「数」が示す残酷な現状をここから超えていくために。

終わったものは一瞬にして忘却の彼方に押しやってしまうのが自分の性格。

世の中には自らが合格してもなお、後進に熱いエールを送り続けている方も結構いらっしゃるようなのだが、自分の場合、まだ試験を受け続けていた頃から、論文試験が終わった次の日には、自分が解いたはずの問題をすっかり忘れてしまっていたような人間だから*1、後進に、しかも、制度も試験の体裁もがらりと変わってしまった今の試験の受験生やら合格者やらにかけられる言葉など、持ち合わせているはずもない。

そうはいっても、このブログでは何だかんだと毎年報じられる試験結果を伝えていたりもするが、今年もその季節になって、「あれ、何で去年エントリー書かなかったんだろう?」と小一時間考え込んでしまうようなレベル*2だから、感覚としては、身近なところに関係者がいない巷の一般人とほとんど変わらない。

ただ、今年の合格発表を伝える記事には、やはり衝撃を抱かざるを得なかった

法務省は7日、2021年の司法試験に1421人が合格したと発表した。前年より29人少なく、政府目標の「1500人以上」を2年連続で下回った。合格者の減少は6年連続。受験者数は前年比279人減の3424人で、「法曹離れ」が進んでいる。」(日本経済新聞2021年9月8日付朝刊・第39面)

法務省前の掲示板での発表がなくなったのは、見に行った自分の記憶と照らすとちょっと寂しい気もするが、このご時世では致し方ないところだろう。

合格者数についても「1500人」の数字との関係でいろいろ言う人はいるだろうが、今の数字では誤差の範囲内だし、自分の経験上「1421人」が少ない、という感覚は全くないので、これも大したことではない。

だが、受験者数が3500人を割り込んだ、というのは・・・。

思えば、昨年の試験でも受験者が4,000人を割り込んだ、というのはちょっとしたニュースだったとは思うのだが*3、自分は、新型コロナの影響で受験回避の動き等もあったのでは?と思っていたところもあった。

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しかし、通常日程に戻った今年の数字は、昨年の試験に輪をかけてひどい*4

出願者数 3,754名(前年比 472名減)
受験者数 3,424名(前年比 279名減)
合格者数 1,421名(前年比 29名減)

思えば、自分が受けていた時も、毎年6,000~7,000名くらいの短答通過者が論文試験会場に押しかけていた”バブル”が去り、「論文試験受験者が3,000人台に激減した!」と話題になった時期があった*5

だが当時の「3,000人」は、25,000人以上の不合格者の上に積み重ねられた数字今の数字とはそこに至るまでの厚みが違い過ぎる

結果的に合格率は41.5%となり、「初回ボーナス」と揶揄された2006年の第1回の合格率(48.3%)にあと一歩のところまで迫ってきた*6

そしてそれをもって、「原点回帰」「法科大学院創設当初の理想に近づいた」等々と本気で評価している人も、もしかしたらどこかにいらっしゃるのかもしれないが、それは木を見て森を見ぬ、あまりに危機感が欠如した発想ではないかと自分は思うし、様々なものを犠牲にして、多くの方々の無念の思いの上に築き上げられてきたこの制度の20年先の到達点が、「シュリンクした沼の中の合格率7~8割」なのだとしたら*7、あまりに悲しすぎる・・・。

*1:当時のカレンダー的に、試験の翌日は3連休明けでフルスロットルで仕事に戻らないといけない、という状況で受け続けていたゆえ、とはいえ、仮に専業受験生だったとしても「再現答案」とかそういう類のものには興味を示すことはなかったような気がする。試験なんて、その場で起きたことが全てで、それ以上でもそれ以下のものでもないのだから・・・。

*2:オチとしては、「昨年は新型コロナの影響で試験のカレンダーが大きく変わって合格発表が今年の1月になっていた」ということなのだが、要はそんな大きな変化すら記憶に残っていなかったほどの関心度合い、ということである。

*3:平成19年の第2回新司法試験を4607人が受験して以来、長らく割り込んだことのなかった大台だったから・・・。

*4:https://www.moj.go.jp/content/001355253.pdf参照。

*5:法務省のページで過去を紐解いてみると、まさに第1回の司法試験が始まり「旧試験大虐殺」が始まった2006年の話であった。

*6:日経紙はなぜか「現在の司法試験制度が始まった06年以降最高となり、初めて4割を超えた。」という記事を書いているのだが、これは2006年当時の合格率を新旧の両試験を通算してカウントしているから、ということなのだろうか?(だとすると合格率4.8%。次元の違う数字になる)さすがにそれは当時の試験主催者のスタンスを考えても、当事者感情からしてもおかしな数値操作だと思うのだが・・・。

