「社歌コンテスト」を横目で見ながら思うこと。

日経新聞の本紙では特に話題として取り上げられてはいなかったと思うのだが、

「NIKKEI全国社歌コンテスト」

なるイベントが今日8日から、ひっそりと始まっている*1

審査員の欄には懐かしい川嶋あいさんのお名前もあるし、最優秀賞に輝くとJOY SOUNDでカラオケ配信までされてしまう、ということで、様々な有名企業もエントリーしているのだが・・・。

元々、「社歌コン」と言えば、頑張って世の中を支えている中小企業に光を与えるイベントだったはずで、それこそ「日本ブレイク工業*2みたいなノリでユニークさを追求するものだったり、あるいは、全社員が出てくるようなほのぼのとしたものだったり、というのが、本来の姿だと思っていた。

それなのに、今回は天下の日経新聞がメインスポンサー。

そして、このコンテストのために金に物言わせて勘違いPV作ったんじゃないか?というような大企業も散見されたりして、少々微妙なイベントになってしまっている。

会社が大きいかどうかにかかわらず、

・(コンテストのためではない)日頃から社内向けに使っている映像・音楽素材を出してきた会社
    or
・単なるイメージ映像、プロモ映像ではなく、ちゃんと社員が参加して作った作品を出してきた会社

であれば、一応本来の趣旨は満たしていると思うし、「作詞・作曲から映像の作成まで全部社員がやりました!」というのであれば完璧なのだろうけど、あまりにエントリーしている会社数が多すぎて、それらの条件を満たした作品が埋もれてしまっているように思えるのはちょっと残念だった。

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再び、変わる光景。

五輪前、札幌に行ってしまったマラソンの最後の代表選考枠の争いもまだ続いているシーズンではあるのだが、この時期になるとカレンダー通り盛り上がってくるのが「駅伝」である。

大学の方は、出雲駅伝の波乱(国学院大学三大駅伝初優勝)に続き、全日本大学駅伝でも東海大学が前シーズンの箱根に続くタイトル奪取を果たして、いよいよ、ここ数年大学駅伝界を席巻していた青山学院大学が名実ともに王座から陥落しそうな状況である。

そして、実業団の方も、元旦の景色がまた変わりそうな気配になってきた。

コニカミノルタ優勝、ホンダが2位、という上位の結果だけ見れば、そんなに違和感はない*1

だが、昨年19年ぶりの優勝を果たし、ニューイヤー駅伝でも5位入賞を果たした富士通が17位でまさかの「予選落ち」。

さらに、自分が今更ながらに気付いて驚いたのは、コニカミノルタ富士通の好敵手として、ニューイヤー駅伝でも東日本実業団でも常に上位争いを繰り広げ、一時代を築いていた日清食品グループが、今シーズンから駅伝を”撤退”していたこと

MGCに佐藤悠基選手、村澤明伸選手が日清食品グループ所属選手として出場していたから今の今まで全く気付かなかったのだが、今年の初めから結構大きなニュースになっていたようで・・・*2

駅伝界に新しい風を吹き込むかと思われたDeNAが、昨シーズン、早々に”撤退”を決めたときもいろいろと思うところはあったのだが、未だにニューイヤー駅伝の大会記録を持っているチームまで消滅の道を辿る、ということになると、より考えさせられるところは多い。

「駅伝だけが陸上じゃない」とか、「長距離ランナーの育成に、駅伝は逆効果」と言われるようになって久しいことを考えると、「駅伝大会は目指さず、個人種目を目指す選手のサポートに徹する」という企業が出てきても別にいいじゃないか、という話になりそうだが、どこまでが本音でどこからが建前か、というのが非常に分かりにくいのも企業スポーツの世界の「公式発表」の常だけに*3、あまり前向きに評価しすぎるのもどうなのかな、と思う。

唯一の救いがあるとしたら、”撤退”によって様々なチームに移籍した選手たちが、東日本実業団駅伝で力走して、それぞれの所属チームを引き上げたことだろうか。

特に入社直前で内定取り消しの憂き目にあった山梨学院大出身の永戸選手は、新人ながら日立物流の6区で区間6位、と立派に役割を果たしているし、コモディイイダに移籍した駒沢大出身の中谷選手も5区で出場。会心の走りではなかったようだが、チームは見事に予選通過最低ラインの12位に食い込み(なんと13位の八千代工業とは5秒差!)、初のニューイヤー駅伝出場を決めた*4

そして、「マラソンランナー育成に注力する」というテーゼを掲げて活動していたはずのGMOアスリーツが、初めて参戦した大会で堂々の5位だった、というのも、何やら新しい歴史を予感させる*5

思えば、実業団駅伝の世界も、かつて上位争いの常連だったエスビー食品、日産、ダイエーNECといったチームが消え、それに代わってコニカ日清食品トヨタ自動車といった新勢力が出てきて新しい景色を作る、という歴史の繰り返しだった。

ニューイヤー駅伝の方は、時空を超えて名門であり続ける旭化成が目下3連覇中、という状況ではあるのだが、それを追い上げるチームのユニフォームの色は確実に変わってきているだけに、この先のドラマにちょっと期待しつつ、眺めていくことにしたい。

*1:コニカミノルタは今世紀に入ってからコニカ時代も含めてニューイヤー駅伝で8度の優勝。東日本でも2度の3連覇を果たした名門チームだし、ホンダも東日本実業団では過去に何度も優勝している(直近では2年前)チームである。

*2:山梨学院大・上田監督悲痛 日清撤退で選手内定消滅 - 陸上 : 日刊スポーツなど。

*3:しかも支援の対象になっていた佐藤、村澤の両選手が、MGCでは惨敗という結果に終わっただけになおさら。

*4:リザルトはhttp://hnj.jita-trackfield.jp/jita/wp-content/uploads/2019/11/ekiden_2019.pdf参照。

