どこまでも、完璧過ぎたから・・・。

ディープインパクトが、逝った。

自分は「強すぎる馬」は決して好きではない。
大きいレースになればなるほど、”絶対的本命”視された馬に、何かとケチを付けて買わない口実を探し、結果的には順当に収まっているのに、「今日は運がなかっただけ」と呟くしょうもない人間である。

だから、「無敗の三冠馬」、「4歳で国内GI4連勝」、「引退レースでも完璧なまでの勝利」、「種牡馬としてもGI馬続々輩出」、「7年連続リーディングサイヤーと、まぁ普通に眺めれば非の打ちどころがないこのタイプの馬に熱狂する要素は本来何一つない。

それでも、なぜか現役時代から、この馬だけはあまり嫌いにはなれなかった。いや、むしろ、なぜか大レースの時はこの馬を応援していた*1

当時、先々の見通しがあまり立っておらず、迷走していた自分にとって、「無敗のまま全ての中長距離GⅠレースを制覇してくれるんじゃないか」とか*2「日本馬初の凱旋門賞に手が届くんじゃないか」*3といった、途方もないことを実現する一歩手前まで突き抜けてくれるこの馬の存在は、一種の希望だったのか・・・。

種牡馬になってからは、高額な種付け料や、「親のブランド」に起因する高評価の割に、産駒が大舞台では今一つ力を発揮できていなかったことなどから、ディープインパクトに対してはシニカルな目を向けていたことが多かったし、実際、自分が好きなキングカメハメハハーツクライに比べると種牡馬としての力は一枚落ちるのではないかな、と思いながら見ていたところはある。

だけど、まだ産駒が第一線で活躍しているさなかに訃報に接し、金子真人オーナーから池江泰郎調教師、市川昭彦厩務員に武豊騎手まで、現役時代に関わった方々のコメントを見聞きすると、一気に記憶は遡り「やっぱり偉大な馬だったんだよなぁ」という思いと、「もう少し長生きして「余生」まで楽しんでほしかったな」という思いが、どうしても湧いてきてしまう。

17歳、と聞くと早いようだけど、先日亡くなったウォッカディープインパクトより何年か下の世代だし、種牡馬組では同世代のカネヒキリも既にこの世を去っている。
そもそも、父・サンデーサイレンスも、長く種牡馬として活躍していたような気がしたけど、亡くなったのは16歳の時のこと*4

ゆえに、早逝を惜しむより、「デビューしてから亡くなるまで、最後まで優等生として、衰えた姿を見せることなく生き切った」ことを称えるべきなのかもしれないが、あと数年も経てばデビューする馬の父馬の欄から「ディープインパクト」が消えるかと思うと、やっぱり寂しく感じるところはある。

果たしてこの先、ディープインパクトのサイヤーラインが順当に継承されるのか、それとも「母父」という形でしか生き残ることができないのか、そういったところは運に委ねるほかないのだけれど、最後は、13年前の有馬記念を見て自分が感じたことをありのまま書いた当時のエントリーをアップすることで、最大の哀悼の意を表することとしたい。

k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

*1:さすがに単独で馬券を買ったのは、「三冠」がかかった3歳の菊花賞単勝一度きりで、あとは応援しつつワイドの2‐3着の組み合わせを探すか、3連単、3連複の軸馬として活用する程度だったと思うが、熱狂的に応援していたナリタブライアンが絡む馬券ですら、クラシック三冠の時までは一切買っていなかった人間としては、かなり珍しいケースである。

*2:残念ながら3歳最後の有馬記念で、刺客ハーツクライに足元を掬われてこの夢は途絶えた。皮肉なことに、種牡馬になってからはハーツクライ産駒の方が自分の好みだったりもする。

*3:これも残念ながら・・・というか、かなり悲劇的な結末となってしまった。

*4:ちなみに、サンデーサイレンスがこの世を去った2002年に生まれたのがディープインパクト。こういう歴史は繰り返すものだけに、今年セレクトセールで落札された当歳馬の中にいた2019年生まれのディープインパクト産駒9頭のどれかが「最高傑作」となっても不思議ではないかな、と思っている(最高額は近藤利一氏が4億7000万円で落札したタイタンクイーンの2019だが、一見すると見栄えはよくないビーコンターンの2019あたりで血が爆発すると、日本の競馬も面白くなるんだけどな、と何となく思ったり。

最近の法律雑誌より~2019年8月号(法律時報、ジュリスト)

昨日、ジュリストのHOT issueの紹介だけで一エントリーを立ててしまったところでもあるので、恒例のこちらの企画の方は、2誌まとめる形にさせていただいた。
とはいえ、今月も興味深い記事が多く(特に法律時報)、本格的な夏が始まり、仕事も少し落ち着いた頃にじっくり読んでみるにはちょうど良いのではないか、と思った次第である。

法律時報91巻9号(2019年8月号)

■特集 平成の法学

何といっても迫力満点なのは、基本六法を中心に「平成」30年間の学会動向を回顧したこの特集だろう。
憲法に関しては、そもそも”元号”というくくりで学会を回顧することが忌避された感はあるが、それでも蟻川教授が平成の世に顕在化した「天皇」の位置づけについて興味深い論文を書かれているし(蟻川恒正「天皇憲法解釈」法律時報91巻9号9頁(2019年))、その他の法領域に関しては、平成初期から最近に至るまでの大きな流れがコンパクトにまとめられていて*1、いろいろ考えさせられるところも多い。

議論の主流が、理念的・体系的見地からの議論から個別の場面における解釈論、利益衡量論に移っていった、と評価されている分野(行政法刑事訴訟法)もあれば、逆の傾向が指摘されている分野(民事訴訟法)もある。そして、そういった動きに「法科大学院」と「新司法試験」いう新しいインパクトが大なり小なり影響を与えている、というのは、少なくとも後半20年くらいの各分野の「教科書」の”変貌”を身に染みて感じている世代としては、いろいろと腑に落ちる中身であった。

個人的に一番面白かったのは、この30年の間に、急激に「立法論」への進出が試みられた民法会社法の見事なまでのコントラストだろうか。

「『第三の法制改革期』の当初においては、民法学者の任務の中心が解釈論から立法論に移るのではないかという見通しも示されており、実際、特に債権法改正に際しては、民法学者が立法論に注力することとなった。しかし結局のところ、『学問的理由による改正』は拒絶され、『革新よりも現状維持を』という結果に終わった、というのが、法制審議会で債権法改正に関与した民法学者の評価となっている。」(阿部裕介「『第三の法制改革期』の民法学」25頁、強調筆者、以下同じ。)*2

「政策的提言への需要が高い中で、統計的手法による数値化やモデルを用いた行動予測などのインパクトが強い分析は立法論的主張と捉えやすいものの、制度や環境と法規定との間の矛盾や相補関係を指摘するこうした作業は、実際には非常に慎重な解釈論と位置付けるべきものであろう。こうした作業を通じて、会社法社会学的傾向を帯びることとなり、基幹科目としての講学上の難しさを生むとともに、会社法の解釈に含まれる価値判断の質については、隣接分野であるはずの『民法学』とのスタンスの差が開いているとも評されるようになってきた。」(松井智予「平成年間の会社法33~34頁)*3

「実務」との距離感とか、「学者の本分は何か」という話とかと絡んで、どちらの方向性が良いか悪いか、という評価をできるるような事柄ではないと思うのだけれど、法改正のたびに実務サイドの利害関係者の対立が先鋭化するような分野も多いだけに、比較法的観点も含めて「学問的見地からはどうなのか」ということを中立的に語ることができる(はずの)法学者の存在意義はこれからより高まっていく(べきだ)と自分は思っていて、その意味で、まだまだこれからですよ、というのが、民法の世界の先生方に向けたコメントになるだろうか*4

なお、メンバー的に民法にフォーカスされた中身とはなるが、学部教育からロースクールでの教育、さらに研究者養成に向けた思いまで、「変化の過程」を振り返る座談会(中田裕康=松岡久和=小粥太郎=鎌田薫[司会]「平成の法学教育-民法分野を中心として」法律時報91巻9号76頁(2019年))も、実に読み応えのある内容なので、ここでお勧めしておきたい。

■その他の記事より

その他の記事の中で、読み物として一番面白かったのは、米国の公設刑事弁護人事務所で常勤スタッフとして働いている時に、「海外でも国民審査を!」と違憲訴訟を提起した弁護士さんの話(谷口太規「在外国民審査権違憲判決の来歴-東京地裁2019年5月28日判決」法律時報91巻9号4頁(2019年))。

フェイスブックの書き込みから原告団弁護団が結成される、というのがいかにも現代的ではあるのだが、「人々が暮らしの中で違和感を感じた時、何か不正義に出会った時、それについて声を上げる際の方法論として、司法の場はもっと使われるべきだと思う。」(6頁)というフレーズは自分にもよく響く。

続いて、最高裁調査官解説を読むときの興味深さが増すのが、千葉勝美=上田健介=片桐直人=木下昌彦=堀口悟郎「[座談会]千葉勝美・元最高裁判事との対話」法律時報91巻9号96頁(2019年)。座談会ではもっぱら憲法判例を中心に話が展開されているが、これに続いて千葉元最高裁判事自身が調査官解説の役割を簡潔にまとめた論稿も書かれている(千葉勝美「憲法判例と学説との実りある対話のために-調査官解説の役割等」法律時報91巻9号116頁(2019年))ので、合わせて読むと理解が深まると思われる。

