重なり合う白と黒。

依然止むことのない新型コロナの波にも動じることなく続いている夏競馬。

そろそろ3歳世代は、未勝利戦がラスト数週、という状況になってきて、レースで敗れてそのまま引退発表、という悲しいお知らせを目にすることも多くなってきた。

残念ながら自分も、この世代の持ち馬は3頭中2頭が依然として未勝利脱出できず、という状況だけに、半ば腹をくくりつつも、「最後の切符」を掴むチャンスが巡ってくることを願い続けている*1

一方で、エリートクラスの馬たちにとっては、古馬との本格的な対決に突入し、まだ「2歳」だった1年前からの大きな成長を見せつける時期でもある。

例年話題になる「今年の3歳は強いのか?」というテーマに関しては、自分はまだ確たる心証は持てておらず、下級条件では、クラシックのステップレースで好走していた馬が順当に勝ちぬけたレースもあれば、今週の阿賀野川特別(2勝クラス、新潟芝2200m)*2のように、この夏好調で人気も上位を独占していた3歳馬たちが、7歳馬モクレレ*3の前に蹴散らされる、といった事件も起きる。

牡馬・牝馬共に1頭だけ力が抜けていた昨年の3歳世代よりは、混戦で多くの馬が「勝ち味」を知っている今年の方が過去の例で言えば世代全体のレベルは高い、ということになりそうな気もするのだが、秋まで見ないと分からないところはあるのかもしれない。

ただ、こと今週の「トップレベル」のレースに関しては、3歳馬の独壇場、だった。

まず小倉のメイン、北九州記念(GⅢ)。

ハンデ戦とはいえ、人気になったのは重いハンデを背負った6歳馬ジャンダルム、そしてGⅠ馬・モズスーパーフレア

スタートする時点では、1~4番人気までは古馬が固める、という状況だった。

それが蓋を開けてみれば、雨の降る稍重馬場で、最後の短い直線を力強く差し切ったのは、黒鹿毛の3歳牝馬・ヨカヨカ

珍しい熊本産馬としてデビューするや否や、怒涛の3連勝で小倉を沸かせたのはちょうど1年前のこと。

それ以降、GⅠレースでこそ思うような結果は出せなかったものの、葵Sで2着に入って狙いをスプリントに定め、古馬との戦い2戦目にしてこの勝利、というのは実に痛快な光景だった*4

そして、その20分後、今度は札幌のメイン、泣く子も黙る夏のオールスター、札幌記念(GⅡ)で主役を張ったのは、純白のソダシ、だった。

香港のGⅠをひっさげて参戦したラヴズオンリーユーが圧倒的1番人気となっている中で、斤量52キロと恵まれたにもかかわらず単勝2番人気に留まっていたのがこの桜花賞馬で、おそらく距離が2000mと比較的長いことも人気を落とした理由だったのだろうが、ゲートを出てみたら先行してしっかり折り合いを付け、後続を封じて堂々の優勝である。

3歳馬の勝利はハープスター以来、ということで、この次のレースが凱旋門賞だったらどれだけドキドキしただろう、とも思うが、倒した相手が骨っぽかっただけにこれからの期待もさらに膨らむわけで、年内日本でレースに出てくれる、ということに感謝すべきなのだろう。

ということで、期せずして北の白、西の黒、と色調も鮮やかに重賞を制した3歳馬たち。

もしかしたら、世代的な強さ、というところを超越して、むしろ「世代が変わっても牝馬は強い」ということを知らしめるような結果だったのかもしれないが、いずれにしても本格的な秋シーズンに向けていろいろと期待や想像は膨らむ。

このコロナ禍でもまだまだ続く楽しみが得られたことに感謝しつつ、この先のことにちょっとでも思いを馳せられれば、と思うところである。

*1:この時期の未勝利戦は、当然ながら「何としても最後の勝ち抜けを」という馬たちが殺到するので、下手をすると出走できないまま終わってしまう可能性もある。どうせ引退するにしても最後は最適な条件で走る姿を見せてほしい、というのがオーナーとしての切なる願いだったりもする。

*2:かつてはユーキャンスマイルも勝った3歳上がり馬の出世レースの一つである。

*3:あのアパパネの初仔で、デビュー当時は期待されていたから本来の実力を発揮した、といえばそれまでなのだが・・・。

*4:同じように追い込んできたシゲルピンクルビーは惜しくもモズスーパーフレアにハナ差届かない4着だったが、ここの順位が逆転していたら、馬券的にもさぞ面白かっただろうと思う。

これが悲劇の歴史の一コマにならないことを願って。

「アフガン」といえば、真っ先にムキムキのアクション俳優を思い出してしまうのが、悲しい哉、我々の世代だ。


で、子供の頃のそんな記憶が薄らぎかけた新世紀の初め、「9・11」が、アジアの真ん中、山岳地帯に囲まれたこの国に不幸なスポットライトを当てた。

急進的なイスラム教徒たちが支配していたこの国はテロリスト支援国家と認定され、米、英、NATO軍の圧倒的な攻勢によって瞬く間に「解放」されたはずだった。

数年後、マイケル・ムーア監督が世に送り出したアンチ・ブッシュキャンペーン映画の中では、この国の新政権の主となったカルザイ元大統領も、米国エスタブリッシュ層との”癒着”を疑わせる存在として批判の対象になっているが、そこで描かれていたカブールは既に「戦後」

その後、何度か日本人が犠牲となったテロの舞台になったこともあったし、オバマ政権下での増派&撤退、さらにイスラム国の混乱、といったニュースの流れの中で登場することもあったが、距離的にも地政学的にも日本人にとっては決して近くはない国だけに、中東諸国と比べても日本国内のニュースで取り上げられる機会は少なく、しばらく海外のリスク情報を血眼で追っていた自分も、この国の情勢まで気にする機会はほとんどなかったような気がする。

