これが想定外のトリックショットにならないように。

2021年の総選挙も終わった。

開票前は野党共闘が功を奏して「与野党拮抗」といった報道も流れてきたが、蓋を開けてみれば自民党が単独で絶対安定多数議席数を確保する、という結果に。

「メディアはああだこうだ言ってるけど、投票するのは優しい日本人。誕生したばかりのさほどクセもない新政権に、いきなり泥水を浴びせるようなことはしないだろう」と自分も思ってはいたが、結果はそんな想定をもはるかに上回り、第一党としての議席数こそ減らしたものの、連立相手の公明党議席増。さらに潜在的与党の日本維新の会が大躍進したことで、三党の議席を合わせれば334議席。次の国会で改憲発議がなされても不思議ではない状況が一瞬で出来上がってしまった。

華やかな野党「共闘」は、局地的には功を奏した面もあったのだろうし、開票が始まってからも、かつて総理の座に最も近づいた自民党の元幹事長を落選に追い込み、現職の幹事長から小選挙区議席を奪ったあたりまでは、野党側からも「勝利宣言か?」と思うようなコメントが飛び出していたくらいだった。

ただ、今の衆議院選挙の仕組みは、「小選挙区制」と「比例代表制」という全く異なるシステムのハイブリッドである。

小選挙区では、野党が「対決」構図を演出して、”強い”与党の大物をヒールに仕立てれば、それなりの票は野党側に流れて”番狂わせ”を演じることができるが、多くの政党がそのまんま候補者を立てている比例代表ではそうもいかない。

特に今回のように与党側が政策を従来の野党のそれに寄せてきて、争点がぼやけた選挙になると、明確な選択肢を失った「無党派層」の票は、自ずから無難なところに流れるか、あるいは相対的にちょっとエッジの利いたことを言っているところに流れる。だから、自民党が(近畿以外は)比例代表で圧倒的な強さを示し、次いで全国的に「維新」に票が流れた、というのも、決して不思議なことではないと自分は思っている*1

そして、参院選とは異なり、小選挙区の立候補者が比例代表選の方にも重複立候補できる今のシステムだと、小選挙区でいくら野党「共闘」候補が”金星”を挙げても、破ったはずの相手は次々と復活当選を遂げることになるわけで、蓋を開けてみればエリア内の小選挙区で立候補していた自民党の候補者が全員当選していた、という地域は、今回も実に多かった。

これではいつまで経っても、野党候補者が小選挙区で確固たる「地盤」を築くのは難しいし、来年の参院選にもつながらない。

「選挙のプロ」であるはずの政治家たちがなぜ戦略を誤ったのか。

直近のちょっとした成功体験に惑わされ、「排除」された窮地から死に物狂いで戦って得た4年前の経験を忘れてしまったかのような戦いに終始した野党第一党の責任は重大だし、少数野党の中から、かつての「みんなの党」的な立ち位置を取れる政党が出てこなかったのも実に残念だった*2

「分配」政策でいかに競い合っても、現に人・モノ・カネを押さえている与党の前では大した説得力は発揮できない。

野党支持層の方々の中には、若者に「投票に行け」と呼びかけていた方もいらっしゃったが、「それ、裏目るぞ・・・」と思ったら案の定。無党派層とされる20代、30代の多くは与党か維新に投票した、というデータも既に出てきている。

若い世代が一般的に好むのは「改革」という旗印であって、かつての新党やリベラル政党の支持層に若者が多かったのも、その存在が理不尽な「保守」の分厚い壁をこじ開けようとする”改革政党”のように見えていたから。

それが今や「足元の生活が第一」、「古き良き時代を取り戻す」の超保守的な存在になってしまっているのだから、若年世代に振り向いてもらえると思う方がどうかしているような気がする。

・・・ということで、この選挙で”笑う”ことができたのは、前総理も、かつての麻生総理もやろうとしてできなかった「就任直後に解散」という渾身のショットを放ち*3、反対勢力を次々と突き落とし、さらに戻ってきた球が、面倒臭い存在になりそうだった自党の幹事長までポケットに落とす*4、という望外の展開となった現総理だけ。

これが狙いすましたトリックショットだったとしたら、相当な腕前のハスラーだなぁ・・・と思う。

「国民審査」の結果から感じたつかの間の安堵感。

ということで、随分長い前振りになってしまったが、このエントリーで書きたかったのは、最高裁判所裁判官国民審査の結果」である。

いち早く報じている毎日新聞*5によると、総務省が発表した結果は以下のとおり。

深山 卓也(裁判官)…4,490,554(7.85)
岡  正晶(弁護士)…3,570,697(6.24)
宇賀 克也(学 者)…3,936,444(6.88)
堺   徹(検察官)…3,565,907(6.23)
林  道晴(裁判官)…4,415,123(7.72)
岡村 和美(行政官)…4,169,205(7.29)
三浦  守(検察官)…3,838,385(6.71)
草野 耕一(弁護士)…3,846,600(6.72)
渡辺恵理子(弁護士)…3,495,810(6.11)
安浪 亮介(裁判官)…3,411,965(5.96)
長嶺 安政(行政官)…4,157,731(7.27)

この結果だけ見れば、夫婦同氏制に関する大法廷決定で多数意見側に付いた4裁判官(太字)に対する罷免票が他の裁判官との比較では若干抜けた数字(罷免率7%台)になっているから、「これが民意だ!」とばかりに喝采をあげている方も散見される。

だが、選挙前に自分がアップしたエントリーの最後のところでも書いた通り、単に「自分の主義主張と異なるから」という理由で「罷免票」を投じることがブームになってしまう、というのは実に危うい事態だと自分は思っている。

「民意」にかこつけて政治が介入し「司法の独立性」が揺らいでいる、という事例は世界中様々なところで見られる現象だし、そこまで極端な話ではなくても、今回、4裁判官の罷免票を増やした一部の”運動”に反発した勢力が、次の国民審査の機会に、「夫婦同氏制に反対する裁判官を罷免せよ」という運動を展開し始めたらそれこそカオスになる*6

これが、政治的偏向性ゆえに本来取るべき手続をとっていない、とか、明らかに法解釈を逸脱した意見で判決を書いている、といったような話であれば別論、曲がりなりにも書かれている意見に論理としての筋が通っており、それがそれぞれの裁判官の信念に裏打ちされたものなのであれば、たとえそれが自分の望む結論とは異なっていても「×」を投じることには躊躇すべきで、そういった慎重さこそが「思想が他人と異なる、というだけでは処罰されない」世の中を守ることにもつながるはずだ

目の前のなかなか解決しない法律上のイシューを何とか良い方向に解決してほしい、と思って打ったショットが、仮に狙い通りに目標の球に当たって一定の効果を発揮できたとしても、そこから弾かれた球が思わぬ方向に飛んで、自分の手球までポケットに落とすようなことになってしまったら、目も当てられないことになる。そして、特定のイシューに対する裁判官の意見・主張を”狙い撃ち”にするリスクは、「一票の格差」にも「夫婦同氏制」にも、はたまた「カラオケ法理」にも、同様に潜んでいると自分は思っている*7

幸いなことに、過去の国民審査と比べると、今回の国民投票投票率が(総選挙の数字につられて)前回、前々回よりも高い数字になっているにもかかわらず、今回投じられた罷免票の数は過去2回と比べれば一回り少ない*8

そのことをどう分析するかは難しいところだが、個人的には、各裁判官の顔が見えなかった過去の反省を生かして、なのか、様々なメディアに裁判官の情報が出るようになり、「国民審査の意義」についても過去の審査時と比べると比較的情報量が増えてきたことで「面白半分に『×』を付ける」人が減ってきた、ということも背景にはあるのではないかと思っている。

そして、少々どころではなく手前味噌ではあるが、自分が夜な夜なまとめた”三部作”も、「裁判官の個性を正しく伝える」ことに少しでも役立っていたらよいな・・・と思った次第である。
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*1:おそらく、「共闘」の選挙区で野党連合候補に票を投じつつ、比例では自民党に入れてバランスを取った、という有権者は相当数いるような気がしている。

*2:維新の一人勝ちを憂う方々は多いが、それは「改革」や「成長」の旗印を彼らに独占させてしまった他の野党のオウンゴールでもある。

*3:今回は既に任期満了、という状況だったからどっちにせよ総選挙はせざるを得ない状況だったわけだが、それでも最速のスケジュールで選挙まで持って行ったところに、新政権の凄みがあった気がする。

*4:これで「AAA」といわれていた党内の”重鎮”も、全員第一線の役職からは消えることとなった。ついこの前まで”操り人形”のような言われようだった現総理にここまで様々なめぐり合わせが味方するとは・・・というところだろうか。

*5:最高裁国民審査、対象の全11裁判官信任 開票結果 | 毎日新聞より。

*6:今回も、4裁判官に次いで宇賀、草野の両裁判官への罷免票が多いのは、ちょっと気になっている現象だったりもする。

*7:最高裁の関係者に聞けば「国民投票の結果くらいで萎縮する裁判官なんていないよ」と笑い飛ばされるかもしれないが、ひとたびエスカレートしだすと何が起きるか分からない、というのが「政治」を持ち込んではいけないところに持ち込むことの怖さ、だったりもする。

*8:前回2017年の国民投票では、小池裕裁判官に4,688,017もの罷免票が投じられ、罷免率8.56%(他にも菅野博之、木澤克之の両裁判官が罷免率8%台)。前々回2014年の国民投票では、4,861,993もの罷免票を投じられた木内道祥裁判官を筆頭に、5名中4名が罷免率9%台だった。

2021年10月のまとめ

突然の”新型コロナからの解放”に戸惑いながら過ぎていった10月。

街の中に人波は戻ってきているようで、夜20時を回れば人通りはガクッと減り、かつて人気店だった店が再び暖簾を掲げても往時に比べれば、まだお客さんの数は少ない。

自分自身、これまでなら「今がチャンス」と、ここぞとばかりにあちこち飲み歩いても不思議ではなかったのだが、1年以上続いた”落ち着いた生活”から脱することには心なしか抵抗があって、馴染みの店を何軒か訪れた程度で終わった*1

世の中的にも、今月後半はずっと総選挙モード。

例年なら盛り上がっていたはずのハロウィン商戦も、今年は雰囲気を感じることさえ稀で、しかも一番盛り上がるはずの日に、電車の中の忌まわしい凶行の被疑者のコメントでその忘れ去られかけたイベントの名を聞かされる、という皮肉・・・。

今のところ、すぐに「波」が来そうな気配はないから、月が変わればそろりそろりと世の中が動き出すことになるのかもしれないが、年内いっぱいくらいは、”平時”と”非・平時”が混ざり合う、そんな日々が続くんじゃないかという予感もする。

今月のページビューは約15,600、セッション10,000弱、ユーザー5,000超。

年明けからの怒涛の日々を超え、ちょっと一息つけるタイミングもあったのが何よりだが、それでもまだまだ、という感じ。
ま、ブログの方はこのペースで引き続きゆったりと続けていければ、と思っている。

<ユーザー別市区町村(10月)>
1.→ 横浜市 697
2.→ 大阪市 465
3.→ 港区 377
4.→ 千代田区 326
5.→ 新宿区 276
6.→ 名古屋市 224
7.→ 世田谷区 159
8.→ 中央区 140
9.圏外川崎市 113
10.→ 渋谷区 112

下位のちょっとした入れ替わり以外は「不動」と化したこのランキングが、今の「常態」なのだろうな・・・と思ったり。

続いて検索ランキング。

<検索アナリティクス(10月分) 合計クリック数 1,278回>
1.→ 企業法務戦士 110
2.↑ 試験直前 勉強しない 23
3.圏外企業法務戦士の雑感 23
4.↑ 取扱説明書 著作権 13
5.↑ インフォテック法律事務所 11
6.↓ 企業法務 ブログ 11
7.圏外法学部 不人気 11
8.圏外大ヤマト 裁判 11
9.圏外匠大塚 不振 9
10.↓ 法務 ブログ 9

元々トップの項目を除けば大した数字ではないから、ちょっとしたことで大きく順位が変動するのだが、「試験直前」が上位に来たのは何だろう・・・?
この検索をしてくれた方の中に、予備試験の口述試験に臨んだ方が一人でもいたら、個人的には凄く嬉しいな、と思う*2

Twitterの方は、月の後半に結構なインプレッションがあったのだが、記事で言うとトップは↓のもの(インプレッション数14,179)。
賛否両論あった記事だと思うだけに、この結果には納得。

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ということで、今年もあと2か月。

新型コロナの波は終わっても、便利で快適になった世の中は変わらないでほしい、そう願いつつ、年末のラストスパートに向けて力を籠めていかなければ・・・そんな思いで今はいる。

*1:とはいえ、週末は飲み屋で外食、という”日常”には気が付けば普通に戻っているが。

*2:なぜなら、自分にとってあの試験は「直前まで勉強した」結果、実に悲惨な目にあった一例に他ならないから・・・。

気が付けば、もう四半世紀経っていた。

先日、パ・リーグオリックスの優勝が25年ぶり、という話を聞いた時に、その数字と、自分の頭の中の時間的感覚が全く一致しなくて、思わず「えっ・・・」と絶句してしまった。

冷静に考えれば、当時まだ”働き盛り”だった強肩のキャッチャーが監督を務めているチームだし、まだブレイク直後だったイチロー選手も長い旅路を経て、数年前に引退しているわけだから、それくらいの時が過ぎていても全く不思議ではないのだが、世の中の多くの出来事と違って、ルールも仕組みも大きく変わっていないスポーツの世界の出来事は、時々記憶の時計を狂わせる・・・。

そして、今日の天皇賞・秋も、そんなレースだった。


月末でバタバタしていたこともあって、直前まで出走馬もまともに把握していなかったのだが、16頭のメンバーを見れば一目瞭然。

三冠馬・コントレイルに、今年最強牝馬との呼び声も高いグランアレグリア、さらにダービーから直行した皐月賞馬・エフフォーリア。

明らかな「三強」の構図である。

凱旋門賞組が不在だったり、毎日王冠の上位組が軒並みマイル路線に回ったこともあって、他の馬とは実力差も感じられ、16頭中半分の8頭は単勝3ケタ台のオッズ、という壮絶な”格差”が生じたレースでもあったのだが、上位の三頭の勝ち負けだけで、興味を惹くには十分だった、といえるだろう。

そんな中、自分が選んだのは、エフフォーリア

元々自分のクラブの馬だから、ということもあるが、やはりあの皐月賞での勝利と、ダービーの「負けてなお強し」というレースぶりは、春のクラシックが終わってからも繰り返し語られ続けていて、鞍上の横山武史騎手の今年の大ブレイクぶりと合わせて、自分の中では間違いなく今年を象徴する馬の一頭だから、どんなレースだろうが外せるわけがない。

3歳馬を天皇賞・秋に持ってくること自体はよくあることだし*1、ステップレースを何も使わずに直行、というローテに関しても、元々間隔をあけて使って結果を出してきた馬だから、そこはあまり気にしなくても良いだろうと思っていた。

それよりは、三冠を取って以降、何かと噛み合わないコントレイルの6か月以上も空いた間隔の方が気になったし、グランアレグリアには「距離の壁」という言葉がどうしても付きまとう。

だから、エフフォーリアを本命に、ルメール騎手が確実にまとめてきそうなグランアレグリアを相対的に上位に推して、「1枠」の波乱の可能性をにらみつつ・・・というのがこの日の投資戦略だった。

終わってみれば、コントレイルもグランアレグリアも前評判以上に強かったな、というのが正直なところで、特に決して良い位置取りではないポジションでの走りを強いられながら、最後はきっちり追い込んできたコントレイルには「さすが三冠馬」という感嘆の声を上げたくなったし、グランアレグリアにしても、ペースがスローだったとはいえ、東京コースで先行して、上位2頭以外には影を踏ませず押しきった、というのはやはり只者ではない。

だが、その上を行っていたのがエフフォーリアで、絶妙のポジション取りからきっちり抜け出して、名だたる後続の古馬たちを体一つ引き離したのだから、これはもう文句のつけようがない勝利だといえるだろう。

そして鞍上の横山武史騎手は、これで2週連続のGⅠ勝利。天皇賞に関しては、祖父・父に続いて3代連続で戴冠、というおまけまでついた。

以下のエントリーでも書いた通り、”ほんの数センチ”のエピソードの時も、「十分良い騎乗だった、この先益々楽しみだな」と思ったものだが、お手馬が”変則ローテ”を組んだことで、ダービーの借りを「秋二冠」で、しかも2週続けて福永祐一騎手(とルメール騎手)を2着、3着に従える、という展開は偶然にしてもあまりに出来すぎた話のような気がする。

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ちなみに、冒頭で書いた「記憶の時計」だが、自分は、以前、藤沢和雄調教師が3歳馬のバブルガムフェロー秋の天皇賞に挑んで見事に勝った時のことを鮮烈に覚えていて、その後もシンボリクリスエスとかも勝ったよね・・・と、ちょっと前ではあるけど、せいぜい10年くらい前のことのような感覚で考えていたから、「3歳馬が天皇賞に挑む」ということをそこまで深く考えずに済ませていたのだが、終わった後の解説で、

「3歳馬の天皇賞制覇は、19年ぶり。」

と聞いてあらびっくり・・・*2

さらに言えば、今でも生々しい記憶が残るバブルガムフェローの快挙は、まさにオリックスがリーグ連覇を達成した時期とぴったり重なる。

かつて二度の快挙を成し遂げた藤沢和雄調教師がまさに定年前最後のシーズンを迎えておられる時に、10年下の世代の鹿戸調教師が20年の時を超えてそれを再現した、というのも一つのドラマではあるのだが、そこまで重たい出来事だと分かっていたら、エフフォーリア決め打ちで素直に張れたかどうか。

大体いつも後悔の原因になることが多い”記憶の時計の乱れ”だが、今日だけはそれに助けられたなぁ・・・と思うのである。

*1:後述のとおり、ここで記憶の時計が大きく狂っていて、こんなふうに軽く考えてたことが、今年に関しては結果的に幸運につながった。

*2:冷静に考えれば、シンボリクリスエスは、今日の勝ち馬の「父の父」だから、それくらいの時が流れているのは当たり前の話なのだが、そこは時間感覚が完全に狂っていた。

最高裁判所裁判官・国民審査対象各裁判官の個別意見について(2021年版・その3・完)

既に2回分のエントリーを書いている中で、「今回の国民審査で対象になっている裁判官にはこれまで以上に個性的な方々が多いのかも・・・」と思い始めているところだが*1、第3回は岡村和美裁判官の個別意見のご紹介から再開する。

(第1回、第2回は以下参照)

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第二小法廷

岡村和美(検察官、行政官出身)

2019年10月就任 2027年退官予定

山本庸幸裁判官の枠を引き継ぐ形で入っておられるので、行政官枠か(元消費者庁長官)、と思いきや、検察官としてのキャリアも長いのが岡村裁判官。

そんなバックグラウンドもあって、さすがに草野裁判官と比べると・・・という状況ではあるのだが、ここまで書かれている個別意見2件のうち1件は、その草野裁判官との連名、というのがなかなか興味深いところである。

<補足意見>
■最二小判令和2年11月27日(令和元(受)1900)*2
監査事務所登録不許可処分の開示の当否が争われた事件において、「(品質管理委員会の判断を否定した)原判決を破棄差戻しとしたことの趣旨」として、草野耕一裁判官と連名で補足意見を述べられている。
最高裁判所裁判官・国民審査対象各裁判官の個別意見について(2021年版・その2) - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~をご参照のこと。


■最大決令和3年6月23日(令2(ク)102)*3
夫婦別氏婚姻届の却下処分不服申立て却下審判に対する抗告棄却決定に対する特別抗告事件で、深山卓也裁判官、長嶺安政裁判官と連名で多数意見を支持する補足意見を述べられている。
最高裁判所裁判官・国民審査対象各裁判官の個別意見について(2021年版・その1) - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~をご参照のこと。

なお、岡村和美裁判官が裁判長を務められた第二小法廷の事件の中では、知財高裁・高部コート判決をバッサリ破棄した↓の判決も非常に印象深いのだが、「国民審査公報」の「関与した主要な裁判」の中では全く触れられていなかった、ということは、一応付言しておきたい。

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第三小法廷

さて、ようやく最後の小法廷、ということで、ここでも第一小法廷と同様に5名中4名の裁判官が対象となっている。

これまで個性的な(だが強い説得力を持つ)意見を述べられていた宮崎裕子裁判官、林景一裁判官が今年相次いで退官されたこともあり、今回対象となる裁判官のうち、就任直後の渡邉惠理子裁判官(弁護士出身)はまだ個別意見を書かれていないし、他にも積極的な個別意見を出されている方は限られているのだが、各裁判官の前任者と比べての立ち位置の変化等、これから何かと注目されそうな小法廷である。

なお、これまでは就任日順のご紹介だったが、構成の都合上、少し順番を入れ替えてご紹介することとしたい。

林 道晴(裁判官出身)

2019年9月就任 2027年退官予定

個人的な経験上、「司法研修所の方」という印象が強い林裁判官だが、最高裁首席調査官から東京高裁長官を経て就任され、就任年数と年齢のバランスを考慮すると、今の最高裁裁判官の中では、次期最高裁長官にも最も近い、と噂される方でもある。

だから、というわけではないのだろうが、ここまでの2年ちょっとの間に出された個別意見の数は少なく、それも、以下のとおり、正社員にのみ退職金を支給する取扱いを適法としたメトロコマース事件で林景一裁判官の補足意見に「同調」した、というものにすぎない。

<補足意見>
■最三小判令和2年10月13日(令和元(受)1190,1191)*4
「本件の退職金に関する相違が労働契約法20条にいう不合理と認められるものに当たるか否かの判断の在り方等について,若干の意見の補足をしたい」として述べられた林景一裁判官の補足意見に「同調する」という意見を述べられた。
上告審判決を見ただけでは分からないもの~「待遇格差」をめぐる最高裁判決5件の意味。 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~もご参照のこと。