また、最近ホットイシューになっている「競争法の『個人情報保護』分野への進出」に関連して、ドイツ連邦カルテル庁が本年2月6日にフェイスブックに対して行った決定の内容を、舟田正之「ドイツ・フェイスブック競争法違反事件-濫用規制と憲法民法法律時報91巻9号156頁(2019年)が詳細に解説している。

元々、競争法の規制類型も、データ保護法の位置づけも日本とは大きく異なる状況で出された決定だけに、舟田名誉教授ご自身も「直接参考となるものではないという見方もあり得よう」(161頁)と最後に書かれているように、これをそのまま持ってくる、という話にはならないだろうと思う一方で、「しかし、独禁法における優越的地位の濫用は、ドイツGWB上の搾取濫用と共通する性格を有する。優越的地位の濫用の要件である、「不当に」、「取引の相手方に不利益となるように取引の条件を設定し・・・」の解釈において、個人情報保護法民法憲法の法目的ないし保護法益の共通性・関連性を考慮する可能性もあるように思われる。」(161頁)といったコメントの当たりが昨今の当局の動きにもつながっているような気がして、まだまだ目が離せない分野だな、と感じたところである。

ジュリスト1535号(2019年8月号)

さて、一方のジュリスト。

ジュリスト 2019年 08 月号 [雑誌]

ジュリスト 2019年 08 月号 [雑誌]

特集は「国際商事仲裁・調停の展望」ということで、道垣内正人・早大教授が冒頭の言を書かれ、法務省の松井信憲国際課長から古田啓昌弁護士まで、これまで仲裁・調停にかかわってこられた方々が、それぞれの立場で論稿を載せられている。

この話題自体は、去年の暮れくらいからあちこちで接していたし、1月のオードリー・シェパードLCIA議長の基調講演まで聞きに行ったりもしたので、全く関心がないわけではないのだが、やっぱりこの話、何度目にしても「そもそも何で『日本で』(国際)仲裁を活発化させないといけないのか?」という感想しか出てこない。

手続言語が英語、仲裁人も海外から連れてくる形にして「国際標準」を強調するのであれば、それを日本以外の国でやったところで当事者の負担は大差ないわけで、それなら既に成熟した仲裁法廷が存在するシンガポールや香港を使った方がはるかに安心感がある。あるいは、日本企業間の紛争解決を仲裁に誘導したい*5、という意図もあるのかもしれないが、日本の裁判所が今そこまでパンクしかかっているのか?といえば、そうでもないように思うわけで、あえてここで「仲裁」をフィーチャーする意味がますます分からなくなる。

そもそも、裁判だろうが仲裁だろうが、企業同士のビジネス紛争の解決を自分たちではコントロールできない「第三者」に委ねざるを得なくなった時点で、ビジネスの現場の人間としては「負け」なわけで*6、それがこの分野の話にどうも力が入らない最大の原因のような気もしている*7

まぁ、「日本でオリンピックが開かれるのは良いことだ」と信じて疑わない人と、「競技会はそれぞれの競技にとってベストの場所でやるのが一番いいんじゃない?」と引いてしまう自分のような人間が、どこまで行ってもお互い分かり合えないのと同じなのかもしれないけれど・・・。

また、毎回興味深いテーマが多い「連載・新時代の弁護士倫理」も、今回は「共同事務所」に関する規律の検討、ということで、そこまで興味が惹かれるものではなかった*8

知財関係の論稿

ということで、ネガティブなところから始まってしまったが、「連載 知的財産法とビジネスの種」は今月も期待にたがわずで、平林弁護士の論稿が非常に面白かった(林健吾「これだけはやっておきたい、スタートアップに必須の知財対応5つ」ジュリスト1535号62頁)。

「どんなスタートアップにも必ず役立つ知財対応」として要領よくまとめられた説明の内容が非常に有益、というのもさることながら、例えば「商標権とドメイン」の話の中で、

「費用対効果の面から考えると『楽天』のように、覚えやすい造語が最適だ。『メルカリ』といった馴染みのない古語や外国語もよいかもしれない。『LINE』のような身近な単語を名称にすると、商標権やドメインの取得で難儀するのでやめておいたほうがよい。」(62頁)

といった、知っている人が読めば思わず笑みがこぼれる(?)ような小ネタを仕込むサービス精神が素晴らしい。

個人的には、アプリを開発した創業者の権利を全て会社に帰属させる、という試みは相応のリスクをはらむよなぁ…と思ったりもするのだが、将来のリスクを未然に防ぐ、という観点からはここに書かれていることを実践するにこしたことはないのであって、ジュリストを日頃読まない読者の方にこそ読んでもらいたい論稿だな、と思った次第である。

また、全く毛色は変わるが、三井大有「新たに始まる知財調停手続について」ジュリスト1535号90頁(2019年)は、本年10月1日運用開始にもかかわらず、自分がこの話を全く知らなかった、ということもあって、真剣に読まざるを得なかった(この手続きをどういう場面で使うことが想定されているのかが、今一つイメージしにくいところではあるのだが・・・)。

なお、「時の判例」では、昨年末の日産元社員による営業秘密不正使用事件の最高裁決定の解説が掲載されている(久禮博一「不正競争防止法(平成27年法律第54号による改正前のもの)21条1項3号にいう『不正の利益を得る目的』があるとされた事例ー最高裁平成30年12月3日第二小法廷決定」ジュリスト1535号96頁(2019年))。
最高裁決定の判旨を眺めているだけだと淡々と読み流してしまう類の事件なのだが、ちょっと下級審判決から読み直してみたい雰囲気もあるので、これはまた後ほど。

■気になる判例

最後に判例解説つながり、ということで、本号に掲載されている他の判例研究の中から気になったものを上げると、「労働判例研究」の野川忍「退職時の特約に基づく守秘義務の意義と義務違反の判断基準-エイシン・フーズ事件(東京地裁平成29年10月25日判決)」ジュリスト1535号120頁(2019年)。

これもちゃんと判決文を読まないと軽々にはコメントできないのだが、野川教授の「契約上の秘密保持義務の対象となる企業秘密に対して不競法上の営業秘密の要件を援用することに対し、上記のとおり知財法研究者には違和感はないようである。」(123頁)の一言に少々ドキリとしたところもあって(そんな知財研究者の先生方の教えを受けた者にも当然違和感はないので・・・)、もう少し自覚的に検討しないとな、と思ったところ*9

また、純粋に事案として興味をひかれたのは、「渉外判例研究」に出てくる楽天野球団の外国人選手との契約交渉破棄をめぐる仙台地裁の判決(岩本学「プロ野球選手契約交渉の破棄に基づく損害賠償請求権の準拠法(仙台地裁平成30年9月26日判決)」ジュリスト1535号128頁(2019年))。当該選手に米国で起こされた訴訟に対応する形で楽天側が地元の裁判所で債務不存在確認を求めた、という事件で、解説によると、そもそも国際裁判管轄について判断しないまま準拠法の判断を「付言」で行って請求認容、というなかなかすごい話になっているのだが、これもまだ判決そのものには接していないので、「この選手誰だろうと思って調べたら、ザック・ラッツ内野手という、とってもマイナーな選手だった」*10ということだけ、ここには書き残しておくことにしたい。

*1:なお、平成の前後を知るちょうど真ん中くらいの世代、ということもあって、自分に近い世代の研究者が執筆陣に多く名を連ねているのも目を引き付けられた理由の一つ、である。

*2:法律時報91巻9号23頁(2019年)

*3:法律時報91巻9号30頁(2019年)

*4:大事なのは、いかなる法改正でもあくまでベースとなるべきは立法事実であって、それを「多面的に」把握した上で学問的な文脈に乗せていくのがあるべき姿だということ。学者の議論が先行しすぎると「債権法改正」の二の舞になるし、一方向からしか立法事実や現実の社会実態を把握していない(ように見える)状況で発言したのでは、ただの”(悪い)ロビイスト”になってしまい、結局存在感を発揮できない、ということになってしまうのではないかと思う。

*5:本号でも垣内教授が紹介されているのだが(垣内秀介「日本商事仲裁協会仲裁規則の改正とその意義」ジュリスト1535号22頁(2019年))、2019年1月施行のJCAA仲裁規則の改正に伴って、日本の裁判所の運用に親和性がある「インタラクティヴ仲裁規則」が制定されており、関係者による説明の際には日本企業間の紛争処理にも活用してほしい、といった趣旨のコメントもあったと記憶している。

*6:中には「仲裁での紛争解決こそ『法務の出番』だ!と勘違いしている人もいるかもしれないが、ビジネスの前線の人間の感情を理解せずに本気でそう思っている人がいるとしたら、法務担当者としては失格だと思う。紛争解決を糧とする弁護士ですら、取引法務の世界で実績を残している方であればあるほど、訴訟提起や仲裁申立を積極的に示唆するようなことはしない。

*7:もちろん、インフラ案件で発注元の外国政府とか公営企業から理不尽な扱いを受けたような場合であれば、法的解決を求める大義も十分にあるのだが、そういう案件のほとんどは「日本」を仲裁管轄地にする余地のないような契約によって縛られている。

*8:厳格に解釈すると、共同事務所内での利益相反を回避するのはかなり大変なわけで、それでもなお「共同」でやる意味、事務所をどんどん巨大化させていってしまう意味、というのが自分にはわかりかねていて、むしろ「複数の独立した事務所(弁護士)同士の連携」というのが自分が目指している方向だったりもするので。

*9:ただし、野川教授が指摘されているような「使用者の利益の保護」という観点から守秘義務の対象を拡張することについては賛同しかねるところもあり、結局は不競法の要件を用いる方がバランスはとりやすいようにも思うところなのだが。

*10:日本での試合出場は僅か15試合。ただ、打率は3割1分4厘、ホームランも5本、と片鱗は見せていて、それがギリギリまで契約更新か破棄か、で球団を躊躇させる一因になったのかもしれない。

「法務」という名の船に乗って、我らはどこへ向かうのか?