それがここ数日の間に、降って湧いたような「タリバン侵攻」、そして「カブール陥落」というニュースが出てきて、自分は心底慌てた。

確かにトランプ政権の間は、海外に送り出していた米軍を撤退させるかどうか、という話が常に話題にはなっていたし、そこで撒かれた厄介の種を処理すべく、発足直後のバイデン政権があれこれ対処している、というニュースも頭の片隅にはあったのだが、20年前壊滅的な打撃を被ったはずの、そしてつい数年前も最高指導者が米軍の攻撃で討ち取られていたはずの「タリバン」が、ここまで勢力を回復していたとは・・・。

日本人から見れば「戦勝国」のイメージが強い米国だが、実際の歴史を見れば、戦はそこまで上手ではなく、圧倒的な兵力で電撃戦を仕掛けて序盤に華々しい戦果を挙げても、その後は一進一退の膠着状態、というパターンも決して少なくはない。

そして、「戦後の統治」に関しては、もっと上手ではない、というか完全に下手の部類に入る。

今回の追い立てられるようなカブールからの撤退劇を見て、多くのメディアが、そして歴史を知る人達の多くが1975年の光景を思い浮かべたのはある意味当然のことだろう。

昨日は、輝かしい経歴を誇る第71代国務長官、Antony Blinken氏が追及への「答え」として使った”This is not Saigon”というフレーズが、様々なメディアで取り上げられていたが、

・「大義」の下で軍事介入に舵を切る。
・一定の戦果を上げ、「点」を押さえることには成功するが、その後「面」をコントロールできずに反撃のきっかけを与えてしまう。
・膠着状態で時間が過ぎていく間に、自国内で撤退論が強まり、現場でも厭戦ムードが広がっていく。
・統治を委ねるはずの現地国政府をコントロールできない。権力闘争と腐敗の中で、現地での民心も離れていく。

といった状況は、まさに「南ベトナム」の再来に他ならないわけで、「記憶を重ねるな」という方がおそらく無理だ。

もちろん、細かく見ていけば、Blinken氏が反論を試みたように、半世紀前のベトナムアフガニスタンとでは、介入の目的もバックグラウンドも、侵攻後の経過も当然大きく異なっている。

加えて、ベトナムに比べればはるかに長い期間、戦争状態下での駐留を継続していた割には、戦闘技術の”進化”等の影響もあってか犠牲者の数も相対的には多くない*1

ただ、オフィシャルな情報源がそういった違いを強調しようとすればするほど、「長い時間をかけてやろうとしていたことが水泡に帰した(かのような見え方)」の共通性に目が向いてしまうのも事実なわけで、命を失うリスクを冒してまでも国外脱出を図ろうとするカブール市民の映像に接してしまうと、なおさらその思いは深くなる。

20年という時間は、指導者層が総入れ替わりになるには十分な時間だ。世界の状況、特に「イスラム」に向けられる視線もより厳しいものに変わっている今、いかに悪名高きイスラム急進派組織とはいえ、20世紀末と同じ統治スタイルで国際社会に受け入れてもらえるなどとは考えていないだろう。

だから、多くの人々が危惧しているような状況ではなく、むしろ宗教的な純粋さ、清廉さが良い方向に働くというシナリオに期待を寄せたいところではあるのだけど、「現実はそんなに甘くないよ・・・」という声も当然空からは聞こえてくる・・・。

*1:とはいえ、絶対的な数としては決して少なくないのも確かなのであるが・・・。

続きを読む

試合には勝ったけど・・・。

東京五輪が終わって早一週間。

メディアの方は、まだ刹那的なイベントの余韻を持て余している感じで、この一週間はある種の”回顧”的な記事も目立ったのだが、そんな中、目に留まったのが、以下の数字だった。

野球の決勝戦はテレビ中継の平均世帯視聴率が関東地区で37%を記録」(日本経済新聞2021年8月12日付朝刊・第37面、強調筆者)

全ての競技中継の中で最高視聴率を記録したのが、13年ぶりの大会復帰で悲願の金メダルを獲得した「野球」だった、という、いかにも日本人らしいエピソードなのであるが・・・。

自分は先の五輪期間中、野球の試合の中継は全く見ていない。

スコアは時々追っていたし、ダイジェスト映像にもチラリと目を通したがその程度。

全てライブではないものの、他の競技、メジャーなところで言えば卓球や体操からスケートボード、サッカーに女子バスケットボールまで。よりディープなところで言えば、馬術にアーチェリーにテコンドーに近代五種、そして終盤のスポーツクライミングまで・・・と、仕事の合間を縫ってかなりの視聴時間を費やしたのが今回の五輪。それにもかかわらず、「野球」という競技には、この大会期間中、ほとんど関心を惹かれることすらなかった。

理由は至ってシンプル。

「五輪競技、というにはあまりにドラマ性がなさすぎた」

のである。

同じホームペースを囲む球技でも、ソフトボールは違った

誰もが知っている絶対的エース、上野由岐子投手が13年の時を経て五輪の舞台に再び舞い降り、時を飛び越えたような投球で海外の強打者たちを撫で斬る。

野投手だけではなく、「女イチロー」などと言う失礼なニックネームを付けられていた山田恵里選手も、”本家”の引退後もなお健在で勝負強いバッティングを見せる。

そして様々な歯車が噛み合った結果、怒涛の5連勝で「連覇」を飾った。

その間、地味な国内リーグと決して注目されない国際大会で実績を積み重ねてきた30歳前後の選手たちを主力に、若干20歳の後藤希友投手まで、この13年間の無念の思いが凝縮されたような快進撃を見たら、誰もが声援を送らずにはいられない。

