2020年4月のまとめ

3月から4月というのは、肌寒さと温かさが入り混じる季節で、しかも慌ただしく様々なことが起きる、という意味でも記憶に残ることが多い時期。

特に一昨年、昨年といろいろあっての今年だったから、1年前を振り返って「この季節が来たか・・・」と苦々しい思いが蘇っても不思議ではない状況だったのだが、今年に関してはあまりに「非日常」が加速しすぎていたこともあって、私的なことは何も考えずにやり過ごせた、というのが実際のところかもしれない。

あたふたしているように見えて、こと仕事という面では、いつになく集中できた1か月でもあった。

余計な飲み会に付き合わされることもなければ、煩わしい打合せのために時間を無駄にすることもない。もしかしたらこれが理想的なリズムなんじゃないか、というくらい、効率的に様々なことが進んでいく・・・。

あと懐具合に関していえば、この一カ月の間に、このたびお国から支給されることが決まったらしい金額をはるかに上回るコスト削減効果が発揮されており、それまでどれだけ飲み食いに余計な金を使っていたのか・・・ということをつくづく反省させられたりもした次第*1

「宣言」が延びる、といってもたかだか1か月。おそらく蝉がやかましく鳴き出す頃には、また暑い東京で何事もなかったかのように人が動き出し、ビル街の熱風にあてられながらため息をつく日々が戻ってきてしまう可能性も高いのだけれど、せめてもう少しの間は、「人々がこの絶妙な”距離感”を保てる今」を楽しんで過ごしていたいな、と思っているところである。

さて、ブログの今月のページビューは22,000超。昨年の4月に久しぶりに腰を据えて記事が書けるようになり、「3年ぶりの数字だ!」と喜んでいた状況からさらに15%くらい数字を伸ばして、5年ぶりの水準を回復。

セッションは14,000超、ユーザーも7,500くらい、ということで、今月はリピート率も高くて、本当にありがたい限りである。

そして、興味深かったのが、恒例のユーザーのアクセス元のデータ。

<ユーザー市区町村(4月)>
1.↑ 横浜市 868
2.↓ 大阪市 682
3.→ 港区 616
4.→ 新宿区 600
5.↓ 千代田区 521
6.↑ 世田谷区 267
7.↓ 名古屋市 241
8.圏外 江東区 202
9.↓ 渋谷区 187
10.↓ 中央区 184

これまで常に上位に来ていた「千代田区」が大きくポジションを下げ、変わって躍進した「横浜市」に「世田谷区」、「江東区」といった居住エリア、さらにランク外ではあるが「川崎市」、「さいたま市」といったところも浮上してきており、これまで丸の内、大手町あたりからアクセスしていた方々の拠点が大きく動いた、という状況がここからも見てとることができる。

<検索アナリティクス(4月分) 合計クリック数 2,269回>
1.→ 企業法務戦士 325
2.↑ 企業法務 ブログ 51
3.↑ 企業法務戦士の雑感 41
4.圏外株主総会緊急事態宣言 37
5.↓ 東京スタイル 高野 34
6.→ 企業法務 21
7.圏外企業法務 本 19
8.圏外矢井田瞳 椎名林檎 19
9.↓ 高野義雄 17
10.圏外取扱説明書 著作権 14

こちらの方はやはり株主総会絡みの検索が多かったのが今月の特徴、そしてTwitterでも以下のエントリーが最多インプレッション(4,614)を記録している。

k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

この話題自体は、5月、6月も引き続きヒートアップする可能性は高いし、さらに、「コロナ・インパクト」の影響度の大小がくっきりと見えてきたところでその他の論点も徐々に顕在化していく可能性は高いのだけれど、その辺はおいおい、また気が向いたときにとりあげていくことにしたい。

もう少しの間だけ、この静かで慎ましやかな日々が続くことを願いつつ・・・。

*1:家庭内飲み会やリモート飲み会みたいなものはちょくちょくやっていたのだが、当然ながらコストは段違いに異なるし、それに気づいた賢い消費者は多いと思うので、仮に多くの人が給付を受けたとしても、そのお金が元流れていたところに再び流れ込むことは期待しない方が良いのではないか、と個人的には思うところである。

前向きな話に水を差すつもりはないのだけれど ~改正著作権法35条の施行を受けて。

平成30年著作権法改正で導入され、「授業目的公衆送信補償金制度」と題された改正著作権法35条の規定が、当初の予定より早く、昨日、2020年4月28日に施行された
www.bunka.go.jp

このニュース自体は、コロナウイルス感染拡大の影響が深刻になり始めた先月から今月の初めにかけて大きな話題となり、補償金の唯一の指定管理団体である一般社団法人授業目的公衆送信補償金等管理協会(SARTRAS)が、2020年度に限り補償金を「無償」として認可申請を行ったことで一気に実現に動いた、という異例の展開を辿ったこともあって*1、より注目を浴びることになったこの話。
sartras.or.jp

その後しばらく、世の中が「それどころではない」状況になってしまったこともあって、しばらく大きな話題になる機会は少なかったのだが、既に大学などでは着々と遠隔授業の試みが進められているし、今朝の朝刊にも、ちゃんと施行を知らせる記事は載った。

「教科書などの著作物を遠隔授業で使いやすくする改正著作権法が28日、施行された。新型コロナウイルス感染拡大にともなう休校をうけ、学習環境を整えるために前倒しで施行。同法に基づいて管理団体に納める補償金も今年度は無償とする特例措置を決めた。」(日本経済新聞2020年4月29日付朝刊・第34面)

まさに異常事態ともいえる状況の下で、教育の機会を保障するための取り組みに支障を来たしかねないルールの欠缺を迅速に埋めた、しかも、これまで変革を妨げる守旧派のように思われてきた権利者サイドが”融通を利かせる”ことによってそれを実現した、というのは、非常時の産物とはいえ実に素晴らしいことだと思う*2

ただ、注意しなければいけないのは、補償金が「無償」というのはあくまで今年度限りの「特例」に過ぎない、ということ。

そして、今回施行された新35条2項ができるまでの経緯を忘れて、ただこの一年限りの「特例」に甘えてルーズな運用に走ってしまうと、2021年度以降、教育関係者と補償金管理団体や各出版物等の著作権者との間でかつての「録音録画」に勝るとも劣らないような深刻な対立が生まれかねない、ということである。

自分とて今の前向きな風潮に水を差すつもりは全くないのけれど、随所で目にする「新35条が施行されるおかげで」的なコメントにちょっとした違和感を抱いたこともあるので、以下、平成30年改正に至るまでの経緯とも合わせて軽くコメントしておくことにしたい。

開きかかったパンドラの箱

冒頭でもご紹介したように、「授業目的公衆送信補償金制度」が創設されたのは平成30年の著作権法改正である。そして、この平成30年改正といえば、「柔軟な権利制限規定の導入」を目玉とする日本の著作権法の歴史の中でも画期的な改正であり*3、今回創設された「補償金制度」も、平成30年改正を貫く「著作物利用の円滑化」という大きなテーマの下で取り入れられたものである、ということをまず確認しておく必要がある。

平成30年改正のベースとなった平成29年4月の「文化審議会著作権分科会報告書」*4の中でも、このテーマは「第1章 新たな時代のニーズに的確に対応した権利制限規定の在り方等」と並べて、「第2章 教育の情報化の推進等」「第1節 教育機関における著作物利用の円滑化」(69頁以下)という文脈において議論された成果として取り上げられているのである。

ユーザー側からみれば、それ以前の「教室での複製」や「遠隔地の学生・生徒らに向けて教室と同時に授業を行うための公衆送信」なら権利制限による著作物の無償利用を認めるが、オンデマンド授業やリアルタイム配信授業のための公衆送信には認めない、というルールは時代に適合していないのではないか、という感覚が強かったし、だからこそ、それまでの政策要望等では「権利制限規定の柔軟化」の文脈の中でこの話もセットにされて出てくることが多かった。

審議会の議論の過程で、いわゆる「産業界のニーズ」に特化したテーマだけが「新たな時代のニーズに的確に対応した制度等の整備に関するワーキングチーム」に切り出される形で議論されるようになったこともあって(「教育の情報化」の話は、それと並行して法制・基本問題小委員会で審議されていた)、「教育」にかかわる問題自体は、産業政策とはちょっと距離を置く形で議論されていたと記憶しているが、それでも「個別の権利処理のハードルを下げて、使う必要のある著作物をちょっとでも使いやすくすることで、進化した技術の恩恵を享受できるようにする」という思想が問題提起の背景にあったことは間違いない。