先月号の予告の時点から気になっていた企画ではあったのだが*1、やっぱり読んでみたら迫力満点、そして考えさせられることも山のように出てきた、ということで、月例の法律雑誌シリーズとは別立てで、ジュリスト2019年8月号の「HOT issue」を取り上げてみることにしたい。

ジュリスト 2019年 08 月号 [雑誌]

ジュリスト 2019年 08 月号 [雑誌]

奥邨弘司=片岡詳子=北島敬之「鼎談 企業内法務の展望と戦略」*2

今回のメンバーは、日商岩井の法務からJohnson & Johnsonを経てユニリーバ・ジャパンのジェネラル・カウンセルに転じられ、遂にはユニリーバ・ジャパン・ホールディングス株式会社の代表取締役にまで上り詰められた北島氏と、パナソニックを振り出しにファーストリテイリングUSJ、そして現在のコーチ・エイに至るまで企業内弁護士として活躍されている片岡氏、そして第一線の知的財産法研究者であると同時に、企業法務部出身というバックグラウンドを活かして企業内法務の在り方について様々な提言等も行っておられる奥邨教授の3名。

生粋の企業育ちで経営の中枢にまで入り込まれ、NBLやBLJ等、他の媒体等でも「企業法務の顔」として登場されている北島氏と、真の意味での「企業内弁護士」のパイオニア(だと自分は思っている)、片岡氏を組み合わせる、という人選はBest of Bestだし、このお二人の研ぎ澄まされたコメントを引き出しているコーディネーター役の奥邨教授の進行もお見事で、これまで数々の名企画を輩出してきたジュリスト「鼎談」の中でも一、二を争う充実したコンテンツになっているから、ここであれこれ論評するより、

「とにかく買って、手に取って読んでみてください」

というのが正しい勧め方だと思うのだけど*3、それでもあえて”気になった”ところに触れつつ、以下、コメントを試みることにしたい。

「企業内法務」に一番求められているものは何なのか?

冒頭から、

「昨今の急激なビジネス環境の変化の中、企業内法務に求められる役割とは。令和時代の法務にとっての戦略とは。」

という振りかぶったリードで始まっていることもあり、本鼎談も、自己紹介からの流れで「法務の役割」の話にスッと入っていく。
前提となっているのは「かつては少し軽んじられていた」法務が「今は非常に重視されるような形に変わってきた」というトレンドで(v頁、奥邨発言参照)、この点については、北島氏と片岡氏の間にも大きなギャップはない*4

その上で、「戦略法務」や「攻めの法務・守りの法務」といったマジックワードも交えながら、これからの法務の在り方、そして、「企業内法務パーソンに必要なスキル」も含めたより踏み込んだ話に入っていくのだが、ここで出てくるのが珠玉のコメントの数々である。

「戦略というのは企業における事業戦略で、事業戦略を実現するための法務の在り方が強いて言えば戦略法務だというように、そこで(筆者注:法務のミッションはGuardianであり、Business Partnerである、という話を聞いたときに)はっきり意識しました。」
「この機能(筆者注:臨床、予防、戦略)を3つに分けて整理してしまう一番の弊害は、それでは私は臨床をやります、私は予防が好きですというように得意分野、好きな分野に特化してしまいがちなところです。企業内法務の人間は、もちろん得意分野とか専門性を持つことは大事なのですけれども、基本的にはオールラウンドでなければいけません。」
「法律家というのは分類したがるのですけれども、分類しないでありのままのビジネスの状況を受け止めて、何が役割かと考えたほうがいいのではないか。」
(以上50頁、北島発言。強調筆者、以下同じ。)

「私は、法務も『戦略的であるべき』とは思います。訴訟にしても契約書チェックにしても、あらゆる仕事において、戦略的であるべきです。」
「私は、企業内法務パーソンに必要なスキルを3つに分類していまして、①法律、②組織、③その会社、です。」
「①②③のバランスは所属する会社・組織や、各人のポジションによっても異なりますが、企業内法務パーソンには必ず3つとも必要です。法律事務所からインハウスに転向した弁護士は、私もそうでしたが、②に課題がある場合が多いと思います。」(以上51頁、片岡発言)

「我々は、何でもかんでも『リスクがあるね』と言いたがりなのです。でも、それはほとんどが心配事、ハザードなのです。その心配事(ハザード)から、実際にそれが現実的なリスクになる可能性、蓋然性をきちんと見積もり、更にそこからリスク低減のためのアクションをどのようにとっていくか、について具体的なアドバイスをすることが求められると考えています。また、リスクのインパクトを見積もる際に、実際にどのようなコントロール・メジャメントが存在しているのかを考慮して、正味のリスクを出していく。この一連のプロセスを迅速に、シャープにやらないといけない。そのためには、やはりビジネスをよく理解する必要がある。深いビジネスへの理解なしに、分析し、理論的にこの契約の条文は不利だからやめましょうというようなアドバイスだけでは、ビジネスの現場の人たちには全く響かないのではないかと思います。」(51頁、北島発言)

「リスクを取るか取らないかの判断は経営判断だと思うのです。法務部門の仕事は、できるだけリスクをあぶり出す一方で、そのリスクが秘めている潜在的な価値を見極め、従来のやり方にとらわれない革新的な解決策やリスクインパクトの具体的な低減策を、経営陣やビジネスの現場に伝え、正しい価値判断へと導くことであり、それが企業内法務としてのプロフェッショナリティーだろうと思います。」(52頁、北島発言)
多分、法務の人間が『リスクがあるからできません』と言ったら、それでビジネスの現場の人たちは従うとは思うのですが、法務部門の存在意義やサービスのクオリティについては疑念を抱くだろうと思います。かつて、ユニリーバ・グローバルの人事のトップが、法務マネージャーとは、ビジネスリーダーで法務のことをよく知っている人(”Business Leader who knows a lots of legal) という定義をしていました。法律の専門家でビジネスをよく理解している人ではないのです。」(以上52頁、北島発言)

「事業部門や経営トップが法務部門の働きや機能を十分に理解していないという点については、確かに、これは法律問題であるとか、これは法務に相談したほうが良い案件であるとかいう『切り分け』が事業部門や経営層からなされてしまい、本来は法務部門として関与すべき案件に関われていない、というのがあると思います。ただ、法務が信頼を勝ち得ていないということでもあるので人のせいにはしていられません。」(52頁、片岡発言)

かなり引用が多くなってしまい恐縮だが、それなりに長く、真摯に「法務」という仕事に向き合ってきたものであれば、ここで取り上げた一つ一つのコメントに共感できるものがあるはずだし、自らの置かれた環境を振り返って考えさせられることも多々湧いてくるはずだ。特に、北島、片岡両氏に共通する「企業内法務の人間はオールラウンドでなければならない」「組織の動かし方やビジネスに通じていなければならない」という点は、自分が一番意識し、上にも下にも口を酸っぱくして言い続けてきたことだけに、改めてこういう形で活字になっているのを見ると、非常に勇気づけられる。

そんな中、あえて突っ込みを入れるなら、片岡氏が挙げられている「必要なスキル」の3つの要素のうち「①法律」に関しては、ここで説明されている内容(「法律についての知識や実務経験」)以上に、奥邨教授が挙げられている「リーガル・マインド」の方が大事だと思うし*5、それゆえに「法務リテラシーに関しては、有資格者に一定の優位性がある」という片岡氏のコメント(48頁)にも少々首をかしげたくなる、といったところだろうか。

また、各発言者が口をそろえて、「戦略法務」とか「攻め・守り」といった切り分け方に懐疑的なコメントを述べられていることに関しては、「法務の内側」にいる者として非常に気持ちはよく理解できるのだけれど、こういったフレーズはあくまで「法務の外にいる人々」に向けて発信するために作られた言葉でもあるわけで*6、「法務の中にいる当事者がこれらのマジックワードに騙されて思考停止しないように」というところまではよいとしても、それを否定するのであれば、それに代わる何かを用意するところまで考えないと、議論を発展させることはできないような気がする*7

北島氏は、「Guardian とPartnerということになると、そのために何をするか、例えば法務部員の能力をどのように開発するか、あるいは組織としてどういう体制にするかという、とるべき施策が非常に分かりやすくなってくるのです。」(50頁)とコメントされているが、「Guardian」にしても「Partner」にしてもマジックワードであることに変わりはなく、「オールラウンドであるべき」という思想までは一応伝えられるものの、具体的に何をどこまですればよいのか、という答えは、ハイネマン氏の本を読んでも簡単には出てこないということには留意しておくべきだと思っている。