一方、野球はどうだったか。

バルセロナで公式競技になって以来、アマチュア時代からプロアマ混在、そしてプロだけのチームになった今まで、常に期待されて叶わなかった目標をかなえたのだから、偉業には違いない。

ただ、「国内のプロリーグのいい選手を普通に集めた」という選手たちの顔ぶれに”ドラマ”感は全くなかった*1

自分もバルセロナの頃は「アマチュアゆえの勝負への執念」を示した代表チームを敬意をもって眺めていたし、シドニーでも杉浦正則投手を筆頭にプライドを持って参加したアマチュア選手たちと、松坂大輔投手をはじめとする初参加のプロ選手たちの融合に声援を送っていたような気がする。

しかし、そのうちにアマチュア選手の参加はなくなり、長年看板を背負っていた松坂大輔投手も渡米し、加えて大会のたびに、勝手の違う舞台で途方に暮れる高給のプロ選手たちの姿を見せられるたびに、声援を送る気持ちは薄れていった。

そして長い中断を経て戻ってきた舞台でも、試合にこそ勝ち続けたものの、「五輪ならでは」の何かを感じさせるようなことは最後までなかったような気がする。何といっても抑えをやっているのが今年入団したばかりのルーキーなのだから、チームとしての連続性もへったくれもない。

未だに国内No.1のプロリーグを持ち、潤沢に一流の選手たちを抱えるからこそ、のチーム編成は、このコロナ禍下で自国の選手を招集するのにも四苦八苦していた感があった他国のチームとの比較では圧倒的な優位性があったといえるだろうし*2、それゆえに地元開催国としては「満点」の回答を出すこともできたわけだが、それは、もはや五輪競技としての野球への関心を他のほとんどの国が失っている、という残酷な現実の裏返しでしかない。

状況を理解している者なら誰もが感じた「これが五輪での最初で最後のこの競技の金メダルなんだろうな」という残念感を打ち消そうとするかのように、

「2028年ロス五輪で再び野球は復活する!」

と声高に叫ぶ人も時々見かけたが、米国人が本当に五輪競技としての野球に興味を持っているのだとしたら、決勝戦があの時間帯に行われる、ということはあり得なかっただろう。

万が一、2028年に「BASEBALL」が奇跡の復活を遂げたとしても、夏の開催なら当地はMBLのシーズン真っただ中で、有力球団がしのぎを削る西海岸では、まともな試合会場を確保することさえ難しいのではないかと推察する。

そして、本当に「公式競技」として五輪に戻ることを考えていたのであれば、野球にしてもソフトボールにしても、日本がこれだけの強さを見せて勝ちきった、ということは、逆効果でしかなかったんじゃないか、という皮肉な現実にも触れておかねばなるまい。

日本の代わりに勝ち上がったのがドミニカ共和国だったら? あるいはメキシコだったら、歴史が動いた可能性もあるが、もはや後の祭りである*3

思えば、レスリングとの競り合いの末、公式競技への「復帰」の途が絶たれたのは、東京五輪の開催が決まったのと同じ、地球の裏側で行われたIOCの総会だった。

olympics.com

あの頃は、「スケートボードなんぞ公式競技に加えるくらいなら、野球とソフトボールを戻せばよいのに・・・」と本気で思ったこともあったのだが、今大会で世界中の多くの視聴者がエキサイトできた競技がどちらだったか、と言えば、答えは火を見るよりも明らかだろう*4

「競技」であると同時に「エンターテインメント」でもあって初めて舞台に立つ資格が与えられるのが今の五輪。

純粋に価値に徹して結果を出した潔さは高く評価されるべきだと思うけど、それゆえに失ったものも大きい。

まさに混乱の中で開かれた刹那の五輪の象徴のようなエピソードだったような気がしてならないのである・・・。

*1:強いて言えば、13年前に屈辱を味わった稲葉監督の存在だけが唯一のドラマだった。

*2:どの国のチームも目立ったのは日本のプロ野球で活躍している選手たちだったりもした。

*3:この点、柔道の混合団体は、地元でありながら次回開催国に”花を持たせる”形となったがゆえに、今後の五輪での定着も期待できる展開となった。わざと負けたわけではもちろんないだろうが、その辺の綾も大事だな、というのが素朴な感想である。

*4:そして様々な武術競技を眺める中で、なぜ空手がこれまで公式競技として採用されず、次回大会以降に継続される予定もないのか、ということも非常によくわかった。本来なら手も足も使える最もスリリングな格闘技のはずなのに、一流の競技者たちの舞台ではその自由さゆえにかえって派手な技が決まらないし、”寸止め”ルールであるがゆえの分かりにくさもある。「型」も迫力はあるものの、採点競技としての分かりにくさは最後まで拭えなかった。逆に言えば、長年五輪の舞台で磨かれてきた他の競技の”見せ方”がいかにうまいか、ということでもある。

またしても持ち出された「優越的地位の濫用」に思うこと。

水面下では既に動きがあったのかもしれないが、自分には初耳だったこのニュース。

公正取引委員会新規株式公開(IPO)時に企業が適切に資金調達できているかの調査を始めた。事前に証券会社などと決める公開価格と、最初に売買が成立した初値の差が欧米より大きく、企業が調達する額が低いとの指摘があるためだ。」
公取委は11日までに「上場手続きを担う証券会社と公開価格の設定で十分に交渉できたか」「価格設定に満足したか」といった趣旨の調査票を送付した。直近にIPOで上場した国内の約100社が対象とみられる。必要に応じ、証券会社への聞き取りも実施する。」
独占禁止法違反(優越的地位の乱用など)がないか確かめる。
日本経済新聞2021年8月12日付朝刊・第1面、強調筆者、以下同じ。)

