押し寄せる波に気づかない危うさ。

案の定・・・ではあるのだが、いよいよ最後の波が大きくなり始めた、そんな気がしている。

先月の終わり頃のエントリーで呟いた例のやつ。

k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

今のところは、まだ海の向こうの大統領の入退院劇だったり*1、海の向こうの偉大な日本人デザイナーの訃報だったり、と、今自分たちが住んでいるところには直接影響しない話題が取り上げられることの方が多いし、国内では「プロ野球のチーム内のクラスタ」とか「広瀬すず」といった有名どころの話がメインで、”身近な話題”という感覚は薄い*2

だから、それ以上にインパクトのあるネタ*3の前にはどうしてもかすんでしまうし、お国が率先して必死で”脱コロナ”アピールをしている現状ではなおさらだ。

だが、繰り返すなら、波は確実に押し寄せている。それもこれまで以上のインパクトで

7月、8月との比較で、感染者数の数字がそれほど増えていないじゃないか、という指摘もあるようだが、あの時は、まだ春先から続いた警戒心が残っていて、「夜の街」に代表されるような高リスクエリアの関係者が積極的に検査を受けていた、という背景がある(少なくとも東京都下では)。

ちょうどPCR検査もこれまでよりは受けやすくなっていた時期だし、何より症状が出れば「真夏に悪寒」だから、異常にも気づきやすい。

だが今は秋。そして急に暑さが涼しさ、寒さへと変わっていく季節の変わり目。

少々体調を崩しても「まぁそんなこともあるだろう」と思って油断しているといつのまにか・・・というパターンは十分考えられる時期でもある。

そして、一気に街に戻って活動を再開した学生たちは、昼の食堂街にも夜の居酒屋にもあふれている。

そんな様々な要素が絡まれば、”小さく”見えていた数字があるタイミングで突然跳ねる、とか、感染判明者全体の数字は小さくても、重症者・死者の数値の桁が変わってくる、といったことになっても全く不思議ではない。

既に出始めている経路不明感染者率の高い数字も、その予兆としては十分すぎるように思われる。

気になるのは、時に「過剰」と言われながらも、あれほど熱心に啓発を繰り返してきたメディアが、今回の波では完全に沈黙しまっているように見えること。

夏までは前面に出ていた小池都知事も、西村担当大臣も、専門家の方々の影も実に薄く、その代わりに飛び交っているのは「Go To」の掛け声ばかり

「経済を回せ」とか「ここで消費を活性化させないと事業者が立ち行かなくなる」とか、春先から念仏のように唱えておられる方々は多いのだが、自分の知る限り、飲食店も宿泊施設も、賢く切り抜けている事業主、事業者は、7月、8月の時点で、事業を継続していくための体制を十分整えていた。

訪れる人の数は減っても、削れるコストを削り、サービスの質は落とさず、結果的に満足度を高めてファンを増やす。

そんな素晴らしい対応を続けているところが、今の状況を乗り切り、コロナが明けた頃に一歩二歩抜けた存在感を示す。それで十分だったはずなのに、ここに来て「Go To」...

言うなれば、優れた生産者が、品種改良を重ね、少雨で乾燥しきった気候でも育てられる品種で頑張って作物を育てていたところに、機微に疎い天上人がいきなり恣意的に大雨を降らせ、「ほら、どうだい?今年もこれで収穫できるだろう?」とのたまわっているようなもので、この手の人工的な需要創出には、現場を混乱させて”根腐れ”を起こすことになりかねない、という危うさすらある。

さらに、キャンペーンに乗っかって全国に飛び散った人々の中から新たな感染発症者が出てきている、というのも既に報道されているとおり。

あくまで自己責任、とするむきもあるのかもしれないが、「Go To」をあたかも免罪符であるかのように人々に受け止めさせたのは、まさにキャンペーンの旗を振っている当局に他ならないのであって、当事者個人に非難を矛先を向けるのはあまりに気の毒、という状況もある。

このまま来年の五輪に向け、目の前の疫病のリスクからは目を背けたまま国全体が突っ走ることになるのか、それとも、あと1、2週間くらいで深刻な状況にまた逆戻りしてしまうのか、先のことを予測するのは難しいが、今、ただ一つ書き残しておくことがあるとすれば、

「Go To」は、政府公認のGoサインではない。

ということだろうか。

旅行でも飲食でも買い物でも、行くか行かないか、行くとしてどこに行くか、一人で行くか集団で行くか。それはすべて個々人のリスク判断に委ねられた選択だし、キャンペーンに載せられてハイリスクゾーンに突っ込んだ結果、何週間か後に苦しい思いをすることになったとしても、国も自治体もエージェントも、誰も責任を取ってくれるわけではないのだから・・・*4

