原点に還れぬまま行きつく先はどこなのか。

例年なら秋の風物詩、だが今年は新型コロナの影響で、”季節外れ”なこのタイミングでの発表となった。

法務省20日2020年の司法試験に1450人が合格したと発表した。19年より52人少なく、政府目標の「1500人以上」を初めて下回った。同省は「裁判官や検察官、弁護士になるに当たり、必要な学識を有するかを適正に判定した結果」と説明するが、受験者数の減少傾向も続いており「法曹離れ」に歯止めがかかっていない。」(日本経済新聞2021年1月21日付朝刊・第38面、強調筆者)

「大台」を割り込んだとはいっても、自分の時の10倍近い合格者が輩出されているわけだから、誤差の範囲内だろう、と言いたくもなる。

ただ、こちらのデータの方はやっぱり深刻だな、と。

出願者数 4,226名(前年比 704名減)
受験者数 3,703名(前年比 763名減)
合格者数 1,450名(前年比 52名減)

今年に関してだけ言えば、春先の緊急事態宣言の影響で試験日程が大きく乱れたことで出願者数減以上に大きなマイナスインパクトが生じた、という説明をすることも一応は可能*1。とはいえ、減少幅が700人超、というのはここ数年ずっと続いている話だし、結果、合格者数を減らしたにもかかわらず、合格率が約39.2%にまで上昇してしまった、というのは、制度末期の黄昏的現象と言えなくもない。

それでも、「合格者」の方々の喜びの声があふれていたTwitterの状況などを見ると、そんな試験になっても合格が「喜び」に直結することには変わりはないのだな、としみじみ実感したりもするのだが・・・。

*1:例年なら、出願者数の減少幅よりは受験者数の減少幅の方が小さく収まっていたのだが、今年に関しては逆転している。

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「5年」という歳月の重みがこの先の奇跡につながることを願って。

何も止まらない「緊急事態宣言」の下、昨年暮れくらいから押し寄せる仕事の波が、ささやかな週末の休息まで奪い去ってしまう今日この頃だが、そんな日曜日、ちょっとした気紛れでクリックした先で流れていたLIVE映像に思わず釘付けになってしまった。

全日本卓球選手権、女子シングルス決勝。

最近は、大会こそ予定通り行うものの観客は入れず、その代わりにこれまでになかった無料でのインターネット中継を提供する競技団体が多いのだが、この大会もその一つ。

本当に偶然だったのではあるが、いつもの年なら終了後にメディアで流れる結果だけ見て、ほうほう、と思っていたイベントを思わぬ形でライブ視聴することになった。

準決勝までの速報で、決勝戦のカードがここ数年世界の頂点に近いところで戦い続けている伊藤美誠選手 対 長年日本女子代表の看板を背負ってきた石川佳純選手、という新旧エース対決になった、ということは把握していたのだが、見始めた時には目下の勢いそのままに、ゲームカウント3-1、と伊藤選手が圧倒的にリードする展開。なんとか決着が付く前にギリギリ滑り込めた、という感じで、その第5ゲームも一進一退ながら、素人目には伊藤選手が繰り出す独特のサーブ&必死に食らいつく石川選手のリターンをはじき返す強打、の勢いが勝っているように見えた。

石川選手が9-7と引き離しかけたところですかさず連続強打で同点、さらに伊藤選手がふかしたことでようやく10-9とゲームポイントまでたどり着いても、すぐさま追いつかれ・・・という展開で次のサーブは伊藤選手、余裕すら感じさせる彼女の不敵な笑みと、険しさが際立つ石川選手の表情を見比べてしまうとなおさら、目に浮かんだのはこのゲームも伊藤選手が逆転で奪って優勝決定・・・、という単純な構図。

ところが・・・

粘り強いラリーの末、ここで先に1点をもぎ取ったのは石川選手。さらにサービスエースを奪って12-10・・・。

この時、潮目が大きく変わったのかもしれない。

続く第6ゲームは、序盤のスコアこそ拮抗していたものの、それまで面白いように決まっていた伊藤選手の強打が微妙に外れて首を傾げるシーンが目立つようになる。

そして、タイムアウト明け、伊藤選手が追い付いてこれから、というところで、石川選手が怒涛の6ポイント連取。

強打を返されての失点あり、サービスエースあり、さらに最後はラケットが空を切る、という信じられないような展開の中、このゲームも石川選手が奪ってゲームカウント3-3。

完全に流れが石川選手に行っていた第7ゲーム、しかも前のゲームの勢いそのままに石川選手が9-5でリードする展開までいったところで、一気に4ポイント返して9-9まで持ち込んだところはさすが、という感じだったが、そこで飛び出したのが石川選手のフォアハンドからの火を吹くようなストレート一閃。さらにもう一丁、とばかりに最後も相手のお株を奪う強烈なフォアストレートで11-9。

結果、3ゲーム連取で大逆転、3連覇を果たした2016年の大会以来、5年ぶり5度目の優勝を果たしたのである。

元々同じ左利き、加えて若い頃からパワーよりも巧さと粘りで一線に登り詰めた印象がある選手だったこともあって、国際大会の中継があるときは、どうしても石川選手に肩入れして見てしまっていたのだが、あの大事な場面で、あれほど強いショットで試合を決められるとは・・・というのは鮮烈な衝撃だった。

さらにグッと来たのが試合後のインタビュー。

「5年ぶりの優勝、若い選手も台頭してきた中でどう思うか」というインタビュアーの質問に、暫し言葉を詰まらせた末に出た、

「嬉しいです。たくさんの人に感謝したいです。」

という気持ちのこもった言葉。

そして、その後、メディアで報じられた彼女の言葉はよりセンセーショナルなものだった。

「もう無理なんじゃと思ったこともある。でもそうじゃないと自分が卓球を通して教えてもらった。(雑音も)今は気にならない。まだまだやれる、やりたい
日本経済新聞2021年1月18日付朝刊・第33面、強調筆者)

ベテランと言われてもまだ27歳、かつて小山ちれ選手が30代後半まで全日本女王の座に君臨していたことを考えると、まだまだ老け込むような年齢ではないのだが、リオ五輪の年だった5年前、押しも押されもせぬ日本女子の第一人者だった石川選手のポジションが、ここ数年の10代選手たちの台頭によって厳しいものになっていたのは確か。

彼女が全日本チャンピオンの座を追われていた過去4大会でその座に就いたのが、同じ2000年生まれの平野美宇伊藤美誠早田ひな、というトリオだったことも時代を象徴している。

だが、遡れば今から10年前の2010-2011年シーズン、福原愛選手より先に全日本女王の座に輝いたのがこの石川選手だったわけで、その後7大会連続の全日本決勝進出、二度の五輪出場&団体メダル、という偉業を経て昨年準優勝、今年優勝、という抜群の安定感は、今の日本選手たちの比較ではもちろん、歴史を遡っても比類なきもの。