意見こそ書かれていないが、再審開始を認めなかった高裁決定を取り消した袴田事件再審特別抗告の上告審決定(最三小決令和2年12月22日)*5をはじめ、いくつかの破棄事件で裁判長を務めておられるのも事実なので*6、「保守的」の一言で括ってしまうのは一面的な見方に過ぎるとは思うのだが、名著『ライブ争点整理』のファンとしては*7、そこで書かれていたような鋭いご指摘を交えた個別意見がこれから節々で出されることにも少し期待している。

長嶺安政(行政官出身)

2021年2月就任 2024年退官予定

続いてご紹介するのは、林景一裁判官の後任として英国大使から今年最高裁判事に就任された長嶺裁判官。

これまで行政官、特に外務省出身の裁判官は、「一票の格差」でも、家族法関係の事件でも、比較的リベラルな意見を書かれる方が多い、という印象だったのだが、長嶺裁判官のお名前が唯一出てくる個別意見が以下のものだった、というのはちょっとした衝撃だった。

<補足意見>
■最大決令和3年6月23日(令2(ク)102)*8
夫婦同氏による届出を定める戸籍法74条1号の合憲性が問われた事件において、深山卓也裁判官、岡村和美裁判官と連名で憲法24条違反を否定した多数意見を支持する補足意見を書かれた。
最高裁判所裁判官・国民審査対象各裁判官の個別意見について(2021年版・その1) - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~をご参照のこと。

現在も在職中の戸倉三郎裁判官をはじめとする裁判所出身の2名の裁判官と、宮崎、林、宇賀の3裁判官で構成されていて、全体としてはリベラルな方向の結論にもなりがちだったこの小法廷の傾向が今後変わっていくのかどうか、そのカギを握っておられる裁判官のお一人であることは間違いないと思う。

宇賀克也(研究者出身)

2019年3月就任 2025年退官予定

さて、大トリを飾るのは、今回の審査対象裁判官の中では、草野裁判官と並んで個別意見数が多い宇賀裁判官である。

東大教授だった時代から、精力的に活動し、業績を残されていた先生ではあったのだが、最高裁判事になられてからも、多数意見と「解説」の隙間を埋めるようなこまめな補足意見を多数書かれており、「評釈者がやりづらくならないか」という要らぬ心配をしてしまうくらい素晴らしいご活躍をされているのであるが、以下、ここまでの功績を振り返るという意味も込めて、各個別意見をご紹介することにしたい。

<補足意見・1>
■最三小判令和2年2月25日(平成30(行ヒ)215)*9
長崎の被爆者の原爆症認定却下処分をめぐり、処分を違法とした原審判決を破棄した判決において、「現行法の解釈論としては法廷意見に賛成せざるを得ない」としつつ、以下のように補足した。
「なお,法廷意見は,経過観察を受けている被爆者につき要医療性が認められるか否かについては,経過観察自体が,経過観察の対象とされている疾病を治療するために必要不可欠の行為であり,かつ,積極的治療行為の一環と評価できる特別の事情があるか否かを個別具体的に判断すべきとするものであって,慢性甲状腺炎に係る経過観察であれば,およそ上記の特別の事情があるとはいえないとするものではなく,被上告人についても,今後,疾病の状況の変化等の事情の変更により,上記の特別の事情があると認められる可能性を否定するものでも全くないことを強調しておきたい。
「また,上告人は,健康診断(法7条に規定するものをいう。以下同じ。)で行われる一般検査は,法10条2項1号の診察に当たり得るため,単に同項が定める医療の給付に相当する行為がされていれば要医療性の要件を充足すると解してしまうと,健康診断を受けるだけで要医療性が認定され得ることになりかねないと主張しているので,この点について,補足的に意見を述べることとする。法廷意見は,実質論から,被上告人が慢性甲状腺炎につき経過観察を受けている状態が法10条1項の「現に医療を要する状態」に当たるか否かを判断したものであるが,健康診断についていえば,たとえ,健康診断に際して既往症を告知して指導(法9条に規定するものをいう。以下同じ。)を受けることがあったとしても,それのみでは「現に医療を要する状態」に当たるとはいえず,健康診断の結果を踏まえた指導を受けて経過観察が行われた場合に,当該経過観察を受けている状態が「現に医療を要する状態」に当たるか否かを,法廷意見が示した基準に照らして判断することになると考えられる。」


■最三小判令和2年3月24日(平成30(行ヒ)422)*10
法人に対する株式の譲渡につき、当局が行った更正処分及び過少申告加算税の賦課決定処分を違法とした原審を破棄し差し戻した法廷意見に賛成する立場から、所得税基本通達に関する原審の通達の判示に対して、以下のとおり意見を述べた。
「原審は,租税法規の解釈は原則として文理解釈によるべきであり,みだりに拡張解釈や類推解釈を行うことは許されないとし,通達の意味内容についてもその文理に忠実に解釈するのが相当であり,通達の文言を殊更に読み替えて異なる内容のものとして適用することは許されないという。原審のいう租税法規の文理解釈原則は,法規命令については,あり得べき解釈方法の一つといえよう。しかし,通達は,法規命令ではなく,講学上の行政規則であり,下級行政庁は原則としてこれに拘束されるものの,国民を拘束するものでも裁判所を拘束するものでもない。確かに原審の指摘するとおり,通達は一般にも公開されて納税者が具体的な取引等について検討する際の指針となっていることからすれば,課税に関する納税者の信頼及び予測可能性を確保することは重要であり,通達の公表は,最高裁昭和60年(行ツ)第125号同62年10月30日第三小法廷判決・裁判集民事152号93頁にいう「公的見解」の表示に当たり,それに反する課税処分は,場合によっては,信義則違反の問題を生ぜしめるといえよう。しかし,そのことは,裁判所が通達に拘束されることを意味するわけではない。さらに,所得税基本通達59-6は,評価通達の「例により」算定するものと定めているので,相続税と譲渡所得に関する課税の性質の相違に応じた読替えをすることを想定しており,このような読替えをすることは,そもそも,所得税基本通達の文理にも反しているとはいえないと考える。」
「もっとも,租税法律主義は課税要件明確主義も内容とするものであり,所得税法に基づく課税処分について,相続税法に関する通達の読替えを行うという方法が,国民にとって分かりにくいことは否定できない課税に関する予見可能性の点についての原審の判示及び被上告人らの主張には首肯できる面があり,より理解しやすい仕組みへの改善がされることが望ましいと思われる。」


■最三小決令和2年3月24日(令和元(許)12)*11
病院内の事故を理由とした損害賠償請求訴訟において、司法警察職員による鑑定嘱託書に係る文書提出義務を認めた原決定を破棄差戻とした法廷意見に賛成しつつも、民訴法220条4号ホ*12について以下のとおり補足的に意見を述べた。
行政機関の保有する情報の公開に関する法律の規定の適用除外とされている刑訴法53条の2第1項の「訴訟に関する書類」は,刑事の被疑事件又は被告事件に関して作成された文書一般を含む意味と解するのが立法者意思であると考えられ,行政実務もそのような解釈に沿って運用されている。同項と平仄を合わせた民訴法220条4号ホの「刑事事件に係る訴訟に関する書類」についての立法者意思も同じといえよう。このことは,同号ホについて,いわゆるインカメラ手続の対象外とされていること(同法223条6項)からもうかがえる。また,私は,同法220条4号ホに掲げる文書に該当する文書であっても,それが同条3号等に掲げる文書にも該当する場合で,その保管者による提出の拒否が諸般の事情に照らしてその裁量権の逸脱又は濫用に当たるときには,裁判所がその提出を命じ得るとする判例の考え方には賛成である。もっとも,私としては,本件文書等が同条3号等に掲げる文書に該当する可能性はさておき,本件のように,既に公訴時効が完成して捜査記録も廃棄されているため捜査や公判への現実的な支障を考慮する必要がなく,被害者の遺族からの文書提出命令の申立てであって関係者のプライバシー等の侵害を懸念する必要もほとんどない場合にまで,本案訴訟において重要な証拠となり得る文書が,形式的に同条4号ホに掲げる文書に該当するという理由だけで文書提出命令の対象外とされる結果を招きかねないことに鑑みると同条4号ホに掲げる文書の範囲を限定することについて,立法論として再検討されることが望ましいと思われる。」


■最三小判令和2年4月7日(平成31(受)606)*13
強制執行の申立債権者が費用法2条各号(執行官費用等)の費目を不法行為に基づく損害賠償請求における損害として主張したことについて、当該主張を認めた原審判決を破棄自判した法廷意見に賛成するとともに、その存在が原審破棄の理由となった「執行費用額確定手続」について以下のように述べた。
民事執行法42条4項以下に定める執行費用額確定手続は,裁判所書記官が費用法2条各号所定の費用の額のみを計算して債務名義とするものであり,訴訟手続と比較して簡易迅速であり,かつ申立手数料も不要とされている。しかし,一般に,簡易迅速な特別手続が法定されている場合,それが専ら私人の便宜のみを念頭に置いたものであれば,当該特別手続を利用するか,通常の手続を利用するかを私人の選択に委ねることを否定することはできないと思われる。たとえば,登録免許税法31条2項は,登録免許税の過誤納があるとき,その旨を登記機関に申し出て,当該過大に納付した登録免許税の額を登記機関が所轄税務署長に通知すべき旨を登記等を受けた者が請求することを認めている。最高裁平成13年(行ヒ)第25号同17年4月14日第一小法廷判決・民集59巻3号491頁は,これと同趣旨の規定である平成14年法律第152号による改正前の登録免許税法31条2項について,登記等を受ける者が職権で行われる上記の通知の手続を利用して簡易迅速に過誤納金の還付を受けることができるようにしたものであり,登録免許税の還付を請求するのは専ら同項所定の手続によらなければならないこととする手続の排他性を定めるものということはできないと判示している。したがって,簡易迅速な特別手続の排他性を認めるためには,当該手続が単にその手続の利用者の便宜を図るにとどまらず,当該手続の利用に公益性を認めて,当該手続を排他的なものとする趣旨であるかを検討する必要がある。」
「費用法2条は,民事執行法42条4項以下に定める執行費用額確定手続,民事訴訟法71条が定める訴訟費用額確定手続等とあいまって,償還請求が可能な費用を当該訴訟等の手続により生じた一切の費用とせず,一般にそれらの手続において必要とされる類型の行為に要した費用を公平に当事者双方に負担させることにより,当事者が訴訟制度等を躊躇なく利用し,適正な立証活動等を可能にすることを意図したものといえる。したがって,それは,裁判を受ける権利を実効的なものとするという意味において,司法制度の基盤の一環をなすものといえ,公益性を認めることができ,手続の排他性を認めることが正当化されると考えられる。」

このあたりまでの補足意見が述べられた事件に共通するのは、いずれも多数意見が(多少柔軟な解釈をとってでも)原告側を”救済”した原審の判断を破棄したものだった、ということで、その中で述べられた補足意見からは、スタンダードな法解釈には従いつつも、事案を目の前にして悩み、一定の配慮を示したり、それでも多数意見を正当化する理由があることを示そうとする裁判官の姿が浮かび上がってくる。

そこには、どこかしらか遠慮がちなところもあったのかもしれない。

だが、就任後1年を過ぎたあたりから、より異なる状況で補足意見が出されるようになってくる。

<補足意見・2>
■最三小判令和2年7月14日(平成31(行ヒ)40)*14
大分県の教員不正採用をめぐり、不正に関与した公務員らへの金員支払請求を求めた住民訴訟において、公務員らの求償債務を分割債務とした原審を破棄し、連帯債務として認容額を増額した法廷意見に賛成するとともに、国家賠償法1条1項の法的性質と債務の性質の関連性について以下のように補足的な意見を述べた。
「原審が国家賠償法1条1項の性質について代位責任説を採用し,そこから同条2項の規定に基づく求償権は実質的に不当利得的な性格を有するので分割債務を負うとしていることについて,補足的に意見を述べておきたい。」
「同条1項の性質については代位責任説と自己責任説が存在する。代位責任説の根拠としては,同法の立案に関与された田中二郎博士が代位責任説を採ったことから,立法者意思は代位責任説であったと結論付けるものがある。しかし,同博士が述べられているように,同法案の立法過程において,ドイツの職務責任(Amtshaftung)制度に範をとって,「公務員に代わって(an Stelle desBeamten)」という文言を用いることが検討されたものの,結局,この点については将来の学説に委ねられたのであり,立法者意思は代位責任説であったとはいえない。また,代位責任説と自己責任説を区別する実益は,加害公務員又は加害行為が特定できない場合(東京地判昭和39年6月19日・下民集15巻6号1438頁,東京地判昭和45年1月28日・下民集21巻1・2号32頁,岡山地津山支判昭和48年4月24日・民集36巻4号542頁)や加害公務員に有責性がない場合(札幌高判昭和53年5月24日・高民集31巻2号231頁)に,代位責任説では国家賠償責任が生じ得ないが自己責任説では生じ得る点に求められていた。しかし,最高裁昭和51年(オ)第1249号同57年4月1日第一小法廷判決・民集36巻4号519頁は,代位責任説か自己責任説かを明示することなく,「国又は公共団体の公務員による一連の職務上の行為の過程において他人に被害を生ぜしめた場合において,それが具体的にどの公務員のどのような違法行為によるものであるかを特定することができなくても,右の一連の行為のうちのいずれかに行為者の故意又は過失による違法行為があったのでなければ右の被害が生ずることはなかったであろうと認められ,かつ,それがどの行為であるにせよこれによる被害につき行為者の属する国又は公共団体が法律上賠償の責任を負うべき関係が存在するときは,国又は公共団体は,加害行為不特定の故をもって国家賠償法又は民法上の損害賠償責任を免れることができないと解するのが相当」であると判示している。さらに,公務員の過失を組織的過失と捉える裁判例(東京高判平成4年12月18日・高民集45巻3号212頁等)が支配的となっており,個々の公務員の有責性を問題にする必要はないと思われる。したがって,代位責任説,自己責任説は,解釈論上の道具概念としての意義をほとんど失っているといってよい。本件においても,代位責任説を採用したからといって,そこから論理的に求償権の性格が実質的に不当利得的な性格を有することとなるものではなく,代位責任説を採っても自己責任説を採っても,本件の公務員らは,連帯して国家賠償法1条2項の規定に基づく求償債務を負うと考えられる。」


最大判令和2年11月25日(平成30(行ヒ)417)*15
岩沼市議会議員が出席停止の懲罰の違憲、違法を争った事件において、「出席停止の懲罰の適否は,司法審査の対象となる」として判例変更を行った法廷意見に賛成し、司法審査のあり方について以下のように意見を述べた*16
「1 法律上の争訟 法律上の争訟は,①当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争であって,かつ,②それが法令の適用により終局的に解決することができるものに限られるとする当審の判例最高裁昭和51年(オ)第749号同昭和56年4月7日第三小法廷判決・民集35巻3号443頁)に照らし,地方議会議員に対する出席停止の懲罰の取消しを求める訴えが,①②の要件を満たす以上,法律上の争訟に当たることは明らかであると思われる。法律上の争訟については,憲法32条により国民に裁判を受ける権利が保障されており,また,法律上の争訟について裁判を行うことは,憲法76条1項により司法権に課せられた義務であるから,本来,司法権を行使しないことは許されないはずであり,司法権に対する外在的制約があるとして司法審査の対象外とするのは,かかる例外を正当化する憲法上の根拠がある場合に厳格に限定される必要がある。」
「2 国会との相違 国会については,国権の最高機関(憲法41条)としての自律性を憲法が尊重していることは明確であり,憲法自身が議員の資格争訟の裁判権を議院に付与し(憲法55条),議員が議院で行った演説,討論又は表決についての院外での免責規定を設けている(憲法51条)。しかし,地方議会については,憲法55条や51条のような規定は設けられておらず,憲法は,自律性の点において,国会と地方議会を同視していないことは明らかである。」
「3 住民自治 地方議会について自律性の根拠を憲法に求めるとなると,憲法92条の「地方自治の本旨」以外にないと思われる。「地方自治の本旨」の意味については,様々な議論があるが,その核心部分が,団体自治と住民自治であることには異論はない。また,団体自治は,それ自身が目的というよりも,住民自治を実現するための手段として位置付けることができよう。住民自治といっても,直接民主制を採用することは困難であり,我が国では,国のみならず地方公共団体においても,間接民主制を基本としており,他方,地方公共団体においては,条例の制定又は改廃を求める直接請求制度等,国以上に直接民主制的要素が導入されており,住民自治の要請に配慮がされている。この観点からすると,住民が選挙で地方議会議員を選出し,その議員が有権者の意思を反映して,議会に出席して発言し,表決を行うことは,当該議員にとっての権利であると同時に,住民自治の実現にとって必要不可欠であるということができる。もとより地方議会議員の活動は,議会に出席し,そこで発言し,投票することに限られるわけではないが,それが地方議会議員の本質的責務であると理解されていることは,正当な理由なく議会を欠席することが一般に懲罰事由とされていることからも明らかである。したがって,地方議会議員を出席停止にすることは,地方議会議員の本質的責務の履行を不可能にするものであり,それは,同時に当該議員に投票した有権者の意思の反映を制約するものとなり,住民自治を阻害することになる地方自治の本旨」としての住民自治により司法権に対する外在的制約を基礎付けながら,住民自治を阻害する結果を招くことは背理であるので,これにより地方議会議員に対する出席停止の懲罰の適否を司法審査の対象外とすることを根拠付けることはできないと考える。」
「4 議会の裁量 地方議会議員に対する出席停止の懲罰の適否を司法審査の対象としても,地方議会の自律性を全面的に否定することにはならない。懲罰の実体判断については,議会に裁量が認められ,裁量権の行使が違法になるのは,それが逸脱又は濫用に当たる場合に限られ,地方議会の自律性は,裁量権の余地を大きくする方向に作用する。したがって,地方議会議員に対する出席停止の懲罰の適否を司法審査の対象とした場合,濫用的な懲罰は抑止されることが期待できるが,過度に地方議会の自律性を阻害することにはならないと考える。」


■最三小判令和3年3月2日(令和2(受)763)*17
補助金交付・返納に係る行政機関の承認を無効とした原審を破棄した法廷意見に賛成し、「違法行為の転換」について、以下のように補足した。
法律による行政の原理を空洞化させないために,違法行為の転換が認められる場合は厳格に限定する必要がある。法廷意見が述べるように,本件においては,①転換前の行政行為(法22条に基づく承認)と転換後の行政行為(法7条3項による本件交付決定条件に基づく承認)は,その目的を共通にすること,②転換後の行政行為の法効果が転換前の行政行為の法効果より,関係人に不利益に働くことになっていないこと,③転換前の行政行為の瑕疵を知った場合に,その代わりに転換後の行政行為を行わなかったであろうと考えられる場合ではないこと(そもそも,栃木県補助金等交付規則6条3項においては,同規則における補助金等の交付の決定をするに当たり,「知事は,適正化法に規定する間接補助金等に該当する場合において,同法第7条の規定に基づき各省各庁の長が当該間接補助金等に関して条件を附したときは,これと同一の条件を附するものとする。」と定められており,被上告人としては,本件交付決定条件が法7条3項の規定によるものであることを認識できてしかるべきであったといえ,本件承認が本件交付決定条件を根拠としてされるべきものであったと認識できたと考えられる。)といった事情を勘案して,違法行為の転換が認められている。違法行為の転換を認めた当審の判例最高裁昭和25年(オ)第236号同29年7月19日大法廷判決・民集8巻7号1387頁)も,上記①~③の要件を全て満たす場合であったといえる。他方,違法行為の転換を認めなかった当審の判例最高裁昭和25年(オ)第383号同28年12月28日第一小法廷判決・民集7巻13号1696頁,最高裁昭和25年(オ)第212号同29年1月14日第一小法廷判決・民集8巻1号1頁,最高裁昭和39年(行ツ)第33号同42年4月21日第二小法廷判決・裁判集民事87号237頁)は,上記①~③の要件のいずれかを満たさない事案であったといえる。このように,法廷意見は,従前の当審の判例と整合するものであり,違法行為の転換が認められる場合を拡大するものでは全くない。なお,上記①~③の要件は違法行為の転換が認められるための必要条件であるが,それが必要十分条件であるわけでは必ずしもないと思われる。例えば,いわゆる行政審判手続において審理されなかった事実を訴訟手続において援用して違法行為を転換することは,行政審判手続を採用した趣旨に反し,かかる場合に訴訟手続において違法行為の転換を認めることの可否は慎重に検討すべきではないかと思われる。また,処分の相手方のみならず,第三者にも効果が及ぶいわゆる二重効果的行政処分の場合,違法行為の転換を認めることにより,第三者の権利利益を侵害することにならないかを検討する必要があるであろう。このように,あらゆる場合に,上記①~③の要件を満たせば,必ず違法行為の転換が認められるとはいえないが,本件においては,違法行為の転換を否定すべき特段の事情の存在は認められず,その点について論ずる必要はない。法廷意見も,また,過去に違法行為の転換を認めた当審判例も,そのような特段の事情が存在しない事案であったため,あえて上記①~③以外の要件について言及しなかったものと考えられる。」


