そろそろ不毛な議論に終止符を。

「生成AIと著作権に関する議論は先日のエントリーでも取り上げたばかりではあるのだが*1、今日の朝刊の「経済教室」に、早稲田大学の上野達弘教授による著作権法の権利制限規定を”諸悪の根源”であるかの如く批判する近時の見解」を鮮やかなまでに斬る論稿が掲載されているのを拝見し、これぞ真打ち・・・と大いに感服したので、ここで紹介させていただければと思っている。

あえて自分が解説するまでもなく、実に美しく分かりやすい言葉で書かれている論稿ということもあり、本エントリーのほとんどは「引用」に依拠することとなる点は、ご容赦いただければ幸いである。

経済教室「AI規制の論点(上)/「生成」と「学習」区別し対応を」*2

上野教授は、「クリエイターやメディア」が著作権法の「情報解析規定」*3、に懸念を示している、という状況を紹介した上で、情報解析規定の意義について以下のように説明する。

「情報解析規定が対象とする行為はAI学習に限られるものではなく、大量データ解析を広く含む。例えばSNS(交流サイト)における大量の書き込みを網羅的に収集・解析して将来の流行を予測したり、大量の医学論文を網羅的に解析して新しい薬品や治療法を開発したりすることも、この規定の対象だ。こうした大量データ解析は広く社会に便益をもたらすといえるが、論文はもちろんネット上の書き込みにも著作権が存在する以上、網羅的解析は情報解析規定がなければ事実上不可能だ
「日本が09年に世界で初めて情報解析規定を導入したのに続き、英国(14年)、ドイツ(17年)、フランス(18年)、欧州連合EU、19年)、シンガポール(21年)などが同様の規定を導入した。日本の法制度が海外をリードするのは珍しく、日本には先見の明があったというべきだ。」(強調筆者、以下同じ)

その上で、近時声高に叫ばれる感情的な批判に対し、怒涛の反論を畳みかけた。

「情報解析規定はビジネスを優先する代わりに、著作権を制約したものと受け止められるかもしれない。
「だが規定の趣旨からすると、そうした見方は正確ではない。日本の情報解析規定はいわゆる「非享受利用」(作品の鑑賞などを目的としない利用)に関する規定に位置づけられている。そこでは、著作権という権利は作品の鑑賞など人の享受があるから保護が認められるという理解を前提としており、著作物の享受がない場合は著作権が保護する利益は害されていると評価できないという考えが背景にある。」
「そして大量の著作物を情報解析するのは、誰も著作物を享受するわけではないから、まさに非享受利用に当たることになる。日本の情報解析規定は、本来著作権が及ばない行為を自由としたにすぎない。これは18年の著作権法改正に際して整理された発想で、著作権制度を新時代に適合させる理論的枠組みとして世界的にも注目されている。」
「誤解すべきでないのは、情報解析規定は生成AIによる著作物利用をすべて許容するものでは決してないことだ。つまりこの規定は学習(入力)を許容するものにすぎず、生成(出力)は別問題だ。従って生成AIの出力が他人の著作物と創作的表現のレベルで共通する場合、それは当然、著作権侵害に当たり得る。」
「他方、生成AIの出力が単に事実や画風・スタイルのレベルで他人の著作物と共通するにすぎない場合、そうした出力は著作権侵害にならない。これは著作権法の大原則だが、たとえ出力が適法だったとしても、著作権のある著作物を無断でAI学習に利用されること自体を著作権で止めたいとの声があるのも事実だ。」
「ただ仮にAI学習を著作権で止めたとしても、著作権侵害やディープフェイクの出力がなくなるわけではない。そうである以上、違法有害な出力については、そうした出力自体を防止する策を講じる必要がある。AI学習それ自体を著作権でコントロールできるようにしても効果がないばかりか、あらゆる分野の様々な大量データ解析を阻害しかねず、得策とはいい難い。」

そう、まさに「生成AIと著作権」をめぐる議論の行き着く先はここに述べられていることに尽き、これ以上でもこれ以下でもない。

またこれに続けて、(頑迷なる権利者にどこまで響くかは分からないが)その先にある「共存」への道もちゃんと示されている。

「そしてたとえ情報解析に著作権が及ばなくても、解析を目的としたデータ提供契約を締結することは可能であり有用でもある。情報解析をする者にとっては、雑誌論文や新聞記事の個別収集がたとえ著作権法上自由であっても、権利者と契約して、そのデジタルデータを解析に適した形で網羅的に取得できるメリットは大きい。実際、オープンAIは23年7月に米AP通信と、23年12月に独アクセル・シュプリンガーと、AI学習のための記事利用に関する契約を結んでいる。」
権利がなければ契約が成立しないという見方は誤解であり実態にも反する。コンテンツ保有者は、著作権でAI学習をコントロールすることを目指すより、データ提供契約など、著作権法以外の手段による共存の道を探るべきではないか。」

