壮絶な潰し合いの末の悲劇。

新装開店したターフで、2週目に迎えるは3年ぶりに京都に戻ってきた春の天皇賞
主役を演じるのは前走・日経賞で復活優勝を遂げたタイトルホルダーで、人気者の姉・メロディーレーンと同枠で仲良く共演しつつ、いつもの逃げ戦法から華々しく連覇を遂げる・・・。

多くのファンがゲートが開く前に描いたのは、そんな出来すぎたストーリーだったのだろう。タイトルホルダーの単勝は1.7倍という圧倒的人気。

基本的には天邪鬼で、この日も大本命馬に逆らってアスクビクターモアを推していた自分ですら*1、ワイド、三連複となるとタイトルホルダーを外す選択はできなかった。

ところが・・・

スタートを切った瞬間は、順当に先行するかに思えたタイトルホルダーに、大外枠のアフリカンゴールドが競りかけハナを奪いとる。

逃げてナンボの脚質、阪神大賞典でも人気薄ながら逃げがはまってあわやの4着に残り今回ブリンカーまで着用してこの一戦に賭けてきた8歳馬にしてみれば、相手がどんな人気馬でも易々と先手を取らせるわけにはいかなかったのだろう。

だが3200mの長丁場で出だしからそんな意地の張り合いをすれば、どういう結果になるかは火を見るより明らかだ。

結果的に、レースのペースは映像を見ただけで「ああっ」と天を仰ぎたくなるくらいのハイペース。アフリカンゴールドは向正面で早々と失速し、落ち着くかと思ったところで今度はアイアンバローズが前に出て引っ張る・・・という実に壮絶な展開となってしまった。

こうなるとどんな一流馬でもゴールまでは持たない。

明らかに無茶をして心房細動を引き起こしたアフリカンゴールドはもちろんのこと、アイアンバローズも、さらにかの馬たちに追随して先行したアスクビクターモア、ディープモンスターといった馬たちも直線に入るか入らないかくらいのところで力尽きて沈んでいく。そして、ファンの夢を背負っていたタイトルホルダーですら、最後のコーナーを回ったところで完全に姿を消してしまった。

代わって主役に躍り出たのは瞬発力勝負に秀でた末脚自慢の馬たちで、特に父譲りの切れ味自慢、ジャスティンパレスにしてみたらこんなに美味しいレースはなかっただろう。ルメール騎手の手綱に導かれて文句なしの差し切り勝ち。
さらにこの日絶好調だったレーン騎手が操るシルヴァーソニックも後方から一頭だけ違う脚色で3着に飛び込んできた。

2着に入ったのが勝ち馬と双璧をなす切れ味自慢のボルドグフーシュではなく、唯一生き残った先行組・ディープボンドだったことが意外といえば意外で*2、さすが二度も超不良馬場の凱旋門賞に挑んだ馬は違うなぁ・・・と思わず感心したものだが、それは、それくらいタフでなくては生き残れないということを証明する結果の一つだったともいえる。

勝ち馬がゴールして間もなく飛び込んできた「タイトルホルダーの騎手が下馬して競走中止というアナウンスには悲鳴に近いどよめきが起きたが、自分はその時「故障」の可能性よりも、「馬自身が走るのをやめた」可能性の方が高いのではないかと勝手に思っていた。

壮絶な先行争いで消耗し、連覇を狙ったレースでもはや勝てない、ということが明白になった時点で、理由は何であれ、全力で走ることをやめてしまう。

もしそうだったとしたら、何て人間味のある馬なんだろう・・・と思ったのはここだけの話にしておいて、今は、今回の激闘に巻き込まれた馬たちが一頭でも早く無事に戻ってきて、次のレースで雄姿を見せてくれることを願わずにはいられないのである。

*1:何と言ってもこのレースで人気の落ちた菊花賞馬ほど美味しいものはないので・・・。

*2:昨年までこのレースでは2年連続2着だったとはいえ、コースが変わってもなお2着を死守したあたりは立派というほかない。

人口減は「悪」なのか?

