出版社の災難

刊行書籍・雑誌をめぐる著作権紛争が起きるとき、常にトバッチリを食らうのが出版社。


第一に著作権侵害の責めを負うのは執筆者の方だとしても、他者の著作権侵害作品を掲載してしまった以上、出版差止めのリスクにさらされることになるし、過失が認定されれば損害賠償の責めも免れ得ない。


以下では、昨年末から今年初めにかけて判決が出された事件を素材に、出版社の責任について考えてみることにしたい。

「東京アウトサイダーズ」写真無断使用事件

東京地判平成18年12月21日(第46部・設楽隆一裁判長)*1


本件は、原告が撮影した家族写真の一部を被告B(ロバート・ホワイティング氏)と被告・角川書店が書籍において無断使用した、として、原告が出版等差止め、在庫の廃棄、及び不法行為に基づく110万円の損害賠償を請求した事件である。


争いの元になった写真そのものは、原告が自らの夫であるCとその長男を撮影した単なるスナップ写真であり、そのため被告側は「写真の著作物性」や「書籍への掲載が著作物としての利用に当たるか」という点を突いてきたのであるが、裁判所は、

「写真を撮影する場合には、家族の写真であっても、被写体の構図やシャッターチャンスの捉え方において撮影者の創作性を認めることができ、著作物性を有するものというべきである」(10頁)

と述べて本件スナップ写真の著作物性を肯定し、

「露光、陰影の付け方、レンズの選択、シャッター速度の設定、現像の手法等に工夫を凝らしたことによる創作性が必要」

という被告側の主張を退けている。


「被写体」が同じであれば誰が撮影しても似通ったものになってしまう、という写真の特質からして、「写真の著作物」の保護範囲は決して広いものではないのであるが*2、逆にそれゆえ「著作物性を厳格に解する必要はない」という考え方も出てくることになるし*3、若干でも著作物性が認められる以上、デッドコピーであれば著作権侵害の責めを免れ得ない、という帰結も導かれることになる*4


また、「原告が本件写真のネガを所持している」という事実からは、写真の著作権が譲渡された、と主張する被告側の論拠もかなり通りにくい状況であったことは否めない*5


さらに、被告側は、

①本件写真を正当に入手したこと
②本件における写真の利用は著作物性のある部分の利用を目的としていない
③スナップ写真に関しては、著作権者が誰であるか厳密に調査する慣行がなく、行うとしても一般的には困難

といった論拠を挙げて、何とか「過失」の存在を否定しようとしたのであるが、裁判所はこの点についても、

「取材に応じた者から写真の提供があったとしても、その者がその写真のネガなどを管理しており、その写真を撮影したことを窺わせる事情がない限り、写真の撮影者が別にいて、著作権を有しているという事態を容易に想定し得るところである。被告らは・・・写真使用時に問題となり得る著作権処理について十分な措置を講じたとは言い難く、著作権侵害に付き過失があるものといわざるを得ない」
「上記慣行についてこれを認めるに足りる証拠はないし、被告Bが本件写真を入手した際に、著作権者への問い合わせをする必要がなかったと言える状況があったことを認めるに足りる証拠はない」(以上12頁)

などと述べて、出版社も含めて過失あり、と認定したのである。


認容された損害賠償額は、結局、写真使用料相当分(5万円)+同一性保持権侵害に基づく慰謝料(30万円)*6+弁護士費用(10万円)の計45万円にとどまっているが、差止め・廃棄請求とあわせて*7、出版社に与えた“精神的打撃”は大きかったのではないかと思う。


裁判所も認めているとおり

「本件写真は日常生活の中で撮影された写真であり、被告らにとって、その著作者を見つけ出すことが必ずしも容易ではなかった」(16頁)

ものであるのは間違いない*8


有名人の伝記の中の幼少期の写真にしても、郷土の地理史に出てくる地元の商店街や学校の写真にしても、撮影者名が明記されないまま口絵や扉絵等に掲載されている写真は多い。そして、これまでの一般的な感覚では、被写体に対して何らかの気遣いをすることはあっても、当該スナップ写真の撮影者にまで思いを馳せることは、そんなにはなかったはずだ。


だが、写真も著作物であり、どんなに平凡なものであっても創作性を肯定しうる*9


そんな当たり前の事実が突きつけた現実は、結構重いのではないかと思うのである・・・*10


*1:H18(ワ)第5007号出版差止等請求事件・http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20070110084853.pdf

*2:田村善之『著作権法概説〔第2版〕』96頁(有斐閣、2001年)

*3:田村・前掲96頁。

*4:田村・前掲95頁。また商品写真に関し、知財高裁は「創作性が微少な場合には,当該写真をそのままコピーして利用したような場合にほぼ限定して複製権侵害を肯定するにとどめるべきものである」とデッドコピーの場合の複製権侵害成立の余地を認めている(知財高判平成18年3月29日)。

*5:本件では写真そのものは、Cの友人の手を介して適法に被告側が入手していたようである。

*6:本件写真は元々父子の姿を撮影したものであったが、書籍に掲載するにあたっては父の部分の顔と上半身とその背景の一部のみが切除して使用されたため、同一性保持権侵害が認められた(公表権侵害についてもあわせて認められている)。「子供のプライバシー」への配慮から編集側としては当然にカットしたのであろうが、それゆえに著作者人格権侵害が成立してしまった、というのは何とも皮肉である。

*7:本件写真は口絵の写真中の一部としてしか用いられていなかったため、本件書籍全般について差止請求し得るかも争われたが、裁判所は「本件書籍が本件写真を口絵に掲載して、全体として一冊の本として出版発行されている限りは、本件書籍の出版により、原告の意思に反して本件写真の無断複製物を頒布することになるのであるから、本件写真を掲載した本件書籍の印刷・出版発行の差止めを認めざるを得ない」として差止請求を認容している。

*8:裁判所は、著作者人格権侵害に伴う慰謝料算定の材料として、このような事情を一応勘案している(請求額100万円に対し認定額は30万円)。

*9:先述したように、判例・学説はデッドコピーについてのみ侵害の成立を認める傾向にあるため、一見保護範囲が狭いように思えるのだが、文章で表現される著作物とは異なり、写真を利用するときは大抵デッドコピーとなるのが普通だから、侵害が成立する可能性は案外高いように思う。

*10:本件では、原告の亡夫Cが書籍中で「アウトサイダー」(ヤミ社会の人間)として取り上げられていたようであり、それゆえ原告と被告側の間に生じた感情的なしこりがこのような結末を招いた、というのが実態なのかもしれないが、(当然ながら)本判決の射程は、そのような事情の在るなしにかかわらず、一般的な写真の利用の場面へと及んでいくことになる。

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