ところが、蓋を開けてみると、「権利制限の範囲を拡大する」方向での議論と同時に、「これまで無償で使えていた教室内での複製等も補償金の対象にすべき」という議論まで出てきたことで状況は複雑になった。

当時の35条1項*5ができた1970年頃、まだ複製機器がほとんど世の中に普及していなかった時代*6と今とでは「複製」といっても全く質が異なるではないか、という指摘は分からないでもない。

ただ、それを言い出すと、私的複製の権利制限規定も含めた今の著作権法のすべてのバランスが狂いかねず、「パンドラの箱」を開けることになりかねないわけで、権利者側の顔を立てつつも、穏当なところでどう収めるか、ということが至上命題になってしまったのが、この「教育の情報化」をめぐる法改正議論の実態だったように思う。

前記の著作権分科会報告書が美しくまとめているとおり、結論としては、

(ICT活用教育の意義に照らし)「異時授業公衆送信等についても、権利者の利益を不当に害しない一定の条件の下で法第35条の権利制限の対象とすることが適当である。」(82頁)

としつつ、

異時授業公衆送信等は、時間的・場所的・物理的な制約を取り払ってしまうため、著作物が送信される頻度や総量が大きくなると評価できる。
「相対的には、異時授業公衆送信等の方が、複製や同時授業公衆送信よりも権利者に及ぶ不利益の度合いが大きいと評価できる。」(85頁)

として、異時授業公衆送信等にのみ権利者に補償金請求権が付与されることになり、

第35条 学校その他の教育機関(営利を目的として設置されているものを除く。)において教育を担任する者及び授業を受ける者は、その授業の過程における利用に供することを目的とする場合には、その必要と認められる限度において、公表された著作物を複製し、若しくは公衆送信(自動公衆送信の場合にあつては、送信可能化を含む。以下この条において同じ。)を行い、又は公表された著作物であつて公衆送信されるものを受信装置を用いて公に伝達することができる。ただし、当該著作物の種類及び用途並びに当該複製の部数及び当該複製、公衆送信又は伝達の態様に照らし著作権者の利益を不当に害することとなる場合は、この限りでない。
2 前項の規定により公衆送信を行う場合には、同項の教育機関を設置する者は、相当な額の補償金を著作権者に支払わなければならない。
3 前項の規定は、公表された著作物について、第一項の教育機関における授業の過程において、当該授業を直接受ける者に対して当該著作物をその原作品若しくは複製物を提供し、若しくは提示して利用する場合又は当該著作物を第三十八条第一項の規定により上演し、演奏し、上映し、若しくは口述して利用する場合において、当該授業が行われる場所以外の場所において当該授業を同時に受ける者に対して公衆送信を行うときには、適用しない

という改正法の規定ができ上がることになった。

報告書の中ではそれなりの説明が付されているが、この規定があくまで「教育機関」における「授業の過程における利用」に特化したものであることを考えると、教室内での複製、受信装置による伝達や、同時授業公衆送信と、「異時授業公衆送信」との間に、「権利者に及ぶ不利益の度合いの大きさ」の違いがあるなどという必要は本来なかったはず*7

それにもかかわらず、

「現在無償で可能となっている教育機関における複製や同時授業公衆送信を補償金請求権の対象とした場合、教育現場の混乱を招きかねず、教育現場における著作物の利用を促進し、教育の質を向上させることにより文化の発展を達成するという法目的が達成できなくなるおそれがある。」
「既存の秩序を尊重し、既存の権利制限で無償とされている行為類型には補償金請求権を付与せず・・・」(以上85頁)

という”秩序維持”の代償として、結果的に異時授業公衆送信には「補償金制度」を取り込まざるを得なくなってしまった、ということは認識しておく必要があるし、「異時授業公衆送信にだけ補償金請求権を付与する」ということを正当化するために、「教室内の複製と異時授業公衆送信は質的に異なる」という説明がなされていることにも留意しなければならないだろう。

「技術の進歩によって、今まで教室の中でしかできなかったことがインターネットを通じてもできるようになったから、それに合わせて著作権法の権利制限も拡充しよう」

という話が、

「インターネットを通じて授業ができるようになったことで著作権者の不利益が増したので、権利制限とセットで補償金も付けよう」

という話に(著作権法の世界にありがちな構図の下で)置き換わってしまった、ということの意味は決して小さくなく、補償金の徴収等に際し「教育機関における手続負担等を低減させるための配慮を行うこと」が前提になって制度設計されているとはいえ、一定の対価支払が前提になっている以上、「権利者の許諾なしに使えるんだから、教室の中と同じように著作物を使って配信授業をやっても問題ないよね」ということでは全くないと自分は思っている。

そして、教育の現場に上記のような”違い”の認識をきちんと浸透させないまま、「初年度無料」という”サービス”に甘えて、なし崩し的に教育機関での配信授業、配信講義が始まってしまうと、次年度以降、サブスクリプションサービスのありがちな消費者相談事例」のような状況があちこちで発生するのではないか、ということを今はひそかに憂いていたりもするのである・・・。

そもそも35条に安易に頼るべきではない、という話。

以上、35条改正の経緯等について縷々述べてきたが、そもそもの話として、授業や講義の中で「35条」を必然的に使わないとできないようなものがどれだけあるのか?ということも問いかけとして投げかけておきたい。

おそらくこれは、小学校、中学校のような副教材も含めて画一的に同じものを使うような環境か、それとも高等教育機関のように教える側が自分で講義の内容を教材も含めて組み立てられる環境か、ということによって状況は異なるだろうし、高等教育機関の中でも、第三者コンテンツを多用しないと講義ができないような学部・学科か、それとも自分の講義ノート一つで講義ができる学部・学科かで当然話は変わってくるだろう。

ただ、副教材は学生・生徒それぞれが購入して手元に置く前提にすれば、問題を解かせて解説する時も必要最小限の引用で済ませることは決して難しいことではないと思うし、特に高等教育機関であれば、講義のメインは、基本的には自分で考えて作成したスライド、自分で準備したコンテンツになるはずで、三者コンテンツが入るとしても、それは批評対象、比較対象に過ぎないはずだから、当然引用でいけるのでは?といったふうに考えていくと、むしろ「35条」に頼って授業をするのはいかがなものか? という気にすらなってくる*8

今公表されている「改正著作権法第35条運用指針(令和2(2020)年度版)」*9では、「引用」(著作権法32条)の解釈についてはほとんど記載がなく(指針13頁にわずかに記述がある程度である)、一方で、本来は「著作権者の利益を不当に害する」かどうかの判断基準とされるべき「著作物の小部分の利用」(8頁、10頁)の基準の方に丁寧な説明が付されている(そして、この記載は今後さらに充実することが予定されているようである)から、「この枠内に入っていればよいだろう」という感覚で第三者コンテンツを授業の中に流入させていくパターンがもしかしたらこれから増えるのかもしれないが、それは教育の現場での本来あるべき姿ではないような気がする

こういった考え方は、これまで報酬を受けようが受けまいが、教育機関の現場で行われているそれと質的には大差ない(と自分では勝手に思っている)講義をそれなりの数やってきたのに、一度たりとも著作権法35条の恩恵は受けられなかった*10身ゆえの逆恨み的発想(?)と言われてしまえばそれまでかもしれないが、「プロなら自分のコンテンツで勝負せよ!」というのは、教育の現場でも当てはまる話だと思うだけに、

「第三者のコンテンツを使うなら、第35条ではなく第32条で勝負せよ!」

ということは、もう少し強調されても良いのではないか、と思ったりもするのである。

以上、新しい時代の「教育」のあり方に期待しつつ、来年の今頃騒動が起きていないことを願って書かせていただいた次第・・・。

*1:本年4月24日に無事認可されている。令和2年度における授業目的公衆送信補償金の無償認可について | 文化庁

*2:平時からこういうフレキシブルさが様々なところで発揮されるようになれば、日本の著作権政策もより見直されるようになるのにね・・・という思いももちろんあるが、それはこのテーマに限ったことではないので、ここでは触れない。

