「震える手」で動かした先にあるもの

今朝の日経紙朝刊、「陸奥宗光」から始まる、ともすれば見逃してしまうくらい地味だがズシリと刺さったコラムがあった。書き手は斉藤徹弥上級論説委員

「土地は公のもの」震える手で

という見出しの記事である*1

何といってもインパクトがあったのは、中盤に訪れる以下の一節。

「地租改正150年の今年、政府は所有者不明土地問題で公共の福祉を優先した土地所有権の抑制に踏み出す。4月に始まる相続土地国庫帰属制度をアメ、来春からの相続登記の義務化をムチとし、めざすのは「土地は公のもの」という意識の醸成である。」(強調筆者、以下同じ)

改正法の第一次施行まで既に2か月を切った今の段階でもそこまで大きな話題にはならず、ひっそりと始まりそうな気配すらある今般の民法不動産登記法改正だが、ここで土地所有権の「抑制」というストレートな表現が使われていることには、素直に驚きを感じた。

そう、今回の改正法、特にあまり注目されていない「民法」側に仕掛けられた改正内容をよく見れば、その狙いがこれまでの「強すぎた」所有権に対する「抑制」にあることは明確だ。ただそれを言葉にした時の重さとハレーションの大きさゆえ、「所有者不明土地対策」というお題目にまぶして、多くの人々がそれを正面からは指摘してこなかったという現実がある。

それがここに来てストレートに表現されたことに、自分はある種の爽快感と痛快さ、そして身震いしたくなるような怖れすら感じる。

さらに続く記事。

憲法の財産権がかかわる土地所有権のあり方を転換する大事業に、さほど甘くないアメとわずかなムチでそろりと踏み出すのはまさに「着眼大局、着手小局」だ。大構想も小さな実践から始まる。」
「実際、脱線の懸念はある。所有者不明土地問題は政治主導で進んできた。「土地は公のもの」と唱える先に、公共事業を強引に進める思惑が見え隠れするようでは危うい。」
「都市計画の専門家にも一気に欧州のような厳しい建築規制にすべきだとの声がある。目標はそこにあっても、いきなり個人の土地所有権を制限すれば反発や混乱を生み、目標達成を逆に難しくする。」

土地を公共のために使いやすくする、ということが今回の改正の主眼であることは疑いようもない事実だから、「公共事業を進めること」を脱線と評するのはいささか言い過ぎな気もするが、急進的に過ぎる動きが目標達成を妨げる結果を生む可能性については自分も同感である。

そして、これに続く以下のフレーズが、この記事のハイライトになっている。

『震える手でしか法に触れてはならない。立法者たちがそこまで厳格さを守り用心を重ねることで、法は神聖だと人民は結論するはずだ』一連の土地法制の改革に携わった山野目章夫早大大学院教授は、このモンテスキューの言葉を引き合いに、大きな改革ほど丁寧さが大切だと説く。」

そう、自分もまさに新たなルールを作ろうとする時に求められるのはこれに尽きる、と思っている。

それはただのノリか勢いか、はたまたファッションのつもりか?というような「パブリックアフェアーズ」はこれまで散々眺めてきたし、その多くは無残にも散っていった。

でもその陰で、ひっそりと、だが着実に「岩」を動かしたのが「令和の土地法制改革」であり、それが少なくとも法施行の段階にまで辿り着けた背景に「手を震わさんばかりの繊細さ」があったことは疑いようもない。緻密なストーリー作りに始まり、役所間さらには政官財までまたがった根回し、そして法律ができた後も様々な可能性をベールに包んだままの”優しい”説明が続いているからこそ、施行日を目前に控えた今になっても、ブーイングを見かけることは稀である。