ここ数年、年がら年中「少子化対策を・・・」という声が飛び交うのを聞きながらふと思うことがある。

「この国の人々は、いつから人口が減ることをこんなにネガティブにとらえるようになってしまったのだろう」と。

今朝の朝刊の記事も、そんな何だかなぁ、に輪をかけるようなものだった。

「国立社会保障・人口問題研究所は26日、長期的な日本の人口を予測した「将来推計人口」を公表した。2056年に人口が1億人を下回り、59年には日本人の出生数が50万人を割る。人口規模を保てなければ国力は縮みかねない。人口減社会でも経済成長の維持を目指す施策を急ぐ時期にさしかかっている。」(日本経済新聞2023年4月27日付朝刊・第1面)

記事の書き出しはいつものようにセンセーショナルだが、この後に続くグラフを見ると拍子抜けする。

人口が1億人を割るのは今から30年以上も先の「2056年」、さらに50年近く先の2070年になっても8700万人もの人口が残っているとは・・・。

もちろん、この予測を示したのが国立の機関であることからすると、大なり小なり”楽観”が入り込んでいる可能性はあるし、東日本大震災級の自然災害や新型コロナ級の感染症禍がこの先訪れない保証はないから、人口減のピッチがもっと早まる可能性も当然あるとは思う。

だがそれにしても、この狭い国土に今世紀末まで8000万人以上の人々が残る、という想定で”悲観”するなんて・・・というのが自分の率直な感想である。

なぜそんなことを言うかと言えば、自分がかつて興味をもって調べていた1960年代後半という時代が、まさに日本の人口が1億人を超えようか、という時に重なっていて、そして少なくとも当時の新聞各紙の論調には悲観的なものが極めて多かった、ということを記憶しているから。

当時、世にあふれたベビーブーマー世代が大学で過激な闘争を繰り広げ、街中の凶悪犯罪も多かった、という世相も影響していたのだろうが、これ以上人口が増えたら都市部が過密化して住めるところがなくなる、といった話から、環境汚染、食糧危機といった話まで世論は警鐘に満ちていた。

その後、この国の経済が順調に成長し、都市開発も一気に進んだのと歩調を合わせるように、人口増加のペースも落ち世の中が安定したために、自分が生まれた頃には国内で人口増に警鐘を鳴らす声もほとんどなくなっていたようだが、世界を見渡せば、際限なく増える人口が新たな貧困を生むことへの警鐘はずっと鳴らされ続けていた*1

それが今や(滑稽なほど)真逆である。

このような傾向が、経済低迷の原因を人口動態の変化に求めた藻谷浩介氏的思想の浸透によってもたらされたものなのか、はたまた「少子化対策」を商機と捉える勢力の飽くなきロビイングによってもたらされたものなのかは分からないが、いくら何でも極端に振れすぎだろう、と自分は思う。

もちろん、生産年齢人口と「高齢者」層のバランスが崩れることによって生じる痛みはあるだろうし、ありとあらゆる生産活動の現場で今と同じだけの「人手」を求めようとすれば「足りない」という声も当然出てくるだろう。

だが、前者は一時的な歪みを超えれば解消する話で*2、後者は現在既に多くのホワイトカラー職場で人員の「余剰」が生じている現実をあまりに看過しすぎている*3

そして、シンプルに考えれば、この狭い国土が抱えるにしては「1億人」という人口はあまりに多すぎるのだ。

昨今の状況を見れば、人口減=悪、という風潮がやむことは当面ないだろうし、↑のような、都会で暮らす人間が抱くシンプルな感覚が顧みられる日もしばらくは来ないだろう。

ただ、冒頭で取り上げた記事のように「人口」の増減をGDPの数字の増減と並べて論じるのであれば、その前に「一人当たりGDP」の指標も確認しなければフェアな考察とは言えないように思う。

「世界3位の経済大国」といったところで、一人当たりの数字に直せば、フィンランドやベルギー、ニュージーランドにすら及ばず、隣の台湾、韓国とも大差ないところにまで落ち込んでしまうわけで、その状況を変えずして、「人口」にいくらこだわったところで片腹痛し・・・。

ということで、まだまだしばらくは飛び交うだろう雑音に顔をしかめつつ、いつか”常識”で語れるようになる日が来ることを静かに待つことにしたい。

*1:最近は、「一人っ子政策」を取った結果、人口が頭打ちになりつつある中国と、未だ猛烈なペースで人口増が続くインドを比較して、後者を賛美する論調もよく見かけるが、伝統的な人口政策の観点からいえば、(かの政策が強制されていたことの当否はともかく)つい最近まで成功とみられていたのは中国の方で、インドは長らく「失敗」した国、とされていた。

*2:そもそも今の60代、70代の人々の推定余命を考慮すると、現在の政府の推計ほど「高齢者」層が分厚くなることはない、と自分は確信している。戦争の時代を生き延びた今の80代、90代(&それ以上の世代)と、その下の世代とでは、生物としての「生きる力」が明らかに違うのだから・・・。

