月に特許庁に商標登録し、「阪急うめだ本店」9階の催事場を「祝祭広場」と呼んでいたことが判明。無断使用に気付いた阪急側が使用中止を申し入れると、市は「まだ正式名称ではない」「大阪市から距離があり、混同される可能性が低い」と釈明。商標登録されているかは確認していなかったという。」(強調筆者)

といったくだりなどを見ると、市側が何となく間抜けな感じに見えてしまうところはある。
特に、日頃から「新商品なり新サービスを出すときには、第三者登録商標の有無を確認しろ!」と口うるさく言われている会社の人であればなおさらだろう。

だが、いざ、担当者としてこういう話に直面した時に、ここで問題になっているような「広場」の名称についてまで他人の登録商標を意識しないといけない、という発想がすぐに出てくる自信は自分にはない。しかも「広場」に付けられているのは、決して独創的な名称ではない「祝祭」というありふれたフレーズである。

阪急阪神百貨店は、この商標を出願してから、わずか4か月ちょっとで登録査定まで得ているから、審査官はこの商標の識別力に特段の疑義を抱かなかったのかもしれないが、外野から見たら「もうちょっと慎重に審査しろよ・・・」と言いたくなるような識別力の弱い商標で、担当者がオープン前から笑いものにされてしまうのであれば、ずいぶんと気の毒な話だと言わざるを得ない*1

実のところ、こういう話って結構あって、今回問題になっている「○○広場」に関しては、ざっと240件超の商標登録がなされているし、第41類関係のものだけに絞っても50件程度は残る。そして、「えがお広場」(登録第5297171号)が登録されてます、とか、「クリスタル広場」(登録第5921871号)が登録されてます、と言ったところで、ピンとくる人はそんなにいないはず。

更に同じ催事系でも、「○○市場」とかになってくるともっと深刻で、一般的にこの名称に関係する第35類(小売)は、すべての商品区分とクロスサーチされてしまうので、どんな名前を付けても、まぁまぁ類似する第三者商標がヒットしてしまう、という悲惨な事態になりがちだ。

今回の大分市の「祝祭(の)広場」のように、常設、かつ再開発の目玉のようなスポットの名称、かつ正式オープン前、ということであれば、ちょっとでも疑義が生じたらさっさと変えてしまうにこしたことはないと思うのだが、仮設会場での1週間の期間限定のイベントで、しかも「プレス告知済み、パンフレットも全部刷ってしまいました!」と現場の事業部門の担当者が駆け込んできたときに、「いやいや、1年でも1週間でも1日でも商標権侵害になることに変わりはないのだから」と杓子定規にリスク回避策(端的に言えば全部差し替え)を指示するのか、「とりあえず商標権者に連絡しよう!」と寝た子を起こすリスクを冒すのか、それとも、第三者商標の識別力の強弱や、現実的な誤認混同の可能性、さらには万が一訴えられた場合のダメージの大小*2を見定めて「スルー」するか・・・。

どれが正解、というものでもないだけに、ここは対応する法務・知財担当者それぞれの腕が試されるところで、そういう意味でもこの大分市の一件は、素材として使えるところが多いな*3、と思った次第である。

*1:この大分市の「広場」自体、予算や安全性の関係で構想が若干迷走しているところもあるようだし(祝祭広場の目玉混乱 「検証甘い」大分市に批判 - 大分のニュースなら 大分合同新聞プレミアムオンライン Gate)、それだけにちょっとしたことで地元のメディアが過剰反応してしまっているところがあるのかもしれないが(そもそも、Googleで検索すると「祝祭広場」という名称を公共の広場の名称として使っているところは他にも出てきて、阪急阪神百貨店が全ての広場管理者に使用中止申し入れをしているのか、それともなぜか大分市にだけ申し入れを行ったのか、判然としないところはある。)、いずれにせよ担当者を責めるのは酷な事案だと思っている。

*2:特にイベントの規模や想定される売上・利益等の数字がカギ。

*3:逆に、この種の“微妙”な商標を持っている権利者の立場で「どこまで権利を主張するか」を考える素材としても使えるかもしれない。今回の「祝祭広場」自体は、梅田のランドマークの一つのような存在で、季節ごとにこんな素敵なプロモ(“祝祭広場のクリスマスマーケット” performed by H ZETTRIO 【Official MV】 - YouTube)も作ってしまうようなスポットの名称だから、権利者としても自信を持って申し入れをしたのかもしれないが、そこまでメジャーな名称でなかった場合にどうするか、というのも常に考えないといけない話である。

