74回目の原爆忌に祈りを込めて。

ここ最近、日本だけではなく世界中で落ち着かないさざ波が立っていて、少し落ち着いたと思ったら、またどこかで新しい波がより大きな脅威として生まれてくる・・・そんなことを繰り返しているように感じられる時だけに、今年は一段と「8月6日」の報が胸に染みた。

「広島は6日、被爆から74回目の「原爆の日」を迎えた。」
松井一実市長は平和宣言で、自国第一主義の台頭で核廃絶の動きが停滞していると指摘。「一人ひとりが主張の違いを乗り越え『寛容』の心を持たねばならない」と訴えた。」(日本経済新聞2019年8月6日付夕刊・第1面)

「第二次大戦の”記憶”が風化した」というのは、自分が物心ついたときから言われていたことなのだけど、気づけばその後、1945年を起点として、その時点で過ぎていた時間の倍以上の時間が過ぎて行ってしまっているから、もはや「風化」どころか、「最初から記憶がない」人々が当たり前のように多数を占める世の中になってしまった。

自分も全く他人のことを言えた義理ではなく、例年ならこの時期は休暇前で慌ただしく過ごしていることも多かったから、次の日の朝刊で「そういえば昨日は原爆忌だった」ということに初めて気づくことも多かったし、そもそも休暇中で日本におらず、忘却の彼方・・・ということも。

3年前のリオ五輪の開会式でのエピソード*1とか、たまたま数年前に出張中の機内で↓を見て以来、どうしても終盤でモヤモヤして何度もリピートで見てしまったり・・・ということもあって、ようやく改めて意識するようになった*2というところだが、振り返れば反省すべきことの方がはるかに多い。

物心がつき始めた頃に親の実家に行くと、「祖父が第二次大戦末期に呉の工廠で働いていて、8月6日の広島への原爆投下の瞬間の衝撃もそこで味わった。」という話を聞かされることが時々あったから、「この世界の片隅に」の中で展開されている世界は全く他人事ではないのだが、祖父自身は、その頃もその後も、戦争の記憶について多くを語ることはなかったし、つい先日亡くなった祖母からもついぞ話を聞くことができなかった。
・・・というか、「記憶を引き継ごう」という動機すら持たないまま、身近な”語り部”を失ってしまった、というのが現実で、そこだけはどんなに後悔してもしきれない。

自分は、中学・高校の多感な時期に湾岸派兵をめぐって日本がスポイルされていた状況を肌で感じ、冷戦終結で世界秩序が生々しく変わっている最中に周りの学生と議論を戦わせていた人間だから、多国間の外交関係にしても安全保障にしても、どちらかと言えば現実主義の方が先に来るところがあって、子供の頃は素朴に信じていた純粋な理想論や、押しつけがましい平和礼賛が苦手になった。そして、それを口実に、どこか遠くの方からこの季節のあれこれを眺めていたところはある。

ただ、今の繁栄した日本の礎となった「記憶」が、「風化」を超えて完全に廃れる段階に差し掛かっている状況になると、「その後」はどうなるのだろう?、という、そこはかとない不安も湧いてくるわけで、それが昨今の”嫌な感じ”の世界情勢と相まって、再び自分を「原点」に立ち戻らせようとしているのかな、と思ったりもする。


あのリオ五輪から来年で4年。広島原爆忌東京五輪の開催期間中に迎えることになるし、閉会式は奇しくも長崎原爆忌と重なる、ということで、「今度こそ黙祷を」という動きも出ているようである。
this.kiji.is

開催期間中の原爆展開催の動き*3などとも合わせ、世界中の人が注目し、世界中から人々が集まるタイミングで改めて戦争の悲惨さ、平和の尊さを伝えよう、と試みるのは本当に大事なことだし、そこはIOCが反対しようが何としてでも、と思うところがある一方で、様々な利害関係者がかかわる中でこれが単なるパフォーマンスに貶められないことを、今は心から願っている。

そして、来年の「75回目」という区切りが敗戦を真摯に振り返る事実上最後の機会だった、ということになってしまわないように、これからできることを探していこう、と思い始めたところである。

*1:リオ五輪開会式、原爆投下時間に合わせた『粋な演出』に日本人感動…平和への祈りが広がる - NAVER まとめ、当時のエントリーは2016年8月6日のメモ - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~参照。

*2:加えて、ここ数年、東南アジア諸国に出かける機会が多く、その際にそれぞれの地で、かの大戦の記憶に触れる機会も多かった、ということも背景にある。彼らの苦難の歴史の中では「日本」の存在など一瞬のものでしかなく、それよりも欧米列強に向けられた怒りの方がはるかに大きいのだけれど・・・。

*3:五輪時 東京で原爆展 核廃絶 機運高める 広島市方針 世界中の選手らへ発信 | ヒロシマ平和メディアセンターの記事参照。

暑い夏の冷や水も何のその。

関東地方が梅雨明けしてからまだちょうど1週間くらいしか経っていないと思うのだが、気づけば連日「今年もずっと前からこの天気だった」と言わんばかりの暑さ。

とはいえ、毎年強調している(?)ように、自分はこの暑さが全く嫌いではないし、夏が例年より短かかった年は、わざわざ日本が涼しい時期にクアラルンプールに行ったりムンバイに行ったりして”熱分”を補給するくらいだから*1、そうでなくても出遅れた今年の夏は、もっともっとこの天気が続いていい、というのが本音だったりする。

これが「18までクーラーのない家で関東の夏を乗り切っていた」経験から来るものなのか、あるいは「太陽が照り付ける8月のグランドで、水も飲まずに猛ダッシュを繰り返す」という10代の原体験を未だに体が覚えているからなのかは分からないけど、気温がこれくらいまで上がってくれないと外を歩いても落ち着かないのは確か。


残念なことに、「もう何度目だ!」のトランプ・ショックが先週末から唐突に始まって、盛り上がった夏の気分に強烈な冷や水を浴びせてくれた
今日も、観なけりゃいいのに株価をチラ見するとドッと冷や汗で涼しくなる・・・という状況で、世界のあちこちから不穏なニュースが飛び込んでくる中、こんな日々がいつまで続くんだろうなぁ。。。と滅入るところはあるのだけれど、どんなに暴力的な陽射しでも太陽が照り付けてる間は頑張れるような気がするので、世の中の多くの人たちとは逆向きに「もっと暑く!」「一日でも長く夏を!」と、心の底から願っている。