*3:この改正についてはこのブログでもたびたび取り上げたが、さしあたりhttps://k-houmu-sensi2005.hatenablog.com/entry/2019/05/11/233000を。

*4:https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/chosakuken/pdf/h2904_shingi_hokokusho.pdf

*5:「学校その他の教育機関(営利を目的として設置されているものを除く。)において教育を担任する者及び授業を受ける者は、その授業の過程における利用に供することを目的とする場合には、その必要と認められる限度において、公表された著作物を複製することができる。ただし、当該著作物の種類及び用途並びにその複製の部数及び態様に照らし著作権者の利益を不当に害することとなる場合は、この限りでない。」という未だに馴染みのある条項である。これは企業の実務者にとっては関係ないように思える条文だが、ちょっと前までは、大規模な社内研修等が行われるたびに、多くの社内講師、時には社外講師ですら、「学校の授業でこういうのよくやってるじゃん」と言って新聞の抜き刷りやら、他人の書籍からとってきたプリントやらを配りたがる傾向があったから、その都度、この条文を頭に入れながら関係者に説明することを余儀なくされた、という経験を持つ人も多いはずである。

*6:確かに、70年代と言わず、21世紀が近付いた頃になっても「コピー機」はまだそこまで普及しておらず、特に学校の現場では、生徒会が会報一つ刷るにも版下を作って輪転機を回す、紙はわら半紙で写真を版に組み込もうものなら紙詰まりで散々苦労させられた上に再現性は・・・といったような状況だった。

*7:授業を受ける者が限られた範囲に留まる限り、いかに著作物がデジタル化され、公衆送信されたとしても、それが際限なく流通していく、ということにはなり得ないはずだし、その意味で、この場面での利用は、一般的によく言われる「デジタル化に伴う複製の容易性」といった類の話とは本質的に異なる、というのが自分の理解である。

*8:個人的には「教室で当然できることがインターネット配信ではできない」ことを是正するための法改正は必要だと思ってはいたが、わざわざ教育機関において「(他人の)著作物の利用を促進」する必要まではないだろう(なぜなら教育者というのは、本来的には自ら著作物を創作すべき立場の人々なのだから)、と思っていたところもあり、35条の存在をあまりにポジティブなものとして捉えすぎるのもどうなのかな、と思うところはあった。

*9:https://forum.sartras.or.jp/wp-content/uploads/unyoshishin2020.pdf

*10:それゆえ、講義のたびにテキストコンテンツはもちろん、挿入する画像まで極力「自作」で賄ってきたつもりである。もちろん当然ながら32条は最広義に解釈した上で、のことではあるのだが。

微かに見えてきた光と、このまま変わってほしくないもの。

週が変わって月曜日。

今日も先週からの流れそのままに、決算発表延期の適時開示に埋め尽くされた一日だった。ざっと手元で数えたところで65社くらい。

5月の連休明けに予定していたスケジュールを1週間、2週間延ばす、という会社が多いのだが、中には今日、明日に予定していた発表日を急遽キャンセルして代替の発表日は未定、という会社もあり、先週末から今日にかけて、会社上層部と財務担当者、そして監査法人というトライアングルの中で様々なやり取りが繰り広げられたことは想像に難くない。

延期に至った背景は、各社各様だと思うが、共通するのは、「決算発表」というのは多くの会社で取締役会の日程とセットで決まっているものだ、ということ。

特に5月に決算発表を行う会社は、同じタイミングで株主総会に向けた取締役の改選だとか定款変更といった様々な重要な決定も一緒に行った上でリリースするのが常だから、簡単に「ちょっと1週間ずらせばいいじゃない」というような話ではない。

そうでなくても物理的に会合を設定しづらいこの時期に仕切り直して社外役員も含めた日程調整を行い、場合によってはテレビ会議のインフラまで整えた上で改めて取締役会を設定する。その作業だけでも事務方にとっては大きな負担になる。

だからこそ、ギリギリまでスケジュール通りの発表を目指し、でも、結局作業が間に合わず、監査法人には「無理です」と撥ねられ、上には怒られ、財務部門と取締役会事務局で喧嘩を始める、といった散々な思いを味わった人も決して少なくなかったのではなかろうか。

今日は延期を発表する会社がある一方で、淡々とスケジュール通りに決算発表を行っていた会社もそれなりの数あっただけに、なおさら様々な景色が思い浮かぶことになった*1

また、株主総会の基準日変更は本日は1社、多くの方が存在を知っているであろうサマンサタバサジャパンリミテッドである。

https://www.release.tdnet.info/inbs/140120200427400301.pdf

この会社は、2月期決算企業でありながら、未だに通期の決算発表を行えていないという状況もあり、例年行っていた5月中の株主総会開催を断念して、2020年5月12日を新たな基準日に設定6月下旬の定時株主総会開催を目指す、というリリースを行っている。

例年は株主総会で配当決議を行っていた会社だし、有名ブランドの会社だけに株主数もそれなりに多いからさぞ大変だろう、と思いきや、この1年で経営不振が深刻化し、第3四半期の報告書でも「継続企業の前提に重要な疑義」あり、とされてしまっているような状況だけに、幸か不幸かその心配は全くの無用(既に今期は「無配」の予想も公表している)。

ただ、今日公表されたスケジュールだと、3月期企業の総会の開催時期と思い切りバッティングしてしまうわけで、昨年までホテルオークラで華やかに定時総会を開催していたこの会社が、果たして会場選択でどのような選択をするのか、ということは、ロジ回りに関心のある者としては気になるところである*2

* * * * *

幸いにも、昨日、今日、と東京の新規感染判明者数は大幅に減少している

明日になれば、検査数との関係でまたそれなりの数を回復してしまう可能性も高いのだが、それでも東京都内を生活圏とする多くの人々が、ここ2,3週間、「外出自粛」「在宅勤務」で多数人との接触を極力避けてきた結果はそれなりに出ていると考えて差し支えないような気がして、こうなると、「もうちょっと頑張れば・・・」という気にもなってくるというものだ。

残念ながら周辺自治体での感染者増加ペースはまだまだ高止まりしているし、東京だって、ちょっと気が抜けて人が動き始めた瞬間に再び「感染拡大」の勢いが活発化するリスクは到底避けることはできない。そして何よりも、命を救おうとする医療従事者の思いが届くかどうかの瀬戸際で戦っておられる重症者の方々も病床にたくさん残っておられる。

ただ、それでも、これまで感染者増加の一途、明るい話題を見つけてくることさえなかなか難しかったこの国の状況に、ほのかに光が差してきたことは間違いないだろう。

そして、もしかしたら、思いのほか早く、あと1か月経つか経たないかくらいのタイミングで、それまでの「日常」が戻ってくる可能性も浮上してきたような気がする*3

「宴会」まではできなくても、外で美味しいものを食べる、というちょっとした贅沢や、どこのカフェでもコーヒー一杯で一息つけるささやかな幸福が戻ってくることには両手を挙げて賛成するほかないし、これまで中止、中断を余儀なくされてきた様々なイベントがちょっとずつ戻ってくる、ということへの期待もある。

だが、その一方で、この1カ月、2か月近く、平時とは異なる環境で過ごしてきたことで、「全て元通り」になることが良いことなのかどうか、疑問を持ち始めた人々も増えてきたのではないか?という気がして・・・。

在宅で仕事をしている人なら、朝夕の通勤に時間を割くことなく、朝ゆっくり起きて、仕事に集中し、ほどほどで切り上げればまともな時間に夕食がとれる。

まだ通勤を余儀なくされている人も、少なくともそれまでのような不快な車両内の環境に煩わされることはないし、昼食時、混雑するお店に並んでまで入店する必要もない。

何よりも、貴重な時間を奪う無駄な会議、打合せ、仕事後の諸々の会合、といったものがなくなったことで、すっきりした日々を過ごしている人も多いはず。

今の状況では、「平常」に戻った後に、何が残り、何が失われるのか、ということを予測することはなかなか難しい状況にあるのだが、できることなら「不合理」が極力排された今の状況は極力そのままに、そして、これまで長い月日をかけても動かなかったこと(行政手続きにおける印鑑の廃止、省略等)が大きく動き出している、という状況もまたそのままに、と、心の底から願っている。

ちょっと気が早い話。でも、これまでの2か月があっという間だったのと同様に、油断するとこの先もあっという間に過ぎて行ってしまうような気がするので。残された”非日常”の時間の中で、良い変化を少しでも不可逆的なものにする、ということにも知恵を絞っていくことが大事なのかな、と思っている次第である。