だからこそ、ことの核心に触れたこのコラムには、非常に読み応えがあった。

おそらく、法が施行され、様々な仕掛けが実際に動き出せば、ベールに包まれていた改正法の神髄も表に出てくるようになるだろう。

今回のコラムは、様々なものを暴きつつも、向かっている方向性それ自体は支持するトーンの強い記事になっているが、いずれ、そうではない、より反対側に尖った論陣が張られることだって十分あり得る話である。

だが、仮にそうなったとしても、自分は、一度動かされた時計の針が逆回転することは決してない、と信じているし、「気付いたころには世の中変わっている」、そんな世界が現実のものになっていることを強く期待している。

泣いても笑ってもあと1ヶ月ちょっと。決してそれはゴールではなく、新しい世界の始まりの小さな一歩に過ぎないのだけれど、今はその瞬間をしっかりと見届けたいと思っているところである。

*1:日本経済新聞2023年2月15日付朝刊・第7面「中外時評」

確変。

日本にいる時から一流の資質を備えた選手だ、ということには気付いていたつもりだったのだけれど・・・。

プレミアリーグブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンFC所属、三笘薫選手の快進撃が止まらない。

川崎から欧州に渡り、W杯予選では天王山のアウェー・オーストラリア戦で途中出場から2ゴールをたたき込む活躍。ベルギーで実績を積んで無事レンタル元への復帰も果たし、選手としてのキャリアは順風満帆、ただし、世界的な知名度は決して高いとはいえず、”欧州組”が揃う日本代表の中ですら「主役」を張るにはまだまだ、という雰囲気だったのがW杯前の彼だった。

それが、ドイツ戦の途中出場で一気に流れを変えて勝利を手繰り寄せ、スペイン戦では「奇跡の1ミリ」を演出。

クロアチア戦では、疲労で足が止まった日本選手たちの中で延長戦に入っても可能性を感じさせた唯一の選手となった。

そして、大会終わって復帰したところから始まったプレミアリーグでの怒涛の快進撃・・・。

殻を破った選手の進化のスピードほど恐ろしいものはない。

もはや代名詞となった左サイドのドリブル突破は試合を重ねるたびに凄みを増し、さらに新しい才能を引き出していく。

前の週末のFA杯リバプール戦で見せたフェイントからの美しい決勝ゴールが多くの人々の脳裏に焼き付けられ、観衆の熱い視線と相手チームの徹底したマークが集中した土曜日、ボーンマス戦の試合終了間際に、まさかのヘディングシュートで再び決勝点を奪ったシーンを目撃して、これはもう、とてつもない「確変」が起きていると感じたのは自分だけではあるまい。

ちょうど今週、日本で発売されたNumber誌に、カタールW杯の総括と「4年後」に向けた日本サッカー界の展望を語る特集が組まれていたのだが、そこで表紙を飾っていたのは、同じ「東京五輪世代」でも堂安律選手のほうだった。

確かにあの大舞台での2ゴールは、当時のインパクトとしては絶大なものがあったし、その余韻が残る中で企画を組んだのであれば、堂安選手が「主役」に据えられていたとしても、本来何ら違和感はなかったはず。

だが、今、まさにリアルタイムで起きている現実を眺めながらこの雑誌を開くと、思わず「なんでトップ記事が三笘じゃないんだ?」と感じてしまう、それこそがこの数週間のうちに起きている出来事のインパクトを如実に表している。

涙もろい日本人は、コンディション不良でベンチ入りすらままならなかった東京五輪で最後の最後に見せた意地が今日のこの活躍につながっている、と思うだけで感慨に浸ってしまうのだけれど、当の本人にしてみれば、おそらくまだまだなんてことはない通過点。

このままの勢いでシーズン終了まで走り切ったら、次に待っている世界はビッグ4か、はたまた巨星たちが集うさらなるビッグクラブか。想像はいくらでも膨らんでいく・・・。

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2023年1月のまとめ

1年前のこの時期も寒い寒い、と言っていた気がするが、今年は特に月後半、東京はしばらく経験したことのなかったような寒波に襲われた。

これも異常気象であることに違いはないのだが、いわゆる「温暖化」とは逆行してないか?今世界中でやっている「対策」の方向性って、もしかしたら明後日の方向を向いてるんじゃないか、なんてことすら思いながらも時の流れは容赦なく、あっという間に過ぎていった1月。