*7:受験者数がこのペースで減少して、かつ今の合格者数が維持されれば、3年後には合格率約7割の水準に到達する可能性は十分にある。

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何をそんなに期待しているのか。

何でこうなってるのか・・・と、先週末からずっと首を傾げっぱなしな自分がいる。

東京市場の株価急騰。

そろそろだろう…と思った今日も、依然として市場はヒートアップし、日経平均は瞬間的に30,000円台を超えた*1

理屈を聞けば、まぁそんなもんだろうと思う。

不人気、かつ政策推進機能も決して発揮できていたとは言えない総理が辞任の意向を表明し、「次代のホープ」と思われていた若手(と言っても世の中的には決して若くないが・・・)が一躍有力な次期首相候補に躍り出た。

ここ数か月重石になっていた「オリ・パラ」も何とか会期を終え、そうこうしているうちに一時の新型コロナの波も沈静化に向かい始め、ワクチン接種の実施状況も好転の兆しを見せている。

そんな”何となく明るい兆し”に、ここ数か月停滞していた人々のマネーが飛びついた・・・というのがざっくりとした解説になるだろうか*2

だが、冷静に足元を見ると、そこまで前向きな材料はない。

今月に入って公表された各社の月次の数字を見ても、一年前、新型コロナ禍下で気を吐いていた業種は軒並み息切れ、反動減となり、一年前泣いていた飲食、旅行といった業界はさらに輪をかけて厳しい状況となった。

7月までは製造業が力強く景気をけん引していたからまだ良かったのだが、それもまもなく「コロナ後特需」が一巡するから、秋以降は多くを望むのは難しいだろう。

新型コロナの感染者数は、確かにいつもと同じパターンで、頂上を超えて連日減少の一途ではあるが、今回に関しては「登った山」が高すぎて、安心できるような数字になるにはまだまだ時間がかかりそうな雰囲気。でもそうこうしているうちに、これまで同様、我慢しきれなくなった人々が無謀にも活発に動き出し、しばらく「夏休み」を口実にシャッターを閉めてくれていたあちこちの居酒屋も開き始める、となれば*3、いつ再びリバウンドが起きても不思議ではない。

ついでに言えば、後回しにされていた40代、50代くらいの世代がようやくワクチンを打てるようになったころには、早い時期に接種した医療関係者、高齢者からワクチンの効果が薄れ始めるのは目に見えているから、仮に接種率が60%、70%くらいまで行ったとしても再びの「感染拡大」はまだまだ止まらないだろう。

そんな状況で何を期待するの?というのが、正直なところ。

そして、さらに進んで「新しい政治に期待」とか言った話になると、より訳が分からなくなる。

確かに、これまで長く続いていた、確固たる政策の軸も持たないまま、あちこちから飛んで来る「声の大きな人々」の声に振り回されるだけの”御用聞き政権”に比べれば、誰が自民党の総裁になり、そのまま総理になろうと、「これまでよりは多少マシなんじゃないか」という淡い期待が出てきても不思議ではないだろう。

ただ、目下、最大のトピックになるであろう「新型コロナ対策」に関して言えば、政権を引き継いだところで取りうる選択肢が少ないことに変わりはない。

本来なら、一人ひとりがしっかりリスク判断して行動することで最小限に抑えられる災厄が、それをしない/できない人々がいるがゆえにここまで大きな、長引くものになってしまっている、という現実を踏まえれば、誰がトップに立っても結局は非難を浴びるだけ、という結末になってしまう可能性も高いわけで、結局は、大きく変わるところはないんじゃないかな・・・というのが、率直な感想である。

ということで、瞬間的に沸き上がった東京市場も、おそらく今夜の休み明けの米国市場の崩落をきっかけに、我に返った人々によって一気にしぼんでいく、というのが当面の見立てなのであるが・・・

*1:最近の日経225は、銘柄構成を組み替えるたびに変なバイアスがより強まっていくような気がして、特定銘柄への依存度も高いから個人的にはあまり信用していないのだが、今日はそれ以上にTOPIXの新高値更新のインパクトの方が大きかった。