そして最後に記された警鐘混じりの「予言」。

生成AIの「影」は、学習(入力)ではなく生成(出力)にある。両者をはっきり切り分けないと、生成AIの「光」の部分にも陰りをもたらしかねない。情報解析規定発祥の地である日本は情報解析の自由を堅持しつつ、違法有害な出力防止に知恵を絞るべきだ。いずれ人は生成AIに慣れ、AI学習を恐れる声も過去のものになるだろうから。」

上野教授もこの論稿の前半で指摘されているように、生成AIの「出力」に関しては、この先もやらなければならないことが山ほどある。そんな状況下で、当の昔に決着がついた「情報解析」レベルにまで遡って「著作権法上の議論」を喚起することにどれだけの意味があるというのだろう。

個人的にはこの見事な論稿をもって、一般メディアレベルでの議論には終止符が打たれることを望みたいところではあるのだが、掲載紙面上での明らかに的を外した*4「ポイント」のまとめを見る限り、そう簡単にはいかないだろうことは容易に想像がつくところ*5

だがそれでもなお、時代を先に進めた平成期末の権利制限規定はしっかり守られるべきだと自分は思っているし、時計の針を逆に回そうとする試みには断固として対抗しなければならない、と思う次第である。

*1:k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

*2:日本経済新聞2024年2月26日付朝刊・第16面

*3:論稿の中では特定の法条は示されていないが、主に著作権法30条の4が念頭に置かれているものと思われる。

*4:おそらく編集した側が意思をもってそうしたものだと思われるので、あえて引用はしない・・・。

*5:この手の話題では先陣を切って「改革」を唱えるはずの日経紙も、この話題に関しては殊更に逆行する社説や記事での取り上げ方をすることが多いように見受けられる。

そしてまた季節は中東。

前世紀末からの長い歴史を持つ「3月はドバイ」の慣習がすっかり定着した(ダート馬のみならず一線級の芝馬の参戦も常態化した)ことで、日本の春競馬は少なからず影響を受けていたのだが、新型コロナ禍に突入する直前から始まった「2月はサウジ」の”新”慣習が、遠く離れたこの国の競馬の在り方も揺るがしつつある。

何といっても一番煽りを受けているのは、かつて中央の最強ダート馬決定戦だったはずのフェブラリーSで、一線級の馬たちが昨年末のチャンピオンズカップ東京大賞典あたりから軒並みサウジカップに直行してしまったことで、今年のメンバーは何とも寂しい顔ぶれに。

加えて芝路線でも、先週のカタールと今週のサウジカップデーの各レースに国内重賞を賑わせていたメンバーが少なからず参戦したことで、こちらも格式ある国内のGⅡ、GⅢ戦線にちょっとした穴が開いている。

もっぱらダート路線の馬だけとはいえ、最近では2歳馬もサウジダービーからUAEダービーへ、という流れが定着しつつあり、ますます”国内組”の層は薄くなる。

サラブレッドが経済動物である以上、関係者が高額賞金が期待できるレースに目を向けるのも当然と言えば当然だし、一線級の馬が抜けた舞台で次々とニュースターが生まれるならそれはそれで悪い話ではないのだが、国際映像に映った豪華メンバーを複雑な気持ちで眺めていたのは決して自分だけではなかったと思う。

で、この週末のサウジカップデー。

サウジダービーで、藤田晋オーナーのフォーエバーヤングが、もたつきながらも差し切って無敗優勝を成し遂げたのはさすがだったし、昨年福永騎手のラスト騎乗であっと言わせたリメイクが、リヤドダートスプリントで見事な差し切り勝ちを決めた時は思わず喝采の声を上げた。

続くレースも勝ち星こそ逃したものの、ララクリスティーヌ(1351ターフスプリント)、キラーアビリティ(ネオムターフカップ)が次々と2着に飛び込んできたのはあっぱれの一言。