当然ながら、あちこちで議論が沸き上がることになった。

この話に限ったことではないが、特にIPOに関しては、どの立場から見るかで見える景色は全く違うと思っていて、対象会社にしてみれば「理論的に導かれる価格よりはるかにディスカウントされた価格でしか売り出してもらえない」ということへの不満は当然ある*1だろうし、上場審査のために数年前から主幹事証券を選定して、出資者からのプレッシャーも受けながら藁にもすがる思いで上場を目指している企業の担当者が、「証券会社の審査が上場の手続きになる現在の慣行では、企業よりも優越的な地位になりやすい。」という前記記事の一節に全力で頷きたくなるのも分からんではない*2

だが立場を変えれば、常に所管官庁の”監督下”に置かれている上に民事上の責任まで厳しく追及されるようになってきた主幹事証券からは、「こっちがどれだけ苦労していると思ってるんだ」という声が出てきても全く不思議ではなさそうだし、純粋な一投資家としての視点で見れば、「上場直後に一瞬高値付けただけで、その後公開価格を下回ったまま長期低迷している会社がどれだけあるか分かってるんかいこら!」という話になってくる。

おそらく、最近株式市場が好況で、IPO銘柄に多くの投資家が飛びつき、公開後も軒並み高値を付ける傾向が続いているからこそこういう話が出てくるのだろうが、長い間見てくると、IPOが市場に支持されるかどうかというのは、その企業の価値で決まる、というよりは、大きな市場のトレンドで決まる、といった方が適切な気がしていて、ここ1,2年の活況も一時のブームでしかない。

数年前までの「公開すれば下がる」という負け戦の繰り返しが、主幹事証券会社による公開価格設定時の”値決め”を必要以上に厳しいものにし過ぎている側面はあるのかもしれないが、だからといって、上場会社の資金調達に配慮して気前よく公開価格を設定して、そのたびに値崩れ現象を起こせば、IPOの抽選に当たって喜んでいたはずの一般投資家たちが泣きを見ることになる。そしてそれが繰り返されれば、引受先を見つけることすら難しくなって、一部の飛びぬけた会社を除けば、株式市場でのIPOというスキーム自体が成り立たなくなってしまうかもしれない*3

元々、薄皮一枚のバランスの上で成り立っているのが自由主義経済下の資本市場、という代物である。

それを構成する様々な当事者関係の一部だけを切り取れば、もしかしたらその中に「優越的地位の濫用」と評価されるようなエピソードが一つ、二つ混じっていることもあるのかもしれないが、その一つ、二つをあぶり出すために、大上段から「構造的問題」を指摘して、特定の当事者間のパワーバランスに介入することによって、さらに大きな弊害が生じる懸念も当然ある。

おそらく、当の公取委自体は、経済紙の単純化された記事の中身に比べれば、より思慮深くことにあたるだろうし、「日本は世界に比べスタートアップが育っておらず、資金調達の面から改善を探る」(前記記事)ためにこの調査を行った、なんてことは、公式には口が裂けても言わないだろう*4

ただ、そうでなくても、「風が吹けば萎縮」するような傾向すらあるこの世界で、あえて様々なバランスに影響を与えてまで「一石」を投じる必要があったのかどうか。ましてや、持ち出されるツールは、最近明らかに多用されすぎ、の兆しが見える「優越的地位の濫用」規制だということになればなおさらである。

やると決まったのであれば、調査を通じて様々なバランスが解き明かされることを期待したいところであるが、何でもかんでも「優越的地位の濫用のおそれ」でがんじがらめにされてしまうような世の中はできれば勘弁・・・と思うだけに、今は、今回打ち上げられたアドバルーンがひっそりと軟着陸してくれることを願うのみである。

*1:そして、最近の傾向としては、それを聞きつけた政府筋の関係者が公取委を動かしたという憶測も飛び交うことになる。

*2:自分も「あの時は・・・」とか「あいつらは・・・」的な話は様々な方々から半ば日常的に聞かせていただいている。

*3:辛うじて上場までは辿り着いたとしても、市場での更なる資金調達が難しいとなれば、何のために上場したのかもわからなくなる。

*4:誰かから「公開価格が低いのでスタートアップが育たない」といったようなことを吹き込まれてこういうことを考える人が出てきても不思議ではないが、そういった話は純粋に「資本市場の在り方・作り方」を考える中で検討すべき問題だと思うので(何といっても最大の問題は、企業の資金調達の手段が限られているがゆえに、十分な規模まで成長する前に上場を強いられる、という点にあって、その部分の世の中のメカニズムを変えない限りは、この国のスタートアップ育成環境も何ら進化しないだろう)、そのために独禁法を使うのは明らかにお門違いだろうと個人的には思っている。

過ぎ去った五輪が教えてくれたこと

2021年8月8日、「開催するか否か」「観客を入れるか否か」、開幕する間際まで様々な喧騒の渦に巻き込まれ、始まってからもなお、多極化した世論の波にさいなまれ続けた東京五輪が閉幕の時を迎えた。

今回に限った話ではないが、僅か17日(+α)の間に33競技339種目を行う、というのは、一般的なイベントで言えば明らかに「詰め込み過ぎ」の部類に入る。

特に今大会のように、連日連夜、日本選手のメダル獲得の報が流れるような大会になってくると、最初の何日かは「柔道のあの選手が、水泳のこの選手が・・・」というふうに一つ一つの競技の印象が残っていても、そのうち次から次へと飛び込んでくる過多な情報に個々の競技、種目の印象が押し流され、気が付くと