ちなみに、以前の記事で取り上げたサザコーヒー*2を猛スピードで消費し続けた結果、いい加減家計への圧迫が気になってきたので、ひとまずプライス的には半額の代用品(とはいえ、これもそれなりの高級品でまぁまぁ美味しい)を投入する方向で調整中。

蒸しても、照っても進む飲み物っていうのは、貴重である。

*1:逆に真夏の時期にヨーロッパの緯度の高いところなどに出かけてしまうと何か損した気分になる。一方で、冬の寒い時期に行ったら行ったで凍えて辛い思いをするだけなので、結局のところプライベートでは足が遠のいて久しい。

*2:k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

ブログ開設から14年を迎えて~「法務職域論」に関する若干の考察

8月4日は、自分の中では「当ブログ開設記念日」ということになっている。
始まったのは2005年だから、今年で丸14年。決してキリの良い区切りではない。

だが、それにかこつけて、今SNS界隈で、「法務職域論」(柔らかく言えば「法務の役割論」だろうか)なるものが局地的に盛り上がっているようなので、それに関して若干のコメントを残しておくことにしたい*1

まず、引用するのは以下の2件のブログ記事。
同時並行的に書かれたもののようだが、いずれも、「法務は積極的に仕事を引き受けるべき」というスタンスに対して、「職域」という観点からやや謙抑的なスタンスを取っているように見受けられる*2

ronnor.hatenablog.com

dtk1970.hatenablog.com

で、まず冒頭に断っておくと、少なくとも「一担当者」時代の自分は、「職域」といった類のものに縛られるのが全く好きではないタイプの人間だった。

事業部門から何か相談が持ちかけられれば、それが法解釈に関わる話かどうかにかかわらず、とにかく話は聞くし、交渉相手に出す文書なのか社内文書なのかにかかわらず、書面の添削なり起案なりを頼まれればとりあえずは引き受ける。
元々「法務」というカテゴリーで会社に入ったわけではなく、”隙あらばビジネスの現場に転じたい”というスタンスで仕事をしている時期もあった、ということもあるし、「法務の仕事をやっている」ことが認知されていない部署で仕事をする時間が長かった、というやむを得ない事情もあった*3

これは、それぞれの会社、それぞれの部門の方針(それぞれの担当者の「職域」というものにどこまで厳格に縛りをかけるか)にもよるのだが、自分が属している会社や部署から、自分の動きに強い縛りがかけられていないのであれば、本来やるべきとされている自部署の業務に支障を生じさせない限りは、自分の興味関心や、「信頼に応えたい」という思いのままに、カウンターパートの求めに応じて首を突っ込んだところで誰かに文句を言われる筋合いはないはずだし*4、筆者自身は「組織の前にまず『人』ありき」だと思っているので、「部門の職域がどこまでか?」という話と、「社員個人がどこまでの仕事に手を伸ばすか?」という話を無理にリンクさせる必要はないと考えている。

社内外問わず、自分が聞かされた一昔前の法務の先輩方の”武勇伝”の中にも、「領空侵犯して突っ込んでいった結果、手柄を立てた」という類のものは、実に多かった。

ただ、その「一昔前」と違って、今の世の中(特に大企業)では、(本人の「仕事観」如何にかかわらず)「頑張って長時間働くこと自体が悪」「仕事を効率化して労働時間を短縮することこそが善」という風潮が支配的になりつつある、というには注意する必要があって、今は、いかに若さに任せて「連日残業するので、どれだけ仕事を引き受けても大丈夫です!」と言い切ったところで、上司からは渋い顔をされるだけだと思われる。

そして、マネジメントがまともに機能している会社であれば、「管理する側」の上司としても、「部下のやりたいようにやらせる」というわけにはさすがにいかず、(1)「自分たちが絶対にやらないといけないこと」、(2)「少しでも余裕があれば手を出しておいた方が良いこと」、(3)「よほどのことがない限り、手を出すのは控えた方が良いこと」を区分けした上で、その時その時のチームのリソースに応じて、個々人に対する作業指示である程度縛りをかけることになるのではないかと思われるし、そこでは、当然のことながら(1)~(3)をどういう基準で切り分けるか、という頭の整理が不可欠となる*5

そこで、以下では、法務をメインで担当する部署の管理職の視点で、どういう観点で「仕事」を切り分けるか、ということを少し考えてみたい。

管理職視点からの「職域」論

「法務」の仕事というのは、あくまで会社の「事業/経営」の日常的な流れの中に存在するものだから、「法務担当者」は、サッカーに喩えるなら(ゴールキーパーではなく)「フィールドプレーヤー」のポジションに位置づけて考える必要がある

もちろん、事業部門との相対的な関係上、フィールド上での立ち位置は自ずから自陣寄り、ということにはなるが、現代の洗練されたサッカーにおいては、フォワードも最低限守備の意識がないとフィールドに立てないし、逆にディフェンダーには果敢な攻撃参加が求められるわけで、「自分のポジション」に固執してフィールドの一か所に立ち止まるような振る舞いをしていたら、「即交代」を命じられても文句は言えない

一昔前と比べて、処理しなければならない仕事の量・質や、求められる処理スピードが格段に上がっている今の会社の仕事に関しても、まさに同じことが言えるわけで、チームを預かる者としても、自分の率いるチームが仕事の流れからスポイルされることを避けようと思ったら、部下に対して、「これだけをやっておけばいい」という指示ではなく「状況に応じてフレキシブルに対応してください」という指示を出すのがまずスタートライン、ということになる。

その上で、いろいろと舞い込んできた事柄に対して、どう優先順位を付けて対応するか、最低限の”約束事”を決めるのが「次の話」ということになってくる。

まず「守備」をしろ!