■最三小判令和3年6月15日(令和2(行ヒ)102)*18
未決拘禁者の収容中の診療録の開示請求をめぐり、不開示決定を適法とした原決定を破棄し、差し戻した法廷意見を補足する立場から、以下のように述べた。
「我が国では,かつては診療録の開示請求の可否について議論があったが,今日では,医療はインフォームド・コンセントが基本であり,医療法1条の4第2項も,
「医師,歯科医師,薬剤師,看護師その他の医療の担い手は,医療を提供するに当たり,適切な説明を行い,医療を受ける者の理解を得るよう努めなければならない。」と定めており,最高裁平成10年(オ)第576号同13年11月27日第三小法廷判決・民集55巻6号1154頁も,医師の説明義務を認めている。そして,医療における自己決定権が人格権の一内容として尊重されなければならないことは,当審も認めている(最高裁平成10年(オ)第1081号,第1082号同12年2月29日第三小法廷判決・民集54巻2号582頁)。我が国では,個人情報の保護に関する法律行政機関の保有する個人情報の保護に関する法律独立行政法人等の保有する個人情報の保護に関する法律,個人情報保護条例のいずれにおいても,診療録に対する開示請求権を認めているので,病院等の設置主体が,国,独立行政法人国立大学法人地方公共団体地方独立行政法人(個人情報保護条例の実施機関となっている場合),医療法人,個人のいずれであれ,その保有する診療録について,自己情報開示請求が可能である。医師法19条2項も,診察をした医師は,診断書の交付の請求があった場合には,原則としてそれを拒否できないとしている。刑事施設における診療に関する情報であっても,インフォームド・コンセントの重要性は異ならない法務省矯正局矯正医療管理官編・矯正医療においても,矯正医療に求められている内容は,基本的に一般社会の医療と異なるところはないとしている(このことは,監獄法の時代も同じであり,監獄における医療の意義は,第1には,人道的立場において,在監者の身体的・精神的健康を毀損することのないようにすることにあり,病院移送も,専ら病者の治療という趣旨からなされるものであり,検察官等の処分をまって初めて病院移送の措置をとり得ると解すべきではないとされていた。小野清一郎=朝倉京一・改訂監獄法)。1988年に国連総会で採択された「あらゆる形態の抑留又は拘禁の下にあるすべての者の保護のための諸原則」は,「拘禁された者又は受刑者が医学的検査を受けた事実,医師の氏名及び検査の結果は,正しく記録されなければならない。これらの記録へのアクセスは,保障される。そのための方式は,各国法の関連法規に従う。」としている。刑事施設における自己の医療情報へのアクセスの保障は,グローバル・スタンダードになっているといえるのである。また,2015年に国連総会で採択された国連被拘禁者処遇最低基準準則(マンデラ・ルール)26条1項は,「ヘルスケア・サービスは,すべての被拘禁者に関して正確で最新かつ秘密の個人医療ファイルを準備し,かつ保持しなければならない。すべての被拘禁者は,請求により自己のファイルへのアクセスを認められなければならない。被拘禁者は,自己のファイルにアクセスするため第三者を指名することができる。」と定めており,被拘禁者に自己の診療録にアクセスする権利を認めることは,最低限必要とされているのである。世界の100を超える医師会が加盟する世界医師会(WMA)が採択した「患者の権利に関するリスボン宣言」においても,「患者は,いかなる医療上の記録であろうと,そこに記載されている自己の情報を受ける権利を有し,また症状についての医学的事実を含む健康状態に関して十分な説明を受ける権利を有する。」と宣言されている。アンドリュー・コイル・国際準則からみた刑務所管理ハンドブックにおいても,「いかなる診断や診療も,当該被収容者個人のために施されるのであって,施設の必要のためではない。」と明記されている。また,刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律62条3項は,刑事施設の長は,必要に応じ被収容者を刑事施設の外の病院又は診療所に通院させ,やむを得ないときは被収容者を刑事施設の外の病院又は診療所に入院させることができると定めている。刑事施設の外の病院又は診療所で診療を受けた場合には,通常の診療録になり,開示されても収容歴が分からないので開示請求が可能であるのに,刑事施設内の病院又は診療所で診療を受けた場合には開示請求ができないのは不合理であろう。」

原審、原決定を破棄した判決は、国賠法、行政行為論、情報開示とご専門の分野の事例だったこともあってか、学説、判例を効果的に列挙し、「調査官解説不要!」とばかりに力強く法廷意見を支える意見を書かれているし、岩沼市議会の処分をめぐる大法廷判決では、「大法廷判例の変更」という歴史的な場面に”ソロ”で登場され、判例変更の妥当性をこれまた力強く論じられている。

コンパクトながら格調高く、法廷意見の理論的根拠を説得的に支える。いずれも、これを「補足意見」といわずに何というか、と感嘆の声を上げたくなるような美しさすら感じる。

そして、このような流れの中で、昨年の秋頃からは、法定の多数意見に果敢に挑まれる個別意見も出されるようになってきた。

<反対意見>
■最三小判令和2年10月13日(令和元(受)1190,1191)*19
メトロコマースの正社員と契約社員との労働条件の相違の違法性が争点となった事件において、慎重な言い回しながらも、「正社員と同一の基準に基づいて算定した額の4分の1に相当する額すら契約社員Bに支給しないことが不合理であるとした原審の判断は是認することができ」る、として、労働契約法20条違反を認めなかった多数意見に対し、反対の立場を示した。
上告審判決を見ただけでは分からないもの~「待遇格差」をめぐる最高裁判決5件の意味。 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~もご参照のこと。


最大判令和2年11月18日(令2(行ツ)78)*20
2019年参院選の定数配分規定により、3.00倍の較差が生じた点につき、「多数意見とは異なり,本件定数配分規定は遺憾ながら違憲であるといわざるを得ないと考える」として、以下のとおり、違憲を宣言する判決を行うべき、とする反対意見を述べられた。
「1 国民主権の基礎としての選挙権 憲法は,選挙権の内容の平等,すなわち,議員の選出における各選挙人の投票の有する影響力の平等を要求していることはいうまでもない。しかも,この平等の要請は,極めて強い要請であって,資格制度のように能力に応じた異なる取扱いが正当化されるのとは異なり,政治に関する知識や社会経験等を問わず,一定の年齢に達していれば,1人1票を等しく保障しなければならない。これは,選挙権の平等が,国民主権,民主主義の根幹を成すものであるからである。したがって,投票価値の平等の問題は厳格な司法審査に服さなければならず,選挙権平等原則からの逸脱は真にやむを得ない場合でなければ認められないと考える。もし居住する場所によって1票の価値が異なれば,実質的に居住する場所による複数選挙を認めることになる。それは,憲法14条1項の平等原則に違反すると同時に,平等性を内包した選挙権の侵害という憲法15条1項違反の問題を生ぜしめる。」
「2 国会の立法裁量 確かに,国会は,参議院について,定数を何名にするか,全国単位の選挙と選挙区選挙のいずれを採用するか,あるいは双方を組み合わせるか,組み合わせる場合に双方の定数をどのように配分するか,全国単位の選挙を比例代表制にするか否か,選挙区をどのような単位にするかなどについて,立法裁量を有する。国会はその立法裁量を行使して,二院制の意義を発揮できるように,衆議院とは異なる選挙制度参議院について設けることが可能である。その意味で国会に広範な裁量権があるという言い方ができるかもしれない。しかし,国会が有するこの立法裁量は,憲法の枠内で与えられているものであるから,1票の価値をできる限り等しくするようにするための最大限の努力を前提にした上での裁量であって,1票の価値の平等は,他の諸要素と総合考慮される際の一つの考慮要素にとどまるものではなく,最優先の考慮事項として立法裁量を制約するものと考えられる
「3 国会の説明責任 選挙権が国民主権の基礎になる極めて重要な権利であることに照らせば,国会は,1票の価値の較差がない状態をデフォルトとして制度設計しなければならず,技術的・時間的制約から,1票の価値に不均衡が生ずるやむを得ない事情があるのであれば,国会がそのことについて説明責任を負い,合理的な説明がされない場合には,違憲状態にあるといわざるを得ないと考える。それでは,本件選挙が平成30年改正法に基づいて行われたことに関し,1票の価値になおかなり大きな較差があることに係るやむを得ない事情の存在について,国会により説明責任が果たされているかであるが,実質的に1人が3票持つ場合が生ずる選挙権の価値の不平等を正当化する根拠を示し得ていないといわざるを得ないと思われる。合区が政治的に困難なことは理解できるが,政治的困難さがあるから,憲法の定める選挙権の平等が犠牲にされてよいことにはならないし,後述するように,合区以外の方法によって選挙権の平等に向けた改善を実現する方法も存在し,現行の選挙区を維持したまま,選挙権の平等に向けた改善を実現することすら可能であると考えられるからである。」
「4 参議院議員選挙制度における1票の価値の不均衡を衆議院議員選挙制度におけるそれより緩やかに認める根拠の不存在 確かに,憲法は,二院制の下で,一定の事項について衆議院の優越を認める反面,参議院議員については任期を衆議院議員よりも長くし,かつ,参議院については解散がないので,参議院においては,衆議院よりも安定的・長期的な基盤の下での審議が可能になっている。しかし,このことは,1票の価値の均衡の問題と直接に関わるものではない。実質的に考えても,いわゆる「ねじれ国会」となり,衆議院で可決された法律案を参議院が否決した場合,衆議院が出席議員の3分の2以上の多数で再び可決できなければ,法律案を成立させることは不可能になるから,参議院の権能は大きい。したがって,衆参両院の上記のような制度の相違が,参議院議員選挙における1票の価値の不均衡を衆議院議員選挙におけるそれよりも大きくすることの正当化根拠にはならないと思われる。また,参議院議員は3年ごとにその半数について選挙を行うことも憲法で定められているが,これも,選挙区を設けた場合,必ず各選挙区に偶数の議員定数を配分することを義務付けるものとはいえない。例えば,現在,全国単位で行われている比例代表選挙に参議院議員の総定数の半数,選挙区選挙に残りの半数をそれぞれ配分し,ある選挙の年には比例代表選挙のみを行い,その3年後には選挙区選挙のみを行うことにより,参議院議員の総定数の半数が3年ごとに改選されるようにすれば,憲法の要請を充たすと解されるので,選挙区の議員定数配分を必ず偶数にする必要はないと考えられる。そして,選挙区の議員定数を奇数にすることにより1人区を設け,1人区の選挙区選挙の機会を6年に1回とし,複数区では3年に1回,選挙区選挙を行うような制度設計をしたと仮定すると,1人区では選挙区選挙の機会が複数区のそれに比して少なくなるが,これは人口比例選挙の結果であり,憲法に反するものとはいえないであろう。上記のように,参議院についての半数改選制も,参議院議員選挙制度における1票の価値の不均衡を衆議院議員選挙制度におけるそれより緩やかに認める根拠にはならないと思われる。そして,上述の奇数選挙区の導入は,現行の選挙区割りの下でも可能である。以上述べてきたように,参議院議員選挙制度については,二院制の意義に照らし,衆議院と異なる選挙制度を構築する立法裁量を国会が有するとはいえ,参議院では衆議院よりも投票価値の平等の要請が後退してよいと解すべき憲法上の根拠は見いだし難いと思われる。」
「5 地域代表の必要性を理由とする投票価値の不均衡の正当化の困難性 現行の参議院の選挙区は,一部で合区が行われたとはいえ,基本的には,都道府県を単位とするものになっている。確かに,我が国において都道府県が歴史的に重要な地域であり,政治的・社会的に住民の帰属意識があることは疑いない。しかし,昭和22年に参議院都道府県を単位とする選挙区制度が導入されたのは,都道府県代表を選出する趣旨ではなく,当時,交通手段も情報通信手段も,今日と比較すれば格段に遅れていた状況の下で,地域の実情に精通した議員を確保する手段として,都道府県を単位とする選挙区が適切であると判断されたことによる。交通手段も情報通信手段も飛躍的に発展した今日においては,国会が地域の実情を調査することははるかに容易になっており,都道府県単位の選挙区を維持する必要性は,実際上も希薄になっているといえる。そして,憲法において,都道府県代表を重視する根拠を見いだすことは困難であると思われる。そもそも,憲法には,地方公共団体という文言は用いられているものの,都道府県や市町村という文言は用いられておらず,普通地方公共団体都道府県と市町村とするということは,地方自治法のレベルで定められているにすぎない。そうであるからこそ,今日では一般に,都道府県を廃止して道州制を導入することが現行憲法上も可能であると解され,内閣府の地方制度調査会においても道州制促進に向けた答申が行われたことがある。このように,参議院において都道府県代表を重視する根拠を憲法上見いだせないのみならず,より一般的に地域代表的性格を参議院に持たせるために1票の価値の不均衡を正当化することも,憲法上は困難ではないかと考える。すなわち,憲法43条1項は,「両議院は,全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する」と定めており,衆議院議員のみならず参議院議員も,地域の代表ではなく全国民を代表するものでなければならない。この規定は,国会議員が,一たび選挙で選ばれた以上,地域の代表としてではなく全国民の代表として行動すべきであるとする行為規範を示すのみならず,最高裁平成22年(行ツ)第207号同23年3月23日大法廷判決・民集65巻2号755頁(以下「平成23年大法廷判決」という。)が判示するように,選挙制度の設計に当たっても,全部又は一部の議員に地域代表的性格を付与するために1票の価値の均衡を犠牲にすることを許容しないことをも意味していると考えられる。同判決は,衆議院の1人別枠方式に関するものであるが,「地域性に係る問題のために,殊更にある地域(都道府県)の選挙人と他の地域(都道府県)の選挙人との間に投票価値の不平等を生じさせるだけの合理性があるとはいい難い」という判示は,参議院の選挙区選挙にも妥当すると考えられる。都道府県を選挙区とすることにより,過疎地域の代表者の声を国政に届きやすくすべきであるという被告の主張については,確かに,過疎対策は国政の重要課題であり,人口が少ないからといって,過疎地域を軽視してよいわけではないという点では首肯できる。しかし,平成23年大法廷判決が「議員は,いずれの地域の選挙区から選出されたかを問わず,全国民を代表して国政に関与することが要請されるのであり,相対的に人口の少ない地域に対する配慮はそのような活動の中で全国的な視野から法律の制定等に当たって考慮されるべき事柄」であると判示しているように,過疎対策が重要であることは,過疎地域における投票価値を高める理由にはならないと思われる。また,世の中には様々なマイノリティが存在し,そのようなマイノリティの声を国政に届きやすくすることは重要であっても,そのためにそれらの者の1票の価値を高めることが認められない以上,過疎地域の声が国政に届きやすくすることは国政の重要課題であるとはいえ,そのために過疎地域の住民の1票の価値を上乗せすることの正当化は困難であると思われる。もっとも,平成29年大法廷判決が判示しているように,政治的に一つのまとまりを有する単位である都道府県の意義や実体等を一つの要素として考慮すること自体は,私も否定するものではない。しかし,それは飽くまで投票価値の平等の要請と両立可能であるという条件の下においてであって,投票価値の平等の要請を損なってまで都道府県代表の要請を重視することはできないと考える。」
「6 違憲状態にあること 以上の理由から,私は,本件定数配分規定については,なお看過し難い投票価値の不平等があり,かつ,それがやむを得ないものであることについての合理的な説明が国会によってなされていない以上,遺憾ながら違憲状態にあったといわざるを得ないと考える。なお,本件定数配分規定が違憲状態にあったと判断することは,国会の立法裁量を否定し,特定の選択肢の採用を国会に迫るものではないことを念のため付言しておきたい。選挙区選挙は憲法上の要請ではないので議員総定数全部を全国区の比例代表選挙により選出する制度とすることも可能であるし,選挙区選挙を維持する場合であっても,選挙区をブロック制にすること,合区を増加させること,選挙区選出議員総定数を増加させ1票の価値が小さい選挙区の議員定数を増加させること(参議院議員総定数を増加させる方法のほか,比例代表選出議員総定数を減少させ,その分を選挙区選出議員総定数に振り替える方法もある。),1人区を設けること等のほか,以上の方法を適宜組み合わせることも可能であり,憲法の要請する投票価値の平等の実現に向けて,国会が立法裁量を行使できる範囲は,決して狭くないと考える。」
「7 違憲状態を是正するための合理的期間を経過していること 私は,合理的期間の経過の有無は,国家賠償請求訴訟における過失の有無の判断においては問題にならざるを得ないが,選挙無効訴訟においては,違憲状態にあれば,合理的期間の経過の有無を問わず,違憲と判断してよいのではないかという疑問を抱いている。しかし,以下においては,この点をおき,当審の確立した判断枠組みである合理的期間論によっても,本件では違憲と考える理由を述べることとする。当審は,既に最高裁平成20年(行ツ)第209号同21年9月30日大法廷判決・民集63巻7号1520頁において,既存の選挙制度の仕組みを維持する限り,最大較差の大幅な縮小を図ることは困難であり,この仕組み自体の見直しが必要になることは否定できない旨を指摘して,国民の意思を適正に反映する選挙制度が民主政治の基盤であり,投票価値の平等が憲法上の要請であることに鑑みると,国会において,速やかに,投票価値の平等の重要性を十分に踏まえて,適切な検討が行われることが望まれると判示していた。また,当審は,平成24年大法廷判決において,投票価値の不均衡が違憲状態にあることを認め,かつ,都道府県を単位とする選挙制度自体の見直しを内容とする立法的措置を講じ,できるだけ速やかに違憲の問題が生ずる不平等状態を解消する必要がある旨を判示していた。他方において,平成29年大法廷判決は,平成27年改正法に基づいて行われた平成28年選挙が依拠した定数配分規定について,違憲状態にないと判示した。これらの関係をどのように理解すべきかが問題になる。私は,平成29年大法廷判決の結論にかかわらず,平成27年改正により選挙区間の投票価値の最大較差が約3倍まで縮小したことのみをもって違憲状態が解消されたわけではないことを,国会は認識可能であったと考える。なぜならば,平成29年大法廷判決は,選挙区間の投票価値の最大較差が約3倍まで縮小したことのみならず,平成27年改正法附則が,次回の通常選挙に向けて選挙制度の抜本的な見直しについて引き続き検討を行い必ず結論を得る旨を定めており,これによって,今後における投票価値の較差の更なる是正に向けての方向性と立法府の決意が示されたこと等をも指摘した上で,同附則の規定も総合考慮して,違憲状態にないと判示しているからである(なお,前記1ないし6からも明らかなとおり,私自身は,定数配分規定の合憲性を判断するに当たり,立法府の将来に向けた努力の決意を考慮要素とする立場にくみするものではない。)。この平成27年改正法附則は,当時,国会自身も,平成27年改正のみでは,憲法による投票価値の平等の要請に完全に応えるにはなお不十分であると認識していたことを示しており,最高裁としても同様に考えつつ,ただ,上記のような国会の決意表明を重要な考慮要素として勘案して,違憲状態にないと判示したものとみるべきであると思われる。それでは,実際に行われた平成30年改正はどうであったかというと,比例代表選出議員における特定枠制度の導入は,既存の合区を維持することへの不満に対応するという意味を持つものであり,1票の価値の不均衡の縮小を図るものではなく,投票価値の平等の実現に向けて国会が行ったのは,埼玉県選挙区の定数を2名増員することのみである。これによる不均衡の縮小はごく僅かにとどまる以上,平成30年改正によっては,平成27年改正法附則の「選挙制度の抜本的な見直し」が実現していないことは,国会も認識できたはずである。以上の事情によれば,国会は,遅くとも平成24年大法廷判決の時点から,参議院議員選挙における投票価値の最大較差を大幅に縮小しなければ違憲状態を解消できないことを認識できたはずであるし,上記のような事情に照らせば,平成29年大法廷判決も,その認識を改めることを正当化する理由にはならないと考える。参議院発足以来定着している選挙制度を抜本的に改正することが政治的に相当に困難なこと,国会も拱手傍観していたわけではなく,平成28年選挙後も,参議院改革協議会の下に選挙制度に関する専門委員会を設置して熱心に議論をしてきたことは認められるが,結局,平成27年改正法附則で国会が自らに対して課した次回の通常選挙に向けての選挙制度の抜本的な見直しが実現しなかったことにも鑑みると,既に合理的期間は経過しているというほかなく,本件定数配分規定は,遺憾ながら違憲であるといわざるを得ないと考える。」
「8 本件選挙の効力 本件定数配分規定を違憲と判断する以上,憲法98条1項に照らして,本件定数配分規定に基づいて行われた本件選挙を無効とするのが原則ということになる。しかし,私は,公職選挙法204条の規定に基づく1票の価値の不均衡訴訟は,本来,同条が予定した訴訟でないにもかかわらず,参政権という国民主権の基本を成す権利について司法救済の道がないことは不合理であることから,同条の規定を形式的に利用して,実質的には,判例法として特別の憲法訴訟を創出したものであると考えている。したがって,判決の在り方についても,一般の場合と異なり,司法府と立法府との役割分担を踏まえて,柔軟に判断することが例外的に許容されると考える。無効判決を出しても,国政の混乱が生じないような対応を可能とする解釈はあり得るし,既に当審の個別意見においても,幾つかの案が提示されている。もっとも,現時点では,どの範囲の議員がその地位を失うのか等について,様々な議論がされてはいるものの,この点について,なお学界においても,議論の蓄積が十分とは必ずしもいえない。このような中で,違憲宣言にとどめず無効であることまで判示して,後は国会での対応に委ねるという判決を行うことはなお時期尚早であり,現時点では違憲を宣言する判決にとどめて,国会の対応を期待し,もはやそのような判決では実効性がないことが明確になれば,無効判決への対応の仕方も示して無効判決を出すという過程を経ることが適切であると考える。」