「あれ、男子の1万メートルって、もう終わってたの? っていうか、え、今日でトラック競技全日程終了なの?」

みたいなことになってしまう*1

自分自身、まだ連休のさなかだった最初の何日かと、次の週末、さらに最後の何日かは、リアルタイムで競技映像を追いかけられる幸運を味わうことができたものの、平日はとてもそれどころではない状況で、その代わりに真夜中に見逃し配信を眺めて”時差ボケ”になるような有様だったから、自国開催といえどこれまでと何ら変わりなし。

唯一これまでと違うところがあったとしたら、これまでは五輪期間中、周囲のベタな世間話に付き合うのを避けるため、特に後半になると休暇をとって、北海道だったり(2008年北京)、沖縄だったり(2012年ロンドン)、挙句の果てにはロンドンにまで逃避して(2016年リオ)いたのが、今回はやむに已まれず東京に留まり続けていたことくらいだろうか。

でも、開幕の時のエントリーでも書いたとおり、東京23区内にいても日常では全く「五輪」の雰囲気を感じさせるものがなかったし、日常的に家庭内以外でその話題に触れる機会も遂に最後までなくて、全ての競技はインターネット(&一部競技のみグリーンチャンネル)を介して映像を見るだけだったから、異国の地のホテルの一室で映像を見るのと、実質的には何ら変わりはなかったような気がする*2

結果、自分にとっては今回の五輪も気が付けば一瞬、の刹那的なイベントとして過ぎ去っていっただけだった。

* * * *

もちろん、断片的にブログで書き、SNSでも呟いたとおり、数々の競技の映像には不変の、有無を言わせない迫力があった。

自分の関心は、日本の選手の勝った、負けた、というところには全くなかったし、もう何度も繰り返し、少なくとも二年に一度は同じような光景を眺めていれば、ちょっとやそっとのことで「感動」なんて感情も湧いては来ないのだが、それでも、それぞれの競技で既に実績を残してきた世界の一流アスリートたちが、素人目にも分かるくらいの卓越したレベルで競り合い、勝ちぬいて最後の最後で感情を爆発させる瞬間(あるいはそれまで実績のなかった選手に不覚を取って悲嘆にくれる瞬間)を目にするたびに、「たかが一試合」「たかが一競技会」ではないこの大会の重みはひしひしと感じさせられたし、「この舞台がなくならなくて良かった」という思いに改めて駆られたのは確かである。

また、有無を言わせぬ超大国から、こういう時にしか目にすることのない小国出身の選手まで、同じ舞台に立ち、時には国力の差を超えた”逆転劇”を演じる痛快な場面を目撃できるのがこの4年に一度の大舞台の面白さ。

そういった「世界を知る」舞台としての魅力は今回もいかんなく発揮されていたわけで、今の時代、いちいち解説されなくても、目に留まるパフォーマンスを発揮した選手のスペルをGoogleに入力すれば、これまでの実績からバックグラウンドまで瞬時に検索できる。検索結果から飛んで飛んで広い世界に改めて思いを馳せ、その一方で、お気に入りの選手のインスタを見つければすかさずフォロー・・・。

「無観客」の是非についてとやかく言われた大会でもあったが、見ている側としては、実際に現場にいる以上の迫力と臨場感*3を味わえたわけで、まさに災い転じて福となす、という状況だったような気がする*4

・・・といったようなことを書いてくると、「お前も大勢に流されて”東京五輪成功万歳”派に宗旨替えしたのか!」と言われてしまいそうだが・・・

*1:日本選手がメダルを取れなかった競技だと当然そうなるし、取った競技ですら、58個のメダリスト全部思い出せるか?と聞かれて答えられる人はそうそういないだろう・・・。

*2:もちろん、国内にいたからこそ、豊富な生の映像コンテンツに接することができたわけで(時代とともに変わるもの、変わらないもの。 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~参照)、その意味では「自国開催」での”地元の利”を十分に堪能できていたのは確かなのだが・・・。

*3:生の映像がストリーミング配信されたことで、「試合中の選手の表情」のように放送用のカメラワークなしには得られない情報に接しつつ、本来なら現場でしか味わえない「試合中に飛び交う掛け声」や「試合と試合の間の独特の間」まで堪能することができたのは、実に幸運なことだった。

*4:当の選手たちにとってはどうなのか?という議論もあったが、結果的にはどの会場を見回しても「完全なる無観客」で行われていた例はほぼ皆無で、他の種目、他の競技の選手たちをはじめとして、勝手知ったる大会関係者の声援が随所に響き渡っていたから、過度に乱されずにプレーに集中したいアスリートにとっても、気兼ねなく仲間たちを応援したい関係者にとっても、結果的にはベストに近い環境になったのではないかな、と思うところである。

続きを読む

これが新しい時代の幕開けになるのか?~「バーチャルオンリー株主総会開催決定」の報に接して

産業競争力強化法の改正により、一定の要件をクリアすれば「場所の定めのない株主総会」が認められるようになる(産業競争力強化法第66条1項)、という流れになったことを受けて、改正法成立前から定時株主総会に”先取り”的に定款変更議案を提出する、というのは、先の6月総会のちょっとしたトレンドだった。

法案が無事可決され、注目されていた省令(「産業競争力強化法に基づく場所の定めのない株主総会に関する省令」)*1や、審査基準(「産業競争力強化法第66条第1項に規定する経済産業大臣及び法務大臣の確認に係る審査基準」)*2も公表されたことで、続く7月総会、8月総会でも、株主総会を場所の定めのない株主総会とすることができる」旨の定款変更を行う会社はチラホラみられるようになっている。