当然、最初に考えないといけないのは、(1)「自分たちが絶対にやらないといけないこと」は何か、ということである。
そして、なぜ「法務」という機能なり部門が組織の中に設けられているか、そして、「法務」という職能を持つ者に周りが一般的に期待するのは何か、ということを考えるならば、以下の2つが「法務」の「コア」な役割だ、ということに異論を挟む余地は少ないはずだ*6

契約書の条文や強行法規等に関し、「法的見地からの解釈」が求められる場面で、事案に即して判断する。
(自力では判断できない場合でも)法的検討に値する論点を抽出し、背景事情等を整理した上で、社外の弁護士に照会する。

だから、仕事を取り仕切る管理職としては、部下の社員が、まずこういった「判断」をじっくりできるような環境を整える必要があるし、経験が浅い担当者に対しては、このプロセスを丁寧に踏むことでスキルを高めていけるように誘導する必要もある。
中には、自部署において、この2つがコアな仕事として確立されていない、という場合もあるかもしれない(特に社外の弁護士への相談に関しては、それなりの規模の会社でも、「事業部サイドが主導権を握っている」というケースは良く見聞きするところである)が、その場合は、他の仕事を捨ててでも、自分たちできっちりコントロールする体制を築くのが「法務」の役割だと自分は思っている*7

既に議論されているとおり、こういった仕事はどちらといえば「受け身」の仕事のように思われがちで、血気盛んな若者たちにとっては「つまらない」仕事なのかもしれないが、よく「果敢に前線に出て攻撃参加した結果、自軍の守備ゾーンをがら空きにして失点を食らうディフェンダー」が、評論家からもサポーターからもボコスコに叩かれるのと同じで、自分たちがコアな仕事をきっちりこなさないと会社全体が大きなリスクを負うことになってしまう*8ということに注意しないといけない。

そして、自分が見てきた限りでは、このコアな仕事の習熟度が高くない人ほど、「法務スキルが低くてもできる」他の仕事の方に興味を惹かれて手を出しやすい傾向もあるので、そこは多少嫌われ役を演じてでも、手綱をしっかり引き締めないといけないところではないかな、と思っている。

拾わない方が良いボール

さて、(1)をしっかりやった上で、そこからどこまで手を伸ばすか、ということになるのだが、(2)「少しでも余裕があれば手を出しておいた方が良いこと」は、各社、各部署の置かれている状況によってもだいぶ異なってくると思うので、先に(3)「よほどのことがない限り、手を出すのは控えた方が良いこと」は何か、というところから考えてみる。

自分が真っ先に思いつくのは、「英文契約書の翻訳」とかだろうか・・・(笑)。
今では賢い翻訳ソフトも出てきているので、うまく使えば、以前ほどの手間ヒマはかからないのだけど、契約書のコアな部分は、法務的なエッセンスが満載されたボイラープレート条項の部分ではなく、取引の内容そのものを規律した部分なので、そこの翻訳まで法務に丸投げしてどうする!と押し返すことが自分は多かったし、よほど仕事がなくて困っている、という場合でなければ、安易に引き受けず、事業部門側で自力で訳すなり外注するなりしてもらう、というのが適切な役割分担だと思う*9

あと、自分たちですべてをコントロールできないもの、責任を負えないものを「単独で」引き受ける、というのも極力しない方が良いと思っていて、典型的なのは、「契約協議が一向に進まないので、お互い『法務だけで』話を付けてきてもらえませんか?」とか、「法務同士でメールのやり取りしてもらえませんか?」という類の悪魔のささやき。

これ、一見、頼られているように見えて、「話が進まない責任」を他の部署に押し付けてしまおう、という魂胆がどうしても見え隠れするものだから、自分は基本的に引き受けないようにしていた。

もちろん、契約書の中の純粋な法解釈の部分でやり取りが膠着して、交渉戦術上、一度「話が分かる人」だけでディスカッションした方がスムーズに進む、と言えるような場合であれば、こちらから提案することもあったりはしたけど、大抵は相手の方が乗ってこないし*10、責任感の強い事業部の担当者であれば「そうはいっても同席します」と言ってくれるはず。

お盆明けにテーブルに回ってくる「帰省先のお土産」と同様に、好みだろうが好みでなかろうが、「持ち込まれた仕事」はありがたくいただいておくのが商売の基本、とはいえ、それが”毒饅頭”だと察しがついている時は、「自分、アンコが苦手なもので・・・」とお断りするくらいの度量も管理職にはあってよい、と思うのである。

一番悩ましいジャッジメント

ここまでくると、あとは、(2)「少しでも余裕があれば手を出しておいた方が良いこと」をどう捌くか、ということになってくる。

既に述べた通り、この部分は、まさに「自分たちが置かれている相対的な状況による」としか言いようがないところで、これも下手な喩えを使うなら、

フォワードが前線からきっちり守備をして、得点機を確実にものにしてくれるチームであれば、ディフェンスは後ろ寄りに構えて前線にボールを供給する仕事に専念することができるが、フォワードは守備をさぼりがちで、ディフェンス陣も自陣に張り付いて積極的に前に出ない、という弱小高校サッカー部みたいなチームになってくると、ボランチはグランドを縦横無尽に走り回らないといけなくなる」

というのと同じで、「法務」という部署名、職能名から、直ちに「どこまでやるべきか」という結論が導かれるわけではない、というのが大原則である。

とはいえ、ここで話をまとめてしまうと、冒頭のテーマに対しては何も答えていないに等しいので、強いて手がかりを探すとしたら、

「カウンターパート(事業部門等)の側に、契約書その他の論理的な文書の『読み書き』ができる人がどれだけいるか?」

というのが、自分たちの立ち位置を考える上で、一番のポイントになってくるのではないだろうか。

前線の営業担当者が、ある程度契約書のことを分かっていて、交渉でのやり取りを踏まえた修正案も作ろうと思えば作れる、という程度の技量を持っている事業部門に対して、屋上屋を架すようなサポートをする必要は本来ないし、「本来自分たちでできるはずなのに、わざわざ法務に持ち込んでくる」のだとしたら、そこに単なるサポートだけではない”裏の意図”があるんじゃないか、と疑うことも必要

逆に、ノリも勢いも人当りもいいけど、契約書どころかメールの文章も怪しい・・・という雰囲気のスタッフを揃えた事業部門に対しては、多少無理をしても突っ込んでいった方が良いのは間違いない。

特に後者の場合に怖いのは、”法務の出番”(上記(1)のスキルを発揮できる場面)になるまで待ちの姿勢で引っ張ってしまうと、ビジネススキームも交渉内容も契約書の中身もグチャグチャになって、「何が問題か」を整理するまでに相当な時間を要してしまう恐れもあること*11