*1:先週の金曜日、夜遅い時間に適時開示サイトに上がってきた某メーカーが、発表延期の理由として「新型コロナウイルス感染症の感染拡大を防ぐため、1 都 3 県共同キャンペーン「いのちを守る STAY HOME 週間」における、企業に対する連続休暇の取得の呼びかけを受け」という理由をわざわざストレートに記載したあたりにも、その背景にある様々な苦労の跡を見てとったところである。

*2:何といっても6月総会の会社は、鮮烈な陣取り合戦(?)の末に定着した会場を1年前から予約して使用しているような状況であり、そこに割って入るのはそうたやすいことではない以上、コロナウイルスの蔓延状況にかかわらず規模縮小を余儀なくされるのかもしれない。

*3:「withコロナ」等々の論調が最近やたら流行しているが、スペイン風邪の時代と今とでは医学のレベルもまるで異なるわけで、そうそう何年にもわたって同じレベルの感染の波に人間が負け続ける、ということはちょっと考えにくい。また日本の場合、五輪の一部種目を開催都市から追いやるくらい忌み嫌われる酷暑&猛烈な湿気が、ことウイルスとの戦い、という点においては、他の国以上に有利に作用する可能性があることも頭に入れておくべきではないかと思っている。大概のことは、多くの人が「予測」し、「前提」に組み込み始めた時点で肩透かしに終わるのが常なのである。

荒れた空気の中の人生交差点。

祈りはまだ通じているのか、舞台を中山から東京へ、阪神から京都へと移し、今週も中央競馬の開催は継続された。

同じ「無観客」仲間(?)、大相撲の世界でも既に感染事例が判明し、夏場所の開催が危ぶまれている状況になってしまっているのだが、競馬の世界では今の今に至るまで、まだ騎手も厩舎関係者の感染も全く報じられていないのだから*1、まぁ大したものだな、というほかない*2

ただ、開催替わりで空気が変わったゆえ、なのか、今週の土日は、「コロナ」以外の波乱が満載。

土曜日は、京都で1レース目から単勝110.4倍、これまで3走、掲示板に載ったことさえなかったヴィネット号が6馬身差の圧勝を見せたのを皮切りに、メインレース(彦根S)の15番人気・ラセット*3まで、単勝万馬券4本の大荒れ*4

さらに日曜日は、これまた京都の1レースで、岩田康誠騎手の馬が骨折転倒したのをきっかけに、5頭落馬(さらに1頭影響を受けて競走中止)という大事故が起きてしまった。

最初に落馬した岩田(康)騎手の骨折も大ニュースではあるのだが、それ以上に今季絶好調、土曜日は全レースに騎乗していた松山弘平騎手まで巻き込まれ、しかも骨盤骨折の重傷を負うことになってしまった、というのはかなりショッキングな出来事で、結果的にこの両騎手から一日に6鞍も引き継ぐことになった武豊騎手の思いもさぞ複雑だったことだろうと思われる*5

メインの重賞レースも、日曜京都のマイラーズカップこそ、インディチャンプが圧倒的支持に応えて快勝し比較的無難なところに落ち着いたものの、土曜日の福島牝馬Sは、2着・リープフライミルヒ、3着・ランドネと2桁人気の馬が食い込んで3連単64万円超、日曜東京のフローラSでも、スカイグルーヴ、レッドルレーヴ、という自分好みのエアグルーブの末裔たち*6を圏外に蹴散らしてウインマリリン&横山武史騎手が重賞初勝利*7、と実に荒れた。

来週以降、再びGⅠ連続シリーズに突入するだけに、もう少し落ち着いてほしいなぁ、というのが素朴な願いではあるのだが、これまで競馬場で、やれ馬体が!とか、直前の気配が!といったところで馬券を購入していた層がネット投票に移行して「その場の見極め」でオッズが動きにくくなったせいか(仮説)、データ党にとっては何となくやりにくくなっている雰囲気もあるだけに*8、心の底から勝っても負けても楽しめるだけよい、という心境に達するまでは、まだまだ苦労することになるのかもしれない。

で、そんな中、この土日はいろいろな「節目」の勝利の報が飛び込んできた週でもあった。

1300勝の和田竜二騎手、1000勝の秋山真一郎騎手、100勝の藤田菜七子騎手。

案の定、一般のニュースメディアで取り上げられたのは、藤田騎手の話題が圧倒的に多かったのだが、長く見てきた者としては、「テイエムオペラオー後」で苦しんだ和田騎手が現役を続けてまた一つ節目を超えた、というニュースにいろいろと感じ入るところもあったし、同期の武幸四郎騎手が早々と調教師に転向する中で、騎乗機会は限られていながらここまでたどり着いた秋山騎手にも喝采が送られてしかるべきだろう、と思っている*9

もちろん、こういう嬉しいニュースを聞くたびに「無観客じゃなかったら・・・」という思いに駆られるところはあるのだけど、考えようによっては、その日、その場にいたファンとそうでないファンの隔てなく、皆が同じ距離感でジョッキー一人ひとりのコメントを聞くことができる貴重な機会でもあるわけで、メディアから流れてくるコメントを聞きながら、決して永久に続くわけではない”今だけの非日常”をちょっとでも前向きに捉えないとな、と思ったことを最後に付言して、再び次の週末に向けた祈りを捧げることとしたい。

*1:JRA職員の感染事例は既に報じられているが、幸いにもそこから騎手等に広がっていくことはなかったようである。

*2:もちろん、騎手に対して土日の騎乗競馬場を同一にしなければならない、という規制を課したり、東西間の遠征や一部の地方交流競走を中止したり、といった、決して小さくはない犠牲を払うことで維持されている”平穏”でもあるのだが、ここまでの関係者の不断の努力には心から敬意を表さねばなるまい、と思っている。

*3:この馬自体の京都での戦績は決して悪くなかったのだが、約1年ぶりの出走で馬体20キロ増、鞍上が今季まだ3勝の加藤祥太騎手だったことが低人気につながったのだと思われる。

*4:東京での1本と合わせて一日5本の万馬券JRA史上初、のようである。

*5:リーディング争い的には、ちょうど松山騎手が武豊騎手を猛追し、抜き去ろうか、というタイミングだっただけになおさらだろう。12レースでは松山騎手から乗り替わったヨドノビクトリーで今季46勝目も挙げている。

*6:馬名と見ただけで一目瞭然、このレースでも期待していたのだが・・・。

*7:横山武史騎手は、このレースを挟んで3連勝、しかも重賞以外はいずれも2桁人気、と実に神がかった活躍であった。

*8:データとJRA-VANデータマイニングを元に穴を狙って買ったつもりでも思いのほか人気になっていて配当に恵まれなかったり、逆に、必要以上に人気薄になっていた馬が勢いに乗って勝ってしまったり、ということがちょっとずつ増えてきた気がしている。気のせいかもしれないが・・・。

*9:何といってもこの辺の世代の騎手たちは、自分が競馬への「ライト」な距離感からより深みへとはまっていく過程でデビューした騎手たちなので、自分の中での思い入れもひときわ、なのである。

あれから1年、「プラットフォーム規制」の現在の到達点。

最近はこのブログも、もっぱらコロナの話題一色になってしまっているのだが、そうはいっても自分の中では一つの節目の日だったので、1年前に何を書いていたかな?と思って見返したら、そういえば以下のような記事だった。

k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

ああそうだった、ちょうど1年前の今頃からいろいろと議論が盛り上がってきていたのだった、ということを何だか懐かしく思い出したりもしたのだが、結局その後どうなったかといえば、急ピッチで進められた議論の末、閣議決定された「特定デジタルプラットフォームの透明性及び公正性の向上に関する法律案」が現時点での到達点、ということになる。

www.meti.go.jp

既に法案も国会提出済み。

このご時世だからあまり報道はされていないが、着々と審議は進められたようで、衆議院のウェブサイトには、一昨日の4月23日に本会議で全会一致で可決(これから参議院で審議)、というステータスが表示されている*1