もちろん、そんな5年、10年は、経験を過去のものとしない日々の鍛錬あってこそのものだ、というのも、改めて言うまでもないことだと思う。

歓喜に湧いたロンドン、失望と安堵をジェットコースターのように繰り返したリオを見てきた者としては*1何としても来る東京五輪で彼女に表彰台の真ん中に立ってほしい、という思いは強いし、何よりも選手自身がそれを支えにここまで頑張ってきたはず。

ここに来て急に「中止」風が吹き始めたように見える状況の中で、「開催」かつ、その場に参加するアスリートたちの「好成績」を願うのは、決して起きることはない奇跡に願掛けする所業に等しいのかもしれないが、それでも自分は、新年早々繰り広げられたこの全日本決勝の「頂上対決」が、これから始まっていく一年の吉兆になると信じて、精一杯の願いを込めたいと思っているところである。

*1:特に後者は、個人戦での初戦敗退も相まって、団体で意地のメダルこそ取ったものの、見ている側にしてみれば、不完全燃焼感の強い大会だった。2016年8月17日のメモ - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~参照。

「金魚電話ボックス」大阪高裁判決での大逆転劇が示した「表現」の意味。

「他人の事件は忘れた頃に判決が出る」というのはよく言ったものだと思うが、一昨年の夏、大きな話題となり、このブログでも取り上げていた「金魚電話ボックス」事件の控訴審判決が大阪高裁から出された。

結論は、見事なまでの大逆転、である。

「金魚が電話ボックスの中を泳ぐオブジェが自身の作品と酷似し、著作権を侵害されたとして福島県いわき市の現代美術作家が、オブジェを設置した奈良県大和郡山市の商店街側に損害賠償などを求めた訴訟の控訴審判決で、大阪高裁(山田陽三裁判長)は15日までに、商店街側に55万円の支払いとオブジェの廃棄を命じた。請求を棄却した一審奈良地裁判決を変更した。」(日本経済新聞2021年1月15日付夕刊・第11面、強調筆者)

2019年7月11日、奈良地裁で、原告の請求を棄却する第一審判決が出た時は、「まぁそうなるよね」という感想が世の中に満ちていたような気がする。

特に、著作権にある程度通じた方ほど、地裁判決でも使われていた「表現とアイデアの二分論」を掲げて、大要、「電話ボックスの中で金魚を泳がせるのはアイデアに過ぎない」ということをもって、地裁判決の結論を支持していたようにも見受けられた。

だが、当時のエントリーでも書いた通り、自分はあの地裁判決に関しては、チグハグ感のある創作性判断&原告・被告両作品の対比手法についても、「請求棄却」の結論に対しても、どうしても違和感を拭い去れなかったものだった。

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だからといって特段アクションを起こすでもなく、さらには慌ただしさにかまけて、事件の存在すら忘却の彼方に消え去りそうになっていたのが現実だから、偉そうに「ほら見たことか」と言えるような立場では到底ないのだが、それでも、こういう形で美しく結論がひっくり返るというのは、なかなかあることではないので、既に関係者のサイトに掲載されている判決文を参照しつつ、備忘のために*1、感じたところを書き残しておくことにしたい。

阪高判令和3年1月14日(令和元年(ネ)第1735号)*2

作品目録も含めて僅か13ページに留まっていた地裁判決と比べると、今回の高裁判決は36ページと3倍近いボリュームになっている。

また、類似性の争点をクリアして、依拠性の認定まで進んだことから、被告作品が大和郡山市内に設置されるようになった経緯まで詳細な事実認定がなされており、地裁判決に接した時点ではいろいろと浮かんでいた謎をかなりの部分解きほぐしてくれるような中身でもある*3

だが、やはり今回の判決のキモは、何といっても「メッセージ」と名付けられていた原告作品の著作物性(創作性)を認めたことと、原告作品・被告作品の共通点から直接感得性を認め翻案権侵害を肯定した、ということに尽きるだろう。

そこで、以下関係する部分の判示をおってみることにしたい。

■著作物性に関する判断

裁判所は「表現がありふれたものである場合」は当該表現を「創作的な」表現ということはできない、「ある思想ないしアイデアの表現方法がただ1つしか存在しない場合」等は当該表現には創作性を認め難い、と一般的な考え方を示し、

「原告作品は、その外見が公衆電話ボックスに酷似したものであり、その点だけに着目すれば、ありふれた表現である。そこで、これに水を満たし、金魚を泳がせるなどしたことにより、原告作品に創作性が認められるかが問題となる。」(23頁、強調筆者、以下同じ。)

と述べた上で、「本物の公衆電話ボックス」との外観の相違点に着目するアプローチを採用した。

そして、

①電話ボックスの多くの部分に水が満たされている。
②電話ボックスの側面の4面とも、全面がアクリルガラスである(実際の公衆電話ボックスには存在する縦長の蝶番が存在しない)。
③水中に赤色の金魚が泳いでおり、その数は少なくて50匹、多くて150匹程度である。
④公衆電話機の受話器が、受話器を掛けておくハンガー部から外されて水中に浮いた状態で固定され、その受話部から気泡が発生している。

という4点を相違点として指摘した上で、①~③については、それぞれ「広い選択の幅があるとは言えない」(①)、「蝶番は、それほど目立つものではなく・・・この縦長の蝶番が存在しないという表現・・・に、原告作品の創作性が現れているとはいえない」(②)、「ありふれた数といえなくもなく、そこに控訴人の個性が発揮されているとみることは困難」(③)と創作性を否定した。

だが、最後の④については、以下のように述べて創作性を肯定する方向に結論を持っていった。

「人が使用していない公衆電話機の受話器はハンガー部に掛かっているものであり、それが水中に浮いた状態で固定されていること自体、非日常的な情景を表現しているといえるし、受話器の受話部から気泡が発生することも本来あり得ないことである。そして、受話器がハンガー部から外れ、水中に浮いた状態で、受話部から気泡が発生していることから、電話を掛け、電話先との間で、通話をしている状態がイメージされており、鑑賞者に強い印象を与える表現である。したがって、この表現には、控訴人の個性が発揮されているというべきである。」(24~25頁)

奈良地裁の判決では、「公衆電話ボックス内で気泡を発生させようとしたら受話器から発生させるのが合理的」という首をかしげたくなるような理屈まで持ち出して創作性が否定されていたのだが、大阪高裁は、

「水槽に空気を注入する方法としてよく用いられるのは、水槽内にエアストーン(気泡発生装置)を設置することである。」
「受話器は、・・・音声を通すためのものであり、空気を通す機能を果たすものではない
(以上25頁)