そして何よりも大事なのは、これまできっちりと自分たちの仕事に徹して「経済」を下支えしてきた人々を、無秩序なキャンペーン、場当たり的な”景気刺激”施策の犠牲者にしないこと、それに尽きる、と思うのである。

*1:最近、あの大統領の話をすると「リアリティーショー」の主人公の一挙一党足に振り回される単純な視聴者になってしまうような気がして、いい加減やめておこうかという気分になっている。

*2:なぜ、セ・リーグパ・リーグもよりによって「追いかける」チームの方で主力選手離脱、という状況になってしまうのか・・・という無念さはあるが、仮に今首位を独走する巨人のレギュラー陣が全員新型コロナウイルスに感染してオーダー総入れ替えになっても、他のチームと互角以上の戦いはできるような気がするので(実際、開幕直前に離脱した選手がいても、見事なスタートダッシュに成功したわけだし)、結局は選手層の厚い薄いに起因する話に過ぎないのかもしれない。そして、千葉ロッテ集団感染の報に対しての感想はただ一言、「こんなところに出てくるな、鳥谷・・・」に尽きる。

*3:東証の市場ストップに始まり、日本学術会議から芸能人の訃報、吉報、著名アスリートの不祥事まで・・・。

*4:週末、人出でごった返す観光地の様子が伝えられる一方で、都内の名レストランはまだまだ閑散としていたりする。それはちょっとリサーチすれば気付く話だったりもするわけで、加えてこういう時は「多数派が取らない行動を選択したほうが何かと得である。」ということも心に留めておきたい(たとえば、ある程度の人数で飲み会をするなら1か月前、2か月前くらいがベストで、今やるのはほぼ自殺行為・・・とか)。

それは「ローンの組み方」以前の問題。

海の向こうのかの国のみならず、遠く離れた日本まで大統領の一挙一動に振り回される・・・そんな週の始まりになってしまったが、今日、個人的に凄く引っかかったのは、日経紙の1面に大きく掲げられた以下の記事だった。

「定年退職後も住宅ローンを返済し続ける高齢者が増えそうだ。日本経済新聞住宅金融支援機構のデータを調べたところ、2020年度の利用者が完済を計画する年齢は平均73歳と、20年間で5歳上がった。」(日本経済新聞2020年10月5日付朝刊・第1面)

いかにも経済紙らしく、記事はどちらかと言えば「リスクを考えずにローンを組む&組ませる風潮が悪い」という方向でまとめられているのであるが、自分はこの話はそれ以前の問題で、ただ一つ、以下の一言に尽きると思っている。

「なぜ、今、不動産を買うのか?」

自分は、「土地の値段が永遠に上がり続ける」という神話に騙されて辺鄙な土地に家を建て、「家のローンが」の一言で家族に忍耐を強い、さらにはバブル崩壊後、買った時の値段を一度も超えることのなかった自分の土地への恨み言を繰り返し続けた祖父母や親の姿を間近に見てきた世代だからなおさらなのだが、経済的な損得で言えば、ローンを組んで利息まで払い、さらに一定の維持費も負担しながら不動産を所有するメリットなんて、今の時代にはほとんどないと思っている。

長年住んで価格が下がっても、最終的に「売る」ことで多少なりとも価値を回収できればまだよいのだが、今はそれすらままならない。

祖父母が亡くなった後、主を失った土地の買い手を見つけるまでに要した歳月は約10年。曲がりなりにも「首都圏」のエリアの物件である。

売れないならいっそのこと放棄してしまいたい、と思っても、今のこの国の法制度は、そんなに簡単に”ババ”を手放すことを認めていないわけで、どれだけ建物が朽ち果てようが、終わらないババ抜きを続けなければいけない宿命にある。そして行き着く先は、運が良ければ、粗大ごみのように持参金付きで親切な誰かに引き取ってもらう、そんな幸運に恵まれなければ所有者不明土地建物・・・。

そうはいっても、「都心部の物件ならそこまで資産価値が落ちることはないし、ローン減税とか買い替えによる節税効果を考えれば他人の資産に家賃を払い続けるよりはマシだろう」と考える人が多いからこそ、未だにローンを組んでまで手を出す人が後を絶たないのだろうけど、それだっていつまで続くか分からない話だ。

おそらく新型コロナで人の流れが変わり、五輪が終われば、首都圏の不動産の価値は目に見えて下がる。

新築物件なら、供給をセーブすれば何とか価格をコントロールできるかもしれないが、既にここ数年、供給過剰が指摘されている中古物件がどれだけ悲惨なことになるかは想像に難くない。