切り返しの「正論」と、大学発特許をめぐる根源的な問題と。

先月もこのブログで少し取り上げて、それなりに読んでいただけた↓という記事がある。

k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

そして、22日に小野薬品が「PD-1特許に関する報道を受けての当社コメント」というプレスリリース(https://www.ono.co.jp/jpnw/PDF/n19_0522_2.pdf)を出したことを受けて、日経紙に再び以下のような記事が載った。

小野薬「特許契約は妥当」 料率見直しを否定、京大に寄付検討 オプジーボ対価巡り本庶氏に反論
小野薬品工業は22日、本庶佑京都大学特別教授ががん免疫薬を巡る特許料率の見直しを求めていることに対して「両者の合意のもと締結した」とのコメントを発表した。「今後も契約に基づき対価を支払う」と料率見直しに否定的な姿勢を示した。特許収入の分配に関する争いが長引けば今後、両者の研究開発にも影響を及ぼしかねない。」(日本経済新聞2019年5月23日付朝刊・第3面、強調筆者、以下同じ。)

日経紙のこれまでの論調とも共通するのだが、今回の記事も一見するとどうしても、「小野薬品側が(不当に)ごねて」いるように見えてしまう。

だが、小野薬品側のプレスリリースの内容自体は、

「先般より報道されておりますPD-1特許に関するライセンス契約につきましては、本庶教授と当社が合意の下、2006年に締結しております。そして、2014年より契約に基づく対価をお支払いしており、今後も契約に基づく対価を四半期ごとにお支払いして参ります。」
「また、2011年に本庶教授から当社に要請のあった契約の見直しに対しても誠意をもって話し合いを続けて参りましたが合意に至らず、2018年11月に本庶教授に対し、対価の上乗せという枠組みではなく将来の基礎研究の促進や若手研究者の育成に資するという趣旨から京都大学への寄付を検討している旨、申し入れています。」

といった内容であり、小野薬品側は、当ブログでも前回のエントリーで”出発点”と指摘した、契約締結時の双方の「合意」の存在を指摘するとともに、その内容どおりの「対価」を支払っている(契約上の義務を履行している)、ということを淡々と説明しているだけである。
そして、対価を上回る部分に関しては、会社側から「寄付」という形での対価支払を申し出ることで、本庶教授側の主張に実質的に歩み寄ろうとしているだから、一般的には合理的な対応だと言えるように思われる*1

既に前回のエントリーで書いた通り、「一度契約で定めた以上、その締結過程に意思表示の瑕疵等が認められない限り、契約当事者は契約内容を履行すれば足り、(契約内容の見直し条項等の特殊な条項が盛り込まれていない限り)当初の想定から事後的に状況が変わったからと言って、再交渉したり契約を再締結する義務までは負わない」というのが、取引法務の世界での一般的な理解で、その意味で、契約改訂ではなく契約外の「寄付」の方で処理しようとする小野薬品側の対応はまさに「正論」に他ならない。

もちろん、本庶教授もその他の大学関係者も、契約がなされた2006年の時点においては(そして今でも)、ライセンス取引の世界のプロではなかったのだから、ここで事業者側の常識を押し付けて「いい加減に静まれ!」というのはさすがに酷な面もある。
また、多くの開発案件を平行して抱え、実績が上振れしようが下振れしようが、契約時点の「決め」で整理する、という割り切りをしないとバランスが取れない事業者側と、一つの発明、一つの特許に全てをかけている研究者側*2とでは、当然一つの契約への思いも大きく異なる、という前提はしっかり理解しておかないと、話を前向きに進めることは難しいだろう。

ただ、「寄付」という、フレキシブルかつ段階的に本庶教授や大学側のニーズを満たせる可能性がある“大人の解決”を提案してきている小野薬品に対し、

「提示された金額は以前に受けた特許料率の引き上げ提案と比べると悪くなっていた」(同上)

と交渉過程の話まで持ち出し*3

以前の提案を復活させないなら訴訟提起を検討する」(同上)

と引き続き拳を振り上げている本庶教授側のスタンスは、(たとえこれが寄付の増額を勝ち取るための一種の戦術だとしても)あまり良い印象を与えるものではない。

そして、泥仕合の訴訟で、せっかくの大発明、大ヒット製品の価値を下げることのないように、双方が適度に折り合いを付けてことが解決することを外野の人間としては願うばかりである。