もちろん、今世界中で各国当局が悪戦苦闘しているような一筋縄ではいかない話だけに、これで全て解決、ということになるはずもないし、むしろ、法律案の附則第2項にある、

「政府は、この法律の施行後三年を目途として、この法律の規定の施行の状況及び経済社会情勢の変化を勘案し、この法律の規定について検討を加え、その結果に基づいて必要な措置を講ずるものとする。」(強調筆者)

という「施行後3年での見直し」のタイミングで出てくるスキームこそが、この国の「プラットフォーム規制」のあり様を決定づけることになるはず。

そんな背景の下、ジュリストの最新号(2020年5月号)では「プラットフォーム規制の現在地」という特集が組まれている。

ジュリスト 2020年 05 月号 [雑誌]

ジュリスト 2020年 05 月号 [雑誌]

  • 発売日: 2020/04/25
  • メディア: 雑誌

通常、大学の研究者の先生が基調となる論稿を載せて、それに基づいて展開されていくことが多いのが「ジュリスト」誌の企画の特徴なのだが、今回は、基調論稿を書かれているのが実務家の森亮二弁護士である*2

そしてこの森弁護士の全体像をクリアに整理された論稿と、EU法令との比較を中心とした研究者の先生方の論稿に続いて掲載された実務家の論稿が、ひときわ強い光を放っている、というのが今回の特集の見どころでもある。

特に、「主にプラットフォーム取引透明化法案と競争法を意識しつつ、プラットフォーム事業者側の視点から、プラットフォーム事業者に対する規律のあり方を検討する際に考慮すべきポイントを整理する」(33頁、強調筆者、以下同じ)というコンセプトで書かれた藤井康次郎弁護士、角田龍哉弁護士の連名による「プラットフォーム事業者側の視点」という論稿*3は、現在の政策の方向性に対して数々の鋭い指摘が散りばめられている、という点で必読の論稿だといえるだろう。

まず出だしの強烈な打ち込みから。

「プラットフォーム事業者は、そもそも誕生の経緯からして、あくまで営利を追求する私企業であって、公益を担うインフラ企業等とは一線を画する存在であることを忘れてはならない。」
「確かに、プラットフォーム事業の中には・・・(略)・・・事実上、商取引や情報の流通等の『基盤』としての機能を担うものも登場している。しかし、これは、ユーザーのニーズや利便性に対して忠実に創意工夫を発揮し、自由競争の下で、ビジネスを営んだ帰結である。」(以上33頁)

ここで比較される「インフラ企業」だって、今や多くは「営利を追求する私企業」なのだから、ここで一概に「一線を画する」という評価をされていること自体には個人的には賛同しかねるのだが(苦笑)、「プラットフォーム事業者」を殊更にパブリックなものとして位置付けるべきではない、という点については全く同感だし、それゆえに規制の「許容性」についても慎重に検討されるべき、という結論には大いに賛成できるところ。

今の時代、どんなプラットフォーム事業者にも必ず代替する存在はいるわけで、Facebookを使いたくなければ他のコミュニケーション手段に移行すればよいだけだし、検索サイトやECサイトにしても、GoogleAmazonが使えなくなるとさすがにちょっと困るけどそれも慣れ次第、ましてやそれ以外の国内勢のサイトなんてねぇ・・・という感じだから「公益」を前面に出した規制の在り方については、自分も前々から強い違和感を抱いていたところだし、最近の風潮に付き合わずにそこをストレートに叩いてきたところはさすがだな、と感じさせるものがある。

これに続くのが、事業者の「多様性」に考慮した制度設計を求める記述で、

「プラットフォーム事業者に対しては、枠にはめるかのような画一性を求めるのではなく、プラットフォーム事業者による多様な利害調整や、責任共有・分担のあり方を一時的には尊重する形で臨むべきであって、プラットフォーム取引透明化法案や各種の業規制等の観点からの介入には慎重な精査が必要である。」
競争法の文脈からも、プラットフォーム事業者の行為が正常な競争活動の範囲を逸脱していると軽々に認定することは控えるべきであり、また、プラットフォーム事業者の行為に正当な理由があるかについての十分な配慮も必要であろう。」(以上34~35頁)

このあたりも御意、御意、といった感じである。

続けて、規制手法に関し、

「規制におけるイノベーションへの配慮は、理念の宣言だけでなく、実運用を伴うことが不可欠である。」(35~36頁)

とチクリと述べられているあたりは、これまで別の規制分野に関して取られてきた運用への批判が込められているようにも読めるし、

「どのような基準で評価されるのかが分からない状況では、プラットフォーム事業者としては、評価軸が曖昧なまま、世論や政治的関心により形成される、いわば『空気感』により事実上統制されることを懸念し、萎縮効果を生む。さらに、こうした『空気感』による統制は、政府機関側において、その規制の具体的証拠や理論的根拠を緻密に精査・検証するインセンティブを奪うおそれもある。」(36頁)

という記述は、まさについ最近まで話題になっていた某社の事例や、某サイトの事例を彷彿させるような書きぶり。

自分の素朴な感想を申し上げるなら、全ての「プラットフォーム事業者」が、本稿で前提とされているような「中長期的に、各ステークホルダーと相互にメリットを享受し、ともにエコシステムの形成と強化に向けて成長していくことを目指すインセンティブを有している」か、といえば、若干の疑問はあるし、仮に「社是」や経営トップの思いがそうだったとしても、実際にビジネスや顧客対応の最前線に立っている担当者にまでそれが浸透していると言える会社がどれだけあるのか?という話になってくるとより疑問は強まるところもある*4

ただ、欧米の先鋭的な潮流に乗って「規制こそ正義」が如く論陣を張る関係者やメディア等もある中で、「評価軸」を中立的に設定し、「ネガティブなレッテルを軽々に貼らないようにす」べき、という点には全く異論のないところである。

そして、自分がこの論稿のクライマックスだな、と思ったのが、「規制の重複の問題」として、

「ある法令や指針との関係では適合的であると評価される行為に対して、実質的に同じ行為を同じ法益侵害の観点から検討しているにもかかわらず、別の法令に抵触する旨の評価を下すことは、プラットフォーム事業者にとって萎縮効果を与えるおそれがある」(37頁)

と本文に書いた上で付された脚注19)だろうか。

「典型的には、個人情報保護法違反ではない行為につき、プライバシー侵害というユーザーへの弊害のみを根拠に競争法違反を認定するようなことには慎重になるべきではないかと思われる。公正取引委員会個人情報保護委員会が公表した考え方等を、はたして個人情報保護法に違反していない行為であるにもかかわらず、競争法違反に問う余地が広範に存することを示唆するものとして理解すべきかは、慎重に検討すべき問題である」(37頁、脚注19)

慎重な言い回しに見えて、実にストレートに問題点を指摘しているこの「脚注」は、今、多くの実務者が抱えているモヤモヤ感に見事に応えるものとなっているといえるだろう。

2発目のパンチ

実務家が書く時は、無難な解説に終始することも珍しくないジュリストの企画において、これだけパンチの利いた様々な指摘が散りばめられている論稿に巡り合えると非常に満足度は高くなるのだが、それで終わらないのが今号の企画である。

先の藤井=角田論文に続いて掲載されているのが、元ヤフーの別所直哉・京都情報大学院大学教授の論稿*5なのだが、この内容も実に刺激的である。

何といっても書き出しからして、

これまでの多くの議論は『プラットフォーマーによるデータ寡占が問題である』というステレオタイプ化した課題観に偏っていて、全体像を反映していないのではないかと考えている。」(39頁、強調筆者、以下同じ)

という問題提起が出発点になっているのだから、その内容は推して知るべし、というところであろう。

本稿を貫いているのは、「GAFAが悪い、とよく言われているが、データ寡占等について具体的な弊害が生じているわけではない」という著者の認識であり、「個別の実態を詳細に調査し、事実に基づく法的評価を正しく行う前に問題があると決めつけてしまうことはできない」という一貫した思想である。

裏返せば、現実に問題が顕在化している「一国二制度問題」等については、より広範に検討を進めるべき、という結論になるし(41頁参照)、

「ビジネス上の創意工夫のひとつが、ポイント制や送料政策であることは否定しないが、仮に、それが不公正な取引方法に該当するのであれば、当然、法律上制約を受けても止むを得ないことになる。独占禁止法に抵触するような行為が認められないことをもってイノベーション阻害と言うことができないのは当然である。」(42頁)