そう考えると「ローンの組み方」をあれこれ言う以前に、もっと違うところを突っ込むべきだったのではこの記事・・・と、思わずにはいられないのである。

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「凱旋門」に勝った日。

抽選、しかも一人一席、という厳しい条件付きとはいえ、いよいよ来週から競馬場への入場も解禁となる我らが中央競馬

ゆえに、長く続いてきた「無観客」競馬も今週の開催がおそらく最後、という節目の時を迎えることになったのだが、そんな状況で迎えた4回中山開催の最終日は実に美しい結末となった。

「良馬場」発表なのに、どう見ても湿ってるんじゃないか!?と疑いたくなるような馬場の重さは相変わらず。

今年の開催は、本来なら前残りのスピード決着となることが多かった昨年までの中山秋開催とはうってかわって「馬力勝負」といった感のある決着が目立ったのだが、特に最終週では、そうでなくても重い芝コースの馬場が蹄に掘られてより重くなったのか、内側に入れば入るほどゴール前で伸び脚を欠き、決して速いペースではなかったのにきれいに外差しが決まる、というパターンも多かった。

そしてその極めつけ、のようなレースだったのが、第54回スプリンターズS

元々快速自慢が揃う電撃6ハロン戦だから、ペースが速くなって最後の急坂で差しが決まる、というケースは過去にもあったのだが、それでも直線が短い中山、逃げた馬が着内で粘る、というのもよくあるパターンだった。

だから、ゲートから飛び出したモズスーパーフレアがビアンフェと競り合いながらもいつも通りの逃げを見せた時は、昨年の例からしてもきっちり3着には残ると思ったし、逆に大本命・グランアレグリアの道中の位置取り(後方から2番手)は不安以外の何ものでもなかった。

ところが、である。

最後の直線、内側で逃げた馬を捕まえようとするダノンスマッシュ、ミスターメロディといった先行勢を尻目に、馬場の外目から刺すように飛んできたのはグランアレグリア

既にマイルGⅠ2勝、高松宮記念でも繰り上がり2着、という実績を持つ稀代の短距離名牝は、ファンの不安を一瞬で吹き飛ばすような脚で後続を一瞬でぶっちぎってしまった。

さらに、最後方にいたはずのアウィルアウェイまで突っ込んできて、実績上位のダノンスマッシュ危うし・・・と思わせるシーンまで演出。

結果的に1,2着は比較的順当な組み合わせになったものの、2頭の4歳牝馬の切れ味の鋭さだけが強く印象に刻まれる一戦となった。

タイムだけ見れば、雨中の決戦(馬場は稍重)で、速いというより「強い」という印象を残した2年前のファインニードルの時の変わらない。しかも逃げ馬の1000mのラップは2年前の方が少し速いくらいである。

だが、結果的には逃げた馬はことごとく沈み、豪快に差しが決まる。

実にタフな馬場でレースが行われていたのだな、ということを、我々は改めて思い知らされることになった。


ちなみに、個人的に、今日一日、嬉しかったことがあるとしたら、今年に関しては「昼の競馬」が完全に「夜」を食った、ということだろうか。

今年も欧州大陸で行われた凱旋門賞

この伝統と格式のあるレースがコロナ渦中でも何とか開催にこぎつけられた、ということは、歴史的にみても非常に大きな意義があることだと思うのだが、有力馬が回避した上に、直前にアイルランドから遠征してきたオブライエン厩舎の馬に禁止薬物混入の疑いが浮上し、武豊騎手騎乗予定だった「ジャパン」号を含む4頭が出走取消*1

偉大なる女傑・エネイブルの悲願の3勝目なるか?という興味こそ辛うじて残されていたものの、いざレースが始まって最後の直線に向かうと、同馬にかつての勢いはなく、昨年3着のソットサス以下、フランス勢の後塵を拝して6着に沈むことになってしまった。

日本から参戦した唯一の馬、今年は日本に帰らずにずっと欧州大陸での調整・出走を続けてきたディアドラも、内側から伸びるか?と期待させたのは一瞬だけ。結局、あっけなく8着に沈んだ。

もしかしたら馬券的には面白い決着になったのかもしれない。

ただ、国内でのレースへの興味関心、という点で言えば、例年に比べても盛り上がりは控えめ、という印象だったし、実際レースが始まってからもそんなに結果を気にする人はいなかった。

そして何より、国内GⅠでの派手な差し切りに比べると、レース自体が非常に退屈なもののようにも見えてしまったわけで・・・。

*1:武豊騎手がもしジャパン号に騎乗して凱旋門賞制覇、なんてことになっていたら、最近の与党政権のノリで、国民栄誉賞という話になっても不思議ではなかったが、その可能性はレース前にあえなく消えた。