■最三小決令和2年12月22日(平成30(し)332)*21
袴田事件の再審開始決定を取り消した原決定を、審理不尽の違法ありとして取消し、差し戻した多数意見に対し、「本件を東京高等裁判所に差し戻すのではなく,検察官の即時抗告を棄却して再審を開始すべきであると考える」として、林景一裁判官と連名で反対意見を述べた(以下、「結論」の部分のみ引用する)。
「多数意見は,B鑑定の信用性を認めなかった原決定の判断を是認しつつも,5点の衣類に付着した血痕の色合いについて,メイラード反応の影響等に関する審理が不十分であるとして原決定を取り消し,この点についての審理を尽くさせるため原裁判所に差し戻すこととした。多数意見は,原決定を取り消すという限りでは,私たちの考え方と方向性を同じくするところがある。しかしながら,私たちは,多数意見を一歩進めて,みそ漬け実験報告書は,確定判決の有罪認定に合理的な疑いを生じさせる新証拠であり,また,多数意見と異なり,B鑑定についても,再審を開始すべき合理的な疑いを生じさせる新証拠であると考える。そして,私たちは,確定審におけるその他の証拠をも総合して再審を開始するとした原々決定は,その根幹部分と結論において是認できると考える。このような理由から,単にメイラード反応の影響等について審理するためだけに原裁判所に差し戻して更に時間をかけることになる多数意見には反対せざるを得ないのである。」


■最大決令和3年6月23日(令2(ク)102)*22
夫婦同氏を定める戸籍法の規定に関し、宮崎裕子裁判官と連名で「多数意見と異なり,本件各規定は憲法24条に違反するものであるから,原決定を破棄し,抗告人らの婚姻の届出を受理するよう命ずるべきであると考える」として、実にPDF27頁にわたる反対意見を述べられた(以下、三浦守判事の「意見」とは結論を分けた、「婚姻届の受理」の当否について述べられた最後のくだりを引用する)。
⇒「氏名に関する人格的利益」について述べられた点については、最高裁大法廷決定の先にある未来。 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~を参照のこと。
「本件は,本件処分を不服として本件婚姻届の受理を命ずる審判を求める申立てに対して原々審で却下審判がされ,原審で即時抗告棄却決定がされ,これに対し
て特別抗告がされた事案である。婚姻届不受理処分に対する不服申立てを認容する場合,裁判所は,不受理処分を取り消すという審判をするのではなく,「届出の日付で受理せよ」という審判をすることになる。上記1,2で述べたところにより,本件各規定のうち夫婦に同氏を強制し婚姻届に単一の氏の記載を義務付ける部分が違憲無効であるということになれば,本件処分は根拠規定を欠く違法な処分となり,婚姻の他の要件は満たされている以上,市町村長に本件処分をそのままにしておく裁量の余地はなく,本件婚姻届についても,婚姻届不受理処分が違法である場合の一般の審判と同様,届出の日付での受理を命ずる審判をすべきことになると考えられる。なお,戸籍法34条2項は,「市町村長は,特に重要であると認める事項を記載しない届書を受理することができない。」と定めているが,夫婦に同氏を強制し婚姻届に単一の氏の記載を義務付ける規定が違憲無効である以上,抗告人らが夫婦が称する単一の氏を定めて本件婚姻届に記載していないことが,同項による不受理事由となるものでもない。そして,婚姻届の受理による婚姻の成立とその後の戸籍の記載等の取扱いは,概念的に区別し得る。婚姻が成立すれば,夫婦としての同居・扶助義務や相続などの様々な法的効果が発生するし,別れる場合には離婚の手続をとる必要が生ずることになる。夫婦別氏とする婚姻届が受理されても,戸籍の編製及び記載をどうするのか(同一戸籍になるのか,その場合,戸籍の筆頭者は誰になるのかなど)は,法改正がなされるまではペンディングにならざるを得ないかもしれず,そのため,当事者が婚姻の事実を証明するために戸籍謄本の交付を請求することができないことが考えられるが,その場合には,戸籍法48条1項の規定により,婚姻届受理証明書を請求することができると考えられる。また,法改正がされそれが施行されるまでの間は,婚姻の際に別氏を称することとした夫婦の間に生まれた子の氏が法的には定まらないという問題が生ずるが,その問題については,子の出生を証明する必要がある場合には,戸籍法48条1項の規定により,出生届受理証明書を請求することができると考えられる。子が生まれた場合に,子の氏が法的には定まらないという問題があるからといって,そのことを理由として,その点を解決するような法改正を迅速に行うことをしないまま,婚姻届を受理しないことができるとはいえない。いうまでもなく,当審の違憲判断を受けて国会が本件各規定の法改正をすべき義務を負うこととなる場合には,夫婦が別氏を称する婚姻を認めるだけでなく,子の氏や戸籍の取扱いなどの関連事項の改正も含めて立法作業を速やかに行う必要があるが,既に述べたように,外国においては夫婦同氏を義務付ける制度を採用している国は見当たらないのであるから,夫婦同氏に加えて夫婦別氏も認める法制度は世界中に多数存在するはずであること,平成8年には法務省において必要な外国の制度調査を行い,法制審議会の検討も終えて,夫婦同氏制の改正の方向を示す法律案の要綱も答申されたことを勘案すると,国会が夫婦別氏を希望する者の婚姻を認める改正を行うに際して,子の氏の決定方法を含めて関連する事項の法改正を速やかに実施することが不可能であるとは考え難い。国会においては,全ての国民が婚姻をするについて自由かつ平等な意思決定をすることができるよう確保し,個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚した法律の規定とすべく,本件各規定を改正するとともに,別氏を希望する夫婦についても,子の利益を確保し,適切な公証機能を確保するために,関連規定の改正を速やかに行うことが求められよう。」


■最三小判令和3年7月6日(令和3(行ヒ)76)*23
辺野古移設に伴う公有水面埋立てに関し、沖縄県の法定受託義務の処理と国による是正指示の適法性が争われた事件において、「多数意見と異なり,本件で上告人が是正の指示の時点で,本件各申請に対して本件各許可処分をしなかったことが,裁量権の範囲の逸脱又はその濫用として違法であるとはいえないと考える」として、以下のとおり反対意見を述べられた。
公有水面埋立法に基づく承認がなされた場合,その処分に無効の瑕疵がある場合を除き,事業者は,承認を受けた設計の概要に従って工事を行い当該埋立事業を完成させる法的地位を有する。しかし,海底等の情報が不確実な段階で審査がなされることも想定されるから,同法に基づく承認の要件は,承認の時点で確実に判断することが困難な内容を含むいわゆる将来予測型情勢判断とならざるを得ない。そのため,設計の概要の変更が制度上予定されている(同法13条ノ2,42条)。設計の概要に従った工事を行って当該埋立事業を完成させることが不可能なことが客観的に明白であるという特段の事情がある場合には,設計の概要の変更が必要になる。本件では,沖縄防衛局が実施設計のための海底地盤調査を行ったところ,設計の概要の前提とされた土質と異なり,設計の概要に従った工事を実施した場合,埋立ての安全性が認められないことが客観的に明らかになり,同局もこのことを認めている。本件では,是正の指示がなされた時点では,変更承認の申請はなされていなかった。変更が客観的に見ておよそ実現不可能な場合には,当該埋立ての目的は実現できないことになり,埋立工事の続行は許されるべきではなく,当初の承認は撤回されるべきであろう。本件の場合には,是正の指示の時点において,変更が客観的に見ておよそ実現不可能とまではいい切れず,本件地盤工事の対象区域外にある本件さんご類の移植のための特別採捕許可を申請することが,そもそも許されないとまではいえないように思われる。」
「しかしながら,以下の理由から,本件指示の時点において,上告人が,本件各許可処分をしなかったことに裁量権の範囲の逸脱又はその濫用があったとはいえないと考えられる。」
「公共事業を行うに当たり,複数の法令に基づく異なる許認可等を受ける必要があることは,きわめて一般的なことである。行政手続法11条2項,環境影響評価法
33条2項は,かかる場合があることを前提にした規定である。そして,それぞれの許認可等の許否を判断するに当たっては,それぞれの制度の目的を踏まえて,各
法令における許認可等の要件該当性を判断することになり,その結果,同一の公共事業について,ある法令に基づく許認可等は与えられても,他の法令に基づく許認可等は与えられないという結果になることも当然あり得ることになる。本件においても,公有水面埋立法に基づく承認がなされているとしても,特別採捕許可の申請の許否の判断においては,漁業法等その他漁業に関する法令とあいまって,沖縄県における水産資源の保護培養,漁業調整等を図ることという本件規則1条の目的を踏まえる必要がある。本件各申請に係るさんご類は,本件軟弱区域の範囲外に存在する。しかし,本件軟弱区域の箇所が大浦湾側の埋立事業全体のわずかな部分であり,その部分を除いて工事を完成させても埋立事業の目的の実現に支障がないというわけではない。本件では,大浦湾側の大半に軟弱地盤が存在している。したがって,本件変更申請が不承認になった場合,本件各申請に係るさんご類の生息箇所のみの工事は無意味になるといわざるを得ない。他方において,さんご類の移植は極めて困難で,移植を行っても大半のさんご類が死滅することに鑑みれば,さんご類の移植は,それ自体として見れば,さんご類に重大かつ不可逆的な被害を生じさせる蓋然性が高い行為といっても過言ではない。このことに鑑みると,本件各許可処分を行うべきといえるためには,本件さんご類の移植を基礎付ける大浦湾側の埋立事業が実施される相当程度の蓋然性があることが前提となると考えられる。本件変更申請が拒否されることになれば,本件さんご類の移植は無駄になるばかりか,移植されたさんご類の生残率は高くないこと等から,水産資源の保護培養という水産資源保護法の目的に反することになってしまうと考えられる。したがって,本件各申請を受けた上告人が,本件護岸工事という特定の工事のみに着目して本件各申請の是非を判断するとすれば,「木を見て森を見ず」の弊に陥り,特別採捕許可の制度が設けられた趣旨に反する結果を招かざるを得ないと思われる。すなわち,本件各申請に対する判断をするに当たり,本件変更申請が承認される蓋然性は,要考慮事項であり,その点を考慮することなく申請の許否を判断すれば,考慮すべき事項を考慮しなかった考慮不尽となり,裁量権の範囲の逸脱又はその濫用となってしまうと考えられる。本件指示の時点においては,設計の概要の変更承認の申請はなされていなかった。しかも,原審の確定事実によれば,約66ヘクタールにわたる軟弱地盤の改良工事のためには,当初の設計の概要に比べて約6倍の量の砂を使用して,深度約70メートルまで杭を海底に打ち込まなければならない箇所が存在するなど,きわめて大規模な工事が必要になる。したがって,上告人が,本件指示の時点において,本件各申請を許可すべきか否か判断できないとしたことは,要考慮事項を考慮するための情報が十分に得られなかったからであり,そのことについて上告人の責に帰すべき事案であるとはいえない。したがって,本件指示の時点において,上告人が本件各許可処分をしなかったことが裁量権の範囲の逸脱又はその濫用に当たるとまではいえないと考えられる。」
「このように述べることは,本件指示の時点においては,いまだ変更承認の申請すらなされていなかったので,要考慮事項を考慮できなかったという事情があり,したがって,上告人が本件各申請について,同時点までに許可をしなかったことに違法性がないというにとどまり,本件変更申請が承認された場合には,特段の事情がない限り,本件各許可処分がされるべきことになると考えられる。」

ここでも、「原審の判断をあえて破棄するには及ばない」というメトロコマース事件での表現や、一票の格差判決での「遺憾ながら」の表現等、慎重な人柄が滲み出ているのは間違いないのだが、一方で意見の中身に目を移せば、”理路整然”、しかも段落分けに的確な小見出しまで付けて読みやすくまとめられているから、読み手にはより説得力を持って迫ってくる。

その精緻な論旨から導かれる結論の当否に対しては、当然”好き嫌い”もあるだろう。ただ、個別意見の節々から感じられるのは、法学の世界に長く身を置かれてきた当代一流の研究者としての「知」と「理」へのこだわり、そして、「事件」に真摯に向き合われる誠実さ、であり、同じ法の世界に生きる者であれば、その方が導かれる結論がいかに自分の考えと異なっていようが、「×」を付けるような発想は決して出てこないだろう、と思うのである。

*1:これは審査を受けるタイミングの問題もあって、これまでなら”本領”を発揮する前(就任直後等)に審査のタイミングが回ってくる方が多かったところ、今回は選挙のブランクが空いたこともあって、脂の乗り切った(?)裁判官も対象になっている、というだけの話なのかもしれないが。

*2:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/873/089873_hanrei.pdf

*3:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/412/090412_hanrei.pdf

*4:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/768/089768_hanrei.pdf

*5:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/920/089920_hanrei.pdf

*6:もっとも袴田事件再審の特別抗告に関しては、自判しなかったことへの批判もあり、後述する宇賀裁判官のスタンスとはどうしても比較されてしまうところはあるのだろうが・・・。

*7:かなり昔のエントリーとなってしまったが、民事訴訟実務を知るための必読書 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~での紹介を参照されたい。

*8:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/412/090412_hanrei.pdf

*9:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/255/089255_hanrei.pdf

*10:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/339/089339_hanrei.pdf

*11:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/423/089423_hanrei.pdf

*12:「刑事事件に係る訴訟に関する書類若しくは少年の保護事件の記録又はこれらの事件において押収されている文書」を文書提出義務の例外とした規定。

*13:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/456/089456_hanrei.pdf

*14:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/576/089576_hanrei.pdf

*15:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/851/089851_hanrei.pdf

*16:大法廷での判例変更、という事案だったが、個別意見を述べたのは宇賀裁判官が唯一であった。

*17:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/061/090061_hanrei.pdf

*18:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/390/090390_hanrei.pdf

*19:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/768/089768_hanrei.pdf

*20:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/841/089841_hanrei.pdf

*21:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/920/089920_hanrei.pdf

*22:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/412/090412_hanrei.pdf

*23:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/462/090462_hanrei.pdf

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最高裁判所裁判官・国民審査対象各裁判官の個別意見について(2021年版・その2)

4年間、という歳月の重さゆえ「連載」となってしまったこのシリーズだが、後編は第二小法廷・草野耕一裁判官から。
(前編は↓のエントリーをご覧ください。)
k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

第二小法廷

草野耕一(弁護士出身)

2019年2月就任 2025年退官予定

まだ就任されてから2年8カ月ちょっとだが、就任直後の2019年中から積極的に個別意見を出しておられ、その中身も、歴代最高裁裁判官の中で一、二を争うくらいのインパクトを与えているものが多い。

あまりのインパクトゆえに、既にこのブログで紹介したものもいくつかあるのだが、そういったものについては過去のエントリーも引きつつご紹介することとしたい。

<反対意見>
■最大決令和3年6月23日(令2(ク)102)*1
夫婦同氏制をめぐる大法廷決定において、「福利の比較衡量」という切り口から、PDF7ページ分の反対意見を大展開された。
「夫婦同氏制を定めた本件各規定が,上記のとおり国会の立法裁量の範囲を超えるほど合理性を欠くといえるか否かを判断するに当たっては,現行の夫婦同氏制に代わるものとして最も有力に唱えられている法制度である選択的夫婦別氏制を導入することによって向上する国民各位の福利とそれによって減少する国民各位の福利を比較衡量することが有用であると考える(ここでいう「福利」とは,国民各位が個人として享受する利益を意味するものであって,個人を離れた「社会全体の利益」や「特定の共同体又は組織の利益」は含まれない。)。憲法24条2項が,婚姻及び家族に関する制度について「個人の尊厳」に立脚したものであることを要請していることに照らすと,国民各位の福利に還元し得ない価値を考察の対象から排除して検討することは,同条適合性の判断に適していると考えられるし,また,このような観点からの検討は,(最終的には一定の価値判断を下すことが避けられないものの)論理則や経験則を用いて議論の妥当性を検証する余地を大きくすると考えられるからである。もっとも,比較衡量する福利が同種のものであるか,あるいは,関係する当事者間で取引の対象となり得るものである場合は格別,そうでない場合の福利に大小の順序付けを行うためには一定の価値判断が必要であるから,福利の比較衡量に関しても国民の代表者である国会の立法裁量は尊重されてしかるべきである。しかしながら,選択的夫婦別氏制の導入によって向上する福利が同制度の導入によって減少する福利よりもはるかに大きいことが明白であり,かつ,減少するいかなる福利も人権又はこれに準ずる利益とはいえないとすれば,当該制度を導入しないことは,余りにも個人の尊厳をないがしろにする所為であり,もはや上記立法裁量の範囲を超えるほどに合理性を欠いているといわざるを得ず,本件各規定は憲法24条に違反すると断ずべきである。なお,婚姻制度の中には,社会の倫理の根幹を形成している規定が含まれており(例えば重婚の禁止や近親婚の禁止を定めた規定がこれに当たる。),そのような規定については,国民各位の福利に及ぼす影響を微視的・分析的に考察するだけでは当該規定が国民にもたらしている利益の全体を把握することが困難であるかもしれない。しかしながら,戦前の「家」制度の下であれば格別,これを否定した現行の憲法と家族制度の下で,夫婦同氏制を定めた本件各規定が社会の倫理の根幹を形成している規定であるとみることが不適切であることは明らかであろう(さらにいえば,もし,夫婦同氏制に,人々の行動や意識の相互依存的関係を通じて,社会の構成員全般の福利を向上させる働きがあるとすれば,福利の比較衡量を行うことに対して上記と同様の方法論上の懸念が生じ得るが,そのような働きの存在が検証可能なほどの具体性をもって主張されたことはない。)。
「選択的夫婦別氏制の導入によって向上する国民の福利について氏は名とあいまって人を同定する上での重要な要素の一つであり,それまでの人生において慣れ親しんできた氏に対して強い愛着を抱く者は社会に多数いるものと思われる。これらの者にとっては,たとえ婚姻のためといえども氏の変更を強制されることは少なからぬ福利の減少となるであろう。さらに,氏の継続的使用を阻まれることが社会生活を営む上で福利の減少をもたらすことは明白であり,この点は共働き化や晩婚化が進む今日において一層深刻な問題となっている。婚姻に伴い戸籍上の氏を改めても社会生活上は旧姓の継続使用が可能である場面が拡大してきているものの,旧姓を使用し得る機会にはおのずから限度がある以上,二つの氏の使い分け又は併用を余儀なくされることになり,そのこと自体の煩わしさや自己の氏名に対するアイデンティティの希薄化がもたらす福利の減少は避け難い。以上を要するに,夫婦同氏制は,婚姻によって氏を変更する婚姻当事者に少なからぬ福利の減少をもたらすものであり,この点を払拭し得る点において,選択的夫婦別氏制は,確実かつ顕著に国民の福利を向上させるものである。なお,夫婦同氏制の下で氏を変更する婚姻当事者が被る福利の減少の一つとして「婚姻の事実を秘匿する利益」を確保することが困難となるという点が挙げられるので,この点について敷衍する。婚姻しているか否かという事実は,年齢,出身地,学歴などと並ぶ重要な個人情報であり,そうである以上,婚姻していることを秘匿したいと望む者がいるとすれば,その要求は尊重に値する。もっとも,婚姻の事実を秘匿したいと願う者たちの婚姻関係についても,その事実を知ることに福利の向上を見いだす他者がいることも事実である(例えば,企業の経営者にとって従業員が既婚者であるか否かを知ることは人事管理等の観点から有益であろう。)。しかしながら,婚姻の事実を秘匿することが尊重に値する利益であると認める以上,他者の婚姻に関する情報に需要を抱く者は当該他者に対して一定の誘因(インセンティブ)を与えることと引換えに婚姻に関する情報の開示を求めるべきである(さすれば,婚姻の事実を開示する不利益よりも提示された誘因の価値の方が大きいと思う婚姻当事者は情報を開示するであろうし,考え得る誘因よりも婚姻に関する事実を知ることの価値の方が大きいと思う情報需要者は当該誘因を現実に提示するであろう。)。情報の開示をめぐる交渉には一定の取引コストが発生するが,その点を考慮したとしても,情報の開示を当事者の交渉に委ねる方が(選択的夫婦別氏制はこれを可能とする。),婚姻当事者の意思に反して婚姻の事実を無償で開示することにつながり得る制度(夫婦同氏制がこれに当たる。)よりも関係当事者の福利の総和が増大することは明白であると思われる。」
「ア 婚姻当事者の福利に及ぼす影響 婚姻当事者にとって,夫婦で同一の氏を称することにより家族の一体感を共有することは福利の向上をもたらす可能性が高い。したがって,選択的夫婦別氏制を導入したとしても夫婦同氏を選択する夫婦も少なからず輩出されるはずであり,夫婦別氏を選択するのは,氏を同じくすることによってもたらされる福利の向上よりも上記 で指摘したところの福利の減少の方が大きいと考える夫婦だけであろう。これを要するに,選択的夫婦別氏制を採用することによって婚姻両当事者の福利の総和が増大することはあっても減少することはあり得ないはずである(なお,婚姻両当事者は多種多様な福利を分配し合える関係にあるのだから,両者の福利の総和が増大すればいずれの婚姻当事者の福利も増大する可能性が高い。)。」
「イ 子の福利に及ぼす影響 むしろ問題となるのは,夫婦別氏を選択した夫婦の間に生まれる子の福利である。なぜならば,子は,親とは別の人格を有する法主体であるにもかかわらず,親が別氏とすることを選択したことによって生ずる帰結を自らの同意なく受け入れなければならない存在だからである。そして,親の一方が氏を異にすることが,子にとって家族の一体感の減少など一定の福利の減少をもたらすことは否定し難い事実であろう。しかしながら,夫婦別氏とすることが子にもたらす福利の減少の多くは,夫婦同氏が社会のスタンダード(標準)となっていることを前提とするものである。したがって,選択的夫婦別氏制が導入され氏を異にする夫婦が世に多数輩出されるようになれば,夫婦別氏とすることが子の福利に及ぼす影響はかなりの程度減少するに違いない。また,現行法上,親は,子の福利に影響を与え得る諸事項(養育・監護,教育等)に関して大幅な裁量権を有しており,親が自己の正当な福利を追求するためにやむを得ず子の福利の最大化を達し得ないことがあるとしても,実現を断念される子の福利が子の人権又はこれに準ずる利益とはいえない限り,当該親の所為が裁量権の逸脱に当たるとは一般に考えられてはいないであろう。このこととの整合性(インテグリティ)という点から考えても,夫婦となる者が夫婦別氏を選択するか否かを決定するに当たり夫婦自身の福利と子の福利をいかに斟酌するかについては,これを親(夫婦)の裁量に委ねることが相当であり,夫婦別氏とすることが子の福利の最大化を妨げることがあるとしても,それは,夫婦が自らの福利を追求することを阻む事由とはならないというべきである。」
「ウ 親族の福利に及ぼす影響 (略)」
「エ 慣習としての夫婦同氏制 上記アからウまでに論じた者以外で婚姻当事者が夫婦別氏とすることによって福利の減少が生ずる者が存在するとすれば,夫婦同氏制が長きにわたって維持されてきた制度であることから,夫婦同氏を我が国の「麗しき慣習」として残したいと感じている人々かもしれない。しかしながら,選択的夫婦別氏制を導入したからといって夫婦を同氏とする伝統が廃れるとは限らない。もし多くの国民が夫婦を同氏とすることが我が国の麗しき慣習であると考えるのであれば,今後ともその伝統は存続する可能性が高い。また,人々が残したいと考える(「正の外部性が強い」といってもよいであろう)伝統的文化は我が国にたくさんあるところ(里山の景観,御国訛りのある言葉遣い,下町の人情味溢れる生活習慣,鎮守の森,季節を彩る諸行事など),これらの伝統的文化が今後どのような消長を来すのかは最終的には社会のダイナミズムがもたらす帰結に委ねられるべきであり(そのダイナミズムの中にはもちろんそのような伝統的文化を守ろうとする運動も含まれる。),その存続を法の力で強制することは,我が国の憲法秩序にかなう営みとはいい難い。夫婦同氏制もそのような伝統的文化の一つといえるのではなかろうか(さらにいえば,関係当事者以外の者に対して生み出す正の外部性という点においては,夫婦同氏制は上記に例示した伝統的文化よりもその効用が不明確であるように思える。)。したがって,選択的夫婦別氏制を導入した結果,夫婦同氏が廃れる可能性が絶対にないとはいえないとしても,それが現実のものとなった際に一部の人々に精神的福利の減少が生ずる可能性をもって,婚姻当事者の福利の実現を阻むに値する事由とみることはできない。」
「オ 戸籍制度に及ぼす影響 選択的夫婦別氏制の実施を円滑に行うためには戸籍法の規定に改正を加えることが必要であり,その内容については法技術的に詰めるべき部分が残されている。しかしながら,選択的夫婦別氏制の導入に伴い上記改正がされたとしても,戸籍制度が国民の福利のために果たしている諸機能(親族的身分関係の登録・公証機能,日本国民であることの登録・公証機能等)に支障が生ずることはないであろう。」
「以上によれば,選択的夫婦別氏制を導入することによって向上する国民の福利は,同制度を導入することによって減少する国民の福利よりもはるかに大きいことが明白であり,かつ,減少するいかなる福利も人権又はこれに準ずる利益とはいえない。そうである以上,選択的夫婦別氏制を導入しないことは,余りにも個人の尊厳をないがしろにする所為であり,もはや国会の立法裁量の範囲を超えるほどに合理性を欠いているといわざるを得ず,本件各規定は,憲法24条に違反していると断ずるほかはない。」


