理屈では語り切れない話だからこそ。

いよいよ暦が9月から10月に変わり、今年も残り3か月を切った。
そしてそれが意味するのは、新市場区分への選択手続期限(2021年12月30日)まで残り3か月を切った、ということでもある。

7月の東証からの「一次判定結果」の通知を引き金に、上場各社から間断なく出されているリリースは、素晴らしいことに「商事法務ポータル」上で以下のとおりきれいに整理されているのだが、もっとも注目される現在の東証1部上場企業に関しては、現時点で経過措置の適用を受けることを宣言しているのはまだ60社程度、早々に「スタンダード」宣言した会社も自分が見た限り10社に満たないくらいではないかと思われ、「基準未達」と指摘される600社超の会社のほとんどはまだスタンスを表明していない、という状況にある*1

wp.shojihomu.co.jp

そんな中、先月末に発売されたジュリストで興味深い特集が組まれているので、以下ご紹介することにしたい。

特集 資本市場の再編とコーポレート・ガバナンスーコーポレートガバナンス・コードの改訂

冒頭の藤田友敬教授の言葉*2によれば、本特集は、

「改訂版コード(注:2021年6月11日に公表された「コーポレートガバナンス・コード」の改訂版)の内容を確認しつつ、それが提起するいくつかの論点をとりあげ、理論的な観点からの分析の視点を提供することを目的とするもの」(藤田友敬「特集にあたって」ジュリスト1563号14頁)

である。

そのすぐ後に書かれた金融庁の担当官が書かれた論稿(浜田宰=水口美弥「コーポレートガバナンス・コードと対話ガイドラインの改訂について」ジュリスト1563号16頁)の内容は、これまで散々様々なところで出てきているものなので、既に奔走されている方々にとっては知識の再整理以上の意味は持たなかったのではないかと思われるが、これに続く研究者の先生方の論稿には立場にかかわらず、考えさせられるものが多い。

まず、「資本市場再編」について正面から論じた飯田秀総・東大准教授の論稿*3

新規上場基準の形式要件に関する英国での議論との比較や、コーポレート・ガバナンスの水準を市場区分と結びつけることの意義等について論じられたくだりも有益な情報だと思うのだが、もっとも考えさせられるのは、「Ⅲ-4.スタンダード市場とプライム市場の区別」の項であろう。

コーポレート・ガバナンスの水準が高ければ高いほど、企業価値が高いとか、投資対象としての魅力が高い、と常にいえるわけではない。理論的には、各会社が直面するコーポレート・ガバナンスの課題は、その会社の事業の内容、経営上の課題、株主構成など様々な要素によって異なるため、ある会社にとって最適なコーポレート・ガバナンスの仕組みは、別の会社には最適とは限らない。」
「そのため、あえてスタンダード市場を選択した方が、企業価値向上にはむしろプラスになる会社もある、と理論的にはいうことができる。」
「だから、各会社にとって最適なガバナンスの水準に近い方の市場に上場することが企業価値向上の観点からは好ましいので、プライム市場とスタンダード市場のいずれかを上場会社が選択できることは適切な制度設計といえる。」
(26頁、強調筆者、以下同じ。)

繰り返し使われている「理論的には」というフレーズに、上記のような”理想論”をストレートに説くことへの著者の若干の躊躇が感じられなくはないし、実際、これに続けて、本稿では、

「英国の実務においては、スタンダード市場の目的や義務が不明確であって、名前からしてセカンドベストであり、上場を検討する会社に対してアドバイザーは、スタンダード市場を選択しないように助言するとされている」(27頁)

というエピソードも取り上げられている。

それでも本稿では、「東京証券取引所では従来5つの市場があったものを3つの市場に整理する中で、プライム市場とスタンダード市場の区分も行われるという経緯を辿るので、英国における市場区分の経緯とは全く違う。」(27頁)として、

スタンダード市場に上場すること自体が何かネガティブなメッセージになるわけではなく、積極的にスタンダード市場を選択する企業も存在すると理論的には予想される。」(27頁)

と締めくくられているのだが、既に企業の現実の行動としてはこの「仮説」との乖離が見られ始めている(後述)ということもあって、本稿で示された「理論的」なあり方は、様々な議論の契機になりうると思われる。

また、これに続く、松中学・名古屋大学教授の論稿*4にも、かなりの迫力を感じる。

内容としては、「多様性」を求めるコーポレートガバナンス・コードの補充原則2-4①と原則4-11を引きつつ、

「役員レベルで多様性を向上させる意義はどこにあるのか。」

という問いに対し、「ありうる根拠の分類と社会科学における実証研究の動向」をみた上でCGコードを検討する、というもの。

「多様性を求める根拠」に関する議論から、様々な実証研究の紹介のくだりまで読んでいくと、この問題が一筋縄ではいかない、ということを改めて感じさせられるのだが、特に「Ⅳ-2.取締役会は政策の適切なターゲットか」と題した最後の項で、