だから途中までは非常にウキウキした気分でレースを眺めていたのだが・・・

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「バブル」を超えた日。

先週の金曜日、右肩上がりの日経平均のチャートがあわや・・・の高値を叩き出した時点で、そう遠くないうちにこの日が来ることは予想できた。

今週に入って日経平均こそ3日連続下落、という展開になっていたものの、個別株の動向を見れば底堅く、そして、木曜日の早朝、海の向こうでエヌビディアの破壊的な決算発表の数字が出た時点で壁をぶち破ることは約束されたようなものだった。

残念ながら、日中はいつもながらの慌ただしさゆえ、PCに張り付いてチャートボードを追いかける余裕もなく、昼過ぎに「午前中の最高値更新」の速報ニュースを見て、夜も更け始めた頃に「終値も最高値」だった事実を確認する、という状況だったのだが、まぁそれもすべて予定調和。

あちこちのメディアニュースで、「34年ぶり」という見出しとともに祝祭の鐘が打ち鳴らされているのを見ながら家路に付き、80年代ポップスを聞きながら
『バブル後の』終わり
を堪能した、そんな記念すべき2024年2月22日だった。


改めて考えるまでもなく「日経平均」というのは、一民間経済紙が恣意的に選別した一握りの銘柄の株価によって算出された指数に過ぎず、株式市場の動きですらそこに全てが集約されているわけではない*1

産業動向にしても、個々の企業の業績にしても、多少の連関はあるにしても「日経平均」ですべてが決まるわけではない。

ましてや生身の人間の人生をや・・・。

だから、もう何年もこの国を支配していた「バブル期を日本経済&社会のピークと捉える歴史観には正直辟易していたし、だからこそ、昨年来、確たる根拠もないまま上がり続ける日経平均の数字を半ばあきれ顔で眺めつつも、「歴史を塗り替える日」が一日でも早く訪れることを待ち望んでいた。

その辺は、今年の年始のエントリーにも書いた(↓)ので、くどくどと繰り返すのはやめておくが、今は、このまま突き抜ける株価が『バブル後』のトラウマからこの国を(というか、まずは経済メディアを・・・)解放してくれることを願うのみである。

k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

*1:ちなみに本来の株価指数であるTOPIXは2660.71で、1989年12月の史上最高値(2884.80)にはまだ届いていなかったりもする。

消えないモヤモヤ

バズワードになって久しく、最近では世界中で政治の世界でのアピール材料にすらされている感のある「生成AI」

確かに現在の殺伐とした世界情勢を考慮すれば、情報倫理的観点から「いかに悪用されないようにするか」を考えることには意味があると思うし、昨年から喧々諤々と繰り広げられている議論のすべてを否定するつもりはない。

だが、昨年の春時点でのエントリー*1でも書いたとおり、この話題から「著作権法の権利制限規定」にまで切り込もうとするのは、明らかに筋が悪い話だと自分は思っているし、本当に著作権法を(これまでの改正経緯も含めて)理解している関係者なら、そこに議論を飛び火させるのはまっとうではない、ということも重々理解しているはず。

だから、様々な業界団体のプレッシャーで政治が「著作権法への介入」に色気を見せ始めた時も、真の専門家の委員会(文化審議会著作権分科会法制度小委員会)では上手にあしらってくれるだろう、と個人的には期待していた。

そんな中、先月末に公表され、パブコメに付された「AIと著作権に関する考え方について(素案) 」
https://public-comment.e-gov.go.jp/servlet/PcmFileDownload?seqNo=0000267588

自分も一通り目を通してはみたが、どう評価すべきか、一言で表すのはなかなか難しい。

例えば、著作権法30条の4に関する以下のような記述。

「近時は、特定のクリエイターの作品である少量の著作物のみを学習データとして追加的な学習を行うことで、当該作品群の影響を強く受けた生成物を生成することを可能とする行為が行われており、このような行為によって特定のクリエイターの、いわゆる「作風」を容易に模倣できてしまうといった点に対する懸念も示されている。 この点に関して、生成AIの開発・学習段階においては、当該作品群は、表現に至らないアイデアのレベルにおいて、当該クリエイターのいわゆる「作風」を共通して有しているにとどまらず、創作的表現が共通する作品群となっている場合もあると考えられる。このような場合に、意図的に、当該創作的表現の全部又は一部を生成AIによって出力させることを目的とした追加的な学習を行うため、当該作品群の複製等を行うような場合は、享受目的が併存すると考えられる。」(素案16頁、強調筆者、以下同じ)

享受目的が併存する場合は30条の4が適用されない、という前提で一定の場合を例示して「併存する」と述べているのだが、「クリエイターの懸念」に配慮しているように見えて、「作風の模倣」を懸念する意見は婉曲にだがバッサリと切り捨てている*2