なお、同じ日の日経紙には、関連して複数の識者による「大学発医薬特許 どう生かす」という特集も掲載されていた*4

知的財産戦略ネットワーク社長の秋元浩氏(元武田薬品工業常務)が訴える「大学の側にも特許交渉をしっかりできる人材が必要」という提言はまさにその通りだと思うし、大学の側で長く知財移転にかかわってこられた東京大学TLO副社長の本田圭子氏の経験を交えたコメントにも非常に読み応えはあるのだが、最近「共有」と何かと縁が深い者としては、隅蔵康一・政策研究大学院大教授が現在の「特許法73条(第3項)」(「特許権が共有に係るときは、各共有者は、他の共有者の同意を得なければ、その特許権について専用実施権を設定し、又は他人に通常実施権を許諾することができない。」)に係る問題点を指摘しているくだりが、一番興味深かった。

「両者の対立を見て思うのは、特許制度に問題があるのではないかということだ。特許権の共有について定める特許法73条によると、産学で共有する特許をどちらかが第三者にライセンス許諾しようとする場合、もう一方の共有者の同意が必要だ。共有者の一方が自分の持ち分を第三者に譲渡する場合も、同じように同意を得なくてはならない。このため、大学が企業と共有する特許をどこか別の企業にライセンスしたい場合、共同研究相手の企業はそれを拒否できる。逆もありうるが、大学は権利を行使しない代わりに、企業からある種の補償金を受け取る場合が多い。最初に共同研究契約を結ぶ際に、そうした取り決めをする。本庶氏のケースは同氏個人と企業の契約で補償金の話も出ておらず、あてはまらないかもしれない。しかし、現行制度では企業が自由に特許を使える一方、大学にはそれができないという構図ができあがりやすいのは確かだ。補償金に法的根拠はなく、企業は大学との「お付き合い」を続けるための費用ととらえている向きもある。大学に実績や交渉力がないと、金額はかなり低いようだ。」(日本経済新聞2019年5月23日付朝刊・第6面)

まぁ、そういう側面もあるよね*5、と思う一方で、自分の過去の経験の中では、特許権を共有する会社側から「不実施補償を支払う代わりに、大学の方で自由にライセンス先を見つけて実施料を取れるようにしていただいて構いませんよ」と提案しても、「こちらにはそんなノウハウはないので、あくまで『貴社が』補償金を払ってほしい」と返されることが多かったし、隅蔵教授が続いて指摘する「米国では共有せず、共同研究の成果であっても大学が単独で特許を得るのが一般的だ」という話にしても、「権利は欲しい(と先生が言っている)けど、予算の制約があるので、共有にして貴社で〇(ここには通常「5」よりも大きい数字が入る)割は負担してほしい」と言われて共有にする、というケースが多かったような気がする。

さすがに最近だと、意識も多少変わってきているのかもしれないし、だとすると、特許法73条をいじることで状況が変わってくる可能性があるのかもしれないが*6、研究開発を始めた時点ではもちろん、出願の時点でも、まだ大きな果実を得られるかどうかわからない、という「特許」の難しさを考えると、お金の使い方に関しては何かと世知辛い日本で特許活用のための大胆な取り決めを期待するのはどうなのかな? という疑問は消えないところである。

*1:23日付の記事にも「特許契約時の説明内容が不正確」という本庶教授側のコメントが記載されているから、この部分の中身によっては、結論を左右する可能性がないとは言えないが、締結前にドラフトが適切に開示されており、その内容を誤認させるような説明がなされたわけでもないのであれば、詐欺、錯誤、という話にもおそらくはならないだろう。

*2:こういう話をすると、昔、職務発明に関する議論が盛り上がっていた時に、中山一郎教授の論文で「イノベーション宝くじ論」というフレーズが使われていたのをふと思い出す・・・。

*3:これは言うなれば、本庶教授・京大側の「交渉下手」を露呈するような話でもあって、声高に言うようなことではない、と個人的には思うところ。

*4:2019年5月23日付朝刊・第6面。

*5:そもそも知的財産権の共有に関するルールは、民法の一般的な共有のルールと比べても「管理」する行為について共有者間での制約が強い、という実態もあるので。

*6:自己実施だけでなくライセンスも各共有者がそれぞれ自由に行える、というようにデフォルトルールが変われば、特定の企業(共有権者)に独占的な実施権が与えられる場合の価値も変わってくるのは確かで、あとは、共有相手の企業から「独占的な実施権などいりません」と言われたときに大学側で自らライセンス先を探しにいくだけの度量があるかどうか(73条3項をいじれば、「不実施補償」の理論的根拠が完全になくなってしまうので・・・)、という話になってくる。

Ruth Bader Ginsburg判事の人生と、これからの自分と。

よく考えたら、もう2年くらい出張の飛行機の中でくらいしか映画というものを見ていなかったな、ということに気が付いて、久々に映画館に足を運んだ。

www.finefilms.co.jp

86歳を迎えた現在でも、米国連邦最高裁で現役の判事として活躍されているルース・ベイダー・ギンズバーグ氏がこれまで歩んでこられた道のりと「今」を描いた硬めのノンフィクションで、法クラ関係者以外に見る人がどれくらいいるんだろうな?と半信半疑だったのだが、上映館の中はほぼ満席。そして、自分も、前宣伝で抱いた期待以上に素晴らしい仕上がりの作品だな、という印象を抱いた。

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(以下、ネタバレ注意)

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「魂」は燃え尽きたのか?