あと、(これは以前別の機会でも聞いたことがあった話だったが)北島氏のレベルまで行っても「我々は結構いろいろな意味で頼られていると思うのです。でも、本当の意味で信用されているかというところは、なかなか我々自身もよく分からないところがあります。」(53頁)と悩んでいる現実がある、ということも、しっかり受け止めておくべきなのだろう。

自分が企業内で仕事をしていた中で、最後の数年は、事業戦略、経営戦略にかなり深いところまでコミットできたつもりではあったのだけれど、それが北島氏のいうところの「信用」のレベルにまで達していたのか、達していなかったのだとしたら次は何をどう変えていけばよいのか、ということは、これからも自問自答していくことになるのだろうと思っている。

企業における「法務」のポジションと組織論

鼎談の54ページ以降は、「組織論について」という話になるのだが、ここでも興味深い話はいろいろと出てくる。

片岡氏のGCとCLOというのは違いますか、一緒ですか」というストレートな質問に、北島氏が答えているやり取りもなかなか見ものではあるが(54頁)、やはりここでも、一番ささったのは、「法務の役割」とも関連する以下のようなコメントだった。

「なぜいまだに法務責任者が経営陣の一角を占めるケースが少ないのか。これは、全くの私見ですが、(中略)法務部門の仕事は何か、ということについて、これまで、法務部門はあまり積極的に可視化を高めることをしてこなかったのではないでしょうか。」
「基本的にはボードメンバーと言いますか、あるいはそれに近いぐらいのポジションになることは、誰かからなってくださいと頼まれるのを待つのではなく、そのポジションに就いて一体何をするのかというところを、きちんと示していかないといけないのではないかと。」(以上54頁、北島発言)

「例えば契約の交渉とか、何でもいいのですけれども、お客さんと話をする、きちんとお客さんから信頼されるような法務の人間になるというのが目指すところだと思うのです。例えば、このビジネスの成立のために契約書を早く締結すべきなのであれば、メールで延々とやりとりをしているのではなく、取引先に赴いて話をしながら、どんどん決めてくるスタイルに変えるということは考えられます。このような変革を積極的にやるというマインドが出てこないと、多分、その上のポジションに上る機会が少なくなるのではないかと思います。」(55頁、北島発言)

後者に関しては、自分も非常に意識していたところで、「契約交渉がこじれたら自分たちが出ていく」というスタイルは駆け出しのころから徹底していたのだが、それをやったからといってボードメンバーに近づくチャンスが簡単に生まれるほど世の中甘いものではない*8。ただ、これからの時代、「上」を望むかどうかにかかわらず、法務だからと言って会社の中にこもって一日を終えられるような優雅な環境はもはや与えられないと考えた方が良いだろうし、その意味で「営業」的な役割までカバーできるようなポリバレントさを兼ね備えることが、「法務」が生き残る条件ともいえるわけで、この後に出てくる「自分たちの目的」の定義と合わせて、参考にすべきところは多かったように思う。

これからの「法務」の姿

この後も「鼎談」は続き、法務におけるキャリア像*9や、「司法修習後に企業に行くべきか、それとも法律事務所に行くべきか」*10、さらにこれからの企業内法務の行方に影響を与えそうな「人権」と「デジタル(AI)」の話まで行って終幕を迎える。

巻頭のカラーページを合わせて18ページ。

これだけストレートに「企業内法務」を正面から取り上げた記事が、BLJやNBLのような企業内法務に馴染みの深い媒体ではなく、「ジュリスト」という雑誌に掲載されたことは、何度読み返しても実に感慨深いことである。

ただ、大事なのは、(筆者自身も含め)こういった企画記事を「法務」に関わっている人間だけで回し読みして、「そうだよね~」と共感しあっていても埒が明かない、ということで、これから求められるのは、そこに描かれている課題や目標を、”門外漢”の人々に分かりやすくストレートに「言語化」「ビジュアル化」して伝えることだと思っている*11

どこの会社でも少数民族、かつ、おおむね非主流派。それゆえ、会社や業界が異なっても、「法務」というキーワードだけで、喜びも悲しみもそれぞれの事情も何となく分かりあえる、いわば「同じ船」に乗っているかのような感覚を味わえる良さを否定するつもりはないのだけれど、いつまでたっても古い小さいままの船に「自分が漕ぎたいように漕ぐことにしか興味ない」人がたくさん押し寄せても前には進めないし、いつか沈んでしまうだろう・・・。

それゆえ、「新しい船」を作り、それぞれの船で明快な進路を示せる「船頭」を少しでも多く育てていくことがこれからのミッションだ、と自分は信じてやまないのである。

*1:最近の法律雑誌より~ジュリスト2019年7月号 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~の最後の「なお」以下参照。

*2:ジュリスト1535号ⅱ頁、48頁以下(2019年)。

*3:特に、今まさに企業内であれこれ悩んでいる法務部門のマネージャー層と、これから企業内法務の道に進もうかどうか悩んでいる学部生、法科大学院生、司法修習生にとっては必読だろう。

*4:なお、お立場的にはJILA的なポジショントークに走っても不思議ではない片岡氏が「インハウスの増加により企業内法務に変化が起きたかというとそれはちょっと違うと思っています。」(48頁)とズバッと言い切られているところが素晴らしいな、と個人的には思った。

*5:端的に言ってしまえば、「知識」が備わっていなくても、「この説明の理屈はおかしい」とか、「正義衡平の観点からバランスが悪い」という点にビビッドに反応できさえすれば、最低限法務の仕事は務まる(逆にいくら法律知識があっても、そこで反応できないようなら法務担当者としての存在意義はない)ということである。もちろん、5年、10年やって「私は法律は分かりません」だと困るが、ベースとなるマインドやセンスがしっかりしていれば、全く法律の前提知識がない状態で着任しても、短期間のうちに必要な知識は吸収できるし、そうやって企業内で育てられてきた足腰の強い法務担当者を自分はたくさん見てきただけに、「有資格者だから重宝する」という文化には全く賛同できない

*6:分かりやすい例として、「法務の人員を増やしてください」と何度人事部門に要請しても相手にしてもらえなかったのが、「攻めの法務、戦略法務を実現するために〇人要員が必要なんです」というと、一気に2~3人要員増になった、という実話もある。目くらまし、と言われようが、そういう術を駆使しないと組織を守り育てることはできない、という現実があることは忘れるべきではない。

*7:ちょっとした言葉の「定義」等にやたらこだわった結果、何ら生産的な結論を生み出せずに時間を浪費する、という法務の人間だけで議論するとよく陥りがちな話になってしまう。

*8:そもそも、外で営業をやっている人間より、社外の人間とはほとんど接点を持たない他の管理部門の人間の方が上に行きやすい会社でもあったから。

*9:その中で北島氏の十八番、「Wordがよくない」のネタも登場(58頁)。あと、片岡氏の「仕事の報酬は仕事である」の一言も決まっている(57頁)。その後に続く「法務職人として50歳、60歳まで活躍するというのは今のところなかなか難しい」というのは厳しい言葉ではあるけど、容赦なく襲ってくる現実でもある。

*10:この点に関しては、片岡氏、北島氏ともに「縁があればさっさと企業に行った方が良い」と口を揃えておっしゃっていて素晴らしいな、と思った(59~60頁)。奥邨教授は「事務所から企業は行きやすいが、企業から事務所は難しい」という趣旨の発言をされているのだが、事務所経験がほとんどない状況で入社した社員が数年後に名門法律事務所に転職する、というパターンは結構いろんなところで目にするし、きちんと会社の中で経験を積んでいれば引く手はあまたある(もっとも企業内で経験を積んだ人間に、わざわざ既存の法律事務所に行くようなモチベーションが生まれるかどうかは別の話)、というのが実態だと思うので、そこはあまりバイアスをかけた情報にしない方が良いのかな、と思うところではある。

*11:こういうことを言うと、「そもそも、お前の書いている紹介記事がダラダラと長いじゃねーか!」と厳しいお叱りを受けることは避けられないのだが、そこはTPOに応じた(?)使い分け、ということでご容赦いただければ幸いである。

結局はこうなってしまうのか、という・・・

今年の春以降、断続的に取り上げてきた「オプジーボ」特許の対価をめぐる問題。

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その後も、なかなか歩み寄りにつながりそうな気配もなくて、どうなるのかな、と気を揉んでいたら、遂に以下のような記事が出てしまった。

「がん免疫薬「オプジーボ」の特許料などを巡り、小野薬品工業と対立する京都大学本庶佑特別教授は、対価を巡る分配金150億円の支払いを求める民事訴訟を大阪地裁に起こす意向を固めた。本庶氏の代理人弁護士は27日、取材に対し「小野薬品の対応次第だが、9月初旬にも訴訟を提起することになるだろう」と述べた。特許料を巡る両者の対立は法廷闘争に発展することになる。」(日本経済新聞2019年7月27日付夕刊・第1面)

どちらにも譲れない何か、があったのだろうし、それを外野からとやかく言うのは僭越だとは思うのだけど、少なくとも今の時点では「成功」している産学連携のプロジェクトなのだから、もう少しソフトランディング方向で何とかできないものなのか・・・というのがやはり率直な思いとしてはある。