「上層部から多様性を追求することが女性全体にプラスになるとして正当化するのは難しい。」(33頁)

と書き切られていること、そしてそれに付された注39)で、

「それでも役員構成が政策のターゲットになるのは、相対的に介入しやすいことに加え、より短期間で目立つ『成果』を出す政策決定者のインセンティブの影響が考えられる」(33頁)

とされている点には共感すべきところが多い*5

そのほかにも、「コーポレート・ガバナンスとサステナビリティというタイトルで書かれた久保田安彦・慶大教授の論稿*6では、コーポレート・ガバナンスの「目的」と「手段」という切り口から、英米と我が国とで背景が異なることを指摘して、

「個々の場面ごとに、そもそも現状を修正する必要があるか否かを冷静に検討する必要がある。」(39頁)

と述べられていることが注目されるし、髙橋陽一・京都大学准教授の論稿*7では、親会社と子会社少数株主との利益相反の問題を中心に、CGコードが志向する事前の手続的規制に言及しつつ、

「事後の責任規制として、支配株主の法的責任を追及することにより従属会社の少数株主を保護する手段も確保されるべきであろう。」(44頁)

として、平成26年会社法改正の経緯を批判するくだりに、いつもながらかなりの熱が入っている*8

ということで、新市場区分に対しても、コーポレートガバナンス・コードの改訂に関しても、「理論的」ではありながら単に現状を追認するにとどまらない数々の論稿を集めたこの特集は、これまでのプロパガンダ的な「変わるんだから仕方ない」「世界の潮流だからやむを得ない」のムードに煽られ、「だからお前やれ!」の理不尽ループに晒されて辟易していた方々にとっては、知恵と勇気を得られるもの、といえるのではないだろうか。

*1:そもそも3,700社を超える東証全上場企業のうち、リリースを出しているのはまだ1000社ちょっとにとどまっている。

*2:藤田友敬「特集にあたって」ジュリスト1563号14頁。

*3:飯田秀総「資本市場の再編とコーポレート・ガバナンスのあり方」ジュリスト1563号22頁。

*4:松中学「コーポレート・ガバナンスとダイバーシティ」ジュリスト1563号28頁。

*5:なお、松中教授も結論としては「CGコードは取締役会をターゲットにしつつも、従業員を含む人材一般の多様性を追求する方向性を総論的に示す点で望ましいといえる。」として、改訂の方向性自体には反対されていない、ということに留意する必要がある。

*6:久保田安彦「コーポレート・ガバナンスとサステナビリティ」ジュリスト1563号34頁。

*7:髙橋陽一「企業グループとコーポレート・ガバナンス」ジュリスト1563号40頁。

*8:個人的には、「株主代表訴訟」という責任追及のルートで親子関係を外部から規律する、という方向性には賛同しかねる(その背景には、代表訴訟に費やされる労力に比して「当該会社にとっての意義」があまりに小さすぎる、という現実もある)のだが、「親子上場」を安易に認める慣行にはそろそろメスを入れるべきだと思っていて、少なくとも親会社の出資比率が50%超の場合には、一定の猶予期間を経て上場廃止に持っていくくらいの改革はした方がよいと思うところである。

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Please gear down!

1か月近く、メディアの格好のネタになり続けた自民党総裁選が終わり、第100代首相が間もなく誕生しようとしている。

自分は、出揃った立候補者の顔ぶれを見た時に、総理の座にふさわしいのは最初から1人しかいないと思っていたし、世論がどれだけ「太郎」に熱い声援を送ろうが、国政に責任を持つ最大与党の数百人の議員が集まってそんな選択をするはずはない、ということはハナから分かっていたような気がする。

各地方の党員投票の結果と、議員の投票行動が一致していないのがどうなんだ、という声は出てはいるが、「党員」といっても地縁や職域で名前を貸しているだけ、という人も多いから、その投票行動なんて世論調査のサンプルになっている無党派層のそれ、と大して変わらない。かくいう自分も、管理職以上はいつのまにか党員になって毎年4,000円請求される、という理不尽な環境に長年身を置いていて、実際「党員」として総裁選の投票をしたこともあるが、その間、国政・地方を通じても自民党の候補者に投票したことは一度もない。

要するに、党員投票の結果は、自民党支持者や、選挙のたびに投票行動を変えるけど気が向けば自民党に投票すること自体には抵抗がない、という層が選挙の「顔」として支持するかどうかとも決して整合はしないわけで、その意味で、実績も格も党内の支持基盤も、そして何より情緒の安定も、他の候補と比べれば一枚も二枚も上な宏池会の会長をここで選ばない理由はなかっただろうと思う*1