だが、議決権行使助言会社による反対意見も示される中、「平時においてバーチャルオンリー株主総会を開催する予定はありません。」という説明をする会社が相次いだうえに、比較的積極的な姿勢を示していた会社でも次の定時株主総会までにはまだ1年ある、ということで、現実に「バーチャルオンリー株主総会」なるものが開催されるのは、まだまだ先の話だと思っていた。

k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

ところがここに来て状況は一変、既に事業年度変更のための臨時株主総会開催を予告していた株式会社ユーグレナが、2021年8月5日付のリリースで「場所の定めのない株主総会(バーチャルオンリー株主総会)」を「日本初」で開催することを高らかに宣言するに至った。

www.nikkei.com

これが非上場会社であれば、株主総会なんぞ、「場所の定めがない」どころか「影も形もない」場合の方が遥かに多いから*3、対象を限定せずに「日本初」とやってしまうとミスリードになる可能性はあるが、上場企業というカテゴリーで見れば初めての試みであるのは間違いない。

6月総会で定款を変更した会社の中には、虎視眈々と「第1号」を狙っていたように見える会社も散見されたが、今回のリリースはそんな多くの会社の野望(?)を一瞬で打ち砕く、あっと驚くサプライズだった。


ちなみに、この会社は現時点では9月期決算会社なので、直近の定時株主総会産業競争力強化法改正案が姿を現す前の昨年の12月。ゆえに、定款に「場所の定めのない株主総会とすることができる」旨の規定があるわけでもない。

それでも今回「いきなりバーチャルオンリー」という技が使えるのは、産業競争力強化法等の一部を改正する等の法律の附則第3条1項に、

「附則第一条第一号に掲げる規定の施行の際現に金融商品取引法(昭和二十三年法律第二十五号)第二条第十六項に規定する金融商品取引所に上場されている株式を発行している株式会社(以下この条において「上場会社」という。)である株式会社又は同号に掲げる規定の施行の日(以下「第一号施行日」という。)から二年を経過する日までの間において上場会社となった株式会社が、第一号施行日から二年を経過する日(当該日までに上場会社でなくなった株式会社にあっては、上場会社でなくなった日)までの間に第一条の規定(同号に掲げる改正規定に限る。)による改正後の産業競争力強化法(次項において「新産競法」という。)第六十六条第一項に規定する経済産業大臣及び法務大臣の確認を受けた場合には、当該株式会社は、当該期間においては、その定款の定め(株主総会又は種類株主総会の場所の定めがある定款の当該定めに限る。)にかかわらず、その定款に同項の規定による定めがあるものとみなすことができる。」(強調筆者、以下同じ。)

という経過措置が設けられていることによる。

元々新型コロナウイルスの感染拡大により総会運営に四苦八苦していた上場各社を救済する、という意味合いもあっての経過措置だと自分は理解しているのだが、まさに今首都圏は緊急事態宣言の真っただ中。しかも、今回は臨時株主総会で、決議する内容は実質的に決算期変更に伴うテクニカルなものがほとんど、ということになれば「バーチャルオンリー」を導入するにはうってつけの場面だった、ということになるのだろう*4

この臨時株主総会で定款の一部変更が議題となっているにもかかわらず、産業競争力強化法等の一部を改正する等の法律の附則第3条2項で、

前項の規定によりその定款に新産競法第六十六条第一項の規定による定めがあるものとみなされた株式会社の取締役(会社法(平成十七年法律第八十六号)第二百九十七条第四項の規定により株主が株主総会を招集する場合にあっては、当該株主)が当該定めに基づいて招集する場所の定めのない株主総会においては新産競法第六十六条第一項の規定による定めを設ける定款の変更の決議をすることはできない。」

と定められているために、この臨時株主総会で定款に「場所の定めのない株主総会とすることができる」規定を置くことはできず、仮に今回の「バーチャルオンリー」総会が何の問題もなく成功裡に運営を終えた場合でも、運営をこのまま”恒久化”することはできない*5

ただ、開催日時の欄に「通信障害等の影響により上記日時に開催することができなかった場合には、本臨時株主総会は2021年8月27日午前9時30分に延期する」という但書がわざわざ付されていることからも分かるように、何が起きるか分からないのがこの「バーチャル」総会の難しいところでもある*6

実際やってみて、うまくいけばその実績もアピールした上で、通常開催の定時株主総会で堂々と定款を変更する、そうでなければ、今回の開催はあくまで「特例」として以後は淡々とハイブリッド型で開催する、というのが賢い会社のやり方だし、改正産業競争力強化法の附則も、そういった”お試し需要”を満たすにはちょうど良い加減の作りになっていると個人的には思うところである。

*1:https://www.meti.go.jp/policy/economy/keiei_innovation/keizaihousei/virtual-only-shareholders-meeting_ministerial-order.pdf ちなみにこの省令は、法務大臣経済産業大臣の連名で出されている。

*2:https://www.meti.go.jp/policy/economy/keiei_innovation/keizaihousei/virtual-only-shareholders-meeting_review-standard.pdf

*3:もちろん変更登記等の必要はあるので、きちんとした会社なら議事録上は開催したことにするだろうが、不特定多数の株主を抱える会社でなければ、実際に取締役を集めて会議を開くことまではしない、という会社の方が圧倒的に多いのではないかと思っている。

*4:省令を見る限り、総会に提出される議題の内容にかかわらず、株主が100人以上いて、通信障害対策やインターネットを使えない株主の利益の確保に配慮する方針が示されていれば、法務省経済産業省の確認はクリアできるようにも思われるのだが・・・。

*5:経過措置が適用される2年間はともかく、その後は一度、本来の形での株主総会を開催して定款変更を決議しない限り、「バーチャルオンリー」を継続的に行うことはできない。