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今こそ、地に足の付いた議論を。

今年の夏くらいから、新型コロナ下で溜まりに溜まったフラストレーションを晴らすがごとく、「法務の未来」を前向きに語ろうとするウェビナーの類をあちこちで見かけるようになった。

それ自体は決して悪いことではないし、後ろ向きな思考に陥るよりは、前向きに考える方が有益なのは言うまでもないこと。

ただ、そういった動きに接するたび、日々進行していくシビアな現実とのギャップに、何かモヤモヤするなぁ・・・と思っていたところ、最近、同じような感想を複数の企業内法務関係者からも聞くことになったので、これからの議論のベースに何が必要か、自分が思っていることを少し書き残しておくことにしたい。

誰の視点で、どこから見るのか?

世の中で行われているあれこれを全部見ているわけではないのだが、様々な情報を総合すると、今、巷で語られている「法務の未来」の多くは、次の2つの視点で語られているように思う。

①「法務」の人間として、何ができるのか、何をしなければいけないのか、どんな未来が開けているのか。
(これから法務を目指そうという人向けの話から、中堅に差し掛かったスタッフが目指すべき道、といったところまで対象となる層の幅は広いが、共通しているのは、主語=「私」、最終的には個々人の志向、適性、というところに帰着していくところだろうか。)

②「法務」の仕事をどう広げていくか、日々の仕事をどう捌くか、いかにして会社の中で必要な役割、機能を果たしていくか。
(管理者、マネージャーの視点で語られる場合が多いが、時には①の「私の夢」とセットで語られることもある。両者は方向性においても結論においても微妙に異なる場合が多いが、主語が「法務部門」ないし「法務にいる私」という、あくまで「法務」のそれに留まっている、という点では共通している。)

いずれも大事な話であることは論を待たないし、同じカテゴリーに属する人を探すだけでも苦労した一昔前の状況を考えれば、「法務」というフレーズだけでこれだけ盛り上がれるというのはなんと素晴らしい時代か、というのは、自分も常々思っていることでもある。

ただ、気になることがあるとすれば、いずれも「私」の目線から抜け出せていないように思えるところ、そして「法務部門(担当者)最適化」の思考から抜け出せていないように思えるところだろう。

その結果、どうなるかと言えば、どれだけ力こぶを入れて「未来」を語っても、法務”以外”の世界には全く広がりのない話に帰着してしまう。

企業内法務関係者からよく聞かされる戸惑いもほとんどがそこに起因していて、「こうすべき」とか「こうしたほうがいい」というのは分かるが、今置かれている環境とのギャップを考えるとどうにもこうにも、「自分たちがこうしたい」というだけでは会社は動かせないからね・・・という諦めの境地に陥ってしまっている人もまぁまぁいらっしゃるように見受けられ・・・。

もちろん、事業部門から来た相談への対応の仕方、とか、リーガルテックを使った仕事の効率化のやり方、といった話であれば、自分たちだけでできることも全くないわけではないが、そういったことは、会社という大きな組織の中の話としては決して大きな話ではないし、そもそも「法務に相談する」とか、「法務が契約を審査する」というカルチャーがない世界でテクニカルな方法論を教えられてもにっちもさっちもいかない、という嘆きも良く聞くところ。

裏を返せば、長年組織の中で生きている法務の人々の本源的な苦悩に応えるような議論が、まだ決して多くないということなのかもしれない。

「組織の中の法務」という視点

そんな状況で自分がたまたま接したのが、経営法友会が出している「SOCIETY5.0時代の法務」という冊子であった。

この冊子、何といっても、まさにコロナの波が押し寄せていた今年の3月に完成(?)させた、というところが一番すごいと思うのだが、それ以上に中身もいろいろと含蓄のあることが書かれていて、特に第2章のイノベーション促進と法務」という章には読み応えのある論稿が揃っているように思われる。

経営法友会が出している他の書籍、成果物と同様に、決して”一枚岩”の見解で貫かれたものではない。だが、それがかえってリアリティを増す。そんな美学がここでも貫かれている。

残念なことにこの冊子も会員向けの非売品のようで、ツテがなければメルカリで買うしかない*1、というのが残念なところではあるのだが、関係者に頼み込んで入手するだけの価値はある冊子だし、会員社であっても、リモート勤務中にオフィスに届いたが書棚とか上司の机の上で所在なくたたずんでいる、というケースは少なからずあるだろうから、そういう時は是非奪い取って読むことをお薦めする。