*5:某深緑系大学の監督の次の進路か・・・と勝手に妄想を膨らませて久しいのだが、本格的に駅伝参入ということで、ますますその可能性は高くなってきたんじゃないか、と個人的には思っている。

美しすぎる終幕。

日本が敗退した後も、まだまだ続いていたラグビーW杯。

いかに消耗が激しいスポーツとはいえ、準々決勝から決勝まで丸々2週間も大会日程を費やす、というのは贅沢すぎるイベントだな、と個人的には思うし、一部を除けば世の中の空気もだいぶ落ち着いてきたところで閉幕、という雰囲気ではあるのだが、それでも、最後に勝ち名乗りを挙げた南アフリカ代表が、真の勝者に値するだけの強さと風格を見せてくれたおかげで、実に引き締まったいい大会になったのではないかと思う。

4年前からより一層精度を増したポラード選手のキックは決勝戦でも変わらない冴えを見せていたし、スクラムの重量感も、ラインアウトでの狡猾さにも全く変わりはなかった。

ゲームプランニングもこれまで以上に完璧で、後半途中までの窮屈なPG合戦でリードを保ちつつ、相手に疲れが見えてきた終盤に差し掛かってから、最大の武器である両翼の快速WTB、マピンピ選手、コルビ選手を走らせ、相手の戦意をそぐに十分なトライ&ゴールで試合を決める。

試合が始まるまでは、”あのニュージーランドを倒した”イングランドの勢いが相手を凌駕する展開もあると思っていたし、策士・エディ・ジョーンズHCがどんな作戦を仕掛けてくるのか、というところにもっぱら関心があったのだけれど、始まってみれば、正面から力勝負を挑んだ南アフリカがいいところを全部出して勝った、という結果で、よくこのチーム相手に日本があそこまで戦えたなぁ・・・と思うくらいスプリングボクスは強かった。

そして、一夜明けた今日の朝刊に載ったのが以下の記事。

「ベンチに下がった主将のフランカー・コリシは、勝利を確信したかのように試合終了前から静かに涙を流していた。初の黒人主将としてチームを率い、手にした南アフリカ3度目の優勝カップを感慨深げに高々と持ち上げる。「これまで味わったことのない境地。今までの人生でベストの経験だ」
「チームは人種の融合が進む一方、母国では問題がまだ色濃く残る。「様々な背景があっても協力すれば目標を達成できる。国のために勝って誇りに思う」と喜びをにじませていた。」(日本経済新聞2019年11月3日付朝刊・第27面)(強調筆者、以下同じ)

思えば、南アフリカのW杯初優勝は、自国開催の1995年。

時のマンデラ大統領が、支持層の批判を受けつつも、ホスト国の指導者として「白人のスポーツ」だったラグビーの自国代表に声援と称賛を送る姿こそ、かの国の歴史が動いた一つの象徴だった。

あれから四半世紀。極東の地で、同国代表初の黒人主将の下で迎えた3度目の優勝。

ヨハネスブルクは未だに渡航先としては世界で最も危険な部類に入る、とされているし*1、日頃、かの国に関して日本に伝わってくるニュースも、「政情不安定、賄賂も横行」といった芳しくないものばかりなのだが、それでも時代はちょっとずつ前に動いている。

フィールド上で歓喜に沸く彼らの姿を見て、そう感じることができたのは、実に幸福なことだったと思うのである。

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*1:自分はまだ行ったことがないから、あくまで伝聞の域を出ないのだけど・・・。

「写り込み」権利制限規定の拡充をめぐる同床異夢?

日経新聞の土曜日の夕刊に、著作権法改正絡みの記事が登場した。

文化庁は2日までに、スマートフォンでのスクリーンショット(画面保存)やインターネット上の生放送・生配信に他人の著作物が偶然写り込んでも違法とならないことを、著作権法で明示する方針を固めた。2019年の通常国会で同法改正案の提出を目指す。」(日本経済新聞2019年11月2日付夕刊・第10面)(強調筆者、以下同じ)

スクリーンショット」が強調されているあたりに、今春一大騒動になった「ダウンロード違法化」問題をかなり意識しているのだろうな、ということが推察される記事なのだが、実は、その「ダウンロード違法化」に関するパブコメの募集が先月30日で締め切られた*1タイミングを見計らったかのように、令和元年10月30日付の「写り込みに係る権利制限規定の拡充に関する中間まとめ」に対する意見募集が10月31日から開始されている(期間は11月30日まで)*2

平成29年4月の文化審議会著作権分科会報告書*3で、「三層構造」を基調とする権利制限規定の在り方論が打ち出され、さらにそれを踏まえた平成30年著作権法改正によって、少なくとも「権利制限」の分野に関しては著作権法は”柔軟化”の方向に大きく舵を切ったと言える。

そして、その流れを引き継ぐかのように、「写り込み」に関しても、極めて評判が悪かった平成24年著作権法改正で出来あがった条文を修正するための議論が、著作権分科会法制・基本問題小委員会で進められている、というのが今の状況である。

現行法の写り込みに関する規定(30条の2)は、

第30条の2
写真の撮影、録音又は録画(以下この項において「写真の撮影等」という。)の方法によって著作物を創作するに当たつて、当該著作物(以下この条において「写真等著作物」という。)に係る写真の撮影等の対象とする事物又は音から分離することが困難であるため付随して対象となる事物又は音に係る他の著作物(当該写真等著作物における軽微な構成部分となるものに限る。以下この条において「付随対象著作物」という。)は、当該創作に伴って複製することができる。ただし、当該付随対象著作物の種類及び用途並びに当該複製の態様に照らし著作権者の利益を不当に害することとなる場合は、この限りでない