*2:もちろん、いつものように上昇のきっかけは、金融緩和縮小まで飲み込んだ米国市場の力強い動きだったような気がするし、国内事情だけで今の証券市場を語ること自体、無理があるのは確かだが、今回の上昇劇に関して言えば、日本だけが突出していた、という一面は少なからずあった。

*3:東京都内が辛うじて「山」を越えることができたのも、お盆前くらいまでは「自粛何するものぞ」と営業を続けていたあちこちの店が、感染の爆発的拡大を目にしてたまらず閉めざるを得なくなったことが大きいと思っていて、たとえ訴訟になってでもそういった店を封じ込める覚悟で規制線を敷かないと、いつまで経ってもこのイタチごっこは終わらない。

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夏とともに過ぎていったものと、残されたもの。

9月5日、午後10時過ぎ。新国立競技場の聖火台の火が消え、「3年後パリで会いましょう」という言葉とともに、パラリンピックも閉幕を迎えた。

思えば、2013年、朝起きてニュースを見て目を疑った悪夢のような”歓喜*1からちょうど8年、多くの人々を翻弄し、中には人生を狂わされた人までいたんじゃないか*2、と思うくらいの強烈なインパクトを与え続けてきた”オリ・パラ”、”TOKYO2020”というイベントが、これで名実ともに終わりを迎えることになる。

そうでなくても様々な感情が渦巻く大イベント、ましてやこの新型コロナ禍の下では様々な評価があることは重々承知だが、それでもあえて言うならば、パラリンピックだけはやって良かった、というのが率直な感想である。

世界が絶賛した開会式*3に続いて、閉会式の演出にも唸らされるところは多々あったのだが、これらのセレモニーが終始一貫して発信し続けていた”Diversity”のコンセプトに説得力が感じられたのも、その間に行われた競技それ自体と、躍動するパラアスリートたちの姿がまさにそのコンセプトを体現していたからに他ならない。

ハイポインターとローポインターが混在する競技で、それぞれが持ち味を生かすことによって発揮されるコンビネーションの美しさ。
義足や車いすの助けを借りることで引き出される力もあれば、健常者が少し手を添えるだけで引き出される力もある。
そして、競技としての面白さを維持しつつ、競技者間のハンディキャップを減らし、均等な機会を与えるために考え抜かれたルール。

日頃SDGsとか共生社会とか、頭では叩きこまれていても、日常的にはピンと来ていないところも多い世の人々(もちろん自分もこのカテゴリーに入る)に対して、「15%」を代表するアスリートたちは、語らずとも実に雄弁に、Inclusiveの意味を教え、Diversityの尊さを示してくれた。

もちろん、オリンピックにだって、「平和の祭典」という大義はあって、それは開会式のIOC会長のスピーチ等にも盛り込まれていたとは思うのだけれど、進み過ぎた商業化の帰結として、どんな競技でもプロ化が進み、「結果」にばかりフォーカスされるようになってしまっている今の姿から、本来のメッセージを読み解くのはかなり難しくなっている。

そもそも「争って」勝ち負けの決着を付ける、という競技会、しかも国別対抗戦の様相を呈している大イベントの場は、元々「世界平和」というコンセプトとは本質的に相いれない性格を帯びているわけで*4IOC会長が長いスピーチの中で高邁な理想を語れば語るほど、鼻白むムードは当然出てくる。

これに対し、パラリンピックには、そんな矛盾も背伸び感も存在しない。

「より磨き上げた技術で高みに到達したい」という動機から、「自分たちがここまでできることを知ってほしい」、「パラスポーツの魅力を知ってほしい」といった動機まで、パラアスリートたちが語る言葉の中にも、様々な思いは入り混じっているが、そういったものを全て「大会のコンセプト」として集約しているのが今のパラリンピックなわけで、だからこそ、見る側も、五輪に比べれば、相対的に「なぜこのイベントを今やるのか?」というモヤモヤ感を抱かずに最後まで過ごすことができたのだろう、と思っている*5

*1:今でこそ他人事だから、まぁ純粋に味わえるものは味わえばよいではないか、なんてことも言ってしまうのだが、当時はあの瞬間から様々なものが降りかかってくることが火を見るより明らかだったので、当時の都知事破顔一笑はまさに「悲劇」でしかなかった。