特に、本件では、利益配分ルールが契約書に明確に書かれてしまっている以上*1、訴訟をしても「言った、言わない」の応酬となり*2、最後は双方罵り合いになって、訴えを起こす前よりさらに感情対立が激化した、なんてことになる可能性も十分あるわけで、対面の交渉ではギリギリと詰めつつも、最後はうまく手を打った方が賢かったのではないか、と思わずにはいられない。

日頃表に出てくることが少ない、この手の契約における利益分配規定の解釈等が判決で示されるようなことになれば、傍で喜ぶ人はそれなりにいると思うのだけれど、自分は「訴訟に持ち込まずに交渉を有利に収めるのが法務の仕事であり、代理人たる弁護士の仕事でもある」と思っている人間なので、このまま漫然と「9月初旬」を迎えることになってしまうのであれば、ちょっと残念かな、と。

まだまだ将来的な発展も期待できる研究領域ではあるだけに、できることなら訴訟は回避、万が一もつれこんでも早期に決着、というのが望ましい姿だと思うところである。

<追記>(2019年7月28日)
28日の朝刊では、前日夕刊と同じような内容が掲載された上で、本庶佑特別教授のコメントとして、以下のようなフレーズが掲載されていた。

「一日も早く良好な産学連携関係を取り戻したい」日本経済新聞2019年7月28日付朝刊・第31面)

あえてコメントは差し控えるが、いろいろと考えさせられるところが多い事件だな、と改めて思った次第である。

*1:最近の吉本興業絡みの話から抱く違和感とも共通するのだが、「契約書」に書いてしまえばそれが契約解釈の出発点になる、というのが大原則なわけで、いくら「常識に反している」とか「口頭での約束とは違う」といったところで、どうにもならないことの方がはるかに多い、という点には留意しておく必要があるだろう。吉本とは異なり、製薬会社と一流大学の研究者の間で優越的地位の濫用、といった論点を持ち出すのも少々無理があるように思う(それこそ「『優越的地位の濫用』の濫用」になってしまう)。

*2:もしかしたら、交渉経過におけるメールのやり取りや提案書等がきちんと残っているのかもしれないが、それでも仮にそれが明文の契約書の内容と矛盾する場合に、裁判所がどこまで採用するか、は疑問が残るところである。

「非常識」でも「英断」でもない、冷静な判断。

今年の4月に「球速163キロ」を記録し、「岩手から再び怪物登場!」とばかりに俄然フィーバーに巻き込まれることになってしまったのが、岩手県立大船渡高校の佐々木朗希投手だった。

それまで全国的には全く無名に近い存在だったし、チーム自体、岩手県内の大会でも決して突出した成績を残していたわけではなかったのだが*1知名度が上がったところで”最後の夏”を迎えたことで、佐々木投手目当てにファンもスカウトもメディアも球場に押し寄せる、という異様な(でも高校野球の世界にはありがちな)雰囲気の中で毎試合戦うことに・・・。

本人にもチームメイトにとってもかなりのプレッシャーだったと思うが、そんな中、佐々木投手の投打にわたる傑出した能力と、”注目される”ことで勢いに乗れる若者たちのエネルギーがうまく重なったゆえか、岩手県大会でも決勝戦まで勝ち上がる快進撃。

これまでは、他県と同様、もっぱら花巻東盛岡大付一関学院専大北上といった私立校勢で甲子園への切符が争われていた岩手県予選に大きな一穴を開けた*2

大船渡は県立高校、それも盛岡や一ノ関といった「都会」ではない海岸部の小さな町の学校だけに、メンバーも地元・大船渡の中学出身の選手ばかり。
「3・11」で大きな被害を受けたエリア、ということもあって、もし35年ぶりの甲子園出場がかなっていれば、さらなるフィーバーと”美談”の嵐が飛び交っていたことだろう。

だが、そんなフィーバーは意外な形で終幕を迎えた。

「第101回全国高校野球選手権大会岩手大会の決勝が25日、盛岡市岩手県営野球場で行われ、最速163キロの球速で注目の佐々木朗希投手を擁する大船渡は、米大リーグ、エンゼルス大谷翔平選手の母校、花巻東に2-12で敗れて、35年ぶりの甲子園大会出場はならなかった。3年生の佐々木投手は出場することなく、高校生最後の夏が終わった。」(日本経済新聞2019年7月26日付朝刊・第35面、強調筆者)

自分は古い世代の人間だから、最初にこのニュースに接した時はやっぱり仰天したし、自身のマネジメント経験に照らしても、甲子園切符がかかった決勝戦、しかも、本人が連投できる状態で「投げたい」という意思を明に暗に示しているような状況だったとしたら、登板を回避させる、という判断はおそらくしなかった、というか、情が先立ってできなかっただろうと思う。

高校球児であれば誰もが憧れる舞台に「あと1つ」にまで迫った状況。
3年生主体のチーム構成の中、勝てばさらに同じメンバーで長い夏を戦えるが、負けたらそこでチーム解散。

いかにそれまで連投を極力回避し、複数の投手を併用する方針で戦ってきたとしても、「ここだけは頼れるエースの連投で行けるところまで・・・」と思うのが、自分も含めた凡人の発想*3

にもかかわらず、「連投させない」という選択を貫いた若干32歳の監督のブレない哲学には心から感服するし、肝の据わり方も生半可なものではないな、と思わずにはいられない*4

何となく想像できたことではあるのだが、今回の大船渡高校の國保陽平監督の判断と、「投げられる状態であったかもしれないが、私が判断した。理由としては故障を防ぐこと」(前掲記事)という趣旨のコメントに対しては、メディアの取り上げ方もSNS上のコメントも概して肯定的だし、むしろ「英断」とか「こうであるべき」くらいの論調の記事すら目立つ状況である。

高校時代に酷使された選手たちが、故障に苦しみ、選手生命を絶たれるケースが多い、という野球界特有の話に加え、安易な精神論、根性論に対する反発が根強い世の中になっている、ということも背景にはあったのだろう。

ただ、これまでの大船渡高校の戦い方を見れば、國保監督自身もコメントされているように、今回の判断が「佐々木投手が将来のある特別な選手だから温存した」というところから来ている、というわけでは決してなく、「エース以外の選手にも出場機会を与える」という教育的観点に、相対的にコンディションの良い投手を相手に応じて登板させる、という戦術的な観点が加味されたものだ*5、ということも窺えるわけで、佐々木投手にだけフォーカスしてあれこれ論じるのは少々ピント外れな印象もあるところ。

そして「本人の意に反して無理やり登板させる」とか、「故障を抱えているのを承知で無理使いする」といったことでない限り、「本人の意気と若者の回復力に賭けてエースと心中する」という選択肢はあり得るし、逆に今回のように「思い切って出場させない」という選択肢もあり得る*6わけで、そのどちらを取るかは、あくまで監督とそのチームの「哲学」であり、時間をかけてはぐくんできた「戦術」によるものなのだから、どちらが良いとか悪いとかといった議論の俎上に載せるのは、そもそも適切ではないと思うのである。

7年前の大谷翔平選手と同様に、「甲子園に出なかった」ことが佐々木朗希投手のプロ選手としての価値を高める可能性はある一方で、「甲子園のヒーロー」になり損ねたことで、この先の人生が変わってしまった選手も、もしかしたらいるのかもしれないし、千載一遇のチャンスを逃したことに悔いを感じない選手はいないとは思うのだけれど、逆に、3年間、肝の据わった若き監督の下でチームとしての価値観、考え方を共有してきたメンバーだからこそ消化できるものもあるはず。

終わった試合を巻き戻すことができない以上、勝者にとっても、勝者以上に「主役」となった敗者にとっても、今後、この日の試合がポジティブな何かにつながってくれることを今は願うのみである。

*1:昨年秋の県大会でベスト4まで行ったのが最高の戦績。

*2:一昨年こそ久慈高校が決勝進出、盛岡四高、大船渡東がベスト4、という特殊現象が起きていたものの、その他の年は概ね同じような顔ぶれの私立高同士で「1」枠を争う、という傾向になっていた。岩手大会 過去20年成績 - 高校野球地方大会2019 : 日刊スポーツ参照。

*3:もちろん、自分自身が甲子園出場監督になりたい、という欲や、エースを出さずに負けた時に浴びる批判をかわしたい、といった思惑も当然絡んでくる。

*4:それが、盛岡一高から筑波大、というロジカルさを感じさせるご経歴ゆえなのか、それとも、米国の独立リーグまで経験して広く世界を見てきたゆえなのか、あるいはもっと本質的なご本人のパーソナリティによるものなのか、は分からないが、延長戦までもつれ込んだ準々決勝に続き、決勝戦でも「ローテーション起用」を貫いた一貫性は見事だな、と。

*5:甲子園の常連校、かつ直近の県大会でも昨秋準優勝、春季優勝の花巻東を相手に、連投で球威の落ちた本格派投手をぶつけるより、大会初登板のサイドスローの投手を当てた方がいい勝負に持ち込める、という発想は当然ありうる。