もちろん、自分が世の中のムードに反して(?)こういうことを言うのは、リベラルな思想然り、財政規律重視の姿勢然り、時には”公家”と揶揄されても票集めより天下国家を論じる方を重んじる(これはあくまでイメージ)的な、伝統的な宏池会の「保守本流」路線こそがあの政党の数少ない良心だと思っているからで*2、特に、かれこれ10年近く、「もう食べられません、お腹いっぱいです。」というくらい規律なき「成長戦略」を食わされ続けてきた今、今回の選択こそが、劇薬を飲まずに口直しをするにはここに戻るしかない、というものだったと思うからに他ならない。

*1:二階派が岸田氏と政策志向が重なる野田聖子議員を立候補させてきたときは、「大丈夫かなぁ・・・?」と思うところもあったが、それは杞憂に終わった。

*2:実際、自分があの党の候補者に投票したことは人生で2度しかないのだが、その2回のいずれも総理、総裁が宏池会出身者の時だった(多少は偶然の要素はあるにしても・・・)。

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2021年9月のまとめ

怒涛の9月が終わった。

世の中は世の中でそれなりに動いていたようではあったのだけど、我が身を振り返ればそんなことを悠長に眺めているヒマなどなかった、というのが正直なところ。ただ、始まった頃はまだかすかに残っていた夏の感覚がすっかり姿を消し、気づけば長年この国で話題の中心にあったオリ・パラ」もすっかり過去の出来事になってしまった*1、というところに「2021年9月の終わり」を感じている。

また明日以降のエントリーでも書くつもりだが、おそらく様々なものが変わり、様々なものが動き出す「10・1」が、将来「前向きなリスタートの時」として語られることになるのか、それとも「奈落の底への一歩目」として歴史に残ることになるのかは分からないけれど、自分としては今は肩の荷を下ろした開放感しかないわけで、明日からのことは明日から考えれば良いや・・・という気分で今はいる。

ということで今月のページビューは14,000強。セッション9,000弱、ユニークユーザーは4,700弱、という数字を見ても相変わらずの低調な進捗だが、別に誰かに”書かされている”ブログでもないので、まだまだこのままのペースでいければ、と思っている。

<ユーザー別市区町村(9月)>
1.→ 横浜市 622
2.→ 大阪市 483
3.→ 港区 315
4.↑ 千代田区 264
5.↓ 新宿区 246
6.→ 名古屋市 208
7.→ 世田谷区 158
8.↑ 中央区 112
9.圏外福岡市 111
10.→ 渋谷区 94

最初の緊急事態宣言以来、概ね同じような順番で定着してきたこのランキングが、来月以降どう変わるのかはちょっと見てみたい気はする。

続いて検索ランキング。

<検索アナリティクス(9月分) 合計クリック数 1,137回>
1.→ 企業法務戦士 101
2.圏外企業法務 ブログ 17
3.→ 試験直前 勉強しない 16
4.→ 法務 ブログ 16
5.↓ 匠大塚 業績不振 14
6.圏外取扱説明書 著作権 13
7.↑ インナートリップ 霊友会 9
8.圏外インフォテック法律事務所 8
9.圏外法務部 弁護士 8
10.圏外CRフィーバー 大ヤマト事件 7

いつ書いたっけ?というキーワードを見つけてブログ内を探し、「ああ、この記事か」と懐かしさに浸りつつ、さらに検索をかけて最新の情報を確認してみたら、あれ・・・?というのが今回もあったりはしたのだが、何のことだかはひとまず措いといて、今月のTwitterのインプレッション最多記事は、ZOOM商標をめぐる↓の記事(インプレッション数9,841)。

k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

これは順当かな、と思う。

そして、9月は改正民法不動産登記法関係のエントリーでご紹介した書籍もまた良く売れた。

9月中に2度も取り上げたし、個人的に思い入れのあるテーマだけに、関心を持たれた方が多かった、というのはありがたい限り。

<書籍売上ランキング(9月分)>
1.Q&A 令和3年民法不動産登記法改正の要点と実務への影響

2.ジュリスト2021年9月号

ちなみに、「あれ、今、荒井先生の本がAmazonの登記法部門で1位じゃないんだ?」と思って見てみたら、こちらが上位に来ていて、改正法が本格的に「実務」に組み込まれていくプロセスを実感しているところである。

*1:何が凄いって、あれだけ街中のあちこちにあった「TOKYO 2020」のキャンペーン演出が一瞬で消えてしまった、ということで、いかにそういう決まりだとしても、開催国の国民にすら余韻に浸るいとますら与えないというのはもう何というか・・・。職安に通うミライトワの姿が目に浮かぶ。

またしても繰り返される怪現象。

増えている時は、ちょっとやそっとの対策では手に負えないほど猛烈な勢いで感染者数が伸びる。
だが一度山を超えると、そこまで対策が徹底されていなくても、潮が引くように急激に減少していく。