したがって、この場合には、「これって本来の法務の仕事じゃないよな?」という疑念を持ちつつも、相手方とのメールやレターをこまめに確認したり*12、俗に「人生相談」と言われるような相談ともグチとも何ともつかないような話に付き合ったりすることも、ところどころでカウンターパートの「内部説明」用に事柄を整理したドキュメントや資料を作るようなことも、「将来ムダに働く時間を作らない」ためには不可欠だし、事業部門側から積極的に確認を求めてこないような場合は、「そこまで引き受けますよ」と、法務側から言ってもいいくらいだと自分は思っている。

また、ここまで密なやり取りが必要ないカウンターパートであっても、相手の懐に飛び込める機会、例えば「次の案件に向けたフリーディスカッションをやろうと思っているんですけど来ますか?」と誘われるようなことがあれば、(たとえそれがただの飲み会だったとしても)飛び込んでいかない手はない。

最初の方で書いた話とも重なるけど、結局、仕事っていうのは、人と人のつながりから生まれるものなのだし、管理職にしても担当者にしても、「所属する部門」とか「職能」以前に一人の人間として、カウンターパートとなる部門の人たちとどうかかわるか、ということが一番大事なわけだから、「軸足は(1)だよ」ということだけは忘れないようにしつつも、余裕がある限り飛び込んでいく意欲がある人には飛び込んでいかせる、というのが良いのではないかな、と思った次第で*13

おわりに

以上、いろいろ書いては見たが、結局のところは、

「サッカーの戦術が、世界中のクラブの数だけ存在する」と言われるのと同じで、法務のあり方、役割、守備範囲なんてものも、世の中の会社の数と同じだけのパターンがあるのだから、それぞれのスタンスに対する好き嫌いはあっても、「良い悪い」という評価を安易に下すことはできない。」

ということに尽きる。

また個人的には、最近いろんなところで、昨今の担当者を評して、「ただ仕事が来るのを「待つ」だけで、自分から飛び込んでいく意欲が乏しい」とか「持ち込まれた仕事にすらなかなか前向きに取り組んでくれない」という類の話を聞くことも多かっただけに、「『手を広げていいかどうか?』なんてことが話題になるようなポジティブな世界がまだあったのか!」と変な感心すらしてしまったところはあった。

担当者の世代に、「法務の役割を広げたい」という意欲を持った人たちが一定数いるのだとしたら、それは決して悪い傾向ではない。
ただ、それなりに長く組織の中で生きてきた者には、「『役割』と『責任』は表裏一体だよ」というシンプルな原則を伝える義務もあると思っている。

最終的に責任を負う部署ではなく、責任を負う立場でもない者が、手を広げて口を出したことが大きな失敗につながった時に責任を負うのは、自分を頼ってきてくれたカウンターパートの部門であり、その部門の管理職(場合によっては担当者)である。相手に良かれと思ってしたことがかえって相手を傷つけることもある、という怖さは、誰かが伝えないといけないし、それを知らずに踏み込むか、理解した上で踏み込むか、で、言葉の重みも変わってくるはずだから。

なお、「黒子」の件についてだが、あのやり取りを見て自分が思ったのは、

「普通の大企業だったら、社長(or 一部の上級役員)以外は、どれだけ活躍しても、傍から見たらみんな『黒子』だよね(笑)」

ということ。

それこそ法務の担当者なんて、「黒子」としてでも認めてもらえる(=個々の事業の成功に貢献していると評価される)のであれば、それはもう最高評価といっても過言ではないわけで。

社内で商品開発者とか、営業最前線の社員をとにかく讃えて持ち上げるような風潮がある会社だと、「自分たちもスポットを浴びたい」という思いにどうしても駆られてしまうのかもしれないけれど、大事なのは、「華々しく目立つ活躍をする」ことではなく、「大事なところで自分たちの仕事が利いている」ことを会社の上層部に認めてもらうこと、そして、何よりも一緒に仕事をしているカウンターパートの事業部門の人たちに認めてもらうことであって、それは、過度に仕事の範囲を広げなくても、(1)のコア業務を的確にこなすことで、達成できると思うのである。

もちろん、管理職レベルになってくると、「仕事の断る時でも細やかな気配りを欠かさない」とか、「シンプルな本来業務の対応をしただけでも、『お役に立てましたよね?』ということを効果的な相手にさりげなくアピールする」といったテクニックも必要になってくるのだけれど、それが生きるのも、本来の仕事を相手に期待されるスピード感できっちりこなしてこそ、なので・・・。


この14年の間に、「法務」の世界の担い手は当然変わってきているし*14、使うツールもちょっとずつ変わってきているけど、その中で議論されていることは、びっくりするくらい変わっていない、というのが自分の印象。

「新しい話」のように取り上げられていることが、実のところ10年以上前からみんな考えていたことだったりもするわけで*15、そこに自分は一番のもどかしさを感じていたりもするのだが、そんなループを繰り返す中で、どこかで壁を突き破ることができればな、というのが今の自分の思いである。

*1:今日のエントリーのタイトル、よく古稀論集とかで見かける類の雰囲気だなぁ、と思ったのは自分だけか・・・。

*2:おそらくronnor氏が引用しているSNSのやり取り以前に、Twitter上でいろいろなやり取りが飛び交っていたのだろうと推察するが、自分はほとんどそれらに接していないので、以下では、引用されたやり取りを出発点として思ったことを書くことにする。

*3:自分から「営業」に行かないと実のある仕事はもらえない、という時期もあったから、「何か話が来たらとにかく受ける」というマインドが染みついていたのだった。

*4:逆に、そのような環境であれば、自分が「やるべき」と思っていることにだけ徹する対応をしたとしても、文句を言われる筋合いはない、ということになる。

*5:それを「職域論」と呼ぶかどうかは別として、その基準を明確にしておかないと複数の部下がいるチームで統一的な対応を取ることは難しくなる。もちろん、各人の業務習熟度に応じて「手を出してよいレベル」に差を付ける、というやり方もあるのだが、「業務習熟度」と「頼られ度合い」は必ずしも比例せず、本来は(1)のレベルの仕事の完成度を高めないといけない社員のところに、(2)~(3)の仕事の依頼が集中するということも現実にはあるので、やはりそこはチームとしての約束事を明確にしておく必要がある。

*6:これに加えて、「法的判断のプロセスを整理、記録化して共有する」等々、付随するコア業務を有している法務部門もあるだろうが、複雑になるのでここでは割愛。

*7:的確な回答を得るためには、的確な質問をしなければいけない、というのがまず第一だし、無駄な質問を減らしてコストを削減する、という効果も決してバカにはならないので。