*6:あるいは、98年夏の松坂大輔投手のように、終盤の山場で登板させて試合の流れを変える、という選択もある。今回の決勝戦にしても、もし最後の最後まで試合がもつれて、終盤で一打勝ち越し・逆転といった場面が生まれていたとしたら、少なくとも代打での出場機会くらいは佐々木選手にも与えられたのではないかと思う。

しびれる攻防~アスクル株主総会に向けた関係者の動き・PART2

ちょうど一週間前に、当ブログで、アスクル株式会社の大株主の株主総会での議決権行使(現社長の取締役再任拒否)をめぐる動きについて簡単に取り上げ、「ワーストおやじギャグ」という批判を受けつつも、多くの方に目を通していただいたところだった。

k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

あの時は、両者のプレスリリースの応酬にも一区切り付きかけていて、「これから8月2日に向けた水面下の攻防が始まるのだろう」と思いながら書いていたところがあったのだが、週が明けて、事態はますます深刻化している。

何よりも衝撃だったのは、今朝の日経朝刊にも載ったこのニュースだろう。

ヤフーは24日、傘下のアスクルが8月2日に開く株主総会に向け、独立社外取締役3人の再任議案に反対する議決権を行使したと発表した。第2位株主のプラス(東京・港)も反対の議決権を行使したアスクル株式の約6割を保有する2社の反対で、アスクルには独立の取締役がいなくなる。」(日本経済新聞2019年7月25日付朝刊・第15面、強調筆者、以下同じ。)

これに先立つ7月23日には、独立社外取締役3名を含む独立役員がベルサール八重洲で記者会見を行い、「Y社による社長退陣要求は上場会社のガバナンスを無視」等、ヤフー側の対応を強く批判したばかりだったから、上のニュースを見た瞬間に、本来この件とは全く関係ない西の方の出来事だったはずの

www.asahi.com

が頭をよぎったくらいだった。

前回と同様に、今週に入ってから、双方が出したリリースを時系列で整理すると以下のようになる。

7月22日
アスクル:ヤフー株式会社の 7 月 18 日付プレスリリースについて
https://pdf.irpocket.com/C0032/GDpy/P0An/IEjX.pdf
※ヤフーがプレスリリースで説明した議決権行使理由や「LOHACO 事業譲渡」に関する説明が事実に反する、という趣旨の反論を展開。
アスクル:よくいただくご質問および当社からの回答について
https://pdf.irpocket.com/C0032/GDpy/eZsy/qFmf.pdf
7月23日
アスクル:ヤフー株式会社からの社長退陣要求に関する一連の件に関する法律意見書取得のお知らせ
https://pdf.irpocket.com/C2678/GDpy/L1Ke/KWIW.pdf
あの、上村達男早大名誉教授の手による18ページにわたる法律意見書を全文掲載*1
アスクル:「アスクル株式会社 独立役員会 記者会見」実施のお知らせ、資料について
https://pdf.irpocket.com/C2678/GDpy/ln8K/nNMa.pdf
※添付されている資料の中身もさることながら、「独立役員会アドバイザー」として出席者欄に登場した「日比谷パーク法律事務所 代表弁護士 久保利 英明」氏のお名前に、皆、目を引き付けられることになった。
7月24日
ヤフー:アスクル株式会社の第56回定時株主総会における 取締役選任議案(第2号議案)に対する、当社の議決権行使のお知らせ
https://about.yahoo.co.jp/pr/release/2019/07/24a/
プラス:アスクル株式会社の第56回定時株主総会における 取締役選任議案(第2号議案)に対する当社議決権行使に関するお知らせ
https://www.plus.co.jp/sp/news/201907/0003752.html
アスクル:ヤフー株式会社ならびにプラス株式会社による当社第 56 回定時株主総会における取締役選任議案(第2号議案)に対する議決権行使について
https://pdf.irpocket.com/C0032/GDpy/RNMl/OSmn.pdf
7月25日
アスクル:7月23日「アスクル株式会社 独立役員会 記者会見」 質疑応答記録について
https://pdf.irpocket.com/C0032/GDpy/C5Mj/YUjs.pdf
アスクル:第56回定時株主総会における議決権行使のお願い
https://pdf.irpocket.com/C2678/GDpy/LXQ0/NX3Q.pdf

ヤフー側の方が情報開示の「手数」としては多かった先週とは逆に、今週は序盤から23日の記者会見までアスクル側が怒涛の反論攻勢を仕掛ける、という形で始まったのだが、ヤフー&プラス側は24日に「社外取締役再任反対」という痛烈なパンチを放ち、それに対して記者会見の質疑応答記録の公開と、株主への「直接呼びかけ」で何とか抵抗しようとするアスクル・・・。

まもなく株主総会一週間前、というタイミングで、ここまでわかりやすく空中戦が展開される、というケースは、これまでほとんどお目にかかったことがなかっただけに、大変興味深い、というのが半分、そしてアスクルの中の事務方の方々の心情は察するに余りある・・・というのが半分、といったところだろうか。

今週も、既にあちこちで様々な意見が飛び交っているのだが、自分が今思っていることを率直に述べるなら、

「ヤフーは何がしたいの?」

の一言に尽きる。

アスクル側のリリースで22日の時点で指摘されているとおり、ヤフー側の行動や主張には元々一貫性がないように思われるし(アスクル社長の再任拒否理由や「後任人事」に関するコメント等)*2、18日のプレスリリースで「岩田社長の取締役の再任議案が否決された場合、当社はアスクル筆頭株主として、引き続きアスクルの上場企業としての独立性が重要との考えから、新経営陣とアスクルの意向を尊重いたします。」と述べておきながら、その「上場企業としての独立性」を担保するための最大の肝である社外取締役に関し、24日のプレスリリースで「業績低迷の理由である岩田社長を任命した責任など総合的な判断から独立社外取締役戸田一雄氏、宮田秀明氏、斉藤惇氏の再任にも反対の議決権行使を行いました。」と手のひらを返すような対応をしたことによって、”場当たり的対応”という印象をますます強く与えてしまうことになった。

ここで、もし、最初から「アスクルの今のガバナンス体制が業績低迷につながっているので、現取締役のメンバーを入れ替え、自社主導で経営を再建する」というスタンスをヤフーがとり、かつ、そのようなシナリオで進めなければいけないことの合理性をきちんと説明できていたなら、賛否両論はあれど、一応「筋の通った対応」として評価してくれる人はもっと多かったことだろう。

だが、将来の紛争で争う材料とされることを恐れてなのか、「総合的な判断から」等、プレスリリースでは必要最小限の情報提供しか行っていない上に、先述したとおり、周りからは、あたかも「社長が機嫌を損ねたから方針転換だ!社外取締役もクビにしてしまえ!」というふうに見えてしまうような対応になってしまっているために、最初は「どっちもどっちなんじゃない?」と思っていた外野の人々も、何となく「大丈夫か?ヤフー・・・」という方向に傾いてしまっているのが今の状況ではないだろうか*3

株主総会で議決権を持たない”外野”の人間はもちろん、他の少数株主でさえ、「議決権の数」で言えばヤフー&プラス連合には手も足も出ない状況だから、ヤフー側も、どう思われようが知ったこっちゃない、経営立て直しのためなら手段を選んではいられない、という思いで突き進んでいるのかもしれない。

また、25日にアスクル側が公表した記者会見の質疑応答記録に記された、「戦術として、今のアスクルに何ができるのか。8 月 2 日までに、と、8 月 2 日を過ぎたあとの挽回方法を教えてほしい」とか(リリース4頁参照)、「上村先生の意見書と、考えは同じか?異なるのであれば、そこはどこか」(リリース5~6頁参照)、「売渡請求権の要件を満たす状況にあると考えているか。あるのであれば、将来チャレンジを受けた際に、十分跳ねのけられるのか教えてください。」(リリース6頁参照)といったセンシティブな質問への久保利、松山両弁護士の回答の歯切れの悪さ*4からも、「議決権の過半数を押さえられている状況では、どうあがいても厳しいかもしれない」という雰囲気は伝わってきており*5株主総会の場で、か、それとも、それ以前に、かは分からないが、結局はアスクル側が白旗を上げることも容易に想像がつくところである。

しかしそれでもなお、「このままヤフー側が押し切る」展開で本件の決着がついてしまうことになれば、上場企業間の業務・資本提携の在り方、さらには、日本における資本市場の成熟性に疑義を生じさせることになるのではないか、というのが自分の懸念するところで、「強い側」にこそ、あと一週間の間に何とか常識的な線で事をうまく収めるだけの度量を発揮してほしい、というのが外野からの切なる願いだったりもする。

本件が、このままの形で進んでいくのか(株主総会においてアスクル現社長と社外取締役の再任が否決される、という幕切れになるのか)、それとも、ギリギリのところで現多数株主の全部又は一部が行使した議決権の内容をひっくり返して*6事が収まることになるのか(その場合、岩田社長と独立取締役の筆頭格である戸田氏だけが退任する、という幕引きになる可能性もある)*7

あるいは、質疑応答でも出ていた「株主総会の延期」を行い、新たに設定する基準日の前に、大株主に対して提携契約に基づく売渡請求権を行使したり、第三者発行を行って大株主の議決権比率を下げたりする、といった大技を使うのか、はたまた、既にアスクル側がリリースでも打ち出している「2019 年 6 月 28 日付「グループ・ガバナンス・システムに関する実務指針」(「上場子会社に関するガバナンスの在り方」)に反する」という主張を大展開して、霞が関から何らかの介入をさせる、というウルトラCを見せるのか等々、(うまく行くかどうかは別として)限られた時間の中でも様々な「手」を使うこと考えられるところ。