というくだりに象徴されるように、事実に基づく法的評価が「クロ」なら、ダメなものはダメ、という点で、特に一部の国内事業者の動きに対しては、厳しい目を向けているように思われる*6

極めつけは、以下のくだりだろう。

関連する法令を正しく解釈していく能力を事業者が身につけないまま自由がないなどと批判をすることを認める必要はない。このような状況が見受けられなくなって初めて個人情報保護法イノベーションとの関係を論じることができるようになると考えている。」(43頁)

これは、個人情報保護法に関し「多くの事業者が例外規定を狭く解釈しすぎているきらいがある」という指摘に続いて出てきたコメントであるが、まぁなんと手厳しい・・・(笑)。

ただ、解釈論で切り抜けられる可能性も十分検討しないまま、すぐ「立法」に飛びつきがちな昨今の様々な分野での状況に鑑みると、これまで「法律に残る仕事」をしてこられた別所教授*7だからこそ呈することのできる「苦言」なのかな、という気もしている。

現在のプラットフォーム規制法案に対する、

「規制により具体的な負担が発生する場合は規制コストを考慮する必要があるが、気持ちの上で萎縮するからという理由は主観的なものにすぎない。それが、表現規制である場合には十分考慮しなければならないが、経済関連規制については制定を積極的に妨げる理由とはならない」(44頁)

というコメントといい、さらにこれに続く「事業者への期待」の項での記載といい、これまたジュリスト掲載論文としては相当尖った内容ではあるが、だからこそ実務者であれば、繰り返し読み返したい論稿でもある、と自分は思っている。

場外からの牽制球?

ジュリスト5月号の「特集」掲載記事のご紹介は以上のとおりだが、実は今号には、特集の「外」にも同じテーマで掲載されている論稿がある。

「時論」のコーナーに掲載された、川濱昇・京都大学教授「プラットフォーム事業者への『優越的地位の濫用』の『拡大』とその課題」(69頁)という論文である。

この論稿は、公取委が昨年12月17日に公表した「デジタル・プラットフォーム事業者と個人情報等を提供する消費者との取引における優越的地位の濫用に関する独占禁止法上の考え方」*8への「批判的な見解」を意識しつつ書かれたもので、基本的には当局見解をフォローするもの、というのが自分の理解なのだが、その中で、先に取り上げた藤井=角田論文の脚注19に正面から反駁するような記述があったので、ここでご紹介しておくことにしたい。

「『考え方』はあくまで優越的な地位を有する事業者の濫用を規制するものであって個人情報保護法とは保護法益を異にする。換言すれば、すべての個人情報取扱事業者を対象として、あらゆる場合に必要最小限の対応を求める個人情報保護法の規律ではカバーできない領域を扱う必要があり、これに対応したものであると言える」(73頁、強調筆者)

川濱教授は、この背景として、「個人情報保護の水準」=「品質水準」であり、優越的地位に基づいてそれを不当に低下させているのであれば、(個人情報保護法違反でなくても)優越的地位の濫用なのだ(73頁参照)、という考え方を示されているが、そのような考え方に対しては、「そもそも法令が定めた特定の基準をクリアした取扱いについて、『品質』の高低という尺度が曖昧な基準により別個の法的評価を加えることが妥当なのか?」という反論は当然想定されるだろう。

ただ、この見解が、おそらくこれからも延々と繰り返されるであろうこの独禁法個人情報保護法の交錯領域での議論に際し、一つの視座を示していることは間違いないし、それが同じ号の40ページほど後ろに掲載されることで、結果的に「特集」掲載稿での鋭い批判への牽制球となっていることも確かである。

どうせなら、特集の企画の中に並べて載せていただければなおよかったのかもしれないが、一冊の雑誌の中で、「5本立て」の特集掲載論稿に加えて、さらにもう一本、逆サイドからの解説論文に接することができる、というのは幸運以外の何物でもないわけで、だからこそ、ここであえて並べてご紹介させていただいた。

日本に限らず、多くの国で一時的に休戦状態になっているこの話題だが*9、おそらくは「コロナ後」により存在感を増すであろうと思われるのが、このインターネット系プラットフォーム事業者*10だと思われるだけに、関心のある方は、これからの行く末にも思いを寄せつつ本号をお読みになることをお薦めしたい。

*1:閣法 第201回国会 23 特定デジタルプラットフォームの透明性及び公正性の向上に関する法律案参照。

*2:森亮二「プラットフォームの法的責任と法規制の全体像」ジュリスト1545号14頁(2020年)

*3:藤井康次郎=角田龍哉「プラットフォーム事業者側の視点」ジュリスト1545号33頁(2020年)

*4:だからこそ、「政治」や「世論」に直結しかねないクレームがしばしば沸き上がってしまっているわけで、そういった現実にも目を向けないと執行機関側にとっては気の毒なことになってしまう。

*5:別所直哉「プラットフォーム規制とイノベーションジュリスト1545号39頁(2020年)。

*6:この点に関しては、そもそも「法的評価」の中に、効率性をはじめとするイノベーションの所産を正当化事由とすべきかどうか、という要素が織り込まれてしかるべきだから、単純に要件に当てはめて該当するからダメ、ということではないと思うのだが、最近の法改正でやたら目に付く「過度のイノベーション信奉」に釘を刺すべき、という観点においては、支持できる言説だと思われる。

*7:これまでの別所教授の足跡に関しては、こちらのエントリーを参照されたい。「ルール」を作る、ということ。 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~

*8:この「考え方」を案段階で紹介したエントリーは立ち返るべき原点が見えなくなってしまう前に -プラットフォーマーと個人情報を提供する消費者との取引における公取委ガイドライン(案)に関するメモ- - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~である。

*9:なぜかフランスからは、執行当局が普段通りに振る舞っているかのようなニュースも伝わってくるが・・・。

*10:リアル系の「プラットフォーム」的役割を果たしていた事業者は、逆に・・・というところもあるので、なおさらである。

ギリギリの限界線で。

ここのところ流れてくる政府や主要自治体の動きを見ていると、「焦ってるな」という印象を強く受ける。

昨日の「スーパーマーケットでの『密』防止策」や、「休業要請に応じない事業者名の公表」といった話に始まって、今日にいたっては「12連休の呼びかけ」まで・・・。

確かにスーパーやドラッグストアが、時間帯によってはまぁまぁ混んでいる状況になっているのは確かなのだが、少なくとも山手線の内側であれば、自分が気を付けていれば「かわせる」レベルではあるし、下手に入場規制や来店日制限をかけようものなら、かえって人の滞留や不要な買い占めを招くだけの結果につながってしまうような気もする*1

「事業者名の公表」についても、既にネット上などでは散々晒されている中で、お上が正式に「公表」することにどれだけの意味があるのか疑わしい上に、多くの方々が指摘されているとおり、今の、世の中の一定割合の輩が”コロナをなめている”状況では、かえって「集客効果」を生じさせてしまうリスクも避けられないだろう*2

最後の「12連休」に至っては、これに易々と応じるような会社ならとっくに在宅勤務なり自宅待機に切り替えているだろう、という突っ込みもあるし、現に在宅勤務に切り替えている会社が多く、通勤電車もオフィス街も感染リスクが著しく下がっている状況*3で、その部分の削減にさらに力を注ぐのは決して効率的なこととはいえない。

特に公園やら小売店やらでの「密集」が問題になっている時に、昼間人口をすべて居住エリアの方に集中させてしまうことのリスクは、今一度考えた方が良いのではないかと思うところである*4

ただ、こんなあれやこれやの”窮余の一策”を矢継ぎ早に打たないといけないのも、足許の感染者の拡大状況があまりに芳しくないからで、そこは関係者に同情すべきところは多い。

東京都はここ数日100人台前半の数字で落ち着いているように見えるものの、公表されている検査数との比較でいうと、相当高い割合で感染者、しかも経路不明の感染者が出ている状況だから、実際の日々の感染者数は公表値の3倍~5倍くらいには膨れ上がっていると見た方が良いだろう。また、その他の大都市圏や周辺自治体、北海道といったエリアの数字も一向に下げ止まる気配が見えないし、何よりも、ここに来て死亡者の数が目に見えて増えてきている。