と、ごく当たり前のことによって、「アイデアから必然的に生じる表現」という被控訴人(被告)の主張を退け、

「第4の点を加えることによって、・・・原告作品は、その制作者である控訴人の個性が発揮されており、創作性がある。このような表現方法を含む1つの美術作品として、原告作品は著作物性を有するというべきであり、美術の著作物に該当すると認められる。」(26頁)

という結論を導いたのである。

阪高裁の判示は、4つの要素のうち、①~③の創作性を否定しておきながら、④の要素の創作性のみで、①~④をひとくくりにして著作物性を認めているように読めるものだけに、この点に対しては、批判もあり得るところかもしれない。

ただ、細部までこだわった原告作品の(公衆電話ボックス内の素材以外の)「表現」に目を向けず、バッサリと創作性を否定してしまった地裁判決と比べると、こちらの方がより「表現」の保護の当否を判断する著作権法の趣旨に添った判断、ということができるのではなかろうか*4

■類似性に関する判断

阪高裁は続いて、複製権、翻案権侵害の成否の判断に移り、冒頭で原告作品と被告作品の共通点、として、以下の2点を認定した。

①公衆電話ボックス様の造作水槽(側面は4面とも全面がアクリルガラス)に水が入れられ(ただし、後記イ⑥を参照*5)、水中に主に赤色の金魚が50匹から150匹程度、泳いでいる。
②公衆電話機の受話器がハンガー部から外されて水中に浮いた状態で固定され、その受話部から気泡が発生している。
(26頁)

続いて「著作権の翻案」を、ワン・レイニーナイト・イン・トーキョー最判(最一小判昭和53年9月7日)と江差追分最判(最一小判平成13年6月28日)を引いて、

「既存の著作物に依拠し、かつ、その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ、具体的表現に修正、増減、変更等を加えて、新たに思想又は感情を創作的に表現することにより、これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為をいう」(27頁)

と定義した上で、導かれたのは以下のような結論。

「被告作品は、原告作品のうち表現上の創作性のある部分の全てを有形的に再製しているといえる一方で、それ以外の部位や細部の具体的な表現において相違があるものの、被告作品が新たに思想又は感情を創作的に表現した作品であるとはいえない。」
「仮に、公衆電話機の種類と色、屋根の色(相違点①~③)の選択に創作性を認めることができ、被告作品が、原告作品と別の著作物ということができるとしても、被告作品は、上記相違点①から③について変更を加えながらも、後記(3)のとおり原告作品に依拠し、かつ、上記共通点①及び②に基づく表現上の本質的な特徴の同一性を維持し、原告作品における表現上の本質的な特徴を直接感得することができるから、原告作品を翻案したものということができる。」(以上28~29頁)

これを読んで、ああそういえば、全体比較論と反対説、某高裁長官と某教授、そんな神々の論争があったなぁ・・・ということを思い出したりもして、今回の高裁判決がそんな論争をさらに活発化させるかもな・・・と思ったりもしたのだが、こと本件に関して言えば、「公衆電話ボックス内」の創作的な表現部分が共通している、ということをもって翻案権侵害とした結論に違和感はないし*6、仮に「全体比較」というアプローチを採用したとしても、共通している部分が原告・被告両作品の最もコアな部分であることからすれば、そこに創作性が認められた以上、結論がひっくり返ることはないように思うところである。

■その他の争点と本件の今後の行方

以上のとおり、原告作品と被告作品の共通点に著作物性が認められ、同一性ないし類似性も認定されたことで、事案としてはほぼゲームセット。

地裁判決の段階では、本件被告が京都造形芸術大学の「金魚部」(注:読者のご指摘を踏まえ1/18訂正、失礼いたしました)から被告作品を承継した、という事実認定がなされていたこともあって、個人的には被告側が「依拠性」で争う余地もあるのではないか、と思っていたところではあったのだが、本判決の詳細な事実認定の下、被告作品は「金魚部」(1/18訂正)の作品を承継したものではなく、被告が(既に原告が大学等にクレームを入れた後の)平成26年2月22日」に大和郡山の喫茶店で展示するための作業を行うことによって制作されたものであると認定されている(29頁)から、そのような反論も受け入れられるところとはならなかった*7

最後の損害論は、著作権法114条の5に基づく利用料相当損害額25万円、著作者人格権侵害による損害25万円+弁護士費用5万円の計55万円、という結論で「330万円」という請求額と比べるとかなり抑えられた印象はあるが、自らの作品の「著作物性」を認めてもらった上に、長年争ってきた被告側の複製権or翻案権侵害まで認められた、というのだから、経済的側面を離れれば「全面勝利」といっても差し支えない結果だといえるだろう。

また、当然ながら事実審としてはこの大阪地裁が最後となるわけで、仮に被控訴人側が上告受理申立てを行ったとしても、今回の判決で示された同一性・類似性判断や、依拠性の判断を最高裁の判断でひっくり返すのはかなり難しい道になると思われる*8

自分は長年、「情報財は極力フレキシブルな利用を認めるべし」というスタンスでやってきている人間だから、これまで高裁での逆転劇で「良かったな」と思ったことがあるのは、もっぱら侵害肯定から侵害否定の結論に変わった事例だけだったのだが、今回ばかりはこれでいいんじゃないかな、というのが正直なところで*9、この先、知財著作権業界の方々がどういう反応を示されるのか、ということを楽しみにしつつ、「判旨賛成」のエントリーをここでいったん締めておくことにしたい。

*1:またすぐ忘れてしまいそうな気もするので・・・。

*2:第8民事部・山田陽三裁判長、https://narapress.jp/message/2021-01-14_decision.pdf、判決文は「ならまち通信社」のサイト(https://narapress.jp/)内に掲載されていたもの。なお、改めて拝見したら、「一審判決についての論説」として2019年の当ブログのエントリーも引用していただいていたことに今さら気が付いたので、この場を借りて御礼申し上げたい。

*3:交渉過程でのやり取り等も含め、「訴訟にする前に決着させることはできなかったのか」ということを考える上でも非常に興味深い内容となっている。

*4:なお、高裁判決は、地裁判決で著作物性が肯定されていた「公衆電話ボックス様の造作物」や「公衆電話機」の表現の創作性については言及していないが、それはここでの著作物性の説示が、後述する被告作品との共通点を先取りしたものだからであって、地裁が認めた部分の著作物性を高裁が否定している、ということではないと理解している。

*5:イ⑥では、被告作品の展示開始当初、アクリルガラスの内の1面に蝶番を模した部材が貼り付けられていた、ということを相違点として認定している。

*6:もっとも、先述したとおり、著作物性判断場面で認められた「創作的な表現部分」が共通点①,②のうちの一部に過ぎなかったことを考えると、これらをひとくくりにして著作権法上の類似性を肯定した高裁判決のアプローチを”プチ全体比較論”と見る余地はあるのかもしれない。