正直言うと、最近の日本のプロ野球には、もはやほとんど興味を惹かれなくなってしまっているのだが、やはり自分と同世代の選手の「引退劇」となると話は別だ。

「日米で活躍、通算100勝、100セーブ(S)、100ホールドの「トリプル100」を達成した巨人・上原浩治投手(44)が20日、東京都内で記者会見し、「本日をもちまして、21年間の現役生活を終えたいと思います」と涙を浮かべながら、現役引退を表明した。」(日本経済新聞2019年5月21日付朝刊・第37面)

上原浩治、という選手は、バリバリの大阪出身ながら逆指名で巨人入りした時点で、長年虎ファンだった者としては全く応援できる要素のない選手だった。
しかも、学生時代はリーグ戦でほぼ無敵、全日本大学選手権でも好投してスカウトの目に留まり、国際大会でも好投して名を挙げた「超目玉」選手。

プロに入ってくる選手たちの多くが華々しく甲子園で活躍したり、関東、関西の名門大学でならした選手たち、ということを考えると、「高校時代は地区予選敗退の学校で控え投手、一般入試で一浪した末にさほど名門とは言えない地元の体育大学に入った」というあたりまでは共感できるところもあったのだけれど、その後のプロ入りまでの過程はあまりに順調で、しかもプロ1年目から華々しい活躍を遂げたこともあって、当時流行語にまでなった「雑草魂」という彼のシンボルワードも、自分はどことなく覚めた目で眺めていた。

そんな心境が変わったのは、シーズンを重ねるごとに、上原投手から読売巨人軍の選手らしくないな」という雰囲気がにじみ出るようになってきたからだろうか。

まず、ピッチングスタイルが、先発完投型の「大エース」だった頃から何となく軽い。
もちろん制球力は抜群だし、ストレートの切れが良いから三振もとれて、敵方のファンとしては絶対に出てきてほしくない投手の一人ではあったのだけれど、伝統的に、新人でも移籍組でも、いわゆる「本格派」タイプのピッチャーがかき集められる傾向が強い巨人*1の中では、″あまりオーラを感じない”という点で、自分は「巨人にしては異色だな」という印象をずっと受けていた。

そして、何よりも秀逸だったのは、入団して6シーズン目くらいから、毎年のように「メジャーに行きたい」と連呼していたこと。
巨人のエースとして最多勝2回、最優秀防御率2回、沢村賞まで2度受賞。
普通にやっていれば、その地位に安住できたはずなのにそれをしない。

結果、オフシーズンのフロントとの対立は、2009年にFAでオリオールズに移籍するまで定例行事として続くことになったし*2、その過程で、原辰徳監督から、おそらく本意ではなかっただろう「クローザー転向」の指令。実績は残したものの、「先発復帰」を直訴した翌シーズンは途中まで一軍登板もままならず・・・。

今思えば、メジャーリーグに挑むまでの、山あり谷ありの最後の数年こそが、上原投手の″雑草魂”の真骨頂だったような気がする。

もちろん、渡米後も一筋縄ではいかない。
オリオールズに迎えられた1年目こそ、先発ローテーションに入っていたものの、故障に見舞われたこともあって、翌年以降はもっぱらセットアッパー、時々クローザーといった感じでいいように使いまわされる。

一足先に渡米していた同期入団の松坂大輔投手が、先発で2ケタ勝利を挙げて活躍していたのと比べると、どうしても実績では見劣りしていたし、当時は「もっと早くメジャーに行っておけば良かったのでは?」という雰囲気の方が強かったように思う。

だが、継続こそ力なり。

日本から渡った先発力投型の他のピッチャーが故障禍でキャリアを中断する中、オリオールズ、レンジャーズとチームを渡り歩くごとに地位を確立し、3球団目のボストン・レッドソックスでは遂にクローザーに定着。ポストシーズンでも大活躍し、日本人史上初のワールドシリーズ胴上げ投手の栄誉まで手に入れた。