中でも、自分が良いな、と思ったのは、「法務担当者をどの組織に配置すべきか」という、会社全体を俯瞰する視点から書かれた42~46ページの分析である。

ここでは「(ⅰ)法務担当者が事業組織に所属し、その指揮命令系統に属する」「(ⅱ)「独立」した法務組織」「(ⅲ)ハイブリッド型」という3つのモデルパターンを挙げて、それぞれのメリット・デメリットが検討されているのだが、いずれのパターンも経験し、運営してきた経験を持つ者としては、それぞれに対する良い面、悪い面の指摘が実に的確だと感じられ、地に足の付いた良い分析だと感じるところも多かった。

特に、多くの人々が法務を語るときに所与の前提としている「独立した法務組織」に関しては、

「同一企業内の組織である以上、処遇、考課を含めて完全な独立組織ということではない。法務組織は、社外取締役監査役、社内監査部門に比べれば事業組織との距離感は近く、人事制度や職務権限制度においても、他の部門と同様、執行部門内の従属的組織であり、『独立』は相対的なものに過ぎない。」(44頁、強調筆者、以下同じ)

と冷静な現状認識を示した上で、

「法務組織の『独立』を傘に、法務担当者が組織内だけの部分最適を追及すれば、前述したような前例踏襲で、責任感の希薄な悪しき法務担当者となりかねない。旧態依然とした法務組織の中だけで、従来からの価値観を転換させることや、事業のダイナミズムを理解するということも、独立した法務組織では困難であるとも思われる。」(44頁)

という問題点を指摘し、さらに「能動的に動くべし」という類のよくある提言だけにとどまることなく、「法務組織自体が多様性を持っていくことも必要」ということにも言及した*2、という点で非常に価値のある分析になっている。

組織で長く生きてきた者にとっては当たり前の話だが、「自分たちが何をするか、何をしたいか」という話をするのであれば、その前提として「自分たちが会社の中でどういう形で組織に組み込まれ、どういうポジションを与えられているのか」ということをまず考えなければならない。

時々、「組織なんてどうでもいいじゃん。自分はどこにいてもやりたいことができればいいんで。」とか、「どういう組織にするかは会社それぞれだから、そこまでは考慮しない。」という言説に接することもあるが、そういう前提で話をされてしまうと、いかに言っていることの各論に光るものがあったとしても、単なる”耳障りの良い言葉”にとどまり、より広い範囲で実装できるものにはなり得ないわけで、特に後者に関しては、「組織の作り方が会社それぞれ」だからこそ、「今、組織体制がどういう状況になっていて、その場合に何がどこまでできるのか。その体制ではやりたいことができない時に、動かすとしたらどういう動かし方が良いのか。そのためにできることは何か。」ということを細かく考えていかないと、地に足の付いた議論は不可能。

だからこそ、そういった議論のベースを提供している一連の本冊子の記述には、大いに参考になるところがあるように思う。

ちなみに、既にご承知の方もいらっしゃると思うが、自分はこれまでのエントリーの中で、何度かこの手の話をしているのだが*3、そこでは、「独立した法務組織」を維持することへの思いは残しつつも、「そこに機能を一元化する」ということに対してはかなり消極的なスタンスを示してきたつもりだし*4、それだけに、本冊子で(ⅱ)以外の選択肢に対するネガティブ方向の指摘に対しては、反論したい気持ちもごまんとある*5

ただ、何よりも大事なのは、議論する視点を示し、浮ついた「未来像」にならないように、まず拠って立つ議論の土俵をしっかりと作ること

そういう観点で言えば、本冊子による前記のような視点の提供はそれ自体が非常に有益なことだといえるし、今後の議論もこれを元に展開されていくことが望ましいのではないかな、と思った次第である。

単なるストレス発散や一部業者の宣伝ではなく、真に生き残るための議論をしたいのであれば・・・。

*1:しかも残念ながら現時点では売り切れである。メルカリ - 経営法友会 SOCIETY5.0時代の法務 企業法務 弁護士 弁理士 法務 【参考書】 (¥980) 中古や未使用のフリマ

*2:ともすれば、ポジショントークもあって、有資格の専門家だけ集めれば事足りる、という暴言が飛び交いがちなのが昨今の状況なのだが、そうではない、ということがここには明確に書かれている。

*3:k-houmu-sensi2005.hatenablog.comk-houmu-sensi2005.hatenablog.com

*4:「一元化」することによる弊害があることに加え、この先「大きな法務部」を志向したところで、それを維持し続けるのはほぼ不可能だろう、というシビアな現実を見据えて、というところが大きい。