*7:なお大阪高裁は、京都造形芸術大学の学生が制作した作品も「原告作品に依拠したものであると推認することができる」(31頁)としている。ここまでダメ押しする必要があったのかどうかは少々疑問も残るところだが、他の判示も含め、おそらく大阪高裁の合議体の心証は控訴人側に相当傾いていたのだろうな、と思うところである。

*8:もしかすると、「アイデア表現二分論」や「複製・翻案の判断手法」という著作権法におけるコアイシューに正面から切り込むことで、最高裁が何らかの判断を示す可能性もないとは言えないが、本件でそこまでするのはちょっとやり過ぎな気もする。

*9:そう考える実質的な理由もいくつかあるのだが、中でも一番言えるのは、仮にこの判決が確定して、原告作品と同一・類似の「金魚電話ボックス」が制作できなくなったとしても、そのような表現の制約が社会に大きな影響を与えることはない(わざわざ実用目的で電話ボックスの中に金魚を入れる人などいないし、類似表現がアートであれば他の創作的要素を付け足すことはいくらでも可能、逆に商業的な表現だったら、そもそも”これはただのアイデア”とのたまって原告のアート作品を勝手に使うこと自体が商慣習的にアウトだろう、と思うだけに、侵害を肯定することで大きな弊害が出るとは自分は全く思っていない。

思えば遠くに来たものだ・・・。

昨年から何かと話題になることが多い携帯電話業界から、激烈な競争を象徴するかのようなニュースが、年明け早々から飛び出してきた。

「営業秘密領得容疑」による社員逮捕、というセンセーショナルな見出しとともに・・・。

最初に記事になったのは12日の夕刊で、その時に報じられたのは、概ね以下のような内容。

・高速通信規格「5G」に関するソフトバンクの技術情報を不正に持ち出したとして、警視庁がソフトバンク元社員を不正競争防止法違反(営業秘密領得)容疑で逮捕
・被疑事実は、被疑者がソフトバンクに勤務していた2019年12月31日、社外から自分のパソコンで同社のサーバーにアクセスし営業秘密にあたる5Gの技術情報などを不正に取得した、というもの(認否は不明)
・被疑者は持ち出しがあったとされる直後の20年1月に同業の楽天モバイルに転職していた
ソフトバンクによると、持ち出されたのは同社の4Gと5Gの基地局設備や基地局同士などを結ぶ固定通信網に関する技術情報で、20年2月に被害が判明し警視庁に相談した。
ソフトバンクは「(逮捕された)元社員が利用する楽天モバイルの業務用パソコン内に当社の営業秘密が保管されており、楽天モバイルが営業秘密を既に何らかの形で利用している可能性が高いと認識している」として、技術情報が楽天モバイルの事業に利用されないよう、情報の利用停止と廃棄などを目的とした民事訴訟を提起する方針を明らかにした元社員への損害賠償請求も検討する
日本経済新聞2021年1月12日付夕刊・第1面記事要約(一部引用)、強調筆者、以下同じ。)

その後、どこから出てきているのか、連日のようにこの事件のリーク報道が続いている。

以下の記事が出たのは翌13日。

ソフトバンク元社員による高速通信規格「5G」技術情報持ち出し事件で、元社員がソフトバンク退職時、営業秘密情報を流出させないとする誓約書に署名していたことが13日、分かった。」(日本経済新聞2021年1月13日付夕刊・第11面)

最初の報道を見た時には、「楽天モバイルの業務用パソコン内に当社の営業秘密が保管されている」ことをなぜソフトバンクが知ったのか?ということが気になっていたのだが、その謎も以下の報道ですぐに解けた。

「相談を受けた警視庁は同年8月、(氏名略、被疑者)の自宅や転職先の楽天モバイルからパソコンなどを押収し、データの解析を進めた。」(同上)

そして、今朝の朝刊には、「捜査関係者に取材した」内容として、

・被疑者は11月下旬に退職の意向を示してから退職日の12月31日まで、約30回にわたって同社のサーバーにアクセス。5Gの技術情報を含む約170件のファイルについて、メールに添付して自身のメールアドレスに送信するなどの方法で持ち出した
日本経済新聞2021年1月14日付朝刊・第35面記事要約)

ということも報じられている。

本件のもう一方の当事者が参入表明時から持ち上げられてきた楽天モバイル、ということもあり、これらの記事には、

・「被疑者が前職で得た営業情報を業務に利用していたという事実は確認されていない」
・「持ち出した情報には5Gに関する技術情報も含まれていない」

ソフトバンクの見解を否定する楽天モバイル側のコメントも一応添えられてはいるものの*1、全体的なトーンとしては”推定有罪”、「営業秘密を不正取得した」という捜査側、「被害者」側の主張に沿った報道がなされているように見える。

本来、営業秘密の不法領得について論じるのであれば、真っ先に問題とされるべきは、「領得された」とされる情報の「秘密管理性」であるはずだし、被疑者が元職の会社でどういう仕事に携わっていて、「領得された」とされる情報との関係でどういう立場にあったのか、ということを見なければ、不正競争防止法上の営業秘密不法領得罪の構成要件を満たすのか、仮に満たすとしても21条1項各号のどの構成要件に該当するのか、ということは分からない。

いくら退職時に「誓約書」に署名していたからといっても、いくら自分に向けて送付した電子ファイルの数が多いからといっても、それらが公知情報だったり、有用性のない情報であればもちろんのこと、客観的に見て「秘密として管理されている」と言い難いような情報であれば、不競法21条1項各号の構成要件に該当せず、少なくとも刑事手続に載せることは難しいはずなのだが、そういった本質的な部分については掘り下げた報道がなされることもなく、被疑者の実名と「有罪心証」だけが刷り込まれていくように見えてしまうことには、(事件報道にはつきもののこととはいえ)複雑な思いを抱かずにはいられない。

もちろん、起訴されて公判が始まり、あるいは会社同士の諍いが法廷に持ち込まれるようなことになれば、そういった不正競争防止法上の要件を満たすかどうか、という点についても、当事者双方の激しい主張立証が繰り広げられ、その結果が判決を通じて見えてくる、ということもあるのだろう。

ただ、楽天モバイルが、昨年華々しく携帯電話業界に参入した異端児だった、ということ、そして、既存の携帯通信事業者には、激しい顧客争奪戦が繰り広げられる市場の「外」でも、強い逆風が吹きつけていた、という背景を考えると、ここで、このような形で、既存のキャリア側が攻めに転じている、ということの裏側にありそうな事情にも思いを馳せておいた方が良いような気がする。