首相の「5類」化宣言で、名実ともに「新型コロナの3年」は終わろうとしているし、オミクロンで騒いでいた1年前との比較でも、道行く人、電車の車内の人、どこに行っても見かける人の数は増えた。そして連日のように飛び込んでくる飲み会、したたかにコロナ禍を乗り切った店たちはどこに行ってもほぼ満席。これが本当の日常だ、と改めて感じる。

だから、というわけではないが、例年は「新年ムード」で比較的更新頻度が多かった1月であるにもかかわらず、今年はパタッと止まってしまった。

ページビューは11,500くらい、セッション8,000強、ユーザーも5,000をちょっと超えるくらいだから、相変わらずの低空飛行。

年末に仕込んだ本も雑誌も、ほとんどはまだ読めていないし、何とか読んでも感想をエントリーに上げる暇などとてもない。

目の前に迫りくるものへのアウトプットに追われ、そのためのささやかなインプットでお腹いっぱいな日々。それでもそれなりに幸福感を味わえる今を良しとするかどうか。仕事に切れ間ができたら考えよう、なんて思っていたらいつまでたっても考えるタイミングは来ないだろうな、といった感じの状況ではあるのだが、人に頼られるうちが華。暖かい季節になるまでは、このスピードで駆け抜けたいと思っている。

<ユーザー別市区町村(1月)>
1.→ 大阪市 349
2.→ 千代田区 265
3.→ 港区 211
4.→ 横浜市 145
5.↑ 渋谷区 109
6.圏外札幌市 106
7.↓ 名古屋市 104
8.↑ 世田谷区 102
9.↓ 神戸市 93
10.↓ 新宿区 86

気になる動きとしては、雪に祟られた札幌の躍進と新宿区の凋落ぶりだが、それが何に起因するかは知る由もない。

続けて検索ランキング。

<検索アナリティクス(1月分) 合計クリック数 2,866回>
1.↑ 知恵を出さないやつは助けないぞ 302
2.→ 企業法務戦士 113
3.↑ 知恵を出さないやつは助けない 74
4.↓ シャルマントサック 裁判 50
5.↓ 学研のおばちゃん 46
6.圏外知恵を出さない奴は助けないぞ 38
7.→ 東急グループ 序列 35
8.↓ 学研のおばちゃん 現在 35
9.圏外知恵を出さない奴は 32
10.圏外企業法務 ブログ 13

この「知恵を出さないやつは・・・」シリーズの隆盛も、何が背景にあるのかさっぱりわからないのだが、あの震災は未だ終わらない、とでも解釈しておこうか。

そして最後に、Twitterの最多インプレッション数だったエントリーはこちら↓*1
k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

本当は、インプレッション数33,000強、という、KADOKAWA調査委員会報告書関係のツイートもあって、これでタイムリーにエントリーが書けていれば・・・という悔いはちょっと残るところではあるが、事実関係の部分を読み込まずに軽々に書くのもよろしくないな、と思うので、体が空くまでもう少しお待ちいただければと・・・。

*1:といっても、数としてはわずか1,604で、お恥ずかしい限りだが・・・。

知財高裁に救われたルブタン

判決自体は昨年末に出ていたようだが、地裁判決の時とは違って判決時点での報道はほとんどなく、しかも、最高裁のウェブサイトにアップされるのが遅れたためか、今週くらいになってようやく話題になった「ルブタンのレッドソール」の不正競争行為差止請求事件。

ルブタン側が控訴しても結論に変わりなし、というところだけを見て、まぁ仕方ないだろうな、と思いながら週末ようやく判決文に接することができたのだが、それを見ての感想は、地裁判決の時とは180度異なるものだった。