*2:一ミュージシャン、一演出家から、都知事、そして一国の宰相まで・・・。

*3:全てを超えたメッセージ。 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~参照。

*4:もちろん「これはあくまでスポーツとしての勝負であって血を流す戦争ではない。」という理屈はあるにしても、いざ勝負の舞台となればそこにあるのは「戦」の縮図に他ならず、選手たち以上に応援する側、報道する側がその構図に加担している側面もある。そして、「そもそも平和だからこそ、こういう祭典が行えるのだ。」という、これまではそれなりの説得力を持っていたロジックも、このコロナ禍下においては、残念ながら全く説得力を持つものにはならなかった気がする。

*5:この辺は、五輪の時にメジャー競技よりもマイナーな”五輪でこそ”の競技の方にどうしても目が向いた、ということとも共通する感覚なのかもしれない。

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2021年8月のまとめ

一気に連日雨模様となり、夏の終わりも迎えつつある8月最後の日。
そして、いつもに輪をかけて低調な更新頻度で今月も終わった。

下世話な話をするなら、このブログの更新頻度は、概して月の売上と反比例する。

先月は、忙しさの中にいても、まだ開幕したばかりの”オリンピック”というイベントに関心を振り向けることが多少はできたのだが、今月に入ってからはどんどんそれも怪しくなり、五輪が終わってさあパラリンピック、という段になると、(決して関心がないわけではないのに)先日のエントリーでも書いた通り、リアルタイムでの視聴はほぼ無理。節目節目の本当に見たいものだけ見逃し配信でカバーして、後はYou Tubeの「2分でわかる」シリーズが心の友・・・という有様。

何年かに一度のイベントへのリアクションですらこの状況なのだから、他の世の中の動向など一瞬文字で速報を見ても次の瞬間には掘り下げる間もなく忘却の彼方、どこぞやかの団体が何かをやらかしても反射神経でリアクションするのが手一杯、という感じで、ましてや負荷のかかるブログの更新など推して知るべし・・・。法律、知財系のエントリーもそれ以外のものも、おぼろげに頭の中に受かんだネタのほとんどは幻と消え、日の目を見ることなく心の引き出しの中にしまわれた*1

もちろん、費やした時間の分はそれなりに報われるのもこの世界なわけで、おかげさまでこの2か月ほどは、自分史上最高・・・的な好景気の真っただ中にはいるのだけど、未来永劫、こんなふうに自分の時間を切り売りしてやっていく、というやり方にどこまで持続可能性があるのだろう・・・ということを考えさせられているのもまた事実だったりもする。

ということで、今月のページビューは14,500くらい、セッションは約9,500、ユーザーは5,000超。

<ユーザー別市区町村(8月)>
1.→ 横浜市 645
2.→ 大阪市 545
3.↑ 港区 355
4.↓ 新宿区 315
5.→ 千代田区 289
6.→ 名古屋市 258
7.↑ 世田谷区 152
8.圏外さいたま市 131
9.→ 中央区 123
10.↓ 渋谷区 108

下位の順位変動があったのは、「夏休み」のせいか、それとも新たな読者層が発掘されたのか、もう少し様子は見てみたいところ。

続いて検索ランキング。

<検索アナリティクス(8月分) 合計クリック数 1,304回>
1.→ 企業法務戦士 106
2.→ 匠大塚 業績不振 35
3.↑ 試験直前 勉強しない 31
4.↑ 法務 ブログ 19
5.↑ 高野義雄 wiki 11
6.↓ 企業法務戦士の雑感 11  
7.圏外説明書 著作権 9
8.大ヤマト 裁判 9
9.圏外柳田産業 指名停止 9
10.→ インナートリップ 霊友会 8

試験の時期でもないのに「試験直前・・・」が上に来たのはちょっと意外だったのだが、資格試験以外にも常にどこかで試験は行われているから、どこかにニーズがあったのかな・・・?などと漠然と思ったりしている。

Twitteerの方も、インプレッション上位はエントリーがあげられない状況でやむなく合間合間で呟いたものばかりで、記事関係で最上位のものですらインプレッション6,541だから、もうごめんなさい、というほかない。
k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

ということで、いつも以上に短い今月のまとめもこれにて終了。
しばらくはこんなペースが続くのだろうけど、いずれ潮が引く時は来ると思うので、その時が来ることを心の奥底で期待しつつ、そう遠くないうちに、どこかのタイミングでフェーズを切り替えられないものか、なんてことも思った次第である。