渡米2年目の2010年以降、米国でのラストシーズンとなった2017年まで、8シーズンも続けてコンスタントに投げ続けた日本人投手というのは他に例を見ないし、日本時代を上回る「436」という登板数と、95セーブ、81HPという数字、そして、日本時代を上回る防御率奪三振率の実績は、いくら評価してもし足りないことはないだろう。

記者会見で、「トリプル100(勝利数、ホールド数、セーブ数)」に関して、

「中途半端に先発も中継ぎも抑えもやってしまったかな」

とコメントしたと報じられていることからしても、米国での彼のポジションは、渡米前に自身がイメージしていたものとはだいぶ違ったのかもしれないな、と思うところはある。

ただ、先発へのこだわりを捨てて、ブルペンで自分のストロングポイントを徹底的に磨き上げた結果がMLBでの実働9年、という長期の活躍につながったことを考えると、アスリートとして生き抜いたそのしたたかさに感服するほかないし、日本でのその前の10年間よりも、この「9年間」に上原投手の本当の魅力(マウンドでの立ち振る舞いも含め)が凝縮されていたのではないか、と自分は思っている*3

*1:例外を挙げるとしたら桑田真澄投手くらいだろう。

*2:それでも結果的に喧嘩して飛び出すところまでには至らずに、FA権取得まで待った、というあたりが巨人の選手ならではなのかもしれないが・・・。

*3:もちろん、この間、彼が「巨人」のユニフォームを着ていなかった、ということも大なり小なり自分の評価に影響を与えているとは思うのだが(笑)。

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企業の「内部浄化」に期待することの虚しさ

小さい記事ではあるのだけど、ちょっと気になった「不祥事、監査役に優先報告 経産省指針 内部調査もみ消し防ぐ」という見出しの日経の記事。

経済産業省が新たにまとめるグループ会社の企業統治(ガバナンス)に関する指針の内容が分かった。企業の内部監査部門が経営陣の関与が疑われる不正を確認した際、経営陣ではなく監査役への報告を優先させる規定を設けるよう求める。問題のもみ消しを防ぐ狙いだ。グループ会社やサプライチェーンも含めたサイバー攻撃対策の策定にも着手するよう促す。」(日本経済新聞2019年5月20日付朝刊・第3面、強調筆者。)

おそらく、これは数日前のエントリー(「法務」はどこに居るべきなのか? - 企業法務戦士の雑感)でも引用した経産省のCGS研究会第2期の報告書*1の話をしているのだろう。

そして、現在報告書案の中で押し出されている「3線ディフェンス」の思想に基づき、「守りのガバナンスにおけるゲートキーパー」と位置付けられている「監査役(監査等委員会、監査委員会)」に第3線の内部監査部門等と連携した対応を求めることで、企業の内部統制機能を十全たらしめよう、というのが考え方の根底にあるのだと思われる。

これまでのエントリーでも時々つぶやいてきた通り、自分は「経済産業省」という役所が旗を振って、各企業や企業グループのマネジメントに、ああだこうだと“教科書”的なご高説を述べてくる、という最近の風潮があまり好きではない。

本来、各企業のマネジメントに関して「これが正解」などというものは存在しないはずだし、様々な失敗事例の“結果論”からどうのこうの後付けの議論をし、形だけそれを取り入れてもうまく機能するとは限らないし、個々の企業の組織の構図や歴史的背景を無視してそういったものを入れるとかえって逆効果になってしまうおそれすらある。

拘束力のない指針で、“ベストプラクティス”の例示に過ぎない、といったところで、役所のクレジットで公表すれば相応のインパクトはどうしても生じてしまうし、それを都合よく利用しようとする輩も世の中には大勢いるのだから、現状分析までならまだしも、本当の意味で“実務”を知らない人たちが、踏み込んだ「提言」までするのは勘弁してくれ・・・というのが素直な思いだった。

今回、CGS研究会(第2期)で分析、検討されている内容に関しても、「第2線」の中の法務部門の位置づけ等、安易に一般化してほしくないものは多々ある。

ただ、「不祥事対応」、それもトップやそれに近いところが”旗振り役”になってしまう「トップダウン型不祥事」への組織的な対応をどうするか、という点については、他にオフィシャルな提言をしてくれる権威ある機関があまりない、というのも事実だし、それこそ、社内の弱小部門の人間がいくら議論して提案しても、まともに取り合ってもらいにくい話だけに、どういう形であれ、何らかの問題提起をしていただけるなら、それが誰かの救いになるところもあるかもな、と思わずにはいられない。

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