*6:実際、これまでに行われたハイブリッド型総会の中には、質疑応答の最中にインターネットの回線が一時落ちていたにもかかわらず、会場で淡々と議事が進行されていた、というようなケースもあって、これが「バーチャルオンリー」だったらどうなっていただろうか?と考えさせられるところもあった。今回の「日本初」のバーチャル総会に関しては、JPX直系の㈱ICJが高らかに開催用のプラットフォームを受注したことを宣言しているから(日本初のバーチャルオンリー株主総会の受注について | 株式会社ICJ)、日本の証券市場の威信にかけても通信障害で・・・とか、システムトラブルで・・・なんて話にはならないと思うのだけれど。

続きを読む

いつだって今日がDAY1~ブログ開設から16年を迎えて

このブログを初めて書いたのは2005年8月4日。

だから、昨年は華々しく「15周年!」でエントリーを上げるはずだったのだが、新型コロナ禍下で慌ただしく日々が過ぎる中、まさかの失念

それまで毎年節目の日には何かしらかそれらしいことを書いていたのに、2020年に限って数か月経って初めて書き忘れていたことに気付く・・・という事態になってしまった。

翻ってこの2021年。

今になって「TOKYO 2020」をやっているくらいだから一年越しで「15th」というネタでも良いか、とは一瞬思ったのだが、この先ずっと1年遅れのエントリーを上げ続けるわけにもいかないだろう・・・ということで、おとなしく16周年記念エントリーとして上げることにする。

そして、それにかこつけて取り上げるのは、春先、入手して早々に目を通しておきながら未だに1ミリも感想を書けていなかったあの本、である。

「今日から法務パーソン」が描き出す世界とその先の未来図

今年の3月、経営法友会で活動されている各社の法務部長、マネージャー格の方々が有志で書かれたものとして出版されたこの本は、ちょうど新入社員の配属や異動のタイミングに重なって世に出たこともあり、あちこちで話題となった。

その時に出ていた感想の中には、好意的なものもあれば、シニカルな批評もあったように思われるが、これまで企業の法務の現場の第一線で長年体を張ってきた方々が、企業内の「法務パーソン」と括られる層に向けて「意識と心掛け」から「行動のヒント」「実務テクニック」、さらには「キャリアを考える」というところまで横断的にメッセージを発信した、という点では極めて高い価値を持つ一冊であることは間違いない。

もちろん、自分自身の法務の「DAY1」がいつか、と言えば、このブログの開設の時よりさらに昔に遡る*1から、本書の想定読者層からはかけ離れているのだが、一方で、自分とほぼ同世代のマネージャー層の方々が日頃どんな思いでマネジメントをしておられるのか、ということに改めて触れることができたのは良かったと思うし、同じ立場にいたことがあるからこそ共感できる箇所もそれなりにあったような気がする。

実務テクニック、という点で言えば、特にお薦めなのは、「07 契約レビューのコツ」「08 法律相談を受けるとき」の2つの章で、「上から押しつけがましい説教を聞かされるのは嫌」というタイプの方でも、この2章だけは必読だろう。

「契約レビュー」に関しては、一般的によく言われる「事実関係の確認と法的論点の洗い出しが、法務の仕事の起点となります。」(63頁)、「本当に契約が必要なのか、と考える客観的な事実確認の視点が必要です。」(65頁)といった基礎に一通り触れた上で、

「契約交渉時に徹底的に戦って完全に負けとなる条項を受け入れるくらいなら、あえて曖昧にして戦いを先送りするという作戦もあります。」
「ときに、やりたいことが曖昧なまま、契約交渉を始めるからと法務部門に契約書のひな形を要請してくる人もいますが、本来はそれは順番が逆で、取引類型や契約ひな形に当てはめてビジネスを始めるのではありません。」(67頁)(強調筆者、以下同じ)

といった”常識を覆す”ところまで踏み込んで言語化し、さらに、自社に有利な条件を一方的に勝ち取ろうとすることの愚についても触れた上で、「想像力」と「創造力」の重要性を説く・・・ということで、限られた紙幅の中に契約書審査に必要なエッセンスが見事なまでに凝縮されている*2

また、「法律相談を受けるとき」の章では、相談者側の心理や、相談者が使いがちなフレーズ*3、さらに相談者側のアプローチに応じたコミュニケーションのテクニックまで、これまた見事に描かれていて、執筆者の経験の豊富さ(とこれまでのご苦労)が随所に感じられる中身となっている。

「法務パーソンの行動」に関する章でも、個人的に光っていると思えたのは「04 案件にはこう向き合おう」で、特に「納期」に対する意識づけを徹底した上で、「仕事には必ず後工程がある」ということを強調しているくだりや、「仕事は1人でするものではない」という見出しの下、

「あなたがわからないことでも、誰かがわかれば、会社としてはそれはまったく構わないということです。」
「あなたの経験や知識だけでは、成果が出ないことも、他人の知識や経験を借りることで、より大きな成果が出せることがあるということです。」
(41頁)

と書かれているくだりは非常に印象に残った。

法務以外の分野で仕事をしてきた方々から見れば、「何でそんなことをわざわざ書くの?」という中身ではあると思うのだが、これは、企業法務系の法律事務所から有資格者を迎え入れた時にマネジメント層が一番頭を悩ませるポイントでもあるわけで、執筆者の方がこの章でこれを書かれた背景も薄々察しが付くだけに、自分としてはとにかく読むべし、というほかない。

それ以外の章に目を移せば、細かい突っ込みどころは当然ある。

「13 法務パーソンの情報収集アイテム」の章で、「法務の『今』を適切なバランス感をもって、説得的な文体で発信している」として、当ブログが「法務初心者であるあなたにも、安心して読めるものとしてお勧め」された(123頁)ことについては、感謝こそすれ不満を申し上げるようなところではないはずだが、気づけば「DAY1」からは遠く離れたところまで来てしまった自分が「今」語る言葉を「初心者」の方に安心して読ませられるか、と言えば、自分自身がかなり懐疑的(苦笑)だったりもする*4