また、一部で出ている、「著作権者が反対しているのに勝手に学習に使うなんてけしからん」という声に対しても、

「このような権利制限規定一般についての立法趣旨、及び法第30条の4の立法趣旨からすると、著作権者が反対の意思を示していることそれ自体をもって、権利制限規定の対象から除外されると解釈することは困難である。そのため、こうした意思表示があることのみをもって、法第30条の4ただし書に該当するとは考えられない。」(素案22頁)

とバッサリ切ってくれているのは心強い。

海賊版から学習データの収集が行われることの是非については、事業者側に規範的な行為主体としての責任が認められうる、という建前は打ち出しつつも、

海賊版等の権利侵害複製物を掲載するウェブサイトからの学習データの収集を行う場合等に、事業者において、このような、少量の学習データに含まれる著作物の創作的表現の影響を強く受けた生成物が出力されるような追加的な学習を行う目的を有していたと評価され、当該生成AIによる著作権侵害の結果発生の蓋然性を認識しながら、かつ、当該結果を回避する措置を講じることが可能であるにもかかわらずこれを講じなかったといえる場合は、当該事業者は著作権侵害の結果発生を回避すべき注意義務を怠ったものとして、当該生成AIにより生じる著作権侵害について規範的な行為主体として侵害の責任を問われる可能性が高まるものと考えられる。」(素案24頁)

というのが具体的なあてはめだから、現実にこれに抵触する場面というのは相当限定されるだろう。

このように、明後日の方向からの批判を巧みにかわし、切り捨ててくれるだけならよかったのだが、他の箇所では、以下のようにわざわざ「少数意見」を拾い上げているようなくだりもあったりする。

著作権法が保護する利益でないアイデア等が類似するにとどまるものが大量に生成されることにより、特定のクリエイター又は著作物に対する需要が、AI生成物によって代替されてしまうような事態が生じることは想定しうるものの、当該生成物が学習元著作物の創作的表現と共通しない場合には、著作権法上の「著作権者の利益を不当に害することとなる場合」には該当しないと考えられる。他方で、この点に関しては、特定のクリエイター又は著作物に対する需要が、AI生成物によって代替されてしまうような事態が生じる場合、「著作権者の利益を不当に害することとなる場合」に該当し得ると考える余地があるとする意見が一定数みられた。」 (素案20頁)

本来であればこの話は「1文目」で終わって然るべきレベルのものであるはずなのに、著作権の話とは無関係の”需要代替”を法30条の4ただし書きにこじつけようとする論者にささやかな共感を示す不可解*3

また同じ法30条の4ただし書きに関し、

AI学習のための著作物の複製等を防止する技術的な措置が講じられており、かつ、このような措置が講じられていること等の事実から、当該ウェブサイト内のデータを含み、情報解析に活用できる形で整理したデータベースの著作物が将来販売される予定があることが推認される場合には 、この措置を回避して、クローラにより当該ウェブサイト内に掲載されている多数のデータを収集することにより、AI学習のために当該データベースの著作物の複製等をする行為は、当該データベースの著作物の将来における潜在的販路を阻害する行為として、本ただし書に該当し、法第30条の4による権利制限の対象とはならないことが考えられる。」(素案23頁)

と書かれているくだりについても、いささか「特定の分野の権利者」のビジネスモデルに配慮し過ぎのように思えてならない。

ここではむしろ脚注25に落とされている、

「この措置を回避して行うAI学習のための複製等であっても、当該データベースの著作物の将来における潜在的販路を阻害する行為に当たるとは限らない、また、これに当たると評価される場合でも、本ただし書に該当すると解することは適切でないといった意見もあった。また、当該データベースの著作物の将来における潜在的販路を阻害する行為に当たると評価される場合であっても、これに含まれる個々の著作物の将来における潜在的販路を阻害する行為に当たるとはいえず、当該個々の著作物との関係で本ただし書に該当するわけではない、とする意見があった。 」(素案23頁)

といった指摘も、きちんと本文で併記して取り上げるべきではなかったか。

パブコメ締切り後の2月15日に、明大IPLPIのサイト上で公表された著作権関連法制研究者有志の「「AIと著作権に関する考え方について(素案)」に対する意見」(2024年2月12日付)*4が端的に懸念を示すように、日本の、特に最近の「実務家」は、この手のペーパーを必要以上に気にしがちだ。