*1:そして引き出しの中にしまった他のものと同じく、普通はよほどのことがない限り、もう出てこない・・・。

速すぎる時の流れの中で。

ついこの前、が開会式だったはずなのに、続々と競技が進行していくパラリンピック

自分自身は特に決まった休みがある身ではないにしても、本格的な夏の始まり、連日の華やかな報道等もあって、仕事のやり取りをしていても何となく”小休止”モードだった五輪の時とは異なり、今は年末に向けたリスタートで様々なものが動き出している時期。加えて、世の中も新型コロナ以外は完全に平時モードだから、テレビで中継をしているかどうか、なんてことにかかわらず、競技をリアルタイムで見るのはまず無理、という状況である。

大体、オリンピックスタイルの進行に馴染んでいる者としては、競泳と陸上が同時進行、というだけで、焦ってしまうわけなのだが・・・。

それでも、この大会に関しては、競技の映像をいつになく見ている気がする。

実況なしの競技映像をそのままアーカイブ化して配信してくれるNHKのプラットフォームの恩恵が大きいのは確かだが、同時に、リオ以降の5年の間、それまでとは質・量ともに異なるパラ競技、パラアスリートの情報に接していたことと、大会に入ってからも現場からの情報を比較的詳細に伝えてくれる活字メディア、ウェブメディアの影響も間違いなく大きい。

そして、一度見ると”ハマる”、競技自体の魅力が何よりも一番なのかもしれない。

何といっても自分がもっとも衝撃を受けたのは、車いすバスケの「進化」だ。

世紀の変わり目くらいの頃、仕事でチェアスキーのイベントの手伝いをやっていた縁などもあって、当時の車いすバスケの大きな大会を観戦させていただくような機会もあったのだが、その頃のイメージで久しぶりに見たら、車椅子の細かい動きから、パス回し、得点のパターンといったこの球技としての本質的な部分までまるで別次元・・・。

昔から、パラスポーツの中では一番難易度が高くて、単に障がいを持たない、というだけでは何のアドバンテージにもならない、と言われていたスポーツではあったのだが、今のあのレベルでの試合を見せられてしまうと、日頃車椅子を使わずに過ごしている者が混じってもただの足手まといにしかならないだろう、と思う。

出場する選手たちの障がいの軽重が予めルールに織り込まれている競技だから、いわゆる「ハイポインター」と「ローポインター」の選手たちの間には運動機能にかなりの差があるはずなのに、それぞれの選手たちがレベルに合わせて自分たちを生かす策を心得ていて、それに合わせた戦術も展開されているから、プレーを見ているだけで「違い」を感じることはほとんどない。

ゴール下まで切り込んでシュートを打つか、離れたところから3ポイントを狙うか、はたまたガード&スチール役に徹するか、時間をかけて磨き上げたチーム戦術あってのことだとは思うが、次々と選手が入れ替わっても、皆自分の仕事ができる、というのはホントに凄い、と思ってしまうわけで、ベタな言葉で言うと、男子も女子も「理屈抜きにカッコいい」

リオの時にも見ていた車いすラグビーも、激しさはそのままに、戦術的なバリエーションは明らかに増えた。

ゴールボールは攻撃のバリエーションが増え、それに応じる選手たちの守備時の動きもより俊敏さを増した。

陸上や競泳は、本質的な部分ではずっと変わっていないが、選手たちを補助する技術が大会ごとに進化しているのも、これまた明らかで、それは走り幅跳びの記録の伸び方などに如実に現れていたような気がする。

ボキャブラリーがだんだん貧困になっていくが、最後は「とにかく凄い」という感想にしか辿り着かないのである。

だから、自分の住んでいる国で行われているにもかかわらず、ここしばらくはずっと睡眠不足・・・。

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全てを超えたメッセージ。

東京での開催が決まってからずっと、「オリンピック&パラリンピック」とか「オリパラ」などと一括りで呼ばれながらも、メディアの注目度でも世論の関心でも圧倒的な存在感を誇る「五輪」の蔭に隠れ続けていたのが、「パラリンピック」というイベントだった。