*5:例えば「事業組織の中の少人数の法務スタッフだけで対応する場合」には、「組み込まれた法務スタッフの品質の持続可能性に懸念が残る」という指摘がなされているが(43頁)、こと”知識”レベルでの品質に関していえば、社内のどの組織に位置づけられようが、本人に学ぶ意欲がありさえすれば担保できる(逆にそれがなければ独立した法務組織でも全く担保はできない)し、仕事のチェック体制にしても、事業組織内に管理職と担当者をセットで配置すれば十分、という見方はできるところである。また、「ハイブリッド型」に関して、「法務担当者の指揮命令系統が事業組織ラインと法務組織ラインで重複する」という問題点が指摘されているが、今どき「部長が右向いたら右向け」みたいな、一部門一価値観のような世界はそうそうあるものではない。よほど単純な営業一本の会社でない限り、事業部の中にだって元々毛色が異なる仕事をしている人や、異なるバックグラウンド、異なる派閥の人間が多数混在しているわけだから、そこに「法務」のスタッフが二重系統で入ったところで(多少気を遣うところはあるにしても)、そこまで迫害されることはないだろう、と思うところである。もちろん、うちはそういう会社なんです、と言われてしまえば、すみません、というほかないのだけれど・・・。

何がフェイクで、何が真実からすら分からなくなりそうなカオス。

前日の「市場ストップ」の混乱も無事一日で収まり、当然ながら日経平均は朝から順調に上げ。

「2日の日経平均株価は前日(9月30日終値を10月1日終値と認定)と比べ109円68銭高い2万3294円80銭で始まった上げ幅は一時前日比180円高に達したが、その後はやや失速。午後1時時点では2万3264円93銭。」(日本経済新聞2020年10月2日付夕刊・第1面、強調筆者、以下同じ。)

失業率の悪化だとか、部分部分で見れば芳しくないニュースもあって、銘柄ごとの上げ下げにもそれなりのバラつきはあったのだが、昼飯を食べながらチラと自分のポートフォリオを眺めた時の感覚では、9月最終日の急落からはちょっとは巻き返して今週を終えるのだろうな・・・という少々楽観的な気分でもあった。

それが・・・である。

東京証券取引所で株式などの売買を再開した2日、日経平均株価前日(9月30日終値を10月1日終値と認定)と比べ155円22銭(0.67%)安い2万3029円90銭で終えた。8月28日以来の安値水準となった。」(日本経済新聞電子版2020年10月2日 16:04配信)

一時230円安、上げて下げて400円以上の値幅で動くジェットコースター。

昨日の時点で唯一当たるはずだった予測が外れた最大の原因が、

「トランプ米大統領が日本時間2日午後、ツイッター新型コロナウイルスに感染したと明らかにした。」(同上)

という今日最大のサプライズだったことは間違いない。

これまで海の向こうの”劇場”を眺めてきた感覚で言えば、感染症が広がり始めた頃の”コロナはただの風邪”と言わんばかりの彼らの派手なパフォーマンスを考えると、ここまで感染していなかったことの方が不思議なわけで、既にホワイトハウス内での罹患者の情報も出ていた状況では、「米国大統領が感染した」ということ自体にはそこまでの驚きはないのだが、問題はこの”図ったかのような罹患タイミング”である。

一般紙の報道等を見ると、「大統領選を目前に控えたトランプ氏に暗雲」といった論調の記事が目立つのだが、既に一部で呟きが広まっているような、

「これで快癒して戻ってきたら、トランプ圧勝確定だろ。」

という”見立て”の方が、自分にもしっくり受け入れられる。

先日のテレビ討論会で自ら場を壊しに行くようなアクションを仕掛け、それでも支持率はまだ目に見える形では戻ってきていない、という状況を考えると、今回の「感染」は”干天の慈雨”のようなもので、こういうベタベタなヒーロー活劇が好きな層に支えられているのが今の米国の政権だということを考えても、状況が有利になることはあっても、不利になることはない、というのが素直な見方だと言えるだろう*1

で、そう考えていくと、次に出てくるのは、

「本当にトランプ大統領夫妻は新型コロナにかかっているのか?」

という疑惑である。

常識的に考えれば、国民に選ばれた最高指導者の病状を「悪い方に」偽って発表する、などということは一般的な民主主義国家ではあり得ないことなのだが*2、ここまでの状況と大統領選までの日数を考慮すると、「まさにこのタイミングしかない」というのが今回の「感染公表」だったわけで、これで第2回のテレビ討論会はキャンセル、快癒して戻ってきたところで最後のテレビ討論会をやって、

” I'm Back!”