*8:ここで言う「リスク」には「違法行為が発覚してダメージを受ける」といった多くの人が想像するようなパターンだけでなく、「本来もっと稼げるところがあったはずなのにその機会を逃す」というパターンも含まれる。「ボランチが前がかりで攻撃参加しすぎた結果、相手の苦し紛れのクリアボールを拾うのに手間取り、波状攻撃で得点できる絶好のチャンスを逃す」場面を想像してみるとよいと思う。

*9:これも言い方、やり方の問題はあって、いきなりピシャっと撥ねつけると相手の心情を害するから、「取引特有の専門用語が多いようで、ちょっと時間がかかってしまうかもしれないので、中心条項の部分だけでも先にそちらで翻訳作業を進めていただけませんか?」くらいの返し方でお茶を濁す、というパターンが多かったかな、と。

*10:それは純粋な法解釈だけで議論したら形勢不利というのが分かっているから、に他ならない・・・。

*11:更に最悪のパターンとして、そんな状況に事業部門の「偉い人」が耐えられなくなり、ロクロク話も整理しないまま「○○弁護士に相談して!」と、フィーがやたら高い外部弁護士への相談を事実上強要してくるような場合もある。

*12:この点に関し、ronnor氏は消極的に捉えておられるようだが、深い法的検討を要する場面ではないな、と判断できれば、無駄に時間を使うことなく「OK」で返せばよいだけの話だし、法務だけでなく事業そのものの経験も浅い担当者にとっては、自分の会社の事業部門の交渉プロセスを知る、という意味で貴重な機会ともいえるので、自分はむしろ積極的に受けてもらうようにしていた。

*13:dtk氏は、「危機管理系の仕事に巻き込まれた時に備えて可用性を確保しておく必要がある」という趣旨のことも述べられているが、自分はその時はその時、と割り切っていたところはあるし、「今、○○で大変だからいつもの仕事はそちらでお願いしていいですか?」と言えば、そんなに嫌な顔をされることもなかったので、あえて”手すき”の状況を作り出す必要まではないのでは?と思っている。

*14:とはいえ、トップで「顔」になっている人は実はこの10年くらいそんなに変わっていない、というオチもあったりして・・・(苦笑)。

*15:もっとも、それは「法務」に限らず、日本企業の組織論、職能論全般に共通する話でもある。

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「甲子園」に見る「人材育成」の光と影。

しばらくバタバタしていて、家に届いたまま放置してしまっていたのだが、ようやく読んだ直近のNumber誌。
特集は季節を反映して、ここ数年この雑誌が看板にしている「夏の甲子園」絡みの内容で、特に高校野球の「教育」的観点を強調した構成になっていたのだが、先日の大船渡の一件*1との関連で、ちょうどいい具合にタイムリーな記事が多いな、と思いながら眺めていた。

何といっても、最初に出てくるのが、大谷翔平選手と菊池雄星選手、そしてあの岩手県が誇る甲子園常連校・花巻東のチームメイトたちが、そろって「佐々木洋監督の教え」の素晴らしさを語る企画で、監督ご本人こそ登場しないものの、「『楽しい』より『正しい』を。」(大谷選手の記事タイトル)とか、「監督を男にしたかった。」(菊池選手の記事タイトル)といった美しい感じの記事が続く。

確かに、菊池選手も大谷選手も、高校時代からの注目そのままにプロでも活躍し、遂にはメジャーリーグに進出する、という夢(目標)まで叶えているし、その原点になっているのは、既に「先進的な指導者」という評価が定着しつつある佐々木監督の、高校時代の教えがある、ということはあちこちで言われていることだから、”真剣勝負を経ながら良質の素材を開花させるために育てる場”という高校野球の「光」の部分を語るには、まさにうってつけだったのだろう*2

で、そこまでは理想的な展開だったのだが、だんだん時代が遡り、伝統校、強豪校の話になってくると様相が変わってくる。

山の中で疲労骨折するまで全力疾走させられたエピソードが出てくる大阪桐蔭高校、春の選抜で1回戦で負けたことを理由に主将交代を言い渡されたエピソードが出てくる横浜高校。いずれも出てくる選手は、今プロで活躍できている選手たち(中田翔選手、近藤健介選手)なので、振り返って「良い話」にできるのだろうけど、読む側には、そういう厳しさの中で表に出ることができないまま人生を歩んでいる野球部員たちへの想像力を働かせることも多分必要になる。

そして極めつけは、PL学園研志寮 理不尽の先の光と清原和博。」というタイトルの記事*3

副題に「昭和の象徴」とあるとおり、まさに一時代前、今では野球部すら消滅してしまった学園の話とはいえ、”ホラー小説か!”と突っ込みたくなるようなおどろおどろしい話がこれだけ生々しく書かれていると、子供の頃、テレビの中のキラキラした「PL」しか眺めてこなかった者としては、何とも言葉が出てこない・・・。

勝者に当てられるスポットライトがあまりに神々しく、(ある程度のところまで行けば)敗者にすら注目が向けられる、という点で、「高校野球」という舞台は今に至るまで特別な存在になっている。そして、それゆえに、そこでの指導者のやり方や言動が一種の「組織論」「人材育成論」の文脈の中で使われることは多いし、本誌もまさにそういった企画になっている。

好き嫌いはあれど、本誌に出てくる”名将”たちの振る舞いや言葉には、なるほどと感じさせられるものが多いのも間違いない。

ただ、人生表裏いろいろ見てきた世代の人間としては、様々な”称賛”も”批判”も多くは”後付け”の話のように思えてならないところもあって、「甲子園で活躍して、その後も安定した人生を送っている元球児」とか「甲子園には出られなかったけど、その後、プロやアマチュアの世界で野球人として生きていけている元球児」の回顧だけで「誰かのやり方」のイメージを肯定的に膨らませるのは、ちょっと危険なところもあるのではないかと思っている。