<意見>
■最二小判令和元年9月13日(平成30(受)1874)*2
諫早湾干拓事業をめぐる請求異議事件で、経済的価値の利益衡量の視点を強調した意見を出されている。
最高裁が示した「模範解答」 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~をご参照のこと。


■最二小判令和2年10月9日(平成30(受)2032)*3
家裁調査官論文事件で、多数意見のプライバシー侵害に係る判断理由が自らの意見と異なる、として、以下のような論理で公表行為の不法行為該当性を否定した。
「Aが本件プライバシー情報を知り得たのは,ひとえにAが少年法に基づき本件保護事件を調査する権限を担当裁判官から与えられた結果に他ならない。そうである以上,Aが本件プライバシー情報を学術目的等に利用し得る場合があるとしても,被上告人の改善更生という同法の趣旨に抵触する態様で本件プライバシー情報を利用することは許されないというべきである。本件は,この点において,一般のプライバシー侵害案件に使われる判断枠組みだけでは適切な評価を行い得ない事案である。」
「Aは,本件保護事件が不処分により終了してから僅か半年後に本件公表を行っており,この時点において,被上告人は,高等学校の生徒として多感な時期にあったことがうかがわれる。また,原審の認定によれば,本件論文の記載内容は,被上告人に関する情報を有している読者が対象少年を被上告人と同定し得る可能性を否定することができないものであったというのである。しかも,本件プライバシー情報の中には,被上告人が幼年時代に経験した深刻な出来事等も含まれており,多感な時期にあった当時の被上告人が本件公表の事実を知ったならば,いかほどの精神的苦痛を受けたか,そして,そのことが被上告人の改善更生にいかほどの悪影響を及ぼしたか,これらのことに思いを致すと,おそれにも似た感慨を抱かざるを得ない。以上の点に鑑みれば,本件公表の目的が本件疾患の症例報告により公益を図ることにあったとしても,本件公表における本件プライバシー情報の利用は,被上告人の改善更生という少年法の趣旨に抵触する態様のものであったというべきである。」
「しかしながら,本件においては,本件公表によって被上告人が本件論文の対象少年であることが他者に同定されたということはできず,被上告人自身は,本件公表から7年以上が経過した後になって,被上告人の十分な成長を見届けたAが自発的に告知したことにより本件公表の事実を知ったことがうかがわれ,その結果と本件公表との間に相当因果関係があるということはできない(なお,Aによる上記の告知が,被上告人に対する不法行為に当たるか否かは別論である。)。そうである以上,本件公表によってプライバシー侵害の結果が現実化したということはできず,本件公表が被上告人に対する不法行為に当たるということもできない。」


■最二小判令和2年10月23日(令和2(行ツ)79)*4
参院比例代表選挙における特定枠制度が憲法43条1項に違反するかどうかが争われた事件において、違憲無効ではないという多数意見を支持しつつ、そもそも拘束名簿式比例代表選挙を「伝統的選挙制」と同等に扱うのは妥当ではない、として以下のように述べた。
「本件改正により導入されたいわゆる特定枠制度は,全面的に非拘束名簿式比例代表制により行われていた参議院比例代表選出)議員選挙の一部に拘束名簿式比例代表制を導入するものである。前記のとおり,拘束名簿式比例代表制は,政党内における当選人となるべき順位に有権者による投票結果が反映されないから,候補者及び当選人となるべき順位の決定が専ら政党に委ねられ,有権者は政党を選ぶことしかできない制度であるということができる。これに対し,伝統的選挙制は,有権者が候補者個人を直接選択することができる点で明らかな差異がある。また,非拘束名簿式比例代表制は,拘束名簿式比例代表制と同様に,政党の選択という意味を持たない投票を認めない制度ではあるものの,当選人となるべき者の順位が各候補者の得票数に応じて定まる点において,拘束名簿式比例代表制とは異なる。拘束名簿式比例代表制は,その選挙制度の仕組み自体が,伝統的選挙制に比して,国民と候補者ひいては当選人(議員)との距離が遠い制度であるということができる。」
「我が国においては,現行憲法の制定前後を通じ,昭和57年の公職選挙法の改正により参議院について拘束名簿式比例代表制が導入されるまでは両議院の選挙は全て伝統的選挙制により行われ,その後も,両議院のいずれについても過半数の議員は伝統的選挙制により選出される選挙制度とされてきた。上記の参議院の拘束名簿式比例代表制は,平成12年の同法の改正により非拘束名簿式比例代表制に改められたが,その理由として,拘束名簿式比例代表制が「候補者の顔の見えない選挙である」などの批判があったことは多数意見も摘示するとおりである。」
憲法は,両議院の各選挙制度の仕組みの具体的決定を原則として国会の裁量に委ねており,国会は,その裁量により,公正かつ効果的な代表を選出する目標を実現するために適切な選挙制度の仕組みを決定することができることは,これまで当裁判所の判例が指摘するとおりである。拘束名簿式比例代表制には上記のように伝統的選挙制とは明らかな差異があり,また,同じ名簿式比例代表制でも投票結果を当選人となるべき順位に反映することができる非拘束名簿式比例代表制も選択し得るのであるから,国会が拘束名簿式比例代表制を導入するに当たっては,以上に述べたような選挙の仕組み自体の特性を十分に考慮する必要があると考えるところである。ただし,政党が国民の政治意思を形成する有力な媒体であることなどを踏まえれば,拘束名簿式比例代表制参議院議員選挙の一部に導入すること自体が国会の裁量権の限界を超えるものとはいえないであろう。そして,本件改正後の公職選挙法においては,参議院議員の総定数は248人であり,そのうち比例代表選出議員は100人であるところ,政党が特定枠の候補者となし得るのは,法文上,名簿登載者の一部の者に限定されていることなどからすれば,本件改正により特定枠制度を導入したことが国会の立法裁量の範囲に属さないとはいえない。」
「したがって,以上の見地に立って検討しても,本件選挙が違憲,無効となる余地はないものと考えるところである。」


最大判令和2年11月18日(令2(行ツ)78)*5
2019年参院選の定数配分をめぐり、3.00倍の較差を「違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態にあったものとはいえず」違憲ではない、とした多数意見の結論に賛同しつつも、「それに至る理由は多数意見とはいささか異なる」として、以下のようにジニ係数を駆使した論証を駆使して、ドラスティックな「条件付き合憲論」による問題解決を提唱された*6
「投票価値の不均衡問題に関してこれまで当審が用いてきた主たる指標は「最大較差」である。確かに,最大較差は簡明な概念であり,しかも,当審と立法府のいずれもがこの指標を使ってこれまで様々な議論を進めてきたという経緯を踏まえると,当審と立法府の間の相互作用の歴史に鑑みて合憲・違憲の判断を行おうとする場合には取り分け有用な指標であるといえるであろう。しかしながら,最大較差は,最も大きな投票価値を与えられている有権者と最も小さな投票価値しか与えられていない有権者の違いのみに着目した概念であるがゆえに,最も小さな投票価値しか与えられていない有権者がいかに自分が不利益を受けているかを訴えるための指標として用いるのであれば格別,選挙制度全体における投票価値の配分の不均衡を論ずるための指標としてはいささか精度を欠いているといわざるを得ない。そこで,最大較差を補完する分析概念として,利益配分の不均衡を評価する指標として統計学上広く使われているジニ係数を用いることを考える
「当審が参議院議員定数の不均衡が違憲状態にあると認定した平成22年選挙と平成25年選挙のジニ係数はそれぞれ22.97%と20.55%である(図2は平成25年選挙のローレンツ曲線を示している。)。これらの値と比べると14.22%という本件選挙のジニ係数はかなり低い数字であり,本件選挙における議員定数の不均衡状態は,平成22年選挙時や平成25年選挙時の状態に比べればかなり改善されているといえる。しかるに,現在の選挙区選挙の総定数,選挙区割り及び各選挙区に最低2人の定数を配分することを前提とする限り,本件選挙当時の各選挙区への定数の配分は投票価値の不均衡に最大限配慮したものであり,れ以上のジニ係数の改善を望むことは非現実的である。なぜならば,有権者1人当たりの議員数が非
常に多い都道府県(福井県佐賀県)の議員定数を2人未満とすることが憲法上許されないと解する限り(この点について異なる解釈を採る可能性について3(2)項で述べる。),状況を改善するためには有権者1人当たりの議員数が慢性的に少ない都道府県(神奈川県,東京都,大阪府等)の議員定数を増やすしかないが,それを行うためには議員定数が4人か6人の都道府県の定数を減らすしかなく,そのような選挙区であって有権者1人当たりの議員数が比較的多い選挙区はほとんど残っておらず,強いてそれを実行すれば,確かにジニ係数は僅かに改善するものの,他方において,本件選挙で宮城県新潟県において起きたように有権者1人当たりの議員数が更に少ない都道府県を生み出してしまう結果となるからである。」
「しからば,選挙制度をどのように変更すれば投票価値の不均衡を改善することが可能となるのか。また,考え得る改善案を踏まえて当審としていかなる判断を下すことが適切であるのか。これらの点について,以下検討を加える。」
(略)
「以上の点に鑑みるならば,大ブロック選挙区案と自由区割り案のいずれに関しても,その実施は立法府憲法上与えられている裁量権の範囲内において自律的に決定すべきことであり,それを立法府が実施しないことを理由に当審が違憲判断を下すことは,選挙制度の立案を国会の裁量に委ねた憲法47条の趣旨に反するといわざるを得ない。」
「次に,投票価値の不均衡を解消することはできないものの,状況を大幅に改善し得る改善案,より具体的にいえば,ジニ係数を現在の半分以下とする程度の改善を見込める案について考える。思うに,そのような改善案は理論上はいくつか考え得るが,そのうちで,国民の一定割合以上の支持が得られるであろうものは次の二つだけではないであろうか。その第一は,現在の比例代表選挙を廃止し(あるいはその定数を大幅に減少させ),廃止(又は大幅な減少)によって生じた余剰定員を有権者1人当たりの議員数が少ない選挙区から優先的に割り当てていくというものである(以下,この案を「比例区廃止案」という。)。例えば,比例代表選挙を全廃し,これによって生ずる100人の余剰定員を(本件選挙の各選挙区の有権者数を前提とした上で)上記のように割り当てた場合,ジニ係数は6.19%に減少する(図4はそのローレンツ曲線を示している。)。もう一つの改善案は,現在の選挙区割りを前提として1人を含む奇数の議員定数から成る選挙区を作り出すというものである(以下,この案を「奇数定数案」という。)。徹底した奇数定数案を実施すれば,比例区廃止案と同等か,場合によっては,それ以上にジニ係数の引下げを見込むことができる。しかしながら,上記二つの改善案のいずれに関しても当審がその実施を立法府に求めることには問題があるといわざるを得ない。第一に,比例区廃止案は大選挙区の長所を最大限に有している比例代表選挙を廃止(あるいは定数を大幅に減少)するという重大な政策判断を伴うものであり,司法府が,立法府比例区廃止案を実施しないことをもって違憲状態であるとの判断をし,その実施を立法府に強いることは憲法47条の趣旨に反する。第二に,私は奇数定数案の実施は憲法上可能であり,その実施が国政に及ぼす影響はこれまでに論じたいずれの改善案よりも小さい
と考えるものではあるが,全ての選挙区の議員定数を偶数としている現行の制度が憲法46条の趣旨に最もかなうものであることは否定し難く,そうである以上,司法府が,立法府が奇数定数案を実施しないことをもって違憲状態であるとの判断をし,その実施を立法府に強いることもまた憲法47条の趣旨に反するといわざるを得ない。」
「では,投票価値の不均衡の大幅な改善はできないものの,現状に少なからぬ改善を加え得る案としてはいかなるものがあるか。最初に思い至るのは,有権者1
人当たりの議員数が多い選挙区に関して合区を実施することであろう。合区は既に実施されており,合区を増やすことは,これまでに述べた各改善案とは異なり現行の選挙制度に重大な変更を加えることなく実現し得るものである。しかしながら,合区を増やしてもジニ係数に著しい変化は生じない。なぜならば,議員定数の変動がジニ係数に及ぼす影響という点において最も効率的な改善方法は有権者1人当たりの議員数が少ない選挙区の議員定数を増やすことであり,最も非効率的な改善方法は有権者1人当たりの議員数が多い選挙区の議員定数を減らすことであるところ(この点は1項に記した①と②の合理的仮定から必然的に導き出される結論である。),有権者1人当たりの議員数が多い選挙区に関して合区を実施して当該選挙区の議員定数を減少させることはこの最も非効率的な改善方法の実施に他ならないからである。」
「他方において,合区には,①対象選挙区の有権者の政治参加意識に悪影響をもたらす,②対象選挙区の間に大きな人口差がある場合,より人口の少ない選挙区の住民に被差別感が生ずるなどの弊害が生ずることがつとに指摘されており,しかも,合区の対象となる選挙区の多くは過疎化対策に腐心している地域である。これらの諸点を比較衡量すると,合区を増やすことを怠っているがゆえに現行制度は違憲状態にあるとすることが適切な判断であるとはいい難い
「もっとも,合区を増やせば余剰定員が発生するのでそれを有権者1人当たりの議員数が少ない選挙区の議員定数の増加に充てることが可能となり,これは前項で論じたところの最も効率的なジニ係数の改善方法に当たる(図1のローレンツ曲線と図5のローレンツ曲線がジニ係数において2%弱の差しか生じていない一つの理由は,本件選挙にお主党・公明党等の改正案と同じ議員定数の増加を諸般の方法〔選挙区選挙の総定数を2人増やすことを含む。〕を通じて達成しているからである。)。そうすると,効率的にジニ係数の改善を図り,しかも,一部の選挙区の住民に疎外感や被差別感を与えることなくそれを達成するには,総定数を若干名増員し,これを有権者1人当たりの議員数が少ない選挙区の議員定数の増加に充てる方法が有効であることが分かる。例えば,本件選挙時において東京都と神奈川県と大阪府において各2人ずつ議員定数を増やしていたとすれば(すなわち,本件選挙の対象となる議員数を合計で3人増やしていたとすれば),それだけで本件選挙のジニ係数は11.76%となり,実際(14.22%)より約2.5%の改善を達成し得ていたのである。増加される議員数が少数である限り,その実施を国会に求めることが憲法43条2項等の趣旨に反することもないであろう。」
「ただし,総定数を増加させる方法は,国民に一定の負担を求めるものであるという問題をはらんでいる。もとより,増員された議員は国民の福利向上のために尽力するであろうし,国会も運営コストの増加を可及的に回避すべく努力するであろうが,議員数の増加は結果として国会の運営コストを高める公算が大きい。このことを踏まえて考えると,当審が議員定数の増加により投票価値の不均衡の改善が可能であることを理由に違憲判断を下すためには,投票価値に不均衡があるからという抽象的理由だけでは不十分であり,新たな負担を求めることについて国民の理解を得るに足る具体的事実を司法の場において明らかにすることが必要であろう。」
「以上の検討によれば,総定数を若干名増加する方策により投票価値の不均衡を効率的に改善することが可能であるといい得るものの,この方策が国会の運営コストを高める可能性があることからすれば,この方策を十分に講じていないことをもって本件選挙時における投票価値の不均衡が違憲状態であるとの判断を直ちに下すことは困難であるといわざるを得ない。ただし,上記の考えに一定の修正を加えればこれを実践的問題解決能力を備えた見解となし得るように思われる。それは,投票価値の現状における不均衡状態を一応合憲とは認めるものの,投票価値の不均衡が存在することによって一定の人々が不利益を受けているという具体的かつ重大な疑念(以下「不利益疑念」という。)の存在が示された場合にはこれを違憲状態と捉え直すというものである(以下,この考え方を「条件付き合憲論」という。)。条件付き合憲論が求める不利益疑念の立証は,決して投票価値の不均衡と一定の人々が被っている不利益の間の因果関係の厳密な証明を求めるものではない(そのような証明はそもそも不可能であろう。)。ただし,問題とされている不利益の発生に影響を及ぼし得る他の要因も考察の対象に加えてもなお投票価値の不均衡と当該不利益との間に有意な相関関係が存在することを示すことは必要であり,かつ,それで十分である。」
「条件付き合憲論は、3(4)で述べた問題点を克服するものである。すなわち、不利益疑念が立証されれば,追加の負担をしてでも投票価値の不均衡を改める必要があることについて国民の理解を得ることが可能となろう。さらに,条件付き合憲論の下では,不利益疑念を払拭し違憲状態を解消するためには議員数を何人程度増やすべきであるのかが明らかになるため,議員数を何人程度増やせば違憲状態を解消し得るかを当審として示すことが可能となる(この点について敷衍すれば,例えば,不利益疑念の立証手段として,一定数の有権者〔又は「一定数の住民」〕当たりの議員数を説明変数の一つとする重回帰分析を用いれば,当該説明変数の回帰係数が有意な値でなくなるためにはどの選挙区の議員定数をどれだけ引き上げたらよいかを考えることにより不利益疑念の払拭に必要な議員増加数を特定することができる。)。不利益疑念の立証がなされることによって初めて,当審は,いかにすれば違憲状態を解消し得るかを理由中で示した判決を下し得るのである。以上の理由により,私は条件付き合憲論こそが当審の採るべき立場であり,本件においては不利益疑念が立証されていないがゆえに,現状における投票価値の不均衡が違憲又は違憲状態にあるとはいえないと考えるものである。なお,不利益疑念が発生する状態は二つに大別して考えることができる。その一つは有権者1人当たりの議員数が少ない選挙区の住民がひとしく不利益を受ける場合であり,もう一つは,一定の政治的信条を有する人々が,各自が居住する選挙区のいかんにかかわらず不利益を受ける場合である。前者の不利益が発生するとすればそれは国の都道府県に対する交付金補助金の配分など,計測が容易な事象に関するものである場合が多いであろうから,(不利益が実際に生じている限り)伝統的な統計学の技法によって疑念を立証することができるであろう。後者の不利益は,例えば一定の政治的信条を有する国民が有権者1人当たりの議員数が多い選挙区に偏在していると仮定した場合において,当該信条が過度に国政に反映されることの結果として当該信条にくみしない国民に関して発生するものである。このような不利益に関しても実証分析の手法を工夫すれば(不利益が実際に生じている限り)不利益疑念の証明は可能であると思料する。」