これまで、この国がそんな”怪奇現象”に遭遇したのは一度や二度のことではない。そして、これは日本だけではなく、世界中で起きている出来事でもある。

おそらく、感染してから発症するまでのタイムラグ等を考えれば、それなりに合理的な説明もできるのだろう。
特に今年の夏に関しては、8月のお盆前くらいから一種の”抵抗勢力”として陽気に酒を振る舞っていた店の多くが「お盆休み」を口実に9月までの長い休暇に入ったことと、「ワクチン接種が間に合った層」が増えたことが明らかに効いていて、おかげで、久しぶりの「緊急事態宣言明け」の瞬間も間近に迫っている。

ただ、米国、欧州、イスラエル、最近ではシンガポール等々、ワクチン接種が先行して進み、開放感に浸っていた国々の最近の状況を見れば、それも「瞬間」でしかない、ということは明らかに分かりそうなものだ。

にもかかわらず、宣言解除と同時に「酒解禁」まで一気に時計の針を戻す、というのは、総裁選の高揚感と「ワクチン100万回作戦成功!」を旗印に総選挙に打って出ようとする政府与党の悪ノリか・・・と思わず勘ぐってしまいたくなる*1

そして、それに輪をかけて理解に苦しむのは、ここ数営業日の東証上場銘柄の動きで、旅客運輸や旅行、飲食系が軒並み急上昇。
今日などは、ここしばらくの過熱感を戒めるかのように、配当取り日直前にもかかわらず、ほとんどの業種で売り先行になっていたのだが*2、前記の業種に関しては逆にこれでもか、というくらいに跳ね上がっていた。

この先の(瞬間的な)需要回復がどの程度のものになるのか、あるいは、それに合わせて講じられる補助策がどれほどのものなのか、今の時点で正確に予測するのは難しいが、これらの業種に共通しているのは、「どんなに需要が回復しても売れるキャパには限度がある」ということで、さらに言えば、既に1年以上続いた”不景気”の煽りでコストをギリギリまで切り詰めたオペレーションをしているこれらの業界で、急に需要が復活しても、「コロナ前」と同レベルの売上につなげるのはほぼ不可能な状況にある(良くて2019年比の8割くらいまで取り戻すのがせいぜいだろう。)。

むしろ気になるのは足元の8月、9月のダメージの方で、4~9月期の業績未達、通期下方修正は必至、という会社が多い中で、株価だけが元に戻るのだとしたら、それは格好の売り材料でしかない。

依然として「コロナ前」を是とする人々が多数いる中で、長く続いた”自粛”に辟易する空気が漂っているのは理解するとしても、これまで同様「波」に踊らされ、ワクチンの効果を過信すれば、今年の冬にはより最悪な高波に襲われても全く不思議ではないわけで*3、こういうときこそ滑り出しは慎重に、そして、治療薬を街中の医院が容易に処方できるようになるまでは、おそるおそるしのいでいく。それがなぜできないのか。

新型コロナにまつわる様々な”怪現象”の中でも、もっとも解せない「一見、インテリチックな肩書を持っているのに『コロナはただの風邪』とか『人流増と感染者増の間には因果関係がない』みたいなことを平気で言ってしまう人々」の存在は最後まで消えることはなさそうだが*4、くれぐれもそういった輩に惑わされることのないように、次に為政者のトップの地位に就く方が備えるべきは、聞く耳を持たない勇気」だと思う。

再び大きな「波」が来れば、平和な日常さえ容赦なく押しつぶされてしまう。だからこそ、「さざ波」にも細心の注意が必要。

来年の春を3年ぶりの清々しさで迎えられるように、今年の残り100日が有意義に使われると今は信じたい。

*1:もちろん、9月の後半くらいからは、自分の目につくところだけでもかなりのお店が酒類提供を解禁していて、それでも感染者数の減少ペースは変わらなかった、という実態はあるのだが、自分が行った限りで言えば、飲める店も飲めない店も、来店客のほとんどは少人数でひっそりと・・・という感じで、いわばリスクを覚悟した自己責任の会食の場だった。これが堂々と「解禁」となれば、オフィシャルな「飲み会」の機会も当然増えてくるわけで、好むと好まざると巻き込まれる人が増えることは避けられないように思う。

*2:自分は午前上げ、午後に急下落、という225のチャートを見て、明日が配当落ち日か・・・と勘違いしたくらい変な動きになっていた。

*3:特にファイザー社のワクチンを先行接種していた高齢者への追加接種が進まなければ、この夏以上に悲惨な光景を目にすることになってしまうかもしれない。

*4:大体、そういうことを言っている人に限って、自分が感染するとコロリと無言になったりもするのだが、いかにCOVID-19が強力でも全員を感染させられるほどの威力はない。