そして、何よりも、今回見返して改めて気付いた不正競争防止法第21条第1項の条文たちの分厚さ・・・

第21条 次の各号のいずれかに該当する者は、十年以下の懲役若しくは二千万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。
一 不正の利益を得る目的で、又はその営業秘密保有者に損害を加える目的で、詐欺等行為(人を欺き、人に暴行を加え、又は人を脅迫する行為をいう。次号において同じ。)又は管理侵害行為(財物の窃取、施設への侵入、不正アクセス行為(不正アクセス行為の禁止等に関する法律(平成十一年法律第百二十八号)第二条第四項に規定する不正アクセス行為をいう。)その他の営業秘密保有者の管理を害する行為をいう。次号において同じ。)により、営業秘密を取得した者
二 詐欺等行為又は管理侵害行為により取得した営業秘密を、不正の利益を得る目的で、又はその営業秘密保有者に損害を加える目的で、使用し、又は開示した者
三 営業秘密を営業秘密保有者から示された者であって、不正の利益を得る目的で、又はその営業秘密保有者に損害を加える目的で、その営業秘密の管理に係る任務に背き、次のいずれかに掲げる方法でその営業秘密を領得した者
イ 営業秘密記録媒体等(営業秘密が記載され、又は記録された文書、図画又は記録媒体をいう。以下この号において同じ。)又は営業秘密が化体された物件を横領すること。
ロ 営業秘密記録媒体等の記載若しくは記録について、又は営業秘密が化体された物件について、その複製を作成すること。
ハ 営業秘密記録媒体等の記載又は記録であって、消去すべきものを消去せず、かつ、当該記載又は記録を消去したように仮装すること。
四 営業秘密を営業秘密保有者から示された者であって、その営業秘密の管理に係る任務に背いて前号イからハまでに掲げる方法により領得した営業秘密を、不正の利益を得る目的で、又はその営業秘密保有者に損害を加える目的で、その営業秘密の管理に係る任務に背き、使用し、又は開示した者
五 営業秘密を営業秘密保有者から示されたその役員(理事、取締役、執行役、業務を執行する社員、監事若しくは監査役又はこれらに準ずる者をいう。次号において同じ。)又は従業者であって、不正の利益を得る目的で、又はその営業秘密保有者に損害を加える目的で、その営業秘密の管理に係る任務に背き、その営業秘密を使用し、又は開示した者(前号に掲げる者を除く。)
六 営業秘密を営業秘密保有者から示されたその役員又は従業者であった者であって、不正の利益を得る目的で、又はその営業秘密保有者に損害を加える目的で、その在職中に、その営業秘密の管理に係る任務に背いてその営業秘密の開示の申込みをし、又はその営業秘密の使用若しくは開示について請託を受けて、その営業秘密をその職を退いた後に使用し、又は開示した者(第四号に掲げる者を除く。)
七 不正の利益を得る目的で、又はその営業秘密保有者に損害を加える目的で、第二号若しくは前三号の罪又は第三項第二号の罪(第二号及び前三号の罪に当たる開示に係る部分に限る。)に当たる開示によって営業秘密を取得して、その営業秘密を使用し、又は開示した者
八 不正の利益を得る目的で、又はその営業秘密保有者に損害を加える目的で、第二号若しくは第四号から前号までの罪又は第三項第二号の罪(第二号及び第四号から前号までの罪に当たる開示に係る部分に限る。)に当たる開示が介在したことを知って営業秘密を取得して、その営業秘密を使用し、又は開示した者
九 不正の利益を得る目的で、又はその営業秘密保有者に損害を加える目的で、自己又は他人の第二号若しくは第四号から前号まで又は第三項第三号の罪に当たる行為(技術上の秘密を使用する行為に限る。以下この号及び次条第一項第二号において「違法使用行為」という。)により生じた物を譲渡し、引き渡し、譲渡若しくは引渡しのために展示し、輸出し、輸入し、又は電気通信回線を通じて提供した者(当該物が違法使用行為により生じた物であることの情を知らないで譲り受け、当該物を譲渡し、引き渡し、譲渡若しくは引渡しのために展示し、輸出し、輸入し、又は電気通信回線を通じて提供した者を除く。)

自分が「営業秘密」をテーマに研究に取り組んでいた時には影も形もなかったこれらの規定が不正競争防止法に登場し、瞬く間に拡大していこうとしているさまを目にして、ちょっとした不安感に駆られて呟いたのは、今から10年ちょっと前くらいのこと。

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だがその後もとどまることなく存在感を増していったこれらの規定が、この国に一体何をもたらしたのか?

保護強化の流れの中では、「日本の技術を守るべきだ!」といった純粋な愛国思想が顔をのぞかせることも多かったが、これまた10年ほど前に懸念したとおり、今やすっかり状況は変わってしまっている。

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そして、その結果残ったのが、国内勢がまだ「技術力」を発揮できる限られた領域での国内勢同士の足の引っ張り合い、なのだとすれば、それはあまりに悲しい。

どんな市場であれ、競争はフェアに行われなければならない、というのは当然のことだし、それぞれの会社に蓄積された真に価値のある営業秘密には財産としての保護を与えるべき、という考え方を否定するつもりも全くない。

ただ、持ち出された情報の価値の大小も明白ではなく、健全な競争を歪めるような不正使用の事実があったかどうかも定かではない状況で「刑事手続」だけが先行することは、そのインパクトがあまりに大きいがゆえに、後発事業者への技術者の移動(事業者から見れば「採用」)への萎縮効果等*2

現時点での情報の少なさゆえ、最終的に本件でどのような事実が裁判所によって認定され、どういう形で決着が付くのか予測することは極めて困難な状況で、もしかしたら、立件されて当然、被疑者もその人を雇い入れた事業者も責任を負わされて当然、という結論で腑落ちするような結末になるのかもしれない。

だが、それでも自分は、任務違背型の不法領得類型(不正競争防止法21条1項3号)を独立した構成要件とする法改正を行った時に、この国はルビコン川を渡ってしまったような気がするし、今回の事件も、これからの帰趨次第では、”思えば(民事規定創設当初の理念からは)随分と遠くに来てしまった”営業秘密保護規定の功罪を感じさせられるようなものになってしまうのではないか、という気がしている。

以上、悪い予感が当たらぬことを願いつつ、(バイアス報道がどこまで続くのか、ということも含めて)この先の行方を見守ることにしたい。

*1:楽天モバイルは従業員の逮捕当日に、同趣旨のプレスリリースを出している。従業員の逮捕について | 楽天株式会社参照。

*2:自分は、ある市場に新規参入する事業者が、先行する企業の人材を「情報ごと」手に入れることができるようにする、というのは、健全な競争を成り立たせるための必要条件だと思っているし、それゆえに、その会社にしか存在しえない、といった高度の価値を持つ情報を除けば、特定企業による情報の安易な囲い込みは認めず、(人とともに)それが自由に流通していくことを認めるべきだ、と考えている。競争において「勝つ」ための武器は他にもいくらでもあるわけだから・・・。