請求棄却であることに変わりはなく、「ルブタン側の実質勝訴」と言ってしまうとさすがに言いすぎ、という内容でもあるのだが、思わず「最初からこの判断で良かったのに・・・」と思ってしまった知財高裁判決を、以下簡単に取り上げておくことにしたい。

知財高判令和4年12月26日(令和4年(ネ)第10051号)(第4部・菅野雅之裁判長)*1

控訴人:クリスチャン ルブタン エス アー エス
被控訴人:株式会社エイゾーコレクション

昨年の3月、東京地裁の民事40部が書いた判決の衝撃がいかに大きかったかは、本ブログでも、「残酷な日本の不競法」というフレーズとともにお伝えしたところである*2

原告が主張した「靴底の赤」の「商品等表示該当性」をとにかく徹底的に否定した、というのが、地裁判決のハイライトであり、突き抜けた個性だった。

それゆえ、第2ラウンドとなった控訴審での控訴人(原告)側の主張も自ずから激しいものとなった。

地裁判決が示した「商品等表示」性にかかる判断手法に対しては、

「原判決の示す判断基準は、端的に商品等表示の識別力が問題とされてきた従前の裁判例の判断方法を逸脱する不合理なものである。」(控訴人主張・5頁)

と強烈なパンチを放っているし*3、「混同のおそれ」を否定した地裁判決の論拠に対しても、「③原告商品のような高級ブランドを購入する需要者は、自らの好みに合った商品を厳選して購入しており、旧知の靴であれば格別、現物の印象や履き心地等を確認した上で購入するのが通常である」という点について、

「③については、アパレル業界におけるEC市場の浸透という実態を無視した前時代的判断というほかなく、原告商品についても、近年、公式オンラインショップで年間約2800万円もの売上があり、実店舗で実物を確認せずにECサイト上で商品画像を視認するのみで購入する顧客が相当数いることは明らかである。また、ハイヒールを購入する際には、靴の形状、外観に加え、どのような洋服と合うか、どのような機会に履くのが最適な靴であるかによって商品購入を選択しており、履き心地を確認し、それからデザインを選ぶという購入行動は一般的ではない。」(控訴人主張・9~10頁)

と、ハイヒールを履いたことも選んだこともない奴らに何が分かる!と言わんばかりの痛烈な主張が展開されている*4

後者の主張に関しては、ECサイトの画像だけで比較しても混同することはないだろう、というのが本件の実態だったりもするから、ここで争うことにどれだけの意味があったか、と言えば疑問も残るところだが、いずれにせよ、要約されたものだけを読んでも、かなりの必死さが伝わってくる主張だったのは間違いない。

そして、その熱気が伝わったのかどうか、知財高裁は本件の結論を導くためのアプロ―チを大きく改めたのである。

「以上のとおり、仮に、被告商品の靴底に付された赤色が原告表示に類似するとしても、原告表示を付した原告商品であると誤認混同するおそれ(広義の混同を含む。)があるとはいえないから、原告表示が不競法2条1項1号に規定する「他人の商品等表示」に該当するか否かについて判断するまでもなく、被告商品の販売等が同号の「不正競争」に当たるとはいえない。そうすると、被告商品の販売等が不競法2条1項1号の「不正競争」に当たることを前提とした控訴人らの請求は、その前提を欠くものであるから、その他の争点について判断するまでもなく理由がない。」(29頁)