ここまでの日本の医療従事者の方々の献身的な貢献の素晴らしさは、あえて自分が申しあげるまでもないし、それがこの一カ月、感染者数は増えても死亡者数はそんなに増えない、というギリギリのバランスを保ってきた。だが、いかに日本の医療が充実しているといっても、そこでできるのは「重症化した患者を死に至らせない」というところまでで、一見軽症に見えた感染者を突如として重篤な肺炎に陥らせるウイルスの気まぐれさには元々何ら打つ手はない。しかも、「死に至らせない」という日本が誇る最後の砦も、今や崩壊の瀬戸際にあるのは日々伝えられる情報からも十分窺い知ることができる。

これまでもそうだったように、一連の対策の背景には、メディアに対してストレートに出せないようなより脅威を感じさせる「裏」の情報があると思われること、そして、対策そのものの当否はともかく、一連の対策から「本当にここが瀬戸際なんだ」というメッセージがにじみ出ている以上、一人ひとりが自分の判断で、自分と家族を守るためのリスク回避行動をとるしかないし、休日の「家の周りの人の増え方」如何によっては、それこそ「一歩たりとも外に出ない」覚悟だって必要だろう、と思っている*5

そしてこれも散々書いてきたことではあるが、いくら『経済!』と叫んだところで、それを享受できる人々が生き残らなければ、一片の価値も意味もない

GW後半から5月の半ばにかけてのニュースを「訃報」で埋め尽くすことにならないように、できることを徹底してやる。今はそれに尽きると思うのである。

そして、ついに出た「完全延期」

さて、連日出ている決算発表延期は今日も20社超。

そしてとうとう、「定時株主総会基準日」だけでなく、「剰余金配当基準日」まで先にずらした会社が登場した。

www.nansin.co.jp

この会社の2019年3月末の株主数は681名。大株主の上位はオーナー一族と思われる名前が並び、流動株式比率も決して高くないと思われる会社だからこそできるドラスチックな一手、というべきなのかもしれない。

ただ、一方で、計算書類が確定していない段階で、安心して剰余金配当決議などできるはずもない、というのは、あの山口利昭弁護士もブログで書いておられるとおりで*6、それゆえに、「1回目の総会で剰余金配当を決議し、2回目の総会で計算書類報告をする」という「二段階方式(継続会方式)」式が広く普及するとも思えない*7だけに、ここからの数週間、特にインドやマレーシア等のロックダウンが解除されるかどうかによって、各社の運命も、3月末時点で株主”だった”人々の運命も大きく変わる可能性は出てくるような気がする*8

ゴールデンウィーク中に『緊急事態宣言』の延長要否を判断する」という総理の発言からも明らかなように、残念ながら、この国の行政機関には、本当の意味で企業実務を理解していないのではないか?と思えるところも多々あるのだが*9、そんな中でも「実務」は進められなければならない、というのが残念ながら現実。

だからこそ、ここでも試されるのは、(くどいようだけど)現場の、末端の実務者の一人ひとりの叡智だ、ということを、改めて繰り返しておきたいと思うのである。

*1:この点に関しては、前にも書いた通り「出かけるときは大人一人(やむを得ない場合は+子供一人)」の原則を徹底させることで相当緩和されると思うのだが、諸外国では普通にやっているこの呼びかけが、なぜか日本ではあまり広まってくれないのは残念なことだと思う。

*2:個人的には、パチンコ屋のような事業者に関しては、(元々極めてグレーなところで商売をやっている人々なのだから)憲法訴訟も覚悟で営業への行政介入をして閉鎖を強行してしまえばよいではないか、と思うのだが、さすがにそれを期待するのは無理がある。

*3:唯一リスクがあるのは、外からは見えない各オフィスの中だが、そこはもうそれぞれの会社の自己責任でやってくれというほかないし、そんな状況で仕事をしていた人たちが家庭や住宅街に滞在する時間が増えることでかえって増えるリスクもある、ということに目を向ける必要もあるような気がする。

*4:そうでなくても、これから迎えようとしている「GW」は、多くの人がどこかに出かけてしまったせいで、清々しいくらい都内の人口が減っていたこれまでのGWや年末年始とは、全く違う景色になってしまう可能性も高いわけだから、むしろ休日を年の後半にスライドさせてでも、人口を分散させる施策を打った方が良いのではないか、と思うくらいだ。

*5:本当は、今からでも遅くないから、これまでの「ご高齢の方は~」「基礎疾患のある方は~」みたいな留保を取っ払って、コロナウイルスに感染すると、誰でも死ぬ可能性があります」ということをもっと声高に、ストレートに、発信力のある人たちが語り続けるべきだと思うのだが、誰かがそれに応えてくれないものか。志村けんさんを失い、岡江久美子さんまで失ったこの国が、さらに若い世代の犠牲者の訃報を一つ二つ流すまでCOVID-19をなめている人々の感覚を変えられないのだとしたら本気で危ないと思うし、そういった人々を、自分たちのコミュニティの中の誰かが死ぬ、あるいはもっと近い家族が死ぬ(そうなれば、どんなにいきがってる連中も改心する。人間はそういうものだから)といったことになるまで放置するのは、いくら自己責任が原則、といったところで、もどかしいにもほどがある。

*6:6月総会延期問題-「継続会方式」「バーチャル株主総会」はリスクが高い: ビジネス法務の部屋参照。

*7:そもそも、いくら入場制限しても良い、といったところで、あの緊張感のある会合を年に「2度」も開く、ということ自体、会社にとってはあまりに負担が重すぎるのであり、その意味で「二段階方式」は、”机上の空論”に近いところがあるような気がしてならない。

*8:国内も含めてあまりに状況が悪化すれば、配当を「無配」とすることにより堂々と延期できる、という可能性も出てくることにはなるが果たしてそこまで思い切れる会社があるのかどうか。

*9:ゴールデンウィーク、しかも行政が率先して「休め」と言っておきながら、5月以降の各社のスケジュールに大きな影響を与える 「宣言延長」の是非をその最中に決められたのでは、会社としても全くお手上げである。まぁ、今の足元の状況を見たら、「5月6日に解除されることはない」という前提でいろんなスケジュールを組む方が確実性は高いと思うのだが、中にはまだそういうスタンスで動いていない会社もあるようなので、5月の2週目早々から緊急出社を強いられる会社が増えなければよいな、と願うばかりである。

「3か月以内」に向けた攻防の行方。

昨日のエントリーで取り上げた「決算発表延期」の件、今日も20社を超える会社がリリースを出している。

で、これに関連して今日の朝刊に載っていたのは以下のような記事。

東京証券取引所が上場企業に対し、新型コロナウイルスの感染拡大による影響を早期に開示するよう要請したことが分かった。決算発表の時期が後ずれした場合であっても、業績予想の修正や決算発表日の延期の公表などにあわせ、現時点で把握している情報を可能な範囲で投資家に周知するよう求めている。
「決算発表が大きく後ずれした場合、企業が新型コロナの影響を明らかにする時機を逸する可能性がある。決算発表にこだわらず、業績修正や決算延期の発表時に足元の状況をできる限り開示するよう要請した。」(日本経済新聞2020年4月22日付朝刊・第15面、強調筆者、以下同じ)

まぁ、確かに建前としてはこう言わざるを得ないのだろうけど、投資家の目線で考えてみても、今回のようなケースで急いで開示させることに果たしてどれだけの意味があるのか、首を傾げたくなるところはある。

記事の中でも書かれているとおり、「開示せよ」とされているのは、

主要な拠点の稼働状況影響が顕在化してからの売り上げ実績や今後の見通し開示時点での資金繰りの見通しコミットメントライン(融資枠)の設定状況など」(同上)

といった情報。

でも、どの会社がどこに拠点を持っていて、その国が今どういう状況になっているのか、ということは、わざわざ開示してもらわなくても調べればすぐに分かることだし、現在の「実績」に関しても、ここで開示することを求められているような会社が「今、売り上げベースでは散々な状況になっている」ということは、どんな素人にでも分かることである。

しいて言えば、資金繰りの状況とかコミットメントライン*1に関しては、まぁ見られれば嬉しいかな、というくらいの話なのであるが、これから通期決算作業の詰めに向かって監査法人とハードなやり取りをしている多くの会社に、余計な労力をかけさせてまで欲しい情報か、と言われれば、そこまでのものではない*2

さらに、「今後の見通し」ともなってくると、それこそ開示する側の会社の方が「誰か教えてくれ!」と叫びたいような状況になっている、というのが現実だから、これも開示情報として有益なものが出てくることなど到底期待できるはずがない。