ただ、こういう時は、徹底的に争って法解釈の可能性を突き詰めるよりも、当事者のビジネスを少しでも前向きな方向に向けられるような策を考えるべきだ、というのが、世界中の企業の成熟した経営者、担当者に共通したマインドなわけで、できることなら弁護士を前線に出す前にリーズナブルに決着を付けてほしいものだ、と思わずにはいられない。

明日以降も、またいろいろと新たな動きは出てくるのだろうし、それはそれで追いかけていくつもりではあるが、ひとまずはここまでの感想として、以上のとおり書き残しておく次第である。

*1:内容については推して知るべし。ここではあえてコメントはしない。

*2:なお、ヤフーがプレスリリースの中で後任社長の名前に言及したくだりについては、東証からの指摘で削除されたようである(https://about.yahoo.co.jp/pr/release/2019/07/18b/)。

*3:24日のプレスリリースに関しては、前半こそヤフーと概ね同様の書きぶりになっているものの、後半で「アスクルが、ヤフー、プラス両社の議決権行使に関する意向表明後に突如として、ヤフーとの業務・資本提携関係を解消しようとされたことについては、担当取締役が本件発覚後の記者会見の場ですらLOHACO事業での連携を含むヤフーとのシナジーを強調されていたことと相反しており、アスクルの業績の維持向上のためではなく、岩田社長による現体制維持と保身のための行動にほかならないと捉えております。それを適切に是正できなかった独立社外取締役各位の姿勢は、少数株主の立場からしても遺憾であったことを付言させていただきます。」と明確な理由を付け加えたプラス株式会社のリリースの方が(内容の当否はともかく)あるべき姿だと思っている。

*4:これに関しては、両弁護士も述べられているとおり、内容以前に、「独立役員会アドバイザー」という立場でどこまで踏み込んだ発言ができるか、という問題も絡んでいるとは思うのだが、そういったハードルがない状況だったとしても「ご安心ください」と簡単に言える状況ではない、ということは容易に推察できるところである。

*5:この質疑応答のQ11にある「可能性としてヤフーは岩田社長の再任に反対するうえで、戸田さん、安本さんを含め社外取締役についても反対して、取締役の過半数を入れ替えることも可能だと思うが、法律的に可能か。」という問いが、今まさに現実のものとなってしまっているわけだが、これに対する久保利弁護士の回答も、ご本人の歯がゆさが痛々しいくらい伝わってくるものになってしまっている。

*6:ヤフーのリリースでは「議決権行使は、インターネットを用いた方法により実施しました。」とあるので、ひっくり返そうと思えば前日まで(あるいは当日会場で)ひっくり返すことも十分可能なステータスだ、というのが自分の理解である。

*7:戸田氏は2007年から継続してアスクル社外取締役を務めておられるようで、既に10年以上会社とかかわりを持っていることになるから、本当に「独立」した存在なのか?という突っ込みも十分あり得る、という点にも留意する必要がある。

久々に見た「小売商標」の本質を突く攻防~「MUSUBI」商標の不使用取消をめぐって

思えば商標法の世界に「小売商標」なる得体のしれないものが導入され、「当局の説明を何度聞いても運用のイメージがわかない!」という担当者の悲鳴と阿鼻叫喚の中、施行されてからはや12年。干支がくるっと一回りするくらいの月日が流れた。

幸いにも、特許庁の比較的”柔軟”な査定運用のおかげで、昨今の「新しいタイプの商標」のような悲劇的な事態*1は生じなかったし、さらに幸いなことに、小売等役務の区分で登録された商標が紛争の道具として使われることもそう多くはなかったように思われる。

それゆえ、「小売・卸売の区分で商標を使いたい会社が淡々と商標を出願して登録し、淡々と使っている」という実務者的には極めて幸福な時間が今に至るまで流れているわけだが、それは裏返すと、制度導入当時にいろいろと議論されていた「小売等役務商標の本質」とか、そこから導き出される「小売等役務商標の権利範囲」はどこまでか?という解釈論があまり煮詰まってこない、ということにもつながる話なわけで・・・。

この辺の解釈論がしっかり示された裁判例としては、かなり前にこのブログで取り上げた「Blue Note」商標の無効審判不成立審決取消事件の判決(知財高判平成23年9月14日)*2を挙げることができるが、その後、これに続くような判断には長らく接していない気がする。

また、侵害事件としては昨年、「ジョイファーム」という小売等役務が指定された商標を保有する原告が、類似の標章を付して商品販売をしている被告を訴え、被告商品と小売役務との類似性が争点になった興味深い事案があったが(東京地判平成30年2月14日)、ここでも、小売商標の本質論まで遡る、というよりは、原告商標の指定役務と被告商品と具体的に比較した上で、事例固有の判断として非類似、という結論が導かれており、若干フラストレーションがたまるところはある。

そんな中、「カタログギフト販売」という昔ながらのビジネスにおいて、「『小売商標が使用されている』といえるかどうか」が真正面から争点となった審決取消訴訟(不使用取消審判不成立審決取消請求事件)の判決がアップされた。

結論から言うと、「商標は使用されている」という特許庁の結論は維持されているし、事案に照らせば、自分もまぁそうだろうな、と思うところではあるのだが、当事者の主張も含め、いろいろと興味深いところはあるので、ここでご紹介させていただくことにしたい。

知財高裁令和元年7月11日判決(平成30年(行ケ)第10179号)*3

原告:株式会社カケハシ
被告:株式会社千趣会

原告はいわゆるメディカルテック系の会社、一方被告は「ベルメゾン」のブランドで通販事業を展開する老舗企業。

そんな両当事者が「使っていない」「いや、使っている」という争いを繰り広げたのは、総合小売から特定小売までかなり広範囲の小売等役務を指定して被告が登録した「MUSUBI」(登録番号第5275079号、登録日平成21年10月23日)という商標である。

被告は「カタログギフト」のブランドとして現在でもこの商標を使っているし*4、一方の原告は電子薬歴システムの名称として「Musubi」を使っている模様*5

特許情報プラットフォームを見ると、原告は2018年2月16日に「Musubi」の文字を含む商標を「薬剤及び医療補助品の小売又は卸売の業務において行われる顧客に対する便益の提供,化粧品・歯磨き及びせっけん類の小売又は卸売の業務において行われる顧客に対する便益の提供」を指定役務として出願しており(商願2018-19435)、同日に被告に対する不使用取消審判請求を行っているので、何のためにこの請求を行ったか、ということは容易に理解できるのだが、原告が自社出願商標に関連する指定役務だけでなく、被告登録商標の第35類のほぼすべての役務に対して不使用取消審判を仕掛けたこと、そしてその理由として、

「被告の事業は「小売の業務において行われる顧客に対する便益の提供」ではない」

という直球を投げたことで、事件はがぜん興味深いものとなった。

原告の主張はまず、

「商標法上の「役務」とは,他人のためにする労務又は便益であって,独立して商取引の目的となるものをいい,商品の販売又は役務の提供等に付随して提供される,例えば,買上げ商品の配送のようなものは含まれないと解される。」(5頁)

というところから始まる。

そして、原告は、被告の取引態様を分析した上で、

・被告は需要者である「贈り主」(「ギフトカタログ」の購入者)に対し,ギフトの贈答の媒介又は代行を行っており,これによって「ギフトを通し人と人を結びつけ」るという価値を提供している。上記取引において,「受取手」が選択した商品の商標権者である被告から当該受取手への商品の配送は,被告から「贈り主」に対するギフトカタログの販売がなければ存在し得ないものであるから,当該商品の配送は,ギフトカタログの販売に付随するものであって,独立した商取引の対象になっていない
・被告は,カタログギフト業を「ギフトカタログ」を「贈り主」に販売することによって実現しているから,商標法上の商品役務としては,被告の事業は,「印刷物」の販売に当たる*6
・被告による「ギフトカタログ」の販売は,第36類の「前払式支払手段の発行」に当たる。
(以上、5~7頁、強調筆者、以下同じ。)

という趣旨を述べ、「被告は『小売の業務において行われる顧客に対する便益の提供』に関して商標を使用していない」と主張したのである。

「前払式支払手段の発行」とまで言ってしまうのはさすがに言い過ぎかな、と思うところはあるが、「ギフトカタログを通じた取引」が「カタログ掲載商品のストレートな『小売り』行為ではない」というのはまさに原告の指摘するとおりだし、各商品に関して『小売』を行っていないのだとしたら、付随する配送等の行為だけで広範囲な小売等役務の区分での登録を維持することを認めるべきではない、という主張はちゃんと理屈も通っている。

これに対し、被告は、

「贈り主」は,ギフトカタログそのものに価値を認めて対価を支払っているのではなく,カタログオーダーギフトにおける,被告が選別した商品群が掲載されたギフトカタログの送付及びその商品群から「受取手」が選択した商品の配送等の一連のサービスに価値を認めて被告に対価を支払い,また「受取手」も,「贈り主」自身によるサービスではなく,「贈り主」が購入した被告によるサービスを受けているものと認識する。したがって,被告はいわゆる小売業者に相当する。」
「そして,被告は,被告のギフトカタログに各種商品を掲載し,「受取手」が好みの商品を選べる形式で商品を販売したものであって,「受取手」は各種商品が取り揃えられ,掲載されたギフトカタログを見るだけで商品の選択及び注文ができるようしていたといえるから,被告は,需要者である「受取手」に対して商品選択の便宜のために販売する各種商品が掲載された被告のギフトカタログの提供を行っているということができる。これは,小売業者が顧客に対して行う便益の提供に該当する。」(以上8頁)

と、「自らが小売の業務を行っており」かつ「顧客に対して便益の提供をしている」という二段構えの構成で反論した。

両者を並べて眺めると、一見噛み合っていないようにも見えるのだが、これまで議論されていた点*7とは少々異なる角度から「(商品の)小売」とは何か、というのが争われた、ということもあって、掘り下げるとより面白い議論になったのではないかと思う。

裁判所の判旨への疑問~シャディ判決の「原点」は忘れられたのか?