そのやり方が肌に合って、未だに恩を感じている人もいれば、いろんな事情でそれが合わなくて、未だに「あの頃」がトラウマになっている人もいる・・・

そういう光と影があるのが「組織」の宿命だし、「人材育成」の限界だと思うので*4

なお、Numberの特集は次号も続くようなので、おそらく大船渡高校の「登板回避」問題もその中で取り上げられるのだろうけど、今号で興味深かったのは、「高校時代の東海大相模での3年間は辛く、苦しい思い出しかなかった。」と語り、自ら夏の神奈川県大会で連投を強いられた菅野智之投手*5が以下のように語っているくだり。

「県大会で優勝して甲子園に出て、そこでまた優勝することだけが高校野球じゃない。指導者や周囲がそう考えれば、もっともっと戦い方も変わってくる。一番手っとり早いのはルールとして、球数制限を作ること。試合のスケジュールもそうですし、燃え尽きないための普段からの導き方、コーチングが指導者の大人たちに求められるところなのかなと思いますね」(65頁)*6

そして、「エンジョイ・ベースボール」を掲げる慶応義塾高校の森林貴彦監督が、

「どうして丸刈りなんですか?と子どもに聞かれた時に『高校野球は昔からそうだったから』と大人が答えるのは悲しすぎませんか。因習がそうさせているに過ぎないんです。」
「今までの社会は、監督、先輩の言うことを素直に聞くという意味で、高校野球で育った人材が高く評価されてきました。高度成長期だったら、それでよかったのかもしれない。しかし、これからは違います。」
(メディアに対して)「甲子園を感動的に報道する『文法』が存在していると感じます。」(以上75頁)*7

と、自校のリベラルな視点から現状に異議を唱えた上で、自分たちのスタイルを主流にするためには「勝つこと」しかない、と言い切り、

「このスタイルで甲子園で優勝したらどうなるか?日本のスポーツ界に大きな影響を与えられるはずです。」(同上)

と断言されているところはカッコいいな、と思うと同時に、アプロ―チが菅野選手が語るそれとあまりに対照的で、これまた考えさせられることになった*8

戦術や指導法の良しあしを示す指標として、目に見える「結果」というものがあるのが競技スポーツの良いところなので、好みのスタイルの監督なりチームなりには、勝ち負けにこだわって「勝って」ほしい、という思いはある一方で、そこを突き詰めすぎると元のスタイルまで変容しかねないのでは? という疑問もわいてくるわけで・・・。

これから始まる夏の全国大会で飛び出すのが「美談」なのか「罵声」なのかは蓋を開けてみないと分からないけど、自分は、その両者の影にあるあれこれを想像しながら眺めてみたいと思っている。

*1:エントリーは「非常識」でも「英断」でもない、冷静な判断。 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~を参照のこと。

*2:菊池選手と同期で明豊戦で決勝タイムリーを打った川村悠真主将が、岩手大を経て母校のコーチを務めている、というエピソードも実に美しいストーリーである。

*3:鈴木忠平「PL学園研志寮 理不尽の先の光と清原和博。」Number983号47頁(2019年)。

*4:誰にも嫌われず、誰にも苦痛を与えなくなければ、「存在感のない」指導者であり続けるのが一番の方法だと思う。もちろん、自分はそれを勧めるわけでもそれを目指しているわけでもないのだけれど、昨今の世相からして、そう遠くないうちに「何もしない」ことが指導者、管理者が生き残る最善の道、という方向に行ってしまいそうな気もして心中は複雑である。「高校野球」と違って、実際のマネジメントの世界では、分かりやすい「結果」で方向性が間違っていないことを示すのが難しいだけに、なおさら・・・。

*5:結局、チームは決勝で桐光学園に敗れ3年間で一度も甲子園に出場できないまま高校生活を終えた。

*6:鷲田康「遠回りは、意外と近道。」Number983号62頁(2019年)より。

*7:生島淳「Enjoy Baseballの正体。」Number983号72頁(2019年)より。

*8:奇しくもこの夏の予選では、4回戦で東海大相模慶応義塾高校が対戦し、慶応が3-16で5回コールド負け、という結果となっている。

サプライズなき資本の論理~それでも明日は来る。

アスクルの定時株主総会が行われ、以下のような結果となった。

筆頭株主のヤフーと社長らの再任を巡って対立しているアスクルが2日、東京都内で株主総会を開いた。約45%を出資するヤフーが業績低迷を理由に岩田彰一郎社長と独立社外取締役3人の再任に反対し、4人の再任議案は否決された。」(日本経済新聞2019年8月2日付夕刊・第3面、強調筆者、以下同じ。)

昨日のセブンペイ同様、こちらも先月からかなり話題になっていた件だったが、この話の”サプライズ”的要素は、「社長再任拒否」という話が最初に出てきた時点と、その後の「社外取締役も再任拒否」という話が出てきた時点で尽きており、第1位株主と第2位株主が同じ意見で議決権を行使することを表明していた以上、今日こういう結果になった、ということに意外な要素は何一つない。

もし、これが池井戸潤氏の小説だったら、主人公(前社長?)が総会の会場で大演説をぶって大株主が賛否の態度をひっくり返す、とか、いや、そこまで行く前に凄腕の弁護士が現れて大株主の議決権行使を無効にしてしまう、とか、スカッとするような大逆転ストーリーが展開されたかもしれないが、現実はそんなに甘くない。

会場の雰囲気は再任を拒まれた岩田前社長の支持ムード一色だった、とか、大株主出身の取締役に対しては誰も拍手を送らなかった、とか、いろいろと情報は飛び交っているが、それでも株主総会の場では、議決権行使の結果が全て。

かくして、午後の取締役会では、独立社外取締役不在、という異常事態の中、新社長が選任され、以下のような「人事異動」のリリースも淡々と発表された*1

(8月2日)社長兼CEO(取締役BtoCカンパニーCOO)吉岡晃▽BtoCカンパニーCOO、取締役兼執行役員CMOライフクリエイション本部長兼バリュー・クリエーション・センター本部長木村美代子▽退任(社長)岩田彰一郎▽同(取締役)戸田一雄▽同(同)宮田秀明▽同(同)斉藤惇

今週も、月曜日からヤフー、アスクル両者のプレスリリースを追いかけていく中で、「最後の最後で叡智を絞った協議の末、何らかの落としどころが見つかるんじゃないか?」とか、「せめて独立社外取締役の不再任だけは回避できるのではないか?」といった微かな期待を抱かなかったかと言えば嘘になるし、あちこちから憂慮の声が発せられながらも、決して拳を振り下ろすことなく最初の勢いのまま押し切る形になったヤフーの対応に関しては、「本当にこんなやり方でよかったのか?」等々言いたいことはいろいろあるのだけど、今の法制度の下では多数の議決権を有している株主が最後は勝つ、という現実を曲げることは残念ながらできない。