まぁ早い話、今回のような「影響が見えやすい災害」の場合、そこまで丁寧な開示を求めなくても、投資家の側は「どの業界の会社がひどいことになっているか」というあたりを付けることは容易にできるわけだから、それ以上に、建前論で中途半端な状態での開示を促さなくともよいのではないか*3、というのが、いつも通りの東証のスタンスを見ながら感じていたことであった。

そして、決算直前に公表されることが多い精度の高い業績予測修正のリリースを除けば、今出ている「新型コロナウイルス感染症の影響に関するお知らせ」系のリリースは、軒並み「分かり切った話」と、「この機会に乗じた宣伝」のどちらかに分類されるようなものになってしまっていることが多い、ということも、合わせて付言しておきたい。

「3か月」を踏み越えた会社がまた一つ

さて、そんな中、今日もまた一社、「基準日変更」に挑んだ会社が登場した。

スカパーJSATホールディングスである。
www.skyperfectjsat.space

リリースによると、連結決算発表を6月26日に延期、有価証券報告書の提出を7月30日提出予定、とした上で、定時株主総会の基準日を「2020 年 5 月 31 日」に設定。

そして、総会の開催日が「2020年7月30日」になる、ということまで公表している。

ここまできっちりとスケジュールが組めている、ということは、決算確定に向けた作業進捗の見通しもきちんと立っている、と見るべきなのだろうが、剰余金配当を取締役会決議で行っていた会社(基準日も「3月31日」から変更なし、ということが公表されている)であるがゆえに、現在の状況に鑑み、余裕をもってスケジュールを設定した、ということなのだと思われる*4

既に当ブログでも、昨今の情勢に鑑みて、定時株主総会の「基準日変更」に挑んだ会社として、これまで2社ご紹介してきた。

1つは、2020年2月期決算会社である、㈱ディップの事例*5

この会社は、決算発表を「45日以内」の4月7日に行い、2月29日を基準日とする取締役会での剰余金配当決議も行った上で*6、本来予定されていた基準日の2か月後である「2020年4月30日」を定時株主総会の基準日とし、「2020年7月29日」に総会を開催することを公表している。

また、もう1つの事例は、昨日取り上げた東芝*7

こちらは決算発表を「5月下旬以降」に延期する、とした上で、剰余金配当は予定どおり3月31日を基準日として行うこと、そして、定時株主総会の基準日を「2020年5月15日」とすることだけを公表している(総会開催日は非公表)、という点に特徴がある。

こうして並べてみると、三者三様のアプローチで、なかなかに興味深いものがあるのだが、いずれも共通しているのは(今予定されているとおりのスケジュールで決算が確定すれば)「剰余金配当の基準日は変更する必要がない」ということで、そこはうらやましいな、と思って眺めている会社の方も少なからずいらっしゃるのではないだろうか*8

先日、「連絡協議会」が推奨(?)したような、「継続会」パターンの事例は未だ出てきていない状況ではあるが*9、もしかすると、既に決算発表を「6月中旬以降」と予告した会社などはこのパターンになる可能性もあったりする*10だけに、まだまだ目が離せない状況ではある。

経理担当者、監査法人、さらに承認を得なければいけない「偉い人」の動静等、様々なスケジュールをにらみつつ、国内の「緊急事態宣言」の帰趨や海外諸国の「ロックダウン」の帰趨を見極めて、諸々折り合いを付けていかなければならない、というハードミッション。そんな状況下での「基準日から3か月以内」のゴールに向けた攻防は、ここ1,2週間がまさに佳境だったりもするわけで、人知れず苦労を重ねておられるであろう多くの担当者の方々の汗が、最後には報われることを願ってやまない。

戦いの舞台は総会の場に移った、という話。

最後に、今日の本題からは離れるが、先日のエントリー*11でご紹介した積水ハウス㈱の定時株主総会開催をめぐる仮処分事件に決着が付いた(一部取下げ、一部却下決定)、ということもご紹介しておきたい。

以下は、本日付の会社側のリリースである。
https://www.sekisuihouse.co.jp/company/topics/datail/__icsFiles/afieldfile/2020/04/22/20200422.pdf


申立人がどこに重点を置いた主張をしていたのかは不明だが、

「当社による本定時株主総会の開催場所・開始時刻の変更に違法性はなく、招集手続の法令違反や著しい不公正はないことを主張するとともに、本定時株主総会を開催しない場合には、かえって株主の皆様に重大な影響を生じさせ、当社が回復することができない損害を被るおそれがあることから、本申立ては速やかに却下されるべきであると主張してまいりました。」
(会社側リリースより)

という会社側の主張の前に、裁判所としても定時株主総会の開催自体を禁止するまでの判断はできなかった、というのが実態ではないかと思われる。

会社側からの案内の中では、

「 風邪症状がある方等体調不良の有無に関わらず、ご高齢の方、基礎疾患をお持ちの方、妊娠されている方におかれましても、接触感染リスク低減のため、本定時株主総会へのご出席をお控えいただくことを強く推奨申し上げます。」
「本定時株主総会においては、開催場所の変更、及び、接触感染リスク低減のため座席間の間隔を拡げることから、ご用意できる席数がかなり限られることとなります。席数を上回るご来場の場合、入場制限を行わせていただかざるを得ない場合も想定されますので、予めご了承のほど、よろしくお願い申し上げます。」
(会社側リリースより、強調筆者)

と、今般の状況に鑑み、かなり強いトーンの「参加見合わせ」要請や入場制限予告が出されている中で行われる「対決型総会」。

明日、どのような結末が待っているのか自分には知る由もないが、こんな時に万が一株主が大勢押し寄せてしまったら、中の人がどれだけ大変か、ということも良く分かるだけに、会場には行けなくても少しでも多くの株主が議決権を行使して自分の意思を何かしらか表明できたのなら、それでよいのではないかなぁ、と思ったりもしているところである*12

*1:借入額やコミットメントラインの設定に関しては、それだけで公表する会社も多いが、会社の規模によっては公表されないこともあるので、自分が株式を保有している会社の状況くらいは一通り把握しておきたい、というくらいだろうか。

*2:そもそも、ストレートに「資金繰りが苦しいです」という開示をする会社があるはずもないのであって、開示する=当面は乗り切れる算段が付いた、ということなのだから、ここで出てくる数字は今必要なもの、というよりは、この問題が長期化した時に振り返って気にするべき情報だったりもする。

*3:結局、途中経過のような開示をして、さらに決算発表で・・・ということになれば、それだけ材料視される要素も増え、株価の振れ幅も大きくなるリスクがあるわけで、堅実に予定調和の世界でコツコツ資産を積み上げようとしている個人投資家には、かえって迷惑な話だったりもするのである。

*4:ちなみに、このリリースの中では。「業績予想」に関しても、「メディア事業においては、プロ野球を始めとするスポーツコンテンツの開幕遅延や音楽ライブの中止・延期等により、例年通りの新規加入が見込めない可能性があります。宇宙事業においては、船舶・航空機の減便等により、移動体向けに提供している衛星回線利用が影響を受ける可能性があります。」と比較的丁寧なリスク説明がなされており、まさに東証が求めている基準を満たした模範的なリリースの一例としても評価されるべきもの、といえるだろう。

*5:https://k-houmu-sensi2005.hatenablog.com/entry/2020/04/08/233000参照。

*6:もっとも、昨年までは配当を株主総会決議で決めていた、ということは、以前のエントリーでも触れたとおりである。

*7:https://k-houmu-sensi2005.hatenablog.com/entry/2020/04/21/233000#f-8c352a66

*8:もちろん、取締役の任期を1年にし、定款も変更する、というプロセスを経ているからこそできることなので、自分のところもそうしておけばよいではないか、という話ではあるのだが、いくら頑張っても今年の総会には間に合わない、というのが何とも・・・である。

*9:風雲急。最後の山は動くのか? - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~参照。

*10:https://k-houmu-sensi2005.hatenablog.com/entry/2020/04/21/233000#f-b6c7b095参照。岩崎通信機㈱の定款には、剰余金配当を取締役会決議で行える旨の規定は設けられていないようである。

*11:こんな時になんで? なのか、それともこんな時だからこそ、なのか。 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~

*12:もちろん、それは議事運営が公正に行われる、ということが大前提になるのではあるが・・・。

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