著作権法30条の4等の柔軟な制限規定の適用については、特定の解釈が採用される可能性や様々な状況が問題となりうること等により、侵害のおそれが完全には否定できない場合は少なくない。しかし、社会状況も含めた具体的事案を前提としなければ確定的な判断ができないような事例についてまで、小委員会のような公の機関が、今回の「素案」のような形であえて著作権侵害の可能性を指摘することは、特に著作権侵害について刑事罰が設けられていることに鑑みると、新たな表現活動やAIの開発・研究等に対して過度の萎縮を及ぼすことが強く懸念される。 とりわけ、「素案」で示された解釈が公的に承認された唯一の考え方であるかのように社会的に受け止められること、AIを巡る技術や社会の認識が刻一刻と変化する中でもなおそれが一人歩きし、拡大解釈されていくことを強く危惧する。 」(有志意見より、強調筆者)

世の中には、有志意見が引き合いに出している『電子商取引に関する準則』ですら金科玉条の如く扱っている人がいることを考えると、「一つの法解釈のたたき台」ということを強調したところで、萎縮する人が一定数出てくることは避けられないだろうけど、せめて、前記「考え方」が、各権利制限規定が本来想定している範囲を超えて「権利制限の対象とはならない」可能性に言及したくだりだけが都合よく使われることのないように、釘を刺しておくのは大事なこと。

そして、非享受/享受の概念を用いることで、著作権法によって守られるべき部分とそうでない部分に絶妙なラインを引き、バランスを保った現行著作権法30条の4と47条の5の規定は世界に誇るべきものだと思うだけに、仮に「広く国民に対して周知し啓発を図る」(素案37頁)場合でも、その根底にある思想だけは決して逸脱することのないように、と今は願うのみである。

*1:k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

*2:改めて説明するまでもない話だが、「作風」がいかに類似していたとしても、具体的な創作的表現のレベルで類似性がなければ、著作権侵害の問題は生じえない。

*3:同じページで「改正前の旧法第47条の7において権利制限の対象であった行為(例:電子計算機による情報解析のための記録媒体への記録)については、同条ただし書が「情報解析を行う者の用に供するために作成されたデータベースの著作物については、この限りでない。」と限定的に規定しており、改正前に「権利制限の対象として想定されていた行為については引き続き権利制限の対象とする立法趣旨」(参議院文教科学委員会附帯決議(平成30年5月17日))に鑑みれば、改正前に権利制限の対象であった行為(例:電子計算機による情報解析のための記録媒体への記録)について、改正後の法第30条の4柱書ただし書に該当するのは、情報解析を行う者の用に供するために作成されたデータベースの著作物の場合に限定される、といった意見があった。」という立法趣旨を踏まえればごくまっとうとも言ってよい意見が「脚注」に追いやられている(脚注19)こととの対比で、この持ち上げぶりには違和感を禁じ得ない。

*4:https://www.isc.meiji.ac.jp/~ip/20240212PublicComment.pdf

勇気ある発言?

ここ数年、ずっと気になっていたことをバサッと切ってくれて溜飲が下がったというか何というか・・・という記事が一つ。

日経紙の朝刊に載っていた有識者コメントで構成されるコラムで、時流に乗って「製造業不正、どうただす」というタイトルになっているのだが*1、その中の一人、倉橋雄作弁護士のコメントの中に以下のようなくだりがあった。

「不正発覚後は、第三者委員会などが原因究明と適切な再発防止策を示すと期待されるが、役割を果たさないケースも散見される。不合理に調査の対象や規模を拡大し、独善的な報告書を公表する事例もあると感じる。」
「マスコミや世間も厳しい事実認定や責任追及をした調査委員会を歓迎し、無批判に報告書を信じ込む傾向がある。こうした状況では、調査委が弁護士にとって魅力的なビジネスとなり果てる恐れすらある。経営者がお手盛りの調査委員会を立ち上げ、保身に利用することも許されない。」
(強調筆者、以下同じ。)

そう、これこれ・・・。

*1:日本経済新聞2024年2月5日付朝刊・第9面

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清々しい敗戦。

2024年のサッカーアジアカップ。不完全燃焼のグループリーグの後にやって来たノックアウトステージ。

こういう方式の大会は、グループリーグで苦戦した方がトーナメントの戦いに入ってから勝負強く勝ち上がる、ということも結構あるし、ROUND16のバーレーン戦などはまさにそんな感じの「快勝」だったから、願わくばそのまま頂点まで行ってほしいところではあったのだが、如何せん、準々決勝の相手は悪すぎた。