あと、これは個人的な価値観ともかかわる話かもしれないが、以下のようなフレーズはちょっと引っかかる。

・「優れた人材の朝は早いものです。なぜなら一日の準備を誰よりも早く入念に行うから。これは、世界で共通する、優秀なビジネスパーソンの生活習慣です。」(54頁)
・「毎朝、新聞を読んで、始業時間までに十分な準備を行う。これが優秀な法務パーソンへの第一歩です。」(127頁)
・「あなたが会社組織の中でキャリアを積み上げていきたいならば、会議や宴席のアレンジから逃れることはできません。」(102頁)

最初の2つに関しては、確かに企業経営者からビジネス系弁護士まで「朝型」をウリにする人々がいるのは確かだが、そういう方々がこぞって優秀、というわけでもあるまいし、洋の東西を問わず、経営者、担当者、さらには弁護士に至るまで、高名な方々の中にも「朝を得意としない」人々が少なからずいる、ということは長く仕事をしていれば当然分かる。

ここで大事なのは、「次にすることの準備を先手を打ってしておく」ということであって、朝早くから仕事を始めることでは決してない*5

また3つ目のものに関しては、「会議」と「宴席」を同列に並べてしまっている時点で個人的にはあり得ないと思っている*6

自分自身、「若手はとにかく朝早く来い(ついでに部長の机も拭け)」という時代に担当者をやっていた世代で、会議の手配も宴席の手配もお腹いっぱいになるほどやっていたが、その時思ったのは、「意味のないことは絶対に自分の代で終わらせてやろう」ということだったわけで、実際、そういった悪弊の多くは自分が管理職になった後、名実ともに消えた。

今でもそういったものが必要、という価値観があるならそれを否定するつもりはないが、この令和の時代(しかも新型コロナ禍のさなか)に、わざわざ「初心者」に向けて書くことではないだろう、と思う。

続いて、

「逆に自社のビジネスと関わりがあまりない法律分野は、趣味として位置づけることが必要でしょう(それよりも会計学や、経営学、語学を学んだほうがいいと思います。)。」(129頁)

という記述にも首を傾げた。

この変化の激しい時代にそもそも「自社のビジネスと関わりがあまりない法律分野」なるものがあるのか?という問題があって、自分自身、「そんなもんやっても、うちの会社で使える場所はないよ」と言われながら、ニッチな分野を長く追いかけていて、結果的に数年後のそれが業務上のホットイシューになった、なんてことはよくあったから、自ら学ぼうとしている人に向かって「趣味」と言ってしまうのはどうかな、と思う*7

あと、「キャリア」について考える最後のパート、特に「16★ 20年後のあなたをシミュレーション」という章は、執筆された方のキャリア観がうかがえてなかなか興味深いのだが、

「あなたの会社の歴代の法務部長のキャリアを調べてみると、かつて人事部門や経理部門で活躍した経験を持つ人はいますが、法務パーソンとして活躍した経験を持つ人はいません。この会社は、あまり法務関係者のステイタスが高くない会社なのかもしれません。このようなケースでは、間違いなく転職を考えたほうがよいでしょう。」(154頁)

といった記述などは、「法務初心者」に読んでいただくコンテンツとしては、あまりに刺激が強すぎるのではなかろうか*8

*1:もっともこれは「法務パーソン」の定義にもよるわけで、「法務」と名の付く部署に配属された時を「DAY1」とするのであれば、歴史的にはもう少し後の話になるが、いずれにしても昔のことであることに変わりはない。

*2:弁護士の解説からテック系企業のプロモーションまで、巷にあふれている”教科書的な”「契約審査の心得」に比べると、格段のレベルの違いを感じさせる中身である。

*3:ここでは、「一般的に○○について法務部門の立場からどう考えますか」と「今、急いでいるので至急法務部門の見解がほしい」という2つのフレーズが取り上げられている。

*4:作者が歳を取れば、想定読者層もそれに合わせて自ずから変わっていくわけで、特に仕事系の小ネタに関しては、「少年ジャンプ」から「ビッグコミック」とか「モーニング」(島耕作が今部長あたり・・・)の”作風”に変わっていると思うので、純粋な若者にお勧めするには・・・といったところだろうか。もちろん、小学生、中学生が「ビッグコミック」読んじゃいかん、というつもりはないのだけれど。

*5:「その日のうちにできることはその日のうちに済ます」という行動規範を徹底すれば、次の日の朝にわざわざ早出する必要は本来ないはずなのである。

*6:「会議」の段取りを整えることは(中身にもよるが)仕事を進める上でも重要であることが多いが、宴席はどこまで行っても「宴席」に過ぎないのであって、それを業務の一部と捉えるような時代では今はない。

*7:もちろん会計だとか組織論、語学といったものは当然平行して身に付けておく、というのが前提条件ではあるのだけれど、「業務に必要な知識だけ身に付けておけばよい」という発想だと自ずから視野が狭い社員になってしまう、ということには常に気を配る必要があるように思う。

*8:そもそも会社組織などというものは、絶対不変なものではなく常に変化する「生き物」だと思った方が良い。そして、ここで想定しているのが「20年後」の姿なのだとしたら、その時の会社の組織とか部門間の力学がどうなっているかなんて誰にも分からないのだから、「今、法務部長が法務パーソン出身ではない」という理由で転職を考える、なんて早合点に過ぎるではないか、と思ってしまう。

続きを読む
google-site-verification: google1520a0cd8d7ac6e8.html