というものだが、このうち青字部分の要件の見直しについて検討した結果を整理しているのが、パブコメにかかっている前記「中間まとめ」。

そして、そこに記されている改正の方向性を簡単にまとめると、以下のようになる。

◆ 「写真の撮影」「録音」「録画」への対象行為の限定
・「典型例として想定された3つの方法以外にも、日常生活等において一般的に行われる行為であって、写り込みが生じ得るものについては、権利者に与える不利益の程度に特段の差異がないのであれば、技術・手法等を限定せず広く対象に含めることが適当である。」(3頁)
※ 新たに対象に含める具体例として、「生放送・生配信」スクリーンショット、模写等」が挙げられており、さらに(写り込みとは若干場面が異なる、という留保を付しつつも)「自らが著作権を有する著作物が掲載された雑誌の記事を複製する際に、同一ページに掲載された他人の著作物が入り込んでしまう場合」も許容される対象に含めることが提案されている(4頁)

◆著作物創作要件
・「固定カメラでの撮影等の場合にも、不可避的に写り込みが生じる場合が多く想定されるところ、本規定の主たる正当化根拠は、権利者に与える不利益が特段ない又は軽微であるという点にあるため、著作物を創作する場合か否かは必ずしも本質的な要素ではないと考えられる。このため、著作物を創作する場合以外も広く対象に含めることが適当である。」(5頁)

◆分離困難性・付随性
・「本規定の正当化根拠については、その著作物の利用を主たる目的としない他の行為に伴い付随的に生じる利用であり、利用が質的又は量的に社会通念上軽微であることが担保されるのであれば、著作権者にとって保護すべきマーケットと競合する可能性が想定しづらい(したがって権利者の利益を不当に害しない)という点に本質があるものと考えられるところ、これを担保する観点からは、「付随性」が重要な要件であると考えられる。」
・「一方で、「分離困難性」については、「付随性」を満たす場合の典型例を示すものではあるが、この要件を課することが、本規定の正当化根拠からして必須のものとは考えられず、「付随性」や「軽微性」等により権利者の利益を不当に害しないことは十分に担保できると考えられる。このため、日常生活等において一般的に行われている行為を広く対象に含める観点から、この要件は削除することが適当である。」(以上6頁)

◆軽微性
「軽微な構成部分といえるか否かが上記のような総合的な考慮によるものであることを明確化し、利用者の判断に資するようにするため、法第47条の5第1項の規定(「・・その利用に供される部分の占める割合、その利用に供される部分の量、その利用に供される際の表示の精度その他の要素に照らし軽微なものに限る」)も参考にしつつ、考慮要素を複数明記することが適当である。なお、ここでいう「軽微」については、利用行為の態様に応じて客観的に要件該当性が判断される概念であり、当該行為が高い公益性・社会的価値を有することなどが判断に直接影響するものではないことに注意が必要である。」(7~8頁)

◆対象支分権
「「公衆送信(送信可能化を含む)」、「演奏」、「上映」等を広く対象に含める観点から、第2項と同様に、「いずれの方法によるかを問わず、利用することができる」という形で包括的な規定とすることが適当である。」(8頁)

果たしてどんな表現になるのか、今一つ予測しづらい書きぶりになっている箇所も一部見受けられるものの(後述する「留意事項」まで念頭に置くと、なおさらそう思う)、これだけ見れば、相当なレベルでの”柔軟化”が志向されている、と理解するのが素直な読み方、ということになるのだろう。

ここまで徹底的に条文を修正しなくても、「対象行為の限定」や「対象支分権」等に関しては、現場レベルではすでに「類推適用」で正当化することが多かった*4

また、そこまで難しく考えなくても、閉ざされた世界の中での、著作権者の利益と正面から衝突しない付随的かつ軽微な利用なら、現実に問題が起きることはあり得ない、という前提で行動するのが自分は正しい在り方だと思っているので*5、法改正に頼らないと動けない、というのでは、ちょっと情けないような気もする。

ただ、世の中の”寛容”さが失われつつある昨今の状況に鑑みると*6、「30条の2の要件見直し」という王道路線での対応には、やはり大きな意味がある、ということになるのだろう。

・・・で、ここまでの話なら、メデタシメデタシ、で済むのだが、今まさにこの論点が議論されている法制・基本問題小委員会の議事録を見ていたら、若干気になるところもあったので、もう少し突っ込んで取り上げておくことにしたい。

「拡充」の到達点をめぐる同床異夢?

自分が気になったのは、令和元年8月9日、この論点が最初に取り上げられた令和元年度第1回小委員会の議事録*7に出てくる以下のようなやり取りである。

◆奥邨委員
平成23年の改正のときも,先ほど見たように,写り込みは基本的に権利者に不利益がないという整理がされているわけですから,どちらかというと1層に分類される規定ではないかと思います。そういう意味では,今ここに挙がったような形で,各要件を非常に柔軟に読めるようにするというのは,前回の柔軟な権利制限規定の1層に関する部分の改正とも平仄のとれる方向性だと,そういうふうに結論付けられるのではないかなというふうに思っております。」

◆前田(健)委員
「昨年の柔軟な権利制限規定創設のときに,権利制限規定の第1層から第2層,第3層までの分類という話をせっかくしましたので,そこを踏まえて議論するべきというのは私も奥邨委員と同意見です。これが第1層,第2層,第3層のどれかという話なんですけれども,ここは意見があり得るところだと思いますが,私はこれは第2層なのかなというふうに理解しておりました。」
「翻って今の30条の規定を見ると,先ほど御指摘あったとおり写真の撮影とか録音,録画という非常に限定された対応で条文が作られていて,だから利用者側の利益というのをそうやって限定して捉える必要がないというふうに考えると,もっと幅広く,様々な行為を対象にするということはあってもいいのかと思います。そういう基本的な視点を持って,この規定については検討していくべきだというふうに私は思っております。」