というだけで、現役大統領の優勢は確定。

そもそも、多くの国民の投票行動が固まるこの大事な時期に、政策論争でも資質論争でもなく、連日、自身の病状報道だけでニュースを埋め尽くすことができるのだから、それだけでこれまでの状況を一変させることができるわけだ*3

ということで、何が本当で何が嘘かも良く分からないカオス、1か月後、詐病疑惑を指摘するメディアに「フェイクニュースだ!」と大統領が指立てて叫ぶ姿まで妄想してしまいそうになるのが今の状況、ということになるだろうか*4

*1:これが日本だと、「まがりなりにも政権トップにある者が新型コロナに感染するなんて・・・という非難が殺到し、なぜか治療中の「患者」が謝罪しなければならなくなる、ということも十分あり得るのだが、「コロナを恐れるな」スタンスのトランプ支持者はもちろん、中立的な層に目を移しても、「謝罪」する感覚自体がおそらく全く理解されないだろうと思う。そしてこの点においては、自分も日本以外の国々の感覚の方が数段真っ当だと思っている。

*2:一党独裁系の国だと、病気でなくても病気にされてしまう、ということはしばしばあるけれども・・・。

*3:加えて、副大統領候補同士の討論会で、ペンス副大統領がカマラ・ハリス候補を圧倒するようなことになれば、ほぼほぼ勝敗は決する。

*4:そしてどちらが勝つにしても「先が見えない」以上、理に敏い投資家が売りを仕掛けるのも当然のことだよな・・・と。

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たぶん、これまでで一番ドラスチックで、ドラマチックな季節の始まりの日に。

2020年10月。様々なことが年初のスケジュール通りに進んでいたら、今頃は五輪が終わって各種経済指標が黄信号、赤信号を灯し始め、「長期安定政権」を揺るがす様々な爆弾が火を噴き始める・・・そんな季節になっていたはず。

だが現実には、COVID-19という特殊因子が、時計の針を大きく歪め、瞬間的に「リセッション」という言葉では形容しがたいほどの大きな「谷」を半ば人工的に作ったのみならず、8年近く続いた政権まで歴史の一ページに変えてしまった。

経済見通しに関しては、未だに悲観的なことを唱えている方もチラホラ目にするのだが、少なくともこの10~12月期に関していえば、対前年比でも、対前期比でも、悪くなる要素は何一つない

消費税引き上げ前の駆け込み需要で前年の数字が膨れていた9月でさえ、目下絶好調の生活小売系事業者の月次報告は軒並み対前年比プラスを保っていたし、壮大な”期ズレ”を起こした自動車産業や産業機械系のですら回復のペースは落ちていなかったように見える。

その一方で、相次ぐ給付金に、飲み会、旅行自粛で、多くの世帯では家計にささやかな富がため込まれていく一方だったのだから、ここからの3か月で溜まりにたまったマグマの流れ口さえ見つかれば、その先にあるのは間違いなく「消費の秋」「消費の冬」

だから、3月期決算会社の配当権利が落ちた直後でいろいろと動かしやすくなっているタイミングを見計らい、夜の米国株高等の動きも踏まえて、「月が変わったら一気に行くぞ!」と準備万端で待ち構えていた個人投資家だって多かったはずだ。

なのに、それが一日止まった。

いわば”身内”ともいうべき証券代行数社を、(半ばパフォーマンス的要素も織り交ぜつつ)「そこまで言うのか?」と突っ込みたくなるくらいボロカスに批判した報いがめぐりめぐって自分たちの頭上に降って来たのか・・・?と思いたくなるような前代未聞のシステムトラブルそのこと自体を、まだ原因もはっきりしていない今日の時点でとやかく言うつもりはないのだが、月アタマのイベントとしては、芸能人の慶事も、一流アスリートの前代未聞の不祥事すら全て吹っ飛ばしてしまうくらいの強烈なインパクトだった。


今日の一件に限らず、おそらくここから先の3か月で様々なびっくりするようなことが起きる。

国内では新総理が早々と本来の強権的体質を前面に出し始めているし*1、足下の新型コロナウイルス感染者数は、再び力強く上昇に向かっている*2。一方で海の向こうに目を移せば、あちこちで一触即発の国家・地域間紛争、そしてそんな最中に内向きの喧嘩を繰り広げる世界一の超大国・・・と、100年後の教科書に載るようなニュースがいくつ出てきても不思議ではない状況。

そんな中、今予想できることは、明日の日経平均は上がる、ということくらいで(ただしシステムが再びダウンせず、市場がちゃんと動けば、という条件付き。)、3か月先はもちろん、1か月先、半月先の為替、株価すら現時点では全く予測不能

だから、不安になろうと思えば、いくらでもなれる状況ではあるのだけれど・・・。

*1:なんか「安倍政権と同じだ」みたいなことを言っている方を時々見かけるのだが、安倍政権の一番批判されていたところを動かしていたのがあの官房長官だったわけで、単に黒子が表に出てきただけなのだから、そりゃあ何も変わるはずがないだろう(むしろオブラートが失われた分、手法も結果もより露骨になっていくだけだろう)、という気はしている。もちろん歴史的にみると「黒子」的な人物がトップに立ってうまく行くことはほとんどないのだが、唯一の例外は隣の国の諜報機関出身の大統領で、あの域まで行けば別かな、と。