明確に「反対」意見を表明されているのは、夫婦同氏制に関する大法廷決定だけだが、他の「意見」として述べられているものに関しても、結論は同じながらそこに至るまでの間の論理構成は実に独創性に富んでおり、その象徴ともいえるのが、2019年参院選一票の格差」事件におけるグラフを駆使した”政策提言”だろう。そして、これらの意見の多くがボリュームだけで多数意見を圧倒している。

いわゆる「法と経済学」的なロジックを駆使した論旨に対しては、好みも分かれるところだとは思う*7。ただ、ある意味、一貫して揺るぎない一連のロジックスタンスが最高裁の判断に新風を巻き起こしているのは確かで、それが下級審レベルでの主張の攻防にまで影響してくるようになれば、一種の予定調和の中で回っているようなところがある訴訟実務の世界も変わっていくのだろうな、と感じているところである。

続いて「補足意見」。ここでもユニークなものが多い。

<補足意見>
■最二小判令和元年9月6日(平成30(受)1730)*8
医療給付の支払主体が交通事故による損害賠償請求権を代位取得した場合の遅延損害金の起算日について、(不法行為発生時ではなく)「給付が行われた日の翌日」からの遅延損害金の支払請求を認めた法廷意見の結論を支持しつつ、その理由づけについて以下のように述べた。
「私は主文どおりの判決を下すべきであると考える点において多数意見に賛同するものの,それに至る理由においては多数意見といささか考えを異にするものである。結論からいうと,多数意見は上告人が後期高齢者医療給付を行った日以前の期間に対する遅延損害金を被上告人に対して請求できないのは当該遅延損害金の支払請求権が法58条所定の代位取得の対象外であるからとするが,私は当該期間に関してはそもそも遅延損害金は発生しておらず,したがって上告人がこれを取得する余地はないと考えるものである。以下そう考える理由を説明する。」
「一般論としていえば,不法行為の被害者には不法行為がなされた直後から様々な損害が現実化するものであり,これらの損害に対する賠償請求権に関しては遅延損害金もまた(多数意見が言及するところの判例法理によって)不法行為がなされた直後から発生するものである。そのような状況においては法58条やこれに相当する保険法制度上の諸規定が定める代位取得の対象を損害金の元本に限定すると解釈することに積極的意義があり,多数意見が引用している最高裁平成24年2月20日第一小法廷判決はまさにそのような事案に関する法理を示したものである。しかしながら,本件の後期高齢者医療給付の塡補の対象となった損害は,被害者が本件事故によって被った損害一般ではなく,被害者が特定の医療機関から特定の時期に医療役務を受けたことによって発生した金銭債務に関するものであり,このような損害に関しては,それが現実化してはじめて遅延損害金が発生すると解すべきであり,本件においてはそのような損害が現実化する都度後期高齢者医療給付が行われてきたとのことであるから,当該給付日以前においては遅延損害金が生じる余地はなかったと解すべきである。もっとも,金銭債務の弁済によって現実化する損害に関しても不法行為がなされた時に遡って遅延損害金が発生するという考え方がないわけではなく,現に,不法行為と相当因果関係に立つ弁護士費用の賠償請求権に関して当該不法行為の時に遡って遅延損害金が発生するとしている判決も存在している(最高裁昭和55年(オ)第1113号同58年9月6日第三小法廷判決・民集37巻7号901頁参照。ただし,同判決は勝訴判決の確定を支払条件とする弁護士費用(それは一般に「謝金」あるいは「成功報酬」と呼ばれている。)を対象とするものである。)。しかしながら,このような考え方を被害者が第三者に対して負担する金銭債務一般に及ぼすことは現代社会における人々の行動原理の重大な要素の一つである「金銭の時間的価値」という観念に抵触し,不法行為時から相当期間が経過した後に発生した金銭債務に関する損害の要賠償額を実体に比して過大とする傾向を生み出すものである。してみれば,前掲の昭和58年最高裁判決の法理は少なくとも本件には及ばないと解するのが相当であり,本件において上告人が後期高齢者医療給付を行った日以前の期間に対しては遅延損害金は発生しておらず,そうである以上,上告人がこれを取得する余地もなかったと考える次第である。」


■最二小判令和2年2月28日(平成30(受)1429)*9
貨物運送会社の従業員が自ら負担した対第三者損害賠償額を使用者に求償することの是非が争われた事件において、菅野博之裁判官との連名で、使用者、被用者の負担のあり方について法と経済学的視点での分析を交えた補足意見を書かれている。
判決に付された「意見」に込められた裁判官の思い。 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~をご参照のこと。


■最二小判令和2年3月6日(平成31(受)6)*10
土地売買に関し、不動産移転登記の連件申請のうち、前件申請が無権限者によるものと判明した事例において、後件申請を委任された司法書士に注意義務違反あり、とした原審判決を破棄差戻とした法廷意見を補足して、以下のように述べた。
「職業的専門家は社会にとって有用な存在であり,その有用性は社会の複雑化と社会生活を営む上で必要とされる情報の高度化が進むほど高まるものである。そうである以上,専門的知見を依頼者以外の者に対して提供することを怠ったことを理由として職業的専門家が法的責任を負うことは特段の事情がない限り否定されてしかるべきである。なぜなら,職業的専門家が同人からの知見の提供を求めている者に遭遇した場合において,たとえその者が依頼者でなくとも当該職業的専門家は知見の提供をしなければならないという義務が肯定されるとすれば,知見を求める人々の側においてはわざわざ報酬を支払って依頼者となろうとする必要性が消失し,その結果として,職業的専門家の側においては安定した生活基盤の形成が困難となってしまうからである。のみならず,職業的専門家が依頼者に提供する役務の質を向上させるためには職業的専門家と依頼者の間において高度な信頼関係が形成されることが必要であるところ,それを達成するためには職業的専門家は依頼事項に関して依頼者の同意を得ずに依頼者以外の者に対して助言することはないという行動原理が尊重されなければならず,この点からも職業的専門家が依頼者以外の者に対して知見の提供を怠ったことを理由として法的責任を負うことは否定されてしかるべきである。」
「しかしながら,あらゆる法理がそうであるように上記の原則にもまた例外として扱われるべき特段の状況というものが存在する。対応可能な職業的専門家が一人しかいない状況において知見の提供を必要とする突発的事態が発生した場合はその典型であろうが,他の例として,次の三つの条件が同時に成立する場合も特段の状況と評価してよいであろう。① 法的には依頼者でないにもかかわらず職業的専門家から知見の提供を受け得ると真摯に期待している者がいること。② その者がそのような期待を抱くことに正当事由が認められること。③ その者に対して職業的専門家が知見を提供することに対して真の依頼者(もしいれば)が明示的又は黙示的に同意を与えていること。上記の場合,職業的専門家たる者は,その者の期待どおりに知見を提供するか,しからざれば,時機を失することなくその者に対して自分にはそれを行う意思がない旨を告知する法律上の義務を負っていると解すべきである。なぜなら,職業的専門家がそのような配慮を尽くすことによって社会はより安全で公正なものになり得るのであって,しかも,そのような配慮を尽くすことを職業的専門家に求めることは決して同人らに対する過大な要求であるとは考えられないからである。」
「以上の考え方を本件に当てはめて考える。まず,上告人は司法書士であり,司法書士は登記実務に関する職業的専門家である。したがって,前項で述べた原則によって上告人は依頼者以外の者に対して専門的知見の提供を怠ったことを理由として法的責任を負うことは特段の事情がない限り否定されてしかるべきである。しかるに,原判決が上告人の違法行為と認定したものは被上告人に対して適切な知見の提供を怠ったというものであり,他方,上告人の依頼者として認定されている者はオンライフとアルデプロだけであって,被上告人は上告人の依頼者とは認められていない。以上の事実に照らすならば,特段の事情が認められない限り上告人の被上告人に対する法的責任は否定されるべきであり,この点を看過した点において原判決は重大な法令解釈上の誤りを犯していると言わざるを得ない。しかしながら,本件会合は登記申請に用いるべき書面の事前確認等を行う目的で開催されたものであるが,同会合にはAと称する者(以下「自称A」という。)も出席しており,原判決の認定したところによれば本件会合に先立ってBは被上告人の代表者に対して自称Aの本人性を確認するために買主及び買主側司法書士に対して自称Aと面談する事前の機会を設ける旨発言している。これらの事実と本件会合に出席した司法書士は上告人だけであったことを併せて考えると,被上告人は,本件会合に出席した上告人が登記実務の専門家としての知見を用いて自称Aの本人性に関する助言を真の依頼者であるアルデプロはもとより被上告人に対しても行ってくれるものと真摯に期待し,そのことに対しては真の依頼者であるアルデプロも明示又は黙示の同意を与えていた可能性を否定し得ない。したがって,アルデプロが上告人の依頼者となるに当たって被上告人が果たした役割や被上告人とアルデプロとの間の人的ないしは経済的関係等に照らして被上告人が上記のような期待を抱くことに正当事由があったといえるとすれば上告人の被上告人に対する法的責任が肯定される可能性も決してないとはいえないのである。」
 「 以上の理由により,私は原判決を破棄してこれを原審に差し戻すべきであると考えるものであるが,差戻審において審理を尽くしてもらいたい事項は前項で述べた諸点に限られるものではない。なぜならば,仮に上告人が被上告人に対して自称Aの本人性に関して司法書士としての専門的知見に基づいた助言をすべき法律上の義務を負っていたことが肯定されたとしても,上告人がそのような義務に違反したか否かは記録上定かではないように思えるからである。この点に関して,差戻審の注意を喚起すべく二つの事実に言及しておきたい。すなわち,①本件においては東京法務局渋谷出張所の説明によって本件印鑑証明書が偽造であることが判明したとされているが,本件印鑑証明書の偽造性がどのような理由によって判明したのかについては記録上全く明らかにされていないという点及び②本件委任状には印鑑証明書等の提出によって人違いでないことを証明させた旨の公証人の認証が付されていたという点の二つである。①の事実は,印鑑証明書の真偽を判定するための決め手となる情報は一般に入手可能ではなく,そうであるとすれば,司法書士がこの問題に関して職業的専門家としての見解を責任をもって述べることはそもそも困難なのではないかとの疑念を抱かせるものであり,②の事実は,本件において用いらた偽造の手口は人物の同一性を判別してこれに認証を与えることの職業的専門家である公証人をも欺き得る程に巧妙なものであったことを示唆するものである。①の点に関して更にいえば,上告人が本件会合においていかなる意見を述べるべきであったかを論じるに当たっては,自称Aは本人ではないという事後的に明らかとなった事実をいわゆる「後知恵」として用いないように留意する必要がある。本件会合の時点においては自称Aの本人性は定かではなかったのであるから,上告人が自称
Aの本人性に疑問を挟む意見を述べるに当たっては,仮にアルデプロや被上告人が上告人の意見を尊重して取引を中止し,しかる後に自称Aが本人であったことが明らかとなった場合において,取引の中止によって利益を逸したと主張するやも知れぬアルデプロや被上告人に対していかにして自分が述べた意見の正当性を示し得るかについて憂慮しなければならなかったのである。差戻審には,以上の諸点を勘案した上で,本件において上告人にはいかなる意見を述べることが現実的に可能であったのかを見極めた上でしかるべき結論を導き出してもらいたいと願う次第である。」


■最二小決令和2年9月16日(平成30(あ)1790)*11
タトゥーを施術した被告人の医師法17条違反による処罰を否定した高裁判決を支持した決定において、法廷意見を支える観点から、「医療関連性を要件としない解釈」を適用することの不合理性について以下のように述べた。
「タトゥー施術行為は保健衛生上危険な行為であり,したがって医療関連性を要件としない解釈をとった場合,医師でない者がタトゥー施術行為を業として行うことは原則として医師法上の禁止行為となる。しかるに法廷意見で述べたとおり,医師免許取得過程等でタトゥー施術行為に必要とされる知識及び技能を習得することは予定されておらず,タトゥー施術行為の歴史に照らして考えてもタトゥー施術行為を業として行う医師が近い将来において輩出されるとは考え難い。したがって,医療関連性を要件としない解釈をとれば,我が国においてタトゥー施術行為を業として行う者は消失する可能性が高い。しかしながら,タトゥーを身体に施すことは古来我が国の習俗として行われてきたことである。もとよりこれを反道徳的な自傷行為と考える者もおり,同時に,一部の反社会的勢力が自らの存在を誇示するための手段としてタトゥーを利用してきたことも事実である。しかしながら,他方において,タトゥーに美術的価値や一定の信条ないし情念を象徴する意義を認める者もおり,さらに,昨今では,海外のスポーツ選手等の中にタトゥーを好む者がいることなどに触発されて新たにタトゥーの施術を求める者も少なくない。このような状況を踏まえて考えると,公共的空間においてタトゥーを露出することの可否について議論を深めるべき余地はあるとしても,タトゥーの施術に対する需要そのものを否定すべき理由はない。以上の点に鑑みれば,医療関連性を要件としない解釈はタトゥー施術行為に対する需要が満たされることのない社会を強制的に作出しもって国民が享受し得る福利の最大化を妨げるものであるといわざるを得ない。タトゥー施術行為に伴う保健衛生上の危険を防止するため合理的な法規制を加えることが相当であるとするならば,新たな立法によってこれを行うべきである。」
「最後に,タトゥー施術行為は,被施術者の身体を傷つける行為であるから,施術の内容や方法等によっては傷害罪が成立し得る。本決定の意義に関して誤解が生じることを慮りこの点を付言する次第である。」


■最二小判令和2年11月27日(令和元(受)1900)*12
監査事務所登録不許可処分の開示の当否が争われた事件において、「(品質管理委員会の判断を否定した)原判決を破棄差戻しとしたことの趣旨」として、以下のように述べた。
(岡村和美裁判官との連名)
「原判決は,被上告人らが本件会社の現金預金につき,監査対象事業年度末に現金実査等を実施したと認定した上で,現金元帳と通帳及び領収書等との突合(以
下「証憑突合」という。)を監査対象期間の全部につき実施することは監査手続として実効的でないと述べている。被上告人らがそもそも監査対象事業年度末に現金実査を行っていないことは法廷意見において指摘したとおりであるが,その点はさておくとしても,監査対象期間の全部について証憑突合を行うことが現金預金の監査手続として「実効的でない」という原審の見解には看過し難い誤謬があるといわざるを得ない。けだし,確かに監査の対象となる財務諸表が貸借対照表だけであれば期末の現金実査等だけで現金預金に関する財務諸表上の記載の正確性を確認し得るかもしれないが,金融商品取引法上財務諸表に含まれる会計書類は貸借対照表だけではないからである。特に,平成10年代に財務諸表に加えられたキャッシュ・フロー計算書は,監査対象期間全部におけるキャッシュ・フローを「営業活動によるキャッシュ・フロー」と「投資活動によるキャッシュ・フロー」と「財務活動によるキャッシュ・フロー」に分類した上でそれぞれの正味合計額を示すものであるから,その記載の正確性を監査するためには全期間に対しての証憑突合を行うことが確実で有効な監査方法であることは明らかであり,期末の現金実査等だけで記載の正確性を常に監査できるとは考え難い。しかも,本件会社が本件監査以前において営業活動によるキャッシュ・フローがマイナスとなるなどして企業としての継続性に疑いをもたれていたこと等を考えると,キャッシュ・フローの適正な監査を行うことは本件会社においてはとりわけ重要であった。以上の点に鑑みれば,監査手続としての証憑突合の実効性という点に関する原審の判断は経験則に関する重大な誤りであるといわざるを得ない。」
「もっとも,監査対象期間の全部について証憑突合を行うことが現金預金の監査手続として有効なものであるとしても,それを実施しなければ直ちに基準不適合事実が見受けられるといい得るかは証拠上必ずしも明らかではなく,結局のところ,被上告人らが証憑突合を本件会社の監査対象事業年度のうちの約5箇月半についてしか実施しなかったことをもって基準不適合事実が見受けられるといえるか否かが本件の中核的争点と考えられる。当審が本件を原審に差し戻したのはこの点を踏まえてのことであるが,この点に関して,原判決が,証憑突合がされた約5箇月半は「多額の現金移動があった期間」であったことを弁論の全趣旨によって認定していることについては特に留意を要する。被上告人らが「期中を通じて100万円以上の出納については証憑突合を実施した」と主張していることを踏まえて原審の認定した事実を合理的に解釈すると,「被上告人らが監査対象事業年度のうちの約5箇月半においてしか証憑突合を行わなかったのは,当該期間において100万円以上の現金移動を伴う取引(以下「多額現金取引」という。)が集中的に発生し,残りの約6箇月半においては多額現金取引は発生しなかったからである」ということになるのであろう。この点に関して差戻審の注意を喚起するため,以下のことを指摘しておきたいと思う。」
「(1) 第1に指摘すべきことは,監査対象事業年度に関する本件会社の有価証券報告書上,同年度における本件会社の営業活動による連結キャッシュ・フローの正味合計額はマイナス7億6884万5000円に上っているという点である。1年間のキャッシュ・フローの正味額がこのような巨額の値となる会社において,多額現金取引が,12箇月間に及ぶ監査対象事業年度のうちの約5箇月半においてしか発生せず,しかも,その約5箇月半においては,(多額現金取引が発生した日だけではなく)期間全体にわたって証憑突合を実施する必要性を認めるほど集中的に発生したなどということが現実に起こり得るものか疑問があり,慎重な検討が必要であろう。(2) 第2に指摘すべきことは,本件会社が設置した第三者委員会の作成に係る平成27年1月19日付けの報告書には,本件会社が監査対象事業年度のうちで被上告人らが証憑突合を行わなかった約6箇月半の期間の一部である平成26年1月から3月の間に3件の多額現金取引(取引対象額はいずれも2000万円を超えている)を行った旨の記述があるという点である。この記述内容が正しいとすれば,被上告人らが多額現金取引があった期間に限定して証憑突合を行ったという主張は成立し得ないように思われる。差戻審においては,以上のことを踏まえ,被上告人らが監査対象事業年度のうちの約5箇月半の期間に対してしか証憑突合を行わなかった理由は何であったのかを見極めた上で適切な判断をすべきものと考える。」


最二小決令和3年4月14日(令和2(許)37)訴訟行為の排除を求める申立ての却下決定に対する抗告審の取消決定に対する許可抗告事件 *13
覆った結論と、それでもなお残る懸念。 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~をご参照のこと。


最二小判令和3年7月19日(令和元(受)1968)会計限定監査役に対する損害賠償請求事件*14
「会計限定監査役」の任務懈怠をめぐる最高裁の再逆転判決と、高裁に与えられた宿題。 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~をご参照のこと。

意見の対象となった事例は多岐にわたるが、特徴的なのは、「上告審」という立場であるにもかかわらず、原審までの事実認定に対してかなり踏み込んだ「経験則」を示し、差戻審に対して「注意」を促しているものも散見される、という点だろうか*15

また貨物運送会社への使用者求償や、医療給付に伴い代位取得した損害賠償の遅延損害金に係る判断においては、やはり経済学的な視点がかなり意識されているように感じられる。

なお、今日投函された最高裁判所裁判官国民審査公報」に接したのだが、比較的少数意見を多く書かれる裁判官でも、なぜか「全会一致」や「多数意見」に与した事件の方を優先して記載することが多い「関与した主要な裁判」の項で、

諫早湾潮受堤防排水門開門請求異議事件(意見)
・貨物運送会社使用者求償事件(補足意見)
・タトゥー医師法違反事件(補足意見)

と自ら意見を付した3事件を取り上げ、さらに尖った意見を述べられた「一票の格差」と「夫婦別氏制不採用」の両事件を「その他の主要な裁判」として記載されているあたりに、「意見を述べてこそ最高裁判事という草野裁判官のご矜持を感じた次第である。

*1:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/412/090412_hanrei.pdf

*2:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/916/088916_hanrei.pdf

*3:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/764/089764_hanrei.pdf

*4:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/797/089797_hanrei.pdf

*5:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/841/089841_hanrei.pdf

*6:実際の意見はグラフも交えてPDF10頁以上の長さとなるが、全ては紹介できないので、以下ダイジェスト的に引用することとしたい。

*7:個人的には夫婦同氏問題に関して「福利の比較衡量」を持ち出された点に関しては、(おそらくは)一種のレトリックだろう、と思いつつも違和感を禁じ得なかった。

*8:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/903/088903_hanrei.pdf

*9:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/270/089270_hanrei.pdf

*10:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/286/089286_hanrei.pdf

*11:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/717/089717_hanrei.pdf

*12:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/873/089873_hanrei.pdf

*13:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/257/090257_hanrei.pdf

*14:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/486/090486_hanrei.pdf

*15:上に引用したもののほか、過去のエントリーの引用に留めているが、会計限定監査役への損害賠償請求事件も破棄差戻で、差戻審の事実認定にはかなりの注文が付けられている。

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最高裁判所裁判官・国民審査対象各裁判官の個別意見について(2021年版・その1)

またこの時期がめぐってきた。衆院選の投票と同時に行われる最高裁判所裁判官の国民審査。

ちょっと前までは、「総選挙」の影に隠れて存在自体が地味だったし*1、審査対象裁判官に関する情報も、定型的なものに毛が生えたレベルのものしか出回っていなかったのだが*2、例の「一票の格差」判決をめぐるあれこれを機に*3、僅かながらスポットライトが当たるようにもなってきていて、関連する報道等も、回を重ねるごとにちょっとずつ増えてきているような気がする。

このブログでも、

k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

と、2012年以降、審査対象の各裁判官の判決での個別意見をまとめたエントリーを投票日の直前に駆け込みでアップすることが多かったのだが、今回は丸4年を超えての久々の機会で、対象となる裁判官が全15名の裁判官中11名と非常に多いこともあるので*4、ちょっと早めにアップしてみることにしたい。