◆大渕主査代理
「今の観点からすると,あの頃,写り込みとして,文化審,この小委員会でまとめたものというのは,30条の2よりは広かった。大体皆そのような認識であったと思います。強いて言えば写り込み一般のような,このような制限の掛かっていないもので写り込みは権利制限としようというのが総意であったのですが,それが法制局で絞られてしまいました。この委員会で総意としてあったものが絞られて現在のものになっているわけです。先ほどここは狭いのではないかというのを一個一個言われましたけれども,私は,審議会が終わった後,24年改正で成立した条文を見たときに,写り込みの範囲が,写真などに限定されているので,狭いなと思った次第です。難しい議論もよいのですが,あのときの原点に立ち返って,平成24年改正の際には,写り込みだからこのようなものは権利制限にしてよいという総意がこの委員会で成立していたので,そのような観点で見た方が,解にたどり着きやすい。学者的に議論をどんどんやるのもよいのですが,現実的な路線としては,あのとき条文で狭くなり過ぎたものを原点に戻せばよいという観点から見ると,このあたりはほぼ全部がクリアになると思います。」

今回議論の対象となっているのが、平成29年報告書がいうところの「第1層」の問題なのか、それとも「第2層」の問題なのか。はたまた、大渕教授が述べられているように、「三層構造」の議論以前の軽微類型として整理されるべき問題なのか。

抽象的なやり取りだけを見れば本質的な話ではないようにも思えてしまうが、「それぞれの論拠から具体論を展開していった結果、対象がどこまで広がるのか?」ということまで考えると、そこに一致点を見出せるのか、という点が若干気になるところではある。

平成23年1月の著作権分科会報告書では、「その著作物の利用を主たる目的としない他の行為に伴い付随的に生ずる当該著作物の利用であり、かつ、その利用が質的又は量的に社会通念上軽微であると評価できるもの」が「A類型」(著作物の付随的な利用)として規定され、

「典型的には、例えば、写真や映像の撮影といった行為に伴い、本来行為者が意図している撮影対象とは別に、軽微な程度ではあるものの、いわば付随的に美術の著作物や音楽の著作物等が複製され、あるいは当該著作物が複製された写真や映像を公衆送信等するといった利用(いわゆる「写り込み」と呼ばれる利用)が、上記Aの類型に該当するものと考えられる。こうした著作物の利用は、その利用の程度が軽微であることに照らせば、権利者の利益を不当に害するものとはいえないと考えられるが、法を形式的に適用すれば、複製等の態様で著作物の利用が生じているといわざるを得ない。また、当該利用は、日常様々な行為に不可避的、あるいは偶発的に付随するという側面もあり、予め権利者から許諾を得ることには多くの場合困難を伴い、さらには、全てにつき予め権利者から許諾を得ることは現実的であるとはいい難いこのような類型の著作物の利用は、付随的なものであり、利用の程度が軽微であることを特徴とするものであることから、利用局面を特定の場合(例えば映像や写真を撮影するという場合)に限定した個別権利制限規定という形ではなく、権利制限の一般規定という形で、ある程度包括的な考慮要件を規定し、権利制限に該当するか否かにつき、裁判所の判断に委ねることがより適しているものと考えられる。」(44~45頁)

といったように、「付随性」「軽微性」を前面に出しつつ、「不可避性」「偶発性」といった要素も考慮した上で、包括的に権利制限の対象とすることが提案されていた。

当時は、この後に続く意見の方に親近感を抱いていたりもしたのだが*8、いずれにしても、「日常の中でどうしても起きてしまうものだから、そんなところにまで著作権の行使を認めなくてもいいよね?」というのが、この「写り込み権利制限規定化」の出発点だったはずだし、その原点に立ち返るなら、今回も「第1層」(あるいはそれ以前の「第0層」というべきかもしれない)のレベルの話として議論され、その議論の枠に収まる範囲での「拡充」が図られるのが筋、ということになるのではないかと思う。

だが、今年度の小委員会では、前記の前田(健)委員のように、さらにそこから踏み込んで「拡充」を図る意見が出された。

そして、続く第2回(9月18日)のやり取りで、それはより鮮明になっている。

◆井奈波委員
「4ページ目の丸3ですが,やはり写り込みであることを何らかの形で表現する必要があると思います。写り込みであって写し込みは除くという趣旨であるとすると,やはり偶発的な場合であることが必要ではないかと思います。1ページ目の基本的な考え方のところで,丸3の不可避的・偶発的に生じるという側面もあることから認められている例外であると考えられますので,そのような要件を考慮する可能性もあるのではないかと考えます。」

◆田村委員
「先ほどの井奈波委員の御意見なのですけれども,今回,分離困難性というところについて手を加えようとしているので,今のままの規定でしたら,確かにこの偶発的・不可避的,特に偶発的のところが非常に強い要素があると分かるのですけれども,むしろ今回の改正は,先ほどから前田健委員も御指摘になったような,子供に意図的にぬいぐるみを抱かせて写真撮影するというのも権利制限対象に含めようと,セーフにしようというようなお考えの話です。ですので,今回の改正は偶発的というのを強調するようなことはしないか,むしろ,今回の改正はそれを強調しない方向だと思いますので,現在のこの1ページの文章等の「生じるという側面もある」というのは,私は構わないと思います。もし,今の井奈波委員の御意見が,この「側面もある」というところをもう少し違った文言にするとか,あるいは5ページの一番下の,子供に意図的にぬいぐるみを抱かせる写真を撮影する行為などを著作権の制限対象の外に置くというような御趣旨であれば,私はそのような考え方は取らないということです。」

田村教授が指摘されている「不可避的・偶発的に生じるという側面もあり」という表現は、平成23年報告書の表現とも共通しており、これを「要件」とした平成24年改正がやり過ぎだった(だから今回「分離困難性」の要件を削除する)、という点に異論は全くないし、「中間まとめ」の既にご紹介した部分を見る限り、今回の改正提案は、さらに一歩踏み込んだ「拡充」を志向しているように読めるから、田村教授や、先ほど紹介した前田(健)准教授のコメントこそが提案内容に平仄を合わせた発言だ、と受け止めるのが正しい理解の仕方なのだろう。