さて、裁判所は、以下のように述べて、原告の請求を退けた。

「被告のカタログオーダーギフト事業においては,「受取手」に被告が発行したギフトカタログが送られ,「受取手」は被告に同ギフトカタログに掲載された各種の商品の中から選んで商品を注文し,被告から商品を受け取り,その商品の代金は,「贈り主」から被告に支払われるのであるから,被告は,「贈り主」との間では,「贈り主」の費用負担で,「受取手」が注文した商品を「受取手」に譲渡することを約し,「受取手」に対しては,「受取手」から注文を受けた商品を引き渡していると認められる。したがって,被告は,ギフトカタログに掲載された商品について,業として,ギフトカタログを利用して,一般の消費者に対し,贈答商品の譲渡を行っているものと認められるから,被告は,小売業者であると認められ,小売の業務において行われる顧客に対する便益の提供を行っているものと認められる。そして,上記便益の提供には,本件使用カタログが用いられているから,本件使用カタログは,「役務の提供に当たりその提供を受ける者の利用に供する物」と認められる。」(12~13頁)

冒頭にも記した通り、商標法50条1項にいうところの「使用」の事実あり、と認めた裁判所の結論に対しては、自分はそんなに大きな違和感は抱いていない。

だが、気になったのは、上記説示の中で、「被告=小売業者」と認めた後に、そのまま「顧客に対する便益の提供を行っているものと認められる」と認定したくだりで、その前段の事実認定部分と合わせ読むと、あたかも「業として・・・一般の消費者に対し、贈答商品の譲渡を行っている」ことだけで、「便益の提供を行っている」と言えるかのように読めてしまう点である。

この点に関しては、「小売り」=「物品の譲渡」それ自体は、商品商標の権利範囲に含まれる使用態様であり、第35類の指定役務は「譲渡」そのものとは異なる何か、を指している、というのが、小売商標制度施行当時の特許庁の公式見解だったはずだし、「Blue Note」の知財高裁判決等においても前提となっていたはず。

そして、「通販カタログ」に関しては、「小売商標」制度創設の「原点」ともいえる「シャディ」事件高裁判決(拒絶査定不服不成立審決取消請求事件、東京高判平成12年8月29日*8)の中で、まさに以下のように指摘されていたところだった。

「原告の営業は、まず、原告が、一般消費者である顧客に対して本件カタログを頒布することによって、自己の取り扱う各種の商品を広告宣伝し、かつ、売買取引を誘引し、顧客は、上記代理店を通じて原告に商品購入の申込みをし、これを受けて、原告は、代理店を通じて、在庫の商品を顧客に手渡し又は配送して、売買が成立するという仕組みであることが認められる。これによれば、本件カタログに工夫が凝らされ、顧客において、本件カタログを見るだけで商品の選択ができるようになっており、この点において、顧客を誘引し、販売を促進するための他の手段との間に相違があるとしても、原告の営業が個々の商品の売買という取引以外の何物でもないものであり、本件カタログを利用したサービスは、結局のところ、上記売買において顧客を誘引し、販売を促進するための手段の一つにすぎないことが明らかである。」
「また、前記(1)掲記の事実によれば、顧客は、原告の提供するカタログによるサービスを積極的に利用するとしても、原告に支払うのは、商品代金のみであり、サービスに対する対価としての支払いは存在しないから、原告が商品の価格に実質的に上記サービス費用等を上乗せしているとしても、それは、他の販売促進手段が採用された場合にその費用等が上乗せされる場合と何ら異なるものではなく(原告が上記上乗せの限度を超えたものを商品価格に加えていることは、本件全証拠によっても認めることができない。)、上記サービスは独立して取引の対象となっているわけではないことが明らかである。以上によれば、原告の本件カタログによるサービス業務は、商品の売買に伴い、付随的に行われる労務又は便益にすぎず、商標法にいう「役務」に該当しないものというべきである。」

当時は、この「商品の売買に伴い、付随的に行われる労務又は便益」を商標として保護する制度がなかったために当時のシャディ株式会社の主張は認められなかったのだが、それを「独立した役務」として保護するために小売商標制度が作られた、というのが2007年当時の立法担当者の説明だったし、だとしたら「ギフトカタログを利用して商品を譲渡すること」ではなく、「商品の譲渡に際してギフトカタログを利用すること」こそが、被告商標の指定役務の内容、というべきではなかろうか。

知財高裁は、シャディ事件高裁判決も当然念頭に置いた上で、「ギフトカタログを利用して」の一節だけで十分趣旨は理解されるだろうと考えたのかもしれないが、一方で、逆に、「物品の譲渡=小売」を行っていれば「・・・便益の提供」の指定役務で使用しているといえると判断した、という読み方もできるところ。

元々、自分の考えは、「商品区分との間で守備範囲が重複するとしても「小売等役務」の権利が及ぶ範囲に「小売」行為そのものを含めるべきだ」*9というものなので、裁判所がそういう考え方に舵を切ってくれた、というのであれば喜ぶべきなのかもしれないが、その部分の解釈があまり煮詰まっていないために、新たな事例が出てくるたびに判断が揺れるようでは、実務者としてはちょっと困るわけで・・・。

この分野に関しては、裁判例が少ない分、いざという場面での判断の予測が付きづらい、という問題がどうしても付きまとうのだが、せめて「小売商標」の本質にかかわる部分に関しては、筋の通った判断で早めに解釈を固めていただければな、というのが、今のささやかな願いである。

*1:2015年に多くの会社が競うように出し合った「色彩のみからなる商標」のその後の惨状については、別の機会にまたまとめておきたいと思っている。

*2:小売商標の権利範囲に関する基準定立の試み - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~参照。ここでかなりしっかりした規範が示された、ということで、皆安心したところはあるのかもしれないが・・・。

*3:第2部・森義之裁判長、http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/789/088789_hanrei.pdf

*4:ベルメゾンのカタログギフト人気No.1 MUSUBI(むすび) | 通販のベルメゾンネット参照。

*5:https://www.kakehashi.life/参照。

*6:なお、本件被告商標は第16類「印刷物」の区分でも登録されている。

*7:例えば、制度創設初期の頃からよく話題になるのが、「各出店者が商品を販売しているショッピングモールの運営者が「小売の業務において行われる顧客に対する便益の提供」を行っているといえるかどうか」という問題である。最近は見た目は以前と同じようなショッピングモールでも、単なる賃貸借契約ではなく、消化仕入れ契約で、法的構成としてはモール運営者が自ら販売者の地位に入るパターンも混在するようになっているから、モールのオーナーでも躊躇せず小売等役務の区分で商標を確保するようになってきているが、2007年頃は権利取得の必要性についてかなり真剣に議論したものだった。なお、本件被告の千趣会のビジネスモデルは基本的には自ら商品を仕入れて売りさばく、というモデルのようなので(千趣会・新中計のポイントは? 通販事業の在庫圧縮に注力、19年までに体制整備へ | アパレルウェブ:アパレル・ファッション業界情報サイトなども参照。小売業界全般の例にもれず、ネット通販全盛期においてはなかなか厳しい状況が続いているようではあるが・・・)、この論点自体はあっさりクリアできると思われるが、逆に、将来的に在庫を持たないモデル(軒貸しモデル)に転換した場合にはどうなるのだろうな?という興味は湧くところである。

*8:http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/023/013023_hanrei.pdf

*9:2019/7/25 追加注:というか、そもそも、メーカー直営ショップのようなごく限られた例外を除けば、現実の取引において、「小売等役務」に関して用いられる標章(小売店そのもののブランド)と、「商品(の譲渡)」の場面で用いられる標章(譲渡する商品を示すためのブランド)とでは、機能も需要者の受け止め方も全く異なるのであって、「小売」において用いられる商標には、商品商標からは独立した権利範囲を認めるべき(したがって一律にクロスサーチを行う、という運用も論外)、というのが自分の長年の持論である。したがって、第9類「電子出版物」及び第16類「雑 誌,書籍」の指定商品と、の第35類「印刷物の小売又は卸売の業務において行われる顧客に対する便益の提供」が互いに類似する、と安易に判断した知財高判平成30年12月20日(Violet)のような判断も、個人的にはいかがなものかと思っている。

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