それは今に始まったことではないし、地元開催ということもあって、これまでに比べれば、ここ数年、あちこちでパラアスリートが取り上げられる機会が多くなっていたのは間違いないが、それでも”添え物”感はどうしても付きまとっていて、何よりも、「五輪」に対してはあれだけ「やれ」「やるな」と不毛な争いを繰り広げていたSNS上の喧騒が、8月8日を境になぜかスッと静かになってしまったのは記憶に新しいところである。

好意的に見れば祭典、批判的に見れば迷惑なバカ騒ぎ、だがいずれにしても「事は終わった」というムードは、あらゆるところに漂っていたような気がする。

だが、昨日、国立競技場で行われたパラリンピックの開会式は、あらゆる面で五輪のそれを超越していた。

競技場の中に作られたたった一つのステージ、「PARA AIRPORT」上で繰り広げられる多様性を象徴するような踊り手たちのパフォーマンス。

プロジェクションマッピングの技術を効果的に使いながら、鮮やかな彩の光線が強烈に視覚に訴えかける。そこで使われる音楽も序・破・急の展開に合わせて見事にはまる。

合間合間で使われる映像の作り方は、リオのフラッグオーバーセレモニーの時からこの東京五輪まで一貫して変わらない。

でも、それが挟まれるタイミングが絶妙で、入場行進や関係者挨拶等も含めたプログラムとマッチしているから、飽きないし間延びもしない。

そして、とにかく圧巻だったのは、選手たちがAIR PORTに揃ったタイミングで始まった車椅子の少女を主人公にした「片翼の小さな飛行機の物語」

一夜明けて世界中のメディアが絶賛しているから、もはや中途半端な解説など不要だろうが、とにかく表情が豊かで、言葉なしに込められたメッセージを伝えてくれた。

彼女を盛り立てる様々な名脇役たちの生き生きとした演技にも目を奪われる。障がいをハンデではなく新たな可能性に変える、というのがパラリンピックというイベントの最大の意義だとされている中で、まさにそれを「表現」という手段で世界に示したのが、この日舞台上で輝いていた方々だった。

長い時間をかけてトレーニングしたことを伺わせる舞台上の演者たちの全力を尽くした動きは、それぞれの障碍を個性として、バラバラだけど全体の中では見事に調和する。終盤になってそこに坂本美雨布袋寅泰といった一流のアーティストたちも加わったが、あの布袋様ですら舞台の上では背景の一つになる*1

それだけよく練られた、ストーリー性と強いメッセージが込められたパフォーマンスだった。

もちろん、その他の「参加者」に助けられたところもある。

入場行進の時間は、五輪と比べれば圧倒的に短く簡素に行われた。
IPCのイニシアティブで盛り込まれた♯WeThe15のキャンペーン映像が訴えようとしていたものは、中途半端な”イマジン”やムハマド・ユヌスのメッセージよりもはるかに強く見る者の心に響いた。

さらに、五輪ではバッハがぶっ壊した「挨拶」の時間は、キャリアの大半をパラスポーツに捧げているBrazilian、IPC会長のAndrew Parsons氏が全く別の時間に変えた

通訳なしでも理解できるくらいシンプルな英語のメッセージ。だが、その言葉一つ一つが力強く一貫していて、会場にいた選手たちを勇気づけ、さらに映像を通じて見ていた人々にも、「この大会が何のためにあるのか?」ということを改めて知らしめてくれる。これぞ「ザ・スピーチ」といった感のある話で高揚したところで開会宣言、そして舞台の最終盤だったから、盛り上がらないはずがない。

国歌独唱の佐藤ひらりさんから、旗を運んだ人々、宣誓者。そして、最後に聖火を運んだ人々まで、一つ一つの人選にも唸らされた*2

キラリと光るシーンがありながらも、その合間にため息を挟まずにはいられなかったのが五輪の開会式だとすれば、ため息どころか、シーンが変わるたびに次のシーンが待ち遠しくて画面にくぎ付けになる・・・それがこの東京から世界に発信されたパラリンピックの開会式だったのではないかと思う*3

これまで、国内でも海外でも何かしらかアスタリスクを付けて紹介されてきたTOKYO2020の式典系演出が、ようやくここで正面から評価されるに至った、というのはホントに素晴らしいことだし、一夜明けても興奮が収まらない自分もいる。