「風物詩」が残っている幸福と、これからに向けた覚悟と。

世の中的には三連休だがダラダラと仕事にいそしみ、でもあまりの寒さにはかどらず・・・*1、ということで、結局、最後も「気の抜けた月曜日」となってしまった。

本来なら「成人の日」ということで、例年なら晴れ着姿の若者たちが街でワイワイ騒ぐ姿を見かけることも多い時期のはずなのだが、少なくともこの3日間、そんな姿が自分の目に飛び込んでくることも、窓の外から嬌声を聞くこともなく、今はまさに「緊急事態」なのだなぁ・・・ということを改めて実感することにもなった。

とはいえ、テレビを付ければ、大学ラグビーの決勝戦は観客とともに行われていたし、無観客ながら高校サッカーの決勝戦も行われていた。

いずれも下馬評では有力だったチーム(早大青森山田高校)が敗れる、という展開で、両方の試合が重なる時間帯は、どちらのチャンネルも気になって仕方ない、という感じではあったのだが、度々跳ね返された「関東の壁」を打ち破り関西勢36大会ぶり*2の優勝を圧勝で飾った天理大の強さには神々しさすら感じたし、初出場優勝以来11年ぶりの決勝で当時と同じ対戦相手を一進一退の攻防の末、PK合戦で退けた山梨学院にも、「何かを持っている」チーム特有のオーラがあったような気がする*3

グラウンドの外に出れば「平常ではない」世界が広がっている今の状況で、感染による出場辞退、途中棄権のリスク*4も負いながらの戦いだったから、選手にも関係者にもいつもとは違う何かがのしかかっていたのではないかと思うし、実際、無観客で行われた高校サッカーの決勝戦などは、110分間選手たちのかすれた声が響き渡った末に、カメラのシャッター音しか聞こえない静まり返ったPK合戦に遷移する・・・という、テレビの視聴者ですら二度と味わえないような異様な雰囲気の中で行われていた。

それでも、首都圏開催のイベントながら、途中で大会中止という事態に追い込まれることもなく、選手たちが無事、最後の最後まで戦うことができた、というのは、緊急事態宣言下での数少ない光明。そして、一ウォッチャーとしても、毎年巡ってくるイベントを「カレンダー通り」に眺めることができた、ということに、ただ感謝するほかない。

これで、今日のWIN5でも当てていればもう言うことのない三連休の締め、ということになったはずだが、さすがにそんなにうまくいくはずもなく・・・*5

そして、この3日間のもたつきが、後々まで自分の首を絞めることも、おそらく避けられないだろうとは思う。

だが、こんな時でもせめてささやかな楽しみだけは残っていてほしい、というのは、当然のことだと思うし、それを味わうために時間を使うことを悔いているようでは、まだまだ続く長い正念場を乗り切れないだろう、とも思うだけに、また明日から後ろを振り返らずに坂道ダッシュ・・・。そんな気分で本日もそろそろ休むことにしたい。

*1:このネタ、連休の初日のエントリーでも書いた気がするが、結局3日間、状況はまるで変わらなかった・・・。

*2:微妙に自分の記憶からは外れている同志社大学の3連覇以来、というもの凄さ。

*3:11年前の青森山田は、青森県代表としては常連でも高校選手権ではベスト4が最高、例年国立まで行けるかどうか、というレベルのチームだったと記憶しているが、今の青森山田は押しも押されもせぬ全国屈指の強豪で、今シーズンは無敗、という断トツの優勝候補。それでも見事に正面から受け止めて再び倒した、というところに大きな価値がある。

*4:実際、天理大のラグビー部では、昨年実際にクラスターが発生していたし、高校バレーでは前年優勝校の東山が3回戦で棄権、という衝撃的な出来事もあった。

*5:史上最高配当は約6億9491万円・・・。何がすごいって5つのレースでいずれも1番人気、2番人気は転び、14番人気のツーエムアロンソのような馬が突っ込んて来ているにもかかわらず、キャリーオーバーではなく(キャリーオーバーだと次回の配分総額は多くなるが、結局多くの人が次回最終的に当たれば、一人当たりの配当金は安くなってしまう)「1人だけ」当たった、ということだろう。こんなところで運を使ってしまうと後が怖いが、それでも羨ましいことに変わりはない。WIN5対象レース | 2021年1月11日 レース情報(JRA) - netkeiba.com

「10年」の歳月が生み出した珠玉の座談会。

本来であれば昨年のうちに読んでおくべきだったのだが、年末年始は手を付けられず、ここに来てようやく開くことができた毎年恒例の一冊。

年報知的財産法2020-2021

年報知的財産法2020-2021

  • 発売日: 2020/12/25
  • メディア: 単行本

今年の巻頭論稿は、設楽隆一・元知財高裁所長が、損害賠償額の認定が争点となった2つの知財高裁大合議判決*1の意義を解説しつつ、令和元年改正による新・特許法102条の立法者解説との違いを説明する、という論稿が1つ。

もう一つは茶園成樹・大阪大学教授が海賊版対策」を意図した令和2年著作権法改正(リーチサイト規制、ダウンロード違法化拡大)について解説する、という論稿で、いつもながら時勢を反映した豪華な布陣。

さらに、定番の「判例の動向」「学説の動向」は今年もしっかり収められているし、中山一郎教授が独自の指摘も織り交ぜつつ、法政策の動きを一気通貫で解説する「政策・産業界の動向」も健在、さらに「諸外国の動向」は、米欧裁判所での新型コロナ対応の話題にも触れつつ、しっかりとしたボリュームで収められている。

おそらく、例年ならここまでで取り上げたコンテンツだけで「今年もどうぞご購入を!」という話になったはずだし、2020‐2021年版に関してもそれは当然同じなのだが、今年に関してはもっと贅沢な「特集」が組まれていた。

いわばボーナストラックのようなこの企画、題して「編者が語る知的財産法の実務と理論の10年」

「10年」と聞いて、もうそんなになるのか・・・という感慨を抱いてしまったのは、この年報が日本評論社から最初に出版された2011年に自分が買った時のことを、まだ最近のことのように思っているから、なのかもしれない。

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もっといえば、自分は、この書籍の前身である「I.P.Annual Report 知財年報」も発刊当時から6年連続(要するに全部)買い続けていた。