*3:要は、今顕在化しつつある「人手不足」は、人材リソースの配分の不効率性に起因するのであって、「人口減」と直接関係する話ではない、ということである。仮にこの先、少子化対策が効を奏して人口が増加に転じることがあったとしても、単純労働の現場に人が戻ることは決してないし、その分野での「労働力不足」を補うためには、外国人労働者受け入れ施策をはじめとする別の手立てを講じることが不可欠だと自分は思っている。

繰り返される愚挙には何度でも警鐘を。

またか・・・と思わされたニュース。

「大手総合商社「双日」の社員が同業他社から転職する際に営業秘密を不正に持ち出した疑いがあることが25日、捜査関係者への取材で分かった。警視庁は同日までに東京都千代田区にある双日の本社などを不正競争防止法違反の疑いで家宅捜索し、全容解明に乗り出した。
「捜査関係者によると、双日に勤務する30代男性社員が昨年夏、別の総合商社から転職した際に同社の営業秘密を不正に持ち出した疑いがある。警視庁は男性社員が転職前に在籍していた総合商社から相談を受け、捜査を進めていた。
「警視庁は双日本社のほか、男性社員の自宅などを捜索した。同庁は今後、押収した資料を分析するなどして詳しい経緯を調べる。」
日本経済新聞2023年4月26日付朝刊・第39面、強調筆者、以下同じ。)

つい半年ほど前にも、自分は企業間の転職者を介在した営業秘密の取得・開示、といった問題に、刑事司法権力が過度に介入することを憂うエントリーを書いた*1

その事件の刑事公判が淡々と進んでいる中、今度は「総合商社間の転職」という背景の下で再び同じような思いを抱くことになろうとは・・・。

さすがに被疑会社が名門商社であることに配慮したのか、本件はいきなり当事者逮捕、という登場の仕方はしていないし、強制捜査ですらリアルタイムでは報じられていない。

だが、既に警視庁が動いていて、おそらくは民事より先に「刑事」の世界で不正競争防止法違反の成否が検討される、という状況には何ら変わりないわけで、この種の紛争の解決策としてはまさに下の下、である。

これまでのエントリーの中でも何度となく書いてきたことだが、不正競争防止法上の「営業秘密」に関する要件は基本的に抽象的で、事案に応じていかようにでも判断できるような「解釈の幅」があるものとなっている。

当事者ががっぷり四つで主張しあい最終的には裁判官の判断に解決が委ねられる民事事件であれば、それくらいのフレキシブルさはあってもよいと思うが、これが刑事事件となると話は全く別なわけで、かくして、知財に通じたものであればあるほど、裁判所の判断に首をかしげたくなることが多い、という現実もある。

それでもなお、この種の事案で警察が率先して動く機会が増えている、というのは、どうにもこうにもセンスがないなぁ・・・と思わざるを得ない。

この事件もまた、捜査当局が練り上げたシナリオどおりの進行になっていくのか、それとも愛知製鋼事件*2のようにストーリーに乗っかりすぎることによる弊害を重くみるのか・・・

現時点で外部からそこまでの見通しを立てることは極めて難く、遠巻きに眺めることしかできない話ではあるのだが、たとえ結果論ではあっても、本件が当事者双方にとって話が少しでも未来にとっての前向きな材料になることを今は願うばかりである。

ようやく帰ってきた「京都」がもたらすダイバーシティ。

長らく改修工事が続いていた京都競馬場が、実に2年5カ月ぶりに中央競馬の開催地として戻ってきた。

春の天皇賞、そして秋の定番だった秋華賞菊花賞エリザベス女王杯マイルCSといったGⅠシリーズの舞台から「京都」の名が消えてもう久しかったから、最後に京都競馬場でGⅠが開催されたのが新型コロナ禍が始まる前だったのか後だったのか、という記憶すら曖昧になっていたのだが、調べてみたら、無観客で行われたコントレイルの三冠達成の舞台まではまだ京都。

その事実をもって、意外と開催休止期間は短かったんだな、と思うのか、それともそんなに経ったのか、と思うのか、に世代と競馬歴の長短がどうしても出てしまうわけで、自分は当然前者だったりもするのだが、それでもラジオから流れる「京都競馬場○○レース」というコールを聞いて、なんだか懐かしい気持ちになったのは同じである。

コース中の高低がトリッキーで仕掛けるタイミングも独特な京都コースは、他の競馬場との比較でも一種独特なアクセントになっていて、栗東所属の馬でも「京都コースが得意な馬」と「阪神コースが得意な馬」の傾向は、かなりはっきり分かれていた。だから、馬を走らせる側はその違いをうまく見抜いてローテーションを考えていたし、その違いを読んで人気が落ちた馬を救い上げる、というのも「勝てる予想」の一つのパターンだったわけだが、そのアクセントを失ったこの2年半、西側の大レースがもっぱら阪神でのみ行われるようになったために、どうしても競馬界の勢力図が単調になってしまったところはあったような気がする*1