ただ、ここで考えないといけないのは、「なぜ、パラリンピックでできたことがオリンピックでできなかったのか?」ということだろう。

*1:もちろん、布袋様が最初に映像に出てきたときには、我が家は大いにどよめいたが。

*2:往年のパラアスリートの方々、特に前回東京での金メダリスト(竹内昌彦氏)を登場させたのは素晴らしいことだと思ったし(なぜか五輪ではそれがなかった。)、義肢装具士の臼井二三男氏が登場された時も、さすが、と感じた。最後に上地結衣選手を入れたのは、もしかしたら五輪の大坂選手を意識したところがあったのかもしれないが・・・。

*3:元々、自分もライブでずっと見る予定はなく、ちょっと見たらあとはアーカイブの見逃し配信で・・・くらいのノリだったのだが、途中から予定を大幅に変更して見続けざるを得なかった。もちろん後悔はしていない。

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モヤモヤは解けたけど・・・。

先週末まで、記事が出るたびにずっとモヤモヤしながら眺めていた話題があった。

昨年の通常国会で改正法が成立した公益通報者保護法の「指針」に関する話題である。

「政府は企業の不正を通報した人の保護を強化する具体策を記した指針をまとめた。通報した人に降格や減給といった処分をした役員や社員を懲戒処分にするよう企業に求める。」(日本経済新聞電子版2021年8月13日2時00分配信、強調筆者)

「指針をまとめた」とありながら、この時点では正式なものとしては公表されていなかった(公表されたのは先週末の8月20日である)というのも引っかかったポイントの一つではあるのだが、それ以上に気になったのは上記太字部分である。

労働法の知識がある人ならもちろん、企業で人事労務に少しでも触れたことのある人なら(そこまで行かなくても会社の中で何年かやっていれば)、よほどの零細企業でもない限り、「降格」だの「減給」だのといった処分が、特定の役員や社員の名の下になされるはずもない、ということは分かるはずで、(たとえそれが一役員や特定の社員の恣意的な感情によってなされたものだったとしても)形式的には、懲戒権を行使する部署の長(人事担当役員や人事部長、場合によっては社長名で、というパターンもあり得る)の名の下に、会社の処分としてなされる、というのがこの手の処分の常である。

だからこの記事をこのまま読むと、「処分をした人事部長が懲戒処分を受けることになってしまうのか、気の毒に・・・」ということになってしまうのだが、まさかそんな指針が作られるわけもあるまい・・・ということで、自分は、先週金曜日にようやく公表された指針を謎解きをするような気分で眺めたのだった。

公益通報者保護法第 11 条第1項及び第2項の規定に基づき事業者がとるべき措置に関して、その適切かつ有効な実施を図るために必要な指針
https://www.caa.go.jp/notice/assets/consumer_research_cms210_20210819_02.pdf

おそらくアドバルーン記事が伝えようとしていたのは、以下のくだり。

第4 内部公益通報対応体制の整備その他の必要な措置(法第 11 条第2項関係)
2 事業者は、公益通報者を保護する体制の整備として、次の措置をとらなければならない。
(1) 不利益な取扱いの防止に関する措置
イ 事業者の労働者及び役員等が不利益な取扱いを行うことを防ぐための措置をとるとともに、公益通報者が不利益な取扱いを受けていないかを把握する措置をと
り、不利益な取扱いを把握した場合には、適切な救済・回復の措置をとる。
ロ 不利益な取扱いが行われた場合に、当該行為を行った労働者及び役員等に対して、行為態様、被害の程度、その他情状等の諸般の事情を考慮して、懲戒処分その他適切な措置をとる。
(2) 範囲外共有等の防止に関する措置
イ 事業者の労働者及び役員等が範囲外共有を行うことを防ぐための措置をとり、範囲外共有が行われた場合には、適切な救済・回復の措置をとる。
ロ 事業者の労働者及び役員等が、公益通報者を特定した上でなければ必要性の高い調査が実施できないなどのやむを得ない場合を除いて、通報者の探索を行うこ
とを防ぐための措置をとる。
ハ 範囲外共有や通報者の探索が行われた場合に、当該行為を行った労働者及び役員等に対して、行為態様、被害の程度、その他情状等の諸般の事情を考慮して、懲戒処分その他適切な措置をとる。

このうち(2)については、「範囲外共有」や「通報者の探索」といった事実行為を行った者への処分の話だから、今回の改正法の趣旨を踏まえれば当然盛り込まれ得る内容だと思うし、(1)についても「不利益な取扱い」が職場での嫌がらせ等、現場レベルでの事実行為である限りは違和感なく読むことができる。