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商事法務からこの年報が初めて世に出た時期は、自分が、実務でも知財の分野にもっとも傾倒していた時期だったりするし、あの頃は、研究会やセミナー等にも、案内をいただければ即出かけていくくらい熱心だったから、年末に出るこの雑誌も当然ながら購入*2

で、毎年、買っていくうちにコレクター的な性格が首をもたげてきて、後はもう、必要だろうがそうでなかろうが毎年買わないと気が済まなくなる・・・ということで、その後も通算で10年以上は毎年買い続けていた。

だから、長年編者を務めておられる高林龍教授が、「商事法務」(別冊NBL)時代の話にも触れつつ「歴代のカバーデザインの移り変わり」というところからこの特集を始めておられるのは、オールドファン(?)にとっては実に嬉しい*3

そして、

「商事法務から『知財年報』を最初に出版したのは2005年なのですが、その時期は「プロパテント政策(特許重視政策)」というものが華々しく打ち出された時期でした。「速く、強く、広い特許を」-速く特許を取得させて、広い権利範囲を認めて、強く行使させるーと言われた時期でした。それから年月を経てみると、現在はそのときとはずいぶんちがうなと思います」(年報知的財産法2020‐2021・38頁)

という高林教授の発言が口火となって、「この10年」を振り返る怒涛の座談会、というか高林龍教授と三村量一弁護士の『朝まで生知財』的なトークバトルが開始される。

プロダクト・バイ・プロセス・クレームをめぐる最高裁判決(最二小判平成27年6月5日)での大逆転劇とその後の揺り戻しの動き。

「筋を通した」最高裁判決を支持する高林教授がその後の審査基準や知財高裁での「骨抜き」の動きを手厳しく批判する一方で、三村弁護士は知財高裁と最高裁の関係について、キヤノンインクカートリッジ事件にまで遡って「知財高裁大合議判決があそこまできちんと整理してつくったのに、最高裁ガチャガチャポンにしちゃったのは、あれは酷すぎると思っています。総合考慮でいいんですとするのは、何の予測可能性もないので、そんなものは法理じゃない」(49頁)と、元知財高裁判事としての気概を示される。

続く均等論に関するマキサカルシトール事件の最高裁判決(最二小判平成29年3月24日)に対しては、高林教授が平成27年最判とは「真逆」の判決と評した上で「賛成できない」と断じ、かつてボールスプライン事件の調査官解説を書かれた三村弁護士も「マキサカルシトール事件というのは・・・出願時同効材の事案ですから、そもそもボールスプライン事件判決からいえば、変則的というか、本来の意味の均等論ではない事案なのです。知財高裁の大合議事件は、出願時同効材という昔風のレトロな均等論を取り上げたものなのです。設樂さんが郷愁にかられてやったんだろうと思いましたが、最高裁がもう一度均等論を取り上げるとは思いませんでした。」(50頁)とバッサリ。

気心知れた編者間同士の座談会、というシチュエーションもあってのことだろうが、高林教授の辛口なコメントに輪をかけて切れ味鋭い三村弁護士のコメントが被せられる、という展開で、司会として加わっている菊間千乃弁護士*4が話題を引き出すために投げるボールが、360度、どこに飛んでいくか予測不能だけど、とにかく物凄い勢いで打ち返されていく・・・そんな感じの座談会になっているから、それまで教科書的な解説に慣れてしまっていた読者にとっては実に刺激的な内容だろうと思う。

特許の話題に関しては、判例でも法政策でも、とにかくこのお二人の独壇場で、同じ裁判官出身でも、査証制度に対する見方が全く逆だった、というのは非常に興味深かったし(63~65頁)、損害賠償の算定方法に関する大合議判決と法改正をめぐって、102条1項と3項の全面的併用説に批判的な高林教授が、三村弁護士の少数説を紹介しつつ、その場にいない田村善之教授の話題で盛り上がる・・・という展開もなかなか(笑)。

テーマが著作権に移っても、ロクラク最高裁判決に関して、「東京地裁知財高裁は、まねきTV事件とロクラクⅡ事件との間で線引きできると考えていました」(56頁)という三村弁護士の発言が強烈すぎて、編者のお一人である上野達弘教授の発言が霞んでしまいそうになる。

もちろん、上野教授も丁寧な説明の合間に、”「枢要」の一人歩き”批判や、立法過程での内閣法制局審査のブラックボックス化の指摘など、存分に持論を盛り込んでおられ、著作権パートも読み応えは十分。

かくしてこの40ページ強の「座談会」は、実に充実したコンテンツに仕上がっている。

昨年取り上げた論究ジュリスト誌での座談会*5が、いわば「A面」の企画だとしたら、こちらは知る人ぞ知る「B面」、あるいは実況の裏で流れる「副音声」のような企画といった方が良いのかもしれないが、これを年報の中の一特集にとどめておくのは正直惜しい気がして、「10年」と言わず今世紀に入ってからの20年くらいをざっくり振り返る形で、この座談会の拡大版を書籍化してほしい!と思うくらい素晴らしい企画だと感じた、ということは申し上げておきたい。

そして、いつしか自分でも気づかないうちに生じてしまっていた「空白」の時を埋めるため*6、この特集を読み終わった後に、自分のコレクションから抜け落ちていた何冊かを、日本評論社のサイトからこっそり注文した、ということも、正直に告白する次第である。

*1:令和元年6月7日(二酸化炭素含有粘性組成物)、令和2年2月28日(美容器)

*2:そして、自分の書いた評釈が学説動向に”一文献”として紹介されているのを見た時は、ホントに嬉しくて仕方なかった。

*3:ネタバレになるので割愛するが、2011年、2012年のカバーデザインに関しては驚くべき秘話も明かされている。

*4:早大知財LLM1期生として登場されている。

*5:著作権法50年、歴史の重み。 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~参照。

*6:3年の空白を埋めるために。 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~のエントリーをご参照のこと。特に、特許法周りの動きに関しては、プロダクト・バイ・プロセス・クレームの最高裁判決が出たくらいまでのところで時計が止まってしまっていたので、改めてネジを巻き直しておこう、と思ったところもあり。

こんな時だからこそ楽しめるもの。

そうでなくても新型コロナで街に出かけるのが憚られる気分になっている上に、ここに来て一気に例年に輪をかけた冷え込み・・・。

昨シーズン、雪不足に泣かされたスキー場関係者がかけた願があまりに強烈過ぎたのか、北の方では豪雪のニュースも飛び込んできて、まさに踏んだり蹴ったり日本列島、という感じになっている*1