ということで、少々虚しさはあるが、改めて今週の動きを振り返ってみることにする。

7月28日
アスクルアスクル株式会社 独立役員会による 「ヤフーによるアスクル企業統治を蹂躙した議決権行使を深く憂慮する声明」提出について
https://pdf.irpocket.com/C0032/GDpy/BOJ5/AgB0.pdf
7月29日
ヤフー:アスクルの第56回定時株主総会における 取締役選任議案(第2号議案)の議決権行使について
https://about.yahoo.co.jp/pr/release/2019/07/29a/
アスクル:ヤフー株式会社の 7 月 29 日付プレスリリース「アスクルの第 56 回定時株主総会における取締役選任議案(第 2 号議案)の議決権行使について」について、および本件に関する当社から経済産業省東京証券取引所へのご報告について
https://pdf.irpocket.com/C0032/GDpy/BW8i/nBtl.pdf
7月30日
アスクル:当社からヤフー株式会社、プラス株式会社に対する「株主総会に係る質問書」、および両社からの回答について
https://pdf.irpocket.com/C0032/GDpy/MIkr/u2Z8.pdf
7月31日
ヤフー:アスクルにおける第56回定時株主総会および 「ヤフー株式会社に対する当社株式の売渡請求の件」を目的とする取締役会について
https://about.yahoo.co.jp/pr/release/2019/07/31a/
アスクル:8 月 1 日取締役会における当社株式の売渡請求審議の延期について
https://pdf.irpocket.com/C0032/GDpy/JLrB/UITi.pdf
アスクル:日本取締役協会による「緊急意見 日本の上場子会社のコーポレートガバナンスの在り方」発表について
https://pdf.irpocket.com/C0032/GDpy/LBpf/Icf1.pdf
8月1日
アスクル:日本コーポレート・ガバナンス・ネットワークによる「支配株主を有する上場会社のコーポレート・ガバナンスに関する意見」公表について
https://pdf.irpocket.com/C0032/GDpy/LBpf/Icf1.pdf

先手を打ったのはアスクルの独立役員会だったが、ヤフーが間髪入れずにビジュアル資料を使って議決権行使の正当性を説明、これに対しアスクルが正面から反論するとともに、ヤフーの主張の矛盾を突く。
翌日、アスクル株主総会の運営に係る「質問状」と「回答」を公開し、ヤフー側代理人弁護士の存在も世に出ていよいよ対決ムード全開か?という雰囲気が漂っていたのだが、翌31日、株式売渡請求権行使について審議する予定だった臨時取締役会の開催延期をアスクルが発表したところで潮目は変わった。

このプレスリリースの中で、アスクルが、

「当社のこれまでの主張は、ガバナンスプロセスを無視した退陣要求がなされた点についてのものであり、岩田社長の保身は全く目的としておりません。議決権行使の結果として岩田社長再任がされないことについて、当社は一切異論ありません。」

と書いてきたのを見て、自分は、アスクルも既に「総会後」を見据えたモードに入ってきたな」という印象を受けた*2

そして、本日公表された「本日の取締役記者会見について」というアスクルのリリース。
https://pdf.irpocket.com/C0032/GDpy/KIxq/NThS.pdf

「今回、2000 年 10 月以降前代未聞となる独立社外取締役が一人もいないという異例な状況になったことは、当社として大変遺憾であり、速やかに新たな独立社外取締役を選任するための手続を進めていきたいと考えております。」

というくだりまでは、これまでと同様のトーンで書かれているが、最後の「4.ヤフーとのこれからの関係について」の箇所で書かれている内容は、これまでとはだいぶ異なる。

(1) 現時点において、資本関係を解消したいという基本スタンスは変わっておりませんが、提携を解消するということについて、直ちにゼロか百かということではなく、両社にとってよりよい関係の模索のための協議を速やかに開始したいと考えております。拙速な判断をすることなく、あらゆるステークホルダーにとって最適な解を模索してまいります。
(2) 8 月 1 日付の株式売渡請求権行使の取締役会審議を延期した理由は、プレスリリースで公表したとおりでありますが、もともと当社は訴訟が最適な道であるとは考えておりませんでした。今後の売渡請求権行使について、今後のヤフーとの協議を注視しつつ引き続き慎重に検討してまいります。

戦い終わって垣間見える”ノーサイド”の精神、というべきか、最後も「当社は、すべての株主の利益*3のため、企業価値を最大化する経営に今後も最大の努力をしてまいります。」という、美しい言葉で締めくくられている。

思えば、約半月にわたって双方がプレスリリースで「会社のガバナンス」の在り方に関する応酬を繰り広げ、アスクル側には上村達男名誉教授、久保利英明弁護士といった大御所から日本取締役協会まで、ヤフーの側でもなぜかレオス・キャピタルワークスといったように、強いキャラクターの脇役も数多く登場して盛り上がった(?)このバトルだが、結局のところ、これから関係者が本当に考えないといけないのは、「LOHACO事業のこれからをどうするか?」とか、そもそも「立て直し途上のアスクルの経営をどうやって回復軌道に乗せるか?」といった経営の本筋の話であろう。

「独立役員の存在が企業経営に有効かどうか」といった問いに対する「答え」を定量化することは困難だが*4、「経営実績」は明確な数字として出てくるわけで、今回、岩田前社長を経営トップの地位から引きずり下ろしてまでやりたかったことが実現できたのかどうか、半年後、1年後に、ヤフーに対してもその結果は容赦なく突きつけられることになる。

より悪い方に流れが行った時に、「当社は一株主に過ぎません。遺憾ではありますが、アスクルの自主経営を尊重した結果なので、責任は現経営陣で負っていただきます」といったようなリアクションが出てくることはよもやないだろうから、外野の人間としては、最後の一週間、沈黙を貫いたプラス株式会社*5の動きとともに、これからの、親会社としての、リアルな経営手腕を見届けたいと思っている。

なお、日本経済新聞社から昨年末に出版された以下の一冊。岩田前社長が流通業界の旗手として「対談」にも登場されている。

物流革命 (日経ムック)

物流革命 (日経ムック)