ただ、一方で「中間まとめ」には、以下のような「留意事項」も記されている。

◆ 「写真の撮影」「録音」「録画」への対象行為の限定
<留意事項>
・「写り込みが生じ得るものとして想定している場合(様々な事物等をそのまま・忠実に固定・再現したり、伝達する場合)以外が広く対象に含まれてしまうことは適切でないため、適用範囲が過度に絞り込まれることのないよう注意しつつも、適切な表現で対象行為を特定する必要がある。」(4頁)。

◆著作物創作要件
<留意事項>
・「単純に「著作物を創作するに当たって」という要件を削除した場合には、映画の盗撮等の違法行為に伴う写り込みについても適法となり得ることには留意が必要である。」(5頁)
※この点については、①映画の盗撮等の行為自体が違法とされることをもって足りる(当該行為自体が違法となることで、そのような行為は十分に抑止されており、写り込み部分についてあえて違法とする必要はない)という考え方と、②主たる行為が著作権法上許容されないものであるにもかかわらず、それに伴う写り込みを適法とする必要はない(写り込んだ著作物の著作権者による権利行使が出来なくなるのは不合理である)という考え方の両方が提示されている*9

◆分離困難性・付随性
<留意事項>
・「単に「分離困難性」の要件の削除のみを行った場合には、例えば、「分離が容易かつ合理的な場合であって、社会通念上、その著作物を利用する必要性・正当性が全く認められな
いような状況において意図的に写し込むこと」など、その著作物の利用が主目的であるにもかかわらず、それを覆い隠すために本規定を利用するといった濫用的な行為まで可能となってしまうおそれがある。このため、適用範囲が過度に絞り込まれることのないよう注意しつつも、例えば、主たる行為を行う上で「正当(又は相当)な範囲内において」などの要件を追加することにより、一定の歯止めをかけることが適当である。」(6~7頁)

もし、この流れで、付随性の要件に関して「正当な範囲内」という限定が付された場合に、偶発性、不可避性(の欠如)という事情はどこまで考慮されるのか、また、今回の改正の元でも残すことが想定されている「ただし書き」が発動されるリスクは本当にないのか。

改正後の規定の適用対象行為について、議論が決して「一枚岩」ではないように見受けられる状況に鑑みると、多少の懸念がないとはいえない。

そして、「中間まとめ」の最後に記された、

「上記(1)~(5)のとおり本文に規定する各要件等を緩和することで権利制限規定の対象となる行為・事例が増大し、その結果としてただし書の適用場面が拡大するという考え方もあり得るが、今回の見直しは、あくまで、本規定の本来の趣旨・正当化根拠が妥当する範囲で柔軟な対応が認められるようにするものであり、依然として、本規定が権利者に与える不利益が特段ない又は軽微な場合に限定されたものであることに変わりはない。このため、基本的に、今回の見直しによってただし書の適用場面が拡大することは想定されないと考えられる。」(8頁)

という一見矛盾しているかのように読める記述の存在も、文化庁の思惑*10とは裏腹に不安を増す要素になっていることは指摘しておきたい。

いわば、社会通念上、多くの人々が「適法」と評価するであろう行為をわざわざ条文で規定しないといけない、というハードなミッションゆえのこととはいえ、日常生活でも会社の仕事の中でも、”頻出”のトピックだけに、安定した解釈が導けるような形で(一方で、平成24年改正の時のような保守的な形ではなく)法制化がなされることを強く願う次第である。

*1:https://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=185001067&Mode=0、このパブコメに関してはいろいろ思うところもあり、意図的に取り上げないようにしていた。また結果が公表された頃にでも機会があれば触れることにしたい。

*2:https://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=185001075&Mode=0

*3:http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/chosakuken/pdf/h2904_shingi_hokokusho.pdf

*4:平成24年改正当時のジュリストでの議論等は相当積極的に援用させていただいた(笑)(新しい権利制限規定は著作権法の未来を変えるのか? - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~参照)。あくまで社内での説明、説得材料だから、そこまでやる必要も本来はないのだけど。

*5:だから、今年の春に「スクショ違法」等々で大騒ぎになった時も、「なんでわざわざ重箱の隅をつついて自ら危機を招来するようなことをするのか」と思ったものだった。

*6:しかも、重箱の隅をつついて「違法」を指摘する者ほど、何も権利は持っていないし、創作に寄与するような活動は何もしていなかったりする。

*7:文化審議会著作権分科会法制・基本問題小委員会(第1回) | 文化庁

*8:「Aのような類型の著作物の利用は、通常権利者の許諾を得ずに日々行われており、特段問題が生じていないと考えられることに照らすと、敢えてこれを一般規定による権利制限の対象として位置付ける必要はないのではないかとの意見」(45頁)

*9:「写り込み」を適法とする根拠に照らすなら、個人的には①の一択だろうと思うのだが、②を支持する意見がどれだけ出てくるのかは見ものである。

*10:この記述に続く「なお、この点が十分に理解されない場合、日常生活等において一般的に行われている行 為に委縮を招くおそれもあることから、法整備が行われる際には、その他の要件緩和等の内容と併せて明確に周知を行っていくことが重要である。」(9頁)というくだりに、今春の騒動も意識した相当な深謀遠慮があるなぁ、というのが、自分の率直な感想だった。

そして混乱の舞台は北に移った。

小池東京都知事が「都民のために戦う!」と怪気炎を上げていた「東京五輪ラソン競歩札幌移転問題」。

前日には、

「専門家は「IOCはマラソンの中止や東京の五輪開催剥奪という最悪の事態もあり得る」と危惧を示す。」
最悪の場合「東京開催」剥奪も!? 小池都知事、五輪マラソン問題でIOCと徹底抗戦も…識者「都がいつまでも不満述べるなら…」 - ZAKZAKより