*2:個人的には、今がちょうど「終わりの始まり」かな、と思っている。もちろん終わるのは世界ではなく、「新型コロナ禍」の方なのだが。

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2020年9月のまとめ

「コロナの春」に始まり、「コロナの夏」を超えて、秋も深まってきたところで9月も終わる。

8月の末に予測していたほどではなかったが、やはり今月に入ってからの「政変」やら何やらの動きは、世の中のムードを大きく変えた。

それでもまだ世の中の話題になっているのは、一種の反動施策としての”Go To”だったりするから、秋になったところで「主役は新型コロナ」という状況に変わりはないじゃないか、と突っ込む方もいるのかもしれないけど、たぶん月が変わって、世の中それどころじゃないな・・・と思わされる出来事を2つ、3つ経験し、気が付けば「過去の出来事」になっているんじゃないかな、と本当に素直に思うところ。

”大きなインパクト”をもたらすニュースが常に幸福な者であれば世の中どれほど楽しいだろうか、と思うことはあるけれど、現実はその真逆。

世界地図上では、ここ数年ホットな話題を振りまいている国々の争いがヒートアップするだけでなく、美しい港町*1を首都に持つカスピ海沿岸の国の領土紛争のニュースまで四半世紀ぶりに耳にすることになった。よりによってこんな時に、なのか、それともこんな時だからこそ、なのか。

数年前、その国の国営墓地に刻まれた若き戦死者たちの名前を見て、同じ時代にのうのうと自由を謳歌していた我が身を少々恥じた。そして、それからかなりの歳月が流れた今となっても、遠い西方で再び墓碑が乱立するかもしれない、というこの時に何もできない自分を再び恥じている。

今、自分がこの場でできることをやるしかない。そう思っていても、海を越えて飛び出していきたくなる衝動。そういう高ぶりを抑えながら、もう少し今は力をため込む時期なのかな、と思っているところである。

今月のページビューは23,000弱、セッション15,000超、ユーザー8,000強。

終盤のネタでちょっと巻き返したところもあるが、まだまだ書き残せていないことも多々あるので、このままの勢いで年末まで走っていけるかどうか。もう一息、頑張りたい。

以下、いつもの統計も。

<ユーザー別市区町村(9月)>
1.→ 横浜市 1,178
2.→ 大阪市 729
3.→ 港区 587
4.↑ 新宿区 473
5.↓ 千代田区 459
6.→ 世田谷区 335
7.→ 名古屋市 274
8.→ 江東区 269
9.→ 渋谷区 219
10、→ 中央区 180

9月に入ったら大きく変わってくるかな?という思いは大きく裏切られ、上位の順位はほぼ不動。
そしてそのことは、「在宅勤務」の流れが不可逆的に定着しつつある、ということの裏返しなのかもしれない、と思ったりしている。

続けて検索上位。

<検索アナリティクス(9月分) 合計クリック数 1,719回>
1.→ 企業法務戦士 198
2.→ 企業法務戦士の雑感 70
3.→ 矢井田瞳 椎名林檎 22
4.圏外相澤英孝 訃報 16
5.↓ 取扱説明書 著作権 15
6.↑  倉橋雄作 10
7.圏外 CRフィーバー 大ヤマト事件 19
8.圏外東京永和法律事務所 13
9.圏外 大ヤマト裁判 12
10.圏外 試験直前 勉強しない 11

こちらも通常の傾向と比べて、大きな違いはないのだが、今となっては懐かしい「直前に勉強しないのすゝめ」*2が浮上してきた、というのは、ちょっと嬉しかったりする。

Twitter では、今月終盤のアクセス急増の一因となった↓の記事のツイートがインプレッション15,446でトップ。

k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

有難い限りではあるが、今は、法律時報誌の売上を減らしていないことを願うのみである。

最後に書籍ランキング。

1.法律時報 2020年10月号

2.コウペンちゃんとおべんきょうする『幸福論』

3.著作権法(第3版)

著作権法 第3版

著作権法 第3版

これを見てホッと胸をなでおろすわけだが、著作権ネタに挟まれて癒し系のペンギンが飛び込んできたあたりに、刹那の世界で生きる読者の皆様の日々のご心労が身に染みて感じられるような気がして、自分もまだまだやらなくては、と思った次第である。

*1:自分は彼の地が世界で5本の指に入る都市だと確信している。

*2:「直前には勉強しない」のすゝめ - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~

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