不正競争防止法2条1項1号に基づく請求に関し、「商品等表示性」について一切論じることなく「混同のおそれなし」一本で請求を退けるシンプルさ。

「被告商品と原告商品は、価格帯が大きく異なるものであって市場種別が異なる。また、女性用ハイヒールの需要者の多くは、実店舗で靴を手に取り、試着の上で購入しているところ、路面店又は直営店はいうまでもなく、百貨店内や靴の小売店等でも、その区画の商品のブランドを示すプレート等が置かれていることが多いので、ブランド名が明確に表示されているといえ、しかも、それぞれの靴の中敷きにはブランドロゴが付されていることから、仮に、被告商品の靴底に付されている赤色が原告表示と類似するものであるとしても、こうした価格差や女性用ハイヒールの取引の実情に鑑みれば、被告商品を「ルブタン」ブランドの商品であると誤認混同するおそれがあるといえないことは明らかというべきである。」(26~27頁)

自分も、この点に関しては全く違和感はない。そしてこの「混同のおそれ」の有無でこれほどすんなりと結論を導くことができる本件でなぜ地裁判決は「商品等表示」該当性の争点にあそこまでこだわったのだろう?、ということまで考えざるを得なかった。

知財高裁は続く不正競争防止法2条1項2号に基づく請求に関しても、「著名性」をざっくりと否定して紛争を終わらせた。

「靴底が赤色の女性用ハイヒールは、原告商品以外にも少なからず我が国においては流通しており(略)、女性用ハイヒールの靴底に赤色を付した商品形態を控訴人らが独占的に使用してきたものとはいえない。 また、本件アンケートは、東京都、大阪府、愛知県に居住し、特定のショッピングエリアでファッションテム又はグッズを購入し、ハイヒール靴を履く習慣のある20歳から50歳までの女性を対象としたものであるが、本件アンケート結果によると、靴底が赤いハイヒール靴を見たことがないものを含め、原告表示を「ルブタン」ブランドであると想起した回答者は、自由回答と選択式回答を補正した結果で51.6%程度にとどまる(なお、本件アンケート調査結果では、赤いハイヒール靴を見たことがある人に限定して認識率を評価するのが適切であるとするが、本件アンケート調査は、主要都市で、しかも、ファッション関係にそれなりに関心のあるハイヒール靴を履く習慣のある女性を対象としたものであり、その当否についても疑義がある上、そこから更にこうした限定を付すことは明らかに相当でない。)。この結果によれば、原告表示は、一定程度の需要者に商品出所を認識されているとはいえるが、それが著名なものに至っているとまでは評価することができない。 」(29~30頁)

かくして本件は一件落着。

そして、どうやっても控訴人(原告)の請求を認めるのが難しかった(そもそもの価値判断として、原告側の請求すんなり認める形での結論は導きにくかった)本件では、「色彩の商品等表示性」という難易度の高い争点にはあえて結論を出さず、分かりやすく切れる部分で切る、というアプローチをとることにも、自分は違和感を抱かなかった。

この「ルブタンのレッドソール」に関しては、もう一つ、「色彩商標としての登録可否」という大きな戦いがまだ残っているところではあり、こちらの方では、商標としての独占適応性等についても、より踏み込んだ判断がされることを願っているが、それはそれ、これはこれ。

被控訴人側はもちろん、控訴人にとっても、今回の判決には決して小さくない(ポジティブな)意味があると思うところである。

*1:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/695/091695_hanrei.pdf

*2:k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

*3:確かに、この点に関する地裁判決の説示は何度読んでも分かったようなわからないような・・・というところはある。

*4:ちなみに地裁判決を書いた合議体の裁判官は全員男性のようである。

突きつけられたリミットと未だ消えぬ疑問

JPXが昨夏から始めた「市場区分の見直しに関するフォローアップ会議」。

第1回の頃から既に不穏な空気が漂っていたのだが*1、その流れは遂に変わらないまま、残酷な結論が示された。

東京証券取引所は25日、プライム市場などの上場基準に満たなくても暫定的に上場を認める「経過措置」を実質4年で終わらせる案を発表した。経過措置は2022年4月の市場再編を起点に3年で終了し、その後1年の改善期間を設ける。それでも基準を満たせなければ監理・整理銘柄に指定され上場廃止になる。プライム市場で基準を満たしていない約270社は上場維持に向けた経営改革が急務となる。」(日本経済新聞2023年1月26日付朝刊・第1面、強調筆者、以下同じ)