などといった記事まで踊っていたのを見て、未だに地元でオリンピックやってほしくないなぁ、と思っている者としては、不謹慎ながら「剥奪されるまで頑張れ!」という気分にもなっていたのだが(苦笑)、残念ながら、ことはあっけなく決着した。

「東京都と国際オリンピック委員会IOC)、東京五輪パラリンピック大会組織委員会、政府によるトップ級協議が1日、都内で開かれ、五輪のマラソン競歩の開催地を東京から札幌に変更することを決めた。都の小池百合子知事は「同意できないが、IOCの決定を妨げることはしない。合意なき決定だ」と述べ、IOCが提案した移転計画を受け入れた。」(日本経済新聞2019年11月1日付夕刊・第1面)(強調筆者、以下同じ)

記事によれば、協議に同席したメンバーは、五輪組織委の森喜朗会長、政府の橋本聖子五輪相で、IOC関係者はジョン・コーツ調整委員長だけだから、日本側で「東京でやる」という意思統一がされていれば、”押し負ける”ような構図では本来ない。

そもそも、IOCがいかに権威を振りかざしたところで、本番まで一年を切ったこの時期に五輪を丸ごと代替開催できるような国や地域は世界中のどこにも存在しないのであって、本来、交渉上のポジションは、開催側として準備を進めている東京都と日本の五輪組織委が圧倒的に有利なはず。

それにもかかわらず、公表から半月、おそらくは最初に打診があってからもそう時間をかけずに「合意なき決定」に甘んじてしまう、というところに、日本が海外でことごとく押し負けてしまう(貿易協定の話しかり、日本企業の海外進出の話しかり・・・)理由の一端が思いっきり見えてしまった気がする。

小池知事にしてみれば、「東京でのマラソン競歩開催」を守ることに政治生命を賭けるほどの意義を見出せなかったのかもしれないし、追加の経費負担がない、ということを確認できれば、自分の役目は果たしたことになる、という思いだったのかもしれないけど、「そんな無体なことを言うなら、東京都は一切五輪に協力しない」というカードを切って膠着状態に持ち込めば時間切れで勝てる戦だったようにも思えるだけに、なんでそこで”いい子”になっちゃうのかな、というのが、率直な感想である*1

ちなみに、「アスリート・ファースト」云々で今回の札幌移転を支持する声も一部にはあるようだが、この点に関しては、1日の日経朝刊に掲載された北川和徳編集委員のコラムでのコメントが全てだ、と自分は思っている。

「アスリートファーストとは何なのか。アスリートが望むことは千差万別だ。暑さは苦手なのが普通とはいえ、得意とする選手だっている。マラソンランナーなら新国立競技場の大観衆の前でゴールしたいという夢だってある。9月のMGCで東京を走った日本代表は当然、地の利を生かしたい。そんなさまざまな思いをアスリートファーストで十把ひとからげにくくれるわけがない。」
「本当はアスリートに観客、ボランティアまで含めての「健康・安全ファースト」、あるいは最高のパフォーマンスを披露できる「競技ファースト」の視点で考えるべきだ。ただ、それはアスリートそれぞれの意思とは必ずしも一致しない。それを認識しないでアスリートファーストを連発するから、中身のないきれい事に聞こえる。」
日本経済新聞2019年11月1日付朝刊・第33面)

現場を知らない雲の上の人間が思いつきでことを決定して、当事者と現場のスタッフが振り回される。

どこにでもある構図だけど、その象徴のような話が56年ぶりの日本での夏季五輪で勃発し、しかも、それに対してわれらホスト国の代表者が、何ら本格的に抗することなく譲歩を余儀なくされた、というのは正直悲しいことでもある。

*1:ホントに、これは、ありとあらゆる外国での契約交渉にあてはまる話で、大体折れるのは日本側。そして、それが原因で割を食うのも日本側、である。交渉には空気を読んではいけない時もあるというのに・・・。

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2019年10月のまとめ

改めて振り返るまでもなく、キツイ1か月だった。

先月下旬に一度週末を棒に振ったことで様々な締切、納期がタイトになって、それでも加減を考えずに次々と新しい仕事を受けているうちにいろいろと大変な状態になった、というのが正直なところ。そして、大体そういう時は、つかの間の解放された瞬間に法律だの知財だのは考えたくない、ということで、ブログの更新も滞る。

よって、前半で関電絡みのエントリーへのアクセスが集中したにもかかわらず、今月のページビューは25,000強(セッション15,000強、ユーザー7,000強)。

おかげさまで体調はすっかり回復したし、今月からいろいろとセーブする方向に舵を切ったこともあって、何とか今月のミッションは乗り切れた感じではあるのだが、この先、いろいろなところに足跡を刻みつつ、リミットを超えないところでいろいろなものをどうコントロールしていくか、というのが課題だな、と思っている。

<ユーザー市区町村(10月)>
1.↑ 千代田区 1049
2.↓ 大阪市 1043
3.→ 新宿区 848
4.→ 港区 839
5.→ 横浜市 837
6.→ 名古屋市 299
7.↑ 世田谷区 212
8.↓ 渋谷区 204
9.↑ 京都市 195
10.圏外札幌市 155

遂に、札幌市がランキング入り! あと、京都市がジワジワ伸びているのは何でだろう、とちょっと気になっていたり。

<検索アナリティクス(10月分)合計クリック数1,913回>
1.→ 企業法務戦士 175
2.→ 企業法務戦士の雑感 44
3.→ 矢井田瞳 椎名林檎 32
4.圏外企業法務 ブログ 18
5.↑ 知恵を出さないやつは助けないぞ 16
6.圏外大ヤマト 裁判 15
7.↑ 法務 ブログ 11
8.圏外椎名林檎 矢井田瞳 11
9.↑ ピアノ伴奏拒否事件 反対意見 11
10.圏外三村量一 10