それがなぜ冒頭のような記事になったかといえば、

「不利益な取扱い」とは、公益通報をしたことを理由として、当該公益通報者に対して行う解雇その他不利益な取扱いをいう。

とあって、この「解雇その他」の中に含まれる「降格」や「減給」といった極端な例にだけ、書き手が飛びついてしまったからだろうと思われる。

もちろん実際に「降格」や「減給」も「不利益な取扱い」に含まれる以上、記事自体が間違っているわけではなく、この点に関して言えば、会社が主体となる「処分」と「事実行為」をごちゃ混ぜにしてしまった指針の書き方のほうにも問題は多いにあるような気がする。

懲戒権の主体や、現在の企業実務に則ってこの指針の本来の意図を汲み取った表現をするのであれば、「不利益な取扱い」は、嫌がらせ等の個人レベルで行われる事実行為のみを指す用語として定義した上で、

公益通報をしたことを理由として、当該公益通報者に対して解雇その他の懲戒処分が行われたことが判明した場合は、速やかに処分を取り消した上で適切な救済・回復の措置をとる。この場合において、故意に当該処分を行い又は行わせた労働者及び役員等に対しては、懲戒処分その他適切な措置をとる。」

といった項目を別途付け足す必要があるのではなかろうか。

そしてこの指針の原案に対するパブコメ*1でも指摘されているように、通報の対象が大ごとになればなるほど、

「不利益な取り扱いを行った労働者及び役員等に対する懲戒処分は、懲戒権限を行使する者が通報者に対して懲戒処分等の不利益な取り扱いを行った者と同一となる可能性がある」(35頁)

のも確かだから、その場合はどうするのか、ということまで配慮して初めて意味のある指針になるのではないかと思う*2

現実には、普通の会社なら「公益通報をしたこと」を正面から理由にして懲戒処分を課す、なんてことはちょっと考えにくいし、通報対象事実が大ごとであればあるほど、より巧妙な手段で”消される”ことの方が多いと思われるから、この指針が出たところで「中小企業のワンマン経営者の感情任せの”処分”に釘をさす、くらいの効果しかないのでは・・・」と言いたくもなるのだが、それでも(解説レベルでも良いので)ここまで書いていただければ、大きな一歩になる、と個人的には思っている。

なお、改めて申し上げるまでもないが、今回の公益通報者保護法改正に関しては、「対応業務従事者の守秘義務刑事罰付き)」という問題が依然としてくすぶっている。
k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

少なくとも行政処分刑事罰に直結するような通報事項に関しては、「内部」ではなく、然るべき機関への「外部通報」を基本とすべき、というのが自分の意見だから、これもその方向での仕掛けだとすれば、「考えた人はなかなかの策士だな・・・」と皮肉の一つでも言いたくなるのだが、その過程(?)で出された今回の指針では、

第3 従事者の定め(法第 11 条第1項関係)
1 事業者は、内部公益通報受付窓口において受け付ける内部公益通報に関して公益通報対応業務を行う者であり、かつ、当該業務に関して公益通報者を特定させる事項を伝達される者を、従事者として定めなければならない。
2 事業者は、従事者を定める際には、書面により指定をするなど、従事者の地位に就くことが従事者となる者自身に明らかとなる方法により定めなければならない。

という形で、より「対応業務従事者」の逃げ道を塞ぐようなことしか書かれていないのが、いやはや何とも・・・*3

改正法の施行まであと1年を切った今、流れる血を少しでも少なくするために何ができるのか、もう少し考えてみたいと思っているところである。

*1:公表されたパブコメ結果はhttps://www.caa.go.jp/notice/assets/consumer_research_cms210_20210819_05.pdf。この問題への関心の高さを示すように、寄せられた意見とその回答が、実に61頁にもわたって記載されている。

*2:パブコメでこの指摘をされた方は、「別途に適正な懲戒処分が行われているのか、客観的に審査等を行う機関を設置すべき」という提案をされているが、そこまでするくらいなら外部通報を免責するとか、何らかの公的な紛争解決手続きに載せる方が早いような気もする。

*3:同時に「幹部からの独立性の確保」という項目も設けられてはいるものの、自分なら「従事者」に指定されただけで震えが止まらなくなるような話であることは間違いない。

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