第一小法廷

今回4名の裁判官が対象となっているものの、安浪亮介、岡正晶、堺徹の各裁判官は、就任が本年7~9月ということで、現時点では個別意見なし。
また、今年に入って本領を発揮されだした山口厚裁判官*5は、前回就任直後に”洗礼”を受けたこともあって、今回は対象外。

ということで、取り上げることができるのは深山卓也裁判官だけで、元々個別意見が少ない第一小法廷、しかも裁判所の出身ということで、静かな立ち上がりとなることをご容赦いただきたい(以下、見出しでは裁判官の敬称を省略する)。

深山卓也(裁判官出身)

2018年1月就任 2024年退官予定

<補足意見>
■最一小判平成30年10月11日(平成29(受)1496)有価証券報告書虚偽記載に基づく損害賠償額の認定*6
「金商法18条1項に基づく損害賠償請求訴訟において,民訴法248条の類推適用により金商法19条2項の賠償の責めに任じない損害の額として相当な額を認定することができる」とした法廷意見に賛同の意を示した上で、「法廷意見の採る解釈と同法21条の2第6項との関係」を以下のように説明した。
「金商法18条,19条と同法21条の2は,民法709条の一般不法行為責任の特則として,金商法が規定する開示義務に違反して開示書類に虚偽記載等をした者が有価証券を取得した者に対して負う損害賠償責任について規定する点で共通の性格を有しており,また,同法19条2項と同法21条の2第5項(改正前の同条4項)は,いずれも,有価証券の取得者が提起した損害賠償請求訴訟における損害額の減免の抗弁を規定したものであって,その文言も極めて類似している。そうすると,平成16年法律第97号による証券取引法の改正により金商法21条の2(改正当時は証券取引法21条の2)が新設された際に,金商法21条の2第1項に基づく損害賠償責任については,同条5項(改正前の同条4項)の減免の抗弁を前提として同条6項(改正前の同条5項)の規定が設けられたにもかかわらず,その当時既に存在していた同法19条2項の減免の抗弁については,同法21条の2第6項(改正前の同条5項)のような規定が設けられなかったことの意味をどのように理解するかが問題となる。この点は,次のように考えるべきであろう。すなわち,金商法19条1項と2項は,1項において,同法18条の損害賠償責任に基づく賠償責任額を法定した上で,2項において,賠償の責めに任ずべき者が有価証券届出書等の虚偽記載等によって生ずべき当該有価証券の値下がり以外の事情による損害の発生及びその額を証明したときは,その額を法定の賠償責任額から減額して具体的な損害賠償額を算定するという構造になっており,法廷意見が述べるとおり,賠償の責めに任ずべき者が,有価証券届出書等の虚偽記載等によって生ずべき当該有価証券の値下がり以外の事情による損害の発生は証明したものの,当該事情により生じた損害の性質上その額の証明が極めて困難である場合には,民訴法248条の類推適用により,裁判所は,減額すべき損害の額として相当な額を認定することができると解される(同条の趣旨の理解に関わるが,この場合に,同条を類推適用するまでもなく,同条が適用されるとする見解もあり得よう。)。これに対し,金商法21条の2第3項と5項は,上記のとおり,3項において,一定の前提事実が存在する場合に当該書類の虚偽記載等と損害の発生との因果関係及び損害の額を推定した上で,5項において,賠償の責めに任ずべき者が推定を覆す反対事実を証明したときは,証明された額を推定された損害額から減額するという構造になっているので,法律上の事実推定を覆すための反対事実の証明は,反対事実の存在について裁判所に確信を抱かせる本証によらなければならないという一般的な考え方を踏まえると,賠償の責めに任ずべき者が,当該書類の虚偽記載等によって生ずべき当該有価証券の値下がり以外の事情による損害の発生は証明したものの,当該事情により生じた損害の性質上その額の証明が極めて困難である場合に,民訴法248条を類推適用してその立証の負担を軽減することは許されないと解される余地があるそこで,この場合に,民訴法248条の類推適用がされたのと同様の取扱いがされることを明らかにするために金商法21条の2第6項(改正前の同条5項)が設けられたものと考えられるのである
「したがって,金商法19条に同法21条の2第6項(改正前の同条5項)のような規定が置かれていないことは,同法19条2項の賠償の責めに任じない損害の額の認定について民訴法248条の類推適用を認める解釈の妨げになるものではないというべきである。」(強調筆者、以下同じ。)


■最大決令和3年6月23日(令2(ク)102)夫婦別氏婚姻届の却下処分不服申立て却下審判に対する抗告棄却決定に対する特別抗告事件*7
(岡村和美裁判官,長嶺安政裁判官との連名)
戸籍法74条1号の規定が憲法24条に違反するものとはいえず,平成27年大法廷判決の判断を変更する必要はない、という多数意見に賛同する立場を取った上で、概ね以下のように述べている。
「しかしながら,ここでいう婚姻は法律婚であって,その内容は,憲法24条2項により婚姻及び家族に関する事項として法律で定められることが予定されているものであるところ,民法750条は,婚姻の効力すなわち法律婚の制度内容の一つとして,夫婦が夫又は妻の氏のいずれかを称するという夫婦同氏制を採っており,その称する氏を婚姻の際に定めるものとしている。他方で,我が国においては,氏名を含む身分事項を戸籍に記載して公証する法制度が採られており,民法739条1項において,婚姻は,そのような戸籍への記載のための届出によって効力を生ずるという届出婚主義が採られている。そして,これらの規律を受けて,戸籍法74条1号は,婚姻後に夫婦が称する氏を婚姻届の必要的記載事項としているのである。民法及び戸籍法が法律婚の内容及びその成立の仕組みをこのようなものとした結果,婚姻の成立段階で夫婦同氏とするという要件を課すこととなったものであり,上記の制約は,婚姻の効力から導かれた間接的な制約と評すべきものであって,婚姻をすること自体に直接向けられた制約ではない。また,憲法24条1項は,婚姻をするかどうか,いつ誰と婚姻をするかについては,当事者間の自由かつ平等な意思決定に委ねられるべきであるという趣旨を明らかにしたものであるところ,ここでいう婚姻も法律婚であって,これは,法制度のパッケージとして構築されるものにほかならない。そうすると,仮に,当事者の双方が共に氏を改めたくないと考え,そのような法律婚制度の内容の一部である夫婦同氏制が意に沿わないことを理由として婚姻をしないことを選択することがあるとしても,これをもって,直ちに憲法24条1項の趣旨に沿わない制約を課したものと評価することはできない。したがって,夫婦同氏とすることを婚姻の要件と捉えたとしても,本件各規定が憲法24条1項に違反すると直ちにいうことはできず,平成27年大法廷判決もこの趣旨を包含していたものと理解することができる。」
「そこで,本件各規定が憲法24条に違反するか否かは,平成27年大法廷判決が判示するとおり,本件各規定の採用した制度(夫婦同氏制)の趣旨や同制度を採用することにより生ずる影響につき検討し,個人の尊厳と両性の本質的平等の要請に照らして合理性を欠き,国会の立法裁量の範囲を超えるものとみざるを得ないような場合に当たるか否かという観点から判断すべきこととなる。」
「現行の夫婦同氏制の下において,長期間使用してきた氏を婚姻の際に改める者の中には,アイデンティティの喪失感を抱く者や種々の社会生活上の不利益を被る者がおり,これを避けるために婚姻を事実上断念する者がいることは,平成27年大法廷判決においても指摘されているところである。このような実情を踏まえ,夫婦同氏制について,婚姻に際し当事者の一方が意に反して氏を改めるか婚姻を断念するかの選択を迫るものであり,従前の氏に関する人格的利益を尊重せず,また,婚姻を事実上不当に制約するものであると評価して,いわゆる選択的夫婦別氏制の方が合理性を有するとする意見があることも理解できる。また,男女共同参画社会の形成の促進あるいは女性の職業生活における活躍の推進という観点からの施策として,選択的夫婦別氏制の導入を検討すべきであるとする意見も存在する。しかしながら,平成27年大法廷判決が判示するとおり,婚姻及び家族に関する事項は,関連する法制度においてその具体的内容が定められていくものであって,当該法制度の制度設計が重要な意味を持つものであり,国の伝統や国民感情を含めた社会状況における種々の要因を踏まえつつ,それぞれの時代における夫婦や親子関係についての全体の規律を見据えた総合的な判断によって定められるべきものである。したがって,夫婦の氏に関する法制度の構築は,子の氏や戸籍の編製の在り方等を規律する関連制度の構築を含め,国会の合理的な立法裁量に委ねられているのである。そうすると,選択的夫婦別氏制の導入に関して上記のような意見があるとしても,平成27年大法廷判決が指摘する,氏の性質や機能,夫婦が同一の氏を称することの意義,婚姻前の氏の通称としての使用(以下「通称使用」という。)等に関する諸点を総合的に考慮したときに,本件各規定が個人の尊厳と両性の本質的平等の要請に照らして合理性を欠き,国会の立法裁量の範囲を超えるものとみざるを得ないような場合に当たると断ずることは困難である。」
「一般論として,この種の法制度の合理性に関わる事情の変化いかんによっては,本件各規定が上記立法裁量の範囲を超えて憲法24条に違反すると評価されるに至ることもあり得るものと考えられる。しかしながら,平成27年大法廷判決以降の上記の事情の変化のうち,まず,国民の意識の変化についていえば,婚姻及び家族に関する法制度の構築に当たり,国民の意識は重要な考慮要素の一つとなるものの,国民の意識がいかなる状況にあるかということ自体,国民を代表する選挙された議員で構成される国会において評価,判断されることが原則であると考えられる。そして,法制度をめぐる国民の意識のありようがよほど客観的に明らかといえる状況にある場合にはともかく,選択的夫婦別氏制の導入について,今なおそのような状況にあるとはいえないから,これを上述した女性の有業率の上昇等の社会の変化と併せ考慮しても,本件各規定が憲法24条に違反すると評価されるに至ったとはいい難い。また,通称使用の拡大は,これにより夫婦が別氏を称することに対する人々の違和感が減少し,ひいては,戸籍上夫婦が同一の氏を称するとされていることの意義に疑問を生じさせる側面があることは否定できないが,基本的には,平成27年大法廷判決が判示するとおり,婚姻に伴い氏を改める者が受ける不利益を一定程度緩和する側面が大きいものとみられよう。」
「もとより,本件多数意見がいうように,選択的夫婦別氏制を採るのが立法政策として相当かどうかという問題と,夫婦同氏制を定める現行法の規定が憲法24条に違反して無効であるか否かという憲法適合性の審査の問題とは,次元を異にするものであって,民法750条ないし本件各規定が憲法24条に違反しないという平成27年大法廷判決及び本件多数意見の判断は,国会において上記立法政策に関する検討を行いその結論を得ることを何ら妨げるものではない。選択的夫婦別氏制の採否を含む夫婦の氏に関する法制度については,子の氏や戸籍の編製等を規律する関連制度を含め,これを国民的議論,すなわち民主主義的なプロセスに委ねることによって合理的な仕組みの在り方を幅広く検討して決めるようにすることこそ,事の性格にふさわしい解決というべきであり(平成27年大法廷判決の寺田逸郎裁判官の補足意見参照),国会において,この問題をめぐる国民の様々な意見や社会の状況の変化等を十分に踏まえた真摯な議論がされることを期待するものである。」

金商法の条文解釈について詳説されている一点目のご意見からは、長年法務省で立法に関与されてきた方ならでは明快さを感じさせる一方で、政治的な色彩も帯びた「夫婦別氏」の話になると、いかにも・・・なスタンスになるのは、さすがというべきか何というか。

第二小法廷

続く第二小法廷は、大谷直人長官と、長官に次いで任期が長くなった菅野博之裁判官を除く3名の裁判官が対象。

元々、鬼丸かおる判事、山本庸幸判事といった論客系の裁判官が活発に個別意見を出していた小法廷だったのだが、今回審査対象となる裁判官も就任が2018年~2019年ということで、まさに三者三様のカラーを出されていて最も興味深い合議体と言えるかもしれない。

三浦守(検察官出身)

2018年2月就任 2026年退官予定

検察官出身の裁判官といえば、刑事事件の判決、決定で時折意見を述べるくらいで、後は黙々と多数派に与する、という印象があったのだが、それを良い意味で覆しているのが三浦裁判官である。

特に2019年参院選の「一票の格差」事件と、夫婦別氏事件に付した「意見」の最初の書き出しに衝撃を受けた方は多かったのではないだろうか。

<意見>
最大判令和2年11月18日(令2(行ツ)78)*8
2019年参議院選挙の議員定数配分をめぐり、3.00倍の較差を「違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態にあったものとはいえず」違憲ではない、とした多数意見に対し、「結論において多数意見に賛同するが,本件定数配分規定の下での選挙区間における投票価値の不均衡は,違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態にあったものと考える」とし、「較差の程度を正当化すべき合理的な事情の有無」等について検討した上で、
「以上に述べたとおり,平成30年改正は,これまでの選挙制度の基本的な仕組みを維持して一部の選挙区の定数を調整するにとどまるものであって,現に選挙
区間の最大較差は,同改正の前後を通じてなお3倍前後の水準が続いており,その不均衡は,投票価値の平等の重要性に照らし,看過し得ない程度に達していた。また,このような不均衡を正当化すべき合理的な事情も見いだせない。したがって,本件定数配分規定の下での選挙区間における投票価値の不均衡は,違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態にあったものというほかない。」とした。
また、国会の裁量権の限界については、平成29年大法廷判決が具体的な指摘をしなかったこと等を踏まえ、「超えるものということはできない」としたものの、「付言」として、以下のとおり、できる限り速やかな立法措置を求めている。
参議院議員選挙制度については,これまで,限られた総定数の枠内で,半数改選という憲法上の要請を踏まえて定められた定数の偶数配分を前提に,都道府県を各選挙区の単位とする仕組みの下で,人口の都市部への集中による都道府県間の人口較差の拡大に伴い,長期にわたり投票価値の大きな較差が続いてきた。国会においては,累次の当裁判所大法廷判決を踏まえつつ,平成16年以降,十数年間にわたって継続的に,参議院選挙制度改革や投票価値の不均衡の是正について検討及び協議が行われてきた。そして,一部の選挙区の定数を増減させるとともに,人口の少ない選挙区を合区するなどの法改正が行われてきたが,これらの改正によっても,なお是正されるべき投票価値の不均衡が解消されていない。しかしながら,平成30年改正後は,本件選挙後も含めて,2年以上にわたり,国会において,この問題に関する具体的な検討及び協議が行われていない状況にあることがうかがわれる。そして,平成30年改正法には,較差の更なる是正に向けての方向性等を示す規定も置かれなかったこと等を考え併せると,今後,この問題に関する具体的な議論が進展しないまま推移することが懸念される。他方,前記のとおり,平成30年改正にもかかわらず,選挙区間の較差に関する2.9倍超という水準でみると,投票価値の不均衡はむしろ広がっている状況にあること等からすると,本件定数配分規定が基本的に維持されたまま次回以降の通常選挙が行われる場合,選挙区間における投票価値の不均衡が更に拡大することも予想される。国民の意思を適切に反映する選挙制度は,国民主権及び議会制民主政治の根幹であり,投票価値の平等が憲法上の要請であることや,先に述べた国政における参議
院の役割等に照らせば,今後も不断に人口変動が生ずることが見込まれる中で,より適切な民意の反映が可能となるように,国会において,都道府県を各選挙区の単位とすることを基本とする現行の方式を改めるなど,較差の更なる是正を図るための方策の検討と集約が着実に進められ,できる限り速やかに,必要な立法的措置によって違憲の問題が生ずる前記の不平等状態が解消されなければならない。」


■最大決令和3年6月23日(令2(ク)102)夫婦別氏婚姻届の却下処分不服申立て却下審判に対する抗告棄却決定に対する特別抗告事件
「結論において多数意見に賛同する」としつつも,本件各規定に係る婚姻の要件について,法が夫婦別氏の選択肢を設けていないことは,憲法24条に違反すると考える」として、以下のような論理を展開されている。
平成27年大法廷判決は,本件各規定に係る夫婦同氏制の趣旨,目的に関し,複数の点を指摘しているところ(同判決の第4の4 ア),それらについては,婚姻及び家族に関する法制度における相応の合理性があるといえる。しかし,ここで問題となるのは,夫婦同氏制がおよそ例外を許さないことが婚姻の自由の制約との関係で正当化されるかという合理性である。夫婦同氏制の趣旨,目的と,その例外を許さないこととの実質的な関連性ないし均衡の問題といってもよい。このような観点から検討すると,夫婦同氏制の趣旨,目的については,以下のような疑問がある。」
「第1に,社会の構成要素である家族の呼称を一つに定め,それを対外的に公示して識別するといっても,現実の社会において,家族として生活を営む集団の身分関係が極めて多様化していることである。」
「第2に,同一の氏を称することにより家族の一員であることを実感する意義や家族の一体性を考慮するにしても,このような実感等は,何よりも,種々の困難を伴う日常生活の中で,相互の信頼とそれぞれの努力の積み重ねによって獲得されるところが大きいと考えられる。これらは,各家族の実情に応じ,その構成員の意思に委ねることができ,むしろそれがふさわしい性質のものであって,家族の在り方の多様化を前提に,夫婦同氏制の例外をおよそ許さないことの合理性を説明し得るものではない。」
「第3に,婚姻の重要な効果である嫡出子の仕組みを前提として,嫡出子がいずれの親とも氏を同じくすることによる利益を考慮するにしても,そのような利益は,嫡出推定や共同親権等のように子の養育の基礎となる具体的な権利利益とは異なる上(児童の権利に関する条約(平成6年条約第2号)にも,そのような利益に関する規定はない。),嫡出子であることを示すための仕組みとしての意義を併せて考慮することは,嫡出子と嫡出でない子をめぐる差別的な意識や取扱いを助長しかねない問題を含んでいる。また,婚姻の要件についてその例外を否定することは,子について,嫡出子に認められる上記の具体的権利利益を否定することになる。家族の在り方の多様化を前提にして,上記の利益について,法制度上の例外を許さない形でこれを特に保護することが,憲法上の権利の制約を正当化する合理性を基礎付けるとはいい難い。」
(略)
「以上のような事情の下において,本件各規定について,法が夫婦別氏の選択肢を設けていないことが,婚姻の自由を制約している状況は,個人の尊厳と両性の本質的平等の要請に照らし,本件処分の時点で既に合理性を欠くに至っているといわざるを得ない。したがって,本件各規定に係る婚姻の要件について,法が夫婦別氏の選択肢を設けていないこと,すなわち,国会がこの選択肢を定めるために所要の措置を執っていないことは,憲法24条の規定に違反する。」
「本件各規定について,上記の違憲の問題があるとしても,婚姻の要件として,夫婦別氏の選択肢に関する法の定めがないことに変わりはない。婚姻における氏の在り方は,婚姻及び家族に関する法制度全体において関連する仕組みが定められる。本件各規定は,そのような仕組みの一部として,夫婦同氏に係る婚姻の効力及び届書の記載事項を定めるものであり,その内容及び性質に鑑みると,それらが一つの選択肢に限定する部分については違憲無効であるというにしても,それを超えて,他の選択肢に係る婚姻の効力及び届書の記載事項が当然に加えられると解することには無理がある。また,婚姻の届出は,婚姻の要件であるとともに(民法739条1項),戸籍の編製及び記載の根拠となるものであるところ(戸籍法15条,16条),戸籍は,一の夫婦及びこれと氏を同じくする子ごとに編製するものとされ(同法6条),夫婦別氏の選択肢を設けるには,子の氏に関する規律をも踏まえ,戸籍編製の在り方という制度の基本を見直す必要がある。その上で,夫婦の氏に関する当事者の選択を確認して戸籍事務を行うため,届書の記載事項を定めるとともに,その届出に基づいて行うべき戸籍事務(同法13条,14条,16条等参照)等について定める必要がある。国会においては,速やかに,これらを含む法制度全体について必要な立法措置が講じられなければならない。こうした措置が講じられていない以上,本件各規定の内容及び性質という点からみても,法制度全体としてみても,法の定めがないまま,解釈によって,夫婦別氏の選択肢に関する規範が存在するということはできない。したがって,夫婦が称する氏を記載していない届書による届出を受理することはできないといわざるを得ない民法740条)。このような届出によって婚姻の効力が生ずると解することは,婚姻及び家族に関する事項について,重要な部分に関する法の欠缺という瑕疵を伴う法制度を設けるに等しく,社会的にも相応の混乱が生ずることとなる。これは,法の想定しない解釈というべきである。以上のとおりであるから,抗告人らの申立てを却下すべきものとした原審の判断は,結論において是認することができる。」

いずれも、結論においては多数意見に反対せず、ドラスチックな帰結を回避しようとされているところは、いかにも司法行政の一翼を担われてきた方だな、という印象を受けるのだが、意見の内容の鋭さとそれを基礎となる考え方からしっかり組み立てていく丁寧さは、反対意見のそれを上回るのではないか、というくらいの迫力であることは改めて指摘しておきたい。

