何度看板を掛け替えれば、前に進むことができるのだろうか・・・。

ここに来て「猫も杓子も・・・」と言った感じで持ちきりなのが、「改訂コーポレート・ガバナンスコード」の話題*1

毎度のこととはいえ、ちょうど3月期決算会社が本格的に株主総会を迎えるタイミングで正式リリースされたものだから、どこの会社も必然的に想定問答への取り込みに追われることになったし、さらにその流れに油を注ぐような時事ネタがいくつかの会社で勃発したりしたこともあって、この総会直前期にてんやわんや、という会社も決して少なくないはずだ。

もちろん、内容的にはこれまで以上に様々な評価があり得るだろうな、というのが、今回の改訂版のCGコードで、どれだけ評価が分かれているかと言えば、今朝の日経紙が「法税務」面で、「企業統治コード改訂 取締役会が監督」という見出しで始まるCGコードの趣旨を踏まえた記事*2を掲載した一方で、他の面では、

「実はいま、世界中のアクティビストが日本に押し寄せているのだ。」

という煽り調のリードとともに様々なアクティビストファンドの日本国内での暴れっぷりを紹介し、最後に、

「香港のアクティビスト関係者は「攻略が難しかった日本が突如として『開国』してくれた」と表現する。理念先行の官製指針を掲げて形から入った改革の必然として、日本は世界のアクティビスト天国になった。」(日本経済新聞2021年6月21日付朝刊・第14面)

という辛辣なまとめで締めくくっていることからもうかがえる。

もしかすると、連日展開される「企業統治強化万歳!!」的な日経紙のノリに辟易した読者が他のところに流れていかないように、一種の”ガス抜き”的な意味合いで掲載された記事なのかもしれないが、同じ日の紙面、しかも隣合わせの面で「指針」に対する真逆の評価が示されているのを見てしまうと何だかなぁ・・・と思わずにはいられない。

降って湧いた「知財ガバナンス」

で、いつもの愛読紙への愚痴はさておき、自分が気になったのは、一見スタンダードに思える「法税務」面に登場した、知財ガバナンス」という言葉であった。

金融庁東京証券取引所が6月に改訂したコーポレートガバナンス・コード(企業統治指針)に、知的財産の活用などを促す内容が加わった。上場企業の経営層は知財戦略に責任を負う。知財情報の開示など「知財ガバナンス」の動きが出始めた。」(日本経済新聞2021年6月21日付朝刊・第16面)

ここではそこまで詳しくは書かれていない背景について説明すると、今回の改訂コーポレート・ガバナンスコードでは、「知的財産」という単語が初めて2カ所で登場している。

一つは「情報開示の充実」を掲げる原則3-1の補充原則3-1③における、

「上場会社は、経営戦略の開示に当たって、自社のサステナビリティについての取組みを適切に開示すべきである。また、人的資本や知的財産への投資等についても、自社の経営戦略・経営課題との整合性を意識しつつ分かりやすく具体的に情報を開示・提供すべきである。」

という記述*3

もう一つは「取締役会の役割・責務」に関する原則4-2の補充原則4-2②における、

「取締役会は、中長期的な企業価値の向上の観点から、自社のサステナビリティを巡る取組みについて基本的な方針を策定すべきである。また、人的資本・知的財産への投資等の重要性に鑑み、これらをはじめとする経営資源の配分や、事業ポートフォリオに関する戦略の実行が、企業の持続的な成長に資するよう、実効的に監督を行うべきである。」

という記述である。

そして、これらの改訂を踏まえて「知財の時代が来たぞ!!」と言わんばかりに、記事の中では様々な話が取り上げられているのだが・・・


一言で言ってしまえば、これらはまさに「デジャブ」でしかない。

21世紀の初め、「知財立国」が唱えられた時代から続いている、「どうすれば知的財産を『見せる』ことができるのか」、そして「どうすれば知財部門と経営中枢との距離を縮められるのか・・・」という問題。

旗振り役の業界は、伝統的な重厚長大系の会社から中堅企業、新興IT系企業へと移っていったりもしたし、IPランドスケープのような新しいツールも取り入れられてはいるが、知財関係者が「知財経営の推進」というテーゼの下で掘り起こしてきた「課題」、それを打破するために行おうとされてきたことは、かれこれ10年以上経った今となっても、1ミリも変わっていないような気がする。