こちらは大きな動きはない感じではあるが、五輪が近付くたびに「椎名林檎」で検索する人は増えてくるのだろうな、と何となく思ったり。

なお、最近、ほとんど書籍を紹介できていないひけめもあり、書籍ランキングは今月は割愛(そろそろ、年末のブックレビューの季節でもあるが、今年はどうなることやら・・・)

とにもかくにも、今年も残すところあと2カ月。まずは、ここからの1か月を乗り切ることに全力を尽くしたい。

最近の法律雑誌より~2019年11月号(ジュリスト、法律時報)

先月は慌ただしさにかまけて思いっきり飛ばしてしまったこの企画だが、今月は刺さる記事、特集が多かった、ということもあって復活させてみる。
特に読んでおきたいのは「ジュリスト」だろうか。

ジュリスト2019年11月号(1538号)

ジュリスト 2019年 11 月号 [雑誌]

ジュリスト 2019年 11 月号 [雑誌]

◆特集「同一労働同一賃金」の今後

いわゆる働き方改革関連法が成立したのはもうずいぶん前のことのような気がするし、残業規制強化や有休取得義務化等は既に施行されているのだが、「同一労働同一賃金」は来年4月1日の施行を控え、大企業にとっては最後に残された難題。さらに、最高裁判決とその後の下級審裁判例をめぐって、労働契約法20条をめぐる解釈論がさらに盛り上がっている、というタイミングだけに、実に時宜を得た特集だと思う。

改正の方向性に関しては、「同一労働同一賃金」という派手なキャッチフレーズが気になって途中まで追いかけてはいたものの、最後まぁまぁグジャグジャの状況で法案成立、という流れになったこともあり、「労働契約法20条って、新パート労働法(正確には「短時間労働者及び有期雇用労働者の雇用管理の改善等に関する法律」)に移るんですね」と今さら知るような状況だった。

だが、本号の特集では、冒頭で東大の荒木教授が、

「今回の働き方改革では『同一労働同一賃金』を導入するものとして議論が展開されたため、それがいかにして、『不合理な待遇差解消』規制へと落着したのか、判りにくい面がある。成立した法改正の内容を正確に位置づけるには、今回の法改正論議のプロセスにおいて、『同一労働同一賃金』導入論に重要な内容の変遷があったことを踏まえておく必要があるように思われる。」(15頁)(荒木尚志「『同一労働同一賃金』の位置づけと今後」ジュリスト1538号14頁以下)(強調筆者、以下同じ)

と改正の経緯を追いかけた上で、「同一労働同一賃金ガイドライン」(「短時間・有期雇用労働者及び派遣労働者に対する不合理な待遇の禁止等に関する指針」)の表現と「不合理な待遇差」禁止の改正趣旨との整合性を問いかける。

そして、その後に掲載された座談会、山川隆一[司会]=安藤至大=神吉知郁子=佐藤博樹「座談会『同一労働同一賃金』と人事管理・雇用システムの今後」ジュリスト1538号18頁以下における踏み込んだ議論は、果たしてこの先何が起きるのか、ハラハラさせるような内容になっている*1

一番気になる点は「法規制の役割」に関する、

「合理性までを厳しく要求することで、むしろ社会的に不合理な状態が誘発される事態もあり得ます。」(37頁)

という神吉准教授の発言とその前後の議論。

そして、全体的に”手厚く”する方向に持っていくことが難しい以上、今後出てくる可能性は、その後に続く論稿で富永教授が指摘する「雇用形態差別は雇用コース差別に変容し潜伏化しかねない」(44頁)(富永晃一「正規・非正規格差是正規制の法的位置づけ」ジュリスト1538号38頁以下)という懸念の現実化か、あるいは、これまで過剰なまでに優遇されてきた「正社員」の待遇の削減*2のどちらかではないか、と思うところではあるのだが、いずれにせよ、これから起きるかもしれないことに備えて頭を整理するには、非常に優れた特集企画だと思われる。

◆連載・新時代の弁護士倫理 第11回 弁護士懲戒と弁護士自治

いつも、いろいろと世代によって評価が分かれそうなコメントが多いこの企画だが、今回もテーマがテーマだけに、なかなか痺れるコメントが多い。

特に、懲戒処分の傾向に関し、「Ⅲ.若手弁護士特有の傾向はあるか」(76頁~79頁)というところで、懲戒委員経験のあるベテラン弁護士が指摘する内容をどう受け止めるか、は、様々な意見があるような気がする(「若手」特有の問題としてひとくくりすることの是非も含めて)。

例えば、

「若手弁護士の非行の傾向とその原因は、依頼者のために熱心にやろうとする意識に加え、事件獲得・顧客維持競争という部分もあり、無理なことをやったり、相手方を含む第三者の利益を侵害するようなことをやったりしてしまうという傾向は、やはりあると思います。」(山口健一弁護士発言、77頁)

といったコメントや、

「若い弁護士は、社会には悪い人がいるということに対する免疫がない。そのために、事件屋・紹介屋の餌食になってしまうわけです。」(高中正彦弁護士発言、77頁)

といったコメントのあたりだろうか*3

また、後半の「弁護士自治にとっての脅威」の話に関しても、単に憂いているだけでは仕方なくて、やるべきことをきちんとやる、という方向で議論する必要があるよね、というのが素朴な感想である*4

国家の統制下にある他士業と比べたときに、いかに「弁護士」という資格が恵まれているか、ということは、(他士業におけるあれこれを見る中で)自分も如実に感じているところだけに、この部分は本当にもう少ししっかり議論してほしいな、と思わずにはいられない。

その他の記事

判例評釈の中では、「知財判例速報」で、知財高判令和元年6月7日(メディオン・リサーチ・ラボラトリーズ対ネオケミアほか)の大合議判決*5について、判旨とその意義を丁寧に紹介されている飯田圭「侵害利益・推定覆滅と実施料相当額の算定式・考慮要素」ジュリスト1538号8頁は、必読と言えるのではないかと思う。