JPXのウェブサイト(市場区分の見直しに関するフォローアップ会議 | 日本取引所グループ)には、この会議の毎回の配布資料と議事録が掲載されているのだが、年明け1回目、1月10日の時点では、「速やかに経過措置の取扱い方針を決定し・・・」となっていた「今後の東証の対応(案)」の記載*2に、具体的な「終了時期」の案が付け加えられ*3

2025年3月以後に到来する基準日から、本来の上場維持基準を適用
基準に抵触し、1年以内(改善期間)に改善しなかった場合は、監理銘柄・整理銘柄(原則として6カ月間)に指定
(スライド4頁)

という文字が残酷なまでに躍っている。

記事になっていなかったところで、対象となる会社にとって唯一朗報(?)かもしれないのが、

「施行日の前日において、2026年3月以後最初に到来する基準日を超える期限の計画を開示している会社については、明確な期限の定めがない中で策定された計画であることや、計画に基づき着実に進捗している会社もあることを踏まえ、計画期限における適合状況を確認するまで監理銘柄指定を継続」(スライド4頁)

というくだりだろうか。

既に公表されている計画書では、改善に向けた達成期限を「2027年3月期中」とうたっている会社も相当数あったし、中には「2030年12月期」とか「2032年3月末まで」としている会社もあるから、そういう会社にとっては、リミットが過ぎても形式的には現市場にとどまれる、という点では意味がある。

ただ、そうはいっても、ずっと「監理銘柄」という扱いを受けるのは決して居心地の良いものではないし、ある程度常識的な範囲(2024~2025年あたり)でターゲットを設定していた会社は、ちょっと目算が狂えば早々に市場からの退出(よくて降格)を余儀なくされるのに、「いいのかこれ?」と突っ込まれるようなロングスパンで計画を出した会社(裏返せば、3年や4年では到底基準をクリアできないレベルの会社)の方が長く上位市場への上場を維持できる、というのも、何とも矛盾した話のように思えるから*4、実質的には2027年3月頃までには”決着”が付くのだろうな、というのが現時点での印象。

となると、”崖っぷち”の会社にとっては、まさにここからの2~3年が正念場、ということになる。

この話に関しては、何かと「プライム市場」の基準未達組が注目されがちだが、これらの会社の場合、

「転んでもスタンダード(市場)」

だからまだ良い。

本当に大変なのは、現在スタンダード市場で基準未達、それも「流通時価総額」という、もっともコントロールが難しい指標に抵触してしまっている会社である。

21年6月末の基準日時点で元々120社くらい存在したところに、その後のウクライナ情勢等の影響も受けた株価低迷で、さらに20社程度、追加で「基準割れ」を起こしているのが今の実態*5

投資家の目線でいえば、「たかだか流通時価総額10億円の基準もクリアできないような会社は、MBOするなり、どこかに買われてしまえばよい」ということなのかもしれないが、どんな会社にも、「その会社が上場していること」に誇りを持つ社員はいるし、ステークホルダーもいる。

そもそも、どんな会社でも株式を広く流通させ、市場の規律の下に置くことで、会社やそこで営まれる事業の透明性を確保し社会に資する、というのが、「上場」というフェーズが持つ本来の意義だったはずで、「株価が伸び悩んでいるなら市場から出ていけ」というのは、伝統的な株式公開の思想とは相反する面も多い、ということは、ここで指摘しておかなければならないと思っている*6

ちなみに、記事にはなっていないが、同じタイミングで公表されている「市場区分の見直しに関するフォローアップ会議の論点整理(案)」*7には、「コーポレート・ガバナンスの質の向上」と題して、以下のような恐ろしいことも書かれている。