雨に泣く者、笑う者。

「秋の空(模様)」と言えば、移ろいやすいものの喩えとして使われるくらいあてにならないものではあるのだが、こと、長年この9月の中~下旬に行われてきた菊花賞トライアル、神戸新聞杯に限って言えば、”雨の中のレース”になった記憶はほとんどない。

実際、netkeibaで遡れるだけ遡って調べてみても、過去20年でレース中に雨が降っていたのは、サートゥルナーリアが勝った一昨年と、マチカネフクキタルが勝った14年前だけで、その時も芝の状態は「良」。

湿った馬場で行われたレース、となると、重馬場で行われた「1988年」まで遡る必要があるし、「不良」馬場となるとさらに3年遡って「1985年」まで歴史をひもとかなければならない。

だが、今年に限って、そんな「特異日」のレースが、猛烈な雨の中、ひどく荒れた不良馬場を舞台に行われた。

前日は好天の中、良く仕上がった芝の上で2歳レコードが連発されていた中京の馬場が、この日は逆に足抜きの良くなったダートで2歳レコードを出すような状況で、たった一日でここまでガラリと状況と変わることはそうあるものではないのだが、よりによってそれがダービー馬の秋初戦のレースに当たってしまった、というのが、あらゆる関係者にとっては何とも不運だったというほかない・・・。

自分はこういう馬場の時は、不良馬場勝率のデータを頼りに、馬柱の中にキズナ産駒、バゴ産駒がいないかをまず探す。そして見つけたらその馬自身の、重馬場、不良馬場実績を確認する。

そのルーティンに則れば、今年は迷わずステラヴェローチェ一択

芝の不良馬場で勝率10%を超えるバゴ産駒の上に、自身も昨年のサウジアラビアロイヤルカップを不良馬場の中圧勝した実績がある。
さらに、その重賞実績に加えて、朝日杯FS2着、皐月賞、ダービーでも、ともにしぶく3着に食い込んでいるのだから、「主役」としても申し分なし。

そんなふうに自分ですら簡単に辿り着ける答えなのだから、ちょっとでも競馬がわかっている人なら、大方同じことは皆考えたはず。

だが、この日一本被りの人気になったのは、なぜか、ダービー馬・シャフリヤールだった。

もちろん、ディープインパクト産駒が皆、重・不良馬場が苦手、というわけではなく*1、この日、東のメインで苦杯を喫したレイパパレのように、重い馬場の方が冴える馬だっていないわけではない。

ただ、荒れた馬場を走れるディープ産駒には母系の血筋なり、体型、走法なり、何らかの裏付けが必要、というのが自分の考えで、シャフリヤールに関しては、そういったプラスの要素がまるでなかった*2

なのに、人々を無謀な買いに向かわせてしまう「ダービー」というタイトルの重さ・・・。

残酷なまでに「法則」そのままの結果となったことは、改めて説明するまでもない。

*1:そもそも産駒も自身も不良馬場を苦にしないキズナは、他でもないディープインパクト産駒である。

*2:全兄のアルアインなどは比較的荒れた馬場のレースでも走るイメージはあったのだが、改めて戦績を振り返ると、大敗を喫した菊花賞をはじめ、雨の中のレースでは一度も馬券に絡んでいない。

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いよいよベールを脱ぎ始めた民法・不動産登記法大改正

アップされた当日は疲労困憊で資料まで目を通す余裕もなく、ただただ「キツネが可愛い・・・」という素人以前のコメントしか出てこなかった「所有者不明土地の解消に向けた民事基本法制の見直し」に関する解説資料*1

「令和3年民法不動産登記法改正、相続土地国庫帰属法のポイント」
https://www.moj.go.jp/content/001355930.pdf

だが、ひと呼吸入れて読んでみると、実に渋いコメントが随所に潜んでいる資料であることに気付く。

このエントリーのタイトルを見て、「もう既に国会審議まで経て法案も可決されているのに、今さら『ベールを脱ぎ始めた・・・』はないだろう」という突っ込みもあるかもしれないが、「民法改正」の部分に関しては、その民事基本法としての性質上、解釈に委ねられる部分がかなり多い、という現実があるし、逆に不動産登記法や相続土地国庫帰属法のような手続法としての要素が強い法律については、政省令や運用通達が出るまでは実務上必要な手続きの全体像は見えてこないから、施行までまだ日があって、『一問一答』も法務省令も出ていない今は、国会の議事録や法制審の部会資料等から解釈運用を探っていくしかない、といういわば手探りの時期といえる。

だからこそ、節々に「解釈」や「運用指針」となりそうな情報がさらりと書き込まれたこの種の資料は実に貴重だ。

例えば、世の中的にはもっともインパクトが強いであろう「相続登記の申請義務化」に関しては、義務違反に際して過料を処するかどうかのメルクマールとなる「正当な理由」について、「通達等であらかじめ明確化する予定」としつつ、以下のような例示がさらりと書き込まれている(スライド9頁)。

