香港の「自由」を守るために必要なもの。

以前、このブログでも取り上げた香港の抗議活動。
継続的な活動の結果、発端となった「逃亡犯条例改正案」の審査が「無期限延期」となり、これでヤマを越えたかと思いきや、翌日に「200万人集会」。

k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

そして、さらに2か月近く経っても収束の気配は見えず、当初は香港島の一部だけに限定されていた活動エリアも香港全域に広がり、ついには世界随一の香港国際空港が事実上マヒ状態に陥る事態にまで至っている。

「香港の航空当局は13日夕、香港国際空港のすべての搭乗手続きを停止したと発表した。「逃亡犯条例」改正案をきっかけとする抗議活動で数千人の若者らが出発ロビーに座り込み、13日の欠航は400便以上に達した。航空当局は12日夕以降の全便を欠航にし、13日朝に業務を再開したばかりだった。抗議活動が空港機能に深刻な影響を与えている。」(日本経済新聞2019年8月13日19時56分配信)

日本のメディアは、全般的に「デモのせいで空港機能(ちょっと前までは中心部の交通機関)が混乱して大変だ」的なトーンでこのニュースを報じることが多いし、日経紙などは「観光客の入り込みが減って経済的なダメージが云々」という話にすぐ持っていってしまうのだが、2か月前のエントリーにも書いたとおり、自分は中国「大陸」とは全く異なる「自由解放区・香港」をこよなく愛する人間。

川一つ隔てただけで(最近では西九龍駅の高鐵の改札をくぐっただけで)信じられないくらい”空気”が違う、という感覚も嫌というほど味わっただけに、「その『自由』が侵されるかもしれない」という恐怖感を抱いた人々がそのエネルギーを集団行動に向けたくなる、という気持ちも非常によく分かる*1

だから、自分たちのコミュニティを守るために体を張って頑張っている現地の人々に対して、「飛行機を止められて迷惑」とか、そんなことを言うつもりは毛頭ない。

ただ、遠く離れたところで一連の報道を見ているうちに分からなくなってきたのは、だんだんとエスカレートしていく抗議活動の中で、参加している彼/彼女たちが、今本当に求めているのは何なのか?ということだ。

6月に盛り上がっていた時は「条例改正案の完全撤回」や「逮捕者の釈放」といったところが争点で、行政府側のメンツもあるとはいえ、まだ香港の枠の中で解決しようと思えばできるレベルの話だったはずだが、それがだんだんとこれまで同様の包括的な「民主化」の話となり、今ではこれまで以上に強烈な、「反大陸政府」のうねりへと向かっているようにも見えてしまう。

そうなると、いくら抗議活動をして香港行政府に訴えたところでどうしても限界はあるだろう、参加者全員が「血を流してでも『独立』まで戦い抜こう」という気概を持っているのであればともかく(そこまで行けば名実ともに「革命」になる)、そこまで組織化されているわけではなく、全ての参加者が同じ方向を向いているわけでもないように思われる今の状況では、どこかで”政治的妥協”をしなければ物事を前に進めることはできないだろう、というのが、客観的に見た時の冷静な分析になってくる。

それにもかかわらず、主張も手段も先鋭化する一方で、誰が、どのレベルでこの活動を終結させようとしているのかすら分からなくなってきている、というのが今の状況ではないだろうか。

だとすると、今の状況は決して理想的なものとはいえない。

日本のSNS界隈だと、元々「中共」嫌いな人はたくさんいるし、それに加えて今回は「民主化闘争」や「香港市民の人権擁護」という側面もあるから、いつもなら罵り合うことも稀ではない”両翼”の意見も珍しく一致して、「香港加油!」一色になっている雰囲気すら感じられる。そして、現地から発信されるツイート(中には警察の”蛮行”を伝えるようなものも含まれている)がそんな風潮をさらに加速させているように思われる。

だが、こういう”異常事態発生時”において、SNSで流れてくる情報のどこまでが真実を示していて、どこからが曲解/誇張されたものか、ということを見分けるのは、物事が起きているエリアの中にいる者ですら(まさにその場にいた人を除けば)非常に難しい。ましてや「遠く」の他国にいるものであればなおさらだ。

だからこそ、今様々なルートで日本に入ってきている情報だけで、軽々に今起きていることへの賛否を表明するのは難しいな、と自分は思っているところ。

そして、これまでもたびたび修羅場をくぐってきたCarrie Lam行政長官が述べた以下のフレーズにこそ、(大陸政府の意を汲んでなされた可能性のあるコメントだ、ということは差し引いても)これからの香港の生きる道を考えていく上で欠かせない要素が含まれているような気もしている。

"Violence, no matter if it's using violence or condoning violence, will push Hong Kong down a path of no return, will plunge Hong Kong society into a very worrying and dangerous situation,"

※以下サイトのテキスト及び動画から引用。
www.channelnewsasia.com


繰り返しになるが、どんな時代、どんな場所でも、自ら体を張って大事なものを守ろうとする行動は非常に尊く、一定の支持と支援を集めて然るべき、というのが自分の考えであることに変わりはない。。

ただ同時に、これから先、未来ある人々が余計な血を流し、一種の”殉教者”まで作ってしまうのは決して誰もが望むことではないはずだから、対立が先鋭化している時こそ客観的、、かつ冷静に誰かが落としどころを探っていかないといけない

そして、本当に「民主的な社会」の実現を目指すのであれば、最後だけでも「集団的行動」ではなく賢明な「政治の力」で決着を付けるのがやはり筋だよね、と思うだけに、今抗議活動を行っている人々も、どこかのタイミングで路線を切り替えて問題解決に向かってくれればそれがベストだと自分は信じている。

ずっと今の「自由な空気のままの香港」であってほしいから。

*1:もちろん、中国大陸の人たちの中にもこれまで自分が親しくしてきた方は大勢いらっしゃるし、気質的には香港人よりも大陸の人たちの方が親しみやすいところがあるくらいなのだが、「人」と「社会の体制」が全く別物、ということは残念ながら多くの国で(そして中国自身の歴史の中でも)証明されてしまっている。

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