人間にとっては短い時間でも、馬にとっては競走馬の旬の時期が丸々重なる、ということもあったりしたわけで、そういった悲喜こもごもを見ていくとキリがないのだが*2、これでようやく選択肢が整った、という点ではよかったのではないかと思っている。

ちなみに、この土曜日、日曜日、恵まれた天気の中行われたリ・オープニングシリーズの様子を聞きながら思ったのは、ピカピカのおろしたての馬場にしては結構差し・追い込みが決まるな、ということ。日曜日には芝コースを走るのは1年ぶり、しかも阪神コースで3たび敗れ最後はタイムオーバーの屈辱まで味わっていた自分の出資馬(14番人気)がほぼ最後方から直線一気で3着に突っ込んでくれたおかげで、この2日間の京都競馬場の回収率は295%という驚異的な数字になってしまった。

さすがにこんな出来すぎた結果がずっと続くはずもないのだけれど、多様性が保たれることの大事さは、こんなところにも表れているな、ということで、これも一つのネタとしてメモしておくことにしたい。

*1:もちろん、間に挟まる中京コースと、阪神コースとの間での得意不得意も結構はっきり分かれるので、それはそれで予想には活用できたとはいえ・・・。

*2:自分がかかわった馬の中にも、京都コースを使えたらもっと走れたのにな・・・という馬は何頭かいた。

空前の「国内旅行」ブームとその先にあるもの。

今年はすごいことになるだろうな、というのは何となく気付いていた。

土曜日の日経紙の記事より。

国内の観光需要が回復している。21日に発表した国内航空11社のゴールデンウイーク(GW)期間中の予約人数は、国内線の予約客の合計が245万人と前年同期比で23%増えた。国際線は8社の合計で36万人と約3倍になった。」(日本経済新聞2023年4月22日付朝刊・第3面)

今思えば、去年のGWも、「久々の緊急事態宣言下ではないゴールデンウィーク」ということで、当時の感覚では随分と人が動いていた気がしたし、実際それは旅客数のデータにも表れていた*1のだが、今年はさらにここから大幅増となるだろう、というのが、現在のほぼ確実な見通しである。

そう、新型コロナ禍下を約3年もの間過ごしてきた人々は、とにかく消費することに飢えているのだ。

そして、不運にも29日が土曜日と重なってしまったために、海外にまで足を伸ばすには少し体力がいる今年の曜日配列は、まさに「国内旅行のための黄金週間」である。

「コロナ前」は、国内のホテル・旅館のバカバカしいくらいの高価格設定を敬遠して、「それなら海外の方がよっぽどマシ」と羽田から早々に飛び立っていった人々も、「今年まではまぁしょうがない」という感覚で、でも、今の世の中の雰囲気でどこにも行かないのはさすがに耐えられない、と”近場”の国内観光地で妥協する。

そんな行動パターンが積み重なった結果生まれた、”かつて”を彷彿させるようなホテル・旅館の価格帯の高騰。5月の連休ピーク時は飛行機も鉄道も予約はまぁまぁ取りにくい。

ここ数年、さんざん苦しい目にあわされてきた国内観光業界にしてみればまさに待ちに待った瞬間の到来だし、腕まくりして観光客を迎える準備を整えている方々に向かって、「なんて暴利な・・・」などと言うつもりは全くないのであるが・・・

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唸り始めた新血脈。

いつの時代にも「迷ったら父の名で」という種牡馬はいる。

産駒がデビューし始めた頃のサンデーサイレンスなどはまさにそんな感じだったし、2010年代はキングカメハメハに随分と助けられた。

勢いが付きすぎると、そのうち大レースはことごとく「強い種牡馬」の子供たちで埋め尽くされてしまうことになるから、人気的な妙味は失われるし、買う方も飽きる。だから、こういうのは”出初め”のうちにいかに見抜くか、ということに尽きるのだが、その意味で今一番”旬”なものと言えばキタサンブラック産駒」だろう、と自分は思っている。

その背景にあるのが、昨年の年度代表馬・イクイノックスの活躍のインパクトであるのは間違いないのだが、それでも昨年のうちは、かの馬が春のクラシックで未完成さを露呈していた姿を眺めて「父馬と同じく晩成型だなぁ」と思っていたりもしたものだった。