【「正当な理由」があると考えられる例】
①数次相続が発生して相続人が極めて多数に上り、戸籍謄本等の必要な資料の収集や他の相続人の把握に多くの時間を要するケース
②遺言の有効性や遺産の範囲等が争われているケース
③申請義務を負う相続人自身に重病等の事情があるケース など

また、「住所変更登記等の申請の義務化」に関しては、法人の申請義務の負担を軽減するために盛り込まれた「商業・法人登記システムと不動産登記システムの連携」のための会社法人等番号の取扱いについて、改正法附則にも書かれている「施行前に既に所有権の登記名義人となっている法人については、登記官が職権で会社法人等番号を登記することを予定している」という記載に続けて、

(具体的には、法人から申出をしてもらい、登記官が職権で登記する流れを想定」(スライド15頁、強調筆者、以下同じ。)

という補足がさらっと付け加えられている*2

スライド24頁以降の「民法改正」に関しては、「隣地使用権」にかかる規律の解釈が元々気になっているところではあったのだが、「事案ごとの判断ではあるが」という留保を付しつつも、

隣地が空き地となっていて実際に使用している者がおらず、隣地の使用を妨害しようとする者もいないケースでは、土地の所有者は裁判を経なくとも適法に隣地を使用できると考えられる。」(スライド25頁)

と書かれていたり*3

「隣地所有者が不特定又は所在不明である場合は、隣地所有者が特定され、その所在が判明した後に遅滞なく通知することで足り、公示による意思表示(民法98)により通知する必要はない。」(同上)

と書かれていたりする*4のを見ると、(今回の改正の趣旨を踏まえれば当然のこと・・・と思いつつも)安堵するところはあったりする*5

さらに、

「越境した竹木の枝の切除」について、条文で明記されていなかった「費用負担」について、「越境された土地所有者が自ら枝を切り取る場合の費用については、枝が越境して土地所有権を侵害していることや、土地所有者が枝を切り取ることにより竹木の所有者が本来負っている枝の切除義務を免れることを踏まえ、基本的には、竹木の所有者に請求できると考えられる民法703・709)。」(スライド28頁)と書かれたこと。

共有物の「管理」について、「具体的事案によるが、例えば、砂利道のアスファルト舗装や、建物の外壁・屋上防水等の大規模修繕工事は、基本的に共有物の形状又は効用の著しい変更を伴わないものに当たると考えられる」と記載したくだり(スライド30頁)*6

・所有者不明土地・建物管理制度の申立てができる「利害関係人」に当たり得るものとして「公共事業の実施者など不動産の利用・取得を希望する者」という例も明記されたこと(スライド38頁)*7

・所有者不明土地・建物管理制度の発令の前提としての「所有者の調査方法」に関し、「現地調査」が必須の要件とされなかったこと(あくまで「事案に応じて・・・求められる」ものとされている。スライド39頁)。

管理不全土地・建物の例として「ひび割れ・破損が生じている擁壁を土地所有者が放置しており、隣地に倒壊するおそれがあるケース」と「ゴミが不法投棄された土地を所有者が放置しており、臭気や害虫発生による健康被害を生じているケース」の2つが挙げられ(スライド40頁)、それがそのまま「管理人が行う管理行為」の例示にもつながっている(スライド41頁)こと。

等々、内容のみならず、表現ぶりにまで味わいを感じる記載は多い。

これらの記載の中には、既に部会資料の補足説明で書かれていたり、国会審議の過程での答弁で示されていたようなものも当然含まれてはいるのだが、このタイミングで法務省の「公式資料」として広く公開されているものの中に書かれた、ということにはまた別の意義があると個人的には思っている。

他にも「所有権不動産記録証明制度」について、「将来的には、表題部所有者への拡大も検討予定」(11頁)と書かれていたり、いわゆる「死亡情報についての符号の表示」に関して、「条文上は「権利能力を有しないこと」とされているが、差し当たり法務省令で必要性の高い自然人を対象とすることとする予定」(12頁)と書かれていたり*8するくだりからは改正法の更なる展開の余地を感じたし、ライフラインの設備の設置・使用に関する「償金」について、「導管などの設備を地下に設置し、地上の利用自体は制限しないケースでは、損害が認められないことがあると考えられる。他の土地の所有者等から設備の設置を承諾することに対するいわゆる承諾料を求められても、応ずる義務はない。」(スライド27頁)というところまで踏み込んできている点については、別のところで何か動きがあったのかな、という推察も働く。

相続土地国庫帰属制度に関しては、申請者が納付する「負担金」の「参考」として、国会審議でも出されていた「原野約20万円、市街地の宅地(200㎡)約80万円」という「標準的な管理費用」の数字がそのまま書き込まれていて、「法務省はもうこの線で政令の調整に入っているんだろうな・・・」と、少々残念に思うところもあったりはしたが*9、制度の予測可能性が高まった、という点ではこれもまた意義のあることだと思う。