「例えば、「検討中」というエクスプレインのまま、数年間も放置している事例があるなど、コンプライ・オア・エクスプレインが形骸化している企業が見られることから、東証からコンプライ・オア・エクスプレインの趣旨を改めて周知するとともに、エクスプレインの好事例や不十分な事例等を明示し、適切にコンプライ・オア・エクスプレインを実施していない企業に対しては、必要に応じて改善を促していくべき」(スライド8頁)

「コーポレート・ガバナンスの質の向上にも注力すべき」という主張自体には何ら異論はないのだが、自分のこれまでの経験上、「検討中」と記載して「エクスプレイン」を行っている会社は、多くが良識派の会社だったりもする。

求められていることが大事だ、ということは良く分かっているから、無理に突っぱねるようなエクスプレインはしない。だからと言って、完全にできていないものを「コンプライ」とするのは抵抗があるから、真面目な担当者は正直に「検討中」と書いて「エクスプレイン」の扱いにする。

これを「不適切」と決めつけた時に次に何が起きるかと言えば、一部の大手企業がやっているような、「形だけのコンプライ」の跳梁跋扈になることは、火を見るより明らかだろう。

本当に「質の向上」を図りたいのであれば、「エクスプレイン」をしている会社の重箱の隅をつつくより、「コンプライ」している会社に「中身」があるかを検証する方が先でなければいけない、と自分は思っている。

そして「上場維持基準」の問題ともども、現実に会社の中で起きている問題に気付き、的確に指摘する有識者の声が様々な政策に反映されるようになるまでは、どんな形であれ、声は上げ続けなければならない、とも、思っているところである。

*1:当時のエントリーは↓k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

*2:https://www.jpx.co.jp/equities/improvements/follow-up/nlsgeu000006gevo-att/co3pgt0000005cca.pdf

*3:https://www.jpx.co.jp/equities/improvements/follow-up/nlsgeu000006gevo-att/fi1l5r0000000tc8.pdf

*4:なお、今から計画を修正して、当初の予定よりも達成期限を後にずらすことで”特例”の恩恵にあずかることも理屈の上では可能だが、それに対しては「当取引所において変更理由等を慎重に確認」することとされており、そう簡単には認めてもらえないような気がしなくもない。

*5:プライム市場でも新たに「基準割れ」となった会社が20社弱いることからも分かるように、「流通時価総額」の基準を満たせるかどうかは、相場の地合いにかなり左右される面が大きいため、個人的には機械的に引いた一線の数字を超えたかどうか、だけで上場基準の充足性を判断するのは合理的ではないと思っている。

*6:もちろん、下位市場で株価が低迷している会社の中には、そもそもガバナンス面も含めて上場を維持させるに値しない、という会社が一定数存在するのも確かだから、「そういった会社をフィルターにかけるための選別が必要なのだ」と言われてしまえば、一応話を聞かざるを得ないところはあるのだが・・・。

*7:https://www.jpx.co.jp/equities/improvements/follow-up/nlsgeu000006gevo-att/fi1l5r0000000tc3.pdf

いつまで続くかこのブーム。

昨年暮れくらいからの傾向が、年が変わってもまだ続いている。

日経紙の紙面を開けば、「賃上げ」。そして「リスキリング」

有名な企業がバスに乗り遅れるな、とばかりに「全社員向けにDX教育を実施」という、冷静に考えればただの内輪の話を外向けにぶち上げ、それがなぜか大きな見出しで記事になり、それに続けて「日本もジョブ型雇用に・・・」という、これまた冷静に考えれば、あまりに短絡的な解説がそれに続く。

もう一つの「賃上げ」も、物価上昇のトレンドが日本にも及び始めた昨秋以降、官邸から経済団体に相当なプレッシャーがかかったのか、ひと昔前の人事労務担当者が見たら腰を抜かすような「賃上げこそ正義!」ムードが政財界に蔓延する中、次々と大手企業が大幅な給与水準引き上げを発表。