また、いくつか出されている補足意見も、短いながらも論点をしっかりと突かれたものが多く、実務には効果的に刺さるのではないか、という印象を受ける。

<補足意見>


■最二小決平成30年10月31日(H30(し)585)勾留の裁判に対する準抗告の裁判に対する特別抗告事件*9
勾留取消を認めた原決定の結論を支持する法廷意見に同調しつつも、原審決定の理由に対しては以下のとおり明確に異議を述べている。
「本件は,大麻の密輸入に関し,いわゆるクリーン・コントロールド・デリバリーによる捜査が行われ,被疑者は,本件の勾留請求の前に,規制薬物として取得した大麻の代替物の所持の被疑事実により勾留され,その後,大麻の営利目的輸入の被疑事実により本件の勾留請求がされたというものである。本件の被疑事実と前件の被疑事実とは,一連のものであって密接に関連するが,社会通念上別個独立の行為であるから,併合罪の関係にあるものと解されるところ,両事実の捜査に重なり合う部分があるといっても,本件の被疑事実の罪体や重要な情状事実については,前件の被疑事実の場合より相当幅広い捜査を行う必要があるものと考えられる。」
「したがって,原決定が,両事実の実質的同一性や,両事実が一罪関係に立つ場合との均衡等のみから,捜査機関が,前件の被疑事実による勾留の期間中に,本件の被疑事実の捜査についても,同時に処理することが義務付けられていた旨の説示をした点は,刑訴法60条1項,426条の解釈適用を誤ったものというほかない。しかし,本件の証拠関係,捜査状況のほか,被疑者が原決定により釈放され,既に相当の日数が経過していること等も考え合わせると,原決定を取り消さなければ著しく正義に反するものと認められるとすることについては,わずかながら躊躇を覚えるところであり,同法411条を準用すべきものとまでは認められない。」


■最二小決平成31年1月23日(H30(ク)269)性別の取扱いの変更申立て却下審判に対する抗告棄却決定に対する特別抗告事件*10
(鬼丸かおる裁判官との連名)
「生殖腺がないこと」等を要件とした性別取扱い変更の運用を合憲とした法廷意見を補足し、性別適合手術を受けることを要件とすることが憲法13条により保障される自由の制約にあたりうる、という問題提起をした上で、以下のとおり、憲法13条違反の「疑い」にまで踏み込んだ。
「本件規定の目的については,法廷意見が述べるとおり,性別の取扱いの変更の審判を受けた者について変更前の性別の生殖機能により子が生まれることがあれば,親子関係等に関わる問題が生じ,社会に混乱を生じさせかねないことや,長きにわたって生物学的な性別に基づき男女の区別がされてきた中で急激な形での変化を避ける等の配慮に基づくものと解される。しかし,性同一性障害者は,前記のとおり,生物学的には性別が明らかであるにもかかわらず,心理的にはそれとは別の性別であるとの持続的な確信を持ち,自己を身体的及び社会的に他の性別に適合させようとする意思を有する者であるから,性別の取扱いが変更された後に変更前の性別の生殖機能により懐妊・出産という事態が生ずることは,それ自体極めてまれなことと考えられ,それにより生ずる混乱といっても相当程度限られたものということができる。また,上記のような配慮の必要性等は,社会的状況の変化等に応じて変わり得るものであり,特例法も,平成15年の制定時の附則2項において,「性別の取扱いの変更の審判の請求をすることができる性同一性障害者の範囲その他性別の取扱いの変更の審判の制度については,この法律の施行後3年を目途として,この法律の施行の状況,性同一性障害者等を取り巻く社会的環境の変化等を勘案して検討が加えられ,必要があると認めるときは,その結果に基づいて所要の措置が講ぜられるものとする。」と定めていた。これを踏まえて,平成20年,特例法3条1項3号の「現に子がいないこと」という要件に関し,これを緩和して,成人の子を有する者の性別の取扱いの変更を認める法改正が行われ,成人の子については,母である男,父である女の存在があり得ることが法的に肯定された。そして,その改正法の附則3項においても,「性同一性障害者の性別の取扱いの変更の審判の制度については,この法律による改正後の特例法の施行の状況を踏まえ,性同一性障害者及びその関係者の状況その他の事情を勘案し,必要に応じ,検討が加えられるものとする。」旨が定められ,その後既に10年を経過している。特例法の施行から14年余を経て,これまで7000人を超える者が性別の取扱いの変更を認められ,さらに,近年は,学校や企業を始め社会の様々な分野において,性同一性障害者がその性自認に従った取扱いを受けることができるようにする取組が進められており,国民の意識や社会の受け止め方にも,相応の変化が生じているものと推察される。以上の社会的状況等を踏まえ,前記のような本件規定の目的,当該自由の内容・性質,その制約の態様・程度等の諸事情を総合的に較量すると,本件規定は,現時点では,憲法13条に違反するとまではいえないものの,その疑いが生じていることは否定できない。」
「世界的に見ても,性同一性障害者の法的な性別の取扱いの変更については,特例法の制定当時は,いわゆる生殖能力喪失を要件とする国が数多く見られたが,
2014年(平成26年),世界保健機関等がこれを要件とすることに反対する旨の声明を発し,2017年(平成29年),欧州人権裁判所がこれを要件とすることが欧州人権条約に違反する旨の判決をするなどし,現在は,その要件を不要とする国も増えている。性同一性障害者の性別に関する苦痛は,性自認の多様性を包容すべき社会の側の問題でもある。その意味で,本件規定に関する問題を含め,性同一性障害者を取り巻く様々な問題について,更に広く理解が深まるとともに,一人ひとりの人格と個性の尊重という観点から各所において適切な対応がされることを望むものである。」


■最二小判令和元年12月20日(H30(あ)437)覚せい剤取締法違反における追徴*11
追徴の対象となる薬物犯罪収益の考え方について、以下のように述べられた。
麻薬特例法2条3項の「薬物犯罪の犯罪行為により得た財産」は,薬物犯罪の犯罪行為を原因として得た財産をいうものと解されるが,ある財産の取得が犯罪行為「により得た」といえるか否かは,一般に,財産の取得の趣旨及び状況を踏まえ,財産の取得と犯罪行為との結び付き等の点から判断すべきものと解される。規制薬物の有償譲渡については,譲渡行為の前に代金が支払われることもあるが,その先後にかかわらず,譲渡に関する当事者間の約束において代金の額等が定められ,これに従ってその代金を得たという場合,当該譲渡に係る犯罪が成立する限り,当該代金は犯罪行為「により得た」財産に当たるものと認められる。本件のように,規制薬物の譲渡の約束に基づいて前払代金を得ながら,その約束の一部の規制薬物の譲渡が行われ又はそれが未遂に終わった場合も,犯罪行為に係る約束に基づいて財産を得た上で,その約束に沿う犯罪を行ったという点では基本的に同じである。この場合,犯罪行為の範囲と財産の範囲に差異が生じるようにもみえるが,この財産は,その約束に係る規制薬物の対価として一体的に犯罪行為と結び付いており,その財産の全体について犯罪行為により得たものということができる。」
「刑法19条1項3号の没収は,犯罪行為による不正な利得の保持を許さないなどのために,これを剥奪するものであり,その趣旨を徹底するために,同項1号,2
号の没収と異なり,その対価として得た物も没収の対象とする(同項4号)とともに,これらを没収することができないときはその価額を追徴することができるものとしている(同法19条の2)。麻薬特例法の薬物犯罪収益等の没収・追徴(同法11条1項,13条1項)も,これと同じ趣旨によるものであって,その趣旨を更に徹底するために没収対象財産の拡大等を図っている。犯罪行為の基礎となる約束に基づいて取得した財産の全体を没収・追徴の対象とすることは,このような犯罪行為による不正利得の剥奪という法の趣旨に沿うものであることは明らかである。」


■最二小判令和2年2月28日(H30(受)1429)被用者の使用者に対する求償請求事件*12
貨物運送会社の従業員が自ら負担した対第三者損害賠償額を使用者に求償することを認めた法廷意見に続き、「求償することができる額の判断に当たり考慮すべき点」として以下のように述べられた。
「貨物の円滑な流通は,我が国における経済活動及び国民生活の重要な基盤であり,貨物自動車運送事業は,その流通の中心的な役割を担うものであるから,その健全な発展を図ることは,我が国社会にとって重要な課題である。そのため,貨物自動車運送事業法は,この事業の運営を適正かつ合理的なものとすること等を目的として(1条),一般貨物自動車運送事業国土交通大臣による許可制とし(3条),その許可基準の一つとして,「その事業を自ら適確に,かつ,継続して遂行するに足る経済的基盤及びその他の能力を有するものであること」を定めている(6条3号。平成30年法律第96号による改正前は「その事業を自ら適確に遂行するに足る能力を有するものであること」と定められていたが,基本的な趣旨は変わらないものと解される。)。そして,国土交通大臣は,その審査に当たり,貨物の運送に関し支払うことのある損害賠償の支払能力を審査することが省令で明確化されたが(令和元年国土交通省令第27号により追加された貨物自動車運送事業法施行規則3条の6第3号),これは,貨物自動車運送事業が,その事業の性質上,貨物自動車による交通事故を含め,事業者が貨物の運送に関し損害賠償義務を負うべき事案が一定の可能性をもって発生することを前提として,事業者がその義務を十分に果たすことが事業を適確かつ継続的に遂行する上で不可欠と考えられることによる。したがって,事業者がその許可を受けるに当たっては,計画する事業用自動車の全てについて,自動車損害賠償責任保険等に加入することはもとより,一般自動車損害保険(任意保険)を締結するなど,十分な損害賠償能力を有することが求められる(「一般貨物自動車運送事業及び特定貨物自動車運送事業の許可及び事業計画変更認可申請等の処理について」(平成15年2月14日付け国自貨第77号)参照)。このことは,この事業の遂行に伴う交通事故の被害者等の救済にとって重要であることはいうまでもないが,それとともに,貨物自動車運転者である被用者の負担軽減という意味でも重要である。日常的に使用者の事業用自動車を運転して業務を行う被用者としては,その業務の性質上,自己に過失がある場合も含め交通事故等を完全に回避することが事実上困難である一方で,自ら任意保険を締結することができないまま,重い損害賠償義務を負担しなければならないとすると,それは,被用者にとって著しく不利益で不合理なものというほかない。その意味で,これは,この事業を支える貨物自動車運転者の雇用に関する重要な問題といってよい。事業者である使用者に対し,事業用自動車の全てについて十分な損害賠償能力を求めることは,任意保険又は使用者の負担において,その損害賠償を行うことによって,被用者の負担を大きく軽減し又は免れさせ,ひいては,この事業の継続に必要な運転者の確保に資するという意味でも重要な意義がある。上記の許可基準は,以上のような趣旨を含むものと理解することができ,法廷意見が述べるような,被用者が使用者に対して求償することができる額の判断に当たっては,こうした点も考慮する必要がある。特に,使用者が事業用自動車について任意保険を締結した場合,被用者は,通常その限度で損害賠償義務の負担を免れるものと考えられ,使用者が,経営上の判断等により,任意保険を締結することなく,自らの資金によって損害賠償を行うこととしながら,かえって,被用者にその負担をさせるということは,一般に,上記の許可基準や使用者責任の趣旨,損害の公平な分担という見地からみて相当でないというべきである。」


■最二小判令和2年10月9日(平成30(受)2032)家裁調査官論文事件*13
家裁調査官が少年保護事件を素材に論文を公表したことが違法なプライバシー侵害に当たらない、とした法廷意見を踏まえ、少年保護事件における情報の取扱いについて、以下のように補足した。
少年審判の非公開及び少年保護事件の記録の開示の制限等は,多数意見が述べるとおり,少年の健全育成を期するため,少年の改善更生や社会復帰に悪影響が及ぶことがないように配慮したものと解される。また,憲法13条は,国民の私生活上の自由が公権力の行使に対しても保護されるべきことを規定しているものであり,個人の私生活上の自由の一つとして,何人も,個人に関する情報をみだりに第三者に開示又は公表されない自由を有するものと解される。したがって,少年保護事件の記録の内容,とりわけ社会記録の内容をみだりに第三者に開示し又は公表することは,少年保護法制の根幹に関わるとともに,個人に関する情報に係る上記自由に関わる問題ということができる。そして,家庭裁判所調査官は,裁判所の命令により,少年の要保護性や改善更生の方法を明らかにするため,少年等の行状,経歴,素質,環境等について調査を行うことを職責とするものであるから,自己の担当した少年保護事件の調査について,適切な配慮をすることなく,みだりにその内容を公表することは,それが私人としての論文発表であっても,公務員としての法令上又は倫理上の義務に関わる問題が生ずることになる。」
「その一方で,少年法家庭裁判所調査官の行う調査について(9条),少年鑑別所法は少年鑑別所において行う少年の鑑別について(16条1項),そして少年院
法は少年院において行う少年の処遇について(15条2項),いずれも,医学,心理学,教育学,社会学その他の専門的知識及び技術を活用して又はこれらに基づい
て行う旨を規定している。少年の非行に影響を及ぼした資質上及び環境上の事情等を明らかにして,少年の健全育成に資する保護処分及び処遇を行い,その改善更生及び円滑な社会復帰を図るためには,これらの規定を適切かつ効果的に運用することが不可欠であるが,それは,この分野における専門的知識及び技術の充実・発展によって支えられるものといわなければならない。特に,少年を含め再犯・再非行の防止が我が国社会の重要な課題とされる中にあって,少年保護や再犯の防止等に関係する官民の様々な機関,団体その他の関係者の連携及び協力は極めて重要であり,上記の専門的知識及び技術についても,関係者の間で,適切な配慮の下に,必要な情報が共有され,効果的な処遇の在り方等に関する調査及び研究が深められることが必要である(再犯の防止等の推進に関する法律5条,20条等参照)。」
「以上に述べたことは,裁判所だけでなく,少年の鑑別や処遇を行う矯正施設その他の機関においても重要な課題というべきであり,少年の健全育成,個人に関する情報に係る自由の重要性に鑑み,それぞれの組織において,その実情を踏まえ,少年保護事件に係る情報等の取扱いに関し,適切な指導等の在り方を検討する必要があるものと考えられる。」


■最二小判令和2年11月27日(令和元(受)1900)監査事務所登録不許可処分開示禁止処分請求事件*14
基準不適合事実に該当する事実の有無につき高裁で再度の審理を命じた法廷意見を受けて、上場会社監査事務所登録制度の趣旨について述べた上で、以下のとおり品質管理委員会の合理的な裁量を尊重すべき旨を強調した。
「本件においては,被上告人らの上場会社監査事務所名簿への登録を認めない旨の決定につき,その前提となった事実の有無等が争われているものであるが,前記のとおり,上場会社監査事務所登録制度が,公認会計士の監査業務の専門性及び独立性を踏まえ,公認会計士等によって組織される上告人の制度として運用される趣旨等に鑑みると,上記事実があるとした場合には,これを前提としてされた品質管理委員会の決定については,その専門性,独立性を踏まえた知見に基づく判断として,その合理的な裁量が尊重されるべきものと解される。差戻審における審理においては,以上のような点も踏まえた審理,判断がなされるべきである。」


■最二小判令和3年4月26日(令和元(受)1287)集団予防接種B型肝炎感染事件*15
発症時を除斥期間の起算点とした法廷意見を踏まえ、特定B型肝炎ウイルス感染者給付金等の支給に関する特別措置法との関係について、以下のとおり説明した。
「集団予防接種等の際の注射器の連続使用により,多数の者にHBVの感染被害が生じたことについては,その感染被害の迅速かつ全体的な解決を図るため,特措法の定める枠組みに従って,特定B型肝炎ウイルス感染者給付金(以下「給付金」という。)等を支給する措置が講じられている。そして,特措法においては,特定B型肝炎ウイルス感染者の区分に応じて給付金の額が定められているところ,慢性B型肝炎にり患した者については,当該慢性B型肝炎を発症した時から20年を経過した後にされた訴えの提起等に係る者(6条1項7号及び8号)とそれを除く者(同項6号)とが区分されている。これは,慢性B型肝炎による損害についての除斥期間を前提とするものと理解される。本件のように,HBe抗原陽性慢性肝炎の発症後のセロコンバージョンにより非活動性キャリアとなり,その後,HBe抗原陰性慢性肝炎を発症した場合,法廷意見が述べるとおり,HBe抗原陰性慢性肝炎を発症したことによる損害については,HBe抗原陰性慢性肝炎の発症の時が除斥期間の起算点となるから,その時から20年を経過する前にその損害賠償請求に係る訴えの提起をした者は,特措法6条1項6号に掲げる者に当たることになろう。」
極めて長期にわたる感染被害の実情に鑑みると,上告人らと同様の状況にある特定B型肝炎ウイルス感染者の問題も含め,迅速かつ全体的な解決を図るため,国において,関係者と必要な協議を行うなどして,感染被害者等の救済に当たる国の責務が適切に果たされることを期待するものである。」

ということで、まだお二人しか紹介できていないが、更にボリュームが出てくるのはこれから・・・ということで、今日のところはいったんここで切って、残りの裁判官の方々の個別意見は明日以降に取り上げることとしたい(次回のスタートは、あの草野耕一裁判官から・・・)。

*1:それは今でも変わらないかもしれないが・・・。

*2:2005年当時の嘆きが最高裁判所裁判官国民審査 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~である。当時はまだ裁判官が揃って戦前のお生まれだったのか、と思うといろいろ感慨深いところもある。

*3:2009年の忌まわしい異様な意見広告 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~が始まりだった。

*4:といっても、うち4名は今年の夏以降就任された方々で個別意見を表明される機会は事実上なかったのだが・・・。

*5:特に最一小判令和3年6月9日(https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/383/090383_hanrei.pdf)での反対意見は、かつて結果無価値論一本で答案を書いていた人間にとっては実に懐かしく感じられるものだった。

*6:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/040/088040_hanrei.pdf

*7:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/412/090412_hanrei.pdf

*8:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/841/089841_hanrei.pdf、令2(行ツ)28においても同趣旨の意見あり

*9:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/095/088095_hanrei.pdf

*10:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/274/088274_hanrei.pdf

*11:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/109/089109_hanrei.pdf

*12:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/270/089270_hanrei.pdf

*13:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/764/089764_hanrei.pdf、出版社に対する令1(受)877事件判決でも同趣旨の意見あり。

*14:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/873/089873_hanrei.pdf

*15:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/269/090269_hanrei.pdf

悔しさが若者を強くする。

秋競馬が過ぎていくスピードは速く、ついこの前トライアルが始まった、と思っていたのに、今週は早くも3歳牡馬最後の一冠、菊花賞

「三冠リーチでなければ回避する」という最近の傾向は今年も変わらず、皐月賞馬・エフフォーリアとダービー馬・シャフリヤールが揃って別路線に進んだことで、GⅠ馬不在のレースとなってしまったのだが*1、これまで強力な馬たちの「壁」に阻まれていた2番手、3番手の馬たちにとってはこれがまさに絶好のチャンス。

自分は、鞍上が吉田隼人騎手、ということもあって、早い時期から「菊はステラヴェローチェ!」と思っていたところはあったし、先週、大本命ソダシで無念の敗北を喫した須貝調教師とのコンビだけに、なおさらここをリベンジマッチの場にしてほしい、という思いはあった。

馬場も味方したとはいえ、前哨戦の神戸新聞杯での強い勝ち方を見れば、ここで多くの人が支持した*2のも当然のことだろう。

だが、馬の世界にも「順番」というものがあるのか・・・。

ゲートが開いた途端、気持ちよく飛び出していったのは、皐月賞で2着だったタイトルホルダー。

皐月賞馬がここに出ていたら絶対に乗れなかったはずの横山武史騎手が、よどみない流れで引っ張って追いかけてくる馬を寄せ付けない。

ダービーで控える競馬をしたときは、距離を意識したのだろう、と勝手に思っていた(6着)。
さらに夏を越したセントライト記念でも、ハナを切らずに13着惨敗、という結果になったのを見て、「春先は頑張っていたけどここまでかなぁ・・・」と思ったのは自分だけではなかったはず。

それがまさか、「控えない」競馬に戻したことで2000m時代の勢いを取り戻すとは・・・。

結局、道中は抜群のペース配分で後続に脚を使わせ、それでいて自分の脚色は最後の直線に入っても全く衰えない。終始後方の位置取りだったステラヴェローチェが必死に追い上げても後の祭り。

後続を5馬身ちぎる完璧な優勝で、名実ともに「タイトル」を奪っていったのが、これまでGⅠタイトルとは縁がなかったタイトルホルダーだった。


面白いことに、2着に飛び込んだのは牝馬3冠でも2着を取り続けたルメール騎手が操るオーソクレース*3。そして、ゴール前激しく競り合って3着を確保したのは、勝ち馬のジョッキーと同様、パートナーが別路線に行ってしまった福永祐一騎手が騎乗したディヴァインラヴ。

ほぼ完璧な騎乗をしながらも、福永騎手にほんの数センチの差で勝利をさらわれてしまった横山武史騎手にとって、今年のダービーは「悔しい」なんて形容詞で表せるようなものですらなかったと思うし、雑誌の取材記事などを見ても、あのレースは未だに思い出したくないもの、ということになっているようだが、パートナーを変えて臨んだレースで、うっ憤を晴らすような圧倒的な逃げ切り勝ちを決めたことで、その心理はまた変わっていくのだろうか。

クラシック、しかも騎手の腕が問われる長距離戦、ということもあって、ルメール、福永、吉田隼人といった両騎手だけでなく、武豊、幸、デムーロ、池添、和田、松山そして1番人気馬に騎乗していた川田騎手まで、関西の顔役がずらりと顔をそろえたこのレースを、まさに自らの技量で制した、というこの結果が、確たる自信となって、まだ22歳の若きジョッキーの成長をますます加速させてくれることを自分は期待している。

そして、路線の棲み分けさえうまくできれば、来年、いや、もしかしたら今年の秋競馬から、タイプが異なる2頭の「一冠」馬を操って、横山武史騎手がGⅠを取りまくる・・・そんな時代が突然やってくることも夢想しつつ、引き続きまだ残っている2か月に備えたいと思うところである。

*1:2歳時のGⅠ馬2頭(グレナディアガーズ、ダノンザキッド)もマイル路線、ということでこの日の舞台からは程遠いところに行ってしまった。

*2:最後は2番人気に落ちたが、間違いなく主役の一頭だった。吉田隼人騎手も、GⅠでここまで続けて人気の馬に乗った経験はこれまでほとんどなかったのではなかろうか。

*3:馬自体もGⅠ2着。

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