ということで、スライド1枚、1枚に貴重な情報が詰め込まれたこの資料。少なくとも『一問一答』(ないしそれに類する公式解説)が出るまでは、一連の法改正に関する必読資料かつ議論の素材となることは間違いない。

ことビジュアルに関して言うと、元来、「1枚のスライドに書き込む情報をいかに絞り込むか」がキモとなるはずのPower Pointの作成にあたり、「いかに多くの情報を書き込むか」というミッションを与えられてしまった”中の方々”の苦悩がうかがえるような作りになっていて、やや同情を禁じ得ないところもあったりはするのだが*10、一連の法改正について掘り下げて考えてみたい、と思っている者にとってはそれもまたメリット。

「山道は険しいほど登り切った時の感慨も大きい」ということで、ちょっとでも関心をお持ちの方には、是非「一読」をお薦めしたい。

*1:話題の新キャラ、「トウキツネ」については、https://www.moj.go.jp/content/001355925.pdfをご参照のこと。ゆるキャラ・・・というには、かなり整ったきっちりした画調のイラストで攻めてくるあたりに、法務省民事局の方々の堅実、誠実な仕事ぶりが垣間見えて個人的には非常に好印象。しっぽを「筆」にする、というマニアック過ぎて一般人だとピンと来なさそうなレトリックを使っているところも通好みだな、と思う。

*2:審議経緯等からも十分に想定されていたことではあるのだが、こうなると次の関心事は、この「申出」がどのレベルで必要なのか(一筆の土地ごとに申出が必要ということなのか、それとも全国一律に「本店所在地が○○となっている××株式会社にはすべて*************という法人番号を登記してください」という申し出をすれば足りるのか)ということになってくるのではないかと思われる。ここは少しでも(ユーザーの)現場側の負担が軽くなる方法が採用されることに期待するしかない。

*3:本ブログでも以前取り上げた(広すぎる法改正をカバーするための一冊。 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~参照)荒井弁護士の解説書では「私見」として、「隣地が現に使用されておらず、かつ、土地の所有者の所在が不明であるようなケース」については「保護すべき土地の使用がないといえる」として「判決手続を経ずに隣地を使用することができる場合もあり得る」というご見解が示されているが(荒井達也『Q&A 令和3年民法不動産登記法改正の要点と実務への影響』(日本加除出版、2021年)167頁)、このスライドの書きぶりは、さらに踏み込んで裁判手続によらない隣地使用を認めてくれているように読めなくもない。

*4:このことは、法制審民法不動産登記法部会の部会資料59の補足説明にも書かれていた。

*5:他に、「ライフラインの設備の設置・使用権」に関するスライド26頁にも同趣旨の記載がある。個人的には、「自力執行の禁止」といっても、それは対立する隣地所有者の権利利益とのバランスを図るための相対的な話でしかなく、使用を妨げようとする力が働かない場面では、効率性を優先して簡易に土地利用を認める方が社会全体の利益に資するのではないか、と思うところである。

*6:ちなみに「砂利道のアスファルト舗装」はこの後の例示の中でも使われている(スライド32頁)。

*7:この書きぶりをどう解するかは悩ましいところかもしれないが・・・。

*8:自分はあまり想定していなかったのだが、裏返せば、条文上は法人に関しても解散登記等がなされた場合に何らかの符号を表示するような制度にすることもできる、ということなのか・・・と思いながら読んでいた。

*9:この金額を高いとみるか安いとみるかは人それぞれだろうが、個人的には他にプラスの相続財産がある相続人でないと、この金額ではなかなか申請には踏み切れないのではないかな、という気がしている。

*10:ちょっと前にTwitterでも話題になっていたが、この種の法改正のたびに、官公庁が概要説明のために作成する資料の「苦闘の跡」を見て、「無理に全部”ビジュアル化”しなくても良いのでは?」と思うことはしばしばある。今回のスライドに関して言えば、「履行方法」や「経過措置」に関するスライド6~10頁あたりの部分は、まさにこの形にする意味があると思うのだが、それ以外の箇所はテキストベースにした方が、たぶん明らかに見やすい。あと、「いらすとや」の使用もほどほどに・・・。

いつかターフで会える日まで。

この3連休は、最近すっかり恒例になった感がある「JRAアニバーサリー」の3日連続開催。

ダービーも同じ年のジャパンカップも、夜行に乗って駆け付けたWINSのテレビモニターで見届けて喝采を挙げた記憶が昨日のことのように残っている者としては、特別レースにその馬の名が「ジャングルポケット記念」などと銘打たれてしまっているのを見て複雑な気持ちになるのだが、振り返ればあれはもう20年前。

最近競馬に親しみだした若者たちにとっては、かの馬はとうに「歴史上の名馬」という存在になってしまっているわけで、言うなれば自分にとってのハイセイコーみたいなものか・・・と思うと、嬉しいやら悲しいやら・・・*1