そして、それが何を意味するかといえば、結局何も変えられていない、ということではないだろうか。

知財が大事」と経営陣にアピールする。その結果「知財」と冠した部署が社内にでき、人が集められる。組織は徐々に拡大し、そのうち社外から有資格者を採用したり、社内で資格を取った人を連れてきて専門性を強化する。レベルや規模の違いこそあれど、ここまでは大概うまくいく。だがそこから先にどうしても越えられない壁がある・・・

今朝の記事で一番ショックだったのは、知財業界では名の通った名門企業でさえ、「標準化部門と合流」する数年前までは経営層との接触が限られており、「経営層が意思決定する月2回のR&D経営会議」にすらレギュラー参加できていなかった、という事実である*4

法務と知財、両方の世界を渡り歩いてきた者の視点で見れば、歴史ある多くの企業(概して製造業に限られるが)では、法務より知財部門の方が陣容が厚いし歴史もある、さらに各社の部長クラスともなれば、その道一筋で経験も個性も豊かな方々が揃っている、加えて業界横断的団体の体制もかなりしっかり整っていて、人材育成にしても、立法提言にしても、会社の枠を超えた様々な交流活動にしても、法務の世界とはスケールが二回りも三回りも違う・・・という印象が強かった*5

ただ、ひとたび「知財」という一種自己完結した世界を離れたらどうなるか?

10年、いや20年近く経っても変わらない構図を目にし続けてきた者としては、決してポジティブな感情は抱けない。

このブログを遡っても、「知財経営」という言葉が初めて出てきた14年前のエントリーに始まり、
k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

12年前のエントリー、
k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

8年前のエントリー、
k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

3年前のエントリー、
k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

そして、やけくそ気味な数か月前のエントリー、
k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

と、改めて読み返しても悲しくなる。

自分としては、書くたびに未来が良い意味で予想を裏切る方向に向かっていくことを願っているわけで、今回めでたく「コーポレート・ガバナンスコード」の中に「知的財産」が2カ所入ったことで何かが変わるなら、それにこしたことはないとも思う。

ただ一方で、こういう形で取り上げられる、ということは、これまで長年、専門知、経験知に支えられてきた世界に、経営者のみならず、投資家や純粋監督者たちの異質な視点が持ち込まれる、ということでもあるわけで、それを忌避しては前に進むことはできないが、そうでなくても「知財でできると思われていること」と「知財で実際にできること」とのギャップが大きいこの世の中、ただ振り回されるだけだと、淡い夢は見たものの疲弊して「知」を蓄積することすらままならない、というこれまでのサイクルを繰り返すことにもなりかねない。

ここで関心が高まるのを機に、果敢に経営の中枢に一歩、二歩踏み込むか、それともボードや投資家からのプレッシャーに耐えうるだけの強靭さを身に付けるべく足元を固めに行くか・・・

これはどちらか一方が正解、という話ではないし、いずれの道を取るにしても、これまで以上に経営の中枢としっかりコミュニケーションをとって「味方」を作る必要性があることに変わりはない。そして、攻めるにしても守るにしても、自分たちのスタイルを貫き通すことができたなら、次にコーポレート・ガバナンスコードが改訂される頃にはもっと自然な形で「知的財産」というフレーズがそれぞれの会社の経営指針の中に取り込まれていくのではないかな、と。

今日の悲観が未来の笑い話になることを、今は願うばかりである。

*1:確定公表版は https://www.jpx.co.jp/news/1020/nlsgeu000005ln9r-att/nlsgeu000005lne9.pdf

*2:日本経済新聞2021年6月21日付朝刊・第16面。もっとも内容的には後述するとおり「知財ガバナンス」の話題がメインになっている。

*3:もっともこれに続く「特に、プライム市場上場会社は・・・」のくだりでは、もっぱら「気候変動に係るリスク及び収益機会」の話しか取り上げられておらず、その前段の「人的資本」や「知的財産」というフレーズはいかにも思いつきで突っ込んだものにしか見えないのが残念なところである。

*4:筆者のいた会社では、知財に「部門」というほどの規模がなく、技術開発部門の一セクションに留まっていたがゆえに、R&D系の会議にはレギュラー参加できる、というメリットはあった。もっともR&D系の会議の地位自体がどうしようもなく低かったので、結局、経営層との距離は縮まりようもなかった、というのが現実だったのではあるが。

*5:そして、その環境で育てられ、鍛えられたからこそ、今、自分が食っていけてるのは紛れもない事実である。

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