今大会の正GKをめぐる人種差別的なバッシングが一種の騒動となり、それがようやく落ち着いたと思ったら、今度は代表が誇る快速MFがまさかの不祥事疑惑で離脱。期間中にグラウンド外でこんなにいろんなことが起きる大会というのもなかなかないし、それが選手のコンディションに全く影響しなかった、というわけでもないだろう。

ただ、少なくともこの日の試合を見る限り、イラン代表は、体の強さも高さもテクニックも他のアジアのチームからは一枚も二枚も抜けていて、全くフラットな状況で戦ったとしても互角の戦いに持ち込めれば御の字、という感じではあった。それが完全アウェーの環境、しかも最強の飛び道具になるはずだった伊東純也選手を欠き、三笘選手も万全ではない状況での戦い、ということになれば、この結果もやむなし、というところだろう。

特に後半の45分+α

テレビのない店で「前半1-0」のスコアを知って慌てて店を探し、ようやく見つけた居酒屋の大きなテレビの前に陣取って歓喜の瞬間を見届けられる・・・とぬか悦びした自分にとってはまさに悪夢でしかなかったし、特に同点に追いつかれてからの約40分、何をやってもボールが敵陣内でキープできず、ロングボールからの鋭いカウンターで何度も自陣を脅かされた末、とうとうボールを前線に送り込む気概すら失ってしまったように見えた日本代表の選手たちの姿は、あまりに衝撃的過ぎた。

逆に言えば、自分も含め、ここ数年「強い日本代表」に何となく慣らされてしまっていた日本人にとっては絶好のスパイス・・・。

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2024年1月のまとめ

想像はしていたけど、やっぱりあっという間に過ぎていったなぁ・・・という感じだった今年最初の1ヶ月。

昨年からのいろんな波はそのまま今年も続いていて、そんなに簡単には引いてくれない。
自然災害から人災まで、新年早々から落ち着かない世俗のあれこれの影響は全くと言ってよいほど受けていないし、昨年から引き続いて仕事は順調、相場も右肩上がりで得られる恩恵は十分に享受しているからそれでよいではないか、と言ってしまえばそれまでなのだが、それでも、飛び交うニュースを耳にするたびに、(我が身とは無関係だったとしても)どうしてもげんなりとした気分にはなってしまう。

ということで、ブログの更新頻度も相変わらず。ページビューは7,000弱、セッション5,000弱、ユニークユーザーは2,500弱、と全くめでたくない水準ではあるが、ブログが静かな時は商売が繁盛しているのだろう、と読者の皆様にはご賢察いただければ幸いである。

<ユーザー別市区町村(24年1月)>
1.→ 大阪市 189
2.↑ 港区 152
3.↓ 千代田区 131
4.圏外中央区 112
5.↓ 新宿区 80
6.↓ 横浜市 63
7.→ 名古屋市 61
8.圏外神戸市 53
9.↓ 渋谷区 53
10.圏外福岡市 42

全体的に数字が低調なときは「波乱」も起きやすくなるもので、珍しく圏外から3都市がランクイン。特に地方都市はこういう時、相対的に上位に来るのがいつもの傾向だったりする。

続いて検索ランキング。

<検索アナリティクス(24年1月分) 合計クリック数 1,180回>
1.→ 企業法務戦士 57
2.→ 学研のおばちゃん 現在 27
3.圏外知恵を出さない奴は助けないぞ 16
4.圏外大ヤマト 裁判 15
5.圏外企業法務 ブログ 10
6.圏外学研のおばちゃん 9
7.圏外アドマイヤムーン事件 9
8.圏外シャルマントサック事件 8
9.圏外crフィーバー 大ヤマト事件 7
10.圏外知恵を出さないやつは助けないぞ 7

昨年末の突飛なランキングは一転、通常運転、といった感じか。

十年前以上に言論統制が厳しくなっている今、再び上位に戻ってきた「知恵を出さない奴は・・・」みたいな発言を能登の被災自治体に向かって発する政治家はもう二度と現れることはないだろう。

ただ、異常な事態に直面すればするほど、頼れるのは「知恵」しかない、というのもまた事実なわけで、困ったら何でもかんでも政府・政治家詣でに走るのが日常になってしまっているようなこの国で、今こそ、このセリフを向けられるべき人々、というのは実は結構いるのではないか・・・と思ったりもしている。

せめて自分だけはしっかり。そう心に誓って残り11カ月、走り抜けるのみである。

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