とはいえ、通常の番組に目を移せば、3歳未勝利馬たちの季節は夏とともに過ぎ去り、今はそれに代わって連日怒涛の如く出走するキャリアの浅い2歳馬たちと、サバイバルレースを勝ち抜いて「最後の一冠」、あるいはさらにその先を目指す3歳馬たちが駆け抜ける季節。

やがてGⅠレースが始まれば、それが年末の有馬記念に向けてのカウントダウン、ひいては今年のカウントダウン、ということで、一年もあっという間だなぁ・・・という気分にどうしても襲われてしまうのだが、そこに行くまでの数週間は、「まだこれから」という感覚が残っている分、爽やかな秋風と相まって、結構好きな季節だったりもする。

個人的な話をすれば、これまでは、かれこれ15年近く「一口馬主」というやつをやっているにもかかわらず、この時期に主役になれるような馬を持てることは少なく、勝てなかった3歳馬があえなく引退の憂き目にあった上に、頼みの2歳馬は育成が遅れて初出走はいつになることやら・・・という状況で、”見てるだけ”という状況になることも多かった。

ところが、今年はどうしたことか、この時期になっても妙に賑やかで、この3連休こそ静かだったものの、来週以降は毎週のように出走の予定が入っている。

おそらく大方の読者の方は、「一口」などに手を出されたことはないだろうから、ここでシステムを説明しておくと、大体出資の募集がかかるのは、馬が生まれた翌年、デビュー前年の「当歳」の夏から秋にかけてのこと。

自分が入っているようなクラブだと、一頭の馬の価格を400口くらいに細分化して出資を募る(一部2000口、というものもあり)仕組みになっているから、ガチで一頭所有することを考えれば遥かにハードルは低いのだが、それでも相手は下手すれば会社一つ買えてしまうくらいのお値段は付く高価な経済動物だから、「たかが一口」でもそれなりのコストにはなる。

ゆえに、募集の時期になると、その時々の財布の中身とにらめっこしながら、家族まで巻き込みつつ「その世代でどのクラスの馬を何頭くらい揃えるか*2」で逡巡を繰り返すのが自分的には恒例の風物詩なわけで、逆に言えば後から世代ごとの出資馬の頭数を見ればその時々に考えていたことまで思い出せてしまう。

例えば、研修所に入って初任給以下*3の月給に逆戻りした年に出資したのは超安価な1口だけ*4

ここ数年でも、会社に籍を置いていた時の募集では、比較的高価な馬3頭に同時出資する、という豪胆なことをやったりもしていたのだが、フリーになった直後の一昨年の募集(現在の3歳世代の募集)の時は、まだまだこの先どうなるか分からない・・・ということで、中程度のレベルの馬に一口だけ出資する、という少々弱気な対応をしていたりもした*5

だが、人間、誰にでも「反動」はある。

昨年、財布の紐を緩めた結果、出資した馬は実に5頭。金額も考慮するとかなり大胆な投資だが、こういう時の誘惑に勝てるほど自分は強くない。
そして、それが今年の2歳世代である。

幸いなことに、自分史上最高額で出資したエース格の古馬は勝ち星を積み重ねて未だ現役。層が薄かったはずの現3歳世代は3頭すべてが奇跡的に勝ち上がり、いつもならデビューが遅れてやきもきする2歳世代も今年は既に1頭が新馬勝ち、2頭もデビュー戦で勝ち負け、で先々のメドが付いてきた。

だからこその活況、10頭近い出資馬の次走での雄姿をシミュレーションしてワクワクしながら週末を待てるなんて、何と幸せなことか。

*1:某有名教授の民法の概説書の初版に「ハイセイコウ」が出てきたのを見て、自分は”著名な歴史上の名馬”を例え話で使ったのだろう、と長年思っていたのだが、書かれた先生の感覚は決してそういうものではなかったのかもしれない、と今さらながらに思う。

*2:同じクラブ内の募集でも高額なものは数十万の価格になるし、安ければ4,5万円で手が届く。ただし、そこに付けられた価格は、血統背景や馬の”出来”も考慮したものだから、価格の低い馬の場合、勝ちあがって活躍する確率は当然低くなる。もちろん、高額なら常にGⅠ級の活躍をするとは限らないしその逆もまた然り、というところに一口出資の”博打”としての面白さもあるわけだが、そういったスリルを味わうにはいささか贅沢な投資ともいえる。

*3:それでも今の修習生に比べればはるかに恵まれてはいたのだが。

*4:その馬は3戦未勝利であえなく引退した。

*5:その後、ある程度余裕が出てきたこともあって2頭ほど追加出資したが、いわば時期を逸した”売れ残り”の馬たちだった、ということもあり、出資額としてはささやかなものだった。

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