でも、よくよく話を聞くと、大幅に引き上げられるのは「入り口」の給与だけで、世代が上がれば上がるほど恩恵は薄くなる。

そうこうしているうちに、世界を見回せば”インフレ”のトレンドは過去のものになりつつあり、様々な指標が深刻な景気後退の兆候を示し始めているのではあるが、一度やると決めたら社長が変わるまでやめられないのが典型的な日本企業。

抜けなければならない嵐を前に、わざわざ積み荷を重くして荒波に漕ぎ出そうとするこの状況を勇敢とたたえるべきか、それとも・・・。

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何がこの差を付けたのか?

年始の恒例行事となっている「JRA賞」の発表。

そして、今年も年度代表馬に選ばれたのは3歳(明け4歳)馬だった。

www.jra.go.jp

未だ多くの競馬ファンに昨年末の有馬記念の余韻が残っている中での投票結果発表だから、イクイノックス年度代表馬に!という結論に真正面から異を唱える声は少ない。

時期的なことを考えても、客観的な能力評価の観点からも、3歳と古馬が入り混じって戦う秋以降のGⅠ戦線での結果が、記者投票の結果に影響する、というのは当然のことだと思うし、それは決して今年に限ったことではない。

ただ、冷静に振り返ると、今年の春先、日経賞から始まったタイトルホルダーの快進撃を目にした時、自分は今年の年度代表馬はこの馬を措いて他にいないだろう、と確信していた。

春の天皇賞宝塚記念、というビッグレースを、堂々の逃げ切りで勝ちきった強さはまさに規格外。

にもかかわらず、同じく「GⅠ2勝」に過ぎない3歳馬・イクイノックスに「282対6」という圧倒的大差を付けられて敗れることになるとは・・・。

満を持して臨んだはずの凱旋門賞で大敗したのが悪いインパクトを与えた、ということは間違いなくあるだろうし、年末・有馬記念の「直接対決」で全く見せ場を作れなかったのも痛かった。

ただ、相手は善戦を続けたとはいえ、春のクラシック戦線で1勝もできなかった馬である。

昨年の年度代表馬・エフフォーリアも、真の存在感を示したのは秋以降だったとはいえ、春の時点でGⅠタイトルを1つは押さえていた。その馬が277票。

それなのに、今回のイクイノックスの方が票の絶対数が多かった、というのは、いろいろ考えさせられるところがあって、歴史に名を残すことを考えた時に、凱旋門賞に挑むことが馬にとって本当に良いことなのか、そろそろそれを改めて考え直す時に来ているのかもしれないな、と思ったりもしている*1

また、「直接対決の勝者」を選ぶのが自然なこの投票において、唯一例外となったのは「最優秀障害馬」部門

オジュウチョウサンを「功労馬」として称賛することは自分も全くやぶさかではないのだが、年末の中山大障害での圧勝劇をみれば、「2022年を代表する馬」としてはニシノデイジーの方がふさわしかったような気がしていて、「138対137」とわずか1票差での決着とはいえ、関係者にはあまりに酷な結果のように思えてならなかった。

「黄金世代」の馬たちが揃って引退を表明してから1年、秋にはイクイノックス等の台頭で「古馬が抜けた穴」を完全に塞いでくれたこともあって、1年前の心配*2は、ある意味杞憂になったところはある。

ただ、次々と新しい”主役”が出てくるような時代だからこそ、一瞬で消費されて忘却の彼方に連れ去られてしまう(そして一年を通しての公式な「記録」には残らない)その時々の興奮とか感動を忘れてはいけないな、と思った次第である。

*1:最優秀3歳牡馬部門で、ダービーの時点では鞍上の武豊騎手とともに圧倒的な支持を集めていたドウデュースに、僅か3票しか入っていない、ということも含め、今年は凱旋門賞に挑んだ馬たちにはあまりに厳しい結果発表だったと思うので・・・。

*2:k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

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