また、先月号から始まったらしい「BOOK TERRACE」(73頁)は、毎月、書店ごとのその月の法律書TOP10とお勧めの一冊を掲載する、という企画のようだけど、個人的には凄く好きなタイプの企画である。

長年愛用していた書店の法律書コーナーが年々縮小(あるいは書店ごと撤退)の憂き目にあっている中、まだ生き残っている元気な、そして意欲のある書店に少しでも光が当たるように、と自分は願ってやまない。

法律時報2019年11月号(91巻12号)

法律時報 2019年 11 月号 [雑誌]

法律時報 2019年 11 月号 [雑誌]

こちらについては、まず、時事的なトピックから。

法律時評

いつも楽しみにしている「法律時評」のコーナー、今月は、租税法の神山准教授のアグレッシブな論稿(神山弘行「消費税の見方-暗黙の前提とレトリック」(1頁以下))である。

自分も「消費税の逆進性」という根拠なきデマに辟易している側の人間だけに、よくぞ書いてくれた、という感は強いのだが、軽減税率批判も含め、次々と繰り出される以下のようなシニカルなコメントが、いかにもこのコーナーにふさわしい雰囲気を演出している。

「消費税の逆進性を主張する者は、消費・保有資産・生涯所得ではなく「単年度所得」が参照対象として適切なのかの論拠を明示的かつ説得的に提示してくれているのだろうか。もし、多くの個人が消費課税の評価に際し「単年度所得」をアプリオリな評価基準として設定しているのであれば、どのような認知メカニズムが影響しているのであろうか。興味は尽きない。」(2頁)

「(軽減税率の)肯定派は短絡的な存在ではなく、むしろ錯覚を政治的に活用している可能性もある。肯定派の一部は、懐疑派の議論を実は理解した上で、表向きは(世間の理解を得やすい)低所得者対策を唱えつつも、内心は(世間の理解を得がたいが自己の利益に繋がる)高所得者の負担軽減を志向している可能性も否定できない。」(3頁)

実に正論。そして、国家経済が完全に破綻してしまう前に、租税法学者の声にきちんと耳を傾けてもらいたいものだな、と思わずにはいられない*6

あと、時事ネタといえば、小特集が「続・洪水リスクをめぐる法的仕組みの現況と課題」(54頁以下)というのもタイムリー過ぎるところはあって、河川管理の話にしても、保険の話にしても、毎年この国のどこかで起きる話になってくると思うだけに、スピード感をもって政策に取り入れてほしいものだと思わずにはいられない。

法曹養成制度の岐路

今月は、宮沢神戸大名誉教授の論稿(宮沢節生「司法試験予備試験の機能」(94頁以下))だが、この執筆者のお名前を見ただけで方向性は想像がつく。

宮沢名誉教授は、

「予備試験はまさに”The elephant in the room" なのである。」(94頁)
法科大学院制度が無制限の予備試験という地雷が待ち受ける路線を走りだしたのはこのときからであって、「法曹養成制度の分岐点」は、じつはこの時点にあったのだ」(96頁)

と、現在の司法試験制度を議論していた2002年にまで遡って恨み節をツラツラと述べられている。

この論稿の中で指摘されるまでもなく、予備試験合格者の最大のグループが「記憶力に優れた若い大学生」であり、「法科大学院生」がそれに続くグループを形成していることは紛れもない事実なのだが、そこから

「現在の予備試験は、大学生と法科大学院生のために、社会的・経済的弱者や実務経験者の機会を奪う機能を果たしているのである。」(99頁)

という結論を導くのは非常に短絡的だし、さらに進んで「予備試験の受験資格制限」という話に持っていくのも無理がある。

そもそも、授業料免除や奨学金制度の充実、という事実をもって、(キャリア開始の遅れやキャリアの中断がもたらす経済的マイナス効果を念頭に置くことなく)法科大学院入学への経済的制約は、そもそも著しく低下しているのである」(97頁)と言い切ってしまう感覚をお持ちの方々が法科大学院制度を唱導されていた、というところに、今に至る失敗の原因の多くがある、と思ったのは自分だけだろうか。

その意味で、歴史を振り返るための論稿として、批判的に目を通す意義はあるように思った次第。

なお、来月の法律時報はいよいよ恒例の「学会回顧」ということで、今年も終わりに近づいていく流れをひしひしと感じるところである。

*1:座談会、というよりは、参加者がそれぞれの立場で強烈な一人語りをしている(特に安藤教授・・・)印象もあるのだが、それはそれで読み応えはあるし、その分、コメント短めの山川教授、神吉准教授の法学者としてのバランスが光る構成だな、と個人的には思っている。

*2:前記座談会の中でも、安藤教授や佐藤教授が「正社員の通勤手当」の問題を指摘している(23~24頁)。

*3:こういった指摘の後には必ず「OJTの機会が・・・」みたいな話も出てくるわけだが、じゃあ上の世代の人たちが皆が皆、完璧なOJTを受けてやってきたのか、と言えばそんなこともなかろう、と。以前との違いを挙げるなら、法曹選抜システムの変化によって「まっすぐな」人が若くして弁護士になりやすくなった、ということと、世の中(依頼者も相手方もそれを取り巻くメディア等々も)が些細な事で過敏に騒ぐようになった、ということの方が大きいような気がする。

*4:その意味で「弁護士同士の任意団体でできることと、弁護士会がやらなくてはいけないことをちゃんと切り分けて、適切な規模や会費体系を作っていかなくてはいけないと思います」という発言に象徴される山口健一弁護士のコメント(84頁)に個人的には強く共感するのだが、掘り下げられる前に別の話題に移ってしまったのが残念である。

*5:当ブログでの紹介記事は、これが「限界利益」説の到達点なのか? - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~

*6:ちなみに来月のジュリストの特集は「消費増税の理論的検討」である。執筆メンバー的にも今から楽しみ・・・。

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