だが、今年になり、春のクラシック1冠目から既に昨年以上の「地殻変動」の兆しが見えている。

桜花賞、最後はリバティアイランドの鬼脚に敗れ去ったものの、先行してあわや、の伸びを見せたコナコースト。

そして、皐月賞、前週とは異なり前日までの激しい雨の影響が残る重馬場で、前週の再現のような大外一気で直線16頭をごぼう抜きしたソールオリエンスの走りを見た時に、自分は2023年が名実ともに「父・キタサンブラック」の年になることを確信した

先行してもバテるどころか、そのまま気持ちよくゴールまで走り切ってしまうスタミナや、重馬場でも動じない逞しさは、最盛期の父の姿を見ていれば「遺伝だなぁ」と思うところではあるのだが、それが後方からの「切れ味」にも転化するのがこの血統の凄いところ。

重馬場には強いはずのサトノクラウン産駒(タスティエーラ)やハービンジャー産駒(ファントムシーフ)をもってしても止めようがなかったこの末脚は、さらに進化することはあっても当面衰えることはないだろう。だとしたら少なくとも「二冠」は堅い・・・。

昨年の2歳馬リーディングでは17位、今年のリーディングでも未だ7位にとどまっている、というあたりにこの父親の「晩成」色は依然現れていると言えるのかもしれないし、そもそも供用当初の期待度がそこまで高くなかったことの裏返しなのかもしれないが、この調子で大一番での強さを見せ続ければ、いずれこの父の名が大レースの馬柱を埋め尽くす時代が来ることは想像に難くない。

いつだって”旬”は短いこの世界。

個人的にはサンデーの再来かも?と思っているブリックスアンドモルタルの産駒*1が今夏デビューした途端に再び時代は変わり始めるのかもしれないが、まずはこの足元の快進撃がどこまで続くのか。

「もう一回」めぐってくる今年の春のクラシックの行方とともに、ささやかに予想してみることにしたい。

*1:何と言っても産駒たちの気性の荒さと、成長軌道に乗った時の成長っぷりが、90年代半ばのあの伝説種牡馬の子供たちを彷彿させるのである。

筋違いな議論はもういらない。

先の統一地方選前半戦で、まさに「維新」一色に染まった大阪に、とうとうIRの神が舞い降りた。

「IR」といっても、このブログでお馴染みのInvestor Relationsではなく、Integrated Resortのほう。

「日本初のカジノを含む統合型リゾート(IR)が実現に向けて動き出した。政府は14日、2029年の開業を目指す大阪府大阪市の整備計画を認定した。10年開業のシンガポールをモデルに観光消費や民間投資を取り込む。IRを巡る国際競争は激しく、ギャンブル依存症の問題が指摘されるカジノに収益の大半を依存するリスクもある。」(日本経済新聞2023年4月15日付朝刊・第1面、強調筆者、以下同じ)

個人的には、いつまでたっても定着しない「IR」という言葉が耳障りであることを除けば、事柄自体はまぁいいんじゃない、という話である。

↑の記事にもあるとおり、この手の話が出るたびに、「ギャンブル依存症」という言葉が枕詞のように使われるのだが、

パチンコ、パチスロが市中堂々営業している国で、こういう時だけ「依存症」を持ち出すなんて片腹痛し・・・

というのが率直な感想なわけで、一般庶民になけなしの金を使わせる巷のそれと比べれば、全然マシ、というのが正直なところだろう。

加えて、カジノを作れば、運営する会社も誘致した自治体も大概儲かる、という事実も否定するつもりはない。

「大阪では大阪湾の人工島・夢洲(ゆめしま)にカジノや国際会議場、高級ホテルなどをつくる。29年秋~冬の開業を目指している。来訪者は年2000万人、年5200億円の売上高を見込む。」(同上)

という皮算用は、いささか盛りすぎている気がしなくもないが、大阪万博が終わった後、広大な敷地を廃墟にしてその維持費に税金をつぎ込むくらいなら、税収を期待できる施設を作る方がよほど賢いと思う。

ただ、これが、純粋な「カジノ推し」の話ではなく、「観光」戦略と結びつけるとなると話は別で、今回の記事にも出てくる以下のような”期待”をそのまま当て込んでしまうと、いずれ目も当てられないことになるのは明々白々。

「大阪IRは成功例とされるシンガポールを参考にする。10年開業の「マリーナベイ・サンズ」と「リゾート・ワールド・セントーサ」はテーマパークや水族館、劇場などを併設。同国の19年の外国人客は約1900万人と10年比で6割程度増えた。IRを軸に国際観光都市の地位を確立した。」

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