”名経営者”と崇められた人が、一夜にして貶められる、というのは、カルロス・ゴーン氏の例を見るまでもなく世の中にいくらでもある話なのだが、一種の社内ベンチャーから会社を興し、この苦しい状況下でも記者会見等で気骨ある姿を見せ続けてきたこの経営者の今後にも、個人的には注目していきたいところである。

*1:正式なリリースのリンク先はhttps://pdf.irpocket.com/C0032/GDpy/syzj/JgtH.pdf

*2:一方で、独立社外取締役の再任拒否に対しては、関連する他団体のリリースも載せる等、引き続き強い反対姿勢を示していたので、ここが折れシロなのかな?と思っていたのだが、その予想は残念ながら見事に外れた。

*3:これまでは「少数株主の利益」を強調する形のリリースが多かったが、ヤフー、プラスも含む「すべての株主」というワードに、「戦後」モードの全てが集約されているような気がする。

*4:時々、それを試みようとしている例を見かけるが、それぞれの会社で経営の前提条件が全く異なる以上、「定量化」の作業にはほとんど意味がないと自分は思っている。

*5:その代わり、というわけではないのだろうが、対決が佳境に差し掛かっていた7月30日に、明日8月3日を「文具はさみの日」に制定する、という洒落たリリースを出していた(プラス、8月3日を「文具はさみの日」に制定 記念日登録証授与式を開催|PLUS プラス株式会社/PLUSグループ)。

月が替わって最初のニュースが・・・

梅雨が明けてからまだ数日、というタイミングなのに、さすがは日本の夏、容赦なく熱波が襲ってくる。
それでも、新しい月になって何となく気持ちが上向いていたところに、とんでもないニュースが出て来た・・・。

www.nikkei.com

まぁ確かに、先月のサービス開始数日での不正利用騒動のインパクトが大きかったのは確かだが、あの天下のセブン&アイが、開始の翌月に「翌々月末でのサービス中止」を打ち出さざるを得なくなることまでは、おそらく先月の騒動後ですら、誰も想像してはいなかっただろう。

スマホ決済がなくても、IC決済インフラが十分整っている会社だからこそできた話、という見方もあるだろうけど、このご時世、批判が世の中に拡散するのも一瞬だし、それを受けて当局が動き出すタイミングも、「表」「裏」の双方で会社が追いつめられるスピードも速い、ということで、いろいろ考えさせられることが多い1か月のスタートの日だった。

ありふれた言葉で恐縮だが、「これを以て他山の石とせよ」。それに尽きる。

2019年7月のまとめ

月末になって、ようやく長い長い梅雨が明け、かろうじて本格的な夏が到来した今年の7月。
でも、梅雨明けからわずか数日しか経っていないのに、既に昨年よりはるかに長く夏の陽射しを感じられたような気がして、今こうやって幸福な時間を過ごせることに心から感謝している。

ブログのアクセスもおかげさまで、先月をさらに上回る36,000超のPVを記録。
7月月間の数字で言うと、7年ぶり、開設以来2番目の数字、ということで、本当にありがたいな、と。

そして、一発のBuzzった記事でPVを伸ばした先月とは異なり、今月はリピーター読者の方々がじっくり読んでいただいているのかな、というのも何となく分かるデータになっているので(セッションは19,000弱、ユーザーは10,100強だから、先月より少し減っているが、その分リピーター率増、直帰率減、という数字も出ている)、それも嬉しいところではある。

来月は休暇シーズンで例年アクセス数が減りがちな月だし*1、これ以上欲張ると、何が本業だかわからなくなってしまうので、ほどほどにしておくつもりだが、自分自身もより一層心を落ち着かせることができる時期だと思っているので、そんな中で表現できる何か、をまた探していきたいな、と。

<ユーザー市区町村(7月)>
1.→  新宿区 1,290
2.↑ 千代田区 1,174
3.↓ 大阪市 1,109
4.→ 港区 1,049
5.→ 横浜市 789
6.↑ 名古屋市 357
7.↓ シカゴ 298
8.→ 渋谷区 283
9.→ 世田谷区 229
10.圏外京都市 197

今月はあまり大きな変動はなかったのだが、来月は読者の皆様の動きに合わせて、アクセス元がいろんなところに(国外も含め(笑))分散することを今から期待している。

続いて検索ワードより。

<検索アナリティクス(7月分)合計クリック数2,960回 > ※2019年8月3日追記
1.→ 企業法務戦士 195
2.↑ 企業法務戦士の雑感 34
3.↑ 企業法務 24
4.圏外取扱説明書 著作権 23
5.圏外三村量一 22
6.↓ 矢井田瞳 椎名林檎 21
7.圏外説明書 著作権 16
8.↓ 企業法務 ブログ 15
9.圏外 ワタシから始めるオープンイノベーション 13
10.圏外 古地図 著作権 13

圏外から、裁判例を調べたんだろうな、という組み合わせがちょくちょく浮上しているが、元知財高裁判事のお名前が出てきている理由は、現時点では不明・・・。

最後に、書籍の売り上げは、今月も右肩上がり。
特に、「法律時報」とか「年報知的財産法」といったあたりをクリック購入してくださった方が多かったのは、勧めた側としても嬉しかった。
硬派な雑誌、硬派な企画書は、きちんと人に読まれてこそ、だと思うので。

<書籍売上ランキング(7月分)>
1 法律時報 2019年 07 月号 [雑誌]

法律時報 2019年 07 月号 [雑誌]

法律時報 2019年 07 月号 [雑誌]

2 年報知的財産法2018-2019

年報知的財産法2018-2019

年報知的財産法2018-2019

3 ハローキティに見る グローバルなブランド拡張戦略 DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー論文

4 ジュリスト2019年 08 月号 [雑誌]

ジュリスト 2019年 08 月号 [雑誌]

ジュリスト 2019年 08 月号 [雑誌]

あと、筆者に付き合って(?)サザコーヒーをリクエストしてくださった方もいらっしゃって、それはそれで感謝である。
もし初めて購入した方がいらっしゃったのであれば、是非、飲んだ感想をお伺いしてみたいものである(ちなみに我が家では既に3巡目のオーダーに突入している・・・)。

*1:ただし、夏休みのレポートに追われる学生のニーズなのか、一部の判例解説記事に関してはアクセスが伸びる傾向がある(笑)。

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