そんなこともあって、結局、世の中的には連休初日だったらしいこの日も、仕事を細々とこなしつつほぼ日中を自宅で過ごすことになったのだが、そんな中、気分転換に最適だったのが、最近すっかりはまっている↓ 

file.veltra.com

ベルトラ㈱さんのオンライントラベルツアー(ベルトラオンラインアカデミー)である。

元々、海外に行く時は現地の足の手配等でも良くお世話になっていた会社で、観光どころか出張需要さえ消失した昨年春以降、売上が激減して苦しい状況にあることも知っていたから*2、最初は一種の義侠心で申し込んでみたのだが、これが意外にも新鮮、そして面白い。

特に我が家でブームになっているのが「ライブ街歩き」シリーズで、Zoomを使って現地にいるガイドさんとダイレクトにやり取りしながら、パソコンの画面越しに、彼/彼女たちが歩く街の風景を眺める。たったそれだけのことなのだが、旅番組やプロモーション動画のようないいところだけ切り取った映像ではない、というのが良い。

すれ違う人々から声をかけられることもあれば、お目当ての店が閉まっていて慌てて別の行き先を探す、なんてハプニングもある。そして、どこの国でも、新型コロナの影響がちょっとずつ出ていて、人が集まっている店の周りでシャッターを閉めてしまった店の姿が映っていたりもする。

元々、出張に行ったときでも、ちょっとでも空き時間があれば*3、ホテルからとことこ歩いてローカルな店で飯を食って買い物をして、という瞬間的な日常を楽しむのが自分の流儀だったし、プライベートの観光でも、コテコテの「ツアー」はほとんど使わず*4、自分の足とUberで自由に動き回って現地の空気を楽しむ、というのが自分の海外体験のベースにあるものだったりするから、派手な観光地に行くわけでもない、特殊なイベントもない、単純にそこにあるものをそのまま伝えてくれる、というスタイルがすっぽりハマったのかもしれないが、現地で頑張っているガイドさんたちとのコミュニケーションも含めて、これが実に充実した良い時間になっている。

世界は広いから、地域によっては、新型コロナがなくてもそう簡単に足を運べないところも多い。

あと、その国まで飛んでいくことはできても、ローカルのマーケットだったり、地元の人々で賑わうエリアだったりすると、外国人向けの宿泊施設エリアやビジネス街からはちょっと距離があって、現地滞在スケジュールの都合や、足回りの不便さ*5、さらには治安への懸念等から、どうしても足を運びにくかったりもする。

だが、オンラインであれば、そんな制約は軽々と飛び越えられてしまう。そして何よりも、実際に現地に行くことを考えれば、参加するためのコストも格段に安い。

いくら目の前にお客さんがいないからといって、せいぜい1回(or 1人)当たり2,000~3,000円のレベルでは、(日本の会社にとっては)経営にとっての大きなインパクトには到底なり得ないから、現時点では、こういった試みは、収益確保それ自体が目的、というより、会社にとって最大の商材である現地エージェントを少しでもつなぎ留めておく、という意味合いの方が大きいものではないかと思うところもある。

ただ、さらに工夫を重ねて、現地の商品の購入等もオプションに入れることで、より取扱高を引き上げていく余地はあるかもしれないし、何より、再び人が動き出す時のことを考えると、こういう形でヘビーな海外渡航者たちの”旅心”を冷まさずに温めておくことには十分すぎるほどの意味はあるはず。

だから、ベルトラに限らず、昨年以来、大手旅行代理店から、個人間のSNS的なプラットフォームを構築していた事業者まで、国内外問わず次々と「オンラインツアー」「バーチャルツアー」への参入の動きが出ていることも当然だろうな、と理解はできる*6


昨年以降、「ニューノーマル」の掛け声の下で、「オンライン○○」と呼ばれるものが次々と出てきているが、「これはさすがに定着させるには無理があるだろうな」と思ってしまったようなものは多かったし、一部では定着している、とされる「オンライン飲み会」も、それまでの飲み会とは全くの別物、と割り切らない限り参加するのは難しい*7

でも、ことトラベルツアーに関して言えば、オンラインでも得ることができるものは多々あり、加えて「オンラインだからこそ経験できる」こともたくさんある。

人が自由に国内外を行き来できるようになるまでにはもう少し時間が必要。

だからこそ、それまでの間、それをつなぐための企画は次々と打たれ続けていてほしいし、何よりも、こんな時でもこういう形で新しいことに挑戦し続けている会社には、現地の代理店ともども、最後まで生き残っていてほしい、と思うわけで*8、本エントリーを読まれた方々が、少しでもここでご紹介した新趣向を試していただけるようになることを、自分は願ってやまない。

*1:ごく一部のスキー場関係者にとってはありがたいものかもしれないが、かつて雪国と呼ばれる地域に住んでいた経験上、「雪なんぞ降らないに越したことはない」というのが大半の地元民の思いだ、というのも良く分かっているので、何とも言えない気分になる。

*2:昨年の11月には、四半期報告書に継続疑義注記が付される、というリリースも出された(ベルトラ[7048]:継続企業の前提に関する事項の注記についてのお知らせ 2020年11月16日(適時開示) :日経会社情報DIGITAL:日本経済新聞)。

*3:その空き時間を作るのが至難の業、ということも多かったが・・・。

*4:せいぜい空港とホテルの間の送迎くらい。

*5:Uberがリーズナブルに使える国、地域であれば、ガイドブックに載っていないようなマニアックな場所にもまぁまぁ行けたりはするのだが、そうでない国だとどうしても行ける場所は限られてくる。

*6:もっとも海外に関しては、ベルトラに匹敵するレベルの「品揃え」を用意している競合事業者は日本にはまだ存在しないように思われる。やはり、ここは従来の「本業」で培った力と、元々オンライン主体でオペレーションしていたことの有利性が存分に発揮されているような気がする。

*7:大人数の飲み会だと、やっている間中、全員が一つの話題に集中して会話する、というシチュエーション自体がリアルでは絶対にありえないのに必然的にそうなってしまう「オンライン飲み会」は、肩の力が抜けた「飲み会」というよりは、一種の「会議」だと自分は思っている(少人数の会なら、席を囲んでずっと同じ話題で盛り上がり突ける、ということはリアルでもよくあるが、その程度の人数ならわざわざZoomなんて持ち出さなくても、実際に集まって飲めばいいじゃん、というのがついこの前までの日常だったので、結局、自分は「オンライン飲み会」はほとんど実施も参加もしたことはない)。そして、会社が率先して職場での「オンライン飲み会」を強要するような環境だったら、自分は間違いなく最初の一週間で逃げだすような気もする。

*8:逆に、こんな状況でも従来のビジネスモデルの基本を大胆に変えることはせず、Go To トラベルでもこれまでのどおりの団体送客だよりで安穏と切り抜けようとしていた一部の同業他社に対しては、今回のコロナ禍を機にいっそのこと淘汰されてしまう方が良いのではないか、という感想しか出てこない。

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